2009年11月24日火曜日

*At A Japanese Inn

●樹香庵(浜松市北区浜北・森の家) 

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今夜は、浜北にある、「森の家」に一泊。
このところ、こうしてどこかの旅館に
泊まるのが、楽しい。

「森の家」は、浜北森林公園の頂上付近にある。
その「森の家
の一角に、離れの形で、樹香庵がある。
「じゅこうあん」と読む。
純和風の別宅。

その樹香庵で、今、この文章を書いている。

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●イチオシ

 樹香庵は、10畳が2間。
一間は茶室風になっている。
風呂、トイレも北側にあって、申し分なし。
風呂は、小さいが、ヒノキ風呂。
浜松方面に来て、やや時間に余裕があるなら、イチオシの旅館である。
「やや時間に……」というのは、浜松駅からは、電車とタクシーを乗りついで、1時間ほどかかる。
(東名・浜松インターからだと、30分ほど。)

 値段も、素泊まりで、1泊1人、8000円(2名宿泊のばあい)。
隣が、「まつぼっくり」という名前のレストランになっている。
食事は、そちらですますようになっている。
経営母体が変わるたびに、メニューも変わるが、今夜のそれは、悪くなかった。
(若い人には、量が少ないかな……?)

●掛け軸

 こういうところで文章を書いていると、いっぱしの作家気分。
たった今、風呂から出て、部屋の中には、私、ひとり。
ワイフが交替で、今、風呂に入っている。

 向こう側の日本間には、ふとんが2組、敷いてある。
床の間が、私の背中側にもあるが、向こうの和室にも、もうひとつ床の間がある。
掛け軸が掛かっていて、そこには、「日々是好日」と書いてある。
中国語で、「是」というのは、英語の「is」に相当する。
だから、「毎日、よい日です」という意味になる。

 背中側の床の間にも、掛け軸がかかっている。
そこには、「一期一会」と書いてある。
今さら、意味を説明するまでもない。
ともに、生き方を象徴する言葉である。

●『日々是好日』

 日々を満ち足りた気持ちで、楽しく過ごす。
生きる目的は、この4語に集約される。
私だって、そうだ。

朝起きると、まず、10分間の運動をする。
ウォーキング・マシンの上で、時速6キロで歩く。
かなり寒い朝でも、それで体は暖まる。
頭もスッキリする。
そのとき、こう誓う。
「今日こそは、がんばるぞ」と。

 この言葉には、いろいろな意味がこめられる。
ひとつは、「今日こそは、有意義に生きてやる」という意味。
もっと言えば、「今日こそは、がんばったなあ」という1日にすること。
その第一の条件が、「今日は、好い日」ということになる。

 なお『日々是好』というと、「日」という文字を書き加えて、『日々是好日』と書く人は多い。
しかし正しくは、『日々是好』である。

●『一期一会』

 では、『一期一会』はどうか?

 いろいろに解釈する人がいる。
人との出会いは、その瞬間、その瞬間。
1回だけだから、真剣に会えというように、説明する人もいる。
「人との出会いを大切にしろ」と。
もともとは、千利休の弟子の山上宗二が、「一期に一度の会」と書いたことに始まる。
それを幕末の大老、井伊直弼が、『一期一会』にまとめたとされる(ウィキペディア百科事典より)。

茶室には、どこも、この言葉がかかげられている。
が、私は若いころから、こう解釈していた。

 「その瞬間、その瞬間は、1回しかないから、覚悟して生きろ」と。

 そういう意味では、この言葉は、「今を生きる」という生き方に、つながる。
「今しかない。
だからその今を、懸命に生きろ」と。

 どの解釈が正しいとか、そうでないとか、論じても意味はない。
それぞれの人が、言葉を読み、自分で何かを感じればよい。
自分流に解釈すればよい。
それを自分の中で、生かせばよい。

●中国文化

 こうして純和風の一室に泊まってみると、「日本はやはり、中国の文化圏に属するのだな」と知る。
四字熟語にしても、もともとは中国から入ってきたもの。

が、こう書くからといって、日本が、現在の中国の属国であるとか、そういうことを言っているのではない。
現在の中国人もそうだが、私たち日本人も、その向こうにある、同じルーツの子孫ということ。
どちらが「上」で、どちらが「下」などという議論そのものが、ナンセンス。
中国人の多くは、自分たちが「上」と思っているかもしれないが……。

 また中には、和風建築は、日本独特のものと主張する人もいるかもしれない。
しかし全体としてみると、つまり国際的な視野でみると、中国式は中国式。
漢字を、ひらがなや、カタカナにした程度のちがいはあるかもしれない。
しかし「独自」とは、とても言いがたい。

 そのことは、学生時代に、横浜の中華街へ行ったときにも、感じた。
たまたま何かの祭りをしていた。
それを見て、驚いた。

 太鼓の鳴らし方、はやし方、どれも、私が子どものころ、郷里のM町で聞いたものだった。
私は、日本の祭りは、日本独特のものだとばかり思っていた。
つまり基本に中国の祭りがあり、それをまねたというよりは、不完全なまま輸入して、日本の祭りを作りあげた。
見よう見まねで、日本人は日本の祭りを作った。

 あるいは(中国)→(朝鮮半島)→(日本)へと、文化が移入する過程で、少しずつ変化したのかもしれない。
少なくとも、日本人が、オリジナルとして、自分で作りあげた祭りではない。
それを横浜の中華街で、見て、驚いた。

●「日の本」

 日本を否定してばかりいては、いけない。
しかし前にも書いたが、日本のことを「日本」というが、「日本」、つまり「日の本(もと)」という発想そのものが、日本人のそれではない。
「日本」という名前は、「日(=太陽)が昇る国」という意味である。
「日の本」というのは、中国、あるいは朝鮮半島から見て、そうだというにすぎない。
日本人が、自分の国の名前をつけるとき、「ここは日の本だ」などと、言うだろうか。

 だいたいにおいて、「日本」を、「ニッポン」「ニホン」と、音読みにすること自体、おかしい。
どうして「日本」という国名が、中国式の発音になっているのか。

 また「日本」という国名は、中国人、もしくは朝鮮半島の人たちによって、つけられた。
さらに中国には、「倭国」と書いて、「日の本」と読んでいたという記録も、残っている。
詳しくは別の原稿で書いたので、ここでは省略する。

●愛国心

 またまた日本を否定してしまった。
私の悪いクセだ。
不愉快に思っている人も、多いことと思う。

 このところおかしな復古主義が、幅をきかせているから、こういう話になると、どうしてもムキになる。
車が暴走しかけているから、ブレーキのかけ方が、どうしても強くなる。
今は、そういうときかもしれない。

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、私は日本を嫌っているのではない。
好きとか嫌いとかは、感情として、あまり考えたことはない。

しかし人一倍、日本のことを心配している。
いつも日本のことを考えている。
外国から日本へ帰ってくると、心底、ほっとする。
日本がすばらしい国になることを、いつも心の中で願っている。
そういう気持ちを総称して、「愛国心」というのなら、私にも愛国心はある。

 しかしこうした愛国心と民族主義は、区別したほうがよい。
「大和民族はすぐれている」と思うのは、その人の勝手。
しかしだからといって、その返す刀で、「ほかの民族は、劣っている」と思うのは、まちがい。

 ともに高い次元で、相手を認めあってこそ、民族主義は、光る。
そうでなければ、戦争の火種になるだけ。
とくに過激な国粋主義には、警戒したほうがよい。

●レストラン
 
 どんどんと考えが、ひとり歩きしてしまった。
こんな部屋で、日本や民族について書くつもりはなかった。
もう少し、楽しい話題について、書くつもりだった。

 ……先ほど、隣のレストランで、夕食をとった。
今夜は森の家の招待ということもあって、無料。
あとでメニューを見たら、私の料理が、1300円。
ワイフのそれが、850円ということだった。
量的には、私たち夫婦には、多すぎるくらい。
私もワイフも、半分程度、残した。

 というのも、数日前、体重計に乗ったら、62・5キロになっていた。
風邪気味だったので、食事の量をふやした。
とたん、このザマ。
あわてておとといから、ダイエット。
今朝は、60・5キロに戻っていた。

ホ~~~ッ!

 そのレストランには、たくさんの人たちが、それぞれグループを作り、食事をしていた。
みな、楽しそうだった。
中には、口角に泡を飛ばして、議論している人たちもいた。
うしろの席に座った夫婦は、料理ごとに、デジタルカメラで写真を撮っていた。
前の席に座っていたグループは、大学のゼミか何かでやってきたようだ。
中央に教官らしき人を置き、みなが、その人の話を真剣に聞いていた。

 人は、やはり人と関わりをもって生きる。
「いいなあ」とか、「うらやましいなあ」とか、そんなことを言い合いながら、
ワイフと夕食を食べた。

●DVD

 夜も更けてきた。
時刻は、今、21:20。
パソコン上の時計では、そうなっている。
今日は昼寝をしなかった。
そのこともあって、今は、眠い。
目をあけているのが、やっと。

 ワイフは、別のパソコンで、ここへ来るとき借りてきたDVDを観ている。
リチャード・ギア主演の『最後の初恋』。
私好みではない。
音声だけ聞こえてくるが、ネチネチした会話がつづく。
要するに、(お涙ちょうだい映画)?

「涙は出たか?」と聞くと、ワイフは、「ちょっとね」と。

一方、私が借りてきたのは、『デイブは宇宙船』。
「宇宙人」ではなく、「宇宙船」。
人間の形をした宇宙船という意味である。
パッケージの裏の解説しか読んでないが、おもしろそう。
楽しみ。

●明日

 明日は勤労感謝の日。
休日。
とくに予定は、ない。
帰りに、別のパソコンショップへ寄るつもり。

 ところでこのエッセーは、Open Officeを使って書いたもの。
最初は、どこかおっかなびっくりという感じだったが、今のところ問題、なし!
動作も安定している。
OOを使っているということすら、忘れていた。

MSのOfficeにない機能も、いくつかついている。
かなり気に入ってきた。
ワンクリックで、全画面表示にしたり、もとに戻すこともできる。

 いいぞオ~~!

 ……ということで、就寝タイム。
少しのどが痛いので、うがいをしてから寝る。

2009年11月22日、夜。
結局、今日も、たいしたことができなかった。
「明日こそは、がんばろう」と、改めて心に誓う。

(注)雑誌などの記事によると、OO上では、複雑な図形や、レイアウトについて、
崩れることもあるそうだ。
しかし一般の人たちが、ふつうの状態で使うなら、何も、問題はないようだ。

 私が確かめたのは、(Office2007と、Open Offfice)の互換性。
近く発売になる、Office2010との相性については、未確認。

 ともあれ、Open Officeに、バンザ~イ!

(樹香庵の写真は、マガジン12月号のはじめに、紹介します。)


(注:一期一会について)

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
参考までに、転載させてもらう。

『一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である』と。

(補記)

●DVD『デイブは宇宙船』

 発想はおもしろいが、中身が薄い。
陳腐。
そんなわけで、星は2つの、★★。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●気分

 今日は、1日中、ずっと気分が晴れなかった。
原因はわからない。
俗に言う、「落ち込んだ状態」。
ときどき、こうなる。
何を考えても、否定的、悲観的。
平たく言えば、いじけている。
マイナス思考になっているから、批判だけで終わってしまう。
そこから何も生まれてこない。

 こういうときは、あまり文章を書かないほうがよい。
書いても、よい文章が書けない。
……ということで、写真の加工をして、時間をつぶした。
HPの更新をした。
午後からは、ワイフと買い物に出かけた。
帰りにパソコンショップに寄ってみた。
新製品に、いくつか手を触れてみた。
で、ビビッときた。

「そうだ、あのレッツ・ノートを手入れしてみよう」と。

 レッツ・ノートというのは、9年ほど前に買った、P社製の
ノート・パソコンをいう。
CF-L1。
骨董的価値がある?
当時はもっとも愛用したパソコンである。
価格は、22万円。
よく覚えている。

 が、買ったときから、不調つづき。
最初の半年くらいは、ずっと、パソコンショップとメーカーの間を
行ったり来たりしていた。
それで直ったわけではない。
今でも、CDトレイは、殺したまま。
端子にビニールをはさんで、使えないようにしてある。

●古いパソコン

 そのパソコンで、この文章を叩いている。
気持ちよい。
あのころの感触が、指先から戻ってくる。
ただ記憶媒体が、フロッピーディスクのみ。
たった今、USBメモリーを試してみたが、やはりだめだった。
CDが使えないから、ドライバーをインストールすることもできない。
何か、よい方法はないものか。

 ところで光学マウスは、どうか?

 ヘエ~~~?

 光学マウスは、認識したようだ。
使えるようになった。
しかしUSBポートは、1つしかない。
だから文章を保存するときは、一度マウスをはずさなければならない。
それにフロッピーディスクは、あったかな?

 画面全体は、薄黄色。
セピアカラーとまではいかないが、それに近い。
「かえって目にやさしくなった」と言って、自分をなぐさめる。
こういうのを心理学の世界では、「合理化」と呼んでいる。

●パソコン

 こうして考えてみると、パソコンというのは、大切に使うものではない。
どうせ9年も使うと、ただの廃棄物。
ノート・パソコンなら、まだよい。
大型のデスクトップパソコンとなると、そうはいかない。
処分に困る。

 ところでモニター一体型のパソコンというのを、今でも売っている。
しかしこれは私の個人的な意見だが、ああいうのは、買わないほうがよい。
パソコンを処分するとき、モニターまで処分しなければならない。
モニターが別になっていれば、またほかのパソコンで、再使用ということも可能。

 そこで考えた。
人間の臓器移植のように、パソコンも、そのつど、より高性能の部品と交換
できればよい。
(たとえが悪くて、ごめん!)
最初から、そういう(作り)になっていれば、無駄がない。
ハードディスクやメモリーなどは、簡単に交換できる。
同じように、マザーボードやグラフィックボードも、交換できるようになると
よい。

 そのためには、パソコンの規格化が、もっと進まなければならない。
果たして、それは可能なのか。

●たった9年!

 しかしこのパソコンには、思い出が詰まっている。
このパソコンで、何冊か、本も書いた。
新聞のコラムも書いた。
たった9年前のことだが、遠い昔のことのように感ずる。
正確には、「2000年9月19日、購入」となっている。
私はパソコンにかぎらず、何か電気製品を買うと、裏に購入年月日の
シールを張ることにしている。

 その間の9年で、パソコンの世界は、格段の進歩を遂げた。
この先も、さらにさらに進歩する。

●スパコン

 ところで今、政府部内では、予算配分の見直し作業を進めている。
その作業の中で、スパコン(スーパーコピュータ)の開発予算が、削られる
ことになったという。
これに対して、その道の専門家たちが、猛反発しているらしい。

 しかしこれについて、私の二男は、こう言っている。
「これからは、スパコンの時代ではない」と。

 現に、CERN(スイスに本部を置く、量子加速器研究所)では、スパコン
ですら、役に立たないという。
そこで世界中の大型コンピュータを回線でつなぎ、それを使ってデータの分析や
解析を行っているという。
その数、約1万台。
そのほうがそれぞれの科学者にとっても、使いやすいのだそうだ。

 二男はその技術者として、来月(12月)、スイスへ行くという。
スパコンにこだわる時代は、終わりつつあるのかもしれない。
つまりハードからソフトの時代へ。

似たような例に、ウィキペディア百科事典がある。
(私が勝手に、そう思っているだけだが・・・。)

何かの百科事典を書こうとすると、たいへんな作業になる。
20~50人単位の編集者が、数か月かけて、やっと1巻。
全巻完成するまでに、何年もかかる。
しかし世界中の人たちが、少しずつ書けば、あっという間に、百科事典が
できあがってしまう。

同じように、すべての分析を、1台のスパコンを使ってするよりは、1万人の科学者が、
1万台のパソコンを使って分析したほうが、早い。
もちろんそこから出てきたデータは、私たちがウィキペディア百科事典を利用するように、
みなで共有する。
この世界も、今、急速に変わりつつある。

 「このままでは、日本はスパコンの世界から、はじき飛ばされてしまう」と
心配するのは、どうか?
それよりも重要なことは、それを使うソフトウェアの開発ということになる。

●後書き

 夕食後、だいぶ心も落ち着いてきた。
いじけた心が、弱まってきた。
これならあと1~2時間で、精神状態は安定してくるはず。
よかった!

 今日、のんだ薬。

 葛根湯・・・頭が重かったから。
 ハンゲコウボクトウ(半夏厚朴湯)・・・これは精神の安定にきく。
 セパゾン半錠・・・同じく、精神の安定にきく。
 午後になって、頭痛薬半錠・・・これは念のため。
 さらに寝る前に、センナを少しのむつもり。
これは腸が、腫れぼったいから。

 そうそうこれから20分間、ウォーキング・マシンの上で運動。
今日(11-23)は、勤労感謝の祭日。
明日から、また仕事。
がんばります!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

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