2010年4月3日土曜日

*Japanese Families Now

●60歳以上、7割が不安(内閣府)

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内閣府は4月2日(2010)、60歳
以上を対象に、「高齢者の日常生活に
関する意識調査」を実施し、その結果を
公表した。

それに対して、「将来の生活に不安を
感じるか」という問に対して、
71・9%が、「不安を感ずる」と回答。
5年前の前回調査より、4・0%もふえた。

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●調査結果

 調査結果を並べてみる。

(1)自分や配偶者の健康や病気……77・8%
(2)介護          ……52・8%
(3)生活のための収入    ……33・2%

さらに、
(4)不安をとても強く感ずる ……15・6%
(5)多少は感ずる      ……56・3%、とつづく。

 「60歳以上」といっても、前期高齢者と、後期高齢者(75歳以上)とでは、
不安に対する感じ方も、大きくちがうはず。
私ももうすぐ満63歳になるが、今のところまだ現役で働いていることもあって、
それほど強くは、不安を感じていない。
私なら、上述、(1)(2)(5)に、(レ)を入れる。
しかし今のような状態が、70歳以上になっても維持できるとは、思っていない。
つまりこの調査を、70歳以上の人にしぼって行えば、もっときびしい結果が出てくる
はず。

 なお全体としてみると、(収入)が、ひとつのポイントになっているのがわかる。
収入のない人ほど、不安を強く感じている。
「家計が苦しいと感じている人の、90%以上が、将来の不安を訴えた」(中日新聞)と
ある。

●親子の断絶

 義兄は、こう言った。
「親子で断絶している家庭は多いよ。
子どもの方は、親を負担に思っているから、ささいな理由をこじつけて、子どもは親から
去っていくよ」と。
「つまりね、親のめんどうをみたくないから、何か理由をさがして、親を棄てるというわ
け」と。

 こんな例を話してくれた。

 その家には、2人の息子がいる。
で、現在、父親は、独り暮らし。
宅地と農地(いつでも宅地化できる)の両方で、500坪の土地をもっている。
そこでその父親は、自分の死後、息子たちが言い争いをしないようにと、土地を均等に
2つに分け、その旨、2人の息子に伝えた。
が、これに長男が猛反発。
「均等は、おかしい!」「あんたのめんどうを近くでみてきたのは、オレだ」と。

 そこで父親は、預金通帳や株券を見せ、「これはお前にやるから」と、長男をなだめた。
が、以後、長男は、家に寄りつかなくなってしまった。
二男も、家に寄りつかなくなってしまった。
長男と二男は、会ってもたがいに口をきくこともない。
つまり家族が、バラバラになってしまった。

●家族の耐性

 「家族の耐性」が、弱くなった。
ちょっとしたことで、親子がバラバラになってしまう。
親の方はともかくも、子どものほうが、去っていく。
そして理由にもならないような理由を並び立てて、「私はあんな親のめんどうはみない」と。
ある男性(40歳くらい)は、親類の人にこう言ったという。
「もう何年も、電話一本もくれない」「親なら息子のことを心配して、『元気か』くらいの
電話くらい、してくれてもいい」と。

 その男性の父親(75歳くらい)も、田舎で独り暮らしをしていた。
が、一度ころんで骨折してからは、寝たきりの状態になった。
そこで見るに見かねて、親類の人が、その男性に電話を入れた。
その返事が、これ!

 つまり父親が息子に電話を入れなかった。
それを理由に、「私は、父親のめんどうをみる義務はない」と。

 しかし今、そういう家庭がふえている。
ほとんどがそうでないかと思われるほど、多い。

 こうした問題を考えるときの、キーワードが「依存性」。
一度、(保護)(依存)の関係ができると、保護する側は、ずっと保護する。
依存する側は、依存する。
が、それで終わらない。
依存する側は、「依存して当然」と考える。
つまり今では、最後の最後まで、「親は子どものめんどうをみるべき」と、考える。
そういう子どもが、ふえている。

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これについても、何度も書いてきた。
以前書いた原稿を、さがしてみる。

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【親バカ論】

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50~60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。
「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2~3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあなたのめんどうをみない。
60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。
むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。

保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ~イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ~~」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、~~してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)をいう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老後 はやし浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。

 何を隠そう、私も、その親バカだった。
「超」をつけてもよいほどの、親バカだった。
ハハハ……と笑って、ここはごまかす。


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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