2010年4月21日水曜日

*The Ability in Thinking

●思考の浅薄化

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昨日、バスに乗った。
一日中、雨が降っていた。
そのときのこと。
うしろの席に座った女性2人が、
ペチャペチャとしゃべっていた。
それとなく振り返ってみると、
年齢は、ともに70歳前後。
会話の内容が、そのまま聞こえてきた。

「H男は、1周忌のとき、遅刻してきた」
「帰りはタクシーで、そそくさと帰っていった」
「喪服のかわりに、黒いズボンをはいてきた」
「仏前に、1万円しか、供えなかった」などなど。

話の内容からすると、その中の1人が、
亡くなった兄の1周忌を、最近、したらしい。
その席に、H男という弟がやってきた。
1人の女性は、さかんにそのH男の批判をしていた。

姉と弟。
その間に、何か、大きな(わだかまり)があるらしい。
その(わだかまり)を、その女性は、(批判)に転化させていた。
つまり(腹いせのためのグチ)。

私はその会話を聞きながら、思考の浅薄性について
考えた。

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●脳の老化

 脳が老化すると、当然のことながら、思考が浅薄化する。
いくつかの特徴がある。

(1)ループ化(同じことを、何度も考える。)
(2)針小棒大化(ささいなことに、こだわる。)
(3)浅薄化(思考力が浅くなる。)

 ひとつの問題を考えながらも、それに切り込んでいくことができない。
脳に飛来した情報を、繰り返し考えたり(ループ化)、どうでもよいことを、おおげさに
考えたりする(針小棒大化)。

●バケツの底の穴

 脳みそというのは、加齢とともに、退化する。
バケツの底に穴があいたような状態になる。
そうでなくても、知識や経験、知恵は、その穴から外へ、どんどんとこぼれ落ちていく。
わかりやすい例が、英語の単語。

 若いときに覚えた単語は、今でもよく覚えている。
しかし40代、50代に覚えた単語は、よほど何かの努力をしないかぎり、そのまま
忘れていく。
60代になるとなおさらで、へたをすれば、数日ももたない。

●「私は昔のまま」

 たとえば40代のとき、100の知識や経験、知恵があったとする。
が、50代になると、それが半減する。
40代のころ身につけた知識や経験、知恵にしても、そうだ。
50代になると、それが半減する。
 
 が、悲劇的なのは、そうして半減していること自体に、当の本人が気がつかないこと。
「私は昔のまま」と思いこむ。
特別な努力をしていない人ほど、そう思いこむ。
「私は若いころと同じように、賢い」と。

●特別な努力

 そういう意味では、「思考力」は、「健康論」に似ている。
健康を保つためには、日々の運動が欠かせない。
それを怠ったとたん、あとは下り坂。
50代になると、1週間も運動をしないでいると、体の調子が悪くなる。
60代になると、さらに悪くなる。

 同じように、思考力についても、日々の鍛錬が欠かせない。
たとえばパソコンに新しいソフトをインストールする。
マニュアルを読む。
そのときは、そこそこに、それを使いこなすことができるようになる。
が、1か月もそれを使わないでいると、操作方法そのものを忘れてしまう。

 それを防ぐためには、数日おきにでもよいから、そのソフトを使ってみる。
これが「日々の鍛錬」ということになる。

●火花

 先にも書いたように、思考力というのは、脳のCPU(中央演算装置)と密接に
関連している。
CPUの能力が低下してくると、脳の機能そのものが低下していることに気づかない。
わかりやすく言えば、自分がバカになっていることにさえ、気づかない。
バカな話をしながら、それがバカな話であるということが、わからない。

 たとえばバスの中の2人の女性の会話が、それである。
もしその2人の女性が、「法事論」、「宗教論」、さらに「地蔵十王経(=日本製のニセ経)」
の話でも始めれば、すばらしい。
が、同じ話を、何度も繰り返す。
中身は、どうでもよいようなことばかり。

 私はその会話を聞きながら、「遅刻ねえ?」「タクシーねえ?」「黒いズボンねえ?」
「仏前ねえ?」と、頭の中で、火花がバチバチと飛ぶのを感じた。

●脳の老化

 脳の老化は、だれにでもやってくる。
避けようがない。
脳細胞にしても、日々に死滅していく。
が、その一方で、脳は鍛錬によって、その活動を維持することができる。
恩師の田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を学び始め、中国の科学院総会で、
中国語による講演をしている。
80歳を過ぎて、英語の教育書の翻訳もしている。
今でも、その聡明さはまったく衰えていない。

 最近の脳科学も、こうした鍛錬の有効性を認めている。
脳細胞(ニューロン)は死滅するが、シナプスは、鍛錬によって増加する。
それには年齢制限はない。

 健康にしてもそうだ。

 その田丸謙二先生は、数年前に会ったときには、杖をついて歩いていた。
が、先月会ったときには、駅の階段を杖なしで上り下りしていた。

●まず気づく

 まず、気づく。
それが脳の老化を防ぐ、第一歩。
「私はだいじょうぶ」と、高を括(くく)っている人ほど、あぶない。
努力しない。
だからそういう人にかぎって、脳の老化は一気に進む。

 一方、それに気がついている人は、その恐怖感と闘いながらも、努力する。
その努力が、脳の老化を防ぐ。

 バスはやがて市内へと入り、私はバスを下りた。
下りながら、こう思った。

「あの人たちも、やがて、ボケバーさんになるのだな」と。
というのも、人は階段をおりるように、段階的にボケるのではない。
マイナスの一時曲線的に、徐々に徐々にボケていく。
当人が、気がつかないまま……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 脳の老化 ボケ 浅薄化 脳の浅薄化 ループ性)


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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