●なし崩し的既成事実化
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「独島(日本名、竹島)と、K国の核兵器と
かけて、何と、説く?」。
答……「なし崩し的、既成事実化」。
共に、ものごとをなし崩し的に、既成事実化しよう
としている。
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●矛盾する論理
韓国の人たちは、「オレたちは、K国とはちがう」と思っているかもしれない。
とくに、K国の核開発問題については、そうであろう。
K国は事実上、核兵器を所有し、核保有国であることを、既成事実化しようとしている。
韓国政府も、「それは認めない」とがんばっている。
が、同じように韓国は、K国と同じことをしている。
竹島(独島)への実効的支配を強化し(中央N報)、竹島は韓国領土であることを、
既成事実化しようとしている。
同じ民族。
発想が、よく似ている。
……というより、K国は、韓国のあとを、懸命に追いかけている。
今日(4月10日)の韓国・中央N報は、つぎのように伝えている。
「…… 鄭総理は日本の独島(ドクト、日本名・竹島)領有権の主張に関し、『日本がこの問題を持続的に取り上げるのは、韓日間の未来の発展に決して役立たない。すでに韓国の国民が居住しているが、独島に対する実効的支配をさらに強化していく必要がある』と強調した」と。
つまり事実上、支配しているから、竹島は、韓国の領土だ、と。
しかしこんな論理がまかりとおるなら、K国の核兵器開発問題は、どうなる?
K国も同じ論理をふりかざして、「自分たちの国を核保有国として認めろ」と騒いでいる。
●シャドウ論
韓国とK国を並べてながめていると、ユングのシャドウ論が、頭の中を横切った。
韓国のもつシャドウを、K国が受け継いでいる。
そんな感じがした。
そんな感じがしたので、韓国とK国、それにシャドウ論をからめて考えてみたい。
うまくまとめられるかどうか自信はないが、一度、書いてみる。
シャドウ論……「シャドウ(影)」として、心の裏に閉じこめられた人間性は、その近くにいる人に伝染しやすい。その一例として、佐木隆三の『復讐するは我にあり』がある。
昨年(09年3月)に書いた原稿を、もう一度、ここでとりあげてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【シャドウ論】
●仮面(ペルソナ)
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ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。
で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、
人と会うのをあまり好まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。
といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。
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●みな、かぶっている
たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、
「人間的にすばらしい人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、
お調べいたします」などと答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。
最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。
今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で
作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。
私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。
ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。
映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で
作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。
●相手の見えない世界
以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。
もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、
読者の心を誘導する。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。
たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。
●現実
が、ここで重要なことは、ペルソナ(仮面)は、ペルソナ(仮面)として、
(現実)とは、しっかりと切り離すこと。
たとえば学生時代、私にとっては、「ベン・ハー」イコール、
「チャールトン・ヘストン」であり、「チャールトン・ヘストン」イコール、
「ベン・ハー」であった。
私には区別がつかなかった。
しかしこうした現象は、何も私だけに起きた特殊なものではない。
映画ドラマの中の主人公を、(現実の人)と思いこんでしまう現象は、
よく見られる。
しかも若い人たちだけではない。
40歳前後の女性ですら、それが区別できなくて、韓国の俳優を追いかけたり
する。
が、相手を見るときはもちろんのこと、自分自身に対してもである。
ペルソナ(仮面)と(現実)は切り離す。
とくに、自分がかぶっているペルソナ(仮面)には、警戒したほうがよい。
この操作を誤ると、自分で自分がわからなくなってしまう。
欧米では、牧師に、そのタイプの人が多いと言われている。
みなの前で、神の言葉を語っているうちに、自分自身が(現実)から遊離してしまい、
自分のことを(神)と思いこんでしまう。
が、それだけではすまない。
●シャドウ
このとき同時に、自分の中にある(邪悪な部分)を、心の中に別室に閉じこめて
しまう。
閉じこめながら、自分を善人と思いこんでしまう。
こうした現象を、あのユングは「シャドウ(影)」という言葉を使って説明した。
このシャドウが、別のところで、別人格となって、その人を裏から操る。
大教会の神々しいほどまでの牧師が、その裏で、少年や少女を相手に、性犯罪を
繰り返していたという例は、欧米では、たいへん多い。
が、さらに恐ろしいことが起きる。
このシャドウは、ときとして、そっくりそのまま子どもに伝わることがある。
心理学の教科書に出てくる例として、あの映画『復讐するは、我にあり』がある。
それについては以前にも書いたので、このあとに、そのとき書いた原稿を添付
しておく。
こういう例は極端な例であるとしても、親子の間でも、こうした現象はよく
観察される。
●シャドウを受けつぐ子ども
ある母親は、世間では「仏様」と呼ばれていた。
しかし2人の息子は、高校時代、ともに犯罪行為を犯し、退学。
周囲の人たちは、「どうしてあんないい母親なのに、息子さんたちは……?」と
言っていた。
が、こうした現象も、シャドウ論をあてはめてみると、説明がつく。
母親は、邪悪な部分、たとえば嫉妬、ねたみ、恨み、不満などを、心の中の別室に
閉じことによって、善人を演じていただけである。
そのシャドウを、いつも近くで見ていた息子たちが、受けついでしまった。
では、どうするか。
私たちはいつもペルソナ(仮面)をかぶっている。
それはそれでしかたのないこと。
ショッピングセンターの女子店員が、客に向って、「オイ、テメエ、そこの客、
泥靴なんかで、この店に来るなよ!」と叫べば、その女子店員は、そのまま解雇。
職を失うことになる。
この私だって、そうだ。
で、大切なことは、それをペルソナ(仮面)と、はっきりと自覚すること。
そして脱ぐときは、脱ぐ。
脱いで、自分に戻る。
ありのままの自分に戻る。
それをしないでいると、それこそ人格そのものが、バラバラになってしまう。
これはたいへん危険なことと考えてよい。
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シャドウについて書いた原稿を
添付します。
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【シャドウ論】
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仮面をかぶっても、仮面をぬぐことも
忘れないこと。
その仮面をぬぎ忘れると、たいへんな
ことになりますよ!
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●自分の中の、もう1人の自分
もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。自分で、自分は善人だと思いこんでしまう。
このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。さも私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。全体に演技ぽい。ウソっぽい。大げさ。
こういう話は、以前にも書いた。
そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、まあ、それに近い。
このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。
●仮面(ペルソナ)をかぶる女性
ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、おだやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。
しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜い欲望が、いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好きだった。
こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができた。
が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単位の話ではない。世代単位の話である。
その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。
●子に世代連鎖するシャドウ
その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねたまれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。
その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。
「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。
話を聞くと、こうだ。
「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなかったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの一面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。
この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシャドウのもつ、本当のおそろしさである。
●こわい仮面
そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらないこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。
そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰って家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。
仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ユング 仮面 ペルソナ シャドウ論)
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少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。
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●仮面とシャドウ
だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。
しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよい。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、ウズを巻く。
世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないことがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。
●凶悪事件の裏に
夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンションに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育にも熱心。
が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。
実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。
たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰よ」と。
そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウがつきまとう。
親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところがある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですってねえ」と。
悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、そのまま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断する基準が、出身高校へと結びついていった(?)。
この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。
●ドロドロとした人間関係
そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きついでしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れようとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる基盤となってしまう。
よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』である。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みごとな演技をしている。
あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさることながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれとるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。
父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握らせる。
つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげる原動力になった。
●いつのありのままの自分で
子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。
親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、その仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。
だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言える。
子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのままの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子どもにとっては、好ましいということになる。
(はやし浩司 ペルソナ 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャドウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●韓国とK国
K国は韓国に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、韓国は、何もしてこないだろう」と。
一方、韓国は日本に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、日本は、何もしてこないだろう」と。
そしてK国は、韓国に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをしている。
韓国は、日本に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをしている。
ともにその根底にあるのは、被害妄想と「甘えの構造」。
たしかに韓国はK国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。
南北統一についても、今、統一したら、それこそたいへんなことになる。
南北統一を望んでいないのは、当の韓国ということになる。
一方日本は韓国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。
竹島の実効的支配を進めれば進めるほど、世界に向かって、「竹島は韓国の領土ではない」と、宣言しているようなもの。
どうしてあんな島に、ヘリポートを作り、一般人を住まわせるのか?
その(無理)が、不自然!
不自然だから、無理をする!
世界の人は、だれしも、そう思う。
本当に自分の領土なら、もっと堂々としていればよい。
姑息なことをするから、かえって疑われる。
●で、シャドウ論
K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ。
わかるか?
表では正論をぶっているが、仮面の下では、姑息なことを繰り返している。
自動車にしても、「前から見れば、TOYOTA車、うしろから見れば、NISSAN車」。そんな車を、平気で作っていた。
ほんの10年前の話である。
日本中の、それこそ津々浦々にまで産業スパイをはびこらせ、日本から奪えるものは、何でも奪っていった。
その結果が今である。
ウソだと思うなら、韓国の現在の産業構造を見ればよい。
20~40年前の日本の産業構造そのもの。
自動車、鉄鋼、電子産業などなど。
反対に韓国が独自に発展させた産業は、ひとつもない!
それをK国は、横から見ている。
そして韓国が生来的にもっていた(姑息さ)を、K国がそっくりそのまま引き継いでいる。
先に「K国は、韓国のあとを追いかけている」と書いたのは、そういう意味。
……と書くのは、書き過ぎ。
かなり過激。
私もそれをよくわかっている。
しかしこれだけは言える。
韓国の人よ、K国の人よ、なし崩し的に、ものごとを既成事実化するのは、やめよう。
「竹島」にしても、韓国の人よ、日本人がおとなしいからといって、それをよいことに、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをやるのは、やめよう。
いいか、韓国の人よ、K国が崩壊したら、竹島どころではなくなるぞ。
へたをすれば、38度線以北は、中国の領土となる。
「渤海国」になる。
わかっているのか。
そのとき日本に泣きついてきても、遅いぞ。
ここは冷静に!
この極東アジアで、だれが友人で、だれが友人でないか、少しは頭を冷やして考えろ。
謙虚になれ。
「自分たちの領土でない」ということを、心の奥で自覚しているからこそ、日本政府の発言に、そのつどビクつく。
大騒ぎする。
それがいやなら、もっと正々堂々と、国際裁判所という「場」で、たがいに証拠をあげて闘おうではないか。
どうしてそれがまずいのか?
何かまずいことでもあるのか?
以上、「竹島(独島)」問題を、シャドウ論をからめて、考えてみた。
どこか「木に竹を接ぐ」ようなエッセーになってしまったが、許してほしい。
竹島問題の記事を読んだとき、ふと「シャドウ論」が頭の中を横切った。
「K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ」と。
それでこんなエッセーになってしまった。
ごめん!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 竹島問題 独島問題 シャドウ論 はやし浩司 ユング シャドウ論 実効的支配 なし崩し的支配)
Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司
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