2012年3月15日木曜日

*Sui-Ko-En Japanese Inn in SumataHot Spring Spa , Japan

●講演の帰りに、翠紅苑に一泊(村松秀太郎画伯に会う)
  はやし浩司 2012-03-14 寸又峡温泉にて



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、寸又峡(すまたきょう)温泉に一泊。
S町での講演を午前中に終えたあと、そのあと少し遠回りをすることにした。

今、その電車の中。
金谷(かなや)で下車。
金谷から。大井川鉄道に乗り換え、千頭(せんず)まで。
そこからバスで、寸又峡まで。
宿は、翠紅苑(すいこうえん)。
寸又峡温泉の中では、ダントツ、イチ押しの旅館。
寸又峡温泉では、いつもこの宿と、決めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●金谷から、新金谷へ

 金谷から千頭行に乗ろうとしたが、先の電車がちょうど出た後。
1時間後という。
1時間!
「それじゃあ、歩こう」ということで、JR金谷駅から、新金谷駅まで歩いた。
距離にして、2キロ弱。
空は快晴。
心地よい春の風。
絶好の散歩日和(びより)。

 途中のショピングセンターで、飲み物を買う。

●新金谷駅

 「新」という名前はついているが、20年前と同じ。
3人の息子たちを連れて、ここでSLに乗った。
30年前と同じ。
そのころ、このあたりの時計は止まった。
昔のまま。

驚いたのは、新金谷駅から千頭まで、料金が1720円(1名分、片道)だったこと。
1時間ちょっとの距離で、この料金。

 日本の鉄道料金は、高い!
「往復で?」と聞いたら、ワイフがチケットを見ながら、「片道よ」と。
「フ~~ン」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。

 ……がらんとした駅構内。
少し離れたところで女子高校生が2人、大声で話している。
その声が、ストレートに、ガラス窓を通して聞こえてくる。
あとは、何かのモーターの音……。
ブ~~ン……。

 のんびりとした昼下がり。
白い陽光が、まぶしく光る。

……ワイフは先ほどから、バッグの中をゴソゴソと整理している。

●二次利用

 パソコン、デジタルカメラなど。
やがて買い換えていくと、古い機種がそのまま残る。
そういうのを見ながら、どうして私たちは二次使用を考えないのか、と。
いつも、そんなことを考える。

「二次使用」というのは、もしこういった製品に、二次使用機能があれば、再び実用品として、生き返らせることができる。
たとえばデジタルカメラ。

 デジタルカメラに、インターバル撮影機能、動体検知機能、アラーム機能などがあれば、カメラとして使用しなくなったあとも、防犯装置として利用できる。
目覚まし時計でも、よい。
ほかのカメラへの映像転送機能があれば、監視カメラとしても利用できる。
パソコンにしても、そうだ。
同じような機能があれば、古くなり、使わなくなったあとでも、何かの仕事をさせることができる。

 このことは、たとえば空き缶やビンについても、言える。
たとえばコップ型にすれば、飲んだあと、コップとして、使用できる。
筆立てや、もの入れなどに利用するという方法もある。
(考え方が、少しセコイかな?)

 ともあれ私の家にさえ、デジタルカメラが、ゴロゴロしている。
ノートパソコンも、同じ数ほど、ゴロゴロしている。

 新金谷の駅の構内で、ジュースを飲んだ。
その空き瓶をどうしようかと迷っていたとき、ふと、そんなことを考えた。

●寸又峡温泉

 寸又峡温泉へは、何度か来た。
が、温泉に泊まるようになったのは、50歳を過ぎてから。
それまでは日帰り。

 ……たった今、新金谷駅で、電車に乗った。
塗装は、はげ、表面はボコボコ。
かなりレトロ電車。

窓ガラスが、どれも薄茶色に汚れている。
そのまま外の景色が、セピアカラーに。
左右に揺れるたびに、ギシギシ、キュッキュツと。

 金谷の駅で買った雑誌を開く。
「週刊アスキー」誌。

●WINDOW8

 近くWINDOW8が発売になる。
今、そのプロトタイプが、無料で試用できる。
その記事が、「週刊アスキー」に載っていた。

 ……この世界だけは、どんどんと変わっていく。
で、今度は、WINDOW8。
私は新しいOSが発売になるたびに、パソコンを買い替えてきた。
が、すぐ買い替えるわけではない。
発売後、数か月は、様子を見る。
評判を聞いてから、買い替える。

●撮影

 電車が動き出してからまもなく、窓の外の景色をビデオカメラに収め始めた。
広い川は、言わずと知れた、大井川。
「♪越すに越されぬ大井川」と歌われた、大井川。

 しばしその美しさに、目を奪われる。

●眠い……

 講演のあとは、いつもそうだが、食欲ゼロ。
どっと睡魔が襲ってくる。
今が、そう。
写真だけ撮ることにし、パソコンを一度、閉じることにする。

……眠い……。

……「着きましたよ」と声をかけられ、目を覚ます。
列車は、千頭駅に着いていた。
列車の中で居眠りし、起こされたのは、この2~30年で、はじめてのこと。
あわてて荷物をつかみ、列車をおりる。

●翠紅苑

 この旅館は、いつも私たちを裏切らない。
シーズンオフということで、客はまばらだった。
旅館には悪いが、私たちには、ありがたい。

 部屋へ入ると、すぐ浴衣に着替えた。
ワイフが用意してくれた、茶を飲んだ。

 窓の外は、見慣れた山間(やまあい)の景色。
午後4時というのに、すっかり夕暮れ。
全体に薄青ぽく見えるのは、標高が高いせいか。
少し離れたところに小型のトラックが止まり、作業服を着た男たちが何人か、仕事をしていた。
風もない。

 ……ふと、3日前に植えた野菜の苗のことが気になった。
ここ数日、浜松地方は強い風に見舞われた。
今朝見たら、苗の何割かが、土をかぶり、横に倒れていた。

●ないものねだり

ワイフとこんな話をした。
「ないものをねだっても、しかたないね」と。

そこにあるものに、自分の価値を見出す。
幸福というのは、そういうもの。

 健康、生き甲斐、仕事、能力、キャリア、過去、安定感、名誉、地位、安心感、住環境、友人、家族、経済的豊かさ、など。
満点の人はいない。
どれかがあって、どれかが欠ける。
大切なことは、自分を他人と比較しないこと。
「私は私」と。
「人は人」と。
つまり、その割り切りの中に、幸福が潜んでいる。

●老人組

 老人組に入って、いろいろなことがわかった。
(「老人」の入り口に立っている、私のような人間を、「老人組」という。) 

先のない閉塞感の中で、生きることのすばらしさと、空しさ。
その2つが、同時に2色の煙のようになって、心をふさぐ。

 ものが見える。
音が聞こえる。
ときどきそれが不思議でならない。

 その一方で、「今までの人生は何だったのか」と。
たびたび立ち止まっては、ほこりのようにたまった過去を振り払う。

 不安と心配。
小さな希望に自分を託し、明日にじぶんをつなげる。
あとは精一杯、虚勢を張り、自分をごまかす。
楽しいふりをする。
毎日が、その繰り返し。

 それをワイフを話したら、先の(ないものねだり)の話になった。
ワイフがその言葉を使った。
「ないものを、ねだっても、しかたないのよ」と。

 人をうらやむ(=envy)というのは、それ自体が、私たちを不幸にする。

●世界一周

 このところワイフとこんな相談を、よく交わす。
「仕事をどうしようか?」と。

 私は、死ぬまで子どもたち(生徒の幼児たち)との接点を保ちたい。
またそれがないと、「私」の土台が崩れる。
ものが書けなくなる。

 が、ワイフは、こう言う。
「外国を回りたい」と。
客船で、世界を一周する旅もあるそうだ。
あるいは、世界のあちこちを、3か月単位で移動するという方法もある。
花火大会にたとえるなら、最後に打ち上げられるスターマインのようなもの。
ドドド、バババ……と咲いて、そのまま散る。

 私の心は、揺れ動く。

●風呂

 ワイフが入浴支度を始めた。
「温泉に入ってこようか?」と。

 先ほどバスの中で、運転手が、こう言った。
「このあたりは、天然の硫黄泉です」と。
肌がスベスベになって、よいそうだ。

 話はぐんと恐ろしくなるが、あのラジウム温泉というのは、本当に安全なのか。
WHOは、「危険だからやめろ」という勧告を、出している。
またアメリカでは、ラジウムが検出される地域では、住宅の建設許可はおりないそうだ。
はっきりと確かめてはいないが、どこかの記事にそう書いてあった。

 一度、しっかりと確かめてみる。
今日は、どちらであるにせよ、つまり危険であるかないかということは忘れ、のんびりと湯につかりたい。

●ミステイク

 今日は、2つのミステイクをした。
ひとつは、パソコンのコードを忘れたこと。
もうひとつは、老眼鏡を忘れたこと。
朝、あわてて出かけたので、それで忘れた。

 いくらTOSHIBAのR631でも、一晩はもたない。
現在、バッテーリーの残は、46%(3時間45分)と表示された。

 これから3時間、間断なくパソコンを叩いてやる。

●うらやむ(=envy)

 (ねたむ)(うらやむ)というのは、聖書でも、きびしく戒めている。
常識。
先にあげた幸福の中で、何が大切かといって、「健康」ほど、大切なものはない。
体のどこかがおかしくなると、とたんに健康な人が、ねたましくなる。
うらやましく思うこともある。
が、そのときは、そのとき。
釈迦もこう言っている(法句経)。
「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 私たちは日々に作り上げ、日々に失っていく。
重要なことは、失うものを嘆かない。
そこにあるものの中から、幸福を見出していく。

 では、(若さ)については、どうか。

●若い女性

 数日前、テレビを見ていたら、こんな女性がいた。
すでに2度ほど、離婚しているという。
その女性がこう言った。

「私、身長が168センチもあるでしょ。だから結婚相手の第一条件は、いっしょに歩いていて、かっこうのいい男です」と。

 その女性は、何とかというハーフの男性と結婚し、世間を騒がせた。
が、離婚。
もう一度結婚したが、子どもが1人でき、そのあとまた離婚。

 その女性を見ながら、「ぼくなら失格だな」と思った。
身長が足りない!
と、同時に、「そういう女性も多いのかなあ」と。

 が、いくら神様が私を、青年時代に戻してくれると言っても、そういう女性と結婚するような男性だけにはなりたくない。

若い人たちから見れば、私たち老人組は、みな馬鹿に見えるかもしれない。
しかし私たち老人組から見れば、そういう若い人たちが、みな馬鹿に見える(失礼!)。
あのバーナードショーがそう書き残している。

 (若さ)が、馬鹿の代名詞であってはいけない。
そういう(若さ)だったら、私は、ねたましいとも、うらやましいとも思わない。

●美しい人

 今朝早く、浜松の駅前で、美しい女性を見た。
「どこの国の人かしら?」とワイフ。
振り返って見ると、そこで目が合ってしまった。
とっさに、こう言った。

「My wife says, you are a beauty!」(ワイフが、あなたのことを美しい人だと言っているよ)と。
すかさずその女性は、「Thank you」と答えた。
一瞬のできごとだったが、目がすてきだった。

 国を聞くと、「I’m from Canada(カナダ)」と答えた。

 見た目の美しさでは、日本人は、欧米人にかなわない。
そんな余韻もまだ残っているとき、電車の中で、前の席に若い女性が座った。
日本人の女性だった。
が、どこもかしこも、不自然。
プチ整形というよりは、顔全体を作り直してしまったかのような女性だった。
整形が悪いというのではない。
整形が必要な人も多い。
しかしいくらがんばっても、私たちの顔を、欧米人のような顔にすることはできない。

 どうして日本人は、欧米人の顔に近づけたがるのだろうか。
欧米人が、日本人のような顔に整形したという話は、聞いたことがない。
つまり整形そのものが、日本人であることの敗北を認めるようなもの。

 若い女性よ、中身を磨け!
知性を磨け!
理性を磨け!

 私とワイフは、その女性をまじまじと見てしまった。
見とれて、そうしたのではない。
どことどこを、どう整形したか、それを知りたくて、まじまじと見てしまった。
私たちの視線を感じたのか、その女性自身は、ツンとすましていた。
どこか得意げな雰囲気だった。

●外見

 外見を飾ることの虚しさは、50歳を過ぎないとわからないのでは?
が、この意見に対して、ワイフは、こう言った。
「若い人でも、わかる人は、わかるわよ。反対に、年をとっても、わからない人は、わからないわよ」と。

 見栄、メンツ、世間体……。
そればかり気にしている人は、多い。
「だから、それがどうしたの?」という部分がないまま、生きている。

 が、私はそういう意味で、そう言ったのではない。
見栄、メンツ、世間体ばかり気にしている人がいる。
そういう人に、その虚しさを教えてもわからない。
が、50歳を過ぎたら、教えたら、わかるようになる、と。

 先の電車の中で見た女性にしても、そうだ。
その女性は、まさに命がけで、美しくなりたいと思っている。
その気持ちは、よくわかる。
が、今、その女性に、そうすることの虚しさを話しても、理解できないだろう。
ひょっとしたら、今の人生をバラ色に感じているかもしれない。

●見栄

 が、こんな女性もいる。
80歳を過ぎても、見栄、メンツ、世間体を気にしている女性だ。
60歳近い娘と同居している。
その女性の老齢年金と、娘の年金だけで、生活している。
家計など、あってないようなもの。
しかしそんな女性でも、美容院では、1万円のチップを渡しているという。

 さらにスーパーなどで、ものを買うときも、わざわざ分厚いサイフを見せびらかしているという。
両端だけを1万円札にし、間に1000円札をはさんでいる。

 見栄、メンツ、世間体を気にする人は、そこまで気をつかう。
そういう女性と、先に書いた電車の中で見た女性は、どこもちがわない。
少なくとも、私には、同じに見える。

●翠紅苑(すいこうえん)

 時刻は、午後5時48分。
日が長くなった。
山間の景色は、ここへ来たときのまま。
こういうところでは、夕方が長い。

 食事は6時でも、6時半でもよいとのこと。
温泉へは、一晩中、入れるという。
ただひとつ残念なのは、温泉までの距離が長いということ。
一度、長い通路を歩くのだが、途中、外気にさらされる。
真冬は、つらい。

●村松秀太郎画伯(むらまつ・ひでたろう・がはく)

 夕食のとき、村松秀太郎画伯と知りあった。
話しかけたら、日本画の大家、村松秀太郎画伯とわかった。
しばらく話したあと、私はこう聞いた。

「失礼ですが、あなたはたいへんな方とお見受けいたしますが、あなたはいったい、どういう方ですか」と。

村松秀太郎画伯は、笑いながら、こう言った。
「日本画を描いている、村松です」と。
それでその人物が、村松秀太郎画伯とわかった。

 その後、席を画伯の横に移し、いっしょに食事をさせてもらった。
ふつうなら、近くにも寄れない画伯である。

 その村松秀太郎画伯、翠紅苑に連泊し、近くの山の中で絵を描いているということだった。
その翠紅苑のロビーにも、村松秀太郎画伯の日本画が飾ってある。
龍の絵である。

 その前に、温泉でもいっしょだった。
その瞬間、「この人は、ただ者ではない」と直感した。
その直感は、ズバリ、的中した。

 村松秀太郎画伯が話している様子は、動画に収めさせてもらった。
YOUTUBEにUPしておく。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 村松秀太郎 画伯 はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉)

●ただ者ではない

 ここで私は、こう書いた。
「ただ者ではない」と。
雰囲気そのものが、ちがう。
一見、穏やかそうな人だが、その奥にある重みまでは、隠せない。

最初は、千葉県の話から始まった。
そのあと静岡県の話になった。
村松秀太郎画伯は、静岡県の清水市生まれ、現在は、千葉県の市川市に住んでいるという。
放射能汚染から避難し、静岡県にやってきているということだった。

その千葉県は、今、たいへんな状況という。
若い母親など、みな、ノイローゼになってしまっている、とも。

 ただ者ではない人には、重厚な気配を感ずる。
これも年の功か。
反対に、いくら身を飾っても、ただ者はただ者。
それもよくわかるようになった。

●頭痛

 部屋に戻ったら、午後8時を過ぎていた。
軽い頭痛は、列車の中で、起こされてから、ずっとつづいている。
温泉に入って、少しひどくなった。
睡眠不足と疲れ。

 こういうときは水分を多量に補給するのがよい。
食事中も、水をたくさん飲んだ。
今も立てつづけに飲んでいる。
私流の、治療法。
一時的に頭痛はひどくなるが、そのあと、まさに(水が引くように)頭痛が消える。
(頭痛といっても、いろいろな種類のものがあるが……。
詳しくは、はやし浩司著「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)をどうぞ!)

●サッカー

 ワイフがサッカーの試合を見たいと言った。
日本対バーレーン。
日本が引き分けか、勝てば、のロンドン五輪、出場権を手にいれる。
大事な試合。

 テレビにスイッチを入れる。
前半38分。
0-0。

 「ぼくの命は、あと2時間しかない」と私。
パソコンのバッテリーは、あと2時間分程度しかない。
いや、今調べたら、1時間15分。
こうなったら、時間との勝負。
1時間で、どこまで書けるか。

●「私」論

 書き忘れたが、翠紅苑の料理は、いつ来ても、すばらしい。
満足度、120点。
が、今夜は、ほどほどのところで箸を置いた。
先ほど脱衣所で体重を測ったら、65キロだった。
できれば、この状態を保ちたい。

 要するに、ダイエットというのは、脳の奥深くに潜む本能との闘い。
食欲本能という本能との闘い。
私であって、私でない「私」との闘い。
ほとんどの人は、(私もそうだが)、その本能に振り回されてしまう。
自分を見失ってしまう。

 逆に言うと、本当の私を取り戻すためには、一度私を、その「私」から切り離す必要がある。
食事をしながらも、自分にこう問いかける。
「食べなければ損(そん)なのか。それとも食べれば損(そこ)ねるのか」と。
その問いかけを繰り返す。
その先に、本当の私がある。

 ダイエットを、ただのダイエットと考えてはいけない。

●3月15日

 昨夜は、そのまま就寝。
2回目の温泉に入り、そこでダウン。

(この間、約9時間。)

 今、千頭の駅の構内で、列車を待っている。
9時26分発の、各駅停車。
今、時刻は、9時57分。
それまでパソコンのバッテリーがもつかどうか?

 何度も、警告表示が現れる。

 やや冷えた空気が、椅子の下から体に伝わる。
しかし寒いというほどではない。
もう春は、そこまで来ている。

 私たち夫婦だけの構内。
電車に乗るのも、2人だけ?

 ……ということで、今回の寸又峡温泉の旅は、おしまい。
あとは、バッテリーが消えるまで、こうして文を打ちつづける。

 ……ワイフが、今、暖かい紅茶を横に置いてくれた。
3月15日、木曜日。
昼までに帰り、あれこれ仕事の用意をしたあと、街へ出る。
そう言えば、近く『スターウォーズ』が、公開される。
楽しみ。
今度の『スターウォーズ』は、題1作の、リメイク版。
3D。

 それから今週は……。
こういうBLOGでは、予定は書かないほうがよいそうだ。

 そう言えば、昨夜、関東地方で地震があったとか。
気がつかなかった。
またロンドン五輪のサッカー予選では、日本が2-0で、バーレーンを下している。

 ……翠紅苑では、村松秀太郎画伯に直接会うことができた。
人格者だった。
印象に強く残った。
これから画伯の日本画を見るたびに、昨夜のことを思い出すだろう。
すばらしい思い出になった。
横山大観……、平山画伯……、それにつづく、現代日本画の巨匠。

 本物の人は、どこかちがう。
雰囲気がちがう。
会った瞬間に、それがわかった。
そういう自分が、つまり多少なりとも、人を見る目ができた自分が、少しだけだが、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉 村松秀太郎画伯 講演の帰りに)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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