2012年3月1日木曜日

●March 1st Japanese Children Now

【弱体化する日本人の精神構造】

●夢

 映画の見すぎかもしれない。
週に1度は見ている。
そのせいか、このところ私が見る夢は、かなりアクション映画ぽい。
今朝は、こんな夢を見た。

 どこかの道を、4輪サンドバギーを、体で押しながら歩いていた。
昔の東海道。
美しい川沿いをしばらく歩いたあと、山道にさしかかった。
その向こうに、なだらかだが、一直線につづいた道が見えた。
長い道で、500メートルはあった。

 が、ふとうしろを振り返ると、1組の親子連れが歩いていた。
1人は母親。
もう1人は、その娘らしかった。
2人とも、着物を着ていた。
私はサンドバギーにエンジンをかけながら、こう思った。
乗せていってあげよう、と。
が、バックミラーを見ると、2人の姿が消えていた。

 追いはぎか何かに、誘拐されたらしい。
私はサンドバギーにまたがり、道を戻った。
案の定、そこで脇道にそれる細道が見つかった。
私はサンドバギーで、その細道を突き抜けた。

 ……しばらく行くと、空き地が見つかった。
古いお堂があった。
先ほど見た2人は、近くの大木に、縄で縛られていた。
私は懐から、ピストルを取り出した。
構えた。
バリバリと連射できる、最新型のピストルである。

 が、そこで見た男たちは、みなやさしそうな顔つきをしていた。
悪党には見えなかった。
穏やかそうな雰囲気で、石の上に座り、みなで何やら話しこんでいた。

「???」と思ったところで、目が覚めた。

●分析

 サンドバギーには乗ったことがない。
ピストルは、オーストラリアにいたころ、何度か使ったことがある。
友人が、射撃の名手で、撃ち方をときどき教えてもらった。
私は夢の中で、タイムスリップしていた。
時は、江戸時代。
あの親子は、江戸時代の人たちということになる。
その親子が誘拐された?

 ……つまりこのあたりに、私の心の問題が隠されている。
ものごとを危機的な状況の中で考えやすい。
こういう感覚を、心理学の世界では、強迫観念という。
それに持病の(?)、不安神経症がからむ。
私がいう「悪夢」というのは、それをいう。

私はほとんど毎日のように、その悪夢で目が覚める。

●週刊現代vs週刊ポスト

 週刊現代(週刊誌)と、週刊ポスト(週刊誌)の、静かな戦争がつづいている。
週刊現代は、ものごとを大げさに書く。
(私は大げさとは思っていないが……。)
3・11震災、それにつづく原発事故。
さらには、都心で予想される直下型地震、さらには経済危機、などなど。
それについて、週刊ポストは、「煽(あお)り雑誌」といって、非難している。
(週刊ポストが、週刊現代を名指しして、そう書いているわけではない。
誤解のないように!)

 煽りか、煽りでないか。
それは「現状」を見ればわかる。
だれも煽られていない。
何も煽られていない。

 むしろこの静けさのほうこそ、不気味。
そこにある危機を、見ようともしない。
あえて目を伏せる。

そういうのを知ると、私はむしろ、もっと煽ってもよいのではと考えている。
日本人はキバを抜かれてしまった。
抜かれた上、その戦い方まで忘れてしまった。
昔は「平和ボケ」と言った。
今は、「NO(脳)みそ化」(はやし浩司)という。
思考力を失ったから、NO(脳)みそ。
自分で考えない。

●菅直人前首相

 あの3・11大震災のあとのこと。
菅直人前首相は、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという。
それが今、問題になっている(?)。
「首相として、ふさわしからぬ行動だった」と。

 が、本当にそうか。
直後、福島第一原発事故が起きた。
それについて、当時官邸では、3000万人の避難計画も考えられていたという。
 
 そんな最中、冷静でいられる人などいるだろうか。
首相という責任ある立場の人物なら、なおさら。
怒鳴り散らしたといっても、自分のために怒鳴り散らしたのではない。
日本という国が、消えてしまうかもしれない。
そういう危機感があったからこそ、怒鳴り散らした。
菅直人前首相を擁護すれば、そういうことになる。

 ものごとは常に最悪のばあいを考えて、行動する。
あとは消去法的に、段階を追い、レベルをさげていく。
医師の診断法に似ている。

 もしあなたが血を吐いたとする。
そのときも、最悪の病気をまず疑う。
がんなら、がんでもよい。
が、それでないとわかれば、つぎの病気を疑う。
それを週刊ポストは、「煽り」というらしい。

●マグニチュード7?

 たとえば東京都心では、マグニチュード7の地震が心配されているという(「週刊現代」)。
だれも「マグニチュード7」という言葉を使っていない。
気象庁ですら、「そんなことは言っていない」という。
「マグニチュード6以上~」ということで、「マグニチュード7」という言葉が生まれた。
「マグニチュード7」という地震は、最悪の地震である。

 それがもし東京都内で起きれば、東京都は壊滅的な被害を受ける。
「週刊現代」の今週号は、それを特集している。
これも「煽り」ということになる。
が、私はそうは思わない。
『備えあれば、憂いなし』。
ものごとは常に最悪のばあいを考えて、準備する。
アハハと笑っているほうが、おかしい。

●気迫

 話は少し脱線する。

 今日、日本でゆいいつ最後まで残った、半導体メーカーが倒産した。
「とうとう」と書くべきか、「ついに」と書くべきか。
が、私は驚くというより、ある種の無力感を覚えた。
30年以上パソコンとつきあってきただけに、残念でならない。
理由の第一は、韓国のメーカーとの戦いに敗れたこと。

が、こんなことは、10年前、20年前に、わかっていたこと。
迫力そのものが、ちがう。
言うなれば、日本のそれは、殿様商法。
韓国のそれは、無法地帯をいく、荒くれ商法。
もとから気迫がちがう。

●浜松

 私が浜松に移り住んだときのこと。
私はこの浜松では、値段を「値切らない」ことを知って、驚いた。
ものの売買は、定価通り。
売る方も、買う方も、定価通り。
(岐阜のほうでは、「正札(しょうふだ)」という言葉を使う。)
郷里の岐阜県では当たり前の、「駆け引き」すらしない。

 たとえば岐阜県では、こういうものの買い方をする。

私「いくら?」
店「1本、500円」
私「じゃあ、2本で、800円にしてよ」
店「それはきびしい。無理だなア~」
私「わかった。3本まとめて買うから、1000円にしてよ」
店「……ウ~ン、まあ、いいでしょう」と。

 最終的には、1本、333円で買い、私のほうの勝ちということになる。

 浜松の人は知らないかもしれないが、これを駆け引きという。

 そういう浜松の人は、ほかの地方から来た人から見ると、おとなしく見える。
みな、そう言う。
つまりこの日本の国内だけでも、これだけ「性質」がちがう。
中国人や韓国人から見れば、日本人は、飼いならされた羊のように見えるかもしれない。

●危機感

 いつも強迫観念をもっている私を基準にするのも、どうかと思う。
が、現在の日本人に欠けるのは、この危機感。
日本全体が、ぬるま湯につかったような状態になっている。
お人好し。
競争すら、しない。

 たとえば夜のテレビチャンネルを、あちこち押してみればよい。
たいていいつもどこかで、韓流ドラマを放映している。
半面、韓国では、日本映画にすら、いまだに規制されている。
先日もどこかのニュースサイトには、こうあった。

「日本人は、韓流スターに、莫大なギャラを払い、竹島占領の手助けをしている」と。

 飛躍した意見のようにも聞こえるが、私にはそういう日本人が、バカに見える。
ホント!

●男児の女児化

 子どもの世界でも、似たような現象が見られる。
以前、こんな子ども(小4男児)がいた。
A君としておく。

 そのA君、見るからに穏やか。
やさしい。
体格はふつう以上だが、歩き方も、どこかナヨナヨしている。
男女の逆転現象が起きるようになって、20年以上になる。
いじめられて泣くのは男児、いじめて泣かせるのは女児。
小学校の低学年児について言えば、今では常識。
そんな中にあっても、A君はさらに、「やさしかった」。

 原因は母親にあった。
過保護と溺愛、それに過干渉が、慢性化していた。
「乱暴な遊びはさせません」
「ゲーム機はもたせません」
「戦いごっこは、禁止です」と。

 一度、おもちゃの刀(プラスチック製)を見せたときのこと。
私が何かを話しかける前に、横にいた母親が、それを先に取りあげてしまった。

 が、そういう母親にかぎって、そのつど、私にこう聞いてくる。
「うちの子、どうでしょうか?」と。
たいていの親は、顔を合わせると、そう聞く。

が、これほど答えにくい質問はない。
私は「何も問題はありませんよ」と、そのつど、答えるしかなかった。
程度の差こそあれ、今、このタイプの子どもが、主流になってきている。

●タイ

 日本人の精神構造が弱体化していると感じたのは、もう20年前も前のこと。
息子と2人で、タイへ行った。
そのとき、それを感じた。

 ここには書かなかったが、その国のもつ緊張感を知りたかったら、兵士を見ればよい。
タイで見た兵士は、みな引き締まった体で、鋭い目つきしていた。
私は帰国直後、浜松の航空ショーを見に行ったのを覚えている。
そこで見た自衛官は、どの人も、ごくふつうのサラリーマンに見えた。
そのときこう思った。
「これではとても、戦争にならない」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
この(以下の)原稿をBLOGに
載せたのは、2010年となっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人の危機意識(日本人の繁栄ボケ)

++++++++++++++++

日本は中国に抜かれて、世界第三位の
経済国になった(GDP)。
しかし国民1人当たりの所得では、
すでにシンガポールに抜かれている。
2020年ごろには、韓国にも抜かれる
だろうと言われている。

恐ろしいのは、その予想時期が、徐々に
早まっていること。
日本が中国に抜かれるのは、2015年
ごろと言われていた。
ほんの1、2年前のことである。
それが今年、つまり2010年に抜かれた。

のんきなエッセイストたちは、「生活の
中身が大切」などと言っている。
中国に抜かれても、韓国に抜かれても、
「大切なのは、生活の質」と。

こういうことばかり言っているから、日本は
どんどんと抜かれていく。
抜かれていくだけではない。
やがて食料の輸入もままならなくなるだろう。

20~30年ほど前には、「平和ボケ」という言葉を
よく耳にした。
が、今は、「繁栄ボケ」。
「経済ボケ」でもよい。

日本の学校では、いったい、何を教えているのか?
社会科の授業で、何を教えているのか?
日本人がこの「現代」という世界で生き抜くための、
その知識と経験を教えるのが社会科の授業ではないのか。
どうすればこの先、日本が生き延びていくことができるか、
それを教えるのが社会科の授業ではないのか。

つまり日本の教育では、この部分だけが、スッポリと
抜け落ちてしまっている。
つまり危機意識が、まったくない。
愚にもつかないような「知識」だけを、一生懸命、
子どもの頭の中に、詰め込んでいる!

その結果が、今。
今年は去年以上に、就職難という。
学生たちが就職先を求めて、右往左往している。
が、考えてみれば、こんなバカげた世界は、日本を
おいて、ほかにない。

就職先がなかったら、自分で仕事を作ればよい。
それこそリヤカーでも引いて、自分で稼げばよい。
私は、そうしたぞ!
リヤカーを引いて、ある画家の絵を売り歩いたぞ!
つまりそういうたくましさが、ない。
仕事はもらうものと思っている。
与えられるものと思っている。

加えて、「外国へ行きたくない」という若者が多いのには、
驚いた。
日本人全体が、ものの考え方が内向きになってしまった。
こういうときだからこそ、仕事を求めて、ブラジルや
インド、シンガポールへ飛び出して行けばよい。
中国でも韓国でもよい。

飽食とぜいたく。
それに少子化。
日本の若者たちが、キバを抜かれてしまった。
今では天下国家を論ずる若者は、ほとんどいない。
大学生でもいない。

その理由はといえば、すべて教育にある。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。

+++++++++++++++++

今からちょうど10年前、2000年ごろに書いた原稿です。

この中で、1人の女子学生が、つぎのように述べていることに注目してほしい。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(中日新聞投稿欄)と。

+++++++++++++++++

●日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。
(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。
また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。
それはちょうど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。
あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。
若者とて例外ではない。
タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。
そしてそれで白タク営業をする。料金はその場で客と交渉して決める。
そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、それでお金をためる。
さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼ぐ。
最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。
子どもたちとて例外ではない。
私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行った。
そこでその磁石で金属片を集める。
そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。
父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。
が、今の日本にはそれはない。
「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、
私「君は何ができる?」、
学「翻訳ぐらいなら、何とか」、
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか
書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、
学「カッコ悪いからいやだ」、
私「なぜカッコ悪い?」、
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。
「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。
もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。
言いかえると、今の日本の若たちを見れば、日本の未来がわかる。
で、その未来。
最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。
このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。
いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。
たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。
どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。
私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。
そのツケを払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。
私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとして
いる。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。

日韓米仏四カ国の中高生を対象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。
現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。
学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。

「二一世紀は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本は三三・八%と際立って低かった。
自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えたが、日本は二三・一%。
学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。
米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。
人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だ
ったのに対し、米国は七八・八%。
「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七六・四%と米国の方が高かった。
ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。
将来の夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。
一九八〇年代からの傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10年前

 10年前(2000年ごろ)に私が書いた原稿を、どうか読み直してみてほしい。
そしてそれから10年。
何が変わったか?
日本が、その結果、どうなったか?
そういう視点で、もう一度、読み直してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の危機意識 社会の責任 繁栄ボケ 経済ボケ 危機感 はやし浩司 タイ ギラギラ 日本人の弱体化)
2010年9月13日記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●希望する職種

 先に日本青少年研究所の調査結果をあげた。
その中にこうある。

「 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。
米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。
人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった」と。

 この結果を、もう少しわかりやすくしてみる。

【希望する職業】

日本……公務員や看護士
アメリカ……医師や政治家
フランス……弁護士
韓国……医師や先端技術者

【人生の目標】

日本……人生を楽しむ(61・5%)
アメリカ……地位と名誉(40・6%)
フランス……円満な家庭(32・4%)

 これだけ見ても、これからの日本がどうなるか、おおかたの予想がつく。

●今日から3月1日

 さて今日から3月1日。

 今週のレッスンでは、小学1年生と2年生に、「確率」を教えてみる。
教材も用意した。
私の教室(浜松BW教室)でも、確率を教えるのは、はじめての試みである。
子どもたちが、どう反応するか、楽しみ。

 私が知るかぎり、小学1年生と2年生に、確率を教えるのは、私がはじめて。
うまくいけば、明日の年長児(幼稚園児)のクラスでも、試してみたい。

 「幼児に確率?」と疑問に思う人は、ぜひ、「BW公開教室」を見てほしい。
それを見てもらえば、そのレッスンが、どういうものであるか、またどういう意味をもつか、理解してもらえるはず。
この時期の、こうした教育こそ、重要。
計算練習ばかりしているから、算数はつまらない。
教える方もつまらないが、子どもたちにしても、同じ。
つまらない。

 どうしてこんな「つまらない教育」を、100年1律のごとく、日本は繰り返しているのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の算数教育 はやし浩司 確率 小学生に確率を教える 弱体化する日本人 はやし浩司 弱体化する日本人の精神構造 はやし浩司 BW教室 新しい算数教育)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司 

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