2012年3月12日月曜日

Kan Naoto ex-Prime Minster of Japan, you are the Hero!

【菅直人前首相、ありがとう! あなたこそ、日本の英雄だ!】

●3-11(3・11大震災から1年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ときどき、……というか、折につけ、よくこう思う。
「あの日さえ、なければ……」と。
あの日を境に、日本は大きく変わってしまった。
日本という「国」よりも、日本人という「人」が変わってしまった。
「人」が集合され、日本という国が変わってしまった。

いまだに晴れやらぬ、悶々とした閉塞感。
やりようのない、怒りと空しさ。
心の奥は、どんよりと曇ったまま。

本当に、あの日さえなければ……。
その思いは、だれしも、同じだろう。
ワイフも、いつもそう言っている。

が、この日本が、かくも小さな国であったとは!
この日本が、かくもぜい弱な国であったとは!

何をしても、すぐ壁に突き当たってしまう。
自信喪失?
ときに絶望感?
先の見えない不安感?
そのつど、「日本はこのまま、だめになってしまうのか」と。
そんなことまで考えてしまう。

そう、「がんばれ、日本!」とは、言う。
しかし何を、どうがんばればよいのか。
がんばるといっても、目標が見えてこない。

このところ毎晩のように、3・11大震災の報道ばかり。
それを見るたびに、気が重くなる。
あの日の悪夢が、よみがえってくる。

……私はあのあと、一日中、テレビをつけっぱなしにしていた。
それが7日ほどつづいた。
そのときのこと。
気力を支えるだけで、精一杯。
気が変になりそうだった。

今、そのときの気持ちが、そのままよみがえってくる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3・11大震災

 そのとき私とワイフは、教室にいた。
ゆっくりとした揺れを感じた。
「地震!」と声をあげると、ワイフは、笑いながら、「あなたが揺らしているんでしょう」と。
ワイフは、揺れを感じなかった。
私は椅子に座っていた。
ワイフは立って、レッスンの準備をしていた。

私は壁を指さした。
壁にかかった絵が、ゆっくりと、本当にゆっくりと揺れていた。

 そのとき年中児だったY君が教室へ入ってきた。
いつもどおりのY君だった。
私は椅子を蹴って立ち、玄関口まで走った。
Y君を抱いた。
そのまま3階から1階へ。
「靴がない!」と、Y君は何度も叫んだ。
体をばたつかせた。
私は構わず、1階まで走り下りた。

 1階には、Y君の親がまだいた。
ほかの親たちも、そこまで来ていた。
「地震ですね」
「地震ですね」と。

 長い揺れで、30~40秒はつづいた。
横揺れだった。
そのことから、私は遠くで大地震が起きたと察知した。
関東大震災の話を、父や母から聞いていたこともある。
そのときも、岐阜県でも、長い横揺れがつづいたという。
私は1階までおりたとき、関東地方での大地震を想像した。

●津波

 3時から、通常のレッスンを始めた。
が、異変が起きたのは、そのあとからだった。
4時15分から、つぎのレッスンがあった。
が、つぎつぎと欠席の連絡が入った。
が、私はこう思った。
「たいした地震でもないのに……」と。
そのときはまだ、津波の被害のことは知らなかった。

津波の被害を知ったのは、夕方、家に帰ってから。
テレビでそれを見た。
体がガクガクと震えた。
それはまさに、私の想像を絶する光景だった。

 その夜は朝まで、一睡もせず、テレビの画面を見つづけた。

●カリアック浜名湖(ホテル)

 暗い話は、やめよう。

 カリアック浜名湖……恐らく浜松に住んでいる人でも、このホテルのことは知らないだろう。
私も、ごく最近まで知らなかった。
ネットであちこちを検索していて、はじめて知った。

 場所は、浜名湖ガーデンパークのすぐ北側。
ガーデンパークからは、車で2~3分。
住所は、村櫛町4597。
電話は、053-484-4155。

日本商工会議所関連の施設らしいが、どういう関係なのかはわからない。
見た感じ、バブル時代に官費で建築された(?)、旧豪華ホテル。
内風呂も職人による、タイル張り。
「旧」というのは、豪華だが、それなりに疲れた部分もあるという意味。
が、料金に照らしあわせるなら、文句なしの星4つの、★★★★。
 
 浜名湖をはさんで反対側に、ローヤルホテルもある。
そちらもよいが、静かに、のんびり……という方には、このホテルを勧める。
私たちは、いつもつぎのようにして、利用している。

 夕食は、同じ村櫛町にある、大村屋でとる。
このあたりでも、本気度120%の、和食料理店。
ときどきこの店に行くようになって、もう30年。
沼津にある魚市場の魚料理店に、ひけをとらない。
豪華で、安い。
もちろん、おいしい!

で、その足で、このカリアックへ。
大村屋からカリアックまでは、車で、5~7分程度。
朝食のみのコースを頼めば、1人1泊、8000円程度。
大村屋での夕食代を含めて、9200~300円程度。
(大村屋の定食がお勧め。量も多い。)
 
 なお村櫛町の北が、舘山寺。
舘山寺温泉のある舘山寺。
パルパルという遊園地もある。
子どもと来れば、1日中、楽しめる。

 今夜は、そのカリアックで1泊する。
パソコン三昧、読書三昧。
私にとっては、至極の時。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 カリアック 村櫛 ホテル)

●「まるわかり・時事用語」(新星出版社)

 ここへ来る途中、書店で本を買った。
「まるわかり・時事用語」(新星出版社刊)。
パラパラと適当に読んでいるだけで、楽しい。
たった今、「38:ゼロ金利政策」(P78)というページを読んだ。

 経済の世界は、知らないことだらけ。
それだけにおもしろい。
興味深い。

 考えてみれば、最近は、買う本といえば、この種の本ばかり。
実用的でもあり、実用的でもない。
事実のみを並べた本。
辞典のようでもあるが、辞典でもない。
「読んで、判断するのは、あなたですよ」という本。
そういう本が楽しい。

 その「ゼロ金利政策」。
今は、そのゼロ金利政策も効果がないほど、日本の経済は沈んでいる。
そこで日銀は、「量的緩和」を始めた。
平たく言えば、「現金のばらまき」。
が、いくらばらまいても、これまた効果がない。
現金を手にした人は、そのままタンス預金。
市中へ、お金が回っていかない。

 そういう状態は、血液にたとえるなら、「ドロドロ血」と同じと、書いてあった。
この本のどこかに、そう書いてあった。
血液の流れがよどみ、腐った状態をいう。
あとはこの悪循環の中で、さらにデフレは進行する。

●「41:小沢一郎元民主党代表の強制起訴」

 つぎに読んだのが、「41:小沢一郎元民主党代表の強制起訴」(P82)。
小沢一郎と陸山会(資金管理団体)とのお金のやり取りが、図解してあった。
その本の中には、こうある。

「小沢氏が不正を働いたという証拠は、何も見つからなかった」と。

 確かにそうだろう。
原資となった4億円の現金(小沢氏から陸山会へ、2004年10月)にしても、だからといってそこに違法性があるかといえば、どこにもない。
ただ小沢氏は、その金の出所については、「献金」→「銀行融資」→「自分がもっていた現金」と、そのつど言葉を変えている。

 私たちが「?」と思う部分は、ここにある。
どうして金の出所を、2度も、言い直したのか。
また、本当にその現金は、「自分がもっていた現金なのか」。

 そのあと小沢一郎は、あたかも金の出所を隠ぺいするかのように、定期預金4億円を担保に、銀行から4億円を借りている。
借りたあと、その4億円を今度は逆に、陸山会に貸し付けている。
そして最終的には、2007年に、陸山会は、小沢一郎に4億円を返済している。

 最初は「献金」と言った。
が、4億円もの献金はなかった。
それで今度は、「銀行融資」と言い換えた。
その後に、たしかに銀行から4億円の融資を受けている。
が、これでは現金の流れが逆。
そこで最後は、「自分がもっていた現金」と。

 現金(マネー)の流れを、常識的に読めば、そうなる。

 つまりこの一連の現金の流れが、おかしい。
どこにも違法性はないが、おかしい。
まともなお金なら、(つまり、ふつうの取り引きなら)、つぎのようにしたはず。

(1) まず小沢一郎が4億円を、陸山会に貸す。
(2) 陸山会は、そのお金で土地を買う。
(3) そのあと陸山会は、小沢一郎に4億円を返す。

 それですむ話。
しかもおかしなことに、土地代金については、04年の支出なのに、05年の支出となっている。
わかりやすく言えば、土地代金を04年に払い、名義移転は、05年にしたことになる。
違法性はないが、ふつう、こういう土地の買い方はしない。
私なら、(あなたもそうだろうが)、土地代金を支払ったら、即日、名義変更の手続きを開始する。
放っておいたら、二重転売されるかもしれない。

 どうして小沢一郎はこういう複雑な手法を用いたのだろう……、というように考えていくと、限りなく灰色ゾーンに、入り込んでいく。

 今回、市民団体が検察審査会に告発をした。
2011年1月に、小沢一郎は、強制起訴された。
小沢一郎は、「起訴そのものが無効」と訴えている。
が、本当に、そうか?

 ただ残念なことに、今回の強制起訴によっても、小沢一郎は、無罪になるだろう。
問われるとしても、軽微な、手続き違反だけ。
が、私たちが本当に知りたいのは、4億円という金の出所。
わいろを渡したという土建業者がいる。
公判でそう証言している。
(もちろん小沢一郎とその秘書たちは、それを否定。)
4億円が動いたのは、その直後。

 心証では、グレイというより、黒に近いグレイ。
が、それでも小沢一郎は、証拠不十分で、無罪になるだろう。

 この無力感。
いや、この無力感こそ、深刻。
一般国民の政治への不信感は、ますます増大する。
その責任は、どうなるのか。
政治家として、小沢一郎は、その責任を感じないのか。
小沢一郎は、それをどう考えているのか。

 「まるわかり・時事用語」を読みながら、そんなことを考えた。

●産経新聞の「菅直人叩き」

 産経新聞(3・11)、菅直人前首相を、猛烈に批判している。
長い記事だが、要点は、つぎの3つ。

(1) 「報告書によると、菅氏は周囲の反対を押し切り、震災発生翌日の早朝、東京電力福島第1原発を視察した。
結局、現場の混乱を増幅しただけに終わった。
……これはかえって現場を混乱させただけ」。

(2) 「さらに、第1原発に代替バッテリーが必要になった際、菅氏は自らの携帯電話で担当者に「大きさは?」「縦横何メートル?」「重さは?」と質問した。
同席者からは「首相がそんな細かいことまで聞くなんて国としてどうなのか、ぞっとした」という証言もある」。

(3) 「震災以来、会議を重ねてきた政府の「原子力災害対策本部」などの議事録が未作成のまま放置されていたことも、今年1月になって判明した」。

(4) そして最後は、こう結んでいる。

「民主党政権が誕生して首相は3人も代ったものの、民主党政権の「無責任」「稚拙さ」「言葉の軽さ」は変わらない。
そもそも「今の政治は目的とプロセスをはき違えている」(自民党派閥領袖)との指摘通り、まさに民主党は「政権交代」が目的だったのだろう」と。

(以上、「」内、原文のまま。)

 が、どう読んでも、産経新聞のこの酷評は、的をはずれている。

(1) どうして首相(東京工大出身)が、事故を起こした発電所を視察してはいけないのか。
もし反対に、それをしなかったら、逆に「しなかった!」と批判されていただろう。
またそれによって「現場が混乱した」とあるが、当時の原発の雰囲気は、「撤退」だったという。
もしあのとき東京電力が、事故を放置したまま撤退していたら、今ごろこの日本は、どうなっていたか。
むしろそちらのほうこそ、考えると、ぞっとする。

(2)「菅氏は自らの携帯電話で担当者に「大きさは?」「縦横何メートル?」「重さは?」と質問した」とある。
菅直人前総理大臣なら、当然のこと。
それとも、ただ「がんばってください」だけで、よかったのか。
それを聞いて、「同席者は、ぞっとした」とある。
が、ぞっとするほうが、おかしい。
国の浮沈にかかわる、重大事故である。
日本に原爆が、数千個も落とされたような緊急事態である。
むしろぞっとすべきは、そちらのほう。
菅直人前首相の言動に、どうしてぞっとしたのか?

(2) 議事録?
そんなもの、どうでもよいではないか。
空襲で爆弾が投下されたようなとき、のんきに議事録をとっているほうが、おかしい。
ものごとは常識で考えたらよい。

 いろいろな意見があることは知っている。

 なお民間の独立検証委員会は、2月、菅政権の官邸中枢の初動対応を「稚拙で泥縄的」と批判した。
それに対して、野田首相は記者会見で過度の現場介入を認めつつも、東電の撤退を防いだとして「一定の効果があった」と逆に評価した。
当然のことである。

もしあのときもし菅直人氏が総理大臣でなかったら、今ごろ、西は静岡県、北は東北地方の端まで、無人地帯になっていたはず。
が、産経新聞は、連日菅直人前首相を叩いている。
しかしどうしてそこまで執拗に、叩くのか。

 以前、書いた原稿を、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、横尾試算、「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人の英断。)

以上、2011年09月12日の原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なぜ、菅直人前首相ではだめだったのか?

 菅直人前総理大臣が、首相の座を降り、ちょうど4か月になる。
(菅直人氏は、2011年09月02日に、内閣総理大臣を辞職。)
が、この4か月、日本は、よくなったのか。
何か、変わったのか。

 現在は、野田佳彦首相が、総理大臣職を引き継いでいる。
が、私はいまだに野田佳彦首相が、どんな人物なのか、よくわからない。
顔が見えてこない。
見えてこないから、批評のしようがない。

ただここで言えることは、野田佳彦首相が、菅直人氏をやめさせてまで、首相になる価値のある人物だったかどうかというになると、私はそうは思わない。

談合政治?
八方美人?
無色透明で、言葉はうまいが、中身がない?
当たり障りのない、無難政治家?
長期政権をねらっている?
こうした(?)マークを、野田佳彦首相には、10個ほど並べたい。

 これはあくまでも仮定の話だが、あの3・11震災時に、もし野田首相が事故を取り仕切っていたとしたら、この日本はどうなっていたか。
それを想像するだけでも、ぞっとする。
東京電力と保安院の言い分に押され、福島第一原発は、放棄。
そのあと発電所はつぎつぎと爆発、メルトダウン。

 最近になって、事故直後、菅直人前首相が、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという報道が伝わっている。
「感情をむき出しにするような人物は、首相として失格」と。

 バカヤロー!

 あの時点において、感情をむき出しにしない首相はいない。
むき出しになってくれたからこそ、東京電力側は、菅直人前首相の言うことを聞いた。
菅直人前首相の命令に従った。

 こう書くと、福島県の人たちには申し訳ない。
が、今、福島県以外の人たちが、(私たち静岡県人も含めてだが)、事故以前とほとんど変わりない生活ができているのは、菅直人前首相、ならびに吉田昌郎所長のおかげである。
そのことを思えば、ささいなミスや失敗など、腸から出るガスのようなもの。

 菅直人前首相は、「いつか、私の正しさは歴史が証明してくれる」というようなことを言っている。
それはその通りで、その歴史は、すでに今、始まりつつある。
読売新聞(11-09-12)の記事は、それを証明する、貴重な証拠のひとつということになる。
私たちはこの事実を、後世の人たちに伝えていかねばならない。

 菅直人前首相、吉田昌郎所長、あなたがたは日本を救った、大英雄である。
大恩人である。
ありがとう!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 菅直人首相 英雄 大英断 吉田昌郎 英雄 日本を救った恩人 福島第一原発事故 はやし浩司 英雄 菅直人)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小沢一郎元代表vs菅直人前首相

 私は善人ではない。
善人ではないが、まじめに生きてきた。
ただひたすら、まじめに生きてきた。

 そういう者には、そういう者にしかわからない「共鳴性」というものがある。
私と同じように生きてきた人には、そうでない人とはちがう、強い共鳴性を覚える。
菅直人前首相とは、そういう共鳴性を強く感ずる。
表情、言葉、態度、姿勢など。

が、残念ながら、小沢一郎元代表には、そういう共鳴性が感じられない。
自分がはじき飛ばされてしまうかのような、違和感というか、不快感すら覚えてしまう。
若い人たちには、それはわからないかもしれない。
しかし60歳を過ぎると、それがよくわかる。
会った瞬間に、それがよくわかる。
同年代だからこそ、それが余計に、よくわかる。

 だからといって、菅直人前首相が善人で、小沢一郎元代表がそうでないと言っているのではない。
感じ方は、人それぞれ。
人によっては、たとえば小沢一郎元代表の秘書たちは、小沢一郎元代表を、すばらしい人格者と信じているかもしれない。
が、それはそれ。
ただ、私は私の共鳴性を信ずる。

 最後に一言。
産経新聞よ、菅直人前首相を叩いて、それでどうなる?
理由といっても、ここに書いたような理由にもならない(こじつけ)ばかり。
「怒鳴っただの」「視察をしただの」「議事録をとらなかっただの」と。
「イラ菅」であって、どうして悪いのか。
それこそまさに言論ファッショ。

 忘れてほしくないことが、ある。
菅直人前首相の時代になって、原子力発電所が建設されたのではないということ。
建設してきたのは、歴代の自民党政府と官僚、それにゼネコン。
それを側面から支えてきた、自民党寄りのマスコミ、とくにどこかの新聞社。

たまたま菅直人前首相のとき、あの忌まわしい3・11大震災が、日本を襲った。
ならば、どうして、過去の原子力行政の在り方を、記事として追及しないのか。
むしろそちらの責任こそ、重大ではないのか。

 福島第一原発事故を知り、怒鳴り続けた菅直人前首相。
そのおかげで、今の、この日本がある。

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●吐き出し

 頭の中がモヤモヤしてくる。
それがやがて、爆発しそうなほどまでに、充満してくる。
文章が片っ端から現れ、消え、また現れ、消える。
断片的な文章であることが多い。
しかし時には、講演か何かをしているかのように、ザラザラと流れてくることもある。
それがしばらく、つづく。

 そこでパソコンの前に座る。
まず切り口となる、軽い文章を叩く。
「書く」にではない。
「叩く」。

 脳みその調子のよいときは、指先が軽快に動く。
タイプミスもほとんど、ない。
そうでないときは、そうでない。
運動をしないで、タイプを叩くと、自分でもそれがよくわかるほど、指先がモタモタする。
だから運動は欠かせない。
今朝も書斎に入る前、30分、ランニングマシンの上で、歩いた。
走った。
ほどよい汗が出た。

 たいていは、日付から叩き始める。
「今日は……」という出だしで始める。
とたん、文章が、頭の中からどっと出てくる。
あとは一気に、それを吐き出す。

「書く」のではない。
「吐き出す」。

 その快感がたまらない。
1週間分、あるいは10日分の便が、一気に出たような感じ。
(汚いたとえで、ごめん!)
しかしそれに似ている。
フロイト流に解釈するなら、肛門期の排便。
それに似ている。
(フロイトがいう肛門期というのは、心的なものをいう。誤解のないように。)

 ……おとといと、昨日、私は2日連続で、頭の中のモヤモヤを吐き出した。
気持ちよかった。
楽しかった。
同時に、疲れた。

 今朝は、その反動か。
まったりとした満足感に包まれ、頭の中はからっぽ。
遅い朝食を終え、野鳥のために、餌をまき、そのあと乗馬マシンで、腰の運動。
ゆっくりと書斎に。
時計を見たら、10時を過ぎていた。

 今日は、あの3月11日。
「もう1年!」と思うと同時に、日本人の私たちにとっては、長い1年だった。
あの日を境に、日本人は、質的に変化してしまった。

●自己客観評価力

 話題を変えよう。

 「空気を読む」という言葉がある。
感覚というより、感情の触覚を四方八方に伸ばし、その場の雰囲気を的確に判断することをいう。
わかりやすい例でいえば、何かの会合に出たようなばあい。
そのとき、お呼びか、お呼びでないかどうか、それを判断するのも、そのひとつ。
お呼びでないところへ顔を出したりすると、場違いというか、息苦しくなる。
居場所すら、ない。
で、結局、その場からそそくさと、逃げ帰ったりする。

 何度か、経験がある。

 ただ私のばあい、「空気は読める」。
が、「空気を読みまちがえる」。
(どちらも似たようなものだが……。)

 だから最近は、何かの会に誘われても、前もって慎重に判断する。
空気を読みまちがえると、イヤミの集中砲火を浴びる。
楽しいはずの会が、かえって不愉快な会になってしまう。
が、この問題は、子どもの問題と直結している。

●AD・HD児

 集中力が欠如している子どもというのは、たしかに、いる。
AD・HD児もそうだが、その一歩手前というか、それを薄めた子どもとなると、その倍はいる。
(ADHDの発現率は、5%。)

 さらに「空気が読めない子ども」となると、年齢にもよるが、30~40%はいる。
自己評価力の問題ということになる。
(ふつう「自己評価力」というときは、自分の能力の評価力のことをいうが……。)
あるいは現実検証能力でもよい。
周りの現実を、的確に検証できない。
あるいは現実と自分が、遊離する。
そういった力が、欠落する。
つまり自分の立場を、客観的に評価できなくなる。
(そういう意味では、「自己客観評価力」(はやし浩司)という言葉がふさわしい。)
ともかくも、みなに嫌われていても、嫌われているということ自体、わからない。

 そういう子どもは、どうすればよいか。

 ひとつの方法としては、ビデオカメラで子どもたちの様子を撮り、それをあとで子どもたちに見せるという方法がある。
この方法は、自分で自分のビデオを撮るようになってから、知った。
現在、YOUTUBEを使い、私の教室を公開している。
その動画を、今度は自分で見る。
そのとき、そこに写っている私が、ときに私の別人格に見えるときがある。
つまり自分を、自分から離れた他人のようにして見る。
そのときふと、子どもたちが日ごろ、私をどのように見ているか、それがわかるときがある。

 たとえば私はよく、「じじい!」と呼ばれる。
が、私は自分では、じじいとは思っていない。
思っていないが、自分の動画を見ると、「なるほど」と思うときがある。
「私はじじいなんだ」と。

●母親

 が、それでも難しいのが、「母親たちの空気」。
私はいまだに、母親たちの空気が読めない。
まったくといってよいほど、読めない。
とくに幼児教室の場では、そうである。
味方なのか、反感をもっている人なのか、それすらわからないときがある。

 女性というのは、本当にむずかしい。
いまだに私にとっては、謎である。
あのホーキング博士も、最近、そう述べている。

 では、今日は、ここまで。
2012/03/12UP

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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