2012年3月10日土曜日

*On Eight New Deal of Hashimoto, the Mayor of Osaka-City

【橋下大阪市長の船中8策について、考える】はやし浩司 2012-03-10

(1)天皇元首制
(2)道州制
(3)明治維新の位置づけ

●つぎは、YOUTUBE1万本!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

YOUTUBEへの動画アップ数が、3500本を超えた。
3500本!
どういうしくみになっているかは、わからない。
しかしそれだけの動画を、YOUTUBEは、無料で、保存、配信してくれる。
YOUTUBEという会社には、どんなコンピューターが置いてあるのか。
1本を、1GBとしても、1GBx3500=3500GB=3・5テラバイト!
私の分だけで、3・5テラバイト!
すごいことだと思う。

……というか、どういうしくみになっているのか。
どういうしくみで、動画を保存しているのか。
YOUTUBEという会社は、本当に不思議な会社だと思う。

おかげで……というか、今では全世界から、アクセスがある。
YOUTUBEでは、過去30日分のアクセス数が、国別で示される。
それによれば日本が一番多いが、ついでアメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、フランス、台湾……とつづく。
国内、半分、外国、半分……といったところ。

で、外国の人たちは、主に、私の動画を、日本語の勉強に使っているよう。
フランスで教師をしている人からは、「方法をまねさせてもらっている」というメールが、届いた。
また中国の人からは、「息子の家庭学習に利用させてもらっている」というメールが、届いた。
そういったメールや動画は、そのつど「BW公開教室」のほうで、紹介させてもらっている。
興味のある人は、そちらのほうを見てほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『シャーロック・ホムズ』

 夕方、時間が空いた。
それを計算しながら、ワイフがこう言った。
「映画、見に行かない?」と。

 即座にOK!
このところワイフは、帳簿の整理で忙しい。
昨夜も、徹夜だった。
その気分転換。

 で、今日から公開された、『シャーロック・ホームズ』を見てきた。
このシリーズは、すべて見ている。
取って付けたような謎解き映画だが、それが結構、おもしろい。
星はすこしきびしく、3つの、★★★。

●3500本!

 で、再び、YOUTUBEの話。

 動機や理由はともかくも、3500本という数字には、まちがいはない。
いつの間にか、その数になった。
が、この先も、どんどんとふえていく。(……UPしていく。)
今の仕事をつづけているかぎり、ふえていく。(……UPしていく。)

 授業参観に来られない親たちのために、そうしている。
「宣伝」という意識は、もうない。
考えるとしたら、自分の死後。
「死んでも残るだろうか?」と。

 しかしこういうことは言える。
日本人よ、もっと目を日本の外に向けよう。

●NHK

 NHKの音楽番組に、たとえば「♪みんなの歌」や「♪名曲アルバム」がある。
ときどきそういう番組の一部が、YOUTUBEにUPされる。
が、ことNHKに関していうなら、即、削除される。……されてしまう。
実際には、NHKがYOUTUBEに抗議し、YOUTUBEのほうからユーザーに削除させているよう。
たいてい1か月もたたないうちに、「NHKからの申し立てにより……削除されました」という表示が出る。

 著作権法というものがあるかぎり、これはやむを得ない措置かもしれない。
しかし、私にはどうしても納得できない。

 それがわからなければ、世界地図を見てほしい。
そこにある日本は、小さい。
本当に小さい。
島国。
私がはじめてオーストラリアへ行ったときのこと。
こんなことがあった。

 オーストラリアの学生たちが、私にこう聞いた。
「君は、どの島から来たのか?」と。

 そこで私はムッとして、こう答えた。
「島ではない。本州(メイン・コンチネント)だ」と。
そしたらまわりにいた学生たちが、ドッと笑った。
私が冗談か何かを言ったと思ったらしい。
(私は本気だったが……。)

 が、やはり日本は島国だった。
小さな島国だった。
その島国の放送局。
その放送局が著作権をもつ音楽。
そんなものを、いちいち著作権がどうのこうのといって、削除しているほうが、おかしい。
むしろ逆で、多少の著作権侵害程度のことには目を閉じ、日本の音楽を、世界に紹介したほうが得。
日本という国を、世界に知らしめる。
その方が、得。

世界の人口は、日本の60倍!
60倍だぞ!
日本の国内で、クギ(頭)の叩きあいをして、どうする。
どうなる。

 逆に、この日本国内には、世界中の音楽が、怒涛のごとく流れ込んできている。
このままだと日本の文化は、どんどんと隅に追いやられるだけ。

●ケツの穴

 半々とはいえ、私の動画は、外国の人たちが見ている。
YOUTUBEは、つねに世界が相手。
きれいごとを言っていたのでは、世界に勝てない。
日本ではまだ少ないかもしれないが、すでに学校単位で、1000本以上もの動画をUPしてところは、いくらでもある。
大学によっては、すべての講義を録画、UPしているところもある。

 結論から先に言えば、どうして日本人は、こうまで出るクギ(頭)を叩きたがるのか?
日本のような小さな国の中で、足の引っ張りあいをしている。
私はそういう人を、子どものころ、こう言った。
「ケツの穴が、小さい」(失礼!)と。

 さらに言えば、学校にしても、塾にしても、私のように、ビデオで授業を録画し、それをYOUTUBEにUPしたらよい。
みなが、無料で、それぞれの授業を家庭で受けることができるようになる。
まさにインターネット・スクール!
授業料をとり、教室の中だけで授業をするという時代は、そろそろ終わりにきている。

●島国根性

 つまりこの問題は、日本人が民族的にもつ「島国根性」と密接にからんでいる。
「おらが島国の、お山の大将」。
こんなきれいごとばかり言っているから、日本はどんどんと遅れていく。
日本から技術が流出していく。
人材も去っていく。

 私も三井物産、元社員。
日本の外では、食うか食われるか。
血みどろの戦いが、繰り広げられている。
それが世界。

 一方、私は30年以上も前から、教育改革を訴えてきた。
たとえば当時ですらも、小学校入学直後には、ほとんどの子どもたちは、「算数、好き」と言っていた。
が、1年もたたないうちに、ほとんどの子どもたちは、「算数、嫌い」と言い出す。
中学で学ぶ、英語にしても、そうだった。
が、この現実は、今も、同じ。
何も変わっていない。

 何かが、おかしい。
何かが、まちがっている。
が、それを具体的に訴える場所がなかった。
市販の教材を制作するという方法もあったが、それにも限界があった。
(無数の市販教材を世に出してはきたが……。)
で、今は、YOUTUBEということになった。
YOUTUBEを使えば、東京という関所を通らなくても、直、世界に、自分のしていることを伝えられる。

 現在、私がYOUTUBEで紹介している「公開教室」は、教材からして100%、私のオリジナルである。
学校の授業を、先取りしているものは、ほとんどない。
まねをしているものも、ほとんどない。
逆に、学校の方が、まねをしている。
そういう例は、多い。

 とにかく、1万本が目標!
やるしかない!

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【維新の会について、考える】

●「維新」という言葉にだまされてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 「維新」というと、何やら「革命的なもの」を連想する。
が、「維新」は革命でもなんでもない。
その言葉に酔ってはいけない。
だまされてはいけない。

 英語では「明治維新」は、「Meiji Restoration」と訳されている。
ルイ18世の王政復古と同列に考えられている。
つまり「明治・王政復古」。
「王政(天皇制)への復古」を、「維新」という。

 橋下大阪市長は、はたしてジャンヌダルクの再来なのか。
それともヒットラーの再来なのか。

私たちはここで今一度、冷静にならなければならない。
盲目的な追従こそ、危険。
時期が時期だけに、危険。
橋下大阪市長は、いったいどういう人物なのか?

 それを判断する前に、もう一度、自分の頭の中を整理してみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●天皇元首制

 橋下大阪市長は、「天皇を元首に」と考えているらしい。
元首?

●天皇制について

 少し前(2011年の末)、こんな原稿を書いた。
それをそのまま紹介する。
当時は、「女性天皇」が、話題になっていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●女性天皇

 週刊誌(新聞広告)は、相変わらず女性天皇の問題について論じている。
すでに国民の70%以上(各種世論調査)が、女性天皇を支持している。
が、ここで重要なのは、天皇自身の意思。
天皇自身はどのように考え、願っているのか。
私たちはもう少し天皇の気持ちを、大切にすべきではないのか。

 即位に際しても、そうだ。
日本国の象徴であるということは、想像を絶する重責である。
そんな重責を、天皇自身の意思を無視したまま、一方的に押しつけるのも、どうか。
あるいは一度でも、「重責を担(にな)っていただけますか」と、天皇に聞いたことがあるのだろうか。
それもしないで、外野席だけが、ワイワイと勝手に騒ぐ。
ワイワイと騒いで、「これが結論です」と、一方的に天皇家の人たちに、押しつける。
天皇にしても、天皇である前に、1人の人間としての「人権」がある。
その人権を踏みにじりながら、後継問題を論じて、どうする?
どうなる?

 さらに一歩踏み込めば、こうも言える。
「どうして日本人は、こうまで『格式』にこだわるのか」と。
今は、もう、そんな時代ではない。
もっと皆が、(もちろん天皇家の人たちも含めて)、自由に自分の意見を言い、したいようにする。
その結果としてなら、女性天皇が誕生しても、何もおかしくない。
国民も、(もちろん私も)、喜んでそれを支持する。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 沼津 第三十八番地 丸天 はやし浩司 三島 ドーミンイン・ホテル はやし浩司 リビドー 性的エネルギー 心的エネルギー 天皇の人権 皇室問題 はやし浩司 天皇 天皇の意思 女性天皇 皇位継承問題)2011/12/08記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

似たような内容だが、2010年にも
こんな原稿を書いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●北朝鮮

 北朝鮮では、どうやら三代目独裁者が決まりつつある。
それについて、韓国や中国につづいて、アメリカまでもが、「おかしい」と
言い出している。

「世襲で指導者を決めるのは、おかしい」と。
(中国は「認める」というような発言を繰り返しているが・・・。)

 が、この日本は、ただひたすら沈黙。
何しろこの日本には、天皇制という制度がある。
へたに「おかしい」と言おうものなら、世界中から、「じゃあ、お前のところは何だ!」とやり返されてしまう。
だから沈黙。
沈黙あるのみ。

 ただこういうことを書いても、この日本では公開処刑になることはない。
一応の言論の自由は、保障されている。
が、北朝鮮でこんなことを書けば、即、公開処刑。

しかしたった65年前には、そうでなかった。
天皇制を批判しただけで、即、投獄。
獄死する人も、少なくなかった。
ひょっとしたら、つぎの65年後には、またそうなるかもしれない。
それを忘れてはいけない。

●天皇制について

 もう少し、自分のことを書く。

 田舎の小さな自転車屋だったが、3代つづいた「本家」。
そのせいもあって、昔から、私の家は、「林家」と、「家(け)」がつけられていた。
大正時代の昔のことは知らない。
しかし私が中学生のころには、斜陽の一途。
家計はあってないようなもの。

 最近になって私の実家が、伝統的建造物に指定されたとか。
しかし何も好き好んで、伝統的建造物として残したわけではない。
改築したくても、その資金がなかった。

 が、その社会的負担感には、相当なものがある。
「お前は、林家の跡取りだから、しっかりと責任を果たせ」と。
だから結婚する前から、収入の約半分を、実家へ送り続けてきた。
当時はまだ、そういう時代だった。

 で、この話と天皇制とどう関係があるか?

 つまり天皇もたいへんだろうな、ということ。
まわりの人たちは、「天皇だから幸福なはず」という『ハズ論』だけで片づけてしまう。
しかし当の天皇自身はどうなのか。
皇族の人たちは、どうなのか。
その社会的負担感には、相当なものがあるはず。
街の中を、ひとりで自由に歩くこともできない。

 「生まれながらにして天皇」というのは、かわいそうというより、酷。
自分の人生を自分の意思で生きることができない。
つまり私が書きたいのは、こういうこと。

一度は、天皇や皇族の人たちにこう問うてみる。
「たいへんな重責とは思いますが、引き受けていただけますか?」と。
そのとき天皇が、「いいですよ」と言えば、それでよし。
しかしそうでなければ、別の生き方をみなで、用意する。
私は何も、天皇制に反対しているわけではない。
天皇個人の人格と人権に、もっと配慮してもよいのではと考えている。
(以上、2010年10月27日記)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●世界の皇族たち

 学生時代、私は、世界の皇太子や王子と同じカレッジで過ごしたという経験がある。
1庶民としては、稀有な経験をさせてもらった。
そういう経験を、「世にも不思議な留学記」として、発表した(中日新聞)。
そのときの原稿を、そのままここに載せる。

皇族(王族)と呼ばれる人たちの気持ちを理解する、その手掛かりにはなるのではないか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ-ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生
活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。
西ジャワの王子やモ-リシャスの皇太子。
ナイジェリアの王族の息子に、マレ-シアの大蔵大臣の息子など。
ベネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。
「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった。
また「マレ-シアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされたときにも、驚いた。
一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。
「ピンキーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立っているのが兄だ」と笑った。

 今度は私の番。
「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。
そこで「自転車屋だ」というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。
私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を共にし、スピ-チをして帰った。
よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次官が、井口領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。
その前年にはマダム・ガンジ-も来たし、『サ-』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。
インドネシアの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、あいさつに来た。
そのとき私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という理由で、私は席をはずすように言われた。
当時は、まだそういう時代だった。
変わった人物では、トロイ・ドナヒュ-という映画スタ-も来て、一週間ほど寝食をともにしていったこともある。
『ル-ト66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼンチンからの帰り道、私たちのハウスへやってきた。
そしてダンスパ-ティをしたのだが、ある国の王子が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。
で、彼のためにラブレタ-を書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にくれた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。
その国では、彼にさからう人間など、誰もいない。
さからえない。
おかげで私は、オ-ストラリアへ着いてからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。
そんなことはどうでもよいが、そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。
私もそう思われるのがいやで、めったにこの話はしない。
が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。一九七〇年の春。
そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

アン王女がやってくる!【6】

●セントヒルダでのダンスパーティ
 
 暑さがやわらいだある日。ビッグニュースが、ハウスを襲った。

 エリザベス女王が、アン王女を連れて、メルボルンへやってくるというのだ。
しかもアン王女が、セントヒルダ(女子)カレッジで、ダンスパーティをするという。

 オーストラリアの学生たちは、「ぼくが、アンをものする」と、それぞれが勝手なことを言い始めた。
アン王女はそのときハイティーン。
美しさの絶頂期にあった。

 しかし、そのうち、セントヒルダへ行けるのは、限られた人数であることがわかってきた。
今度は、誰が行けるか、その話題でもちきりになった。
が、結局は、行けるのは、王族や皇族関係者ということになってきた。

 私にも寮長のディミック氏から打診があったが、断るしかなかった。
だいたいにおいて、ダンスなど知らない。
一度、サウンド・オブ・ミュージックという映画の中で、その種のダンスを見たことがあるだけだ。
それに衣装がなかった。

 それまでもたびたびハウスの中で、夜会(ディナーパーティ)はあったが、私は、いつも日本の学生服を着て出席していた。
日本を離れるとき、母が郷里の仕立て屋でスーツを作ってくれたが、オーストラリアでは、着られなかった。
日本のスーツは、何と表現したらよいのか、あれはスーツではない。
毛布でつくったズタ袋のような感じがした。

 その日の午後。選ばれた学生は、うきうきしていた。
タキシードに蝶ネクタイ、向こうではボウタイと呼んでいたが、それをしめたりはずしたりして、はしゃいでいた。
五、六人の留学生に、同じ数のオーストラリア人の学生。

 留学生はともかくも、オーストラリア人の学生は、皆、背が高くハンサムだった。
体をクルクルと丸めてあいさつをする、あの独特のあいさつのし方を、コモンルームで何度も練習していた。
「王女妃殿下様、お会いできて、光栄に存じます」とか。
人選からはずされた連中は連中で、「種馬どもめ」と、わざと新聞で顔を隠して、それを無視していた。

 そのとき仲のよかったボブが、横から声をかけてくれた。

「ヒロシ、お前は行くべきだ。イギリスなど、日本の経済協力がなければ、明日にでも破産する」
「ああ、しかしぼくには、あんな服がない……」
「服? ああ、あれね。あれは全部、貸衣装だ。知らなかったのか。コリンズ通りへ行けば、いくらでも借りられる」
「貸衣装?」
「そうだ。今度、案内するよ」
「ああ、君の親切に感謝する」と。

●そしてエリザベス女王は帰った……

 夜になって、ローヤルパレードの通りを歩いてみた。いつものように静かだった。
特に変わったことはなかった。
行きつけのノートン酒場も、ふだんのままだった。
いつもの仲間が、いつものようにビールを飲んでいた。

 途中、セントヒルダカレッジのほうを見ると、カレッジ全体に、無数のライトがついていた。
それがちょうどクリスマスツリーのように輝いていた。
私はそれを見ると、何か悪いことをしたかのように感じて、その場をそそくさと離れた。

 その翌日の夕方。
エリザベス女王とアン王女は、メルボルンを離れた。カレッジから少し離れたミルクバーのある通りが、その帰り道になっていた。
私たちはその時刻に、女王が通り過ぎるのを待った。

 夕暮れがあたりを包んでいた。
暗くはないが、顔がはっきり見える時刻でもなかった。
女王は大きなオープンカーに乗って、あっという間に、通り過ぎていった。
本当に瞬間だった。
と、同時に、女王の話も、アン王女の話も、ハウスから消えた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子の悩み【11】

●王子や皇太子は皆、偽名!

 ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。
ほかの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。
このことは前にも書いた。

 しかし日本へ帰国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、「知らない」「そんな男はいない」と言う。
そんなはずはない。
そこである日、それも五年ほどもたってからのことだが、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのことを聞くと、こう教えてくれた。

 「ヒロシ、君は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。
つまり警護上の理由で、ハウスでは、偽名を使っていたというのだ。
しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男たちは、友人ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であったという。

 もちろん私は本名で通した。
護衛官など、私にはつくはずもない。
が、こんなことがあった。

 ハウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。
外からかかってきた電話を、それぞれの部屋につなぐ係だ。
その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。
しかし彼は約束の時間になっても来なかった。

 そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。
しかしやってきたのは、彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。
私は怒った。
怒ってまた電話をつなぎ、「君が来るべきだ。
代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。

 やがて「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。
その友人が私の部屋にやってきて、こう言った。
「君は、わが国の王子に何をしているのか、それがわかっているのか。
モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。
この町にもある。
じゅうぶん気をつけろ」と。
その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘拐、処刑までするということだった。

 その王子。
どういうわけだか、私には気を許した。
許して、いろいろなことを話してくれた。彼の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。
夜遊びをしたこともある。
モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。

 が、一見、華々しく見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも苦しんでいた。
ほんの一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうとしなくなってしまったこともある。
詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で話題になったこともある。

●「あなたはホテルへ帰る」

 そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。
私は彼の国を旅行することになった。
旅行と言っても、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍しているのを知った。
街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。

 それを見ながら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手はこう言った。
「王子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。
そこで私が「彼と一緒に勉強したことがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉強した。みんなと勉強した」と。

 そこでさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなたはホテルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。
まったく会話がかみ合わなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ルイス・アレキサンドリア【17】

●ハウスでのパーティ

 話が前後するが、私がハウスへ入ったちょうど、その夜のこと。
ハウスでダンスパーティがあった。
私にすれば、右も左もわからないというような状態だった。

 私はミスインターナショナルの一行だと聞いていたが、ミスユニバースだったかもしれない。
一九七〇年のはじめ、アルゼンチンのブエノスアイレスであったコンテストだ。

 その一行が、ハウスへやってきて、ダンスパーティを開いた。
その中に「ジュンコ」という日本の女性もいた。その女性はその後、大橋巨泉というテレビタレントと結婚したと聞いているが、それはともかくも、その夜にルイスに会ったわけではない。
その翌日の夕方、インドネシアの西ジャワの王子が、ルイスを私に紹介してくれた。

 私はもともと、もてるタイプの男ではない。
どこから見ても、おもしろくない顔をしている。
背も低い。
メガネもかけている。
その上、まだ言葉もじゅうぶん、話せなかった。

 その私がルイスと、それから一週間の間、毎日、デートを繰り返した。
今から思うと不思議な気がする。
現実にあったことというよりは、夢の中のできごとという感じがする。
いつも誰かが車で私たちをあちこちへ案内してくれていた。
だれの車だったか、どうしても思い出せない。

 王子の車だったかもしれない。
運転してくれていたのは、多分、インドネシアの大使館の館員だったと思う。
私たちはその車で、インドネシアレストランへ行ったり、美術館を回ったり、スライドパーティに行ったりした。
スライドパーティというのは、誰かが外国を旅行した際に撮ってきたスライドを、見せてくれるというパーティだった。

●ルイス・アレキサンドリア

 ルイスは背が高く、美しい人だった。
ただ当時の私は、そういう女性の美しさを理解するだけの「力」がまだなかった。

 金沢の下宿を飛び出して、まだ一週間もたっていなかった。
写真ですら、そういう女性を見たことがない。
だから私はルイスに圧倒されるまま、つまり何がなんだかわからないまま、デートを重ねた。
私にしてみれば、観光気分だった。

 しかもルイスが私に親切だったのは、それは彼女のボランティア精神によるものだと思っていた。
が、一週間たち別れるとき、ルイスは、私の目の前でスーッと涙をこぼした。
そしてそのとき、ルイスは、私に一本の金色のかんざしをくれた。
コンテストでもらった賞品だと、ルイスは言った。
私はそれに戸惑ったが、それほど深く考えなかった。少なくとも私は笑って、ルイスと別れた。

 ルイスはインドネシアへ帰ってから、数回手紙をくれたが、私は返事を書かなかった。
毎日が嵐のように過ぎていく中で、やがて私はルイスのことを忘れた。
が、ある日。
半年ぐいらいたってからのことだが、自分の部屋で何もすることもなくぼんやりしていると、引き出しの中に、そのかんざしがあるのがわかった。

 私はそのかんざしを手にとると、どういうわけだか、そのかんざしをナイフで削りはじめた。
キラキラと金色に輝くかんざしだった。
私はメッキだとばかり思っていた。
が、いくら削っても、その金色の輝きは消えなかった。

 私はそれを知ったとき、何とも申し訳ない気持ちに襲われた。
私はルイスの心を、もてあそんだのかもしれない。
当時の私は自分の心がどこにあるかさえわからないような状態だった。
静かに女性の心を思いやるような余裕は、どこにもなかった。
そんな思いが、心をふさいだ。

 ルイス・アレキサンドリア。
これは彼女の実名だ。

 彼女は当時、ジャカルタの旅行代理店に勤めていた。
もしルイスの消息を知っている人がいたら、教えてほしい。
あるいはもしルイスを知っている人がいたら、「あのときのヒロシは、今、浜松に住んでいる」と伝えてほしい。
今度は、私が、日本料理をごちそうする番だ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

非日常的な日常【19】
 
●ケタ違いの金持ちたち

 王族や皇族の子弟はもちろんのこと、公費留学生は別として、私費で留学してきたような連中は、その国でもケタ違いの金持ちばかりだった。

 アルジェリアのレミ(実名)、ベネズエラのリカルド(実名)などは、ともにその国の石油王の息子だった。
フィージーから来ていたペイテル(実名)もそうだった。
しかしその中でも異色中の異色は、香港から来ていたC君という学生だった。
実名は書けない。
書けないが、わかりやすく言えば、香港マフィアの大親分の息子ということだった。

 彼の兄ですら、香港の芸能界はもちろんのこと、映画、演劇などの興行を一人で牛耳っていた。
ある日C君の部屋に行くと、彼の兄が「ピンキーとキラーズ」(当時の日本を代表するポップシンガー)や布施明と、仲よく並んで立っている写真があった。
彼らが、香港で公演したときとった写真ということだった。

 いつかC君が、「シドニーにも、おやじの地下組織がある。何かあったら、ぼくに連絡してくれ」と話してくれたのを覚えている。

●インドネシア海軍の前で閲兵

 こういう世界だから、日常の会話も、きわめて非日常的だった。
夏休みに日本でスキーをしてきたという学生がいた。
話を聞くと、こう言った。

 「ヒロシ、ユーイチローを知っているか」と。
私が「ユー……」と口ごもっていると、「ユーイチロー・ミウラ(三浦雄一郎、当時の日本を代表するスキー選手)だ。ぼくはユーイチローにコーチをしてもらった。君はユーイチローを知っているか?」と。
しかも「日本の大使館で大使をしている叔父と、一緒に行ってきた」などと言う。

 そういう世界には、そういう世界の人どうしのつながりがある。
そしてそういうつながりが、無数にからんで、独特の特権階級をつくる。
それは狂おしいほどに甘美な世界だ。

 一度、ある国の女王が、ハウスへやってきたことがある。
息子の部屋へ、お忍びで、である。
しかしその美しさは、私の度肝を抜くものだった。
私は紹介されたものの、言葉を失ってしまった。
「これが同じ人間か……」と。

 あるいはインドネシア海軍がメルボルン港へやってきたときのこと。
将校以下、数一〇名が、わざわざバスに乗って、西ジャワの王子のところへ挨拶にやってきた。
たまたま休暇中で、ハウスにはほとんど学生がいなかったこともある。
私はその王子と並んで、最敬礼をする将校の前を並んで歩かされた、などなど。

●やがて離反

 が、私の心はやがて別の方へ向き始めた。
もう少しわかりやすく言えば、そういう世界を知れば知るほど、それに違和感を覚えるようになった。
私はどこまでいっても、ただの学生、あるいはそれ以下の自転車屋の息子だった。

 一方、彼らはいつもスリーピースのスーツで身を包み、そのうちのまた何人かは運転手つきの車をもっていた。
そういう連中と張りあっても、勝ち目はない。
仮に私が生涯懸命に働いても、彼らの一日分の生活費も稼げないだろう。

 そう感じたとき、それは「矛盾」となって私の心をふさいだ。
最近になって、無頓着な人は、「そういう王子や皇太子と、もっと親しくなっておけばよかったですね」などと言う。
「旅行したら、王宮に泊めてもらいなさい」と言う人もいる。
今でも手紙を書けば、返事ぐらいは来るかもしれない。

しかし私はいやだ。
そういうことをしてペコペコすること自体、私にとっては敗北を認めるようなもの。

 やがて私は彼らとは一線を引くようになった。彼らもまた、私がただの商人の息子とわかると、一線を引くようになった。
同じ留学生でありながら、彼らは彼らにふさわしい連中と、そして私は私にふさわしい連中と、それぞれグループを作るようになった。
そしてそれぞれのグループは、どこか互いに遠慮がちになり、やがて疎遠になっていった。

(以上、「世にも不思議な留学記」より。
さらに読んでくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html )

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●正田英三郎氏との思い出

 東京へ行くたびに、そして正田英三郎氏に会うたびに、正田氏は、東京商工会議所の近くのソバ屋へ連れていってくれた。
ときどき坂本二郎氏(坂本竜馬の直系のひ孫氏)も、いっしょだった。
そのときいろいろな話を聞いた。
が、その内容については、ここには書けない。

 ただ今にして思うと、なぜ、正田氏が、商工会議所の中に自分の部屋をもっていたかが、理解できる。
大通りをはさんで、目の前は、皇居。
美智子妃殿下にとっても、たいへんつらい日々がつづいていた。
ただいつもこう思っていた。

 「いつか、それなりの人間になったら、正田氏を浜松へ招待しよう」と。
が、その日は最後まで、来ることはなかった。
私は正田氏の訃報を、この浜松で、聞いた。
それで終わった。

 だからこそ、余計にこう思う。
私たち日本人は、もう少し謙虚になってもよいのではないか、と。
「一度は、天皇家の人たちに、重責を担っていただけますかと聞くのは大切」と書いたのは、そういう理由による。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

明治維新は、本当に、バラ色の「維新」だったのか。
それについて考えてみたい。
これを読んでもらえば、「維新」という言葉がもつ幻想を、
少しは訂正してもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【明治維新後の日本の教育】

●学校に通う意味・青年の意識調査より

●内閣府(2009年)の調査結果より

なぜ、あなたは学校に通うか?
その答がつぎ。

++++++++++++++++++

●日本は「友達との友情をはぐくむ」、韓国は「学歴や資格を得る」、アメリカ、イギリス、フランスは「一般的・基礎的知識を身に付ける」がもっとも高い。

●「友達との友情をはぐくむ」:

日本(65.7%)、
韓国(41.2%)、
イギリス(40.2%)、
アメリカ(39.2%)、
フランス(16.3%)

●「自由な時間を楽しむ」:
日本(32.5%)、
アメリカ(26.8%)、
イギリス(22.7%)、
韓国(14.7%)、
フランス(11.2%)

●「職業的技能を身に付ける」:
イギリス(44.6%)、
フランス(43.5%)、
アメリカ(42.8%)、
韓国(37.0%)、
日本(30.6%)

●「一般的・基礎的知識を身に付ける」:

アメリカ(79.1%)、
フランス(66.9%)、
イギリス(63.0%)、
日本(55.9%)、
韓国(44.9%)

詳しくは……
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/pdf/gaiyou.pdf

++++++++++++++++++

●意識のちがい

 高等教育に対する意識のちがい。
それが内閣府の調査結果によく表われている。
平たく言えば、日本の青年は、「遊ぶため」。
欧米の青年は、「社会へ出てから、生きていかれる人間になるため」。
「職業的技能を身につけるため」という意識が強い。

 役にたつかたたないかということになれば、日本の教育は役にたたない。
かなり改善されたとはいえ、英語教育がそうだった。(……今も、そうだ。)
つまり日本の教育は、英語にかぎらず、社会にしても、国語にしても、数学にしても、理科にしても、将来、その道の学者になるためには、たいへん機能的にできている。
が、将来、学者になる子どもは、いったい、何%いるのか?
「基礎学力」という名前に隠れて、その一方で、「教育とは役にたつものではない」という、非実用主義が常識化している。

●役にたつ教育へ

 アメリカの中学では、たとえば数学にしても、「中古車の買い方」というテーマで学習に入る。
その過程で、小数計算の仕方や、金利の損得の判断などを順に教えていく。
が、この日本では、一次方程式だの、一次関数だの、はたまた合同だの相似だの……。
私など高校を出てから、方程式なるものを、日常生活の場で使ったことなど、ただの一度もない。
サインやコサイン(私たちの時代には、中学2年で、サイン、コサインを勉強した)にしても、さらに、ない。

 が、これは教育の問題ではない。
それを学ぶ子どもたちの意識の問題ということになる。
子どもたちを育てる親の意識の問題ということになる。
「なぜ、子どもを大学へやるか?」と聞かれたら、親は何と答えるだろうか?
今でも、大半の親は、こう答えるにちがいない。

「学歴を身につけるため」と。

●身分制度の名残(なごり)

 江戸時代から明治時代へ。
今は、坂本龍馬に踊らされているから、わからないかもしれない。
なにやら坂本龍馬が、革命の旗手であったかのようにとらえられている。
しかし明治維新は、「革命」でも何でもない。
英語では、「Restoration」と訳されている。
つまり「王政復古」。
坂本龍馬は、民衆のために戦った人ではない。
民主主義を求めて戦った人でもない。
「王政復古」、つまり「天皇の復権」のために戦った人に過ぎない。

 そういう歴史的背景も学ばず、「龍馬ブーム」!
もし徳川時代がまちがっているというのなら、一度、封建時代を精算したらよい。
が、それもしない。

 わかりやすく言えば、明治維新は、徳川家から天皇家への、首のすえかえに過ぎなかった。
その一例が、現在の学歴制度に残っている。
つまり身分制度。
当時の為政者たちがもっとも腐心したのは、江戸時代の身分制度をいかにして、明治政府にバトンタッチするか、であった。
が、方法がなかったわけではない。

 明治時代が11年も過ぎたころでさえ、東京大学の学生の75%以上が、華族、氏族の師弟で固められた。
たいはんの庶民は、尋常小学校どまり。
それ以上となると、父親の1か月の給料をもってしても、教科書すら買うことができなかった。

 また県知事(県令)は、当時の自治省から派遣されるしくみになっていた。
選挙など、形だけ。
(現在でも、大きくみれば、その流れの中にある。)

++++++++++++++++++

以前、書いた話と同じになりますので、
以前書いた原稿を、転載します。
一部重複しますが、許してください。

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【学歴制度】

● 5か条の御誓文

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1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

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●平等

 明治維新の中でもっとも注目すべきは、『四民平等』。
が、あの時代。
「平等」などということは、もとからありえなかった。

 天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。

それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

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●子どもの希望

 話は少し脱線する。
まず、傍証。
傍証の補強。

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)きたい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選びたい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラー志向が強い。
韓国は特技系の仕事に関心がある。
米国では特技や専門技術系の職業に人気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。
しかも今、どんな公務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。
さらに公務員試験を受けるための予備校まである。
そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。
もちろん退職金も、年金も、満額支給される。
さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。
そこに5年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。
ごくふつうの自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。
(だからといって、その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。
H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。
「市役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。
「お前も、公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。
しかしこの日本では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。
数がふえるだけならまだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管理されることを意味する。
自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおいて、ほかにないだろう。
ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。
しかし本当に、そうか。
あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなのか。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今一度、「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。

(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】

 ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子どもが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答えた。
日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。
しかし日本や韓国の子どもには、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる学部」という視点で、大学を選択している。
いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパをかけても、子どもたちは、こう言う。
「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのである。

 人生には、無数の道がある。
幸福になるにも、無数の道がある。
子どもの世界も、同じ。
そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たいへん便利で、能率よくできている。
しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始めている。
現状にそぐわなくなってきている。
明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものではないということ。
仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年になってから勉強するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけることによって、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は少ない。
こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われるようになった。
「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分を手に入れる」という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。
「私は、もう終わりましたから」と。
私が、「お母さん、あなたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。
新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。
なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。
そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を使った。
「革命」という意味をこめたが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時代に温存するかであった。
ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けたかったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。
しかし一般庶民にとっては、教科書や本すら、満足に購入することができなかった。
だから結局、大学まで出られるのは、士族や華族、一部の豪族にかぎられた。
明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生のうち、約75~80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。
(たった6・4%の士族、華族が、約75~80%を占めていたのだぞ!)

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の県令(知事)となって、派遣されていった。
選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。
変っていないことは、実は、あなた自身が、一番、よく知っている。
たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜松市の市長も、そして国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。
(だから、それがまちがっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。
あるいは大半の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのではないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 
私もこの国に住んで、56年になるが、つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++

つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
今まで書いてきたことの、ベースとなった原稿です。

++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

 インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。
どこかの国のカルト信仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。
その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それがわかる。
そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別した。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。
学校出の教師の給料が、15~30円、県令(現在の県知事)の給料が、250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。
そして今に見る、学歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。
各県にある教育委員会が、支部本山。
そして学校が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。
教育はだれの目にも必要だったし、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。
どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。
そうでない人は、何かにつけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。
多すぎる。
親たちは日常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。
だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係なく、職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっちもいかないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後閉鎖論まで、公然と議論されるようになっている。
それだけ公教育の荒廃が進んでいるということになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。
今の、この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子どもたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。
そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。
それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。
ウソだと思うなら、あなたの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。

(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省 はやし浩司 県令 士族 華族)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、自分の鼻先を指さす。
(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。
年長児の大半も、自分の鼻先をさす。
しかし年中児になると、それが乱れる。
つまりこの部分については、子どもは年中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。
よく誤解されるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるかに多い。
どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらにはもっと多いかしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教えずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。
あるいは子どもというのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。
しかしむしろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。
だれが育てるというのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはっていく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。
全員(一〇人)がこう言った。「どうせ、なれないもんね」と。
「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。
あるいは何を教えていないだろうか。
そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいるだろうか。
それを少しだけここで考えてみてほしい。

(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会 はやし浩司 県令 自治省 坂本龍馬)

●最後に……

 日本の教育は、基本的な部分で、おかしい。
その(おかしさ)は、ここに書いたとおりである。
だから青年たちは、「遊ぶ」。
もとから学ぶという意識もないまま、遊ぶ。
その結果が、内閣府の調査結果ということになる。

 もう一度、冒頭の数字を、じっくりとながめてみてほしい。
あなたにも、そのおかしさが、わかるはず。
2010/07/19記


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【橋下大阪市長の暴走】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

長い前置きになった。
さて、本題。
私は、「維新」という名前に違和感を覚えながらも、橋下大阪市長の言動に注目してきた。

が、このところ、どうも様子がおかしい。
「維新の会」といい、自らを平成の坂本竜馬と位置づける(?)。
先にも書いたが、「維新」イコール、「革命」ではない。
そんなことを念頭に置きながら、橋下大阪市長の言動を分析してみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

が、その前にもう一作。
道州制についても、自分の考えを再確認してみたい。
日付は、2006年5月になっている。
内容が一部、先に書いた原稿とダブるが、
許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●最近の話題から

++++++++++++++++

憲法改正、それに道州制の導入など。

このところ、世間の動きが、
急にあわただしくなってきた。

++++++++++++++++

 憲法改正の焦点は、何といっても天皇制。
現在の「象徴天皇」から、「国家元首」としての位置づけを、明確にしようというもの。

 しかしこれには、私は、明確に、反対しておきたい。
そもそも、どうして現行の「象徴天皇」ではいけないのか? 
日本が、本当に民主主義を、標榜(ひょうぼう)するなら、「天皇元首制度」は、まさに、その民主主義の理念を根底から、否定するものと考えてよい。

 つぎに道州制の導入だが、当然のことながら、各道、各州には、「長」が選ばれることになる。
この世界では、「首長(くびちょう)」という。
これについて、「道州に、国の権限を大幅に移譲し……」とあるが、それを額面どおりに読んではいけない。

 現在の今ですら、全国の都道府県知事の大半が、元中央官僚。
副知事の大半も、国会議員の大半も、また大都市の市長の大半も、元中央官僚。

 明治時代には、士族、華族、とくに元大名の師弟は、こぞって東大から自治省をめざした。
そしてその自治省から、全国へ県令(現在の県知事)となって散っていった。

 それから100年。この図式は、今も、何も変わっていない。

 仮にもしここで道州制になったら、道、州の「長」は、さらに元官僚たちによって、独占されることになる。
わかりやすく言えば、「国の権限を大幅に移譲し……」というのは、選挙で選ばれた政治家たちの影響力を弱め、官僚たちによる国の支配を、さらに強固にしようというものである。

 その頂点に、元首としての天皇を置く。

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。
私が学んだ、オーストラリアの大学でのテキストでは、「日本は、官僚主義国家」となっていた。
「君主(ロイヤル)官僚主義国家」となっていたのもあった。

 当時の私は、それに猛反発したが、今は、ちがう。
「なるほど、そうだったのか」と思うようになった。
同じ「民主主義」という言葉を使うが、オーストラリアでいう民主主義と、日本でいう民主主義とは、まるでちがう。
どうちがうかということについて書き出したら、キリがないが、ともかくも、ちがう。

 今、ここで天皇を元首にした道州制を導入したら、それこそ、まさに「王政復古」。
1660年にチャールズ2世が、なしとげたあの王政復古そのものということになる。

 英語では、その「王政復古」を、「the Restoration」という。
同じく、明治維新も、外国の文献では、「the Meiji Resoration」と翻訳されている。
日本では、「維新」というが、それはいわば、言葉の煙幕のようなもの。
時の政府は、その煙幕を張って、国民をだました。

 そこで、もしここで、天皇が元首になり、今の状態のままで、道州制が導入されたら、外国では、「the Heisei Resoration(平成王政復古)」と呼ばれるようになるだろう。
またまた明治王政復古に、逆戻り!

 戦後、日本は、当初は押つけられたものであったかもしれないが、アメリカ型西欧文明を、受け入れた。日本国憲法も、その過程で生まれた。

 しかしここにきて、急速に、復古主義が、台頭してきた。
その種の本も、よく売れている。
(その本の売れ方も、どこか不自然だが……。)
「武士道こそ、日本が誇るべき精神の根幹」と説く人も多い。
憲法改正も、道州制の導入も、その流れの中にある。

 行政改革、つまり官僚制度の是正は、ことごとく暗礁に乗りあげてしまっている。
なぜそうなったのかということについては、今さら、改めて書くまでもない。

 もちろん私も、みながそれでよいと言うのなら、それで構わない。
が、それには前提がある。
「それでよい」と言う前に、みなが、もっと考えなければならない。
考えた末に、「よい」というのなら、私も従う。

 しかし、みなは、考えているのか? 
本当に考えているのか? 
大半の人たちは、政治の話を口にしただけで、顔をそむけてしまう。
そういう状態の中で、「まあ、いいだろう」というように、安易な結論を出すことは、日本の将来にとって、たいへん危険なことである。

 そのツケを払うのは、結局は、つぎの世代の人たちということになる。
今、官僚となり、わが世の春を謳歌している人たちも、「つぎの世代」、つまりあなたの子ども、あるいは孫の立場になって考えてみてほしい。

 本当に、それでよいのか、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 憲法改正 天皇元首制 道州制の導入 日本の民主主義 民主主義)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2007年12月の原稿を、もう1作。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●何か、おかしいぞ、教育再生会議!
(The regenerated consultative conference of the
education)

*The Liberalization of the Education

The Japanese government has been trying to control our minds all the time since the end of the WW2. There they have two main consultative organs, conducted by the government.
How can they choose the members of the organs under what kind of standard they choose with? The Japanese government is heading toward conservatism or the way to the right-wing like way of thinking. We need more freedom! Or do they want the Restoration of the Imperial Rules?

+++++++++++++++++

「空理空論」という言葉がある。
「まず、国家統制ありき」という姿勢もある。

この両者がからんで、「教育再生会議」となった。

世界の流れは、「教育の自由化」。

それに向かって、まっしぐらに進んでいる。

なにゆえに、日本の政府は、そして文科省は、こうまで教育の自由化を恐れるのか?

国民を、どう統制しようとしているのか?

とくに気になるのが、道徳教育(?)。

「道徳を(徳育)として教科化する」という。

これに対して、日本教育再生機構のY理事長は、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や人権などを教えることができなくなる」と、さっそく歓迎の意思表示。

「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化している。
教科書があれば何を教えるのかのコンセンサスが得られ、教育内容の水準が確保できる」とコメントを寄せている。

しかし政府は、いったい、どういう基準で、諮問機関のメンバーを選んでいるのか?

自分たちにとって都合のよい、YESマンばかり集めて、あらかじめ用意したお膳立てに従って、結論を出す。

あとはそれをもとに、「控えおろう!」と。

日本というより、日本政府は、またまた右寄りの路線に向かって、舵を切ろうとしている。

いいのか、日本! このままで!

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 「自由化」イコール、「バラバラ」という意味ではない。
またそうであってはいけない。
しかしそんなことは、常識。
明治の昔なら、いざ知らず、国民は、そんなバカではない。
アホではない。

 教科書の国定(検定も同じ)にしても、それをしているのは、先進国の中では、この日本だけ。

 「まず、国家統制ありき」……それがこうした諮問機関の大前提。
そのおかしさに、私たち日本人が、まずそれに気づくべきではないのか。

 無数の試行錯誤の中で、失敗もあるだろう。
挫折、頓挫もあるだろう。
ときには、はげしい衝突もあるだろう。
しかしそういう山坂を越えて、日本人も、「自由」の意味を知る。
「自由」を手に入れることができる。

 いくら政府や文科省が、日本人を統制しようとしても、日本人の心は、もう別の方向を求めて、歩き出している。
それがわからなければ、尾崎豊の「卒業」を、一度でもよいから、聴いてみることだ。

 何が、徳育教育だ! 

教科書ができれば、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や人権などを教えることができなくなる」(?)。

 「おかしな平和や人権」とは何か? 
それを「おかしい」と言うほうが、おかしい。
「平和」や「人権」は、守って守って、守り抜いてこそ、平和であり、人権なのである。
戦時中は、「平和」とか、「人権」という言葉を口にしただけで、「非国民」と呼ばれ、問答無用に、逮捕、投獄された。
多くの人は、拷問まで受けた。

 そういう歴史を、日本よ、日本人よ、忘れたか! 
またそういう反省もなく、「おかしい」とは、何ごとか! 
恥を知れ!

 「道徳」についても、世界の心理学者たちは、もっと科学的な視点から、考え始めている。
マズローの「道徳論」に、一度は目を通してみればよい。
しかし「孔子」だの、「論語」という言葉が出てくるところが、恐ろしい。
さらに「武士道こそが、日本が世界に誇るべき、精神的バックボーン(背骨)」と説く人までいる。
またそうした本が、売れに売れまくっている。

 さらにさらに、天皇を「象徴」から、「元首」にという動きもある。
憲法改正は、おおむね、その方向に向かって進みつつある。
どうして21世紀の現在、「王政復古」なのか? 
しかもこの日本で!

 だいたい「再生」とは何か? 
何からの「再生」なのか? 
まさか戦前の状態にもどることを言っているのではないだろう。
このところ、私は、この言葉に、不気味さを覚えるようになっている。

【参考:以下、ヤフー・ニュース・07年12月26日版より】

 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)は25日、首相官邸で開いた総会で第3次報告を正式に決定し、福田康夫首相に提出した。
社会人教員の増員や校長の権限強化、現在の学制「6・3・3・4制」の弾力化などの項目の実現を掲げ、6月の2次報告でも提言した徳育の教科化を再び盛り込んだ。

 安倍前内閣時代の昨年10月に発足した再生会議は一通りの検討作業を終え、来年1月にも総括的な最終報告をとりまとめる。

 首相は総会後、記者団に対し、「よくまとめてくださった。
3次報告でまとまった基本的な考え方を、中央教育審議会(中教審)で具体化することになる」と述べた。

 「社会総がかりで教育再生を」をテーマにした3次報告には、「学力の向上に徹底的に取り組む」などの7つの柱が掲げられた。

 小中一貫校の制度化検討や小学校からの英語教育実施なども提言されたが、当初目玉となっていた、児童・生徒が自由に学校を選択し、その数に応じて学校に予算配分する「教育バウチャー(利用券)制」は、モデル事業としての実施を検討することにとどまった。

 第3次報告は、採用者の2割以上を教員免許を持たない社会人とする▽徳育の教科化▽大学の授業の3割以上を英語で行う-などを求めているが、専門家からは賛否の声が上がった。

 教員免許を持たない社会人を教員に採用することについて、日本教育大学院大学の河上亮一教授は、「実現すれば教育現場の意識改革になるのではないか」とみている。
教育学部を卒業した教員が多い現状よりも多様な人材が教壇に立つ方が活性化するとの考えからだ。

 文部科学省によると、全国の小中学校の教職員は70万人おり、再生会議の報告通りにするなら総数で14万人の社会人を迎え入れなければならないが、河上氏とは対照的にある県の教育委員会幹部は「民間は善、公務員は悪という発想による提言だ。
待遇面で教員は決して恵まれていない。
優秀な人材が多数集まるとは思えない」と批判する。

 道徳を「徳育」として教科化することについて、日本教育再生機構の八木秀次理事長は「実現すれば道徳の時間におかしな平和や人権などを教えることができなくなる」と歓迎。
「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化している。
教科書があれば何を教えるのかのコンセンサスが得られ、教育内容の水準が確保できる」としている。

 一方で河上氏は「徳育を教科にするのなら、自分のためだけでなく、人のために尽くすことは大切だということを社会の共通認識にする努力が必要だが、現実的には難しい」と教科化には懐疑的だ。

 大学の授業の3割を英語で行うことは可能か。

 福島県立会津大学はコンピュータ理工学部の単科大学で、教員の4割が外国人。
授業の多くは英語で行われ、卒業論文も英文だ。
第2外国語をなくし、英語の時間を増やしている。
同大は「コンピューターは米国で発展したもの。
プログラムを理解するために英語に習熟することは不可欠な対応」と英語での授業の必要性を説く。

 一方で、横浜国立大学の鈴木邦雄副学長は、「3割の授業を行うのは大学院なら可能だろうが、学部で行うのは難しいのではないか。
英語の授業を用意しても、学生が履修しなかったら意味がない」と話している。

 再生会議の委員の一人、中嶋嶺雄氏が学長を務める国際教養大学(秋田県)は、すべて英語で行う。
しかし、英語に関心の高い学生が多く入学する一方で、授業についていけない学生もいるという。(櫛田寿宏)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育再生会議 第3次報告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●さて、本論

 2012年2月に入り、新聞各紙は、橋下大阪市長の言動を、いっせいに報道し始めた。
そのまま紹介する。

『維新の会、遺産全額徴収も検討 「国家元首は天皇」明記

 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が事実上の次期衆院選公約「維新八策」で掲げる相続税強化策に関し、不動産を含む遺産の全額徴収を検討していることが9日分かった。
資産を残さない「一生涯使い切り型人生モデル」を提唱、消費を促す税制に転換し、経済活性化を図る狙い。
ただ内部に異論もあり、協議を継続する考えだ。

 国家元首は天皇と明示することも判明。
同会は10日、大阪市で開く全体会議で協議した上で、八策の概要を公表する方針だ。
現段階で数値目標はほとんど打ち出していないほか、実現可能性が疑われる項目もあり、24日開講の政治塾でも精査を続ける』と。

●船中八策?

 さらに産経新聞は、つぎのように伝える。

『橋下氏「元首は天皇陛下」 参院議員に「船中八策」説明

 地域政党「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長は17日、参院予算委員会のメンバーと会談。
橋下氏は、維新が次期衆院選公約として策定中の「維新版・船中八策」(維新八策)に盛り込んだ首相公選制について、実現後も「あくまで国家元首は天皇陛下だ」との考えを示した。

 維新八策の骨子公表後、橋下氏が国会議員と議論したのは初めて。
日本では憲法上、国家元首の規定はないが、内閣法制局の見解で天皇陛下とされており、大統領制と同じ国民の直接投票となる首相公選制導入後の元首の規定について、疑問の声が上がっていた。

 会談では、外山斎委員(民主)が首相公選制について「大統領制とほとんど変わらない。
国家元首は首相になるのか」と質問。
橋下氏は「国民が直接選ぶことと(選ばれた首相が)国家元首であるということに論理的な必然性はない。
天皇制のもとにおいて、国家元首は天皇陛下だ」と明言した。

 一方、維新八策で示された参院廃止についても質問が集中した。
片山虎之助委員(たちあがれ日本)は「廃止するなら衆議院がいい」と冗談を飛ばし、「改憲が必要で簡単にはいかない」と牽制(けんせい)。
山本一太理事(自民)は「衆院も参院も廃止して一院制にすると言ってほしい」と要望した。

 橋下氏は「大阪府庁と大阪市役所が100年戦争をやってきたのと同じ状況が、衆院と参院でもあると感じた」と皮肉り、「衆参という形は国民が望んでいない」と持論を述べた。
(産経新聞 2月18日(土)7時55分配信)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 橋下大阪市長については、もう少し言動を注意深く追いかけてみたい。
冒頭に書いたように、橋下大阪市長は、ひょっとしたら、ジャンヌダルクの再来かもしれない。
そうであれば、こんなうれしいことはない。
が、同時に、ひょっとしたら、ヒットラーの再来かもしれない。
そういう心配も、ないわけではない。

 けっして油断してはいけない。
ゲーテやシラーを生んだドイツで、その後、ヒットラーが誕生している。
第一次大戦後のドイツをうまく誘導し、ヒットラーはヒットラーになった。
今の日本の現状とよく似ている。

 失われた10年が25年になった。
社会は疲弊し、工業も先細り。
おまけに3・11大震災。
1000兆円を超える、国の借金。
あのギリシャの、100倍!

 貿易も赤字。
笛吹けど踊らずの日本経済。
どこもかしこも、不景気。
さらに少子高齢化。
『♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇じゃ、ござんせんか』と。

 こういうときほど、人々の心のスキをついて、超過激な政治集団が勢力を伸ばす。
英語には『悪魔は善人の顔をしてやってくる』という諺がある。

 もちろん橋下大阪市長については、わからない。
わからないが、慎重であるに越したことはない。
浮かれてブームに乗れば、やけどをするかもしれない。
ただのやけどではない。
大やけど。

 そういう警告の念をこめ、このエッセーを書いた。

 たとえば天皇の元首制と、官僚制度の是正は、基本的な部分で矛盾している。
奈良時代の昔から、官僚たちは、「天皇」という絶対的な権威者を頂点に置き、日本の政治を牛耳ってきた。

 一方で天皇の元首制を唱え、他方で官僚政治の是正(=民主主義の完成)を説くのは、論理的に矛盾している。
橋下大阪市長は、それに気づいているのだろうか?


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司




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