2009年10月16日金曜日

*We have been to Chiba to see my son

●10月14日、千葉へ来る

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10月14日、三男夫婦に会うため、
千葉県千葉市にやってきた。
三男の自宅は、千葉市から、来るまで20分
前後のところ。
今夜は、千葉市内のビジネスホテルに一泊。

新幹線の品川駅で落ち合い、そこから三男の
車で、千葉市へ。
市内のレストランで、1時間半ほどかけて、
夕食をとった。

少し前、三男は、ホテルから出る。
明日、三男の自宅へ。
朝、9時ごろ、迎えにきてくれるという。

ワイフは、風呂に入っている。
私は、こうしてパソコンに向かう。
左には小さなテレビ。
久しぶりに、どっきりカメラ(テレビ
番組)を見た。
おもしろかった。

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●嫁

 三男の嫁は、私のことを、「パパ」と呼ぶ。
三人の息子たちも、私のことを「パパ」と呼ぶ。
それで嫁も、「パパ」と呼ぶ。

 しかし私には、娘をもった経験がない。
そのため若い女性に「パパ」と呼ばれると、どこかくすぐったい。
悪い気はしないが、どうもピンとこない。
しかしどんな呼ばれ方をしても、このくすぐったさは、変わらないだろう。
「お父さん」でも、「お父様」でも、くすぐったい。
英語式に、「ヒロシ」のほうが、気が楽でよいのだが……。
友人たちは、息子の嫁に、何と呼ばれているのだろう。
一度、だれかに聞いてみよう。

 明日、その嫁に会う。
楽しみ。

●10月15日

 金価格が暴騰している。
昨日は、グラム3200円前後。
現在、ドル・円の為替レートは、1ドルが90円弱。
1年半ほど前には、120円だったから、それで計算すると、
グラム4000円以上。
が、今は、残念ながら(?)、1ドルが90円弱!

 数か月前、IMFが、金を売却すると言った。
本来なら、そこで金価格は下落するはずだった。
しかしすかさず中国が、買いに出た。
「買った」というよりは、手持ちのドルを、金に交換すると宣言した。
世界がそれに追従した。

 そして今、10月はインドでは、金の需要期に入る。
それで大暴騰。
おまけにドルは、ガタガタ。
こういうときは、様子を見ながら、少しずつ売る。

●朝、6時

 今朝は朝6時に目が覚めた。
ホテルの朝風呂に入って、ヒゲを剃る。
ヒゲを剃りながら、若いとき、私の父と母が、浜松へ私たちに会いに来てくれた
ことを思い出す。

 立場がちょうど逆になった。
今度は私たちが三男の家に、遊びに行く。
昼飯をどこかでいっしょに食べることになっている。
楽しみというより、心のどこかで、しんみりとした切なさを覚える。

 こうして人生は、順送りに回りながら、新しい人たちの世界になり、
その世界から私たち老人族は、この世界から、はじき飛ばされていく。
息子たちの自立は、同時に、私たちの自立を意味する。
おかしなことだが、この年齢になってはじめて、絶壁の縁(ふち)に
立たされた。
そんな感じがした。

 この先、息子たちには迷惑をかけないよう、私たちは私たちで、
自分を懸命に支えて生きていかなければならない。
心のどこかに残っている、(依存性)を、さらにつぶさなければならない。
が、本当の問題は、(生きがい)。

●空の巣症候群

 今までは、息子たちを成長させるのが、生きがいだった。
無我夢中でがんばってきた。
それが消えた。
ポッカリと心の中に穴があいた。
「空の巣症候群」という言葉がある。
子どもたちが巣を去ったあと、親たちが感ずる無気力症状を総称したものだが、
空の巣をどうやって埋めていくか。

 まさに待ったなしの人生。
それがこれからの人生。
若いときとちがって、これからの人生には、タイムリミットがある。
若いときは時間を気にせず、放浪の旅ができた。
今は、時間を気にしながら、限られた世界を生きる。
しかも失敗は許されない。

 そこに見えるのは、絶壁。
今、その縁を、恐る恐る、歩きだそうとしている。

●朝食

 ホテルの朝食は、バイキング。
7時から~ということだったが、7時10分ごろ食堂へ入ってみて、びっくり。
どこにこんな客がいたのかと思うほど、多くの人たちが、すでに朝食をとっていた。
60~80席あるテーブルは、ほぼ満席。
私たちは窓際の丸いテーブルに座った。

「都会の人たちは、こんなに朝早くから、仕事をしているんだね」と、
ワイフに話しかける。
「みな、東京へ行くのかもね」とワイフ。
千葉から東京まで、電車で1時間半ほどだそうだ。

 40代後半の女性客が、けっこう多い。
20人前後はいた。
ビジネス客でもないだろうに……と思いながら、今朝はサラダを中心に
軽くすませた。

 昼は、三男夫婦といっしょに食事をすることになっている。

●ビジネス

 商社マン時代は短かったが、こうした朝の風景は、当時と、ほとんど
変わらない。
林立するビルの間の、モダンなホテル。
大きな窓からは、コンクリートの道路や塀が見える。

 ザワザワとした会話。
「さあ、これから仕事!」という意気込み。
それが私にも伝わってくる。
それぞれがそれぞれの思いをもって、今日、1日を始める。

 窓の外を見ると、スーツを半分着ながら、ホテルから出て行く男が見えた。
年齢は、私くらい。
つづいてぞろぞろと、男たちが出て行く。
その間を仕事場へ向かう、男女が、右へ、左へと歩いている。

●ビジネス

 この風景を垣間(かいま)見ただけでも、人間の数よりも多くの、工夫や発明が
容赦なく飛び込んでくる。
人間の英知の結集というほど大げさなものではないかもしれない。
しかしガラス窓の下には、人口大理石の窓枠。
その窓枠とガラスの間には、細いステンレスの金具、ゴムのシールド、
それにコーティング。
窓の外からは、黒い樹脂が、隙間を埋めている。

 1枚のガラスを支えるだけでも、これだけの工夫や発明が折り重なって
いる。

 一方でビジネスマンの人たちを見やりながら、改めてその凄さに驚く。
つまり私の知らない世界で、私の知らない、無数の人たちがいて、それぞれ
が、それぞれの仕事をしている。
無数の英知を積み重ねている。
まるで細かい時計仕掛けのよう。
その凄さに驚く。

●散歩

 朝食のあと、ワイフと近くを散歩した。
通りへ出てみると、見慣れない看板、サイン、……どこか疲れた裏通り。
「入浴料、5000円」という看板を見て、そこが歓楽街と知った。
「写真を見るだけなら、無料」という看板もあった。

 乾いた道路を、いかにもそれらしい男が、フラフラと歩いていた。
千葉市は、浜松市よりも、ずっと大きい。
モノレールも走っている。
大通りを行きかう人たちも、いかにも都会の人という感じがする。
そういう人たちが、千葉駅のほうから、ゾロゾロと手前に向かって
歩いてきた。

 私が写真を撮ると、ワイフが、「どうして?」と聞いた。
「……ハハハ、ぼくには珍しい光景だから……」と。

●ビジネス

 私はこういう世界が、嫌いだった。
嫌いだったから、逃げた。
逃げたというより、追い出された。

 以来、こういう世界とは無縁の世界を生きてきた。
あえてこういう世界を避けてきた。
避けてきたというより、背を向けてきた。
その結果が今。

 私はすっかり田舎人になった。
田舎人の目を通して、都会の人たちをながめている。
それがまた私には、珍しい。
楽しい。

●うつ?

 ところでこの10日ほど、原稿をほとんど書いていない。
「とうとうボケたか?」と思うほど、書いていない。
パソコンに向かっても、空回りするだけ。
何を書いても、つまらない。
「こんなことを書いて、何になるのだろう?」という思いばかりが、先に立つ。
あるいは「こんなことは、前に書いたことがある」というところで、手が止まって
しまう。

 ワイフは、「うつ病の症状よ」と言った。
そうかもしれない。

 で、昨日は千葉市まで、このパソコンをもってきた。
今、愛用のミニ・パソコン。
TOSHIBAのUX。

 これから三男の家に向かう。
嫁が気を使うだろうということで、昨夜はホテルに泊まった。
私たちも気を使う。
が、朝方、たくさんの夢を見た。
あまり熟睡できなかったようだ。

……ということで、10月15日は始まった。
2009年10月15日。
さわやかな季節。
がんばろう!
三男夫婦には、ジジ臭い様子だけは、してみせたくない。

●三男の自宅

 三男の家に向かう途中、大型のショッピングセンターに寄った。
そのときのこと。
私とワイフは、買い物をしながら、三男夫婦のうしろをついて歩いた。
おかしな気分だった。
私が息子のうしろをついて歩く……?

 いくらがんばっても、そこにいるのは、私の子ども。
子どもにしか見えない。
自分がその年齢だったころのことを思い出しながら、「こいつはもう子どもではない」
と自分に言い聞かせる。
が、その意識を抜くのは、むずかしい。

 ……たぶん、息子夫婦から見れば、私たちは、ジー様、バー様なのだろう。
若いころ、50歳になった知人が、たいへんな老人に見えた。
そういう自分を知っているからこそ、私は静かに三男に従った。
だまってあとをついて歩いた。
スゴスゴ……、と。

●古家

 三男は、三男の友人から古家を借りて住んでいる。
家賃はx万円という。
破格の家賃である。

 二階建てで、一階部だけで、4部屋もある。
家具がない分だけ、がらんとしている。
部屋の使い方が、オーストラリア人風。
オーストラリア人なら、こういうふうに部屋を使うだろうなというような
使い方をしている。

 三男は、横浜K大を出て、航空大学へ入る前、南オーストラリア州の
フリンダース大学に留学していた。
大きな影響を受けたということは、部屋の使い方だけを見てもわかる。

●再び、父と母

 再び、若いころ、父と母が、私の浜松の家に遊びに来たときのことを
思い出す。
あのときは、6畳と4畳だけの小さなアパートに住んでいた。

 「父は、どんな気持ちで来たのだろう」、
 「母は、どんな気持ちで来たのだろう」と。

 私がワイフと浜松に住むようになったとき、母は、「悔しい」「悔しい」と、
親戚中に電話をかけていたという。
最近になってそれを知ったが、私には、そういう気持ちはない。
さみしさがないと言えばウソになるが、私の人生も、ここまで。
子育てから解放されたことを、まず喜ぶ。
それが私の限界。
その限界を知る親が、賢い親ということか。

●品川駅で

 帰るとき、三男が品川駅まで送ってくれた。
みやげまでもらった。
私たちが車を出ると、私たちの姿が見えなくなるまで、ドアのところに
立って、見送ってくれた。
うれしかった。
少しさみしかった。

 「来週、チェックがある」と、別れ際に言った。
チェックというのは、定期試験のようなもの。
「飛行機は毎回新型になっていくし、空港も、どんどんと変わっていく」と。
厚さが15センチもある大型のファイルブックを、10冊ほど、車のトランク
に積んでいた。
「たいへんだね?」と言うと、「この仕事は、一生、勉強だよ」と言って笑った。

 私のほうが、ずっと子どもに見えた。……思えた。

(補記)

●大都会

 品川駅から千葉市へ、そして品川駅へ、今回は高速道路を利用して、移動した。
途中、東京タワーが見えた。
が、その東京タワーが、周囲のビル群に囲まれて、小さく見えた。
私が中学生のときに感じた、あの(高さ)は、もうなかった。

 東京は、やはり都会だった。
恐ろしく大きな、都会だった。

 車でビル群をながめているだけで、自分がどんどんと小さくなっていくのを感ずる。
この無力感。
同じ人間なのに、同じ日本人なのに、私と都会の間に、厚い壁を感ずる。
ぜったいに越すことができない、厚い壁を感ずる。
ビルの中から私を見おろしている人たちには、私はきっと、川原の石ころの
ように見えるはず。
それがわかるから、自ら身を引く。

 三男に会いに行って、よかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

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