2009年10月19日月曜日

*Oct 19th 2009

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   19日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「実家」離れ

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「親離れ」「子離れ」という言葉がある。
同じように「実家離れ」というのもある。
50歳を過ぎても、60歳を過ぎても、
「実家」「実家」と、何かにつけて、
実家に入り浸りになる。

 背景には、未熟な精神性があるのだが、
マザコンというケースも少なくない。
概して、女性に多い。

(「マザコン」というと、男性だけの問題
と考える人も多いが、女性にも多い。
同性であるだけに、外からは、わかりにくい。)

+++++++++++++++++

●嫁ぎ先?
 
 Mさん(現在55歳、女性)は、結婚してすでに30年以上になる。
夫は公務員で、代々つづいた「家」を守っている。
しかしMさんにとっては、自分の生まれ育った実家が、「家」。
傍から見ていると、そんな感じがする。

 ことあるごとに実家に足を運び、実家を守る弟氏(現在50歳)に、あれこれと指示す
る。
冠婚葬祭は言うに及ばず、実家の母親(実母)の世話の仕方にまで、口を出す。
墓参りにしても、嫁ぎ先の墓参りよりも、実家の墓参りの回数のほうが多い。
ときどき弟氏が、「お前は、H家に嫁いだのだから、H家の人間だ」といくら諭しても、そ
れが理解できない。
理解できないばかりか、他人には、こう言う。

「N夫(=その女性の弟氏)は、私に頼ってばかりいる」「N夫は、自分では何もできない」
「先祖をきちんと供養していない」と。

●実家意識

 「実家」意識の強い人は多い。
ことあるごとに「実家」という言葉をよく使う。
これも「家族自我群」の一種ということになる。
「家族」というしがらみが、無数に「私」にからんでくる。
その呪縛感を「家族自我群」という。

 その家族との関係が良好な間は、家族自我群も、よい方向に作用する。
が、どこかでその歯車が狂う。
そういうケースも多い。
とたん家族自我群は、その人を苦しめる(責め具)として機能する。
「家」に縛られ、「家族」に縛られる。
その呪縛感の中で、もがき苦しんでいる人は多い。

●マザコン

 Mさんのケースは、やや特殊である。
結婚して、H家に嫁いではみたものの、そのH家には同化できなかった。
もともと望んだ結婚ではなかった。
それもあった。
が、それ以上に、Mさんは、マザコンだった。
親を絶対視しながら、同時に親離れできないまま成人になった。
40歳を過ぎても、「母ちゃん」「母ちゃん」と言っては、実家に帰っていた。
50歳を過ぎても、「母ちゃん」「母ちゃん」と言っては、実家に帰っていた。

 が、そういう自分を、「孝行娘」と誤解していた。

●特徴

 このMさんというのは、架空の女性である。
いくつかの例を、ひとつにまとめてみた。
しかしこういう例は、多い。
地方の農村部へ行けば行くほど、似たような話を耳にする。

 特徴としては、つぎのようなものが、あげられる。

(1)嫁いでも、嫁ぎ先と同化できない。
(2)嫁いでも、実家意識が強く、実家への帰趨(きすう)本能が強い。
(3)実家を絶対視する。
(4)ものの考え方が、権威主義的。
(5)家父長意識、上下意識が強く、「先祖」という言葉をよく使う。

 本来なら、結婚し、相手の夫の側に籍を入れたら、少なくとも夫側の「家」と自分の実
家を同等にみる。
あるいは「家」意識そのものを、平等に否定する。
さらに言えば、親が子離れし、子どもが親離れするように、「家」離れをする。
その上で、親子という関係であっても、一対一の人間としての人間関係を築く。

●G・ワシントン

 どうであるにせよ、今どき、「家」意識をもつほうが、おかしい。
江戸時代の昔ならいざ知らず。
今は、そういう時代ではない。
また人間が、「家」に縛られる時代ではない。

 名前(姓)にしても、そうだ。
私の知人の中には、「ルーツさがし」と称して、家系図づくりに熱中している人がいる。
人、それぞれ。
しかしあの福沢諭吉は、アメリカで、こんなことに驚いている。

 福沢諭吉が、G・ワシントンの子孫についてたずねたときのこと。
まわりにいた人たちが、みな、「知らない」と答えた。
当時の日本では考えられなかった。
今の日本でも、考えられない。
「G・ワシントンの子孫がどうなっているか、わからないだと!」と、まあ、福沢諭吉は、
そんなふうに驚いたにちがいない。
つまり日本の常識は、けっして世界の常識ではない。

 ちなみに私の祖父は、百姓の出。
一度、祖父は私を、祖父の生家へ連れていってくれたことがある。
土壁むきだしの、窓もないような粗末な家だった。
私が小学6年生か、中学1年生のときのことである。

 だからこれは私のひがみかもしれない。
家系を誇る人に出会うたびに、内心では、「ごくろうさま」と思う。

 今、「私」がここにいる。
ここに生きている。
それでじゅうぶん。


Hiroshi Hayashi++++++++++Sep 09++++++++++++++はやし浩司

●自己認知力

+++++++++++++++++

自分を、自分で、評価する能力があるかないか。
その能力のことを、「自己認知力」という。
ピーター・サロベイの説く「社会適応性」、つまり
EQ論(人格の完成度論)でも、重要なキーワードの
ひとつになっている。

自分で自分を評価する能力の高い人を、自己認知力の
高い人という。
そうでない人を、低い人という。

が、一般的には、自分のもつよい能力を、正当に評価する
能力のことを、「自己認知力」という。
あるいは「私の能力はすぐれている」と信ずる能力のことを、
「自己認知力」という。

この自己認知力には、2種類ある。

(1)能力があり、それを評価する能力がある。
「自分にはどのような能力があるか」を知る能力をいう。
(2)能力がないのに、それを評価する能力がない。
「自分には、どのような能力がないか」を知る能力をいう。

ふつう「自己認知力」というときは、前者をいう。
が、後者のケースも少なくない。
最近、私は、こんな話を聞いた。

+++++++++++++++++

●ある葬儀で

 義兄がある葬儀に参列した。
そこでのこと。
亡くなったのは、87歳の女性。
喪主は、その女性の長男、60歳。
ところが、である。
その長男の嫁(58歳)の様子が、異様だったという。
義兄は、こう話してくれた。

「だんなは昔から、静かな人だった。
そのこともあって、嫁が、ひとりではしゃいでいた」と。

私「はしゃいでいた?」
義「そう、はしゃいでいた。キャッキャッと笑ったり、大声で世間話をしていた。ハイに
なっていた。みな、眉をひそめていたよ」と。

●「私が主人公」

 何かにつけ、自己中心性の強い人は、自分が目立たないと気がすまない。
俗にいう「目立ちたがり屋」というのが、それ。
義兄が言うには、その女性(嫁)が、そうだったという。

 火葬場で火葬を待っているときも、三日目、初七日の法事のときも、「まるでクラブのホ
ステスのように、みなのところを回り、世間話を繰り返していた」と。

「ふつうなら、親(義母)の葬式だから、嫁というのは、しおらしくしているもの。
しかしその女性(嫁)は、まるでパーティでの主人公のように振舞っていました。
で、驚いたのは、火葬が終わって、一度祭事会館へ戻ったときのことです。
最後の焼香というところで、みなの前で、オロオロと泣き崩れてしまったのです。
あれには、みな、あっけに取られました。
というのも、亡くなった女性(姑)とその女性(嫁)とは、昔からうまくいっていなかっ
たことを、みな、知っていたからです」と。

●現実検証能力

 「自分が今、どういう状況に置かれているか」「自分が今、みなに、どう思われているか」。
それを「現実検証能力」ともいう。
しかし「自己認知力」と「現実検証能力」の境目が、よくわからないケースも少なくない。
その女性(嫁)を例にあげて、考えてみよう。

 その女性(嫁)の言動は、たしかに「ふつうではなかった」(義兄談)。
しかしその女性(嫁)は、自分が他人にどう思われているか、それが判断できなかった。
つまり自分を客観的に評価する能力に、欠けていた。
最後の焼香のところで、オロオロと泣き崩れてしまったときも、(横にいた夫が、体を支え
たが)、みなはあっけに取られ、言葉を失った。

 が、そこは葬儀の場所。
現実を正確に知る能力があれば、態度ももっと別のものになっていたはず。

●まるで自分のことがわかっていない

 「あの女性(嫁)はね、一族の中でも、変わり者ということになっていますよ」と、義
兄は話してくれた。
「ところが、自分では、よくできた嫁と思い込んでいるのですね。みなに好かれ、尊敬さ
れていると思い込んでいるのですね」とも。

 そういう人は、少なくない。
まるで自分のことがわかっていない。
自己中心性が肥大化した人を、自己愛者という。
その自己愛者の症状とも似ている。
完ぺき主義で、他人の批判を許さない。
まちがいを指摘されると、それだけでパニック状態になってしまう。
ギャーギャーと泣きわめく。
あるいは激怒する。

 他人に心を許さない。
許さない分だけ、心の中はいつも緊張状態。
ささいなことでカッとなりやすい。

●自己認知力

 こういうケースも、「自己認知力」という能力で判断する。
自分にその能力がないのに、それを客観的に評価できない。
あとは思い込みと過信、独断と偏見だけで、ふつうではない行動を繰り返す。

 この話をワイフにすると、ワイフはすかさず、こう言った。
「そういう人って、意外と多いわよ」と。

私「ぼくだって、そうかもしれない」
ワ「そうね、あなたにも、そういうところがあるわね」
私「だろ……」
ワ「ほら、学者とか、研究者と言われる人の中にも多いということよ」
私「そうだね。その分野のことはよく知っているけど、その外の世界を知らない。教師の
世界も、似たようなものだよ」と。

●では、どうするか

 「自分は他人から、どう見られているか」。
それをいつも自分に問いかける。
(だからといって、他人に迎合しろということではない。誤解のないように!)
私も最近、こんな経験をときどきする。
「私のことを好意的に思ってくれているはず」と信じている人に、裏切られるようなケー
スである。
それに気づいて、「ああ、ぼくって、そんなふうに思われていたのだ」と、驚いたりする。
最近でも、生徒(中学生)に、こう言われたことがある。
「先生(=私のこと)って、キレやすい」と。

 また反対に、意外な人に、高く評価されているということもある。
つまり自分が他人にどう見られているかを、的確に判断するのは、それくらい難しいこと
でもある。

●自己中心性

 自己認知力は、このように一方で、その人の自己中心性と深く結びついている。
が、ある程度、自己認知力を高めるためには、ある程度、自己中心的でなければならない。
「私はすばらしい」という思い込みが、その人の自己認知力を高める。
その人を伸ばすということもある。

 が、同じ自己認知力でも、「まるで自分のことがわかっていない」という自己認知力は、
いただけない。
自分に能力がないのに、それに気づいていない。
プライドばかり強くて、箸にも棒にもかからない。
さらに愚かなことをしながら、それを愚かなこととさえ気がつかない。
そういう人のことを、俗世間では、「バカ」という。
(「バカなことをする人を、バカという。頭じゃないのよ」(フォレスト・ガンプ)。)
 
【補記】

●加齢とともに……

 私の印象では、加齢とともに、自己中心性が強くなっていく人と、反対に『老いては』
に従え』式に、自己中心性が弱くなっていく人がいるように感ずる。
そしてそれは、脳の働きとも、密接に関連している(?)。

 たとえば認知症か何かになると、極端に自己中心性が強くなる人がいる。
人格そのものが、崩れるというか、変化する人も珍しくない。
心の余裕がなくなり、思慮深さが消える。
ささいなことでピリピリと反応し、ときに激怒したり、泣き叫んだりする。

 要するに、これは習慣の問題ということになる。
能力ではなく、習慣。
日ごろから、考えるクセがあるかないかということ。
考えるクセが身についていれば、あえて「自己認知力」などという言葉は使わなくても、
自分のことを正当に評価できるようになる。
そうでなければ、そうでない。
その(ちがい)は、老齢期になると、さらにはっきりとしてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 自己認知力 自己評価力 人格の完成度 サロベ
イ EQ論)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●自己認知力

●子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っ
ていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示
すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア~い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚
園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。しか
し幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもながら
に、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、幼稚
園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さん
が、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。
そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザ
を食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなった。
心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SELFとか
いう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使うが、どこ
か暴力的で、私は好きではないが……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリとし
ている。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がき
かなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、
がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方法
で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)を大
切にする。

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 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●離脱と活動

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先日、ある会場で、退職者を対象にした講演会があった。
その中で、講師(75歳くらい)が、こう言った。
「老後になったら、生活をコンパクトにすることが大切です」と。

「コンパクト」とは、つまり、「身辺の整理をし、住む世界を小さくしろ」ということ。
一理あるが、私は、ふと考えた。
「どうしてコンパクトにしなければならないのか」と。

つまりその講師の説いたのは、「離脱理論」のひとつということになる。
たしかにそういう部分はないわけではない。
行動範囲も狭くなる。
思考力も低下する。
運動能力も衰える。
それに合わせた環境づくりは、欠かせない。

+++++++++++++++++++++

●「老齢」と「老化」

 私たちはみな、例外なく、歳をとる。
それを「老齢」という。
英語では、「エイジング(Aging)」という。
しかし「老齢」イコール、「老化」ではない。
歳をとったからといって、ジジ臭くなることはない。
ババ臭くなることはない。

 そこで登場するのが、離脱理論と活動理論。

 老齢期に入ったら、社会から離脱していく。
そのための理論が、「離脱理論」(カミング・ヘンリー)(「心理学用語」渋谷昌三)。

 一方、老齢期に入っても、それまでと同じように、あるいはさらに活動的に生きていく。
そのための理論が、「活動理論」(フリードマン・ハヴィガースト)(「心理学用語」渋谷昌
三)。

 日本でいう、「退職後は、庭いじりと孫の世話」というのは、まさに離脱理論ということ
になる。

●サクセスフル・エイジング

 しかし老齢期に入ったら、どうしてそれまでの生き方を変えなければならないのか。
渋谷昌三氏の「心理学用語」の中に、こんな参考になる表現がある(同書・かんき出版)。

(1)サクセスフル・エイジング(Successful Aging)(成功した老齢期)
(2)プロダクティブ・エイジング(Productive Aging)(生産的な老齢期)

 自分なりに、この2つを解釈してみたい。

 老齢期は、それまでの人生の積み重ねの結果としてやってくる。
その(結果)をみれば、成功・失敗が、わかる。
(どういう状態を成功といい、どういう状態を失敗というかは、それぞれに、いろいろな
考え方がある。)
恐らくサクセスフル・エイジングというのは、それなりにのんびりと、優雅に暮らすこと
ができる老後をいうのだろう。
「老化の過程にうまく適応して、幸福な老後を送ること」(同書)とある。

 それに対して、「老齢期こそ、もっと活動的に生きよう」というのが、プロダクティブ・
エイジングということになる。

●プロダクティブ・エイジング

 プロダゥティブ・エイジングといえば、すぐさま頭に思い浮かぶのが、「統合性の確立」。
これについては、たびたび書いてきた。
で、今回は、それはさておき、もっと日常的なレベルで、プロダクティブ・エイジングを
考えてみたい。
つまりどうすれば、私たちは老齢期を、さらに生き生きと生きることができるか、と。

「高齢者が社会の中で、いかに生産的に生きるか」(同書)と。

 少し前、日本のおバカ首相が、こう言った。
「高齢者は、働くしか才能がない」と。
恐らく、「高齢者は、働くしか能(のう)がない」と言うべきところを、「才能」と言った
のだろう。
あの人の国語力は、小学生程度(?)。
「才能」でも「能」でもよいが、これほど私たちの年代の者を怒らせた言葉はない。

私たち自身が、「働くしか能がないので……」と言うのは、構わない。
もっと言えば、「国民年金など、アテにならないから、死ぬまで働くしかない」。
しかしそれを他人、なかんずく首相に言われると、腹が立つ。

 が、怒ってばかりいてはいけない。
私たちは、プロダクティブに生きてこそ、老齢期を乗り越えることができる。

●では、どうすればよいのか

 重要なのは、「社会」と、接点を保つこと。
仕事をするのがいちばんよいが、ボランティア活動、近隣づきあい、地域活動などなど。
その中から、(自分ができること)(自分がすべきこと)を見つけながら、それを昇華させ
ていく。

 私のばあいは、仕事第一に考えている。
「社会」というより、「子どもたち」との接点を失ったら、私は私でなくなる。
それが自分でもよくわかっている。

 そのためにどうするか。
それが現在の思考、行動の原点になっている。
つまりその上で、原稿を書き、人生を考える。
こうしてパソコンに文章を叩き出すのも、そのひとつ。
書くのが楽しいというよりは、頭の中にあるモヤモヤを吐き出す。
吐き出したときの爽快感には、格別なものがある。

 それにもうひとつ目標がある。
こうして書くことによって、脳みその健康を維持する。
同時に、「精進(しょうじん)」。

 もともと私の素性はよくない。
自分でも、それがよくわかっている。
だからそういう自分に、言い聞かせるために書く。
「これをしろ」「これをしてはいけない」と。
一日でも油断すると、私の人間性は、即、後退に向かう。

 こうした方法が、みなに効果的とは思わないが、しかしそれぞれがそれぞれの環境の中
で、プロダクティブ・エイジングを目指す。
そうすれば、若い人たちの私たちを見る目も変わってくるだろう。
同時に、社会に、大きく貢献できる。

 けっして老齢イコール、老化と考えて、自分自身までコンパクトにしてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 離脱理論 プロダクティブ エイジング 豊かな老後 老後論 はや
し浩司 活動理論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ルーム・ウォーカー使用感想

++++++++++++++++++++

昨日は、夜遅く、近くの温泉へ行ってきた。
帰りに、回転寿司を食べた。
ワイフと2人で、8皿。

で、そのあと家に帰ってから、ルーム・ウォーカー
に乗る。
心拍数、消費カロリーなどが表示される、すぐれモノ。
もともと散歩が好きだから、楽しい。

++++++++++++++++++++

●老後の必需品

 ルーム・ウォーカーは、老後の必需品。
そう断言してよい。
老齢期になると、みな、膝や足を傷める。
それがそのまま持病となって、やがて歩けなくなる。
70歳で歩けなる人もいるし、80歳で歩けなくなる人もいる。
人それぞれだが、できるだけ末長く、健康でいたい。
そう願って、とうとう私も、ルーム・ウォーカーを購入した。

 で、今朝も、すでに20分。
距離にして、1・5キロ前後を、歩いてみた。
(正確には、ルーム・ウォーカーを回してみた。)
軽い、さわやかな汗をかいた。
消費カロリーは、130キロカロリー前後か。
缶ジュース、2本分というところ。
これを使えば、危険な道路を歩くこともない。
雨の日でも、ウォーキングができる。
が、それだけではない。

 私はルーム・ウォーカーを、テレビの前に設置した。
本も読めるようにした。
つまりテレビを見たり、本を読みながら、ウォーキングができる。
ハハハ、これが実に楽しい。
(いつまでつづくか、わからないが……。)

 マッサージ機は、ルーム・ウォーカーのすぐ前に置いた。
疲れた足は、マッサージ機で、ほぐせばよい。
私も、いよいよジー様ぽくなってきた!


●映画『サブウェイ123』

+++++++++++++++++

おととい、仕事が終わってから、深夜劇場に
足を運んだ。
観た映画は、『サブウェイ123激突』。
矛盾だらけの、テロ映画。
星は、2つの、★★。
デンゼル・ワシントンと、ジョン・トラボルタ。
2人の名優の共演作ということで、かなり期待
していたが、がっかり。
観客も、私たちを入れて、たったの4人。

「ウルヴァリンにすればよかった」と、劇場を
出るとき、ワイフが、何度もそう言った。

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●映画『サブウェイ123激突』

 簡単に言えば、列車をハイジャックし、乗客を人質に、NY市から身代金を取るという
映画。
が、矛盾だらけ。

 犯人たちは顔にマスクもつけていなかった。
今ではDNA捜査法というのもある。
あれだけ証拠をベタベタと残してしまったら、仮にそれがうまくいったとしても、即、逮
捕。
それに今では、地下鉄でも携帯電話は使えるはず。
パソコンのテレビ電話はそのまま使えるのに、どうして、みな、携帯電話を使わなかった
のだろう。

 また私が監督だったら、地下鉄中の電源を落とし、真っ暗闇にしたあと、暗視スコープ
付きの銃で、犯人たちを射殺する。
映画のような回りくどいやり方は、しない。

 「激突」というのは、要するに、地下鉄司令部勤務のデンゼル・ワシントンと、ハジジャッ
カーのジョン・トラボルタとの激突という意味(?)。
2人のやりとりが、映画の柱になっている。
しかしそれが、イマイチおもしろくない。

 ネズミに足をかまれて、思わず発砲してしまう、SWAT。
現金を輸送するため、カーチェイス映画さながらに、車を走らせるパトカーなどなど。
最後は、あっけなく犯人たちが射殺されて、おしまい。

 何とか時間を作って、今週中に、『ウルヴァリン』を見よう。
今は、そう考えている。
(090916)

Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●ニューロンとシナプス

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「脳のからくり」(茂木健一郎・新潮文庫)によれば、
脳の中には、1000億個のニューロン(神経細胞)があるという。
その1個ずつのニューロンから、細長いひものような神経突起が、
約1万本も伸びているという。
そしてその神経突起どうしが、「手をつないでいる部分」(同書)を、
シナプスという。
1000億個のニューロンが、1万本ずつの神経突起を伸ばしているから、
そのためシナプスの数は、なんと1000兆個にもなるという。

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(ニューロン)……(神経突起)……(シナプス)。

 わかりやすくチャート化すると、こうなる。
それにしても、1000兆個というのは、すごい!
こうしたニューロンが私たちの知覚、行動、思考をコントロールしている。

 で、興味深いことは、こうしたニューロンは、パソコンのメモリーと同じように、(プラ
ス)(マイナス)の単純なスイッチでできているということ。
そういう点では、脳の構造とパソコンの構造は、たいへんよく似ている。
そこで計算してみよう。

 メモリーの基本的単位になっているのが、GB(ギガバイト)。
現在(2009)、2~4GBのSDメモリーや、USBメモリーが、1000円前後で売
られている。

 1GBは、約11億バイト(10億7374万1824バイト。
1GBは、1024メガバイト。
つまり10の9乗。)

 数字が複雑なので、ここでは1GBを10億バイトとして計算してみる。
すると、人間の脳の中にあるシナプスの1000兆個を、10億個で割ってみると、人間
の脳は、100万GBということになる。
(1000万÷10で計算すればよい。)
 
 100万GBというと、今では1テラバイト(=1000GB・10の12乗バイト)
のハードディスクさえ売りに出ているから、その1テラバイトのハードディスクで計算し
てみると、こうなる。

 100万GB÷1000GB=1000!

 つまり1テラバイトのハードディスクを、1000個つなげると、人間の脳の中にある
シナプスと同じ数になる!
この1000個を、多いとみるか少ないとみるか?
意見の分かれるところだが、私は、「いよいよここまで来たか!」と驚く。

 1テラバイトのハードディスク(価格は、現在8000円前後)を、1000個つなげ
ると、人間の脳と同じになる!
1000個というと、たいへんな数だが、しかし不可能な数ではない。
あと5年もすれば、10テラバイト、さらに10年もすれば、100テラバイトの記憶媒
体が生まれるだろう。
そうなれば、小さな記憶媒体の中に、人間の脳をそのままコピーすることも可能になる。

 もっとも人間の脳のばあい、すべてのニューロンが活動しているわけではない。
実際、活動しているのは、3分の1程度とも言われている。
さらに今、意識している部分についていえば、数10万分の1とも言われている。
だから、仮に100テラバイトの記憶媒体が生まれれば、それでじゅうぶんということに
なる。

 もっとも神経突起は、言うなれば蜘蛛の巣状に脳の中で入り組んでいる。
それをひとつずつ取り出して、記憶媒体にコピーするというのには、別の問題もある。
しかしコンピュータに、人間の脳と同じ働きをさせることは、それで可能になる。
おもしろいというより、恐ろしい(?)。

 『脳のからくり』を読みながら、本文とは別に、そんなことを考えた。
(090918)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 シナプス ニューロン 1GB 1TB)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●Pay Forward(ペイ・フォワード)

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ハーレイ・J・オスメント(少年)主役の映画に、『ペイ・フォワード(Pay it Forward)』
(2000年作品)というのがあった。

1人の人が、それぞれ3人の人に、善意の行為を手渡していけば、世界が変わる、と。
1人の少年がそのアイディアを思いつく。
そして彼は、それを実行する。

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●ペイ・フォワード運動

「システムとしては、非常に単純明解なものです。つまり、人は他人から厚意を受けた
場合、その相手にお返しをしようとしますね。そうすると、その厚意は当事者間のみで
完結して終わってしまいます。しかし、この“厚意”を受けた相手に返すのではなくて、次
の人に別な形で『渡して』みたら、どうなるでしょう? それを、1人の人が別の新た
な3人に『渡して』いったとしたら・・・」(「ペイ・フォワード運動」HPの解説より、
転載」。)


●すばらしいこと

 ハーレイ・J・オスメントといえば、同時期、『シクス・センス』という映画でも主演を
演じている。
もの静かで、それでいて理知的な演技が、見事だった。
映画『シクス・センス』から受けた衝撃は大きかった。
見終わったあと、頭の中で、バチバチと火花が飛んだ。
常識がひっくり返った、
そののち、この映画の(流れ)は、『マトリックス』、さらに最近の『ミラーズ』へと、つ
づく。

 それはさておき、今日、私の周辺で、こんなすばらしいことがあった。

●山荘で

 今日は土曜日。
午後からワイフと山荘へ向かった。
伸びすぎた梨の木を切り倒すためである。
このところ山荘周辺に、猿が出没する。
その猿が、いたずらをする。
雨どいを破壊したり、テレビアンテナを折ったりする。

 そこで餌になるような実をつける木を切ることにした。
先日は、栗の木を切った。
で、今日は梨の木

●草刈り

 驚いたことに、行ってみると、山荘周辺の雑草が、きれいに刈り取られていた。
明らかにプロの手さばき!
しかも刈り取った雑草まで、始末してあった。

 私はだれが刈ってくれたか、すぐわかった。
親しくしている、Kさんである。
が、それだけではなかった。

●プロの手さばき

 大通りをはずれたところから、山荘までつづく道は、500~600メートルある。
細い一本道である。
しかし私たち以外は、ほとんどだれも使わない。

 で、2週間ほど前のこと。
私は運動もかねて、この道の400~500メートル分の道路わきの草を刈った。

 草刈りは嫌いではない。
ストレス解消にもなる。
背丈の伸びた夏草を、草刈り機でバリバリ、ウィーン、バリバリと刈っていくのは、たい
へん気持よい。
爽快感すら、覚える。
それでそうした。

 が、今日、その道を通ってみると、両側の草が、きれいに刈り取られていた。
こちらも見るからに、明らかにプロの手さばき!

●刈り残し

 草刈りにも、じょうず、へたがある。
じょうずな人が草を刈ると、地面の小石だけを残したような草の刈り方をする。
全体に地面をなめるように、均一的な刈り方をする。
見た目にも美しい。
が、へたな人が草を刈ると、まるでぼさぼさのトラ刈りのようになる。
刈り残しが、いたるところで草の柱のようになる。

 私は草刈りは嫌いではないが、いくら努力しても、うまく刈れない。
が、山荘のまわりの草が、きれいに刈り取られていた!

●みなが、草刈りをしてくれた!

 先ほど「それだけではない」と書いたが、それだけではなかった。
500~600メートルの道の両側の草も、きれいに刈り取られていた。
こうした農道は、いろいろな地権者が入り組んでいる。
Kさんの土地もあれば、Uさんや、Hさんの土地もある。
その中を、農道が通っている。

 で、私はひまがあると、ときどき、その農道脇の草を刈っている。
私たち自身のためでもある。
放っておくと、両側から夏草が、道路をおおう。
車が通るのがやっとというほど、道が狭くなる。

●トラ刈り

 けっして手を抜いているわけではない。
しかし私が草を刈ると、先にも書いたように、トラ刈りのようになる。
だから草を刈りながら、いつも、「Kさんたちが見たら、笑うだろうな」と思っていた。
まあ、笑われてもしかたないような刈り方しか、私にはできない。

 が、私の行為が、農家の人たちに、別の形で伝わった。
もちろん私には、「みなのためにしている」とか、「してやっている」とかいう意識は、み
じんもない。
あくまでも私のため。
が、それを農家の人たちは、よいほうに解釈してくれた。

 まずKさんが、自分の土地の中の草を刈った。
それを見て、Uさんや、Hさんたちが、草を刈った。
ついでにKさんは、私の山荘のまわりの草も刈ってくれた。

 私はそれを知って、うれしくなった。
久しぶりに、胸の中がポーッと暖かくなった。

●ワイフと・・・

私「みんなが、山荘のまわりの草を刈ってくれたんだよ」
ワ「Kさんたちね」
私「そうだね」
ワ「それにしても、きれいね」
私「うん・・・」
ワ「お礼の電話でもしたら・・・?」
私「・・・しないよ。また近く、道路の草を刈って、返すよ」と。

 家のまわりを見やりながら、私は、映画『ペイ・フォワード』を思い出していた。
1人の人の善意が、いつの間にか、他人の心を動かし、その輪がどんどんと広がっていく。
そして気がついてみたら、その輪が、いつの間にか、自分のところに戻ってくる。
戻ってきて、自分の心を暖かく包んでくれる。

 私はきれいに刈り取られた山荘の周辺を見ながら、そう思った。

さわやかな、さわやかな、どこまでもさわやかな秋のはじめの乾いた風が、下の森から
やさしく吹いていた。
うれしかったプラス、たのしかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW Pay it forward ペイ・フォワード 夏の草刈り はやし浩司)


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