2009年10月19日月曜日

*Essays on Oct 19th

【雑感・あれこれ】
(あまり深く考えないで、思いついたまま……)

●TOSHIBAのミニ・ノート

 今日、ネットで、TOSHIBAのミニ・ノートの価格を調べたら、3万円前後にまで下落していた。
10月6日に、私は、3万5000円前後で購入したから、2週間足らずの間に、5000円も下落したことになる。
WINDOW7の発売を前に、各社がパソコンの叩き売りを始めたよう。
パソコンは、今が買い時?

 自分のパソコンを叩きながら、「お前の価値は、3万円だよ」と話しかける。


●「♪オラは死んじまったぞ」

 私が学生のとき、「♪オラは死んじまったぞ……」という歌があった。
大ヒットした。
どこかのスナックで、はじめてそれを耳にしたときの衝撃を、今でも忘れない。
その歌を歌っていたメンバーの1人の、KTという人が、自殺したという。

 享年62歳。
あと10日前後で、私も満62歳になる。
だからこういうニュースを耳にするたびに、ドキッとする。
気が重くなる。
理由はわからないが、「音楽に行き詰った」というような遺書が見つかったという。

 62歳といえば、まだこれからではないか。
何があったかは知らないが、……この先が書けない。
(5分ほど、時間が過ぎた。
目の前では、ワイフが、ウォーキングマシンの上で、黙々と運動をしている。)

 人の死だけは、軽く論じてはいけない。
静かに冥福を祈る。


●年賀状

 2010年の正月から、年賀状を再開する。
この数年、年賀状を出すのをひかえてきた。
枚数も、一時の10分の1以下にしてきた。
しかし2010年から再開。

 「これからは、一生、つきあう人だけに出そう」と。
ワイフも、快く、賛成してくれた。
で、古い、宛名書きソフトを取り出して、ノートブックにインストールしてみた。
ソフトは、「筆まめ・15」。
OSはビスタだったが、難なくインストールできた。
新しく70人前後の住所と名前を、登録。
そのあたりで疲れてしまい、今日の作業はここまで。

(追記)これを書いたあと、近くのパソコンショップで、「筆まめ・20」
というのを購入してきた。
以前は毎年のように購入していたが、「15」から「20」へ。
5年間もブランクがあったことになる。
さっそくインストールしてみた。
が、機能的には、ほとんど差がなかった。


●K国の政治犯収容所

 K国には、何か所か政治犯収容所というのがあって、現在、15万人前後の人たちが収容されているという。
1日10時間労働。
死ぬまで働かされるという。
まあ、何もかもメチャメチャな国だから、今更驚くこともないが、そういう国が、すぐ隣にあるということ自体、信じられない。

 いつか今の時代が、K国の人たち自身によって総括されるときがやってくるだろう。
そのときたとえば収容所の責任者たちは、どのように処罰されるのだろう。
あるいは自らを、どう恥じるのだろう。
あるいは、どこかへ逃げてしまうのだろうか。
文化のない国、人間性に欠ける国は、恐ろしい。
本当に恐ろしい。


●国の予算、90数兆円!

 民主党政権になってからはじめての、国家予算の概略が発表された。
その額、90数兆円。
日本の国家税収が、40数兆円だから、その倍以上の額ということになる。
(昨日のニュースによれば、40兆円に足らなくなるかもしれないとあった。)
わかりやすく言えば、月収40数万円の人が、90数万円の生活をしていることになる。
差額の50数万円は、借金。
しかも、だ。
驚いていけないのは、公務員の給料(人件費)だけで、38兆円。
国家税収の95%を、自分たちで使っている!

 ふつうなら生活の質を落として、借金の額を減らす。
公務員の人件費を減らす。
それができないところに、日本経済の硬直性がある。

 しかし日本の経済は、安定している(?)。
ここが日本経済の不思議なところ。
韓国の新聞は、15年近くも前から、「今に日本は、破綻する」と書いている。
が、いまだに破綻していない。

 理由の第一は、日本という国は、外国からは、お金を借りていない。
言うなれば、一家のおやじが、息子や娘たちからお金を借りている。
だからのんき。

 理由の第二は、日本という国は、いわゆる国有財産というのをもっている。
その額が、100兆円はあると言われている。
だからのんき。

 日本経済はあぶない、あぶないと言われつづけて、もう15年。
しかし日本の(円)には、まだまだ力がある。
その(力)だけで、何とか、生き延びている。

 アメリカのドルにしても、そうだ。
本来なら、紙くず同然になってもおかしくない。
しかしそのドルをほしがる国がある以上、アメリカ政府は、印刷機を回せばよい。
が、それにも限度がある。
ドルを大量にかかえこんでしまった、日本や中国は、アメリカがこけたら最後、大損をすることになる。

 数日前、中国が、アメリカにドルを安定させるように注文をつけた。
当然のことである。
一方、この日本は、アメリカの機嫌を損ねたらたいへんと、手持ちのドルを売ることもできない。
ほかの通貨や金(きん)に交換することもできない。

 これは時限爆弾のようなもの。
(それとも腐れ縁?)
しかしこんな状態がいつまでも、もつはずがない。
明日かもしれない。
来年かもしれない。
またドカーンと爆発する。
そのとき日本は、本当に破産する。


●ワイフの妹さん

 美しい人といえば、私のワイフの妹さんは、美しかった。
残念ながら、私のワイフより、ずっとずっと美しかった。
その妹さんに、おととい、会ってきた。

 若いときから活動的で、何ごとにも積極的。
行動派で、バイクに乗ったり、少林寺拳法をたしなんだりしている。
その妹さんも、もうすぐ60歳になる。
今でも美しい人だが、「この人も60歳なんだなあ」と思ったとたん、生きることの切なさを、しんみりと感じた。

 みんな順送りに歳を取り、若い人たちががんばる分だけ、私たちはそのワクの外に追い出されていく。
今は、それを少しずつ、受け入れていく。
受け入れながら、生きていく。


●同窓会名簿

 数日前、高校の同窓会名簿が送られてきた。
G県でも、かつては3本の指に入る名門校だったが、今は、見る影もない。
G県でも名だたる、ボトム(最下位)校になってしまった。
同窓会に出ても、そんな話ばかり……。

 その同窓会名簿を見ながら、名簿の各年度末ごとに書いてある、「物故者」という言葉が気になった。
「すでに亡くなった人」という意味はわかるが、私ははじめてこの言葉に出会った。

 その中に1人、旧制YM君という名前があった。
高校を卒業すると同時に、警視庁の機動隊に入隊したというところまでは知っている。
当時、かなり話題になった。
背が高く、スポーツマンだった。
私の家から、歩いて1分足らずのところに住んでいた。

 同窓会名簿を見ながら、どういうわけか、そのYM君がとくに気になった。

 しかし「物故者」というのは、どういう意味なのだろう?
どうして亡くなった人のことを、「物故者」と言うのだろう?

(補記)
「物故(ぶっこ)」というのは、「人が死ぬこと」(三省堂国語辞典)とある。
だから「物故者」というのは、やはり「亡くなった人」ということになる。
だったら、素直に、「亡くなった人」でもよいのでは?
「亡くなられた方」なら、もっとよい。
「物」というと、「モノ」を連想してしまう。

 次回発行の同窓会名簿には、「物故者……林 浩司」と、名前が載るかもしれない。
 

●「白」

 私はデジモノは、「白」が好き。
パソコンにしても、デジカメにしても、白が好き。
できるだけ白を選ぶ。
選ぶが、買うときになると、おかしなことに、その直前に、ほかの色にしてしまう。
どうしてだろう?
そしてしばらく使ったあと、「白にすればよかった」と後悔する。

 ビデオカメラは、赤色。
最近買ったミニ・パソコンは、茶色。
デジタルカメラは、黒色。
ひとつだけ例外なのは、ノートパソコン。
純白の「白」。
そのパソコンだけは、たいへん気に入っている。

 これは私のどういう心理によるものなのか。
好きな色に、あえて背を向けてしまう。
私の心は、どこかゆがんでいる。


●夢

 私たち夫婦は、結婚以来、ずっと一枚の布団の中で眠っている。
昨晩のように寒い夜は、ワイフの温もりがありがたい。
が、それだけではない。
体を離して眠っていると、私は、恐ろしい夢を見る。
子どもの世界には、母子分離不安症という言葉があるが、私のは、さしずめ、「夫婦分離不安症」ということか。

 恐ろしい夢といっても、お化けが出るとか、そういうのではない。
どこかの見知らぬ場所で、迷子になってあわてふためく。
まちがった電車に乗って、どこかへんなところへ行ってしまう。
「そんな夢のどこがこわいのか?」と聞かれそうだが、私には、こわい。
そういうときはあわてて、ワイフにしがみついていく。

 62歳の男が、夢がこわくて、ワイフにしがみついていく?
まあ、そういう私だから、分離不安症の子どもを見かけたりすると、私は母親にこう言うことにしている。
「いいから、抱いてあげなさいよ」と。


●薬ジュース

 たとえば頭痛薬をのむ。
漢方薬をのむ。
そういうとき私は、それらの薬をお湯に溶かして、小さなペットボトルに入れる。
それを少しずつ、チビリチビリとのむ。
言うなれば、点滴方式。

 本当は血中の濃度を一気に上げて、薬の効果を高めたほうがよいのかもしれない。
しかしその方法だと、肝臓に負担がかかる(?)。
だからこうした薬は、チビリチビリとのむ。

 こののみ方が正しいのかどうかは知らない。
しかし私のばあい、この方法で、今のところ、うまくいっている。
薬の効き方もおだやか。
胃もやられない。
ふつう甘いジュース類を混ぜてのむことが多いので、私は、勝手に「薬ジュース」と呼んでいる。

 とくに2~3種類の薬を混ぜてのむときは、この方法を使っている。


●モザイカルチャ博

 近くのフラワーパーク(浜松市運営)で、モザイカルチャ博というのを、やっている。
一応、「国際博覧会」。
しかし盛り上がりは、イマイチ。
ふつうなら、子どもたちのほうから話題が出てきそうなのだが、そういう話題が聞こえてこない。
私たち夫婦も、まだ行っていない。

 モザイカルチャというのは、平たく言えば、木や草花を使った造形美術のこと。
私は、それがどういうものであれ、そういうものには、あまり興味はない。
木にせよ、草花にせよ、自然なままの姿のほうが、好き。
それを無理にひん曲げたような作品(?)には、どこか痛々しさを覚えてしまう。

 今日も、昨日も、野暮用で、フラワーパークの前を車で通ったが、「見てみたい」という思いは起きてこなかった。
本来なら、デジタルカメラに収めて、私が発行している電子マガジンを飾りたいのだが、そういう意欲がわいてこない。

 草花を使って作った、うなぎのモザイを見たからといって、それがどうだと言うのか。
そんなものを見て、感動する人などいるのだろうか?
私には、どうも理解できない。

 どうであるにせよ、一度は行ってやる。
浜松市民のこれは、義務のようなもの。

(ということで、明日、見に行くことにした。)

(注)「モザイ」というのは、「モザイク」のこと?
旺文社の国語辞典によれば、「モザイク」……「さまざまに彩色した大理石,ガラスなどの小片を組み合わせて床や壁にはめ込み,装飾したもの」とある。

(補記)
10月18日、そのモザイカルチャ博に行ってきた。
途中まで車で行って、そこからシャトルバスで会場まで。
日曜日ということもあって、混雑していた。

浜松市民の努めを果たした。
が、評価は、星2つの、★★。

何が悪いかといって、食べ物屋。
値段ばかりが高くて、ま・ず・い。
東南アジア系、南アジア系の店が、ベニア板で建てたような即席の店で、それぞれの国の軽食を売っていた。

車の駐車料金が、1000円。
入場料が、1800円。
その上、ギョーザの揚げ物風のもの(スリランカ)が、3個で500円。
紙皿のカレーライスが、800円前後。
ソフトクリームが、300円。
公営(=税金)で運営しているのだから……という期待は、ここ浜松市では通用しない。
役人たちが、目いっぱい、儲けている!

会場のフラワーパークへは、1年に1~2度は足を運んでいる。
しかし「やるべきことはやります」「言われたことしかしません」「それ以上のことはしません」と。
いつ行っても、無難第一主義ばかりが目立つ。

一度でたくさん。
一度でこりごり。
何が国際博覧会だ!


●脳みその底の穴

 脳みその底には、穴があいている。
たしかにあいている。
その穴が、加齢とともに、どんどんと大きくなっていく。
たとえるなら、バケツの底の穴。
水がこぼれるように、知識や知恵が、そこから外へ、どんどんとこぼれ出ていく。

 たった1週間前に覚えたことですら、忘れてしまうということも、よくある。
もっとも最近の脳科学の研究によれば、脳みそには、そういう作用もあるということがわかってきた。
いわば、脳の掃除のようなもの。
脳が勝手に、脳みその掃除をする。
それがあるからこそ、脳みそは、いつも軽快に動く。

 が、先週、私はこんな経験をした。
脳みそがスランプ状態になってしまい、書きたいことはたくさんあるのに、それを文としてまとめることができない。
あせればあせるほど、脳みそが勝手に空回りをしてしまう。
そうなってしまった。

 「いよいよボケの始まりか?」と、かなり心配したが、昨日あたりから、また調子が戻ってきた。
ほっとした。

 つっこみはまだ甘いが、しかしキーボードを叩く指の動きは悪くない。
この状態をしばらくつづけていると、またものを書けるようになる。
思考能力が高くなり、つっこんだ文章が書けるようになる。

 今は、その慣らし運転といったところ。
読んでくれる人には申し訳ないが、今は、そういうときと思って、どうかがまんして読んでほしい。
あと数日もすれば、さらに調子が戻ってくるはず。

 で、今回、調子が悪くなったのには、理由がある。
ちょうど1週間前に、「怒りのメカニズム」というテーマで原稿を書き始めた。
何度も何度も、迷った。
書き直した。
それがよくなかった。
書いているうちに、自分でも何を書いているか、よくわからなくなってしまった。
それでまた最初から書き直し。

 要するに、思考がループ状態になってしまった。
こうなると、思考は停止したのと同然。
それで調子が狂ってしまった。

 で、いくら脳みその中をさがしても、頭の中は、カラッポ。
新聞を読んでも、本を読んでも、読んだ先から、内容を忘れてしまう。
まるで脳みその底に穴があいたような状態になってしまう。

 しかしこれだけは言える。

 文章というのは、毎日、書くこと。
その努力を怠ったとたん、文章というのは、書けなくなる。
書けるかもしれないが、自分の考えていることを、的確に表現できなくなる。
まとめられなくなる。

 今夜は早く寝て、明日から、またがんばろう!
そうそう、明日は、モザイカルチャ博に行くことになっている。
写真は、電子マガジンのほうに掲載する。
お楽しみに!
(10月17日の夜に)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

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