2009年10月26日月曜日

*How to cope with Children when you feel an anger

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   26日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを叱る】

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総論

(1)親子(母子)の密着度が強すぎる。
(2)子どもを、1人の人格者として認めていない。
(3)1人の人間(親であれ)、別の人間を叱るということは、
たいへんなことだという、自覚が乏しい。
(叱る側に、哲学、倫理、道徳観がなければならない。)

各論
(1)威圧、恐怖感を与えない。
(2)言うだけ言って、あとは時間を待つ
(3)自分で考えさせる。

+++++++++++++++++++++

●叱る

++++++++++++++++++++

子どもであれ、相手を「叱る」ということは、
たいへんなこと。
叱る側に、それなりの道徳、倫理、哲学が
なければならない。
しかもその道徳、倫理、哲学は、相手をはるかに
超えたものでなければならない。

自分の価値観を押し付けるため、あるいは自分の
思い通りに、相手を動かすために、相手を叱るというのは、
そもそも(叱る)範疇(はんちゅう)に入らない。
いわんや自分が感ずる不安や心配を解消するために、
相手を叱ってはいけない。

そういうのは、自分勝手という。
わがままという。

+++++++++++++++++++++++

●私のばあい

 簡単に言えば、私は忘れ物をしてきた生徒を、叱ったことがない。
ときどきはあるが、それでもめったにない。
理由は、簡単。
私自身がいつも忘れ物をするからである。

 同じようなことだが、こんなことがある。
よく子どもに向かって、「サイフを拾ったら、おうちの人か、交番に届けましょう」と
教える。
しかし私はそのたびに、どうも居心地が悪い。

 私は団塊の世代、第一号。
戦後のあのドサクサの中で生まれ育った。
家庭教育の「か」の字もないような時代だったといえる。
そういう時代だったから、たとえば道路にお金やサイフが落ちていたとしたら、
それは見つけた者のものだった。
走り寄っていって、「もら~い」と声をかければ、それで自分のものになった。

 そういう習慣が今でも、心のどこかに残っている。
一度身についた(悪)を、自分から消すのは容易なことではない。

 だから居心地が悪い。
実際、今でも、サイフを道路で拾ったりすると、かなり迷う。
迷いながら、近くの店か、交番に届ける。
この(迷い)は、60歳を過ぎた今も、消えない。
そんな私がどうして、子どもたちに向かって、堂々と、「拾ったサイフは、
交番へ届けましょう」と言うことができるだろうか。

●親の身勝手

 ほとんどの親は、ほとんどのばあい、自分の身勝手で、子どもを叱る。
たとえば自分では、信号無視、携帯電話をかけながら運転、駐車場でないところへ
駐車しておきながら、子どもに向かって、「ルールを守りなさい」は、ない。

 自分では一冊も本を読んだことさえないのに、子どもに向かって、「勉強しなさい」は、
ない。

 ……となると、「しつけとは何か」と疑問に思う人も多いかと思う。
しかし(しつけ)は、叱って身につけさせるものではない。
(しつけ)は、子どもに親がその見本を見せるもの。
見せるだけでは足りない。
子どもの心や体の中に、しみこませておくもの。
その結果として、子どもは、(しつけられる)。

 親がぐうたらと、寝そべり、センベイを食べながら、「机に向かって、
姿勢を正しくして勉強しなさい」は、ない。

●子どもの人格

 私が子どものころでさえ、女性と子どもは、社会の外に置かれた。
「女・子ども」という言い方が、今でも、耳に残っている。
つまり「女や子どもは、相手にするな」と。

 戦後、女性の地位は確立したが、(それでも不十分だが……)、子どもだけは、
そのまま残された。
今でも、子どもは、(家族のモノ)、あるいは、(親のモノ)と考えている人は
少なくない。
子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」という言葉をよく使う人は、
たいていこのタイプの親と考えてよい。
だから叱るときも、モノ扱い(?)。

 子どもの人格を認める前に、頭ごなしにガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
人が見ている前で、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
子どもの意見を聞くこともなく、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
『ほめるのは公に、叱るのは密やかに』と言ったのは、シルスだが、子どもの
人格を平気で無視しながら、無視しているという意識さえない。

●日本人の民族性

 一般論として、日本人は、子どもを叱るのが、へた。
その原因の第一として、日本人がもつ民族性があげられる。

 先にも書いたように、この日本では、伝統的に、子どもは、家のモノ、
あるいは親のモノと考える。
つまりその分だけ、親子、とくに母子関係において、親子の密着度が強い。

たとえば私が教師という立場で、子どもを叱ったとする。
私は子どもを叱ったのだが、親は、自分が叱られたように感じてしまう。
さらには、自分の子育てそのものが、否定されたかのように感じてしまう。
この一体性が強いため、自分の子どもでありながら、自分の子どもを
客観的にながめて、子どもを叱ることができない。

●欧米では……

 一方、欧米では、もちろんイスラム教国でも、伝統的に子どもは神の子
として考える。
それが長い歴史の中で熟成され、独特の子ども観をつくりあげている。

つまりあくまでも比較論だが、欧米では、親と子どもの間に、まだ距離感がある。
そのひとつの例というわけではないが、私が子どものころには、たとえば家族の
中に障害をもった子どもが生まれたとすると、親は、それを「家の恥」と
考えた。
そういう障害をもった子どもを、世間から隠そうとした。

 今では、そんな愚かな親はいないが、しかしまったくそういう考え方が
なくなったというわけではない。
今も、日本は、その延長線上にある。

 つまりこうした日本人独特の民族性が、子どもの叱り方の中にも現れる。
それが、ぎこちなさとなって現れる。
子どもだけを見て、子どものために、子どもの人格を認めてしかるのではない。
ときとして、自分のために叱っているのか、子どものために叱っているのか、わからなく
なる。
わかりやすく言えば、自信をもって、子どものために、子どもを叱ることができない。

●子どもを叱れない親

 実際、子どもが、小学校の高学年くらいになると、子どもを叱れない親が
続出する。
「子どもがこわい」という親がいる。
「子どもに嫌われたくない」という親もいる。
親が、子どもに依存性をもつと、さらに叱れなくなる。

 こうなってくると、子どもの問題というよりは、親の問題ということになる。
親自身の精神的な未熟さが原因ということになる。
子どもというのは、ある一定の年齢に達すると、(小学3、4年生前後)、親離れ
を始める。
その親離れを、うまく助けるのも、親の務めということになる。
が、このタイプの親は、それができない。
そればかりか、自分自身も、子離れできない。
そんな状態で、では、どうして親は、子どもを叱ることができるのかということに
なる。

●モンスターママ

 数日前、インターネット・サーフィンをしていたら、こんな記事が目についた。

 何でも自分の息子(中学生)が、万引きをして、店の責任者から、警察に通報された
ときのこと。
母親がその責任者に向かって、こう言ったという。
「いきなり警察に通報しなくてもいいではないか。まず子どもを諭すのが先だろ」と。
つまりその母親は、自分の子どもが万引きしたことよりも、店側が警察にそれを
通報したことを、怒った。

 何かがおかしい。
どこかが狂っている。
だから日本人は、子どもの叱り方がへたということになる。

●では、どうするか

(1)自分の子どもといえども、1人の人間、もしくは、「友」として叱ること。
(2)叱る側が、それなりの哲学や倫理感、道徳を確立すること。
(3)親のエゴイズムに基づいて、子どもを叱らないこと。

 ……こう書くと、「それでは子どもを叱れない」と思う親もいるかもしれない。
そう、(叱る)ということは、それほどまでに、むずかしいことである。
その自覚こそが、子どもを叱るとき、何よりも重要ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもの叱り方 子供の叱り方 子供を叱る 子どもを叱る 叱り方
 ほめ方 はやし浩司 叱り方の原則)

(補記)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」
と考える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省して
いるから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効
果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

(1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴
らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳
から遠い」と考える。聞いた説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が
幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おとなの体を低くすること(威圧感を与え
ないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子どもに伝えるため)。子ど
もの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。

にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、
「お尻」と決めておく。実際、約50%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えてい
る。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おお
やけ)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめ
ること。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは
繰り返しほめる。

特に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、
ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこ
うばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学
生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重
にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらに
はがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえ
って子どもからやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」
式の、脅しもタブー。結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あ
なたはよくがんばった」式の前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。

【コツ】

★子どもに恐怖心を与えないこと。
そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

+++++++++++++++++

子どもを叱るときは、

(1)目線を子どもの高さにおく。
(2)子どもの体を、両手で固定する。
(3)子どもから視線をはずさない。
(4)繰り返し、言うべきことを言う。

また、
(1)子どもが興奮したら、中止する。
(2)子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
(3)体罰は、最小限に。できればやめる。
(4)子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
(5)人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
(6)あとは、時間を待つ。
(7)しばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●酒乱

++++++++++++++++++++

私の父がそうだったが、酒が入ると、人が変わった。
ふだんは静かなおとなしい人だった。
が、今から思うと、それがよくなかった。
つまりその分だけ、心の中に別室を作ってしまった。

心理学の世界には、「抑圧」という言葉がある。
防衛機制のひとつにもなっている。
つまり人は何か、不愉快なことが慢性的につづくと、
心の中に別室を作り、その中に、それを押し込んでしまう。
そうして心の平和を保とうとする。
「心の別室」という言葉は、私が考えた言葉だが、
「抑圧」という現象を説明するのには、たいへん便利な
言葉である。

こうして人は、自分の心が崩壊したり、傷ついたりするのを防ぐ。
だから「防衛機制」という。

++++++++++++++++++++

●心の別室

 できるなら、心の別室は作らない方がよい。
そのつど、自分を、素直に外へ吐き出すのがよい。
いやだったら、はっきりと「いや」と言うなど。
が、それができないと、心の中に別室を作り、その中に、不愉快なことや、不平、不満を
押し込んでしまう。

 そのため、見た目には、心は落ち着く。
しかしそれで問題が解決するわけではない。
折に触れて、「お前は、あのとき!」と、心の別室にあったものが、外に向かって爆発する。
この爆発がこわい。

●上書きのない世界

 抑圧され、心の別室に入った、不平や不満は、いわば心の世界から隔離された状態にな
る。
だからワープロの世界でいうような、(上書き)という現象が起きない。
その間に、いくら楽しい思い出があったとしても、一度爆発すると、そのまま過去へと戻
ってしまう。

 それこそ10年前、20年前にあったできごとを、つい先頃のことのように思い出して、
爆発する。
子どもの世界でも、よく見られる現象である。

 たとえば高校3年生の男子が、母親に向かってこう叫ぶ。

「お前は、あのとき、オレに、こう言って、みなの前で恥をかかせた!」と。

 母親が恥をかかせたのが、10年前であっても、またそれ以後、いくら楽しい思い出が
あったとしても、心の別室に入った思い出は、影響を受けない。
そのまま(時)を超えて、外に出てくる。

●時間のない世界

 そういう点では、心の別室では、時間は止まったままになる。
止まったまま、時間が、そこで固定される。
だからふつうなら、とっくの昔に忘れてしまってよいようなことを蒸し返して、爆発させ
る。
「お前は、あのとき!」と。

 私の父がそうだった。
酒が入ると別人のようになり、暴れ、大声で叫んだ。
そして10年前、20年前の話を思い出して、母を責めた。
こんなことがあった。

●父の心

 母がはじめて父と、母の実家へ行ったときのこと。
道の向こうから、母の友人が数人、並んでやってきた。
そのとき母は、何を考え、何を感じたかは知らないが、父に向かってこう言ったという。

 「ちょっと隠れていて!」と。
母は父を、橋のたもとにある竹やぶに、父を押し倒した。
父は言われるまま、(多分、訳も分からず)、竹やぶの中に身を潜めた。

 が、それが父には、よほど、くやしかったのだろう。
それ以後、5年とか、10年を経て、父は酒を飲むたびに、それを怒った。

「お前は、あのとき、オレを竹やぶに突き倒した!」と。

 母は母で、気位の高い人だったから、やせて細い父を、恥ずかしく思ったのかもしれな
い。
母は、よく「かっぷく」という言葉を使った。
太り気味で、腹の出た人を、「かっぷくのいい人」と言った。
母は、また、そういう人を好んだ。

●うつ病

 酒乱とうつ(鬱)は、たがいに深くからみあっている。
そのことは、うつ病の人が、緊張状態を爆発させる状態を見ると、よくわかる。
そのときも、(もちろん酒は入っていなくても)、心の別室にたまった、不平や不満が、同
じような形で爆発する。

 うつ病も初期の段階では、心の緊張感が取れず、ささいなことにこだわり、悶々と悩ん
だりする。
そこへ不安や心配が入り込んでくると、心の状態は、一気に不安定になり、爆発する。
「爆発」というより、錯乱状態になる。

 大声で叫び、ものを投げつける。
ものを壊す。

 私の父も、ひどいときには、食卓に並んだ食事類を、食卓ごとすべて土間に投げ捨てて
しまった。
ガラスを割ったり、障子やふすまを破ったりするようなことは、毎度のことだった。

 そういう父を、当時は理解できず、私はうらんだが、父は父で、大きな心の傷をもって
いた。
父は、戦時中、出征先の台湾で、アメリカ軍と遭遇し、貫通銃創を受けている。
今にして思えば、その傷が、父をして、そうさせたのだと理解できる。

●子どもへの影響

 家庭騒動は、親の酒乱にかぎらず、子どもの心に大きな傷をつける。
恐怖、不安、心配……。
そんなどんな傷であるかは、私自身が、いちばんよく知っている。
子ども自身の心が、二重構造になる。

 いじけやすく、ひがみやすくなる。
何かいやなことがあると、やはり心の別室に入り、その中に閉じこもってしまう。
そして自分では望まない方向に自分を追いやってしまう。
ときとして、それが自虐行為につながることもある。
わざと罪のない人に、つらく当たったり、身近な人に冷たくしたりする。

 わかりやすく言えば、子どもの心から、すなおさが消える。
心の動きと、行動、表情が、不一致を起こすようになる。

 私のばあいも、子ども時代の私をよく知る人は、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。

 しかしそれはウソ。
そう見せかけていただけ。
私は、そういう形で、いつも自分をごまかして生きていた。

●アルコール中毒

 そんなわけで、アルコール中毒と酒乱は分けて考える。
アルコール中毒イコール、酒乱というわけではない。
酒を飲んで、かえって明るく朗らかになる人は、いくらでもいる。

 しかしその中の一部の人が、(これはあくまでも私の推測だが)、うつ、もしくはうつ病
と結びついて、酒乱になる。
だから治療となると、この2つは分けて考えたほうがよい。
さらに、私の父のケースのように、その背景に、何らかのトラウマが潜んでいることもあ
る。
異常な恐怖体験が原因で、酒に溺れるようになることだってある。

●みんな十字架を背負っている

 先にも書いたが、私は、そういう父を、ある時期恨んだ。
父が死んだときも、涙は、一滴も出なかった。
しかし私自身が、40代、50代になると、父に対する考え方が変わった。
父が感じたであろう孤独、さみしさがよく理解できるようになった。
と、同時に、父に対する恨みも消えた。

 そんな私の心情を書いたのが、つぎの原稿。
54歳、つまり8年前に書いた原稿である。

++++++++++++++++

●心のキズ

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。しかし酒を飲むと、人が変わった。
今でいう、アルコール依存症だったのか? 3~4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れ
た。大声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。あるいは用意してあった食事
をすべて、ひっくり返したこともある。

私と六歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、
こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのよ
うに、一度つくと、消えることはない。そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響
を与える。が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そ
のキズに振り回されることである。

たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。今でも精神状態が不安定になると、夜
がこわくて、ひとりで寝られない。あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならな
い。帰ると決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。しかしそうい
う自分の理由が、長い間わからなかった。

もう少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしま
った。
が、50歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。見えてくると同時に、「な
ぜ、自分がそうなのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」
と、そんなことを心配していた。また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果
たしていな
かった。家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。だから私
はいつも、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で寝た。
それに私は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。母に、
「勉強しなければ、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。つまりそういう
「過去」が、今の私をつくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を
受ける。が、キズなどというのは、消えない。消えるものではない。恐らく死ぬまで残る。
ただこういうことは言える。心のキズは、なおそうと思わないこと。忘れること。それに
触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。つくればつくるほど、かさぶたをめ
くるようにして、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。
しかし父は、先にも書いたように、3~4日ごとに酒を飲んで暴れた。だから54歳にな
った今でも、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。「姉ちゃ
ん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。
54歳になった今でも、だ。心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えて
はいけない。

++++++++++++++++++++++

●父のうしろ姿(中日新聞に書いたコラムより)

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私
の父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒
屋で酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、
つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるとき
も、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んで
フラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。の
んきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティ
を開くという。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台
所を片づけた。

片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかし
くないか」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解
できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことを
したくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今
度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子
のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母です
ら、どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが
奇異な感じがした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるこ
ろになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。

商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「J
ストアよりも安いものもあります」と、どこか的はずれな広告を、店先のガラス戸に張り
つけていた。「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告
を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つ
まり私の叔父だった※。叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなか
ったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れて
いった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だ
からうしろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついて
みたら、うしろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知
っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめ
て、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。
そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だ
ろう。いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、
ありがとう」と。そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

(注※)この部分について、その実弟の長男、つまり私の従兄から、「事実と違う」という
電話をもらった。「その店に自転車を並べたのは、父ではなく、私だ」と。しかし私はその
叔父が好きだったし、ここにこう書いたからといって、叔父や従兄弟をどうこう思ってい
るのではない。別のところでも書いたが、そういう宿命は、商売をする人にはいつもつい
て回る。だれがよい人で、だれが悪い人と書いているのではない。ただしその従兄に関し
ては、以後、印象は、180度変わった。以後、断絶した。誤解のないように。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●憎むvs恨む

 人を恨んだり、憎んだりするのも、たいへん。
ものすごいエネルギーを消耗する。
だったら、恨んだり、憎んだりするのは、やめたらよい。
反対に、その人のために、祈ってやる。
「どうか、心を平安に」と。

 というのも、恨まれたり、憎まれるような人は、そういう人。
放っておいても、自ら墓穴を掘っていく。
定められた運命に沿って、自らの道を選んでいく。
私やあなたが、どうこうしたところで、その運命は、変えられない。
あとのことは、その人自身の運命に任せればよい。

●相手にしない

 こういう私の意見に対して、ワイフはこう言う。
「憎むも、恨むもないわよ。何も考えなければいいのよ」と。

 つまりあれこれと気を回すから、こちらも疲れる。
まったく忘れてしまえば、それでよい、と。

ワ「話しあったところで、何も解決しないでしょ」
私「そうだね」
ワ「どうせわかる相手でないし……」
私「そう。そういう限界は、このところよく感ずる」
ワ「そうよ」と。

●人生のドラマ

 人生にはいろいろなことがある。
その(いろいろなこと)が、無数のドラマを作り、それが人生を楽しくする。
みながみな、聖人でも、この世の中は、つまらない。
(悪人でも、困るが……。)

 あっちで衝突し、こっちで衝突し、そうした(衝突)の中から、ドラマが生まれる。
もっとも当事者は、とことん神経をすり減らすが……。
それに人とのトラブルは、できるだけ避けたい。
平凡は、それ自体が、美徳。

 だから……。
あなたの身の回りに、恨んだり、憎んだりしなければならないような人がいたら、
無視すればよい。
ただひたすら、無視。
あとはワイフが言うように、忘れる。
忘れて、自分の心の平安を大切にする。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●相続問題

++++++++++++++++++++++

相続問題が、これほどまでに厄介なものとは、
思わなかった。
人間の欲得には、際限がない。
その際限のなさが、相続問題を、こじらせる。

++++++++++++++++++++++

●額には関係なし

 数億円の相続財産があるというのなら、まだわかる。
争うだけの価値は、ある(?)。
しかし実際には、わずか数百万円の財産を取りあって、兄弟姉妹が、骨肉の争いを
繰り返す。
そんな例は、いくらでもある。
金銭問題がこじれると、とかく人間関係はこじれやすい。
そこへ相続問題がからむと、さらにこじれる。
たいてい泥沼化し、やがて悪臭を放つようになる。

●1円ももらえなかった

 A子さん(現在60歳)の父親が亡くなって、もう20年になる。
A子さんは、現在、85歳の母親と、2人暮らしをしている。
そのA子さんが、こんな話をしてくれた。

 「歳をとればとるほど、人はお金に執着するようになる」と。

 85歳になった母親が、毎日、お金の話ばかりしているという。
やや認知症ぽいところはあるが、その年齢の女性にしては、平均的とのこと。

●20年も前の話

 A子さんの母親は、今でもことあるごとに、こう言うという。
「私は、(亡くなった夫の)実家から、遺産分けをしてもらっていない」と。

 亡くなった……といっても、先にも書いたように、それからもう20年になる。
その夫には、2人の兄弟がいた。
(亡くなった夫も含めて、3人。
うち2人は、すでに他界。現在は、末の三男が郷里の実家に住んでいる。)
亡くなった夫は、その中の二男だった。
たいした財産ではなかった。
G県の山奥の、もとはと言えば、小作農。
しかも夫が生きている間は、夫婦喧嘩ばかりしていた。

 そんな妻であっても、亡き夫の相続財産に執着し、「私たちは、遺産相続を
してもらえなかった」「1円ももらっていない」と。

●兄弟関係

 こだわる人は、こだわる。
こだわらない人は、こだわらない。
それが相続問題である。

 「親の財産など、最初からアテにしないこと」とは言うが、その年齢が
近づいてくると、何かと気になる。
日ごろから、兄弟姉妹関係が良好なら、まだ救われる。
が、関係がおかしくなると、とたん、相続問題が浮上する。
「判を押す」「押さない」がこじれて、裁判沙汰になるケースも少なくない。

●便利な『ダカラ論』

 義兄はこう話してくれた。
「ぼくにも、2人の妹がいるが、あいつら、ときとばあいに応じて、ダカラ論を
うまく使い分ける」と。

 お金を払う話になると、「私らは女だから」「家を出た身分だから」と言う。
つまり「払わない」「払う必要はない」と。
しかしこと遺産相続の話になると、「私らも、子どもだから」と。
「子どもだから、分け前にもらう権利がある」と。
つまり自分の都合に応じて、『ダカラ論』を、うまく使い分ける、と。

 相続問題がからんでくると、その『ダカラ論』が、がぜん、多くなる。

●遺言

 こうした問題が起きないようにするには、親自身が、自分の死後をしっかりと
見つめながら死ぬしかない。
親の威光(?)がまだそれなりの力がある間は、こうした問題は、地下にもぐっている、
しかし親の威光が鈍り始めたとたん、表に顔を出す。

 冒頭に書いたように、「額」の問題ではない。
(もちろん相続財産が巨額であれば、問題は起きやすいが……。)
そこで「遺言」ということになる。
しかしこれは公正証書として、文書化しておく必要がある。
というのも、私の母もそうだったが、そのつど世話になる人に向かって、
「あの家はお前にやる」「この家はあなたにあげる」などと言ったりする。
それを聞いた人は、その言葉を真に受けてしまう。
それが騒動の原因になる。

●協議分割

 財産分与の仕方には、いろいろある。
一般的には、兄弟に、遺産相続放棄をしてもらうという方法がある。
が、最近、よく使われるのが、「協議分割」という方法。

 これは当事者どうしがあらかじめよく話しあい、それぞれの取り分を
数値で示しておくという方法。
もし長男がすべてを相続するというのであれば、分割割合のところに、「全財産」と
明記しておけばよい。
あとは相手方の、印鑑証明と実印の捺印、それに住民票があればよい。

●伏兵

 が、この段階で、別の問題が起きることがある。
親が死ぬころというのは、息子も、娘も、その年齢になる。
平均的な家族で考えれば、60~70歳。

 そのころになると、認知症の心配も出てくる人もいる。
そのときはよく納得して判を押したとしても、数か月、あるいは数年も
すると、「私は知らない」「判を押した覚えはない」と言って、騒ぎ出す。

 そういうケースも、たいへん多い。

たいていは、その子孫がそれに同調する。
「書類が偽造された」「おやじは、叔父に財産を横取りされた」と言って、騒ぎ出す。

●無知

 しかし民法の世界では、とくに不動産関係の世界では、「書類」がすべて。
書類に始まって、書類に終わる。
その書類に不備がなければ、よほどのことがないかぎり、(事実)がひっくり返る
ということは、ない。

 不動産は、つぎつぎと転売されていくことが多い。
分割されることも多い。
その途中で、「契約無効」ということになると、それ以後の社会生活に深刻な
影響を及ぼす。

 ここでいう「よほどのこと」というのは、公文書偽造のような犯罪性のある行為をいう。
(が、それでも一度動いた権利関係を、もとに戻すのはむずかしい。)

 で、ある女性(64歳)は、法務局の窓口で、「私はこんな書類に判を押した覚えはない」
「署名した覚えはない」と言って、泣き叫んだという。

 しかし印鑑は、その女性の実印。
署名したのは、その女性自身。
直筆。
結局、その女性は、一度は、相続放棄はしたものの、あとになって、惜しくなったらしい。
それで腹を立てて、異議を申し立てた
が、こんな道理は、この世界は、通用しない。
そのあと弁護士に相談したというが、もちろん、門前払い。

●孫が相続権を争う?

 司法書士をしている友人のM氏は、こう話してくれた。

「今では、遺産相続権者である当の本人というよりは、さらにその下の
息子や娘が、騒ぐケースがふえている」と。

 たとえば実の親が死ねば、その息子や娘が、相続権者ということになる。
で、そういう相続権者が、相続を争うのは、まだ話がわかる。
が、実際には、さらにその息子や娘、つまり相続権のない息子や娘(=死んだ
実の親の孫たち)が、遺産相続をめぐって争うケースがふえているという。

M「つまりね、孫たちが、親にも取り分があるといって、親をたきつけて、
騒動を大きくするんだね」
私「……なるほど。孫の代になると、人間関係も希薄になっているから、その分だけ、
騒ぎやすいというわけか」
M「そうなんだよな。もらえるべきものは、もらうべきという、おかしな平等意識
ばかり、強くてね」と。

●教訓

 繰り返すが、こと遺産相続に関しては、書類に始まって、書類に終わる。
その書類を、しっかりと整えておくこと。
さらに土地の権利関係においては、書類がすべてを物語る。
これは鎌倉時代の、地頭の時代からの常識。

 ずっとあとになって、「そんなつもりはなかった」と言っても、
それこそ、「あとの祭り」。
実印を捺印するときはもちろん、署名するときも、それなりの覚悟と
確認をしっかりとすること。

 遺産相続問題がからんでいるときは、なおさらである。

●付記

 こうして兄弟姉妹が、バラバラになっていくケースは、たいへん多い。
ざっと私の周辺をながめてみても、すんなりとこうした問題が片づいていくケースは、
10に、1、2もない。
言い換えると、兄弟姉妹に幻想はもたないこと。
甘えはもたないこと。
その(甘え)が、騒動を大きくする。

 だからくしくも昔の人はこう言った。
『兄弟は、他人の始まり』と。
まさに核心をついた言葉である。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●認知症

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認知症は、こわい!

昨日、こんな話をワイフから聞いた。
何でもその女性の義母(68歳くらい)が、
毎晩のように、こう叫ぶという。

「ワシ(=私)のサイフを、嫁(=その女性)が盗んだ!」
「嫁が、夕飯を食わせてくれない!」
「嫁が、土地を勝手に処分してしまった!」と。

68歳と言えば、まだ若い。
ワイフは、「若年性アルツハイマー病らしいわね」と言ったが、
その可能性は、高い。
そういう話は、よく耳にする。

で、その母親には、3人の娘がいる。
その3人の娘が、義母の話を真に受けて、その女性に対して、
よくない印象をもち始めているという。
つまり、疑いの目で、その女性を見始めているという。

「私がきちんと説明しても、横目で、『そうかしら?』と、
いかにも疑っていますという顔で、私を見つめるのね」と。

で、その女性が夫(=母親の実子、長男)に、「お母さん、おかしいから、
病院へ連れていってみたら?」と声をかけるのだが、この夫が、また
たいへんなマザコン。

そのつど、「母は、何ともない」「お前がしっかりしろ」と、
反対に怒鳴り返されてしまうという。

で、こうなると、打つ手なし。
3人の娘たちは娘たちで、「自分の相続の取り分が少なくなる」と、もう、今から
そんな心配をしているという。


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