2009年10月8日木曜日

*My Boyhood Days (Revised)





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●毎日数万個!(脳の謎)

++++++++++++++++++

毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!

……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?

サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。

で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。

++++++++++++++++++

●再生しない神経細胞(ニューロン)

 脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。

 「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)

 つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。

●が、もしふえたら……

 が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。

もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。

 そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。

再生するばあいも、同じ問題が起きる。

●電話回線

 たとえば電話回線で考えてみよう。

 現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。

 が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。

 そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。

●神経細胞がふえたら……

 新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。

 新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。

 だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。

 毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?

そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?

(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。

●死滅する神経細胞

 常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。

 恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。

(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)

 この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。

今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【走馬灯】(ぼくの少年時代)(My Boyhood Days)

●ゴム靴

 ぼくの少年時代は、あのゴム靴で始まる。
黒いゴム靴で、歩くとキュッキュッという音がした。
子どもながらに安物ということが、よくわかった。
しばらく歩いていると、足の皮がこすれて、むけた。

 ぼくが小学2年生か、3年生ころのことではなかったか。
やがてその靴ははかなくなったが、どういうわけか、「少年時代」という言葉を聞くと、あ
のゴム靴を思い出す。

当時は、靴下をはいている子どもは、ほとんどいなかった。
それでよけいに、はきにくかったのではなかったか。

●蛍光灯

 そのゴム靴をはいて、近くの先生の家に遊びに行った。
当時としてはハイカラな家で、引き戸を開けて中へ入ると、そこにソファが置いてあった。
白い布製のカバーが、かかっていたように思う。

 で、そのときは蛍光灯を見に行った。
「熱くない電気がある」と言うから、みなで、それを確かめに行った。
当時は、「電気」つまり、「電灯」というと、裸電球が当たり前で、そのときぼくは、はじ
めて蛍光灯というのを見た。

 その蛍光灯は、家の一番奥にあった。
記憶はそこでやや途絶えるが、ぼくは触っても熱くない電気に驚いた。
それに明るく、色も白かった。

 そのときゴム靴をはいていったから、ゴム靴をはいたのは、小学2年生のときというこ
とになる。
その先生というのが、ぼくが小学1年生と2年生のときの担任の先生だった。
名前を高井先生と言った。

●遊び場

 あのころの町の様子は、よく覚えている。
目を閉じただけで、あのころの街並みが、走馬灯のように見えてくる。
 
ぼくたちの遊び場は、近くにある円通寺という寺だった。
当時のぼくには、広い境内に見えた。
その境内を出ると、角にお好み焼き屋があった。
靴屋もあった。
その横が菓子屋で、つづいて床屋・・・。

 ぼくの家は、1ブロック離れた角にあった。
見る角度のよって、立派に見えたり、反対にみすぼらしく見える、不思議な家だった。
しかし寺の境内から帰る道から見るぼくの家は、それなりに立派に見えた。

●女たらし

 当時のぼくたちは、女の子とは遊ばなかった。
女の子と遊ぶヤツは、「女たらし」と呼ばれて、仲間に軽蔑された。
ぼくも軽蔑した。
だから、女の子と遊ぶときは、内緒で遊ぶか、ずっと年上の女の子と、ということになる。

 その年上の女の子というか、女の人に、「けいちゃん」という人がいた。
当時、高校生くらいではなかったか。
けいちゃんは、いつもぼくを自転車に乗せて、あちこちへ連れていってくれた。
ぼくの家のはす向かいにあった、薬屋の女の子だった。
今でもアルバムの中には、けいちゃんの写真は、何枚か、残っている。

●喧嘩

 ぼくは、外では、明るく朗らかな子というイメージで通っていた。
よくしゃべり、よくはしゃぎ、よく笑った。
そうそう喧嘩もよくした。
気が小さく、弱いくせに、そのときになると、肝っ玉がすわる。
今でもそうだが、何か気になることがあると、即、解決しないと気がすまない。
それでよく喧嘩をした。

 どんな形であれ、決着は早くつける。
それが今でも処世術として、ぼくの身についている。
だからみな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=ぼく)と喧嘩すると、こわい」と。

 ぼくは一度喧嘩を始めると、とことん、した。
相手を、相手の家の奥まで追いつめて、した。

●さみしがり屋

 それだけぼくの心は荒れていたことになる。
ぼくに対して好意的な人に対しては、明るく、朗らかに・・・。
しかしそうでない人に対しては、容赦しなかった。

 どこか独裁者的な子どもを想像する人もいるかもしれないが、事実は反対。
ぼくは、さみしがり屋だった。
自分でもそれがはっきりとわかるほど、さみしがり屋だった。

 寝るときも、母のふとんの中にもぐりこんだり、祖父のふとんの中にもぐりこんで寝て
いた。
あるいはいつもだれかそばにいないと、不安だった。
だからだれに対しても、シッポを振った。
相手に合わせて、その場で、自分を変えた。

●集団教育

 そういうぼくだから、その分だけ、気疲れをよく起こした。
多分、そのころのぼくを知る人には信じられないかもしれないが、ぼくは集団教育が苦手
だった。
運動会にしても、遠足にしても、集団で同じように行動するということが、苦手だった。
嫌いではなかったが、居心地はいつも悪かった。

 が、先にも書いたように、だからといって、ひとりでいることもできなかった。
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
その基本的信頼関係の構築ができなかった子どもということになる。

わかりやすく言えば、人に対して、心を開くことができなかった。
もっと言えば、人を信ずることができなかった。
いつも相手の心の裏を見た。
やさしい人がいたとしても、それを素直に受け入れる前に、その下心を疑った。

●粗製濫造 

 原因は、「母子関係の不全」ということになる。
しかしこんな言葉は、ずっとあとになってから知ったことで、当時のぼくに、それがわか
るはずもなかった。
またそれが原因で、当時のぼくがそうなったなどとは、知る由もなかった。
ぼくはぼくだったし、母は、母だった。

 あえて言うなら、当時は、そういう時代だった。
戦後の混乱期で、家庭教育の「か」の字もなかった。
あるにはあったのだろうが、今とは比較にならなかった。
たとえば家族旅行にしても、ぼくの家族のばあい、家族旅行などといったものは、ただの
1度しかなかった。
小学6年生のときで、みなで伊勢参りをしたのが、最初で最後。

 粗製濫造というか、ぼくたちは、戦後のあの時代に、濫造された。
ひらたく言えば、ほったらかし。
それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?
ぼくも含めて、当時の子どもは、みな、そうだった。

●父の酒

 つぎに少年時、代というと、「酒」の話になる。
父は、酒癖が悪く、酒を飲むと、人が変わった。
これについては、もう何度も書いた。

 が、おかしなもので、当時のぼくを知る従兄弟たちはこう言う。
「浩君(=ぼく)の家庭は、たいへん幸福そうに見えた」と。

 そう言われるたびに、ぼくは、「フ~ン?」とか、「そうかなあ?」とか、思う。
まわりの人たちには、そう見えたかもしれない。
しかしあの時代をいくら思い起こしても、明るく楽しい思い出は、ほとんど浮かんでこな
い。

 理由は、やはり「酒」ということになる。
父は、数日おきくらいに酒を飲み、家の中で大声を出したり、暴れたりした。
それがぼくが、5、6歳のころから、中学3年生くらいまでつづいた。

●兄弟

 ぼくには、当時、1人の兄と、1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、ぼくが3歳くらいのときに死んだ。
日本脳炎が原因だった。

 母が言うには、暑い夏の日に、父が荷台に兄を乗せ、自転車で数時間もかけて母の在所
へ行ったのが原因ということだった。
ぼくが覚えているのは、その日、つまり葬式の日、土間に無数の下駄や靴が、散乱してい
たということだけ。
兄との思い出は、まったくといってよいほど、ない。
歳が離れていたこともある。

 だから今でも兄弟と言えば、兄と姉ということになる。

●家族

 兄弟との接触も少なかったが、父や母との接触は、もっと少なかった。
こんな話をしても、だれも信じないかもしれないが、生涯において、ぼくはただの一度も
父に抱かれたことがない。
手を握ってもらったこともない。
結核を患ったこともあるが、ほかにも深刻な理由があった。
しかしそれをここに書くことは、できない。

 その代わり、祖父がぼくの父がわりなってくれた。
祭りに行っても、祖父は、最初から最後まで、ずっと、一度もぼくの手を放さなかった。
 
・・・ということで、何からなにまで、おかしな家族だった。
しかしそれがぼくの家族であり、ぼくは、ほかに家族を知らなかった。 
家族というのは、そういうものと思っていた・・・というよりは、(それ)を、ぼくは受け
入れるしかなかった。
それがぼくの家族だった。

●子ども時代

 今でもときどき、不思議に思うことがある。
とくに10歳とか、12歳の子どもを見ると、そう思う。
「ぼくにも、同じような時代があったはずだが・・・」と。

 当時のぼくは、当然のことながら、(子ども)だった。
しかし記憶のどこをさがしても、(子どもとしてのぼく)が、浮かび上がってこない。
子どもらしく、父や母に甘えたという記憶も、ほとんどない。
父や母が、ぼくを子どもとして、扱ってくれたという記憶も、ほとんどない。
あるのは、ぼくをいつも子ども扱いしたこと。
(子ども扱い)というのは、ぼくを人間としてではなく、言うなればペットのようにしか
扱ってくれなかったこと。
あるいはモノ?
道具?

 ぼくの意思や人格など、父や母の前では、腸から出るガスのようなものだった。
父や母が、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれたことは、ほとんどなかった。
家族の談話など、そういうものがあることさえ知らなかった。

だからぼくにとって父や母は、一方的に命令するだけの存在だった。
口答えすれば、・・・というより、当時のぼくの家庭では、子どもが親に口答えするなどと
いうことは、考えられなかった。

 親は、いつも絶対だった。
とくにぼくの父と母は、G県に本拠を置く、M教という、(親絶対教団)の熱心な信者だっ
た。
母ですら、ぼくが何かを口答えをすると、「親に向かって、何てことを言う!」などといっ
て、叱った。
「親に歯向かうと、地獄へ落ちる」と、よく脅された。

 ぼくにとって、親というのは、そういう存在だった。

●恩着せ

 父や母の子育ての基本は、(恩着せ)だった。
ことあるごとに、父や母は、ぼくにこう言った。
「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」と。

 ぼくはそういう言葉を、耳にタコができるほど聞かされた。
が、何よりも恐ろしい言葉は、「~~をしなければ、自転車屋を継げ」というものだった。
ぼくは兄を見て育っているから、自転車屋というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。
兄は、まるで奴隷のように、家の中では扱われていた。
「自転車屋になる」ということは、ぼくも、その奴隷になることを意味した。

●ぼくの夢

 ぼくにもいくつかの夢があった。
「夢」と実感したというわけではなかったが、ぼくは、パイロットになりたかった。
いつも模型の飛行機を作って遊んでいた。
もう少し幼いころには、ゼロ戦のパイロットになりたかった。

 が、中学校へ入学するころから近視が始まり、断念。
「近視の者はパイロットにはなれない」というのが、当時の常識(?)だった。

 つぎにぼくはいつしか、大工になることを考えるようになった。
ものづくりは好きだったし、木工には、かなりの自信があった。
学校から帰ってくると、店の中で、木材を切ったり、金槌で叩いたりして、いろいろなも
のを作った。

 小学5年生か、6年生のときには、組み立て式ボートというのを、作ったことがある。
手先も器用だった。
中学生になるころには、そこらの大工よりも、のこぎりや、かんなを、うまく使いこなす
ようになっていた。
だからぼくの身のまわりには、大工道具が、いつも一式そろっていた。

●ドラマ

 こうした断片的な記憶は、無数にある。
しかしそれをつなげるドラマというのが、ない。
ドラマらしきものはあるが、どれも中途半端。
映画でいうような結末がない。
ないまま、終わっている。
子ども時代の思い出というのは、そういうものか。

 いや、そのつど小さなドラマはあったのかもしれない。

クラス一の乱暴者グループと、ひとりで対決した話。
円通寺という小さな山をはさんで、山向こうの子どもたちと戦争ごっこをした話。
ほとんど毎日、学校から帰るときは、寄り道をして遊んだ話、などなど。

 書き出したらキリがない。
しかしドラマはない。
こま切れになった映画のフィルムのよう。
言い換えると、ぼくは、あの当時、街角のどこにでもいるような、1人の子どもに過ぎな
かった。
よごれた下着を着て、当て布をした半ズボンをはいて、ジャイアンツのマークの入った野
球帽をかぶった、1人の子ども。

 何か特別なことをしたわけでもない。
そんな子どもに過ぎなかった。

●母の在所

 そんなぼくにも、楽しみはあった。
夏や冬、春などの休みのときは、母の在所(=実家)に行った。
そこはぼくにとっては、別天地だった。
従兄弟たちと山の中を歩き、川で泳いだ。
夜は、伯父たちの話す昔話に耳を傾けた。

 今でもそんなわけで、「故郷」というと、自分が生まれ育ったあのM町ではなく、母の在
所のあった、I村のほうを先に思い出す。

 川のせせらぎの音、近くの水車が、粉をつく音、それに風の音。
つんとした木々が放つ芳香も、好きだった。
夕方になると、ご飯を炊くにおいがする。
魚の缶詰を切る音がする。
ぼくたちは、いつも腹をすかしていた。
だから、何を食べてもおいしかった。

 もちろん最高のぜいたくは、川でとれた鮎(あゆ)。
ときどきウナギもとれた。
当時は、アマゴ(=やまめ)や、ウグイには、目もくれなかった。
川魚といえば、鮎。
鮎の塩焼き!

●父

 父の酒乱は、ぼくが高校生に入るころまでつづいた。
そのころ父は肝臓を悪くし、思うように酒を飲めなくなった。
たぶん悪酔いをするようになったのだと思う。
酒の量が減った。
家で暴れることも、少なくなった。
しかし父は、もともと体の細い人だったが、ますますやせていった。

 一度だが、そんな父と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
ぼくが中学3年生のときのことである。
体は、すでにぼくのほうが大きかった。

 家の中で暴れる父に向かって、無我夢中で頭から体当たりをしていった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
どこをどうしたという記憶はないが、あとで聞いたら、父はそのため肋骨を何本か、追っ
たということだった。

 もちろんぼくには、罪の意識はなかった。
が、その日を境に、父は、ぼくの前ではおとなしくなった。
ぼくを恐れるようになった。

●みな、同じ

 おとなになって、いろいろ話を聞くと、ぼくの家庭だけが、特別だったということでも
ないようだ。
当時は、その程度の話は、どこの家庭にもあった。

 たとえばぼくの祖父母は、今で言う、「できちゃった婚」で、結婚した。
祖父には、たがいに結婚を約束した女性がいた。
が、ある日、祖父は別の女性と遊び、子どもができてしまった。
それがぼくの祖母であり、そのときできたのが、ぼくの父だった。

 それがぼくの家の原点だったかもしれない。
祖父母の夫婦喧嘩は絶えなかった。
父は父で、不幸な家庭で生まれ育った。
そしてあの戦争。
終戦。
その2年後の昭和22年、ぼくは生まれた。

●ふつうでない家系

 「林家」と「家」をつけるのも、おこがましい。
が、ぼくの家は、それでも、ふつうではなかった。

 それから62年。
振り返ってみると、父方の「林家」にしても、母方の「N家」にしても、それぞれが例外
なく、深刻な不幸を背負っている。

 ぼくの家も、長男が日本脳炎で死去。
つづいて兄、Jが生まれ、姉、Mが生まれた。
そのあともう一人兄が生まれたが、(流産)ということで、処理されてしまった。

 ぼくはそのあと生まれた。

 この程度の話なら、どこの家系にもある話だが、ぼくの家系はちがう。
例外なく、どの親族も、みな、深刻な不幸を背負っている。
が、それについてはここには詳しく書けない。
それぞれがそれぞれの不幸を懸命に隠しながら、あるいはその苦しみと闘いながら、今で
もがんばっている。

●少年時代

ときは今、ちょうど秋。
稲刈りのシーズン。
郊外を車で走ると、すずめの集団が、ザザーッと空を飛ぶ。
言うなれば、あの集団。
あの集団こそが、ぼくの少年時代ということになる。

 個性があったのか、なかったのか。
どこに(ぼく)がいたかと聞かれても、その(形)すら、よく見えてこない。
近所の人たちにしても、そうだろう。
学校の先生にしても、そうだろう。
ひょっとしたら、父や母にしても、そうだったかもしれない。

 ぼくは、すずめの集団の、その中の一羽に過ぎなかった。
当時は、そういう時代だったかもしれない。
町のどこを歩いても、子どもの姿があった。
通りでは、どこでも子どもたちが遊んでいた。
子どもの声が聞こえていた。

 ……一度、ここで走馬灯の電源を切る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 「ぼくの少年時代」 少年時代 はやし浩司の少年時代)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●毎日数万個!(脳の謎)

++++++++++++++++++

毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!

……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?

サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。

で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。

++++++++++++++++++

●再生しない神経細胞(ニューロン)

 脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。

 「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)

 つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。

●が、もしふえたら……

 が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。

もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。

 そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。

●電話回線

 たとえば電話回線で考えてみよう。

 現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。

 が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。

 そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。

●神経細胞がふえたら……

 新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。

 新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。

 だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。

 毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?

そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?

(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。

●死滅する神経細胞

 常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。

 恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。

(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)

 この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。

今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)


●新しいミニ・パソ

昨日、ネットで注文しておいた、新しい
ミニ・パソが届いた。

TOSHIBAのダイナブックUX。
少し前に買ったノート・パソコンのTXが、よかった。
「さすがTOSHIBA!」と感心した。
その印象がよかったので、またまたTOSHIBAを買ってしまった。

 使い始めて今日で、2日目。
昨日は、UXを使って、「ぼくの少年時代」というのを書いてみた。
言うなれば、慣らし運転。

 タッチパッドの感度がよすぎて、別の指が近づくだけで文字が飛ぶ。
それについては、コントロールパネルで調整した。
うまく調整できた。
今は、最高!
つまり気分は、最高!
キーボードを叩いているだけで、うっとりとしてくる。

 軽い分だけ、作りがややチャチかなと思うところもないわけではない。
メーカーは、ここを誤解しているようだ。
つまり(軽さ)ばかりを強調するが、その分、作りがよければ、ユーザーは重さを、あま
り気にしない。
軽くなくても、作りがよければよい。
2キロが1・5キロになったところで、(ちがい)は、わからない。

 ほかにミニ・ノートながら、キーピッチが19ミリもあるのも、うれしい。
2日目の今日だが、デスクトップのキーボードを叩いているような感じで、文章が書ける。
気持ちよい。
心地よい。

 昨夜は、ワイフのかわりに、そのミニ・パソを抱いて寝た。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●巨大な台風

+++++++++++++++++

超巨大な台風が、現在、この日本に
向かって進行中!
昨日の報道によれば、中心部の気圧は
何と910ヘクトパスカル!

+++++++++++++++++

 異常気象は、日本以外の国の話かと思っていた。
が、とうとうこの日本にもやってきた。
それが今度の台風18号。
昨夜ネットで調べてみたら、中心部の気圧は、何と910ヘクトパスカル!
「910」!
「910」という数字は、私の記憶の中にはない。
「950」とか「960」とかいう数字までなら、聞いたことがある。
が、「910」はない。
常識をはずれている!

 その上、予想進路を見て、ドキッ!
昨夜の予想によれば、紀伊半島あたりから上陸し、東海地方を横断するコース。
もしそうなら、伊勢湾台風並みの、あるいはそれ以上の被害が心配される。
何とか東へそれてくれればよい。

 今日は、10月6日。
10月8日、つまりあさっての午後9時ごろ、予想通りなら、東海地方を直撃。
今日と明日は、その対策で忙しくなりそう。
みなさんも、くれぐれも、ご注意ください。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●「スティグマ」

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今朝は、「スティグマ」という言葉について
学習した。
差別につながる、その人の客観的な属性を、
「スティグマ」という。

たとえば街の中を歩いてみる。
いつもと変わりない風景。
そこへ少し見慣れない一行が歩いてやってくる。
彼らの話す言葉を聞いて、彼らが、中国人で
あることを知る。

とたん、ちょっとした緊張感が走る。
彼らに対する緊張感もあるが、同時に、彼らも
また私を見て、同じような緊張感をもつに
ちがいない。
それが逆に、私の心に伝わる。

私も、若いころ、香港や台湾で、私はいろいろな経験を
した。
だまされたことも多い。
意地悪されたこともある。
「中国人」というだけで、いろいろなイメージが
心に浮かぶ。
ばあいによっては、それが差別意識となってはねかえってくる。
その「中国人」というのが、客観的属性ということになる。

「スティグマ」というのは、体につけられた「刻印」を
いう。
昔、ギリシアでは、その人を社会的に差別するために、
その刻印を体に焼いてつけた。
一度その刻印をつけられると、その人のあらゆる部分まで
合わせて、否定されてしまう。

それが「差別」ということになる。

たとえば以前、手鏡を使って女性のスカートの下をのぞいた大学の
教授がいた。
行為そのものは許されないものだが、しかしそのためその
教授は、「変質者」という刻印を焼きつけられてしまった。
ほかのすぐれた部分まで、否定されてしまった。

「スティグマ」というのは、それをいう。

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●実験

 2009年10月6日、私は「スティグマ」について学習した。
いくつかの文献を読み、自分なりに解釈し、理解した。
しかしこの知識は、いつまで記憶に残るだろうか?
それが今日の実験ということになる。

 今までの経験では、1、2か月ぐらいなら、何とか記憶に残るだろう。
しかし半年は、もたない。
半年後に、「スティグマって、何?」と聞かれたら、たぶん、私はこう答えるだろう。
「何だったけなア? 聞いたことがある言葉だな」と。
自分で自分の脳みそが、信用できない。
考えてみれば、これは深刻な問題である。

●刻印

 「スティグマ(刻印)」という言葉を学んで、私は別の心で、『ダラカ論』に似ていると
感じた。

 スティグマ、イコール、『ダカラ論』ではない。
しかし『ダカラ論』も、人にラベルを張ることによって、差別する道具として、よく使わ
れる。
「お前は、男だから……」「お前は、本家の息子だから……」と。

 「ダカラ論」は、そのあと、「~~スベキ」「~~のハズ」と、『ベキ論』『ハズ論』へと
つながっていく。
ばあいによっては、それが「差別」となることもある。

 実のところ、私も、長い間、この『ダカラ論』に苦しんだ。
(苦しんだというより、いじめられた?)
差別という差別ではないが、しかし私はそのつど、こう反発した。
「だからといって、それがどうしたの?」と。

●中身を見る

 日本人は元来、地位や肩書によって、相手を判断する。
あるいは少し昔前までは、家柄によって判断した。
今でも、この日本は、その延長線上にある。
たとえば上下意識。

 マスコミの世界では、知名度によって、上下関係が決まる。
そのまま「上」になって、国会議員や知事になっていく人さえいる。
つまり日本人に何が欠けているかといえば、(相手を中身を見て判断する)という能力では
ないか。
「スティグマ」という言葉を使うなら、「スティグマ」だけで、相手を判断する。
そしてその人のもつ、よい面まで、否定してしまう。

●文化性の問題

 要するに相手を、中身を見て判断できるかどうかは、その国民の文化性の問題というこ
とになる。
文化性が高ければ高いほど、その国民は、相手の中身を見ることができる。
そうでなければそうでない。
表面的な部分だけを見て、判断する。
あるいは自分の経験だけをもとに、相手を判断する。

 言い換えると、私やあなた自身が、いかに相手の中身まで見ることができるかという問
題につながる。
それができる人のことを、文化性の高い人といい、そうでない人を、低い人という。
が、これは簡単なことではない。
どうしてもスティグマに左右されてしまう。
つまり、自分の文化性を高めようと考えるなら、スティグマと闘う。
そういう努力を怠ってはいけない。

 ……ということで、スティグマの話はここまで。
さて、この記憶はいつまでつづくか。
実験開始!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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