2009年10月31日土曜日

*In the arly morning of Oct. 31st 2009

【10月31日】(2009)

●パソコンをもって、でかけよう

パソコンをもって、でかけよう
気が向いたところで、パソコンを開こう
ひらめいたことを、文にしよう
インターネットを楽しもう
ショッピングセンターの中の、休憩所
レストランのテーブルの上
電車やバスの中
それに旅行先

ちょっとした時間があれば、そこで開こう
開いたとたん、そこは別世界
知的遊戯の世界
文を叩き出したとたん、脳みその中が、一変する
モヤモヤしたものが、その向こうから、湧き出る
ネットにつなげば、その向うに世界が見える
それに形をつける
ひとつにまとめる
その爽快感

パソコンをもって、でかけよう
もうだれにも、「お宅族」とは言わせない


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●2010年の企画

2008年は、「音楽と私」に力を入れた。
2009年は、「BW公開教室」に力を入れた。
2010年は……?

新しいHPを立ち上げるか?
それともマガジンに力を入れるか?
いろいろ考えている。
迷っている。

絶版になったまま、放置してある本が、10冊あまりある。
それをHPに収録したい。
この年末には、それを仕上げたい。

が、2010年は……?
いろいろ考えている。
迷っている。
実のところ、それが楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【青春の仇討ち】

●息子たちのこと

 親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。

 経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。

 アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。

 そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。

 一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。

仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。

 あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。

 二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?

 先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。

……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。

62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。

●青春の仇討ち

 青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。

 私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。

 人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。

 今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。

 さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。

 そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。

 現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。

「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。

そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。

 晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。

●悔い

 私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。

 あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。

 ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?

 しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。

 自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。

 みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●今日で10月もおしまい

昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!

数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。

やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。

今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。

それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。

そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)

片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。

もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。

ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

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