2009年10月3日土曜日

*Oct 3rd 2009

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   23日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●決別

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すでに、5、6年前のこと。
すでに心に、そう決めていた。
私は、母が死に、兄が死に、実家を片づけたら、
古里のM町からは縁を切ろうと。

だから兄が死に、母が死んだときも、その一方で、
「あと少しのがまん」と、自分で、自分に言って聞かせた。
もちろんだからといって、兄や母の死を喜んだというわけではない。
待ち望んでいたというのでもない。

母や兄と言うよりは、「実家」。
つまり私にとって、実家は、それほどまでに重いものだった。
この60年間、1日とて、心の晴れた日はなかった。
そうでない人には、信じられないような話かもしれないが、
私には、そうだった。

が、昨年の8月、兄が他界した。
つづいて10月、母が他界した。
葬儀だ、法事だと、あわただしく日々が過ぎた。
が、それも一段落すると、私は、すぐ実家の売却を計画した。
そのときすでに空家になって、5年になっていた。
M町の中でも、一等地(?)にあるということで、税金の負担も大きかった。
といっても、私はその税金を、30年以上、払いつづけてきた。
今さら負担という負担ではなかったが、放っておいても、朽ちるだけ。
おまけに市の伝統的建造物に指定され、壊したり、改築することもできなかった。

私は、親類には、ハガキで、こう知らせた。
「母の一周忌前後には、実家を売却を予定します。あらかじめご了承ください」と。
母の四九日の法要の連絡のときのことである。

+++++++++++++++++++++++++

●心の整理

 数年単位の、時間が必要である。
心の整理が必要である。
「今日決めたから、明日、売却」というわけにはいかない。
古い柱、一本一本に、思い出がしみ込んでいる。
一歩、外に出れば、街の人たちの顔もある。
みな、顔なじみ。
「縁を切る」というのは、そういう人たちとの決別も意味する。

●決別

 こう書くと「決別まで……!」と驚く人も多いかもしれない。
しかしあの街には、私のゴミのようなものが、山のようにたまっている。
母の時代から、私は、あの街では、悪者だった。

「親を捨て、浜松の女性と結婚した」
「親の財産を、全部、自分のものにした」
「勝手に仏壇を、浜松に移した」
「親の葬儀を浜松でした」などなど。

 先日も実家へ帰り、近くの店に宅配便を届けたときも、その店の女性にこう言われた。
「あなた、親類の断りもなく、仏壇を浜松へ移したんだってねエ……」と。
イヤミたっぷりの、不愉快な言い方だった。
その言葉を聞いたとき、M町への思いが、ふっ切れた。

●売却

 実家の売却は、簡単なものだった。
買い主がお膳立てしてくれた銀行にみなが集まり、そこで書類に判を押して、それでおし
まい。
買い主の女性が、何度も「ありがとうございます」と頭をさげるほど、格安の価格だった。
が、価格など、問題ではない。

 あの実家に貢いだ現金だけでも、その20倍以上はある。
が、それよりも、私の人生の大半は、あの実家のために犠牲になってしまった。
そうした(損害?)と比べたら、家の価格など、何でもない。
今さら、わずかな金額を手にして、それでどうなる?
私の心が、どう癒される?
私の人生が、どう戻ってくる?

●離縁

 「縁を切るというのは、こういうことだね」と、ワイフに話した。
心の中を、からっぽにする。
未練を残さない。
あっても、きれいさっぱり、それを忘れる。
掃除をして、心の外に掃き出す。

 私はその日、家の中に残っていた家財道具を、道路に並べた。
ビニールシートを敷き、その上に並べた。
花瓶、火鉢、食器類、掛け軸、棚、電気製品、家具などなど。
本うるしの漆器も数百個あったが、それも並べた。
で、ゆっくりと張り紙をした。

「長い間、お世話になりました。
使っていただけるものがあれば、どうぞ、使ってください。
ご自由に、お持ち帰りください」と。

 やがてすぐ、何10人もの人たちが集まり、それぞれが、それぞれを家にもって帰った。
中には、漆器類を、袋につめて帰る人もいた。

●未練

 少しおおげさな言い方になるかもしれないが、人は、死ぬときも、そうではないか。
つまり心の整理をする。
未練を消す。
心がきれいさっぱりしたところで、この世に別れを告げる。
「告げる」といっても、相手はいない。
自分の心に告げる。

 一方、「私」にこだわっているかぎり、平安な日々はやってこない。
「私の財産」「私の地位」「私の名誉」と。
そういうものをすべて捨てる。
捨てて、身のまわりから、何もかも消す。
そのとき人は、さばさばとした気持ちで、「死」を、迎え入れることができる。

●9月3日

 翌朝、長良川のほとりにある緑風荘という旅館で一泊したあと、そのまま浜松へ帰って
きた。
一度、実家に立ち寄り、「最後に……」と思って、外から実家をながめた。
実家は、そのままそこにあった。

 父が手作りで書いた看板だけが、強く印象に残った。
「林自転車店」と、それにはあった。
「家は残るとしても、看板はどうなるんだろう?」とふと、そんなことを考えた。
が、長くはつづかなかった。
私とワイフは、ほとんど立ち止まることなく、そのまま駅の方に向かって歩き出した。

 ゆるい坂道だった。
白い朝日が、まぶしかった。

私「二度と、この町に来ることはないね」
ワ「二度と……?」
私「何か、特別な用事でもないかぎりね……。でも、もう来ないよ」と。

 すべてが終わった。
本当に、すべてが終わった。
2009年9月3日のことだった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ルーム・ウォーカー

毎日、40~50分は、ルーム、ウォーカーで、歩いている。
当初は、10分とか、1キロに設定していたが、
最近は、20分とか、2キロに設定している。
(使用時間か、距離数で設定できるようになっている。)
それはそれでよいのだが、……というか、やはり
20分はしないと、汗は出てこない。
有酸素運動ということになれば、20分以上は、したほうがよい。
10月からは、1回につき、30分に挑戦してみる。

ところが、である。
予期しなかった現象が出てきた。
伏兵というのである。

実は、昨日、道路を歩いていて、2度もころびそうになった。
一度は、階段を上がるとき。
もう一度は、何と、深々としたジュータンの上を歩くとき。

理由はやはり、ルーム・ウォーカーにあることがわかった。
ルーム・ウォーカーでは、歩くとき、膝をほとんどあげないで歩く。
(いざり歩き)というか、足裏をベルトにほとんどこすりつけるようにして歩く。
それがクセになり、そのままの歩き方で、道路を歩く。
ちょっとしたことで、つまずくようになった(?)。

そこで私は考えた。

ルーム・ウォーカーに、ハードル競技のような、小さなハードルをとりつけることにした。
足でひっかけてもよいように、厚紙のようなものでつくればよい。
まだ実行していないが、このあと朝食が終わったら、さっそく、やってみよう。
そうすれば歩くのに合わせて、膝をあげるようになる。

うまくいけばよいのだが……。
ところでその分だけ、このところサイクリングをする回数が減っている。
居間でいつでも運動ができる……という思いが、サイクリングを減らす理由になっている。
便利なことはよいのだが、ルーム・ウォーカーにも、いろいろ問題があるようだ。


●ミニパソコン

 ミニパソコンを、現在、3台使っている。
HP社のもの、MSI社のもの、それにACER社のもの。
それぞれに一長一短があって、どれがよいということにはならない。
が、今の私には、ACER社のものが、いちばん使い勝手がよい。
「ASPIRE ONE」という機種である。

 ただし画面が8インチしかない。
で、現在、10インチのものに交換しようしている。
が、どこの店も、「下取りはしません」とのこと。
しかたないので、ネットで、新しいのを注文しようと考えている。
価格は、どんどんさがって、今では、3万4000円前後。
最初に買ったときの、約半額!
どうしようか?

 
●芝生

 秋になったせいなのか、芝生の一部が枯れ始めた。
水不足かもしれない。
この数か月間で、まとまった雨が降ったのは、2回だけ。
これでは芝生も、根を張ることさえできない。

 で、昨日、近くの店で、肥料を買ってきた。
全体にまいて、その上にたっぷりと水をかけてやった。
今は、その芝生の先端に、無数の種らしきものができている。
そのため芝刈り機で、芝を刈ることもできない。
今しばらく様子を見て、……つまりもう少し芝が伸びるのを見届けてから、芝を刈るつも
り。


●ハトの巣

 居間の前の栗の木に、ドバトが巣を作り始めた。
が、今朝見たら、巣は、からっぽ!
「どうしたんだろ?」とワイフに話しかけたら、ワイフが、「リスよ」と。

 リスが出没するようになって、もう10年近くになる。
当初は、餌まで買ってきて歓迎したが、それはまちがいだった。
リスのおかげで、野鳥が巣を作らなくなってしまった。

 前にも書いたが、リスは、地上のネズミ。
長いシッポの生えた、ネズミ。
あんなリスを見て、「あら、かわいい」と喜んでいる人の気がしれない。

(今日は9月27日、日曜日)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●エネルギー

++++++++++++++++++

大学時代の友人のこと。
数か月前、その友人が、
交通事故訴訟で、やっと結審を迎えた。
長い裁判だった。
4~5年もかかった。
本来なら、もっと早く片づくべき裁判
だった。
が、保険会社がごねた。

この不況下ということもある。
保険会社は、支払い保険金をできるだけ安く
すませようする(?)。
そこで結果的には、裁判は、東京高裁にまで
もちこまれた。

しかし裁判をつづけるにも、それなりの
エネルギーがいる。
長くて、苦しい闘いがつづく。
いくら「勝つ」とわかっている裁判でも、
「裁判をする」ということ自体、不愉快。
裁判所へ足を運ぶということだけでも、
たいへん。
気が滅入る。
膨大なエネルギーを消耗する。
その日が来るたびに、重苦しい気分に
包まれる。

++++++++++++++++++

●不正の追及

 正義を貫くには、それほどの努力はいらない。
それなりに自分を守れば、それですむ。
たいへんはたいへんだが、しかし悪の追及と比べたら、何でもない。
とくに力関係に差があるときは、そうである。

 たとえば(個人)と(組織)。
個人が、組織の悪と対峙したようなばあいを考えてみよう。
個人のもつ財力、人脈には限界がある。
一方、組織には、財力も人脈もある。
冒頭に書いた友人の交通事故裁判にしても、そうだ。

 訴えるのは、個人。
相手は巨大組織。

 地裁という下級審においても、3~4年の歳月を要した。
裁判をつづけながら、友人は、その一方で、週に3~4回、病院へ通わねばならなかった。
「首の骨のズレは、交通事故によるものではない。老化によるもの」というのが、保険会
社の言い分だった。
ほかにもいろいろある。
いろいろあって、そのつど難ぐせをつけ、保険会社は、保険金の支払いをしぶった。

 保険会社という大企業にとっては、裁判といっても、事務手続きのひとつにすぎない。
しかし被害者である個人にとっては、そうではない。
そうでないことは、裁判を経験したことがある人なら、みな、知っている。
裁判でなくても、家庭裁判所の調停でもよい。
あのイヤ~ナ気分には、独特のものがある。

●トラブル

 それがどんなトラブルであるにせよ、人は、できるだけトラブルに巻き込まれるのを避
けようとする。
わずらわしい。
本当に、わずらわしい。
いわんや、裁判をや!

 私も、20年近く前、貸金の返還請求というのをしたことがある。
たいした額ではなかったが、相手の男の不誠実な態度が許せなかった。
それで最終的には、民事調停ということになったが、あのとき感じた、イヤ~ナ気分は、
今でも忘れない。

 それを知っているから、友人も、さぞかし不愉快な思いをしたにちがいない。
その友人は、こう言っている。

「林君、保険に入るとしても、民間の保険会社とは契約してはいけないよ。
公的な機関の保険に加入したほうがいいよ」と。

 私も、それまでに、30年近く民間の生命保険会社と契約を結んでいたが、10年ほど
前、解約した。
一度、何かのことで保険金を請求しようと電話を入れたら、窓口の女子店員に、門残払い
をされてしまった。
私の話すら、じゅうぶんに聞いてくれなかった。
「病気になり、後遺障害が残ったら、保険金の支払いの対象になるとあるではないか」と
迫ったが、だめだった。
相手にされなかった。

 不信感がつのり、そのまま解約。

 それにしても、裁判だけで、4~5年。
最後は、東京高裁!
こんなバカげた保険会社が、どこにある!

 そうそう友人は、こうも言った。

「あいつら、とにかく保険金を払わない。
だから『裁判で争おう』と、しっかりと言うことだ。
そうすれば、払ってくれる」と。


●本漆(ほんうるし)

 実家を処分したとき、古い家財が、ごっそりと出てきた。
その中でも、価値があると思われるのは、本漆(ほんうるし)の食器類。
たいはんは、近所の人たちに無料で分けてやった。
残ったのは、この浜松へ持ち帰った。
が、何と言っても量が多い。

 そこで毎晩のように、仲のよいいとこたちに電話をかけ、それを分けてやっている。
みんな、喜んでくれている。

で、昨夜、改めて箱を見たら、「大正11年」と書いてあった。
今から100年近くも前の漆器である。
「古いもの」とは思っていたが、そこまで古いとは、思っていなかった。

 ズシリと重い。
塗りが厚いので、深みがまるでちがう。
しかも本漆。
スポンジで洗っただけで、そのまま新品のような光沢を放つ。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」

+++++++++++++++++++++

10月1日(木曜日)午後2:15~ごろから、
ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」
にて、「子どもの叱り方」について話します。
興味のある方は、どうか、聴いてください。

+++++++++++++++++++++

●12月13日・秋田県・秋田県庁で講演します。
10:00~12:00ごろです。

読者の中で、秋田県の方がいらっしゃれば、ご一報
ください。
招待いたします。

++++++++++++++++++++

●帰すう本能(The Last Home)

+++++++++++++++++++

晩期の高齢者たちは、ほとんど例外なく、みな、こう言う。
「~~へ帰りたい」と。

母もそうだったし、兄もそうだった。
母は、自分が生まれ育った、K村の実家に、
兄は、やはり自分が生まれ育った、M町の実家に。
それぞれが、「帰りたい」と、よく言った。

私の30年来の友人も、昨年(08年)に亡くなったが、
その友人も、九州の実家に帰りたいと、いつも言っていた。

こうしたことから、みな、人は死が近づくと、自分の
生まれ育った実家に帰りたがるようになると考えてよい。
それをそのまま「帰すう本能」と断言してよいかどうかは、
私にもわからない。

あえて言えば、正確には、「原点回帰」ということか。
しかしこんな言葉は、私が考えたもので、辞書にはない。

つまり「死ぬ」ということは、(生まれる前の状態)に戻ること。
だから死が近づけば近づくほど、人はみな、原点に回帰するようになる。
その願望が強くなる。

原点で安らかな死を迎えるために……。

++++++++++++++++++++++++++

●私の場合は、どうか?

 私もあと10~15年もすると、そうした老人の仲間入りをする。
これは可能性の問題ではない。
確実性の問題である。
そのときうまく特別養護老人ホームに入居できればよし。
そうでなければ、独居老人となり、毎日悶々とした孤独感と闘いながら、暗い日々を送る
ことになる。

 そのときのこと。
私は、どこへ帰りたいと言うだろうか?

 理屈どおりに考えれば、私は、生まれ育ったM町の実家に帰りたいと言い出すにちがい
ない。
記憶というのは、新しいものほど、脳から消えていく。
そのためM町の記憶しか残らなければ、そうなる。
が、私は子どものころから、あのM町が、嫌いだった。
今でも、嫌い。
そんな私でも、その年齢になったら、「M町に戻りたい」と言いだすようになるのだろうか。

●放浪者

 私は基本的には、放浪者。
ずっと放浪生活をつづけてきた。
夢の中に出てくる私は、いつも、あちこちをさまよい歩いている。
電車に乗って家に帰るといっても、今、住んでいるこの浜松市ではない。
この家でもない。
もちろん実家のあるM町でもない。

 ときどき「これが私の家」と思って帰ってくる家にしても、今のこの家ではない。
どういうわけか、大きな、ときには、大豪邸のような家である。
庭も広い。
何百坪もあるような家。
見たこともない家なのに、どういうわけか、「私の家」という親近感を覚える。
で、たいていそのまま、目が覚める。

 が、夢の中に出てくる家は、そのつど、いつもちがう。

 つぎにまた見るときは、今度は別の家が、夢の中に出てきたりする。
つまり私は基本的には、放浪者。
無宿者。
根なし草。

●M町の実家

 が、ここ5、6年は、ときどき、M町の実家が夢の中に出てくることがある。
表の店先のほうから中へ入ると、そこに母がいたり、兄がいたりする。
祖父や、祖母がいたりすることもある。

 先日は、家に入ると、親戚中の人たちが集まっていた。
みんな、ニコニコと笑っていた。
もちろんいちばん喜んでくれるのが、私の母で、「ただいま!」と声をかけると、うれしそ
うに笑う。
兄も笑う。
が、私は、実家ではいつも客人。
みなは、私を客人として迎えてくれる。
私の実家なのだが、実家意識は、ほとんど、ない。

●徘徊老人

 こう考えていくと、私はどうなるのか、見当がつかない。
認知症になり、特別養護老人センターに入居したとする。
そんなとき、私は、どこへ帰りたいと言うだろうか。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたは、まちがいなく、徘徊老人になるわよ」と。

 つまりあてもなく、あちこちをトボトボと歩き回る老人になる、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかしその可能性は、たいへん高い。

 先にあげた友人にしても、九州出身だったが、いつも浜松市内を徘徊していた。
距離が遠いから、まさか九州まで歩いて帰るということはなかった。
しかし気持の上では、九州まで歩いて帰るつもりではなかったか。
今にして思うと、友人のそのときの気持ちが、よく理解できる。

●さて、あなたはどうか?

 さて、あなたはどうか?
そういう状況になったとき、あなたなら、どこへ帰りたいと言いだすだろうか。
たいていの人は、自分が生まれ育った実家ということになる。
確たる統計があるわけではないが、90%以上の人が、そうなるのではないか。

 が、残り10%前後の人は、帰るアテもなく、浮浪者のように、そのあたりをさまよい
歩く。

ところで徘徊する老人は多いが、そういう老人をつかまえて、「どこへ帰るの?」と聞く
と、ほとんどが、「うちへ帰る」と答えるという。
たぶん、私も、「うちへ帰る」と答えるだろうが、その「うち(=家)」とは、どこのこと
を言うのだろうか。

 帰りたい家があり、その家が、あなたをいつまでも暖かく迎えてくれるようなら、そん
なすばらしいことはない。
しかし現実には、住む人の代もかわり、家そのものもないケースも多い。

 こう考えただけでも、老後のさみしさというか、悲哀が、しみじみとよくわかる。
「老人になることで、いいことは何もない」。
そう断言してもよい。
そういう時代が、私のばあいも、もうすぐそこまで来ている。

(付記)

 最近、ワイフとよく話し合うのが、「終(つい)の棲家」。
で、結論は、終の棲家は、この家の庭の中に建てよう、である。
街の中のマンションも考えた。
病院やショッピングセンターに近いところも考えた。
しかし、私たちの終の棲家は、どうやらこのまま、この場所になりそう。

 今、別のところに移り住んでも、私たちは、そこには、もうなじめないだろう。
頭の働きが鈍くなってきたら、きっと私も、今のこの家に帰りたいと、だだをこねるよう
になるだろう。

 だったら、終の棲家は、ここにするしかない。
・・・というのが、今の私たちの結論になりつつある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 終の棲家 帰すう本能 帰趨本能 徘徊 徘徊老人)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月30日(水曜日)

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今日で、9月もおしまい。
昨夕、G町の従兄弟が送ってくれた、鮎(あゆ)を、
塩焼きにして食べた。
「少し、塩をつけつぎたかな?」ということで、
今朝は、胃の中が、どうもすっきりしない。

いつもならご飯を1杯ですますところを、昨夕は、
2杯も食べてしまった。
で、その直後体重計を見たら、何と、61・5キロ!

たった1日で、1・5キロもふえてしまった。
怖しいことだ!
木曽川のタタリじゃア!

++++++++++++++++++++

●明日から10月

 明日から10月。
とくに大きな予定は、ない。
いくつか講演の仕事が入っている。
そのレジュメ(概要)を、今日中に作成しよう。

 それから秋田県のほうから講演依頼があった。
実のところ先月までは、遠方のは、すべて断ってきた。
が、今月から、心境が大きく変化した。

講演先で温泉に入る楽しみを、覚えてしまった。
それで変化した。
秋田といえば、湯沢温泉。
片道、7時間半の長旅になるが、かえってそれが楽しみ。
「講演をして、お金を稼ごう」という意識が、ほとんどなくなったせいもある。
かわって、「元気なうちに、できることをやっておこう」という意識が生まれた。

 だから秋田県へ行く。
最高の講演をしてくる。
浜松人の心意気を、見せてやる。
「やらまいか」ということで、喜んで引き受けた。


●ニッポン放送

 明日、ニッポン放送で、話す機会をもらった。
電話による応答番組だが、肝心のスタジオがない!
時間的に、市内の事務所を使うことになるが、目下、隣地は工事中。
終日、ユンボ類が、ガーガー、ゴーゴーと音を出している。

 雑音が入ってはいけない……ということで、昨日、炊事室を急きょ、スタジオに改造。
電話線を延長して、電話機を炊事室へ。
マットをドアにあてる。
昨日テストしてみたが、「これならいけるわ」とワイフ。

 全国放送。
あまり気負わないで、気楽に話そう。


●指が痛い!

 右手中指の先端がパンパンに腫れている。
ささくれを指でちぎったのが、悪かった。
中で化膿した。

 何とかこうしてごまかしてキーボードを叩いているが、痛い。
となりの薬指が軽くあたっただけで、キリキリと痛む。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●TK先生より

++++++++++++++

4月に人工関節の手術を受けた。
そのTK先生から、メールが
届いていた。

今は、ニンジンジュースがよいとか。
さっそく我が家でも、昨日から、
ニンジン料理をふやした。

++++++++++++++

林様:

膝の方は出来るだけ街まで歩くようにしています。往復して四、五千歩で一日に七,
八千歩になっています。手術のお蔭で、歩く時の痛さはなくなりましたが、未だヨタヨタ
歩きで、普段片道15分のところを23分ぐらいかかって、歩いています。普通になるま
で一年はかかるそうです。しかし手術以前は歩くのが辛くて、歩かないと全身が老化しま
すので、先が短いのを承知でも、手術をしてよかったと思っています。

 この二ヶ月間始めたのは野菜の生ジュースです。夜ベッドに入るとしばらくして胃が
痛くなり、睡眠剤を服用しても眠り難かったのですが、ある本に胃が良くない時はキャベ
ツのジュースを飲めと書いてありましたので、(市販にキャベジンもありますが)、飲み始
めましたら悪くないようです。

尤も眠くならないので睡眠薬を続けていますが。出来るだけ種類を違えて取り換えながら
していますが。その本の著者は毎日朝ニンジンのジュースを飲んで結構元気だと言ってい
ます。その人がスイスの病院に留学している時、その病院では世界中からの難病、奇病の
患者がやって来るのに、毎朝ニンジンのジュースを飲ませていると言います。

何故ニンジンかと院長さんに聞きましたら、ニンジンにはすべての必要なビタミン
とミネラルが含まれているから、との答えでした。リンゴ一つのコマ切れに野菜ジ
ュースを加えてジューサーでジュウスを作り、それに、ニンジン二本のコマ切れを
加えてジュースを作るのです。一つの例でしかありませんからあまり誇張すること
はいけないと思うのですが、生野菜ですから悪くはなさそうです。

ご招待のものもう少し待ってから、様子次第で決めます。差し当たり別に困っていま
せんから、面倒くさそうなのは億劫です。   お元気で。

TK

+++++++++++++++++++++++++++

●TK先生

 先生は、もう85歳になるのでは?
いまだに文科省や日本化学会の仕事で、あちこちを飛び回っている。
その間に原稿も書き、講演もしている。
その前向きな生き方は、いつも私に新鮮な驚きと喜びを与える。
そう、先生が後ろ向きになるのは、若くして亡くなった奥様の話と、やはり若くして亡く
なった、三女のお嬢さんの話のときだけ。

 いつも日本の未来と日本の教育の心配ばかりしている。
その前向きのエネルギーのものすごさというか、生き方のすばらしさというか、世の老人
たちは、みな、見習ったらよい。
もちろん私も見習っている。
若い時から、ずっと、見習っている。

 研究の分野では、すでに神の領域に入った人である。
先日も、水を光分解して、水素と酸素を取りだすニュースが世界中を駆け巡った。
かけた熱量よりも多くのエネルギーの水素と酸素に分離することができた。
その偉業を成し遂げたのが、先生の一番弟子と言われる、DI教授である。
先生は、いつもDI教授の自慢をしている。

 そのときもらったメールには、こうあった。

++++++++++++++++++++++

林様:

太陽光を使って水を水素と酸素に分解する反応の世界のトップ研究者の一人は、私
のインタビューの最後に載っている写真の中のDI君です。私の研究室にいたころ
からいわゆる「光触媒」の研究に打ち込んでいました。インチキ記事よりも私のホ
ームページにDI君との共著があります。取り敢えずお知らせまで。

TK

+++++++++++++++++++++++

そこでその原稿をさがしてみた。
TK先生のHPに公開されているので、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++++++++++++

【太陽エネルギーを用いる水からの水素製造】

DI  TK先生

化石資源の消費、枯渇からもたらされるエネルギー問題と二酸化炭素発生などによる地球
環境問題は、我々が直面する深刻な課題である。これらの問題は、放っておけばいつか解決
するという類のものではない。我々の生活に直結しており、我々自身で積極的に取りくん
でいかねば決して解決しない問題である。この問題の本質は、現代の人類の生活が多量の
エネルギーを消費する事によって維持されているという点である。しかも現在そのエネル
ギーを主に担っている化石資源は、有限な資源であり必ず枯渇するだけでなく、それを使
い続ける事は地球環境を破壊する危険性が高い。

  もともと石油や石炭などの化石資源は、光合成によって固定された太陽エネルギーを
何億年もかけて地球が蓄えてきたものであり、それとともにわれわれの住みやすい地球環
境が形成されてきたはずである。我々はそのような地球が気の遠くなるような時間をかけ
てしまいこんできたエネルギーを「かってに」掘り出し、その大半を20世紀と21世紀の
たった200年程度で使い切ってしまおうとしている。したがって現在の時代を後世になっ
て振り返れば、人類史上あるいは地球史上極めて特異な浪費の時代と映っても不思議では
ない。かけがえのない資源を使い切ってしまいつつある時代に生きる我々は、それについ
て微塵も罪の意識を持っていないが、少なくともわれわれにとっては地球環境を破壊しな
い永続的なエネルギー源を開発することは、後世の人々に対する重大な義務である。その
為には、核融合反応や風力などいくつかの選択肢があろう。なかでも太陽エネルギーをベ
ースにしたエネルギー供給システムは、枯渇の心配のない半永久的でクリーンな理想的な
エネルギー源であろう。

  太陽光を利用する方法もいくつかの選択肢がある。例えば最も身近な例は太陽熱を利
用した温水器である。また太陽電池を用いて電気エネルギーを得る方法も既に実用化して
いる。しかし、これですぐにエネルギー問題が解決するわけでない事は誰でも実感してい
る事であろう。

ここで太陽エネルギーの規模と問題点について少し考えてみる。太陽は、水素からヘリウ
ムを合成する巨大な核融合反応炉であり、常時莫大なエネルギー(1.2 x 1034 J/年)を宇
宙空間に放出している。その中の約百億分の一のエネルギーが地球に到達し、さらにその
約半分(3.0 x 1024 J/年)が地上や海面に到達する。一方、人間が文明活動のために消費し
ているエネルギーは約3.0 x 1020 J/年であり、地球上に供給される太陽エネルギーの約
0.01 %である。ちなみにそのうちの約0.1 %、3.0 x 1021 J/年、が光合成によって化学物
質、食料などの化学エネルギーに変換されている。また、地球上にこれまで蓄えられた石
油や石炭などの化石資源がもつエネルギー量は、もし地球上に降り注ぐ太陽エネルギーを
全て固定したとすれば約10日分にすぎない。このように考えれば太陽エネルギーは我々の
文明活動を維持するには十分な量であることがわかる。

では、なぜ太陽エネルギーの利用が未だに不十分なのであろうか。理由は太陽光が地球全
体に降り注ぐエネルギーであることである。したがって太陽光から文明活動を維持するた
めの十分なエネルギーを取り出すためには数十万km2(日本の面積程度)に展開できる光エ
ネルギーの変換方法を開発しなければならない。ただしこの面積は地球上に存在する砂漠
の面積のほんの数%程度であることを考えれば我々は十分な広さの候補地を持っているこ
とになる。その様な広大な面積に対応できる可能性をもつ方法の一つが人工光合成型の水
分解による水素製造である。もし太陽光と水から水素を大規模に生産できれば人類は太陽
エネルギーを一次エネルギー源とする真にクリーンで再生可能なエネルギーシステムを手
にすることができる。水素の重要性は、最近の燃料電池の活発な開発競争にも見られる様
に今後ますます大きくなってくることは間違いない。しかしながら現在用いられている水
素は化石資源(石油や天然ガス)の改質によって得られるものがほとんどである。これは
水素生成時に二酸化炭素を発生するのみでなく、明らかに有限な資源であり環境問題やエ
ネルギー問題の本質的な解決にはならない。

もし、太陽光の中の波長が600nmより短い部分(可視光、紫外光)を用いて、量子収率30%
で、1年程度安定に水を分解できる光触媒系が実現すると、わが国の標準的な日照条件下1
km2当たり1時間に約15,000 m3(標準状態)の水素が発生する。この時の太陽エネルギー
全体の中で水素発生に用いられる変換効率は約3%程度であるが、この水素生成速度は現
在工業的にメタンから水素を生成する標準的なリフォーマーの能力に匹敵する。したがっ
てこの目標が達成されれば研究室段階の基礎研究から太陽光による水からの水素製造が実
用化に向けた開発研究の段階に移行すると考えられる。

現在、水を水素と酸素に分解するための光触媒系として実現しているのは、固体光触媒を
用いた反応系だけである。他にも人工光合成の研究は数多く行われているが、以下、不均
一系光触媒系に話を限定する。水を水素と酸素に分解する為に必要な熱力学的条件は、光
触媒として用いる半導体あるいは絶縁体の伝導帯の下端と価電子帯の上端がH+/Hおよび
O2/OH-の二つの酸化還元電位をはさむような状況にあればよい。個々の電子のエネルギー
に換算すると、1.23 eVのエネルギーを化学エネルギーに変換すればよい。また、光のエネ
ルギーで1.23 eVは波長に換算するとほぼ1000 nmであり、近赤外光の領域である。つま
り、全ての可視光領域(400nm ~ 800nm)の光が原理的には水分解反応に利用できる。ただ
しこれらの条件はあくまで熱力学的な平衡の議論から導かれるものであるから、実際に反
応を十分な速さで進行させるためには活性化エネルギー(電気化学的な言葉でいえば過電
圧)を考慮する必要があるので、光のエネルギーとして2 eV程度(光の波長で600nm程度)
が現実的には必要であろう。

固体酸化物を用いた水の光分解は、1970年頃光電気化学的な方法によって世界に先駆けて
我が国で初めて報告され、本多―藤嶋効果と呼ばれている。この実験では二酸化チタン(ル
チル型)の電極に光をあて、生成した正孔を用いて水を酸化し酸素を生成し、電子は外部
回路を通して白金電極に導き水素イオンを還元し水素を発生させた。このような水の光分
解の研究は、その後粒径がミクロンオーダー以下の微粒子の光触媒を用いた研究に発展し
た。微粒子光触媒の場合、励起した電子と正孔が再結合などにより失活する前に表面ある
いは反応場に到達できるだけの寿命があればよい。さらに微粒子光触媒の場合、通常電極
としては用いることが困難な材料群でも使用できるメリットがあるため、多くの新しい物
質の研究が進んでいる。現在では紫外光を用いる水の分解反応は50%を超える量子収率
で実現できる。

しかしながら太陽光は550nm付近に極大波長をもち、可視光から赤外光領域に広がる幅広
い分布をもっているが、紫外光領域にはほんの数%しかエネルギー分布がない。つまり太
陽光を用いて水を分解するためには可視光領域の光を十分に利用できる光触媒を開発する
ことが必要である。しかしながら、これまでに開発された水を効率よく分解できる光触媒
は全て紫外光領域の光あるいはほんの少しの可視光領域で働くものである。

  最近になって新しく可能性のある物質群が見出され始めている。それらは、d0型の遷
移金属カチオンを含み、アニオンにO2-だけでなくS2-イオンやN3-イオンをもつ材料群で
ある。例えばSm2Ti2O5S2やTa3N5、LaTiO2Nなどのようなものであり、オキシサルファイ
ド、ナイトライド、オキシナイトライドと呼ばれる物質群である。これらの材料では価電
子帯の上端はO2p軌道よりも高いポテンシャルエネルギーを持ったS3p軌道やN2p軌道で
できている。しかし、このような物質はまだ調製が容易ではないが、酸化剤や還元剤の存
在下では水素や酸素を安定に生成することが確認されており、これまで見出されていなか
った、600nm付近までの可視光を用いて水を分解できるポテンシャルを持った安定な物質群
であることがわかってきた。したがって、このような物質の調製法の開発および類似化合
物の探索によって、太陽光を用いる水からの水素生成が、近い将来実現する可能性も十分
にある状況になっている。安価で安定な光触媒を広い面積にわたって水と接触させて太陽
光を受けることにより、充分の量の水素を得るのも夢ではない。 このような触媒の開発に
成功し、大規模な応用が可能となれば、21世紀の人類が直面する大きな課題であるエネル
ギー問題と環境問題に化学の力で本質的な解決を与える可能性がある。

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●水を分解

 水を酸素と水素に分解すれば、人類は、無尽蔵かつクリーンなエネルギーを手にするこ
とができるようになる。
夢のような話だが、今、その実現に向けて、研究が一歩ずつ進んでいる。
「20~30人規模の大がかりな研究チームを作ってがんばっているので、成果が出るの
は時間の問題です」と、TK先生が話してくれたのを、覚えている。

 もしそれが成功し、実用化されたら、ノーベル賞ですら、ダース単位で与えられる。
同時に、世界の政治地図も一変するだろう。
「産油国」という言葉すら、消える。
少なくとも排気ガスによる地球温暖化の問題も解決される。
クリーンな光エネルギーによって、深夜の野菜栽培も可能になる、などなど。
私たちの生活環境は、劇的に変化する。
「太陽光を使って、水を分解する」という話は、そういう話である。


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