2009年10月22日木曜日

*A Doubtfull Experiment

●映画

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今週は、見たい映画はなし。
少し前、『火天の城』(邦画)を見てきた。
が、途中でギブアップ。
「時間がもったいない」と感じ、
途中で劇場から出てきてしまった。

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 週に1度は、劇場へ足を運ぶ。
映画を見る。
私たち夫婦は、そう取り決めている。
ボケ防止のため。

 しかし先々週くらいから、見たい映画が
パタリとなくなってしまった。
しかたないので、ときどきDVDを借りてきて
見ている。

 今は、映画も、シーズンオフ?
クリスマスや正月が近くなれば、また楽しい映画も
出てくるはず。
それまでがまん。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●相手を助けるチンパンジー(奇妙な実験)

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先日、奇妙な実験が、テレビで報道されていた。
何でも、チンパンジーには、共助の心、つまり相手を助ける心があるという。
テレビで報道された範囲での私の判断だから、誤解があるかもしれない。
それに実験の主宰母体は、あの天下の京都大学霊長類研究所。
まさか?、とは思うが、私が感じた疑問をここに書いてみたい。

なおこまかい部分については、記憶によるものなので、不正確である。

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【実験の内容】

2つの檻(おり)がある。
金網でできた檻。
それぞれに、1匹ずつのチンパンジーが入れられている。
たがいに相手の姿が、よく見える。
2つの檻の間には、チンパンジーの腕が楽に通るほどの、穴があいている。

1匹のチンパンジーの檻の前には、リンゴが置かれている。
しかし手が届かない。
このチンパンジーを、チンパンジー(A)とする。

そこで実験者が、もう1つの、別の檻に入っているチンパンジーに、杖(つえ)様の棒を渡す。
杖を渡されたほうのチンパンジーを、チンパンジー(B)とする。

チンパンジー(B)の檻に、杖があることを見た、チンパンジー(A)は、金網越しに、手を伸ばし、杖を渡すようにせがむ。
このとき、「杖を渡せ」というようなジェスチャを、チンパンジー(A)がしてみせる。
腕を穴に通し、チンパンジーは、手先で「それをよこせ」というようなジャスチャをしてみせる。
(ここが重要だから、念のためにもう一度、書く。
チンパンジー(A)が、チンパンジー(B)のほうに手を伸ばした。)

チンパンジー(B)は、杖様の棒を、チンパンジー(A)に渡す。
その棒を手にしたチンパンジー(A)は、その棒を使って、リンゴを手前に引き寄せ、リンゴを手に入れる。
チンパンジー(A)は、リンゴを食べる。

【考察】

 以上が、実験のあらましである。

この実験を通して、報道番組では、「チンパンジーには、共助の心がある」というようなことを、おおげさな言い方で賞賛していた。
つまりチンパンジー(A)が、リンゴを手にすることができるよう、チンパンジー(B)が、チンパンジー(A)を助けた、と。

 しかし、ちょっと待ったア!
この実験というか、実験結果から引き出された結論は、お・か・し・い!
どう考えても、お・か・し・い!
この実験だけで、チンパンジーに、「共助の精神」、つまり他人を思いやる(やさしさ)があると判断するのは、おかしい。
無理がある。

 もう一度、実験の流れを、よく読みなおしてみてほしい。
(テレビでは、2度、同じ実験を繰り返して見せていた。)

【疑問】

 チンパンジー(A)は、隣にいるチンパンジー(B)に向かって手を伸ばし、棒を渡すように合図した。
ここにも書いたように、「それをよこせ」と言っているかのようなジェスチャだった。
それに応えて、チンパンジー(B)は、杖様の棒を、金網越しに、チンパンジー(A)に渡した。

 そのあとチンパンジー(A)は、その棒を使って、リンゴを手前にたぐり寄せ、リンゴを手にした。

 つまりチンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけである。
ここが重要だから、念を押しておきたい。
チンパンジー(A)の置かれた状況を見て、チンパンジー(B)のほうから、棒を渡したのではない。
もしそうなら、つまり、チンパンジー(B)のほうから、積極的に棒を渡したのなら、「チンパンジーには、共助の精神がある」ということになる。
「ほら、この棒を使って、お前のほうに、リンゴを引き寄せろ」と。

 しかし実験では、2回とも、チンパンジー(A)のほうが、金網越しに手を伸ばし、棒を渡せと催促していた。

【共助の精神?】

 この実験だけで、チンパンジーに、相手を助ける心があると判断するのには、無理がある。
また実験者(研究者)が、「チンパンジーの別の高い知能が証明された」というようなことを言っていた。
が、この言葉には、「?マーク」を、10個ほどつけたい。

 繰り返すが、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけである。
自分のほうから、棒を、チンパンジー(A)に渡したのではない。
さらにつぎの点が、重要である。

 リンゴを手にしたチンパンジー(A)は、自分でそのリンゴを食べた。
半分に割って、チンパンジー(B)に渡すというような行為が、そのあとにでもあれば、それこそ「共助の心」があったということになる。
しかし残念ながら、そういうことはなかった。

【補記】

 チンパンジー(A)の立場で、もう一度、考えなおしてみよう。
何しろ相手は、天下の京都大学。
京都大学霊長類研究所。
いいかげんな批評をすると、私のほうが、逆に袋叩きにあう。
だから、ここは、慎重に!

 チンパンジー(A)は、自分の檻の前に、リンゴがあるのを見た。
しかし手を伸ばしても、リンゴには届かない。
が、横の檻を見ると、もう1匹のチンパンジー(B)がいて、その横には、杖様の棒がある。
棒が手に入れば、その棒を使って、リンゴを引き寄せることができる。
チンパンジーに、その程度の能力があることは、すでに証明されている。
そこでチンパンジー(A)は、金網越しの手を伸ばし、棒を渡すように、チンパンジー(B)にせがむ。
それに応じて、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)に、棒を渡す。

 今度は、チンパンジー(B)の立場で考えてみよう。
チンパンジー(B)も、リンゴを見つけたはず。
自分でそのリンゴを取ろうとしても、手は届かない。
であるとするなら、なぜそのときチンパンジー(B)は、自分で、棒を使って、リンゴを引き寄せなかったのか、ということになる。

あるいは棒を使っても、届かない距離ということを、チンパンジー(B)は知っていたのかもしれない。
それともチンパンジー(B)は、能力的にチンパンジー(A)より、劣っていたというのだろうか。
もし劣っていたとするなら、さらに高度な精神的作用を必要とする、「共助の心」は、期待できないということになる。
何度も書いたように、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけである。
テレビで見たところ、そのようにしか見えなかった。

 つまりそれだけの実験というか、それだけの話なのである。
どうしてこの実験だけで、チンパンジーには、相手を助けるために行動する能力、つまり(相手を思いやるやさしさ)があると言えるのか?

 多分、こうした実験結果(?)は、おおげさな論文となって、あちこちで発表されるにちがいない。

しかしおかしいものは、お・か・し・い。
……ということで、感じたままを、ここに書いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW チンパンジー 京都大学 京都大学霊長類研究所 共助 共助の心 チンパンジーの実験 思いやり ほかの仲間を助けるチンパンジー 疑問)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●10月21日も終わって……

老いることが、わびしいのではない。
老いていく人を見るのが、わびしい。
老いていく人を見ながら、その人に
自分の未来像を写し重ねる。
それがわびしい。

死ぬのがこわいのではない。
死ぬときは、死ぬ。
しかし簡単には死ねない。
それまでに、いろいろ苦しむ。
もがく。
それがこわい。
どうやって死ぬか。
それがこわい。

私がほしいのは、休息ではない。
遊ぶことでもない。
私がほしいのは、生きがい。
私を必要とする人が、ほしい。
仕事があれば、さらによい。

私がこわいのは、孤独。
だれにも相手にされないという孤独。
だれにも必要とされないという孤独。
だれも愛する人がいないという孤独。
だれにも愛されないという孤独。
その孤独がこわい。
孤独は地獄。
人がこの世で味わう、最悪の地獄。

だから私はしがみつく。
細い糸だが、それにしがみつく。
それから手を放したら、私はおしまい。
生きる意味を失う。
明日が今日と同じとしたら、
来月が今月と同じとしたら、
私は生きる意味を失う。
それがこわいから、しがみつく。
希望という細い糸にしがみつく。

今日も映画俳優の、M洋子という人が亡くなった。
76歳だったという。
もうすぐ私は62歳になる。
その年齢から、「私もあと14年か」と、計算する。
私にとって、「死」というのは、そういうもの。
刻々とやってくる。
少しずつやってくる。
残された時間……それが私の人生。

老いることがこわいのではない。
それまでに、何かができればよい。
が、何もできなかったら、私はどうなる。
どうする。
何もできなかったことを悔やみながら、死ぬ。
私は、それがこわい。

体力も落ちていく。
気力も落ちていく。
知力も落ちていく。
集中力も落ちていく。
今でさえ、そこに何があるか、私には、わからない。
この先、それがもっとわからなくなる。
急がなければならない。
もっと急がなければならない。
「時」という電車に乗り遅れたら、
私は希望を失う。
そのまま私は奈落の底に……。

ワイフも、すっかりバーさんになった。
やわらかい白髪が、秋の風にそよぐ。
それを見て、私もジーさんになる。
あえてジーさんになる。
いっしょに、歳を取りたい。
私だけ、この世に生き残るのは、ごめん。
ジーさんになるのが、いやなのではない。
ワイフだけが、バーさんになるのがいや。
自分だけ、取り残されるのがいや。

明日こそは……と、自分に気合を入れる。
明日こそは、思う存分、生きてやると、
自分にそう言って聞かせる。
しかしそんなこと、もう何千回も
繰り返してきた。
そして夜になると、決まって、こう言う。
「今日もだめだった」と。

この無力感。
この脱力感。
しかしそれに負けたら、私も、おしまい。
ここはふんばるしかない。
そしてまた自分に言って聞かせる。
「明日こそは、がんばろう」と。
「明日こそは、いいことがある」と。

ワイフが寝じたくに、とりかかり始めた。
化粧を落として、パジャマに着替える。
それが終わると、血圧を測る。
そのころ、いつも私にこう言う。
「そろそろ寝る?」と。

そこにある「死」から目をそむけながら、
そこにある「孤独」から目をそむけながら、
そこにある「老い」から目をそむけながら、
バカになったフリをして、私も寝じたくを始める。
今日も、これでおしまい。
みなさん、ごくろうさま。
おやすみなさい。

(09年10月21日夜)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

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