2009年5月10日日曜日

*Rationalization *North Korea

●認知的不協和から合理化へ(「私は夫を愛しています」)
Rationalization of the Mind

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会って話をするたびに、「私の夫はすばらしい人です」
「私は夫を愛しています」「今の夫と結婚できて幸福です」
などと、ことさら自慢げに口にする人がいる。

そういう話を聞くと、だれしも、そういう夫婦について、
「さぞかしすばらしい夫婦なんだなあ」と思うかもしれない。
うらやましいと思うかもしれない。

事実、私など、そういうことを言葉として、他人に言った
ことはない。
私のワイフについては、さらにない。

が、待ったア!
この話は、おかしい!

実際には、このタイプの夫婦ほど、実はあぶない。
自分の中の心の矛盾(=認知的不協和)を合理化する
ために、そう言う。
そういうケースのほうが、多い。
もっとわかりやすく言えば、日頃から、「いやだ、いやだ」と
思っているから、そういう言葉を口にする。
することによって、自分の心をごまかす。

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●反動形成

先日、1年ぶりに、Mさん(65歳)に会った。
見た目には、明るく朗らかな人である。
ケラケラとよくしゃべり、話題も豊富。
が、どこか不自然。
演技ぽい。
身についていない。

「無理をしているな」と、私は感じた。
私はその女性が、うつ病の薬を常用しているのを、
ワイフから聞いて知っていたこともある。

このタイプの人は、外の世界では、本来の自分とは正反対の
自分を演ずることが多い。
こういうのを、「反動形成」という。
子どもの世界でも、よく観察される。
たとえば弟や妹が憎くてたまらないはずなのに、親の前では、
よくできた、ものわかりのよい兄や姉を演ずる、など。

それがおとな、さらには老人期に入ると、反動形成そのものが、
その人の(人格?)として定着する。
古いキズの上にできたカサブタが、無数に固まり、分厚い皮となる。
つまりちょっとやそっとでは、ボロを出さない。
Mさんは、だれからも、明るく、朗らかな人と見られていた。

●認知的不協和

こんなことがあった。

よいと思って買ったパソコンだったが、使ってみると、あれこれと
不便なことが生じてきた。
実は最近買った、ミニパソコンのMがそうだ。

タッチパッドの感度がよすぎて、指を近づけただけで、勝手に反応
してしまう。
そのため、ワープロとして使っていると、突然、カーソルの位置が、
とんでもないところにジャンプしてしまう。
使いにくい。
それが頻繁につづくと、イライラする。

そこでショップの人に相談すると、タッチパッドに紙を張って使いなさい
とのこと。
しかしそれも不便……。

こういうとき、心の中で、認知的不協和という特殊な反応が起きる。
もっとわかりやすい例では、こんな例もある。

「すてきな女性」と思って結婚してみたが、結婚生活が始まると、あれこれ
不満だらけ……。
「こんなはずではなかった」というのが、それ。
私もミニパソコンのMを買って、「こんなはずではなかった」と思った。

●合理化

しかし人間の心は、こうした矛盾には、それほど耐えられない。
矛盾を感ずると、心は葛藤状態になり、つづいて緊張状態を強いられる。
この緊張状態に弱い。

そこで心は、自分を防衛するために、さまざまな反応を示す。
その一つが、合理化。
何かの理由をこじつけて、今のその状態を合理化する。
たとえば釣りをしていて、魚を取り逃がしたとする。
そういうとき、「どうせあの魚は、病気だった」とか、自分に言い聞かせることで、
取り逃がしたという悔しさを、解消しようとする。

こうした一連の心理的操作、つまり(認知的不協和)から(合理化)という
操作は、日常的に、私たち自身が、よく経験する。
冒頭にあげたMさんも、その1人。

Mさんにしてみれば、望まない結婚だった。
夫に対する不満もつづいた。
しかし世間体もあり、離婚することもできなかった。
そういう生活が、40年間もつづいた。
その結果が(今)ということになる。
Mさんは、ことあるごとに、こう言う。

「私は今の夫と結婚できたことを、喜んでいます」と。
しかしこうした言葉は、そのまま受け取ってはいけない。
裏から読む。
「今の結婚は、不満です」と。

しかしそれを認めることは、そのまま自己否定につながる。
人生も晩年になって、何がこわいかといって、「自分の人生は
まちがっていたかも?」という疑問をもつことほど、こわいものはない。
その自己否定がこわいから、ほとんどの人は、合理化することによって、
自分の心を防衛する。
「防衛すること」から、こうした心理操作を、心理学の世界では、「防衛機制」という。

●退職者の悲哀

こうした現象は、何も妻だけの問題ではない。
定年退職した男たちが、みな共通にもつ問題と言ってもよい。
とくに私たちの世代は、現役時代には、「企業戦士」と言っておだてられ、
一社懸命、一所懸命と、身を粉にして会社という企業のために尽くしてきた。

本当は自分のためにそうしたのだが、結果として、自分の夢や希望を犠牲にした。
家族を犠牲にした。

が、結末はあわれ。
本当にあわれ。
民間企業でそれなりの地位についた人も、50歳を回るころにはリストラされ、
関連会社や子会社へ。
あるいはリストラ→求職活動→再就職、と。

こうした人たちの落胆感には、ものすごいものがある。
しかしそれを認めることは、先に書いた「自己否定」につながる。
そこでこのタイプの人たちは、過去の経歴にしがみつく。
あるいはそれ以前の学歴にしがみつく。

言うなれば、これも「合理化」の変形ということになる。

●再び、Mさん

Mさんは、先にも書いたように、見た目には、明るく朗らかな人である。
私たちと話すときも、何かとよく気がつき、あれこれと仕事をしてくれる。
だから私たちも、その範囲で、Mさんと交際している。
問題はない。
一応、よき人間関係ということになる。

しかしどこかで違和感を覚えるのも、これまた事実。

私「お前さア、他人に、『浩司さんと結婚できて幸福』って、言ったことあるか?」
ワ「ないわねエ~」
私「だろ……。本当に幸福なら、そんな言葉など使わないぞ」
ワ「そうねエ。夫婦なんて、空気のようなものだから……」

私「でも、Mさんは、ぼくにも、そう言った。お前にも、そう言った」
ワ「どうしてそんなことを言うのかしら?」
私「つまり、それだけ今の夫に不満があるからだよ。自分の心をごまかすために、
そう言う」
ワ「そうねエ……」と。

何も私たち夫婦が仲がよいというわけではない。
ないが、他人に夫婦の間のことを話すことは、めったにない。
話しても意味がない。
無駄。
言うとしても悪口のほうが、多い。
「ぼくのワイフは、頑固」「融通がきかない」「まじめすぎる」と。
いわんや、他人に、「ぼくはワイフを愛しています」などとは、言ったことがない。
最近の若い人たちのことは知らないが、私たちの世代には、「愛」という言葉には、
ある種の照れくささを覚える。

●晩年

しかし人生も晩年に近づくと、この合理化がふえてくる。
「ぼくの人生はこんなものだ」という、あきらめとも、居直りともわからない
複雑な気分が、身を包む。
それが合理化に拍車をかける。

私の人生を振り返っても、釣った魚よりも、釣り逃した魚の方が、はるかに多い。
「あのときの魚は、こうだった」「ああだった」と、自分をなぐさめる。
結婚生活にしても、また私のワイフにしても、そういう思いがどこかにないとは
言わない。
しかしそれこそ、(お互い様)。

私だって、欠陥だらけの人間。
とても人に誇れるような人間ではない。
そんな私に、40年も付き添ってくれた。
私がワイフなら、私のような男とは、とっくの昔に離婚していただろう。
それが自分でもよくわかっているから、偉そうなことは言えない。

ただ幸いなことに、自己否定に陥ることは、死ぬまでないだろうということ。
私は、ささやかだが、自分なりに、自分の人生を歩むことができた。
どこの世界で、どのようにがんばったところで、私は今程度の人間でしか
なかっただろう。
やり残したと思うようなことも、ほとんどない。
だからあとは、このまま死ぬまで、突っ走るだけ。

そんな私だが、ワイフに、「愛している」と言われることくらい、うれしいことはない。
めったに言わないが……。

さて、この文章を読んでいるあなたは、どうか?
余計なお節介かもしれないが……。(失礼!)


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
認知的不協和 防衛機制 合理化 自己正当化)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●運動(Exercise)

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昨夜は、オーストラリアの友人への誕生日プレゼントを
送るため、片道約5キロを歩いた。
西郵便局まで、歩いた。
今日も、近くのショッピングセンターまで、約6キロを
歩いた。
そのため、私もワイフも、疲れた~~~ア。

帰ってきて、そのまま昼寝。
目をさましたのが、午後4時ごろ。
2人も、2時間近くも眠ったことになる。

が、起きてみて、ビックリ。
居間から寝室まで、漢方薬の焦げた臭い。
ワイフが、ヨクイニン湯をつくりかけて、火を消すのを
忘れてしまったためらしい。

ヨクイニン湯……肌をなめらかにする。
イボの特効薬でもある。
私たちは、ヨクイニンに、甘草(カンゾウ)を、4対1の割合で
煎じて飲んでいる。
甘草を混ぜるのは、薬効をおだやかにするため。
それにのみやすくなる。
それにセンナの葉を、5~6枚入れると、便秘薬にもなる。

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このところ「運動」といっても、どこかに悲壮感が漂うようになった。
「楽しむ」というよりは、何かに追い立てられているといった感じ。
とくに土日にしっかりと運動をしておかないと、つづく月曜日からの
仕事にさしさわりが出る。

が、そこは私。
それなりに楽しむ工夫はしている。
その一。
いつもデジタルカメラをもち歩く。
最近はビデオカメラを持ち歩くことも多い。
そのつど美しい花を見かけたりすると、それを写真に収める。
今日も、ショッピングセンターまで歩くとき、30枚ほど、写真に撮った。

あとはただひたすら、おしゃべり。
ワイフとペチャペチャとしゃべりながら、歩く。
これが結構楽しい。

●墓穴

アメリカにも、「墓穴」という言葉があるらしい。
クリントン国務長官が、「K国は、ますます墓穴を掘っている」というような表現で、
K国を非難した。

(「墓穴」……?
英語で、何と言うのだろう。
suicidal=自殺行為、disastrous=破滅的、という単語は、よく使うが、grave=墓穴
とういのはどうか?)

ともかくも、K国は墓穴を掘りつづけている。
だいたい言うこと、なすこと、すべてがメチャメチャ。
先の国連安保理の決定を撤回しろとか、謝罪しろとか、さもなければ、ICBMの
実験をするとか、核実験をするとか……。

それに対してアメリカは、『無視と圧迫』作戦を展開中。
K国が何を言っても、無視。
K国への援助予算も全額カット。
議会への報告書からも、K国という文言を消した。

要するに、「ご勝手にどうぞ」と。

が、日本として、もっとも警戒しなければならないのは、あのB氏。
電撃的な米朝会談。
前例がないわけではない。
先のC・ヒルには、日本は、さんざん煮え湯を飲まされた。
また今回K国の特命大使に任命された、B氏は、大の韓国びいきときている。
「日本はずし」も、ありえないわけではない。
もしそんなことにでもなったら、一大事。
日本は国運を賭けてでも、それに抵抗しなければならない。

警戒すべきは、B氏。
このB氏の動きと言動を、注意深く見守っていこう!

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