2009年5月26日火曜日

In the Bihind of Nursing

●何かの脳の病気?

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私の年代になると、まず気になるのが、
脳みその状態。
友人と会っても、まず最初に、「お前はだいじょうぶか?」
「あいつはだいじょうぶか?」「ぼくもあぶない……」
というような会話から始まる。

が、この方法は万能ではない。
私自身の脳みそもおかしいばあい、
相手のことを正しく判断することができない。
「お前はだいじょうぶだよ」と言っても、また言われても、
安心はできない。

こうして私たちは、どんどんと、ボケていく。
不可逆的にボケていく。
肉体と同じように、知力、気力ともに衰えていく。

で、こんな話を聞いた。
そのまま紹介するわけにはいかないので、
少し私のほうでアレンジする。

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●ボイスレコーダー

その知人(男性、50歳)には、10歳ほど年上の姉がいる。
今年、満60歳になるという。
その姉の会話が、このところ、どうもおかしい、と。

その知人によれば、こうらしい。

ある特定のことについては、ことこまかに覚えている。
まるでビデオカメラか何かで撮影でもしたかのように覚えている。
そしてそれについて話し出すと、口が止まらなくなる。
その間、相手の話を聞かない、つまり一方的にしゃべるだけで、会話にならない。

が、何を話したいか、それもつかめない。
話の内容が、とりとめもなくつづき、どんどんと変わっていく。
「だからどうしたらいいの?」という部分がない。
ときにそれがグチになることもある。
ネチネチといつまでもつづく。

が、その一方で、数日前に話したことを、ポンと忘れてしまうことがあるという。
そこでその知人は、自分の姉と話すときは、必ずメモ用紙か、
ボイスレコーダーを用意するという。
そしてその姉がおかしなことを言ったりしたら、すかさず、メモを見せ、
「おまえは、昨日、こう言ったぞ」と言うことにしている、と。

が、この方法も、最近では通用しなくなってきたという。
メモそのものを疑うようになった。
メモを見せたとたん、「そういうウソをつくな!」と、逆に怒鳴られたこともあるという。
で、ボイスレコーダーということになった。

が、これにも猛反発。
声を聞かせようとすると、「あんたは、そんな卑怯なことをするのかア!」と。
で、ボイスレコーダーのほうは、あくまでも内々の記録用にとどめている、とか。

「父親の介護問題、近所のつきあい、実家の税務問題など、このところ金銭問題
がからむ問題が多くなってきたので、そういうやり方でもしないと、話にならない
のです」
「何しろ、つい数日前に約束した話でも、ポンと忘れてしまうのですから」と。

その知人は、私に「何の病気かね?」と聞いた。
私は「わからないです」と答え、「一度、病院で診てもらったほうがいいよ」と
アドバイスした。

●原因

うつ病によるものなのか、それとも認知症によるものなのか?
ある特定のことだけ、ことこまかに覚えているというのは、どういう病気による
ものなのか?

私たちでも何かのことに強いこだわりを覚えると、それについて、こまかいことを
覚えているということは、よくある。
が、それにも程度というものがある。
うつ病患者の主症状のひとつが、「異常なこだわり」となっている。
こまかいことに固執し、いつまでも悶々とそれについて悩む。

一方、「ポンと何かのことを忘れてしまう」(知人の言葉)というのは、アルツハイマー
病などの主症状のひとつにもなっている。
「エピソード記憶の喪失」というのが、それである。
で、その知人の姉のばあい、その2つの病気が、同時進行の形で、起きていることも
考えられなくはない。
私たちの年代になると、ボケがうつ病を併発しているのか、うつ病がボケを併発
しているのか、専門のドクターでもその判断がむずかしいという。

で、その知人には、もうひとつ、心配ごとがある。
その知人の父親も、頭がおかしくなってしまい、今は施設に入っているという。
で、姉もおかしいとなると、「今度は自分」ということになってしまう。

脳の病気には、遺伝性はあるのか。
それとも、ないのか。
だから別れ際、私にこう言った。

「ぼくは、あなた(=私)からみて、おかしくありませんか?」
「おかしいと思ったら、教えてくださいよ」と。
で、私はこう答えた。
「ぼく(=私)もおかしくなったら、どうします」と。

本当にさみしい年代になった。
こんな会話で話が始まり、こんな会話で話が終わる。
そんなことが多くなった。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●介護が終わって、腹黒い人間になってしまった姉(ヤフー知恵袋より)

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ヤフー「知恵袋」にこんな話が載っていた。
一部を抜粋して、紹介させてもらう。
その女性の母親は、1年ほど、義父の介護をした。
で、事件が起きて、義父は、センターへ。
その女性の母親は、介護からは解放されたのだが……。

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『……ある日、お爺ちゃんが兵隊だと言って、暴力をフルおうとしたのがきっかけで、
おじいちゃんは入院することになり、母も介護からやっと解放されました。


本当に母の方がストレスで壊れてしまうところだったので、
こうなって良かったと思いました。

(中略)

しかし、解放されてはや一年。。。
母の性格が、口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの、腹黒い母になってしまいました。

昔の母は、凄く優しく、悪口を嫌い、正義感あふれる、
お茶目で、かわいい、私の大好きな母でした。


弟夫婦にどなるし、うるさいやんちゃさんがいたら、注意しに行くし、、、
弟夫婦や義父の悪口をその名前が出るたびに、同じ昔の話を何回も愚痴り、
介護をもうこの先しなくてもいいのに、
そして、介護や認知症についてが新聞のテレビ欄にあるたびにそのテレビを見て、
テレビで介護する人たちに共感して、毎回、愚痴愚痴言います……』と。

参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324226598

●抑圧からシャドウへ

こうした心理的変化は、心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明される。
義父を介護しながら、その女性(=嫁)は、日頃の不平、不満を、心の中に別室を
作り、そこへ抑圧してしまった。

義父への憎しみ、怒り、不快感など。
が、その一方で、そうした感情を表に出すことを許されなかった。
表面的には、よい嫁を演じ、かいがいしく義父を介護してみせた。
いわば仮面をかぶったことになるが、その仮面を脱ぐことも許されなかった。

本来なら、そうした仮面はどこかで脱ぐべきだった。
思う存分、言いたいことを言い、したいことをすべきだった。
その母親のばあいは、娘(=この原稿の投稿者)に対してグチをこぼすという
方法で、自分の心を調整しようとした。
が、それだけでは足りなかった。

●腹黒い母

心の別室といっても、それにはキャパシティ(容量)というものがある。
それが広い人もいれば、狭い人もいる。
多くは、その人のもつ文化性で、決まる。
文化性の高い人は、そのキャパシティが大きい。
そうでなければ、そうでない。

そのためにも私たちは、日ごろから高い文化に触れ、キャパシティを大きくして
おかねばならない。
音楽、絵画、芸術を楽しむなど。
映画鑑賞もよいだろう。
いろいろな本を読んで、見分を広くしておくこともよい。
もちろん道徳の完成度も、関係してくる。
より公正性があるか、より普遍性があるか(コールバーグ)。
つねに自分を磨いておく。

その容量を超えたとき、今度はその別室に閉じ込められた邪悪な自分が、本来の
自分を侵襲し始める。
人間性をゆがめる。
さらにはシャドウとなって、その人を裏から操るようになる。
その女性は、こう書いている。

「母の性格が口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの腹黒い母になってしまいました」と。

よくあるケースである。

●子どもの世界でも

こうした現象は、子どもの世界でも、よく観察される。
たびたび取りあげてきたので、ここでは簡単に触れる。

よく「おとなしい子どもほど、心をゆがめやすい」という。
親は、「忍耐力のある、がまん強い子」と喜んでいるが、これはとんでもない誤解。
このタイプの子どもほど、何を考えているか、外からつかみにくい。
先生が何かを指示しても、だまって、それに従ったりする。

このタイプの子どもは、心の中に別室をつくり、そこへ邪悪なものを閉じ込めることに
よって、表面的には、いい子ぶる。
そしてそれがたとえば思春期前夜ごろから、爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と、母親に向って殴りかかったりする。

●ではどうするか。

だれにでも、心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
ない人は、ない。

いやなことがあると、それをその心の別室の中に抑圧する。
こうして私たちは、自分の心を守る。

で、そこで大切なことは、(1)まずその心の別室を認めること。
そして(2)その別室には、自分の中でも、邪悪なものが住んでいることを認めること。
仮面をかぶることが多いようであれば、その仮面を、どこかで脱ぐことも忘れては
いけない。

とくに日頃から善人ぶっている人ほど、要注意。

こわいのは、心の別室に邪悪な部分をすべて抑圧し、表の自分だけを見せて、
それが「私のすべて」と錯覚すること。
あるいは仮面を脱ぎ忘れてしまうこと。
ほうっておけば、確実に、あなたの心はむしばまれる。
ばあいによっては、それがシャドウ(ユング)となって、つぎの世代へと
伝播していく。

で、その女性の母親のばあい、それが期待できるかどうかという問題がある。
年齢は書いてないのでわからないが、おそらく65歳前後ではないか。

が、この年齢になると、自分を静かに見つめるということ自体、できなくなる。
グチがグチをよぶグチ地獄の中に陥ってしまうことが、多い。
というのも、グチそのものが、(こだわり)の一種とみる。
ささいなことにこだわり、それをグチ化する。
そのため、グチがいつまでもつづく。
言いかえると、母親自身が、何らかの心の病をわずらっている可能性がある。

●介護問題の陰で……

介護問題の陰には、こうした問題もある。
「介護」というと、介護だけを考える人は多い。
しかしそれ以上に深刻な問題は、介護疲れもさることながら、それが与える、
精神的、心理的負担。
それが周囲の人たちの心をゆがめる。

その一例として、ヤフー知恵袋に載っていた相談を、ここで考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
林浩司 介護 介護疲れ 介護問題 抑圧 心の別室 シャドウ論)

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