2009年5月27日水曜日

*Magazine dated May 28th

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 5月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page014.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●うれしいメール

+++++++++++++++++

フランス在住のSさんから、
こんなメールが届いている。

フランスの子育て事情がわかっておもしろい。
ドイツでも、フランスでも、子どものための
クラブが発達している。
ドイツなどでは、中学生たちはたいてい、
午前中で授業を終え、午後は、それぞれ
好きなクラブに通っている。

月謝も安い。
「チャイルド・マネー」という補助金が支給され、
それで通うことができる。

++++++++++++++++++

【Sさんより、はやし浩司へ】

私たちは元気で、KT(=長男)もTK(=二男)も毎日自転車で走り回っています。
昨年のオリンピックでBMXの女子の部で、地元のブルターニュの選手が
金メダルをとったので、今年はBMXを始める人が多く、
先日の地方の大会でも400人もの選手が集まりました。

KT(=長男)とTK(=二男)が所属しているクラブも、とても人気があります。
毎週のトレーニングはもちろん、今年からは雨の日は自転車の手入れ?
(というのでしょうか?)、工具を持っていって、ここをまわすと.....とか言っています。
すでに私のわからない世界です。

4歳からクラブに入れるので、小さい子でありながら真剣に走っている姿は、
とても生き生きとしています。
クラブの費用も年間35ユーロ (約4300円)と、とても安いです。
KT(=長男)は今年からチェスを習い始めたのですが、そこも年間30ユーロです。
いろんな事に興味がある子供達には、とてもよい事だと思います。

先生のマガジンでおっしゃれられているように、子供達と一緒にいろいろ体験して、
同じときを過ごしたいと思っています。
先週も家族で、子供の希望で隣町まで往復20km、家族で自転車を走らせました。
健太は毎日したい!!と目をキラキラさせていましたが、私と夫は夜、
ぐったりしていました。

先日のマガジンでYOU TUBEでの先生の教室を子供達と一緒にみました。
え~すご~い!数の数え方、.みながらげらげら笑う子供達。
2人とも一緒に数える練習をしていました。
プライベートレッスンのようですね。

【はやし浩司よりSさんへ】

いつも転載許可、ありがとうございます。
「クラブの費用も年間35ユーロ (約4300円)」というのには、驚きました。
ドイツの例ですが、1か月、約1500円程度と聞いていましたので……。
チャイルド・マネーが、毎月、1万5000円程度支給されますので、
単純に計算すれば、子どもは毎週、10前後のクラブに通うことができます。
水泳が好きな子どもは、毎日水泳教室へ通う、ということもできます。

日本も、そうすべきですね!

学校は午前中で終え、午後は、それぞれが好き勝手なことをする。
今の日本のように、「学校だけが道」「学校を離れて道はない」という世界の方が、
異常なのです。

しかし問題もあります。
今の日本のまま、欧米のクラブ制度を取り入れたら、みな、進学塾だけに通うように
なるでしょう。
「算数クラブ」「理科クラブ」「受験クラブ」、とです。
社会の制度そのものが、ゆがんでいます。
こんな話もあります。

2年前、二男の嫁が、日本でいう司法試験に合格しました。
2人の子どもの子育てをしながらの合格です。
しかも嫁は、アメリカ文学部出身です。
で、私はそのニュースに驚きました。
が、それ以上に驚いたのは、アメリカでは、(そういうこと)が、できるということです。
日本では、考えられないことですね。
が、それだけではありません。
さらに驚いたことは、本来なら2年で、ロー・スクールを卒業しなければ
ならないのですが、それを4年にしてもらったということです。
「子育てで忙しいから、授業を半分にしてもらった」ということだそうです。

ものの考え方が、実にフレキシブル。
つまり世界の教育は、今、ここまで進んでいる。
が、この日本はどうか?

少しずつ改革が始まっていますが、日本が一歩前に進んだときには、欧米では、
さらに数歩、前に進んでしまっている……。
そんな感じがします。
本来なら率先して教育改革をし、それをほかの国に示してこそ、日本はアジアの中の
先進国ということになるのです。

が、それが……?
いまだに教科書検定だの、漢字検定だの、バカなことばかりしています。
今度は、「語彙力検定」も始まるとか?
浜松市郊外の小さな町ですら、観光ガイドの認定試験をしていますよ!
自ら「自由」を束縛しながら、その愚かさにすら気づいていない(?)。
日本という国は、ますます息苦しくなっています。

……とまあ、グチはここまで。

YOU TUBEを見てくださり、ありがとうございます。
そのYOU TUBEで、教室を公開するようになって、2か月が過ぎました。
Sさんからのメールが、実のところ、はじめての(見た人からの反応)です。
このところ日増しにアクセス数がふえていますが、はじめての(反応)です。
(この1週間、ユニーク・アクセス数は、100~150件程度。
1人が10回、あちこちを閲覧しても、数の上では、1件とカウントされますので、
実際にはその数倍のアクセスがあるものと推定しています。)

どうかこれからも、公開教室を利用してください。
今は手が回りませんが、一段落したら、今度はプリント教材も、そのまま公開
するつもりでいます。
もちろん、すべて手作りプリントです。
そうなれば、フランスでも、私のレッスンを受けてもらえるようになりますね。
どうか期待していてください。

では、今日は、これで失礼します。

近く、日本でお会いできることを楽しみにしています。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●消える脳みそ

++++++++++++++++++++++++++++

加齢とともに、脳みその底に、穴があいたような状態になる。
知恵や知識、それに経験が、どんどんとそこから外へ、こぼれ落ちて行く。
しかし当の本人が、それに気づくことは、まずない。
というのも、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題。
CPUそのものの機能が衰えていくため、論理的に、それに
気づくのは、不可能ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++

●うつからボケに

私の年代になると、うつ病になったり、ボケたりする人が、急速に
多くなる。
うつとボケ。
うつからボケになる人もいれば、ボケからうつになる人もいる。
専門家でも、その区別はむずかしいという。
あるいはうつとボケは、同時進行の形で始まると考えてよいのか。

●こだわり

うつになると、こだわりが強くなる。
こだわりが強いから、うつになるとも考えられるし、うつになるから
こだわりが強くなるとも考えられる。
しかしこだわりが強くなると、脳の特定部分のみが活発の働き、ほかの
部分は鈍くなる。
「鈍い」というよりは、「眠ったような状態」になる。
たとえば何かのことに没頭していると、それについては詳しくなるが、
ほかのことについては、忘れてしまう。
そういうことは、私たちも日常的に経験する。

つまりこだわりが強くなればなるほど、同時に、脳のほかの部分が眠ったような
状態になる。

●病識

うつ病にせよ、ボケにせよ、病識をもつことは、簡単なことではない。
病識……「私は病気」と、自らそれを意識することを病識という。
本人の自覚と言い換えてもよい。
それがあれば、まだ救われる。
それがないと、治療もむずかしくなるという。
そんなわけで、「私はだいじょうぶ」とがんばる人ほど、あぶないという
ことになる。

が、中には、本人だけではなく、その周囲の人にも、その病識がないこと
がある。
ある夫(70歳くらい)は、私が、「奥さん、少し心配ですね」と話しかけたとき
のこと、「うちの家内は何も問題はない!」と、大声で叫んだ。
理由はいろいろあるのだろう。
そういうケースもある。

●愚かな人には、賢い人がわからない

幼児の前で、簡単な足し算を、わざとまちがえてみせる。
子どもに自信をもたせるには、この方法が効果的である。
そのときのこと。
ある幼児(年長・女児)は、私にこう言った。
「あんた、それでも先生エ~?」と。

子どものもつCPUでは、それが理解できなかった。
それでそう言った。

で、言葉はきついが、昔からこう言う。
『賢い人からは、愚かな人がよくわかるが、愚かな人からは、賢い人が
わからない』と。
愚か人は、自分のレベルでものを考える。
またそれしかわからない。
だから賢い人が、理解できない。

同じように、CPUの機能が衰えてくると、それが衰えてきたこと自体が
わからなくなる。

●記憶の欠落

が、方法がないわけではない。
たとえば私のばあい、数年前、あるいは10年前に書いた原稿を読みながら、
それに気づくことがある。
文章そのものは私のものとわかるが、ときに、内容そのものを、すっかりと
忘れてしまっていることがある。
数年を経て、同じことを書くときもある。
そういうとき、背筋が、ゾッと寒くなるのを感ずる。

よくボケの症状のひとつとして、物忘れがあげられる。
私もよく物忘れをするが、それほど気にならない。
というのも、記憶というのは、(記銘)→(保持)→(想起)という
プロセスを経て、記憶として脳みその中から呼び出される。
(記銘)そのものをしっかりしていなければ、脳みその中に記憶として
残らないのは、当然のこと。
これだけ情報が洪水のように押し寄せてくると、選択するだけでもたいへん。
しかし自分が書いた文章の内容を忘れてしまうというのは、「忘れる」
というよりは、「欠落する」に近い。
だからゾッとする。

●特徴

ボケていく人を観察してみると、(というのも、私の周辺にも、そういう
人が、何人かいるので)、興味深いことに気づく。

そのひとつが、初期の段階では、(1)どの人も脳みその異変にある程度、
気づいているのではないかということ。
つぎに(2)そうであることを、それなりに隠そうとすること。
「とりつくろい」や、「弁解」が多くなる。
さらにアルツハイマー型認知症のばあいは、(3)ささいなミスを指摘された
りしただけで、パニック状態になるということも指摘されている。

ふつうなら、「あら、まちがえました。ごめんなさい、ホホホ」と言って
すますような問題でも、ギャーギャーと泣きわめいて、抵抗するなど。
心の余裕そのものが、なくなる。

●私はだいじょうぶか?

そんなわけで、このところ、とみに私は自分の脳みそを疑うことが多くなった。
何かにつけ、「私はだいじょうぶか?」と。

そこでワイフや、生徒たちに、こう聞く。
「最近、ぼくのことだけど、バカになってきたと思わないか?」と。
こういうケースのばあい、ワイフは、あてにならない。
ワイフも同じようにボケているとしたら、ワイフには、それがわからない。

では、生徒たちは、どうか?
私の変化や異変に気づくということはあるのだろうか。
が、生徒たちは、みな、こう言う。

「先生は、昔から頭がおかしいから、わからない」と。

●迷惑するのは、周囲の人

これも何度か書いてきたことである。
うつ病になるにしても、ボケるにしても、当の本人だけの問題ではすまない。
当の家族だけの問題でもない。

周囲の人たちにも、えらい迷惑をかける……ということもある。
(実のところ、私もそういう経験を、何度かしている。)
その人が、そういう状態であることを知っていれば、まだよい。
知らないと、ひどく傷つくということが、よくある。

介護にしても、まともな会話が、ほどほどにできれば、まだ救われる。
そうでなければそうでない。
うつ病にしても、ボケにしても、本人だけの問題と考えている人は多い。
しかしそれ以上にたいへんなのが、家族を含めて、その周りの人たちである。
これからはそういう視点でも、この問題を考えていく必要がある。


Hiroshi Hayashi++++++++April・09++++++++++++はやし浩司

●脳みその緊張と弛緩

緊張と弛緩。
脳みそは常にこれを繰り返す。
緊張状態が長くつづけば、脳みそは疲れる。
脳みそというのは、それほどタフには、できていない。
しかし弛緩状態ばかりがつづけば、思考力そのものが、消えうせる。

というのも、思考力というのは、習慣の問題。
毎日、毎晩、BS放送をつぎからつぎへと見ているからといって、
思考力が養われるわけではない。
「考えるというクセ」、それが思考力ということになる。

で、私のばあい、ものを書いているときは、脳みそは緊張状態になる。
ピンと張りつめた状態になる。
しかし何かを書き終えたとたん、スーッと頭から力が抜けていく。
とたん、弛緩状態。
頭の中が、からっぽになる。
何も考えられなくなる。
で、そのときおもしろい現象が起きる。

これもあくまでも私のばあいだが、脳みそが勝手に乱舞し始める。
冗談がつぎつぎと口から出てくる。
ワイフとの会話にしても、掛け合い漫才のようになる。
ペラペラと軽口が多くなる。
子どもを指導しているときもそうで、レッスンそのものが、メチャメチャになる。
(もともとメチャメチャだが……。)
そういうときの私は、まったくの別人。
(あるいはそちらのほうが、本来の私かもしれないが……。)

で、問題は、弛緩状態から、緊張状態への戻し方。
どうすれば脳みそを、緊張状態に戻すことができるか。
ふつうは何かの記事などを読んでいて、ビビッと火花が飛んだようなとき、
緊張状態に戻る。
カチンときたときでもよい。
が、それもないときは、ダラダラと時間が過ぎる。
たとえば今がそうだ。
先ほどから30分ほどパソコンの前に座っているが、どこへ消えたかと
思うほど、頭の中は、からっぽ。
何も頭の中に浮かんでこない。
知識や情報がどこかにあるはずなのに、それが浮かんでこない。
「いったい、どこへ消えてしまったのか!」
……ということで、この文章を書き始めた。

●息子のE

頭の中に断片的な情報が、少しずつ戻ってきた。
先ほど書店で立ち読みした本の内容。
それに息子たちのこと。
そう、息子のEのこと。

今月、息子のEが結婚した。
そのこともあるのだろう。
今度、Eが息子の友人から、家を借りることになった。
「だいじょうぶかな?」
「素性のわからない人から、家を借りるのはよくない」
「家賃はどうなっている」
……などと、いろいろ考える。
で、そのことをメールに書いた。
昨夜遅く、その返事が届いた。

それによれば、要するに、「心配ない」。
息子のEも、私が思っている以上に、おとなになった。
成長した。
私より、はるかに人格者。
精神力も強いし、情緒も安定している。

私は「おいしい話には、裏があるから気をつけるように」と書いた。
それについても、あれこれとこまかく説明してくれた。
それを読んで、ほっとした。
安堵感に包まれたとき、急に体中から力が抜けた。

●幸福とは

幸福感ほど、実感しにくい感覚もない。
あえて言うなら、今の私のように、何も問題がない状態を、幸福というのか?
もちろん幸福感と、喜びはちがう。
ふつうは何かの欲望を満たされたとき、喜びを感ずる。
が、喜びイコール、幸福ということではない。

このところワイフとは円満な状態がつづいている。
今日も、街までの距離の約半分を、いっしょに歩いた。
腕を組みながら、歩いた。

長男も、やる気を出して仕事をしている。
アメリカに住んでいる二男からも今朝、メールが届いていた。
5月xx日に、ディズニーワールドへ行くと言っていたから、「やめたほうがいい」と
私はメールを書いた。
その返事だった。

三男については、先に書いたとおり。
そうそう、今度の連休には奥さんを連れて、帰ってくるという。

が、今、何よりもうれしいのは、母や兄の介護から解放されたこと。
実家から解放されたこと。
私には重くて苦しい半世紀だった。

●ひとりよがりな考え

ひとつ気になっているのは、仕事のこと。
いや、私の仕事のことではない。
先日、横浜に住む友人が私の家に来て、こう言った。
「ぼくは仕事をやめられて、うれしい」と。
彼はこの春、3度目の退職をして、完全な引退状態になった。

私はこの言葉に、電撃に打たれるようなショックを受けた。
というのも、私は、世の中の人たちはみな、仕事をしたがっているものと
ばかり思っていた。
私もそうで、今、そこに仕事があること。
その仕事ができること。
そういう状態に喜びを覚えていた。
「仕事をやめて喜んでいる人がいる」などということは、思いもつかなかった。

それを知らなかった私自身にショックを受けた。
私の考えは、あまりにもひとりよがりなものだった。
そのひとりよがりな考えの上で、持論を組み立てていた。

●安易な『ダカラ論』

人の心は、本当に複雑。
同じようなショックだが、若いころ、子どもを愛せない母親の話を知って、
驚いたことがある。
実際には、8~10%の母親たちが、子どもを愛せないと、人知れず、悩んでいる。
「親、なかんずく母親というのは、子どもを愛しているもの」と、私は思い込んでいた。
が、実際には、そうでない。

簡単に言えば、自分がそうだからといって、他人もそうであると思ってはいけない。
また自分を基準にして、心を語ってはいけない。
ほかにもある。

世の中には、親をだます子どももいるが、反対に、子どもをだます親もいる。
叔父や叔母をだます甥や姪もいるが、反対に、甥や姪をだます叔父や叔母もいる。
「身内だから……」という言葉ほど、アテにならないものはない。

さらに言えば、それぞれの家庭問題には、たとえ身内でも、口をはさまないこと。
それぞれの家庭には、それぞれに、人には言えない、複雑な事情というものがある。
周りの人たちに干渉されて、それこそ死ぬほどつらい思いをする人だっている。
ある女性(現在、66歳)は、こう話してくれた。

「母は現在、85歳になります。
口がうまく、外面(そとずら)はいいのですが、家の中では、わがままのし放題。
食事が遅いと言っては怒り、まずいと言っては怒ります。
そんなとき、定期的に伯父(=母親の弟)から電話がかかってきて、『姉を大切に
しろ!』と。
そうした電話がかかってくるたびに、悔しさと悲しさで、手が震えます」と。

が、無神経な人には、それがわからない。
安易な『ダカラ論』だけを振りかざし、「こうあるべき」と決めてかかってくる。

……と、ここまで書いて、やっと少し、頭が熱くなってきた。
脳みそに緊張状態が戻ってきた。
いろいろと書きたいことが、浮かんできた。

よかった!、ということで、今日も始まった。
4月30日、早朝。
おはようございます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●恥(はじ)論

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「恥」をもって、これこそが日本が世界に誇る、精神的美徳であると説く人は多い。
「恥を教えれば、学校からいじめがなくなる」と説く学者もいる。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?

そのルーツといえば、封建時代の、あの武士道である。
それ以前のことは知らないが、「恥」が、日本の文化の中で立場を定着したのは、
そのころである。

が、封建時代を美化してはいけなのと同じように、「恥」なるものを、
けっして美化してはいけない。
ほんの5~6%の武士階級(=特権階級)の人たちにとっては、住みやすい
世界だったかもしれないが、あの時代は、世界の歴史の中でも、
類を見ないほど暗黒の時代であった。
それを忘れてはいけない。

それだけではない。
話は飛躍するが、「自立」と「恥」は対立関係にある。
自立できない人ほど、その一方で、恥にこだわる。
恥が日本人の精神的バックボーンであるとするなら、日本人は、それだけ
自立できない、つまりは未成熟な民族ということになる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●子どもの自立

満4・5歳を過ぎると、子どもは、急速に自立をめざす。
幼児期から少年期への移行期へと入る。
この時期、子どもは、まさに(ああ言えば、こう言う)式の反抗を繰り返すようになる。

母「玄関から、新聞を取ってきて」
子「自分のことは、自分でしな!」と。

子どもは生意気になることで、おとなの世界をコントロールしようとする。
けっしておとなの優位性を、頭から押しつけてはいけない。
おとなは、ときに子どもに負けたフリをしながら、かつ、バカなフリをしながら、
子どもに自信をもたせる。
それが子どもの自立を促す。

●権威主義

が、中には、子どもの反抗を許さない親がいる。
子どもが何かを口答えしただけで、「何よ、親に向って!」と。
たいていは権威主義的なものの考え方をする親と考えてよい。
しかし親が、親風(=悪玉親意識)を吹かせば吹かすほど、子どもは委縮する。
萎縮するだけならまだしも、子どもは、親に「飼殺されたような状態」になる。

たとえば親の優位性を押しつけすぎると、子どもは、(1)権威、権力に従順になる、
(2)ものの考え方が復古主義的になる、(3)「型」にはまった考え方をするようになる、
(4)保守的な生き方をし、非冒険的な生活を好むようになる、(5)依存性が強くなり、
ものの考え方が服従になったり、卑屈になったろする。

が、最大の特徴は、(5)見え、体裁、メンツにこだわり、その結果として、「恥」をより
強く意識するようになる。

「世間に顔向けができない」
「世間体が悪い」
「世間が笑う」と。

●世間的な自己評価

「私は私」「あなたはあなたは」という生き方の中で、子どもは自立する。
私がどんな人間であっても、構わない。
あなたがどんな人間であっても、構わない。
大切なことは、「私は私で生きる。そしてその分だけ、相手は相手として認める」。
それが「自立」である。
「自律」と言い換えてもよい。

が、「恥」を気にする人は、常に、周りの人たち、つまり世間的な自己評価を気にする。
わかりやすく言えば、他人の目の中で生きる。
しかしこれが実に愚かな生き方であるかは、ほんの50年前を知ればわかる。

たとえば私たちが子どものことのこと。
たとえば「役者」という職業は、番外と言ってもよいほど、「恥ずかしい職業」という
ことになっていた。
あるいは家族の中に、何か障害をもった人(子ども)がいたりすると、その家族は、
必死になって、それを隠そうとした。
私が幼稚園の講師になったときも、母は、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。
「浩ちゃん、あんたは道をまちがえたア!」と。

しかしこんなものの考え方は、日本が誇るべき精神的美徳でも何でもない。
幼稚性の表れ、そのものとみる。

●恥ずかしいから、やめよう(?)

もちろん「恥」にも、いろいろある。
「個人の恥」
「家の恥」
「社会の恥」などなど。

こうした「恥」という言葉を使うときは、つねにそこに第三者的な目を想定する。
最近でも、韓国のある新聞に、こんな記事が載っていた。

いわく、「……(韓国人は)、平気で道路につばや痰を吐く。
こうした行為は、(先進国の仲間入りをしようとしている国としては)、恥かしい」と。
今日も、「元大統領、事情聴取、韓国の恥」という見出しをかかげていた新聞があった
(5月1日)。

このばあいは、(外国)という国を意識しながら、「恥ずかしい」と言っているのがわかる。
しかしだからといって、同じ国民に向って、「ツバを吐くのは恥ずかしいからやめよう」と
言うのは、越権行為もはなはだしい。
いらぬ節介。

大切なことは、自分たちの国がまだそのレベルであることを認め、全体として文化を
高めること。
その結果として、みなが、ツバや痰を吐かなくなる。

言いかえると、恥を感ずるたびに、破れた衣服にパッチをあてていても、問題の
解決にはならないということ。
個人についても、同じ。

●大切なのは反省

「何をしてもよい」ということは、けっして、「他人に迷惑をかけてもよい」ということ
ではない。
そんなことは常識で、「恥」という言葉を改めて出すまでもない。
で、ゆいいつ「恥」という言葉が生きる場所があるとするなら、それは「自分に対しての
恥」ということになる。
が、それとて、「後悔」もしくは、「自責の念」という言葉で、置きかえることができる。
「恥は、日本が誇るべき精神的美徳」と、無理に結びつける必要はない。

むしろ「恥」という言葉を先に使うことで、かえって「反省」そのものが、どこかへ
吹っ飛んでしまうことさえある。
たとえばあなたが何かの破廉恥罪を犯したようなばあいを考えてみよう。
電車の中で痴漢行為か何かを働いたようなばあいである。

逮捕され、新聞などに報道されれば、たしかに恥ずかしい。
しかしこのばあいも、「恥」が先に立ってしまうと、反省が後回しになってしまう。
大切なのは、「恥」ではなく、「反省」である。
それがわからなければ、痴漢行為はしたが、発覚しなかったばあいを考えてみればよい。
「恥」だけを考えていたとしたら、あなたは「うまくやった」と喜ぶことになる。
発覚しなかったから、「よかった」、発覚したから、「恥ずかしい」というのは、
あまりにも無責任。
言いかえると、あなた自身が、どこにもない。

●自分に対する恥

もちろん中には、自分のした愚かな行為について、自らに恥じる人もいるかもしれない。
しかしそれとて、その人がより高い境地になったとき、はじめてできることであり、
そうでなければ、自分に恥じるということは、ありえない。
たとえば痴漢行為にしても、自分がより高い境地になったときはじめて、「私は愚かなこと
をした」とわかるようになる。
そのときそれがわかるということはない。
わかれば、そうした行為はしないはず。
つまり発覚する、発覚しないというのは、別次元の話。
発覚しなくても、恥じる人は、恥じる。

そこで「自由論」!

●自由論

長々と話したが、要するに、「恥」という言葉を使うときは、そこにいつも他人の
目がある。
他人の目を意識して、「恥」という。
が、他人の目など、ぜったいに行動の規範にはなりえない。
また行動の規範にしてはいけない。
繰り返すが、「私は私」「あなたはあなた」である。
一言でいえば、「自由」。

その「自由」とは、「自らに由(よ)る」という意味である。
「自分で考え」「自分で行動し」「自分で責任を取る」。
この3者を合わせて、「自由」という。

その自由が達成できたら、(もちろん犯罪は別だが……)、私がどんな私であっても、
またあなたがどんなあなたであっても、私は私、あなたはあなたで、生きていけばよい。
自立というときの「自立」、自律というときの「自律」というのは、それをいう。

さあ、あなたも叫んでみよう。
「恥なんて、クソ食らえ!」と。
子どもに対しては、「あなたはあなた」と教える。
すべてはそこから始まる。

(以上、未完の原稿ですが、一度、このままBLOGに掲載します。)

(付記)

私自身は、「恥」という言葉を生涯にわたって、使ったことはない。
そんな言葉など知らなくても、何も不都合なことはない。
私は私で、それなりにちゃんと生きている。
が、もし「恥ずかしい」と思うようなときがあれば、こんなときだ。

若い母親たちが参観している教室で、立った拍子などに、ブリッと、
おならが出てしまったような場合。

そういうときは、内心では「恥ずかしい」とは思うが、私は知らぬ
顔をしてレッスンをつづける。
「気がついたかな?」「ほかの音とまちがえてくれたかな?」と
思いながら、レッスンをつづける。

つまり「恥」というのは、もともとそのレベルの話。
そのレベルを超えることはない。
少なくとも「日本が誇るべき……」などというレベルの話ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
恥論 恥とは 恥ずかしい はやし浩司の恥論 恥(はじ)論)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●国際政治

+++++++++++++++++++++

無視すればするほど、相手は、躍起(やっき)になる。
墓穴を掘る(クリントン国務長官)。

現在のK国が、それ。
今度は、「核実験をする」とか、「ミサイル実験をする」とか、
言いだした。
世界から注目されたいという気持ちはわかる。
「何とかしてほしい」という気持ちもわかる。
しかしやるべきことが、ちがう!
そんなヒマがあったら、国内生産を充実さえ、国民に
与える食糧の心配をしたらよい。

+++++++++++++++++++++

が、ここで「?」と思われるニュース。
何でも非同盟諸国会議の席で、K国支持の採択がなされたという。
聯合ニュース(5月1日)は、つぎのように伝える。

『北朝鮮外務省報道官は1日、先月30日に閉幕した非同盟諸国会議の閣僚級会議で採択
された最終文書で、これまで記載されてきた6カ国協議を含む朝鮮半島関連条項が除外さ
れ、参加国らは6カ国協議に参加しないという北朝鮮の立場に理解を示し、支持したと主
張した』と。

「非同盟諸国首脳会議」、またの名を、「中立諸国首脳会議」という。
英語では、「Nonaligned Summit Conference、Non-Aligned Movement Summit
Conference 」という。
現在120か国前後が加盟。
国連を舞台として、活躍している。
が、その席で、「K国支持の採択がなされた」という(?)。

K国外務省報道官の発表なので、まともに信じるわけにはいかないが、それにしても、
ヘン?

それはともかくも、アメリカは、現在、K国に対して「無視作戦」を展開中。
何をしても、何を言っても、相手にしない、と。
もちろん援助も、しない。
それに今は、それどころではない。
世界中が、豚インフルで、パニック状態。
「こんな忙しいときに!」というのが、私たちの率直な感想。


●YOU TUBE「BW幼児公開教室」

++++++++++++++++++

この数か月間、電子マガジンの読者が、
ほとんどふえない。
そのこともあって、電子マガジンを発行する
意欲が、日増し、月増しに減退している。

で、その一方で、やる気が出てきたのが、
YOU TUBEの「BW幼児公開教室」。
教室の様子をそのままビデオに収録し、
それをインターネット上に公開している。

今は、これが楽しい。
毎晩、仕事から帰ってくると、1時間ほどを
かけて、YOU TUBEにアップロード
している。
ビデオの編集などは、短時間でできるが、
アップロードに時間がかかる。
で、その間、ぼんやりと画面をながめたり、
別の原稿を書いたり……。
今が、そのとき。

この公開教室のほうは、当初、一日数件程度の
アクセスしかなかったが、2か月後の今、
120件前後にふえた。
(1人の人が、10回アクセスしたとしても、
1件としてカウントされる。)

しかも、数日前、フランス在住のSさんから、
「子どもたちが楽しんでいます」というメールを
もらった。

こうなると、「もう止まらない!」。

興味のある方は、ぜひおいでください。
楽しいですよ。
どこかの教材会社が作る学習教材とは、
また別の(楽しさ)があります。

http://bwhayashi.ninja-web.net/
より。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。