2012年1月17日火曜日

*When we die...

●教育の緊迫感(はやし浩司 2012-01-17)

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あのね、空の飛び方は、崖から突き落とされてから覚えるもの。
その緊迫感が、人を伸ばす。
教育の世界も、またしかり。
この緊迫感がないかぎり、日本の教育は、よくならない!

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●今日も、はじまった

 世の中、暗い話ばかり。
いかん!
明るい話が、ほとんどない。
いかん!
これではいかん!

がんばろう。
がんばるしかない。

 が、カラ元気も、ここまで。
どうしても暗くなってしまう。
元気が、しぼんでしまう。

 今朝のニュースに目を通す。
まず国際経済。
ギリシア問題。
民間債権者(銀行)に、75%の債務削減を迫る政府。
75%!
「借金を、75%、棒引きにしてくれ」と。

民間債権者が、そんな削減案に応ずるはずがない。
ギリシア国内の銀行はともかくも、フランス、さらには日本やアメリカの銀行が応ずるはずがない。

だからロイターは、「ギリシアのデフォルトは、不可避」と。
今日、そんな見出しをかかげた。

 ……つまり、こうしてヨーロッパの国々は、ふつうの国々になっていく。
夢のように美しい国々だが、それはそれ。
しかし、あなたはヨーロッパの人たちが、汗水流し、働いている姿を見たことがあるか。
美しい事務所や、街中の商店街ではなく、油がこぼれ散る工場で、だ。
残念ながら、私は、ない。
ないから、こうなる。

 現在、富の再分配が、世界規模で起こりつつある。
産業革命以前の状態に戻りつつあると説く学者もいる。
それまでは、中国とインドが世界の覇者だった。
その時代に戻る、と。

 ただし資源のある国は、別。
鉱物資源。
原油。
それに人的資源。

 日本が生き残るとしたら、「人的資源」しかない。
つまり「教育」。
が、教育は、その成果が出るのは、20年後。
30年後。

 が、現在、世界中が、日本の教育以上のことをしている。
こんな状況で、この先、この日本は、どうやってこの国際社会を生き抜いていくというのか。
考えれば考えるほど、気が重くなる。

 ……私はあの、「ゆとり学習」や「総合的な学習」で、教育に自由な気風が生まれると信じていた。
が、結果は、みなさんご存知のとおり。
その逆。
多くの教師は、「何をしていいかわからない」と、しりごみしてしまった。
引っ込んでしまった。
その結果、教育の内容が、かえって沈滞し、後退してしまった。

 そこでたとえば近くのK市では、小学校の教員を幼稚園で、研修させた。
いろいろな試みは、なされた。
が、どれだけ効果があったのか。
私は知らない。

 日本よ、日本人よ、もっと新しいことをしよう。
新しいことにチャレンジ、していこう。
そういうバイタリティが、子どもを動かす。
子どもの世界に、活力を与える。

 その一例として、どうか、私の「公開教室」を見てほしい。
子どもたちがもつ、本来のエネルギー、つまり爆発するようなエネルギーを感じてほしい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
から「BW公開教室」→「2012年」へ。

世界の人がまねできないような教育をする。
日本が生き残るには、それしかない。

 キバを抜かれた「豆腐型人間」ばかり育てて、どうする?
どうなる?

 なお、ギリシアのつぎは、この日本だぞ!
わかっているか!

●意識を失う

 「九死に一生」という。
まさに、それを経験した。

 数日前、夜中にトイレに起きた。
そのときのこと。
用をすまし、つづくガラス戸をしめたとたん、おかしな気分に襲われた。
生まれてはじめて覚えた、気分だった。

 軽い不快感。
瞬間「こんな不快感を覚えるくらいなら、死んだほうがいい」と。
脳の中に、乾いた砂がザラザラと落ちてくるような不快感だった。

 が、そのあとのことは覚えていない。
まったく覚えていない。

 気がついたときには、ガラス戸を背中に、(……というか枕のようにして)、横たわっていた。
つぎの瞬間、ポタポタと血が落ちてくるのが、自分でもわかった。
手を伸ばすと、そこに冷たいガラスの破片があることがわかった。

 私は1枚ずつ、割れたガラスを顔のまわりからはずした。
どれも長さが30~50センチもあった。
痛みはまったく感じなかった。
血だけが、ポタポタと落ちていた。

●「気を失ったみたい……」

 「どうしてこんなところで寝ているのだろう」と、思った。
思ったが、ともかくも、私は廊下で寝ていた。
が、気を取り直すと、ワイフを呼んだ。
「A子、A子……」と。

 ワイフがやってきて、電気をつけた。

ワ「どうしたの……?」
私「気を失ったみたい……」と。

 ワイフは残ったガラスを、枠(わく)からはずした。
それを見届け、私はゆっくりと頭を離した。
私はその場で倒れ、ガラス戸に頭を叩きつけたらしい。

 幸い切ったのは、両耳だけ。
あとはガラスの破片をはずすとき、両手を少し切った。
それだけ。
こういう事故で死ぬ人は多いという。

●血圧

 床に横になると、すぐ血圧を計った。
上が128、下が76だった。
私の平常値は、上が110、下が70前後。
そのときですら、私には異常値だった。
つまり倒れたときは、もっと高かったはず。

 暖かい布団から出て、冷え切ったトイレに行ったのがまずかった。
しかしそんなことで失神したのは、生まれてはじめて。
話には聞いていた。
が、生まれてはじめて。
義兄などは、今年にはいってからだけでも、数回、同じような経験をしているという。

●死の模擬体験

 臨死体験ではない。
模擬体験。
その模擬体験をした。

 その結果、私はつぎのことを知った。

(1)死ぬ瞬間は、何もこわくないということ。
(2)意識がなくなったあとは、何も覚えていないということ。
(3)意識を失う前と、回復したあとは、連続的につながっているということ。
途中だけが、ビデオをカットしたように、抜け落ちる。
(4)あの世らしきものは、まったく見えなかったということ。

 どうであれ、60歳を過ぎると、とたんにこういう経験が、多くなる。
それまで経験したことのないような「経験」を経験する。
失神もそのひとつ。

 ふだんは血圧の低い私でも、その範囲で高血圧状態になる。
その瞬間には、血圧が140~50近くにまで、はねあがっていたのかもしれない。
低血圧症でも、時と場合によっては、高血圧症の人と同じような病気になることもあるらしい。
……ということ。
油断は禁物。
それがそのとき、よくわかった。

(補記)

 映画などでは、よく失神シーンが出てくる。
だれかに殴られ、そのまま失神してしまう、とか。
あれと同じに考えてよいのかどうかは、知らない。
印象としては、似たようなものではないかと思う。

 ただここで言えることは、こういうこと。
私たちは死ぬことを、健康な間は、恐れる。
しかし死ぬ瞬間というのは、恐ろしく穏やかであるということ。
脳の構造そのものが、そうなっているからではないか。
つまり脳が、恐怖心を自ら遮断してくれる。
長い進化の過程で、そういうメカニズムができたらしい。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【年中児に「位置」を教えてみました】(一部、実験的に「平均の概念」を教えてみました)

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Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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