2012年1月5日木曜日

*Jan 5th 2012

はやし浩司 2012-010-05

●1月5日

●怪談

 私は、子どものころから怪談が苦手。
どこかでそういうトラウマを作ってしまったらしい。
もともと閉所恐怖症だったから、暗い所や、狭いところが嫌いだった。
が、よく覚えているのは、映画。

 当時、猫化け映画や怪談映画が、流行(はや)った。
その中に四谷怪談とか牡丹燈籠というのもあった。
播州皿屋敷というのもあった。

 そういう映画を見に行くと、決まって映画館の通路に、祭壇がもうけてあった。
その上に、線香がたいてあった。
私たち子どもは、それを見ただけで、震えた。
私が小学1~3年生のころのことである。

●恐怖体験

 こうした恐怖体験は、子どものうちは、しないほうがよい。
今ではそれが常識だが、当時の日本には、まだそれがなかった。
子どもの心理がどうのこうのと、問題になるようなことはなかった。
おとなたちは、むしろ、そういうふうに子どもたちが怖がったりするのを、楽しんでいた。
映画館の中でも、私たちの恐怖心をあおりたてるようなことを、平気で言った。
「あれは本当の話だ」とか、何とか。

 そのこともあって、今でも、怪談が苦手。
日本の会談は、どこか湿っぽい。
あの湿っぽさが、苦手。
旅館に、古い行燈(あんどん)があったりするだけで、背筋に冷たいものを感ずる。

 ……実は、その古い行燈が、先日泊まった旅館の中にあった。
木製の、障子張りのものだった。
遠い昔、女性に化けた猫が、その行燈の油を、ペロペロとなめていた……。
ゾーッ!

●女たらし

 ほかにも、苦手なものがいくつかある。
その第一が、女性。
私は、団塊の世代がみなそうであったように、中学に入るまで、女の子と遊んだ経験がない。
女の子と遊んでいると、「女たらし」と言って、馬鹿にされた。
……というか、女の子と遊んでいる男を、「女たらし」と言って、馬鹿にした。

 女の子と遊ぶことは、悪いこと。
そう思っていた。

●腕白ボーイズ

 だからいまだに、女性が苦手。
ついでに言えば、女の子を教えるのも苦手。
どうしても一歩、退いてしまう。
距離を置いてしまう。

 半面、私がそうだったということもあって、腕白ボーイズが得意。
そういう子どもたちを相手に、ワイワイやっていると、そのまま私の子ども時代に、そのままタイムスリップしてしまう。

●傷

 このように人間の心というのは、その成長過程で、雑音のように作られていく。
「雑音」というのもおかしな言い方だが、それに近い。
種々雑多なことが、無秩序に積み重なって、心はできていく。
その途中で、「傷つく」ということも、ある。
が、傷つくことを恐れてはいけない。
だれしも傷まるけになりながら、おとなになっていく。
(もちろん傷にも、程度の差というものがあるが……。)

●ひ弱な子ども

 で、最近よくこんなことを考える。
今の若い母親たちは、神経質すぎる、と。
「もう少し、乱暴に育ててもいいのではないか」と思うときも、多い。
こうした傾向は、学校教育の場でも、みられる。

 このあたりの小中学校でも、子どもが学校で怪我をしたりすると、かならず病院へ連れていくことになっている。
とくに首から上の事故のばあいは、教師が診断書をもって、家庭訪問をすることになっている。
「そこまでするのですか?」と聞くと、「そこまでします」と。
ある小学校の校長が、そう教えてくれた。

 怪我の程度にもよるが、子どもというより、「子ども様々」。
こういう環境の中で、子どもはますますひ弱になっていく。
日本国内では、それでよいとしても、日本から一歩外に出れば、通用しない。
こんなニュースが、先週、どこかのサイトに載っていた。
記憶によるものなので、内容は不正確。

●強行着陸

 どこかの国の飛行機が、中国のある空港に着陸しようとした。
が、濃霧か何かで、その空港に着陸できなかった。
そこで50キロ離れた、別の空港に着陸しようとした。
残りの燃料は、10分を切っていた。

 そこへ中国国内の航空会社の飛行機が接近してきた。
「私のほうが先」と。
そこでそのどこかの国の飛行機は、上空で待機した。
が、燃料がいよいよ5分を切った。
そこで再度、「先に着陸させてほしい」と連絡したら、中国の飛行機の機長はこう言ったという。
「こちらは4分しかない。だから先に着陸する」と。

 そこで先に、中国の飛行機が着陸し、つづいてどこかの国の飛行機が着陸した。
どこかの国の飛行機は、燃料切れ寸前だった。
しかもギリギリの強行着陸。
あわや衝突事故……というような、ギリギリの強行着陸だった……という。

 が、ここからが実に中国らしい話。
あまりにも中国的!

 着陸したあと、中国の飛行機の燃料を調べたら、1時間分も残っていたという。
つまり中国の飛行機の機長は、ウソを言っていた。

 この先、すでに現在がそうだが、私たち日本人は、こうした連中を相手に商売をしていかねばならない。
今の日本の子どもたちに、その野生臭があるか?
(以上、記憶による話なので、内容は不正確。

●記憶錯誤

 ここで脱線。

 この事件について、調べてみた。
あちこちを検索したら、いろいろわかった。

 事件は2011年の08月28日に起きた。
ここに書いた「どこかの国」というのは、「カタール」のことだった。
また中国機(吉祥航空機)を操縦していたのは、韓国人のパイロット。
なお管制官にこうした虚偽の報告をしたり、支持に従わなかったばあい、パイロットは死刑になる可能性もあるという。

 記憶というのは、こういうものかもしれない。
ストーリーは覚えているが、枝葉の部分は、すべて消えてなくなる。
記憶錯誤が起きる。
それはともかくも、さて本題。

●「好きな子どうし並んでいい」

 日本を一歩、外に出れば、そこは野獣うごめく海千山千の世界。
食うか食われるか。
中国には、こんな格言すらあるという。
『だまされる前に、だませ。だまされたほうが、バカ』と。
きれいごとだけでは、生きていくことすらむずかしい。

 今の若い母親たちには、そういう現実が、まったくわかっていない。
それこそ先生に、子どもがプリントで頭を叩かれただけで、「そら、体罰!」と言って騒ぐ。
これも本当にあった事件だが、こんなことがあった。

 ある学校で、先生が子どもたち(小1児)の席決めをすることになった。
そのとき先生が、こう言った。
「好きな子どうしで並んでいい」と。
が、この言葉に1人の母親が、猛反発。
こう言ったという。
「うちの子のように、友だちがいない子どもは、どうしたらいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為。許せない!」と。
校長室にまで怒鳴り込んでいって、「あんな教師、やめさせろ!」とまで言ったという。

(この事件について書いた原稿があるはず。
記憶を正すため、探してみる。)

●訂正

 1999年ごろに書いた原稿が見つかった。
そのまま紹介する。

『ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。
「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小2男児)のように友だちがいない子どもはどうすればいいのか。
そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に行くので、あなたも一緒に来てほしい」と』(1999年ごろに書いた原稿)と。

 ここでも記憶錯誤が起きている。
先に「小1男児」と書いたのはまちがいで、正しくは「小2男児」。
「校長室まで怒鳴り込んでいった」というのは、私の憶測。
が、そのときの雰囲気はよく覚えている。
その母親とは、道路でバッタリと会った。
「先生!」と声をかけられたから、振り向くと、その母親がそこに立っていた。
そこで、その話になった。
「これから学校へ抗議に行く。先生も(=私も)、いっしょに来てほしい」と。
ものすごい剣幕だった。

 そのときの原稿を読みながら、今、こう思う。

「小1の子どもではなく、小2の子どもだったのかあ……」と。
私はそのときの雰囲気で、「校長室へ怒鳴り込んでいく母親」を想像した。
だから今、記憶の中では、そうなっている。

 ついでに、そのとき書いた原稿を、全文、紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。

ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。
「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小2男児)のように友だちがいない子どもはどうすればいいのか。
そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。
これから学校へ抗議に行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。

 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。
「進学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子どものテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。
しかし過関心は子どもの心をつぶす。
が、それだけではすまない。
母親の心をも狂わす。

 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。
症状としては、ささいなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものがある。
(1)どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、
(2)ものごとを悲観的に考え、日常生活がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、不眠を訴えたり、注意力が散漫になったりする、
(4)無駄買いや目的のない外出を繰り返す、
(5)他人との接触を避けたりするようになる、など。

 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。
育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。
子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。
気づけば気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。
そういう意味でも、自分のことを知るのは本当にむずかしい。
『汝自身を知れ』と言ったのはターレス(古代ギリシアの七賢人の一人)だが、哲学の世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。

で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。
子育てそのものにすべての人生をかけてしまう。
たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかかる。
いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に巻き込まれ、ピリピリしてしまう。
学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプの親かもしれない。

 あなたがここでいう過関心ママなら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間として、生きがいを子育て以外に求める。
ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店を開いた。
また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。
そういう形で、つまり子育て以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。

●ターレス

 ハハハ、ここでまた記憶錯誤!

 先の原稿の中で、「ターレス」という名前を書いた。
が、「キロン」ではなかったのか。
それについて書いた原稿も見つかった。
日付は2009年6月になっている。
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『汝自身を知れ』(Know Yourself)
古代ギリシャの7賢人、アポロン神殿)

++++++++++++++++++++++

おととい講演をしているとき、『汝自身を知れ』という
言葉の話をした。
しかしその場で、それがだれの言葉あるかを忘れて
しまった。
ショックだった。
あれほどまでに有名な言葉の作者を忘れてしまうとは!

スパルタのキロンだったのか?
それともギリシャのターレスだったのか?
スパルタだったのか、それともギリシャだったのか?

ソクラテスはその言葉に、電撃的な衝撃を受け、哲学
の本質を知った。

++++++++++++++++++++++

●ターレス

 私は『汝自身を知れ』というのは、長い間、スパルタのキロンの言葉と思っていた。
あちこちの原稿に、そう書いた。
が、あるとき、掲示板にそのまちがい(?)が指摘されていた。
「キロンではなく、ターレスだ」と。

 そのとき書いた原稿をさがしてみる。
が、便利になったものだ。
いちいち自分の原稿を開かなくても、ヤフーの検索を使えば、即時にそれができる。
検索窓に、「はやし浩司 汝自身を」と記入して、(検索)ボタンをクリックすればよい。

 で、わかったことは、『汝自身を知れ』とは、ギリシャのアポロン神殿に刻まれている、
七賢者の一人、ターレスの格言ということがわかった。

 しかもターレスというのは、『古代ギリシア世界には7人の卓越した賢者がいたといわれるが、その7人が誰であるのかについては諸説あり統一的な見解は得られていない。
古代ギリシアの7賢人として一般的に知られている人物は、ターレス(タレス)、ソロン、ペリアンドロス、ビアス、ピッタコス、クレオブゥロス、ケイロンである』。

『ターレス(B.C.624-546)は、名門出身だったので、初め政治家としての
道を志すが、その後天文学など自然学の研究に熱意を燃やし、万物の根源(アルケー)
を探求する自然哲学の祖としての思索を行った』(以上、『』内、Biglobe・HP
より、転載)。

 キロンではなく、ターレスだった。
思い出した!
それにターレスというのは、古代ギリシャの7賢人の1人。
スパルタ、ではない。

 で、こうした記憶というのは、しっかりと上書きしておかねばならない。
また時間がたつと、その下の記憶が表に出てきてしまう。
記憶が混乱してしまう。

 古代ギリシャの7賢人の1人、ターレスが、ギリシャのアポロン神殿に残した言葉。
それが結論ということになる。
が、不安が残る。
このところ自分の脳みそが信用できなくなった。
こういうときは、どうするか?
どうすれば、記憶として、脳みその中に残すことができるか?
ウ~~ン……。
高校の受験生のように、クソ暗記するしかない。
キーワードは、「古代ギリシャ」「アポロン神殿」「ターレス」である。
どれもよく知っている言葉だが、どうかすると、ポンとそれらの言葉を思い出せなくなってしまう。
脳みその老化が進むと、そういう現象はよく起きるという。
「ド忘れ」ともいう。
これから先、そういうことが多くなるだろう。
心して、脳みその中に叩き込もう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
i Hayashi 林浩司 BW BW教 ターレス はやし浩司 汝自身を知れ 
古代ギリシャ 7賢人 アポロン神殿 はやし浩司 キロン)

(こうして(↑)、検索ワードを書き加えておけば、ヤフーもしくは、グーグルでの検索
ができるようになる。
すでに多くの人もしていると思うが、私がオリジナルに考えた方法である。)

 またこういうことも言える。
私はすでに、この5年間だけでも、3万ページ以上(40x36字)の原稿を書いた。
が、2600年後に残る言葉など、一行もないだろう。
しかしたーレスは、アポロン神殿に、『汝自身を知れ』という言葉を残した。
たったの一言である。
しかしその一言が、2600年を経た今、哲学の(柱)になっている。
すごいことと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
i Hayashi 林浩司 BW BW教 ターレス はやし浩司 汝自身を知れ 
古代ギリシャ 7賢人 アポロン神殿 はやし浩司 キロン)

●01月05日

 話が「怪談」から、「私の子どものころ」。
そしてさらに「ひ弱な子ども」から「記憶」へと脱線してしまった。
最後は「親の過関心」から「ターレス」。
脱線につづく脱線。

 ここまで読んでくれた人に感謝しながら、今朝はここまで。
今朝の私の脳みそは、ここに書いたエッセーのように、バラバラ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の過関心 はやし浩司 過関心)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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