2012年1月18日水曜日

*Children in Nuts

【がんこな子ども(人)】

●融通の利かない子ども

 もう30年も前になる。
ある女児(年長児)と、こんな会話をしたことがある。

私「今日は、いい天気だね」
女「今日は、いい天気じゃ、ない」
私「でも、気持ちいいよ」
女「あそこに雲があるから、いい天気じゃ、ない」
私「雲があっても、いい天気だよ」
女「雲があるから、いい天気じゃ、ない」
私「あのね、少しくらい雲があっても、いい天気だよ」
女「いい天気じゃ、ない!」

私「ぼくは、いい天気だと思う。青い空も見えるし、気持ちいい……」
女「私は本当のことを言っているだけ」
私「そういうのは、本当のこととは言わないよ」
女「雲があるから、雲があると言っているだけでしょ」
私「それはわかるけど、先生が、いい天気だねと言ったら、どうして君は、『そうだね』と言ってくれないのかな」
女「だって、あそこに雲があるでしょ!」と。

 こういう会話がつづくと、率直に言って、イライラしてくる。
脳にある種の障害をもった子どもの、独特の言い回しである。
心に余裕がなく、融通が利かない。
たとえば母親が、携帯電話で、子ども(小3女児)にこう言ったとする。

●ずぶ濡れになっていた子ども

 「今日、迎えに行くのが少し遅くなるから、校門の前で待っていてね」と。

 で、母親が子どもを迎えに行くと、子どもは校門の前で立っていた。
その間に小雨だが、雨が降り始めた。
子どもは雨で、ずぶ濡れになっていた。

母「どうして、中で待っていなかったの?」
子「だって、お母さん、校門のところで待っていてって言ったじゃない」
母「そうかもしれないけど、雨が降ってきたのよ」
子「お母さんが、校門のところで待っていてって言ったのよ」
母「でもね、雨が降ってきたのだから、中で待っていないと、風邪だってひくかもしれないのよ」
子「だったら、携帯で、そう言ってくれればいい」と。

●説得は無駄

 このタイプの子どもに、説得をしたり、説教しても、無駄。
かえって反発する。
「私は正しい」と。
さらに強く、殻(から)の中に、閉じこもってしまう。

 先の会話でも、私が「いい天気だね」と言ったら、「そうね」と言えば、それで終わる。
あとの会話でも、母親が、「どうして?」と聞いた段階で、「そうだったわ」と言えば、それで終わる。
が、このタイプの子どもは、それで終わらない。
反発したことをとがめると、とたんに周囲を厚い殻(から)で覆ってしまう。
批判されたとたん、その批判に反発する。

 こんな例もある。
実際にあったわけではないが、ひとつの典型的な例として、あげる。

●お茶をこぼす

 ある女の子(小6)が、不注意で、先生(女性)の机の上にあった茶碗を落とした。
そのとき先生が、「あっ!」と声をあげた。
すかさず、その女の子は、先生に向かって、こう言い返した。

「先生が、こんなところにお茶を置いておくから悪いのよ!」と。

先「でもね、お茶をこぼしたのは、あなたのだから、ごめんと言えば、それですむじゃない」
女「私、わざとやったんじゃ、ない」
先「それはわかっているけど、不注意だったのよ」
女「でも、こんなところにお茶を置いておいた、先生が悪い」
先「でも、こぼしたのは、あなたよ」
女「私は、悪くない。悪くないのに、どうして謝らなければならないの」
先「悪くなくても、あなたの行為で、お茶がこぼれたでしょ」
女「悪くないのに、謝れという先生のほうが、まちがっている!」と。

 こういう子どもに接すると、会話がとげとげしくなる。
ふつうの子どもなら、「ごめん」「これからは気をつけようね」で終わる会話。
それができない。

●血圧計
 
 ……というような話を、先日、ある懇談会の場で話した。
それもあって、ここでは診断名を書くことができない。
が、そのとき、1人の父親が、こう言った。
「私の家内が、そうなんです」と。

 話を聞くと、こう教えてくれた。

 ある朝、その男性が、朝のウォーキングから帰ってきたあと、妻にこう言った。
「引き出しにある、血圧計を出してくれ」と。
するとすかさず妻が、「今、計っても無駄よ」と。

男「血圧を計りたいから、血圧計を出しておいてよ」
妻「血圧を計るのは、起きたとき、すぐよ」
男「いいから、出しておいてよ」
妻「運動をしてから計っても、意味がないのよ」
男「簡単に計ってみるだけだから……」
妻「だから、朝、起きたとき計らなければ、意味がないの。(病院の)先生も、そう言っていたわ」
男「いいから、出せ!」
女「どうして、そんなことで怒るのよ」
男「引き出しから、出してくれと言っているだけだろ」
女「(病院の)先生に、聞いてきたら!」と。

 このばあいも、妻が、「出しておくわ」ですむ話。
が、このタイプの人(子ども)には、それができない。
あるいは血圧計を出したあと、病院の先生の話をすればよい。

 その男性はこう言った。
「うちの家内も、がんこで困っています」と。

●他者との良好な人間関係

 何かの理由があり、その理由に基づいてがんばるのは、これはよい。
が、理由もなく、また理由が乏しいまま、自分の殻(から)にこもるのは、子どもに限らず、好ましいことではない。
それだけ、脳の働きが硬直化していることを示す。
他者との良好な人間関係が結べなくなったとき、「~~障害」という診断名がくだされる。

 が、問題は、子どもでもおとなでも、その自覚がないこと。
先にも書いたように、「私は正しい」という前提でものを考え、その枠(わく)から一歩も外に出られない。
が、日常生活において、さまざまな問題行動を起こす。

(1)良好な人間関係が結べない……限られた人とは、それなりにうまく交際できる。しかしその範囲を越えると、表面的なつきあいしかできない。
(2)他者に対する許容範囲が、極端に狭くなる。ばあいによっては、小さな世界に引きこもってしまう。
(3)注意されたり、批判されたりすると、パニック状態になる。あるいは反対に、殻(から)にこもってしまう。
(4)説得や説教が、通じない。説得したり説教したりすると、同じくパニック状態になる。

 たとえばこのタイプの子どもは、私が答案用紙に「X」をつけただけで、パニック状態になる。
混乱し、激怒する。
中には、そのまま答案用紙を破ってしまう子どももいる。

●では、どうするか?

 私の知っている例では、50歳を過ぎても、「同じ」というのがある。
「治す」とか「直る」ということは、ほとんどない。
本人が自覚していても、反応のほうが、先に出てくる。
脳の奥深い部分にそれがあるため、本人も、それをコントロールすることができない。
何かあると、条件反射的に、すかさず、反応する。

「こんなところにお茶を置いておくから、(あなたが)悪いのよ!」と。
だからある男性(夫)は、こう言った。

「うちの家内と接していると、こわくて毎日、ハラハラしています」と。

 つまりその男性は、そういう状況になると、自分のほうが先に怒りで爆発してしまうという。
それが「こわい」と。

 で、私がその男性に、「奥さんは、自分の障害に気づいていないのですか」と聞くと、こう言った。
「まったく、気づいていませんね。自分は正常と言い張ります」。
「反対に、『すぐ、怒り出す、あなたのほうがおかしい』と言い返されます」と。

 結論を先に言えば、「受け入れ、あきらめるしかない」ということになる。
子どものばあいも、配偶者のばあいも。

こと「~~障害」ということになれば、多かれ少なかれ、みな何らかの障害をかかえている。
障害をかかえていない人は、いない。
最近の精神医学は、「正常」の定義すら、しなくなった。
言い換えると、この世の中には、正常な人というのは、いない。

 もちろん程度の差はある。
ここにあげた「がんこな子ども(人)」にしても、そうだ。
程度の差はあるが、みな、何らかの障害をかかえている。
そういう前提で、こうした問題は考えるしかない。

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Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【愉快な子どもたち】(小学1年生)Happy and Active Children (Age 6&7)

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