2012年1月10日火曜日

*When the English Magazine "Hello World" was born

【日本の英語教育】byはやし浩司

●奥浜名湖・国民宿舎に一泊(はやし浩司 2012-01-09)

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今日は、浜名湖・国民宿舎に1泊。
清潔さで選ぶなら、イチオシ。

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●「眼鏡市場」(店名)

 ちょうど今、夕日が、電柱に隠れ、長い影を落としている。
その影に顔を隠しながら、私はワイフが車に戻ってくるのを待っている。
ここは、眼鏡市場(店名)の駐車場。

 最初、ワイフは眼科医院で、メガネの処方箋を書いてもらった。
それをこの店で見せ、メガネを作ってもらった。
しかしワイフの目に合わなかった。
そこで再度、眼科医院で視力測定をし、処方箋を書いてもらった。
処方箋には、誤りはなかった。
店のほうで、何かのミスをしたらしい。
それを説明すると、店は、「すぐ作り直します」と。

 こういう素直さが、うれしい。
またそれがあるから、関係がつづく。
眼鏡市場は、「サービス」がよい。
安心してメガネを買うことができる。

そのメガネが、今日、できてきた。
家を出るとき、そういう連絡が、電話であった。
それで立ち寄った。

で、今、ワイフは、店の中で、最後の調整をしているはず。
私は、こうしてワイフを待っている。
時は、2012年01月09日、16時03分。
ふと、犬のハナのことを思った。

●ハナ

 ハナが、今日、玄関の階段を登るとき、足を踏み外し、よろけた。
うしろ足が、体についてこないといったふうだった。

 もう、目は、ほとんど見えない。
今朝も牛乳を温め、そばに置いてやった。
が、それも飲まなかった。

 昼になって、牛肉を炒め、その上にバターをかけてやった。
いつもなら匂いだけで、小屋から飛び出てきた。
が、今日は体を丸めたままだった。

 ワイフに「毛布はないか?」と言うと、ワイフが、毛布をもってきてくれた。
その毛布と、ハナのタオルケットを二枚重ね、ハナの体にかぶせた。
しっぽが、小屋の壁を叩く音がした。
そのとき、ジンと目頭が熱くなり、涙が数滴こぼれた。

 「ハナ、暖かくなったら、また海へ行こうな」と。

 若いころ、ハナは、中田島の砂丘へ連れていくと、数秒も間をおかず、走り回っていた。
カラスを追いかけた。
そんな思い出が、つぎつぎと浮かんでは消えた。

私「最期が近いみたい……」
ワ「……」と。

 夕日を見ていたら、また涙が数滴、私の頬を流れた。

●国民宿舎

 これから近くの国民宿舎に向かう。
先ほど問い合わせたら、部屋が空いているとのこと。
「奥浜名湖・国民宿舎」。
1泊9000円(1名)弱で、泊まれる。
 
 湯質は、一応、「温泉」。
薬剤を混ぜ、下呂温泉のそれと同じにしてあるとのこと(宿の案内)。

 また名前は「国民宿舎」だが、現在は浜松市に移管され、民間のY社が管理、運営しているという。
仲居さんが、そう話してくれた。

●教材作り

 こうして書いていると、一日中、私は遊んでいるように見えるかもしれない。
が、事実は、逆。
私は一日中、働いている。
家を出るまで、今週からの教材作りをしていた。
それに2時間ほど、かかった。

 よく誤解されるが、プリント学習ほど、楽なものはない。
プリントをコピーし、それを生徒にさせる。
あとは、丸をつけるだけ。
コピーのもととなる教材は、近くの書店で買ってくればよい。
自前で、……大手のチェーン塾は別として、自前で教材を作っている塾は、ほとんどない。

 一方、私のやり方は、形としての証拠が残らない。
私は無数の市販教材を手がけてきたが、教室で使う教材は、すべて手作り。
親や子どもたちに、自分の作った市販教材を買わせたことは、一度もない。
教室で、子どもたちとワイワイ言いあいながら、レッスンを進める。

が、プリント学習のほうが、親には受けがよい。
証拠が残る。
一方、私のやり方は、親たちには受けがよくない。
証拠が残らない。

(多くの親たちは、プリント学習のような学習を、「勉強」と思い込んでいる。
悪しき受験教育の弊害である。)

よく「何をしていますか」と聞かれる。
そこで私は、公開教室という形で、YOUTUBE上で、教室のレッスン風景を公開している。
百聞は一見に如(し)かず。
親たちに、直接見てもらうのが、いちばんよい。
が、これが思わぬ反響を呼び始めている。

●3500本!

 最初は、台湾から。
つづいて中国から。
そのあとは、アメリカ、フランス、カナダ、それにオーストラリア……。
今では全世界から。
世界中の人たちから、令状が届くようになった。
「日本語の勉強にいい」と、日本語を勉強している学生からのコメントも、よく届く。
現在では、国内でのアクセス数と、海外からのアクセス数が、ほぼ同じ。
1日のアクセス数も、1000件前後で推移している。

 もちろん子どもたちの学習教材として利用している親も、多い。
UPした動画は、3500本を超えた。
たいへんな数である。
「そのうちギネスブックに……」とワイフは言う。
が、私にはそういう野心はない。
またほかの動画とちがい、ことBW公開教室に関しては、否定的なコメントは、まったく、ない。

 ただ残念なのは、YOUTUBEでは、教室の雰囲気が伝わらないこと。
私の教室の親たちも、そう言っている。
実際に見る、私の教室は、子どもたちの熱気でムンムンとしている。
迫力が、ちがう。
その雰囲気が、動画では、伝わらない。
YOUTUBEで見る私の教室は、おとなしく、やさしい。

●NxK

 幼児がもつ潜在的な能力には、ものすごいものがある。
私は40年以上、幼児に接している。
その結論が、これ。
「ものすごいものがある」。

 NxKの幼児向け番組を見ていると、よく指導員が幼児の前で踊ったりしている。
「ハ~イ、お手々を、ブ~ラ、ブラ」と。

私はいまだに、あんな番組が、あること自体、信じられない。
何の役に立つのかさえ、よくわからない。
運動にはなるのだろうが、幼児の生の表情が伝わってこない。
ときどき、こう思う。
「あんな家畜にもしないような訓練を、よくやっているな」と。

 この日本では、ああいうのが、幼児教育ということになっている。
また幼児を指導するというのは、そういうものと思い込んでいる。
が、誤解。
誤解というより、これは偏見。
やるなら、どこかの老人ホームでやればよい。
そのほうが、よほど役に立つ。
喜ばれる。

●BW公開教室

 今週は、通常のレッスンとは別に、幼児(年長児)に、「平均」を教えてみる。
「そんなこと、教えられるか?」と疑問をもつ人は、一度、YOUTUBEを見てほしい。
私はもっと、すごいことをしている!
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
から「BW公開教室」へ。

 が、率直に言おう。
私はもう、この日本など、相手にしていない。
相手にしていないというか、期待していない。
どうでもよい。
この日本には、私のような教育を認める、土壌そのものがない。
その前に、私のような人間を認める、包容力そのものがない。

保守的で固定的。
権威主義的で排他的。

10年どころか、100年一律の教育をし、それが教育と思い込んでいる。
創意も工夫もない。
おもしろくない。
つまらない。
が、私から見ると、バカみたい。
そんなバカみたいな教育を、いまだにつづけている。

 だから日本など、だれにも相手にされない。
日本の教育など、だれにも相手にされない。

(そう言えば、先日、アメリカのある小学校の校長も、そう言っていたぞ。
「日本の教育を視察してきたが、学ぶべきものは、何もなかった」と。
「みやげにもらった、こいのぼりだけが、役にたった」と。)

 だから最近は、こう思う。
韓国、中国、東南アジアの人たちが、私の教育法をまねてくれればよい、と。
実際、韓国からのアクセス数が、ダントツに多い。
そのうち韓国から、私の教育法が、逆輸入される。
私は今、それを楽しみにしている。

●パソコン

 ……というか、以前にも、同じような思いをしたことがある。
パソコンが世に出始めたころのこと。
小中学校でも、パソコン教育をと、みなが言い出した。
それに応じて、時の通産省も動き出した。
が、それに待ったをかけたのが、ほかならぬ時の文部省だった。
「教員免許をもたない者を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。
さらにこうも言い出した。

 「コンピューター科を、教育学部で作るのに、20年かかる」と。
つまり教授を育てるまでに、20年は、かかる、と。

20年!

 教員がいなかったら、工学部から学生を連れてくればよい。
どうしてそういうことが、この日本ではできないのか。

 その結果、日本の電子産業がどうなったかは、みなさんご存知のとおり。
失われた10年が、20年になった。
教育の世界でも、20年、失われた。

 そういう歴史を私は目の当たりに見てきたから、こう言う。
「日本なんか、アテにしていない」と。

●英語教育

 小学校での英語教育については、私は先駆的な仕事をさせてもらった。
私がイチから企画した、小学生向きの英語教育教材があった。
『ハロー・ワールド』(G社)という名前の雑誌だった。

 それがいか先駆的であったかは、当時、毎月27~8万部も売れたことが証明している。
(毎月、27~8万部だぞ!)
そのあとを追いかけるように、小学校の英語教育がつづいた。
「そんなバカな」と思うのは、ちょっと待ってほしい。

 その雑誌に、そのとき名前を連ねた学者たち(=どこかの大学の教授たち)が、そのあと、英語教育の中心的研究者として、活躍した。
大きな役割を果たした※。
形の上では、そうした学者が、先駆的にその雑誌を発行したことになっている。
が、それはウソ。
ウソということは、私や当時の雑誌の編集者たちが、いちばんよく知っている。
ついでに、その雑誌がどういう経緯を経て発刊されたか、そのプロセスを書いておく。
今の時代を生きる証言者として、後世に、記録を残しておく。

(注※…理科系の世界では、論文数と引用数によって、その学者の評価が決まる。
文科系の世界では、書籍の出版点数や、雑誌への寄稿数で、その学者の評価が決まる。)

●『ハロー・ワールド』(G社)

 最初に企画の話をしてきたのは、学習編集部に籍を置いていた、O氏だった。
ハンサムで都会的な人だった。
私と同じ年齢ということもあり、呼吸も合った。
それまでにもいくつかの企画を手伝わせてもらった。
世界初のバーコードブック、『TOM』もそのひとつ。

で、伊豆の伊東に、米若荘※という旅館があった。
「米若」だったかもしれない。
JR伊東駅から、歩いて5~10分ほどの距離だった。
その旅館の温泉につかっているとき、O氏がこう切り出した。
「今度ね、英語の雑誌を作ろうと思っているのですが、協力してもらえますか」と。

 最初に話を持ち出したのは、O氏である。
「じゃあ、企画を立ててみます」と。

 ……ということで、私は1~2か月の間、その企画に没頭した。
企画と試作テープを制作した。
テープは、カラオケセットを利用した。
が、その企画が、思わぬハプニングで、「社長会」を通ってしまった。
社長の前で披露する企画会議を、G社内部では、「社長会」とか、「社長会義」と呼んでいた。
内部では「御前会議」と呼んでいた。
正確な名称は、忘れた。

 その企画会で、O氏と、その上司であるS氏が、別の企画の説明をしていた。
それに対して、社長が、「もっとおもしろい企画はないかね?」と。
そこでO氏が、慌てて出したのが、私の企画と試作中の録音テープだった。

 この話はG社にとっても、またO氏、その上司であるS氏にとっても、彼らの名誉がからむ。
だから聞いたまま、また記憶を正確にたどりながら、ここに書く。

 が、その企画を見て、社長がこう叫んだという。
「それで行こう」と。

 こうして『ハロー・ワールド』という雑誌が生まれた。

(注※…現在、この旅館はなく、その跡地にはスーパーが建っているとのこと。
先日、伊東市で講演させてもらったとき、案内役の先生が、そう話してくれた。)

●商標登録

 が、当初は、『ピーカーブー』という名前で、私は企画していた。
「もういいかい?」「もういいよ」という、かくれんぼの合言葉である。
英語のかわいい歌もあった。
私はそれを雑誌のテーマ・ソングに考えていた。

 が、O氏がある日、興奮して、こんな電話をかけてきた。
「林さん、『ハロー・ワールド』という名前が使えますよ」と。
話を聞くと、こう教えてくれた。

 当時、NHKに『ハロー・ワールド』という人気番組があった。
その名前が、商標登録をしていなかった。
それで「その名前を、そのまま使えます」と。

 G社は、NHKの人気番組の名前を、ちゃっかりと横取りした。
(この世界ではよくあることで、これは悪いことでも何でもない。
しっかりと商標登録をしていなかった、NHK側のミスということになる。)

●見本号

 こうして見本、第1号が生まれた。

 タレントとして、当時まったく無名だった、西田ひかるさんを起用した。
「起用した」というより、当初、K舞さんというタレントに頼むつもりだった。
しかし予算がなかった。
プロダクション側は、月20万円のギャラを要求してきた。
そこでO氏が、同じ横浜市内にあるアメリカン・ハイスクールを訪問し、西田ひかるさんを見つけてきた。
当時、高校1年生。
ちょうど2年生になるときのことだった。
1号に載っている西田ひかるさんが、おかっぱ頭なのは、そんな理由による。
(O氏が見つけてきた。
「歌が歌えますか?」と聞くと、西田ひかるさんは、YMCAを歌ってくれたという。)

 ともかくも、こうして見本第1号が生まれた。

●失望

 が、第1号から、私は大きく失望した。
O氏がどういうルートで、どのようにして連れてきたかは知らない。
しかし第1号のトップを飾ったのは、私の知らない2人の人物であった。
うち1人が、後に小学校での英語教育の立役者になる。

 O氏の実力については、私はよく知っている。
学習編集部というG社の看板編集部(当時)の中でも、ひときわ輝いていた。
トップクラスの編集者であった。
事実、あの雑記帳のような企画書が、とびぬけて斬新な雑誌になったのは、O氏の力によるものである。
センスそのものが、ちがった。
あるとき、「この人は魔法使いのようだ」と思ったことがある。

また私の名前が当初からはずされたのも、O氏としても、やむをえなかったのかもしれない。
それがG社の体質だった。

 たとえば私は実用図書部という編集部で、「東洋医学基礎編」「東洋医学経穴編」という書籍を出してもらったことがある。
そのときも、100%、私の執筆によるものであるにもかかわらず、どこかの偉い先生が、著者として本を飾った。
「君の名前では、本は売れないから」が、その理由だった。
私は「企画・構成、はやし浩司」。
私はそんな肩書があることさえも知らなかった。

 が、やる気を失ったのは事実。
6号(=半年)を過ぎるころから、私は『ハロー・ワールド』から、手を引き始めた。

●編集方針

 編集方針がちがったということもある。
号を重ねるごとに、どこかの偉い教授たちが、その雑誌に群がってきた。
そして「シャワー方式」(=わかってもわからなくても、英語を頭からお湯をかぶせるように聞かせる)とか、「スパイラル方式」とか、そんな方式が採用された。
「スパイラル方式」というのについては、いまだにそれがどんなものであったか、私はよくわからない。
たぶん編集部の方で、勝手に考えた方式ではなかったか(?)。

 で、6~7号ごろになったとき、はじめてO氏に、私は異議を唱えた。

 「外国映画でも、字幕もなく、ただその言葉を聞かされたら、イライラしますよ」と。
シャワー方式を批判した。
O氏は、あれこれ説明してくれたが、つぎの私の一言が、O氏を怒らせた。
「実際、教えたことがない人が英語雑誌を作るなんて、無茶だ」と。

 私がその前に、1年かかっても、A~Zの文字が書けない6年生は、いくらでもいますと言った。
それに対して、O氏が、「そんなバカな」というような顔をしてみせた。
「無茶だ」と言ったのは、そのあとのことだった。
O氏は、くるりと背を向けると、こう言った。
「林さん、それを言っちゃ、おしまいだよ」と。

 それで私と『ハロー・ワールド』との縁は切れた。

 そうそうこんな会話をしたこともある。
私「1号の雑誌の中だけで、中1の教科書に出てくるほどの単語が出てきます」
O「では、林さんは、どんな雑誌がいいと思いますか」
私「1冊で、YES、NOだけを教える。それでじゅうぶんです」と。

 が、O氏は、こう言った。
「それでは、お金を取れません」と。

●英語教育

 現在、小学校における映画教育が、デッドロックに乗り上げている。
外人の講師が来て、それらしいことを教える。
が、それだけ。
よく言えば、ゲーム会。
悪く言えば、雑談会。
まったく軌道に乗らない。
外人講師も集まらない。

 が、そうした経験を、すでに私は、42年前にしている。
この浜松市で、幼児や小学生を相手に英語教室を開いたのは、事実、私が最初である。
大人向けの英語教室は、1軒だけあった。
紺屋町の五社神社を降りた坂の、その途中にあった。
1971年の終わりごろのことである。

 つまり『ハロー・ワールド』が生まれる前、すでに20年近いキャリアがあった。
その私が、あえて再び言う。

「小学6年生でも、A~Zのアルファベットを書けない子どもはいくらでもいる。
1年間教えても、書けない子どもは、書けない」と。

 この日本では、実際に子どもに英語を教えたことがない人が、指導者として上にたつ。
……立った。
だからおもしろくない。
役に立たない。
子どもたちの心をとらえることはできない。

 そんな教育を押しつけられた現場の先生たちこそ、えらい迷惑。
英語だけではない。
数学、国語、社会、理科にしても、そうだ。
総合的な学習にしても、そうだ。
どれも後に学者になる子どもには、すぐれた体系をもっている。
しかしいったい、何%の子どもが、その学者になるというのか。

 とくに英語は、暗記にはじまって、暗記に終わる。
文法を教える方法もあるが、それについてはまた別の機会に書く。
ともかくも1年も教えると、子どもの進歩が、一度停滞する。
それからは(覚える量)と(忘れる量)が均衡する。
進歩が見られなくなる。

●デッド・ロック

が、それが「デッドロック」ではない。
教育としての「道筋」が見えてこない。
それが「デッドロック」。

 なお私はその『ハロー・ワールド』を最後に、教材作りの世界から、足を洗った。

 ……といっても、O氏との関係が切れたわけではない。
そのあとも、会うたびに、こんな会話をした。

「あの夜、英語雑誌の話をしなかったら、西田ひかるという女優は、この日本にはいなかったですね」と。

 そのころ、西田ひかるさんは、押しも押されもせぬ日本を代表する女優に成長していた。

 なおその『ハロー・ワールド』は、5、6年を経て、廃刊になった。
そのころ私とO氏の関係も、プツリと切れた。

●奥浜名湖・国民宿舎

 奥浜名湖・国民宿舎は、清潔度(清潔感)では、この浜松でも星5つに評価してよい。
設備も真新しい。
ただ国民宿舎ということで、料金は安いが、サービス用品は最小限のものしかない。
大浴場にもあるのは、カミソリの自動販売機だけ。
料理は、それなりのもの。
同じ程度の料金で泊まれる「浜名湖かんざんじ荘」の料理とは、比較にならないほど、さみしい。
量も少ない。

 清潔感で選ぶなら、ここ「奥浜名湖・国民宿舎」。
眺望と料理で選ぶなら、「浜名湖かんざんじ荘」ということになる。

 あとは料金しだい。

●夕食

 客は私たちを含め、10人前後しかいなかった。
静かな夕食だった。

●DVD『サイレント・ワールド・2012』

 ワイフは今、DVD『サイレント・ワールド・2012』を見ている。
私も見ている。
が、これがどうしようもないほどの駄作。
「新作」ということで借りてきたが、駄作は駄作。
演技も、ヘタクソ。
緊張感を、もてあそんでいるだけ。
主役の男は、科学者というより、どこか間の抜けたコメディアン風。
そういう男が、超一級の気象学者を演ずるから、話がおかしくなる。
妻の女性は、どう見ても、娼婦?
清潔感がまったくない。
「日本の映画でも、ここまで無理な役付けはしないのに」と、私は思った。

 ……日本の映画なら、こんなことを書いたら、即、抗議が飛んでくる。
しかしこれはアメリカ映画。
ボロクソに叩いても、だれも文句を言ってこない。

 まだがまんできるが、私のがまんも、あと10分はつづかないはず。
ころあいを見て、もう一度、温泉に入ってくる。
そのあとすぐ眠るつもり。
今日は、昼寝をしていない。
目が、しょぼしょぼする。

 ワイフがこう言った。
「よくまあこんな駄作を、あの店(DVDショップ)は、新作として人に貸すわね」と。
ワイフも、怒りだした。

●日本映画

 日本映画の悪いところ。
演技が演技、演技しすぎ。
「これが演技です」というような演技をする。
不自然。
そのため感情移入する前に、観客のほうがスクリーンから、はじき飛ばされてしまう。

 少し前、『山本五十六』を見た。
そのときも、そうだった。
善人は、さも善人です……というような演技をする。
悪人は、さも悪人です……というような演技をする。
山本五十六を演じた役所Kはともかくも、脇役を演じた新聞記者がへたくそだった。
感情丸出し。
丸出しというより、ムキ出し。
つまり力(りき)み過ぎ。

その(丸出し)の部分が、へたくそだった。

 演技は、自然に!
 
●オーストラリアの物価

 たった今、オーストラリアの友人からメールが届いた。
1つは、K君(メルボルン在住)からのもの。
「娘の結婚式に、来てくれるか」と。

もう1つは、B君(南オーストラリア州)からのもの。
オーストラリア経済の現状を、簡単に説明してくれた。
自動販売機で、ペットボトル1本が、3ドル50セントもしたことに、私は驚いた。
それについて書いた。
その返事。

「……Hi Hiroshi,
やあ、ヒロシ。
Exchange rates are bouncing around a bit and the $A seems to be especially vulnerable to market sentiment.
為替相場がかなり高騰している。
オーストラリアドルは、市場の感情で傷つきやすくなっている。

Recently the $A has been greater than US$1.00 because we export lots of high priced minerals.
最近はオーストラリアドルのほうが、USドルより高くなっているが、これは高価格な鉱物のせいである。

This is great for us Aussies travelling overseas or importing stuff from overseas but not for our tourism industry or exporters of things other than minerals.
これは外国を旅行するオーストラリア人や、輸入業者にとっては、とてもよいことだが、国内の旅行会社や、鉱物以外の輸出業者にとっては、よくないことだ。

So to tourists from overseas Australia is expensive.
外国からの観光客にとっては、オーストラリアの物価は高い。

Also to Australians who don’t get their income from mineral exports Australia is becoming expensive.
鉱物の輸出から収入を得ていないオーストラリア人にとっては、オーストラリアの物価は高くなりつつある。

This is the so-called “two speed economy”.
これはいわゆる「2スピード経済」というものだ。

The States which export the most minerals, West Australia & Queensland are doing the best economically.
西オーストラリア州やクィーンズランド州のような、鉱物のほとんど輸出する州は、経済的に、今、最高に潤っている。

Things like soft drink vary greatly in price depending how you buy them.
ソフトドリンクのようなものは、どのように買うかで、値段がちがう。

A 300ml can of coke can be 70 cents if you buy it in the supermarket on special in a pack of 20 at room temperature.
300ミリリットル入りのコーラは、冷やしてないものであれば、スーパーマーケットでは、20本売りで、1本、70セントで買える。

A cold can of coke from a vending machine could be $2.50 or $3.
自動販売機で買えば、2ドル50セントから3ドルだ。

It is a funny world.
おかしな世界だね。
Cheers,
元気で。
B』

●結婚式

 さっそく旅行会社を調べる。
パッケージ旅行なら、1人、15万円前後で往復できる。
5日間のホテル代、込み。
それを別の友人に知らせたら、オーストラリア旅行を計画してくれた。

Possible Itinerary(可能な計画)
All travel by vline(ビクトリア線での旅行)
melb-echuca 1/04 train 09:35-12:57 3p+ $68.70(メルボルン→エチューカ)
echuca-swanhill 3/04 bus 07:35-10:12 3p= $45.90(エチューカ→スォンヒル)
swanhill-bendigo 4/04 train 07:11-09:21 3p= $59.10(スォンヒル→ベンディゴ)
bendigo-castlemaine 8/04 train 09:26-09:50 3p= $11.70(ベンディゴ→キャッスルメイン)
Castlemaine-maldon-castlemaine 8/04 Steamtrain 11:45-12:30 14:30-15:15 3p= $135(蒸気列車の旅)
Castlemain-melbourne 8/04 train 17:00-18:31 3p= $38.70(キャッスルメイン→メルボルン)
total fares = $359.10 for 3 people(3人分で、列車料金、359ドル=約2万4000円)

 ビクトリア州の西部を、ぐるりと回るコース。
スォンヒルもベンディゴも、学生時代に行ったことがある。
何の変哲もない田舎町だが、ところどころに、開拓時代の古い街並みが残っている。
西部劇映画に出てくるような、街並みを想像すればよい。
基本的には、当時のオーストラリアは、当時のアメリカと同じ。
ただ家畜だけは、ちがった。
アメリカは「牛」。
オーストラリアは「羊」。

 友人の娘の結婚式に出た後、ビクトリア州をぐるりと一周するのも、悪くない。
ワイフはすでに、その気でいる。

●就寝

 時刻は今、午後9時52分。
もうすぐ10時。
疲れた。

 温泉の中では、だれもいなかったので、ひとり、歌を歌っていた。
気分は、最高。
では、おやすみ!

●インバーター・エアコン?

 朝、4時に目が覚めた。
寒かった。
エアコンをいじってみたが、温風が出ない。
???

 朝食のときフロントにいた男性にそれを告げると、こう言った。
「いきなり温度をあげると、インバーター・エアコンだから、停止してしまいます」と。

 インバーター・エアコン?
知らなかった……。

 この世の中、(当然のことだが……)、私の知らないことが多すぎる!

●追記

 私自身が、ジジ臭くなったのか?
オーストラリアの旅行計画を見ながら、「体力的に無理だろうな」と。

 日本人とオーストラリア人とでは、距離に対する感覚が、まったくちがう。
彼らは300~400キロの距離なら、ドライブ範囲。
が、日本で400キロというと、浜松市から福島市までの距離をいう。

 オーストラリア大陸は、日本の約20倍。
友人の旅行計画によれば、日本列島を、北海道から九州まで、ぐるりと1周するほど、ある。
そうでなくても、オーストラリアは遠い。
昨年も、ワイフはオーストラリアへ着くやいなや、友人の家のベッドの上で寝てしまった。

 最近の私たちは、観光地には、ほとんど興味がない。
(このあたりが、ジジ臭い。)
とぼとぼと、その旅館の周辺を歩く。
旅館に閉じこもったままということのほうが、多い。

 もしメルボルンに5日間滞在するとしたら、私はジーロンの町へ行きたい。
そこからバスに乗って、ローンまで。
ローンのホテル(バー)で、2泊。
何もしないで、そのあたりを散歩して過ごす。
(このあたりが、ジジ臭い。)

●ハナ(2)

 家に帰ると、ハナは、玄関のところで、日向(ひなた)ぼっこをしていた。
そばに寄っても、そのままだった。
「だいじょうぶか?」と声をかけても、そのままだった。

 しばらく私はハナの背を、さすってやった。
すっかり白くなった目が、さらに奥へ落ち込んだように見えた。
その目が、さみしそうに、私を見あげた。

 私は台所で、ハナの好物を、料理した。
牛肉をバターで炒め、それに少しだけミルクをかけた。
それをハナの頭の前に置いた。

 ……どれくらい時間がたっただろうか。
私はハナが、その料理を食べ出すまで、いっしょにそばにいた。
風はなかった。
静かだった。
それを見て、また私は同じことを言った。

「今度、また海へ行こうな」と。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 奥浜名湖国民宿舎 ハローワールド ハロー・ワールド G社 はやし浩司 Hello World 英語雑誌)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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