2012年1月3日火曜日

*Kan Naoto, the ex-Prime Minister of Japan, we say thanky you very much!

【菅直人前首相、吉田昌郎所長、ありがとう!】

●励まし

 昨日(01月01日)、何通かのメールが届いた。
うち1通は、男性からのもの。
もう1通は、女性からのもの。

そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【KO氏より、はやし浩司へ】

貴兄のブログで菅前首相、吉田前工場長を絶賛されているので驚き、嬉しく思いました。
特に菅前首相は史上最悪の首相と様々な分野で評価されていますので。

私は東工大機械工学卒で菅さんの後輩、吉田さんの先輩に当たります。
菅さんも自分の行為は歴史が評価するというようなことを言っていますが、まさにそういうことになるのだと思います。
私は早期退職、セミリタイア状況で、技術アドバイザーとして週に2日程度活動しております。
また高校OB会の地元の会長をやって(やらされて)おります。
原発関係ではあの清水前社長や天野IAEA事務局長が、高校先輩になります。

宇宙飛行士の古川さんは後輩ですが、彼のことだけは嬉しいことでした。
環境・エネルギー関係そしてハワイについてのブログをUPしていますので、お時間のある時に見ていただけたら幸甚です。

【GTさんから、はやし浩司へ】

はやしさん、こんばんは。
GTです。
日本はお正月ですね。
韓国は、旧正月なので、今日から普通の生活が始まっています。
はやしさんも韓国に住まれていらっしゃったんですね。
当時だったら、反日感情も大変だったのではないでしょうか?
いろんな経験をされていて、すばらしいです。
お返事ありがとうございました。

温かい無視ってそういう事だったんですね。
実際信じて待つって大変なことですよね。
義母なんかは未だにこれができなくて、息子(私のだんな)は責任感がないようです。
下の子が何かをやろうとしていると、すかさず「こうするんだよ~」と口を出すので、下の子も「ハルモニ(おばあちゃん)いや!」って、言います。
自力でやりたがっているので。
端から見ているとよく見えるけれど、実際私はどうなのか客観的に見てみる必要がありますね。
基本的に待つようにしていますが、時間がかかってつい教えようとすると、怒り出してしまって、そうなると、「あ、待っているべきだったのに」と気づくことがあります。
ほんとに子供が親を教育してくれていますね。

それから、はやしさんの「そのうちおさまってくる」という言葉を信じて、今年は下の子を保育園に送らないと腹をくくって、関わっていこうと覚悟を決めました。
聞いてくださってありがとうございました。

にっちもさっちもいかない状態が楽になりました。
ありがとうございました。

GTより

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●励まし

 私は毎日、こういう読者の方たちに支えられている。
またそれがあるからこそ、こうしてものを書くことができる。

KOさん、GTさん、ありがとうございました!
今年も、がんばります。
よろしくお願いします。

●菅直人前首相

 たいへん恥ずべきことだが、私は「菅直人前首相」を、「管直人前首相」を書いていた。
正しくは、「管」ではなく、「菅」。
KO氏は、以下の私の書いた原稿に、先に転載したコメントを寄せてくれた。
もう一度、そのとき私が書いた原稿を、掲載する。
日付は、2011年09月12日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人の英断。)

以上、2011年09月12日の原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なぜ、菅直人前首相ではだめだったのか?

 菅直人前総理大臣が、首相の座を降り、ちょうど4か月になる。
(菅直人氏は、2011年09月02日に、内閣総理大臣を辞職。)
が、この4か月、日本は、よくなったのか。
何か、変わったのか。

 現在は、野田佳彦首相が、総理大臣職を引き継いでいる。
が、私はいまだに野田佳彦首相が、どんな人物なのか、よくわからない。
顔が見えてこない。
見えてこないから、批評のしようがない。

ただここで言えることは、野田佳彦首相が、菅直人氏をやめさせてまで、首相になる価値のある人物だったかどうかというになると、私はそうは思わない。

談合政治?
八方美人?
無色透明で、言葉はうまいが、中身がない?
当たり障りのない、無難政治家?
長期政権をねらっている?
こうした(?)マークを、野田佳彦首相には、10個ほど並べたい。

 これはあくまでも仮定の話だが、あの3・11震災時に、もし野田首相が事故を取り仕切っていたとしたら、この日本はどうなっていたか。
それを想像するだけでも、ぞっとする。
東京電力と保安院の言い分に押され、福島第一原発は、放棄。
そのあと発電所はつぎつぎと爆発、メルトダウン。

 最近になって、事故直後、菅直人前首相が、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという報道が伝わっている。
「感情をむき出しにするような人物は、首相として失格」と。

 バカヤロー!

 あの時点において、感情をむき出しにしない首相はいない。
むき出しになってくれたからこそ、東京電力側は、菅直人前首相の言うことを聞いた。
菅直人前首相の命令に従った。

 こう書くと、福島県の人たちには申し訳ない。
が、今、福島県以外の人たちが、(私たち静岡県人も含めてだが)、事故以前とほとんど変わりない生活ができているのは、菅直人前首相、ならびに吉田昌郎所長のおかげである。
そのことを思えば、ささいなミスや失敗など、腸から出るガスのようなもの。

 菅直人前首相は、「いつか、私の正しさは歴史が証明してくれる」というようなことを言っている。
それはその通りで、その歴史は、すでに今、始まりつつある。
読売新聞(11-09-12)の記事は、それを証明する、貴重な証拠のひとつということになる。
私たちはこの事実を、後世の人たちに伝えていかねばならない。

 菅直人前首相、吉田昌郎所長、あなたがたは日本を救った、大英雄である。
大恩人である。
ありがとう!

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●GTさんへ

 GTさんは、子どもの母子分離不安について、相談してきた。
それに対して、私は2つのポイントをあげた。

(1) 温かい無視
(2) 求めてきたときが、与えどき、と。

 その「温かい無視」について、「では、具体的にはどうすればいいのか?」と。
それについて、GTさんには、つぎのような返事を書いた。

【はやし浩司より、GTさんへ】

GT様へ

こんばんは。

こちらは昨日まで寒くてしかたありませんでした。
韓国はもっと寒いかと思います。

「温かい無視」は、子育ての鉄則のひとつです。
要するに、子どもの側に視点を置き、子どもが親の鋭い
視線を感じないようにするということです。

どうしても今の時期は、過関心、過干渉に
なりやすいので、注意します。

子どものやりたいようにやらせながら、しかし愛情だけは
しっかりともつということです。

ラッセルは、「限度」という言葉を使いました。
「限度をわきまえろ」と。

子どもに任すところは任す。
親の思い通りにならないことについては、じっとがまんし、耐える。
その耐える部分が。愛情ということになります。

(子どもを愛するということは、つらいことですよ。)

韓国という地で、がんばっておられるGT様を尊敬します。
何かとたいへんだろうと思います。

私も1967年、交換学生として、韓国に行きました。
テグ、ソウルなどを転々としました。
ヤンセイ大学、テグ大学などなど。

男のくせに、リファ女子大学(ソウル)にも行きました。
宿舎はなんと、ナムサンにあった、(今でもあるそうですが)、
タワーホテルでした。

当時の韓国は、本当に貧しかったです。
ミョンドンの大通りも、ロープに裸電球をぶらさげただけの明かりしか
ありませんでした。

ただ、焼肉がおいしかったです。

(当時の日本人には、焼肉は高級料理で、とても食べられませんでした。)

いろいろ思い出があります。
では、

はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 冒頭にあげた、GTさんからのメールは、その返事。

 GTさん、今年もよろしくお願いします。
2011年から2012年をまたいだ、もう1年のつきあいということになりますね。
では、今夜は、これで失礼します。
どうか、お元気で!

はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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