2011年6月26日日曜日

*Super8 *Goo-Blog 127th/1600000

●6月25日(June 25th) 言論の自由(Freedom of Speech in Japan)+”Super8”

To: Mr and Ms Goo-Blog Readers, I thank you for your reading!

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Goo-Blog、1誌でのアクセス数が、毎日3000件前後をキープしている。

3000件というと、少ないと思う人もいるかもしれない。
しかしアクセス数順位でみると、160万誌の中で、139位(2011年6月24日)。
127位(2011年6月25日)。

160万誌の中で、127位!
1600000誌の中で、127位だぞ!

もう1誌、同じGoo-Blogで、Blogを毎日発行しているが、こちらも、同じような成績。

ほかに楽天日誌、Blogger、FC2ーBlog、はてなダイアリーなども、毎日、発行している。
アクセス数を合計すると、これらのBlogだけでも、1日、軽く1万件を超える。

ほかにこのところぐんぐんと伸びているのが、YOUTUBE(動画)。
こちらは毎日1000件前後。

もちろんホームページもある。
私にとっては、ホームページ(以下、HP)が活動の中心になっている。
メインのHPが1本あり、そのHPから、約15本のHPが枝分かれしている。
それぞれにカウンターがつけてある。
こちらも合計すると、1日、5000~6000件になる。

が、実は、それだけではない。
私の文章をそのまま転載しているBLOGやHPも少なくない。
動画にしても、一度ダウンロードしたあと、焼き直して掲載してくれているところもある。
さらに現在、2つのポータルサイトが、私の特設コーナーを設けてくれている。
もちろんカウンターの設置していないページへの、ハイパーリンクというのもある。
実際には、このハイパーリンクのほうが、はるかに多い。

総合計すると、いったい、どれだけになるのか?
毎日、どれだけの人が、私の書いた文章を読んでくれているのか。
そんなわけで、総合計数となると、私にもわからない。
おおざっぱに言えば、月に50万件前後?
あるいはそれ以上。

……それとも総合計数など気にしても、あまり意味がないのでは?
今、ふと、そう思った。

書籍の場合は、発行部数や販売部数で、明確な「数」が出てくる。
しかし書籍でも、回し読みをするばあいもあるだろう。
図書館などに置いてあれば、1冊の本を、何百人もの人が読むということもある。

要するに、たくさんの人たちが、私の文章を読んでくれているということ。
これを「励み」と言わずして、何という。

この文章を読んでくれた、みなさん、ありがとう!
とくにGoo-Blogの読者のみなさん、ありがとう!
本当に、ありがとう!
みなさんのおかげで、私は今日も、こうして生きていられる!

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●自我の統合性

 ただし、誤解しないでほしい。
こうして毎日文章を書いているが、利益となると、ほとんどゼロ。
子育て相談にしても、私はいまだかって、1円だって受け取ったことはない。
(=お金を払ってくれた人はいない。)

 が、だからこそ、私は毎日、好き勝手なことを書くことができる。
だれも気にしなくてよい。
だれにも媚(こび)を売らなくてよい。
この気楽さ。
この自由。
が、この気楽さと自由こそが重要。
無私、無欲でするところに、意味がある。
また無私、無欲でなければ、意味がない。
「自我の統合性」とは、まさにそれをいう。
(注、(やるべきこと)と(現実にしていること)の一致を、「自我の統合性」という。)

●敵

 こういう私だから、無数の敵を作ってしまった。
ものを書くというのは、そういうこと。
音楽や絵画とは、性格がちがう。
「私のことを書いた」「私の親のことを書いた」と、怒ってきた人はたくさんいた。
「いた」というのは、最近は、ほとんどいなくなったということ。
たぶん、あきらめただろう。
あるいは相手にされなくなった?
私も相手にしなくなったが……。

 だから孤独といえば、孤独。
人間関係だけではない。
先日も、ある漢方薬局へ行った。
そこの薬剤師が、漢方薬の説明をあれこれとしてくれた。
「ビワの葉がどうの」「シソの葉がどうの」と。
この先は、たぶんに手前味噌的な話になるが、許してほしい。
ひとつの例として書く。

 しかしそういうのは漢方薬とは言わない。
あえて言うなら、民間薬。
漢方薬というときは、「君・臣、佐、使」の方剤論に従って処方された「薬」をいう(はやし浩司著「東洋医学・基礎編」P239)。

 よく知られた風邪薬に「麻黄湯」がある。
麻黄湯についても、麻黄が(君=主薬)、それを桂枝が助ける。
桂枝が(臣薬)。
その君薬、臣薬に対して付随的に働くのが、「佐薬」。
麻黄湯のばあいは、「杏仁」がそれにあたる。
これらの薬物に対して、たとえば飲みやすくしたり、薬効を和らげたりするのが、「使薬」。
麻黄湯のばあいは、「甘草」をそれに使う。
(以上、はやし浩司著「東洋医学・基礎編」学研版)

 私の書いた本は、医学部や鍼灸学校で、今でも教科書として使われている。
何も自慢するわけではないが、どうしてその私が漢方薬の説明を受けねばならないのか。
「そうですか」「そうですね」と口を合わせながら、その一方で、私はひしひしと襲い来る孤独感と闘わねばならなかった。

●その一方で……

 もちろんその一方で、私の知らないことは、まだ山のようにある。
恐ろしいほど、ある。
書店で半時間、立ち読みをしただけで、ドドーッと、それが頭の中に流れ込んでくる。
「家に帰ったら、それについて調べてやろう」とは思うが、家に着くころには、それも忘れてしまう。
毎日が、この繰り返し。
だから私は、「林さん(=私)は、忙しいですか?」と聞かれるたびに、こう答えるようにしている。
「忙しくはないですが、時間が足りません」と。

 けっして冗談でそう言っているのではない。
本気で、そう思っているから、そう言う。
時間が足りない!

 が、そのときも、また別の孤独感を覚えてしまう。
荒野にひとり、ポツンと取り残されたような孤独感である。
行けども行けども、先が見えない。
まわりには、人はだれもいない。

 こんなとき、励みになるのが、読者。
読者の人たち。
どこかでだれかが、私の文章を読んでくれる。
それが励みになる。

 先ほど、順位について書いた。
誤解しないでほしいのは、順位といっても、学校の成績でいうような順位ではない。
またそんな順位など、争ってもしかたない。
ただで、127位になったというだけ(6月25日・Goo-Blog160万誌中)。
読者がそれだけ多いということは、それだけみなに、注目されているということ。
言うなればサッカーの試合と同じ。

 サポーターが少なければ、さみしい。
しかし多ければ、自ずと力が入る。
そういうことはある。

●不思議な世界

 といっても、インターネットの世界は、不思議な世界だ。
本やテレビなどのような「反応」は、まったくといってよいほど、ない。
毎日、アクセス数が3000件(Goo-Blog、1誌のみ)もあれば、月になおせば、9万件。
1年間で、100万件を超える。
Goo-Blogだけで、100万件!
本とはちがうが、もし本で100万部も売れれば、かなりの話題作になる。
が、インターネットの世界では、それがない。
まったく、ない。

 事実、先にも書いたが、私のHPやBLOGへのアクセス数は、毎月50万件?
もっとあるかもしれない。
が、その私には、実感が、まったくない。

 また私のばあい、「敵」が多い。
ご存知の方も多いと思うが、テレビ局にかぎらず、雑誌社にも、「ブラック・リスト」というのがある。
たいていその会社の管理室にそれがある。
編集員が何かの取材をするにも、まず管理室に相談する(G社)。
「あのはやし浩司という男は、だいじょうぶですか」と。
そこで管理室がブラックリストを調べる。
その出版社が、たとえば、その著者と何かの裁判で係争中であることを知る。
すると管理室は、「NO!」のサインを送る。
「だめ」とは言わない。
事実だけを伝える。

 こうしてその著者は、その取材からはずされる。
テレビ局などにも、もちろん、それはある。
私はこうして好き勝手なことを書いているので、もちろんあちこちのテレビ局や雑誌社のブラックリストに名前が載っているはず(?)。
1社だけ確かなのは、子ども向け雑誌社のH社である。
H社と取り引きのある別の会社の社長が、そう話してくれた。
「あなたの名前が載っているようです」と。
私が書いた、『ポケモン・カルト』という本が、誤解されている。

 私はあの本を通して、ある宗教団体(カルト)を攻撃した。
「ポケモン」を叩いたわけではない。
が、出版社は、そこまでは読まない。
パラパラと読んで、「はやし浩司は要注意」という判断だけをくだす(たぶん?)。

 が、このことを裏から理解すると、こうなる。
だからこそ、私は、好き勝手なことを書ける。
たとえば東京あたりで、主要週刊誌を批判したら、そのライターは、仕事を失う。
テレビ局を批判すれば、テレビの番組からはずされる。
一応、この日本には、言論の自由というものはある。
しかしそれは(収入)を考えない人の自由。
もし(収入)を考えたら、その自由は、どこかへ吹き飛んでしまう。

 話が脱線したが、ネットの世界では、「実力」だけがすべて。
「読者の注目度」だけがすべて。
あとには、何もない。
だから不思議な世界。

●目標

 ともあれ、ワイフだけは喜んでくれる。
昨日も、Goo-Blogの話をした。
すると、一言、「よかったわね」と。

私「ずっと、100番台をキープしている」
ワ「すごいことね……」
私「1000番台を抜けるのに苦労したけど、1000番を抜けたら、あっという間に、100番台になってしまった」
ワ「今度は、2桁台ね」と。

 そういう意味では、私は新しいタイプのライターかもしれない。
今までのライターは、いつもだれかに媚を売りながら生きてきた。
マスコミという巨大な利権団体に、媚を売りながら生きてきた。
が、媚を売る分だけ、自説がゆがめなければならない。
どこかの組織や団体に属していれば、なおさら。
遠慮が入る。

 しかしインターネットの世界ではそれがない。
その必要がない。
自分が発行人、編集者、著者……。
読者といっても、もちろん日本人だけではない。
YOUTUBEのチャンネル登録者にしても、半数以上が外国に住む、外国人である。
そういう人たちを相手に、ものを書く。

 が、目標はただひとつ。
真・善・美の、「真」と「善」。
その目標に向かって、ただひたすら書いていく。
あとの判断は、読者の皆さんに任せればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 Goo-Blogの読者のみなさん、ありがとう Goo-Blog インターネットの世界 真の言論の自由とは何か)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●『スーパー・8』(Super8)

昨夜、長男とワイフと私の3人で、映画『スーパー・8』を観てきた。
土曜日の夜ということで、ネットでチケットを予約して行った。
よい席が取れた。
が、映画は、???。
星は、せいぜい2つの、★★。
あるいは1つ。

 前宣伝がすごかっただけに、がっかり度も大きかった。
「JJエイブラムス×スピルバーグの新プロジェクト!」(公式サイト)とか。
何が「新プロジェクト」か?
おおげさ。
劇場の入りも、よくなかった。

まあ、一言で言えば、つまらない映画!

出てくるエイリアンにしても、チョット出しの小細工ばかりが、目立った。
しかも1匹だけ。
ストーリー性も、新鮮さも、なし。
もちろん「ET」や「未知との遭遇」のときのような感動もなし。
できすぎの娯楽映画。
まあ、劇場まで足を運んで観るような映画ではない。

先週は、『X-MEN』『パイレーツ・カリビアン』も観た。
どれもテーマが、陳腐。
ワイフは、「それだけ目が肥えたのよ」と言うが、そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
このところアメリカ映画がつまらない。
金儲けだけを考えた、駄作つづき。

……それとも私の脳みそがサビつき始めたのか?

しかし再度、一言。

黒沢映画もそうだったが、晩年になればなるほど、映画は大作化する。
が、それと反比例の形で、中身は薄くなっていく。
スピルバーグ映画も、しかり。
このところ目立った良作がない。

金と権力を手にすると、脳みそはサビつく?
その点、この私には、その心配はない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

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