2011年6月21日火曜日

*Gekidan Tanpopo

●6月21日(はやし浩司 劇団たんぽぽ)

●劇団たんぽぽ

 今日は雨。
湿った空気を嫌う人も多い。
が、私は好き。
家の前には小さな森があり、
そこからひんやりとした冷気が流れてくる。
雨が木々の葉を叩く音に混ざって、小鳥の鳴く声も聞こえる。
しばし目を閉じ、その鳴き声に聞き入る。

 遠い昔。
学生だったころ。
ヒッチハイクをしながら、この浜松市を通り抜けたことがある。
拾ってくれた車が、劇団たんぽぽの車だった。
車というより、マイクロバス?
そのこき、「うちへ寄っていけよ」という話になったのだと思う。

 広い通りを右に曲がり、田舎の小道を走り抜けていくと、そこに事務所があった。
7~8人の男女が、忙しそうに立ち回っていた。
時期は忘れたが、白い日差しが、舞台装置で使う板などを、明るく照らしていた。
そうそう途中、左手に神社があったのを記憶している。
何かののぼりが、何本か立っていた。
その神社の前を右へ。
細い田んぼのあぜ道だった。
そのすぐ先に劇団たんぽぽの事務所があった。
その事務所で、私は昼ご飯を食べさせてもらった。

 今から思うと、そのときその向こうで何やら話しかけてくれたのが、劇団の長だった、小百合葉子という名前の女性の方だった。
やさしい人だった。
強く印象に残った。

 で、そのあと何年かして、私は浜松に住むようになった。
今のワイフと結婚した。
私は真っ先にその劇団たんぽぽに向かった。
一宿一飯の世話になった。
その礼を言いたかった。
が、そのあたりは、すっかり様変わりをしていた。
道路は整備され、自動車屋がずらりと並ぶ大通りになっていた。
あるはずの神社すら、私は見つけることができなかった。

 遠い昔の話。
が、あの小屋の様子は、今でも強く心に残っている。
みな、楽しそうだった。
目を閉じると、あの日のことが、たった今見た夢のようによみがえってくる。
なつかしいというより、切ない。
あの温もり。
あの暖かさ。

 ずっとあとになってわかったことだが、劇団たんぽぽは、そのあと事務所を別の場所に移したという。
またあのとき私の世話をしてくれた小百合葉子さんは、今は、もうこの世にいない。
「起きたら、今朝は劇団タンポポを調べてみよう」と、そのとき思った。

【劇団たんぽぽ】

 今ではネットで検索すれば、何でも簡単に調べられる。
ときに、この手軽さがこわくなることもある。
以前なら、そのつど図書館に足を運ばねばならなかった。
「劇団たんぽぽ」も、すぐ見つかった。

http://www.gekidan-tanpopo.com/ayumi/index.html

 このホームページのトップで、腕で丸を描いているのが、小百合葉子さんである。
私が会ったときは、もう少し若かったような気がする。
デスクの前に立ち、まわりの人たちに、あれこれと指示を出していた。
キビキビした言い方だった。
私に向かっては、「昼ご飯は食べたの?」「食べて行きなさい!」というようなことを言ったと思う。
その場にいただれかに、私の食事の用意をさせた。

 白いご飯と、赤味噌の味噌汁。
事務所の中央にあったテーブルで、それを食べた。
ほかにも何品かあったように記憶しているが、それは思い出せない。
私はその日の午後、また別の車を拾い、伊豆半島へ向かった。

 私は目を開くとき、ふと「ありがとう」と、声を漏らした。
そのまま時計を見ると、針は午前7時を示していた。

(付記)

 古い人間と思われるかもしれない。
しかし私は一宿一飯の世話になった人には、その何倍ものお返しをすることにしている。
それが私の流儀。
が、あの劇団たんぽぽにも、また小百合葉子さんにも、礼はしていない。
それが今となっては、悔やまれる。
いや、一度、偶然、劇団たんぽぽの事務所を見つけたことがある。
何かの用で、その近くまで行った。
が、そのときすでに小百合葉子さんは、この世の人ではなかった。
劇団たんぽぽのホームページを見ると、『1986年、小百合葉子は84歳でこの世を去りました』とある。

 1986年。
私が39歳のころ。
東洋医学の世界から足を洗い、教室(塾)も、ほぼ倒産状態にあった。
私にとっては、いちばん苦しい時代のころだった。
新聞か何かで、小百合葉子さんが亡くなったということは知ったが、そのままになってしまった。

 ごめんなさい!
プラス、劇団たんぽぽのみなさん、ありがとう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 劇団たんぽぽ 小百合葉子)


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●原発事故

 30分の運動を終え、テーブルに座る。
新聞を読む。
あちこちで復旧作業が始まっている。
ある幼稚園では、土の入れ替え作業をしているという。
また見舞金も、1人10万円と決まったという。
が、残念なことに、本当に残念なことに、原発の事故現場では、何一つ問題は解決していない。
「あれをしています」「これをしています」という声は聞こえてくる。
しかし肝心の原子炉は、穴があいたまま。
今の今も、猛烈な勢いで放射性物質が、空にまき散らされている。
モウモウと空にまき散らされている。

 イギリス政府の「放射性物質飛散予想図」を見ても、それがわかる。

イギリス.gif

 今はまだよい。
放射性物質は風に乗り、北東の方向に流れている。
しかし夏から冬にかけては、風向きが逆になる。
そうなったとき、この日本はどうなるか。
東京はどうなるか。

 放射性物資は、上空2000メートル近くまで上がり、風に乗って1000キロ近くまで飛ばされる(上記、資料)。
すでに九州の唐津でも、放射性物質が観測されている(「週刊現代」)。
それを知れば知るほど、「まだその段階ではないのだがなあ」と思ってしまう。
つまり「復旧作業どころではないのだがなあ」と。

●3号機と4号機

 3号機はMOX燃料を使っている。
わかりやすく言えば、プルトニウムを使用している。
毒性はきわめて強い。
原子炉の温度が不安定なのは、そのため。

 また4号機には、1331本もの使用済み核燃料棒が保管されている。
その数は1号機~3号機の核燃料棒の合計数とほぼ同じ。

1号機…… 292本
2号機…… 587本
3号機…… 514本、(以上、計1393本)
4号機……1331本

 もし4号機のプールが崩壊したら、……ゾーッ!
広島型原爆の何千倍もの放射能が、空中に飛び出ることになる。
去る5月13日に書いた原稿をそのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ……原子炉の中には、いったいどれだけの放射性物質があるのか。
それについても、同書は、くわしく解説している。
ほとんどの人は、たとえば広島型原爆と比較して、原子力発電所のそれは、
それほどたいしたことはないと考えている。

 しかしこれは誤解!
同書には、こうある。

「100万キロワットの原発が、1年間稼動した場合に燃えるウランの
量は、広島型原発のそれの1000発分ある。
2年稼動した場合には、2000発分、3年では原爆3000発分。
事故が起きれば、それだけの放射能が環境中に漏れ出ることになる」(「原発事故」宝島社・P32)と。

 福島第一原発の発電能力は、計4696KW(川北英隆)だそうだ。

が、ウィキペディア百科事典によれば、
1号機……46万キロワット
2号機……78万キロワット
3号機……78万キロワット
4号機……78万キロワット

1~4号機の合計、280万キロワット。
「原発事故」(宝島)によれば、福島第一原発の1~4号機だけで、1年間稼動した場合に燃えるウランの量は、広島型原発のそれの2800発分ということになる。

 が、政府はさかんに、「風評被害」という言葉を使う。
つまり「政府の言うこと以外は、信用するな」と。

 しかし実際はその逆。
風評のほうが、はるかに現実に近い。
近いばかりか、現実のほうが、はるかに深刻。
私たちが「予断」しているより、はるかに深刻。(5月13日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●広島型原爆の2800発分

 再度確認しておくが、福島第一原発の発電能力は、280万キロワット。
チェルノブイリで事故を起こした発電機の、約3倍。
世界でも最大級。

 1年間稼働しただけで、広島型原発の2800発分。
2800発分だぞ!
「安定している」などというのは、とんでもない話。
たまたま今は、風に守られている。
が、その風が、逆を向いたら、この日本はどうなるか。
3号機が崩壊したら、どうなるか。
4号機が崩壊したら、どうなるか。

 ことの深刻さが、少しでも理解できたら、ふつうの常識のある人なら、こう思うだろう。
「今は、それどころの話ではない」と。

(5月に、「4700発分」と書いたが、これは1機あたり100万キロワットで計算したため。)

●全力をあげて収束させてほしい

 「週刊現代」によれば、復旧・復興費だけで、60兆円もかかるという。
「そんなお金、どこにある?」とも。

 そうでなくても、日本経済は、崩壊寸前。
昨夜も、浜松市内で数店舗のレストランを経営している社長と話したが、その社長も、こう言っていた。
「飲食店が、悪いです」と。
「店舗数が多いこともありますが、それにしても、最悪の不景気です」とも。

 この浜松市にして、このあり様。
これからのことを思うと、気分は重くなる一方。
まず、原発事故を処理する。
それが第一。
今、日本がもつすべての技術と能力を、そこへ集中させる。
責任追及も原因解明も、つぎのつぎ。
そのまたつぎ。

 補償だの土の入れ替えだの、そんな話も、つぎ。
今はまだ、そんなときではない。
そんなときでないことは、イギリス政府が発表した、放射性物質の飛散予想図を見てもわかるはず。

 ……が、人々は、あたかも何ごともないかのように、笑い、しゃべっている。
日々はそのまま、いつものように流れてる。
この浜松では、福島第一原発事故など、どこ吹く風。
そんなふうに思っている人も多い。
それが悪いというのではない。
しかし今の私には、それが不気味なほどまでに不自然に思われてならない。
2011/06/21記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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