2011年6月28日火曜日

*Parents who apologize to their Children

【親と子の逆転現象】(狂った日本の親子関係)

●妙な光景

 近くの大型ショッピングセンターに行った。
ドッグフードと野鳥の餌、それに水入りのペットボトルを、一箱買った。
合計すれば、70キロ近くになった。
それをカートに乗せ、車まで運んだ。
そのときのこと。
1人の男性が、気ぜわしく車と車の間を動き回っていた。
年齢は私と同じくらい。
60歳前後。
何をしているのだろうと思った。
荷物を車に入れながら、その男性が気になった。
顔には緊張感が漂っていた。
うっすらと汗ばんでいた。

 で、ハッチバックを閉じ、車のドアを開けたところで理由がわかった。
反対側に並んだ車の間から、中学1年生くらいの子どもが、どこか不機嫌そうな顔をして出て来た。
男性はその中学生らしき子どもを見つけると、すかさず、こう言った。
「ごめん、ごめん」と。
子どもは表情を緩めることもなく、何も返事をしなかった。
ふてくされていた。

 男性は、その子どもの祖父らしかった。
どこかで迷子になった。
それでその男性は、その子どもを探していた。

●祖父と孫

 どこにでもある光景である。
よく見かける。
が、私はその光景を見ていたとき、ムラムラと怒りに似たものを感じた。
見たくもない暴力映画を見せつけられたような気分?

 2人が、どこかで行き違いになったのは、わかる。
大きなショッピングセンターである。
が、探していたのは、祖父らしき男性。
子どもの方はと言えば、「どうして迷子にしたんだ」と、どこか怒っているような様子。
私には、そう見えた。
が、問題は、そのあと。
男性は、子どもを見つけると、開口一番、「ごめん、ごめん」と。
子どもが「ごめん、ごめん」と言ったのではない。
祖父らしき男性のほうが、そう言った。

●本末転倒

 こういうケースのばあい、祖父のほうが、謝る。
威張っているのは、子ども、つまり孫のほう。
頭の中の記憶をいろいろさぐってみても、子どものほうが謝っている光景を、私は見たことがない。
この文章を読んでいる、あなたにしてもそうだろう。
謝るべきは、子どものほう・・・とまでは、書けない。
何か、私の知らない事情があるのかもしれない。
しかし同時に、たがいに謝ったところで、何もおかしくない。
が、私の見た光景は、それとはちがっていた。

 一方的に、祖父らしき男性は謝っていた。
一方的に、子どものほうは、ふてくされ、男性を睨(にら)み返していた。

●謝る親たち

 親は、いつも子どもに謝りながら、子育てをする。
子どもにできないことを、謝る。
子どもはそれに対して、つまり親に対して、(してくれないこと)を怒る。
ある男性(30歳くらい)は、退職したばかりの親に対して、こう言って叫んだ。
「こんなオレにしたのは、テメエだろ。オレなんか、産んでくれなかったほうがよかった」と。

 前後のいきさつを省略したので、わかりにくいかもしれない。
が、どんな理由があるにせよ、この言い方は、おかしい。
今の若い人たちは、日常的に、不平、不満をかかえている。
それもそのはず。
今の若い人たちは、(そこにモノがある)という前提で生きている。
(してもらうのが当たり前)という前提で生きている。
食べ物、家、車・・・などなど。
豊かな生活を、「豊か」ともわからない。
それが(当り前)。
当り前の生活。
だから足りないモノ、不足しているモノがあると、それを不平や不満に転化してしまう。
だから「こんなオレにしたのは・・・!」となる。

●ドラ息子

 今の日本の子育ては、おかしい。
たしかにおかしい。
ある父親(私と同年齢)は、こう言った。

「息子は、一応、東京の一流大学を卒業しました。
が、学費と生活費だけでは足りず、毎月のように、10~15万円、余分に送りました。
息子は、そのつど、『就職したら返す』と。
で、就職しましたが、この不況。
今度は『給料があがったら、返す』と。
その貸した額だけでも、1000万円近くになります。
が、結婚すると同時に、ハイ、さようなら。
子ども(孫)ができたことをよいことに、借金の話は、忘れてしまったようです」と。

 こういうケースのばあい、親側の意識と、子ども側(息子側)の意識は、180度ちがう。
親は、「子どもに感謝してくれているはず」と考える。
しかし子どものほうは、感謝などしていない。
むしろその逆。
「あれをしてくれない」「これをしてくれない」と、不平、不満ばかりを並べる。
とどまるところを知らない。
不平、不満の上に、さらに不平、不満を重ねる。
たとえば「孫を産んでやったのに、それらしい祝い金もくれない」「世話もしてくれない」「妻(嫁)に、ねぎらいの電話、一本くれない」と。

●意識論

 そこで登場するのが、意識論ということになる。
常識論と言い換えてもよい。
意識にせよ、常識にせよ、それは「偏見のかたまり」(アインシュタイン)。

最近の若い人たちは、赤ん坊のときから、蝶よ花よと育てられている。
ある程度大きくなれば、「そら、音楽教室」「そら、英語教室」と育てられている。
そのこともあって、今、高校生でも、親に感謝しながら、高校に通っている子どもなど、まず、いない。
100%いないと、断言してよいほど、いない。
大学生でも、いない。
お金を親からもらうときだけは、「ありがとう」と言う。
しかし大半は、そのまま遊興費。
アルバイトで稼ぐお金も、遊興費。
そんな子どもに感謝の念を求める方が、おかしい。
無理。

 ある子どもは、結婚式の費用を親にせびった。
が、親にはその余力は、もうなかった。
定年退職をしてから、4年が過ぎていた。
そこでその親が、「少しくらいなら・・・」と、重い口を開いて言うと、その子どもは、こう言った。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ!」と。

 意識がちがうと、ものの考え方も、そこまでちがう。
たとえば私たちの時代には、実家への仕送りは、当り前だった。
私自身も、結婚をする前から、収入の約半分を実家へ送った。
結婚式についても、その費用がなく、断念せざるをえなかった。
私だけではない。
当時の日本では、それが常識だった。

 が、今は、ちがう。
そんな話をしただけで、若い人たちは、反発する。
「オレたちに恩を着せるのか!」と。

●逆転現象

 親が子どもに謝る。
子どもは、親を責める。
おかしな逆転現象だが、今、それが常識化している。
保護と依存の関係だけでは、説明できない。
つまりこの現象は、論理では説明できない。
つまり「狂っている」。

 行き違いになった孫を探す祖父。
それを怒る孫。
祖父は孫を見つける。
「ごめん、ごめん」と言って謝る。
それを見て、孫は、ふてくされる。
祖父を睨みつける。

 今では、こんな光景は、珍しくも何ともない。
この日本では、ごくふつうの、当り前の光景である。
恐らくその子どもは、こう思っているにちがいない。
「オレを、迷子にしやがって。この馬鹿ジジイ!」と。
子どもの顔からは、そんな言葉が読み取れた。

●では、どうするか

 私たちは、飽食とぜいたくの中で、子育てのあり方そのものを見失ってしまった。
その第一。

子どもに楽をさせることが、親の愛の証(あかし)と考えるようになってしまった。
楽しい思いをさせればさせるほど、親子の絆(きずな)は太くなると考えるようになってしまった。
たとえばより高価なものを買い与えれば与えるほど、子どもは喜ぶはず、と。

 が、その一方で、先にも書いたように、子どもに向かっては、「ほら、音楽教室」「ほら、英語教室」と。
子どもの意思を無視したまま、それを子どもに押しつける。
こうしたアンバランスな子育て観が、子どもの心を狂わせる。
が、親にはその意識はない。
「子どものため」と錯覚している。

 つまりこうした日常的な不協和音が、10年単位でつづき、親子の関係が逆転する。
今という時代が、そうだ。
が、これは子どものためにならない。
親のためにも、ならない。
子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。
そのドラ息子、ドラ娘が、つぎのドラ息子、ドラ娘を育てる……。
その一方で、親は、ますます社会の隅に追いやられる。

現在40代の人たちにしても、うち約60%の人が、やがて無縁老人、孤独老人になる。
その先で待っているのは、無縁死、孤独死。
発見までの平均日数は、約6日。
中には30日という人もいる。
(50代、60代の人の話ではない。
40代の人の話だぞ!)

 ・・・ということで、この問題は、いかに早い時期に、かついかにじょうずに子離れするかという問題に行きつく。
先日も、ある雑誌社から、こんな質問が届いた。
「子ども(小5)に勉強しなさいと言ってもしません。どうしたらいいですか」と。

 私はそれに答えて、こう返事を書いた。
「そんなヒマがあったら、自分の老後のことを心配しなさい」と。
つまりそのあたりまで割り切らないと、子離れは、完成しない。
が、それができないとどうなるか。

 あなたは一生、それこそヨボヨボの老人になるまで、「ごめん、ごめん」と子どもに謝って暮らさなければならなくなる。
それでもよいなら、私には、もう何も言うことはない。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司

●珍奇な事件

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意識のちがいと言えば、それまで。
しかし時として、常識では計り知りえない
事件が起きる。

あらすじは、こうだ。

ある温泉街で、ある男性が、温泉をのぞき見していて逮捕された。
年齢は75歳前後。
それを見つけたのは男性。
65歳前後。
ともに同じ旅館に泊まる客。
(以上、事実とは少し内容を変えた。)

ここまではよくある事件。
似たような話はよく聞く。
が、さらに話を聞くと、頭が混乱してくる。

温泉といっても、男性客用の温泉。
つまり75歳の男性は、同性である男性の温泉をのぞいて逮捕された。
男性が男性の浴室をのぞいて、どうする?、と聞きたいが、そこが意識の問題。
だれしも、「そんならいっしょに、入浴すればいい」と考える。
そうすれば堂々と、男性の裸を見ることができる。

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●のぞき見

 「のぞく」という行為には、不思議な快感をともなう。
相手の秘密を知るという快感である。
それはわかる。

 私のばあいも、同じ女性でも、入浴後の女性には、そうでない女性よりも色気を覚える。
なまめかしい。
清潔感が漂う。
これは私だけの感覚かもしれない。

 が、だからといって、それがそのまま(のぞき)につながるというわけではない。
のぞきは、犯罪。
相手のプライバシーを盗むという点で、窃盗罪に準じて考える。

が、(のぞき)願望というのは、だれにでもある?
英語では「Peeping Tom」という。
英語にも常用語があることからもわかるように、これは世界人類共通の性癖と考えてもよい。

 が、それとて、相手が異性のばあい。
日本のように公衆浴場が発達したところで、どうして男性が男性の浴室をのぞくのか。
その必要性すら、ない。
つまりここがこの事件の最大の謎。

●男にもいろいろ

 男にも、いろいろある。
若いころは、それがわからなかった。
しかし半世紀も生きてくると、それがわかるようになる。
「濃い男」もいれば、「薄い男」もいる。
濃い男というのは、女性だけにしか興味をもたない男。
薄い男というのは、男性でも、女性でも……という男。
境界がはっきりしない。

 が、さらに進んで、同性愛というのもある。
温泉などに行くと、ときどきそれらしきカップルを見かけるときがある。
何となく雰囲気があやしい。
それで、それがわかる。

 が、男性が男性の浴室をのぞき、逮捕された。
しかし罪状は、何か?
罪状を、どうするのか?

●多様性

 ただ想像することは、できる。
私たちが、女性の裸体を見て、それなりに性的に刺激されるように、同性愛の男性たちは、男性の裸体を見て、それなりに性的に刺激される。
「見たい」という欲望も、生まれる。

 だから同性愛の人たちが、温泉に入るということは、私たちが混浴に入るのと同じと考えてよい。……のか?
あるいは、それとはちがうのか?

 人間の心理は、かなりの部分まで類型化されている。
心理学という学問に体系化されている。
しかしそれですべて説明できるかというと、そうでない部分もある。
そのひとつが、男女の問題。
性の問題。
1000人いれば、1000様の個性があると思われるほど、この世界は、多様性に富んでいる。
私がそれを最初に知ったのは、20歳のはじめのころ。
ある男性(当時、30歳くらい)が、こう話してくれた。

「ぼくはね、関取のような太った女性が好きだ。そういう女性の尻で、顔を踏みつけてもらうのが好きだ」と。

 私はそれを冗談か思った。
が、その男性の妻は、本当に関取のような人だった!
言い換えると、「自分が理解できない」という理由だけで、相手の心を否定してはいけないということ。
人、それぞれ。
私は、私。
あなたは、あなた。

●夫婦問題

 夫婦にしても、そうだ。
いろいろある。
千差万別。
私のワイフは、ああいう女性だから、結婚当初は、何をしても、私は「変態!」と言われた。
石部金吉(カタブツ男)という人がいた。
私のワイフは、その石部金吉。
石部金子。

 まじめなのはよいが、融通がきかない。
今でも、ときどき、こう言う。
「ほかの人は、そんなことしないわよ」と。

 そこで私が、「どうしてそんなことを知っているのか?」と聞く。
つまりワイフは、自分の常識だけで、他人を判断しようとする。
が、こと「性」の世界では、それは通用しない。
言い換えると、この多様性こそが、おもしろい。

 ……もう20年ほど前のこと。
ある会合で会った女性(当時30歳前の美しい女性)が、こう言った。
「私、毎月1回、70歳の男性の相手をしています」と。

 相手の男性には、妻もいる。
子どももいる。
孫もいる。
みなの前で、臆面もなく、そう言った。
私が驚いていると、その女性は、10歳以上も年上の私にこう言った。

「あなたは、まだお若いですね」と。

 この世界は、そういう世界。
それにしても、冒頭の事件。
いろいろ想像力を働かせてみるが、私には、どうしても理解できない。
(理解する必要もないが……。)
私には、実に珍奇な事件ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司

●礼状

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先日、虐待についての相談があった。
その返事を書いた。
それについて、つぎのような礼状が
届いた。
こうして礼状をくれる人は、珍しい。
つまりこの礼状を書いた段階で、
その人の心の問題の大半は解決したと
みてよい。
自分を知るということは、そういうこと。

子育ての世界では、「うちの子のことは、
私がいちばんよく知っている」と思っている
親ほど、実は、自分の子どものことを知らない。

が、謙虚になったとたん、そこに自分の
姿が見えてくる。
「子どもは家族の代表」にすぎない。
それがよくわかるようになる。

++++++++++++++++++

【埼玉県のSTさんより、はやし浩司へ】(一部、プライバシーに関する部分は、改変)

何をどのように調べていいのか検索方法も正直わからないまま、先生のホームページにたどり着いた時はすがるような思いで今思っていることを書き連ねました。

その後・・・メルマガの廃止・相談は現在休止していることを知りました。
お忙しいのに、突然のメールに丁寧に返信して頂き、読みながら涙が止まりませんでした。
子どものこの状態を作ったのは、明らかに私だ!早く何とかしなくては!!と感じながら、なかなか一歩を踏み出せないまま、毎日を送りまたバトルをする・・・の繰り返しでした。

自分を振り返っても母との楽しい思い出はほとんど思い出せず、叩かれたりののしられたり・・・辛い悲しい思い出しか浮かばず、虐待は連鎖すると聞いていたけれど、子どもを授かった時に『絶対に優しいお母さんになる!!私は絶対手を出さない!』と理想の母になると決めたはずでした。

ところが子育てはマニュアルどおりには全くいかず・・・それもわかっていたはずなのにイライラは募るばかりでした。
主人は、大変子育てには協力的で、母乳以外の事はすべてやってくれます。
むしろ私以上に母親です。
子どもの事もこんな私ですら大切にしてくれます。子どもたちももちろんいうまでもなく二人ともパパっ子です。

主人は私にとっては、初めて嫌われるかどうかなど気にせず心を開ける唯一の人です。

主人の優しさに私の心はやっと開き、前向きに生きれるようになり、主人と生活するようになり生まれて初めて毎日が楽しく充実した日々をすごせるようになりました。

私と母との関係も知っています。
子どもに怪我した跡が見つかり、怪我するほど叱ってはだめだ!!とここ数年言われていましたが、
今年に入り子ども自身も今まで父親にはべたべた甘えていたのに、反抗的な態度をとる様になり、段々このままでは家族が崩壊すると心を痛めていました。
私はその主人の悲しそうな姿を見てこの人の為にも私自身が何とかしないと、本当に親子も夫婦も・・・家族がバラバラになる。
それぞれが壊れてしまう・・・ニュースで取り上げているようなことがいつか我が家にも起こる・・・・主人に申し訳ないと。

以前テレビで見た【Mツリー】に問い合わせました。
しかし自分でもこれだけいいのか???子どももどこかにかからなくていいのか???とても不安でした。

ネットを見ると【虐待】【アダルトチルドレン】【パーソナリティ障害】・・・・どれも当てはまりすぎるぐらい当てはまります。
子どもの荒れや自傷行為も私の関わりからだとはっきりしていますが・・・どこかわかっているのに子どもに素直に謝る事も出来ず、自分を正す事も出来ません。

先生からの返事で戸惑っている場合でないことがよくわかり、心療内科の門をくぐろうと思います。〔薬には正直抵抗がありますが・・・・〕
そして何より・・・・私たち家族の進むべき道が示されたような気がしてず~っと先に光が見えるように思えます。

私は母に色々相談したり、手をつないで出かけたり、ショッピングに行くとこはありませんでしたが娘といつか笑って並んで歩ける日がくるように頑張ります。

それとあつかましいのですが、M市でこのような心の問題に詳しい心療内科をご存知でしたら教えて頂けないでしょうか??
紹介という形ではなく、特殊な問題ですので、ご存知であればそちらにかかろうかと思いまして・・・。
勝手なお願いばかりで申し訳ありません。なにとぞよろしくお願いします。
お忙しいところ本当にありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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