2011年6月27日月曜日

loneliness is the second birh canal  孤独は第二の産道

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   27日号
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選ばれました!
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小学1年生+2年生混合クラスで、立体図、展開図を教える】
(2011-6月10日)

●BW教室(実験教室)

今週は、立体図、展開図を教えてみました。
最終的には、直方体まで……と思っていましたが、子どもたちは、踏み台づくりに
挑戦しました。
このチャレンジ精神が、重要ですね。
そんな熱気を、どうかこのビデオの中で感じてください。

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【ついでに、能力的にたいへん恵まれた子ども(小1・6歳児)を紹介します)

●この程度まで、立体図を描ける子どもは、小学1年生で、数百人に1人です。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 立体図 展開図 見取り図 立体模型)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【孤独は第2の人生のための産道】

●BW公開教室byはやし浩司

 現在、もっとも力を入れているのが、YOUTUBE。
昨年度までは、幼児クラスを中心に録画し、それをYOUTUBEに載せていた。
が、今年からは、小学1年生クラスも録画するようにした。
その分、忙しくなった。
が、しかしそれ以上に楽しい。

 ひとつには、アクセス数がふえたこと。
3月(2011年)末までは、400~600件/日を推移していた。
それが4月に入ってから、つまり小学1年生クラスを録画するようになってから、800
~1000件/日へと増えた。
この先も、どんどんと増えそうな気配である。
YOUTUBEでは、「インサイト情報」として、それをグラフ化して示してくれる。

 で、外国からのアクセスも、多い。
コメント欄には、いろいろな書き込みがある。
が、今までは日本語を勉強している人のものばかりだった。
そのたびに「そういう使い方もあるのだなあ」と思った。
もともとは孫の芽衣のために開いたホームページである。
しかし肝心の芽衣からの反応は、ゼロ。
昨夜も二男とスカイプ(テレビ電話)で話したが、見ている気配はなかった。
(残念!)

 少しやる気をなくしていたところへ、上海に住む工藤さんという方から、コメントが届
いた。
5歳になる息子さんが、私のYOUTUBEを利用しているという。
その学習している様子を、同じくYOUTUBEに載せて、送ってくれた。

 うれしかった・・・というより、驚いた。
教室の子どもたちと同じように、いっしょになって声をあげているではないか!
表情も、すばらしい。
それを見たとき、ひとつまた、インターネットの世界が広がったように感じた。
双方向性というか、ほかの通信媒体ではまねできない芸当である。
私はさっそく、工藤さんからのYOUTUBEを、公開教室に並べて掲載した。
息子さんが画面に向かって勉強している顔を、そのまま紹介させてもらった。
興味のある方は、どうか「公開教室・2011」を見てほしい。

●休み時間

 さて、2時間。
今、私は2時間の休み時間をもっている。
この2時間を、どう使うか。
先ほど、ワイフが書斎へお茶を届けてくれた。
そのときこう言った。
「至極の時だ」と。

 何か、書きたい。
何を書こうか。
小説に挑戦してみようか。
それとも評論を書いてみようか。

 評論といえば、このところ北朝鮮の動きがどうも怪しい。
何かをたくらんでいる。
中国政府の高官が、北朝鮮の高官に、わざわざこう警告した。
「冒険主義に走るな」と。

 この警告を裏から読むと、「今は、静かにしていろ」となる。
時折しも、韓国軍が、金日成や金正日らの写真を標的にした射撃訓練をしているのがわか
った。
これに北朝鮮が、大激怒。
連日、「ただではすまさない」と騒いでいる。

 たしかに国家元首の写真を標的にした射撃訓練は、ま・ず・い。
北朝鮮が怒って当たり前・・・と書きたいが、北朝鮮だって、言いたい放題、書きたい放
題のことをしている。
韓国のイ大統領を、「逆賊」と呼んでいる。

 が、こういうときが、あぶない。
一触即発というよりは、ささいなことがきっかけとなり、導火線に火をつける。
加えて北朝鮮の経済状況は、目下、どん底。
最悪。
国民の不満をそらすため、北朝鮮が韓国に向かって軍事的冒険をしかけてくる可能性は、
きわめて高い。
今が、そのとき。

 ・・・というようなことを書いても、おもしろくない。
政治の話は嫌われる。
よくわかっている。
だからこの話は、ここまで。

●浜岡原発、反対!

 3・11大震災以来、私は浜岡原発反対派になった。
原発が危険というより、管理・維持技術のおそまつさに、驚いた。
防災訓練の様子を見て、さらに驚いた。
中部電力は、原子炉に水をかけていた。
原子炉に水?
それが防災訓練?

原子炉事故の恐ろしさは、これでよくわかった。
一旦事故が起きたら最後、事故が事故を呼ぶ、連鎖地獄に陥る。
福島第一原発にしても、応急手当はつづいている。
現場で作業をしている方たちには、本当に頭がさがる。
そういう人たちの努力がなかったら、今ごろ東京にだって、人は住めなくなっていたはず。
しかし残念ながら、基本的な問題は、何一つ、解決していない。
そればかりか、状況は日々に悪化している。
3号機の温度も、100度から再び180度に上昇している(6月8日)。

今朝の新聞報道によれば、どの原子炉も、「メルトダウン」より悪い、「メルトスルー」の
状態になっているという。
まさに「チャイナ・シンドローム」。

 それに昨日、自分でこんなことを調べた。
敦賀市(福井原発の並ぶ「つるが市」)から、岐阜県の岐阜市までの直線距離。
今ではグーグルアースを使えば、瞬時にそれがわかる。
それによれば、たったの70キロ!

 私は子どものころから、また昨日の昨日まで、敦賀市は岐阜市からみて、はるか遠いと
ころにあるとばかり思っていた。
間には山地がいくつか並んでいる。
が、たったの70キロ!
車で1時間の距離!

もし敦賀市にある福井原発が事故を起こしたら・・・?
今の時期だと、風は西から東に吹いている。
岐阜市の住民には、即、退避勧告が出されるだろう。
(政府はずるいから、「命令」という言葉は使わない。
退避命令にすると、その責任を負わなければならない。)

 さらに御前崎にある浜岡原発からこの浜松市までは、たったの40キロ。
原発事故にあっては、40キロなどという距離は、誤差のようなもの。
距離と呼べるような距離ではない。

 ・・・というようなことを考えていくと、反対派にならざるをえない。
いくら電力が必要と言っても、町や村を追われ、命まで奪われたら、元も子もない。

●代替エネルギー

 原子力に替わる代替エネルギーとして、恩師の田丸謙二先生の弟子たちは、アンモニア
燃料を考えている。
水を触媒で分解し、酸素と水素に分解する。
それに同じく空気中の窒素と化合させて、アンモニア燃料を作り出す。
これなら安全かつ、無尽蔵のエネルギーを手に入れることができるようになる。

 夢のような話だが、理化学研究所を中心に、今、その研究は着々と実を結びつつある。
「時間の問題です」と、田丸謙二先生は言っている。

 が、ここで、もうひとつの問題にぶつかる。
安価で安全、かつ無尽蔵のエネルギーというのはよい。
こうした科学の発達には、いつももうひとつの「剣」がある。
「両刃の剣」という。
もしそれが軍事目的に利用されたら・・・?
たとえば太平洋の海が、そのまますべて火薬庫になることもありえない話ではない。
もしそれに火がついたら、それこそ地球が丸ごと、吹っ飛んでしまう。

 田丸謙二先生は、そのあたりをどう考えているのだろう。
核燃料と核爆弾。
アンモニア燃料と水素爆弾。
使い方をまちがえると、たいへんなことになる。
この原稿をあとでそのまま先生に送ってみよう。

Hiroshi Hayashi+++June 2011+++はやし浩司(林浩司)

【孤独は、第二の産道】

●言葉

 よい生活をする・・・それがどうした?
よい食事をする・・・それがどうした?
楽しい思いをした・・・それがどうした?

 こうして人はいつも、自分に問いかける。
「だから、それがどうしたの?」と。
するとその答えがない。
どこにもない。

 たとえば今日、私はカニを腹いっぱい食べた。
バイキング方式だったから、食い散らすようにして食べた。
いつもなら細い足まで食べる。
が、今夜は、カニの爪か、太い足だけ。
細い足は、そのまま捨てた。

 が、私の年齢になると、「食べたら、損」。
わかってはいるが、止まらない。
欲望というのは、そういうもの。
コントロールするのが、むずかしい。

・・・というか、理性の力でコントロールするのは、ほぼ不可能。
アルコール中毒やニコチン中毒の人たちを見ればよい。
一度、脳の線条体に受容体ができると、条件反射的に、人間は行動してしまう。

 そう、人は、パンと水(豪華な食べ物)だけで生きるのではない。
キリストの教えを借りるなら、人は、言葉、つまり教えによって生きる。
その教えがないと、「だから、それがどうしたの?」と聞かれると、そこで行き詰まってし
まう。
反対に教えがあれば、即座に答えが返ってくる。

●言葉(教え)

 楽しんで、笑って、腹いっぱいおいしいものを食べ、そのときを愉快に過ごす。
それは人生の一部かもしれない。
しかし先にも書いたように、「だから、それがどうしたの?」と聞かれると、そこで言葉が
行き詰まってしまう。

 そこで私たちは、言葉(教え)を求める。
反対に言葉(教え)のない人生ほど、味気なく、意味がなく、かつ、つまらないものはな
い。
そこでキリストは「愛」、釈迦は「慈悲」、孔子は「仁」を、それぞれ説いた。
これら三者は、基本的には同一のもの。
言葉というのは、それをいう。
この言葉があるから、私たちは今、ここにこうして生きていることができる。
そうでなければ、そうでない。
ただ「息(いき)る」だけの人間になってしまう。

●みんな孤独でさみしい

 老いるということは、孤独との闘い。
よく「老後は孫の世話と庭いじり」と説く人がいる。
が、これはウソ。
そんなもので、老後の心の隙間を埋めることはできない。
ごまかすことはできる。
しかし埋めることはできない。

 酒にしても、そうだ。
飲んだときは、忘れられる。
しかし酔いから覚めたとき、その何十倍もの孤独が襲ってくる。

 が、心配無用。
あのキリストだって、孤独だった(マザー・テレサ)。
キリストは、それを「ハンガー(飢え)」という言葉を使って表現した(マザー・テレサ)。
あなただけではない。
私だけではない。
みんな孤独。

 その心の空白を埋めるのは、言葉(教え)でしかない。
いくらよい生活をしても、よいものを食べても、楽しいときを過ごしても、それは一時の
幻想。
霞(かすみ)。
むしろそういうものには、麻薬性がある。
一度毒されると、かえってそこにある真実が見えなくなる。

 だから孤独であることを、嘆く必要はない。
孤独から逃げる必要もない。
前にも書いたが、孤独は、人間がつぎの世界に入るための関門。
言うなれば、第二の産道。
その関門を通らずして、私たちはつぎの世界に入ることはできない。

 苦しい。
つらい。
おまけに痛い。
だから産道。

●関門(第二の産道)

 人は否応なしに、老いる。
老いることによって、そこに死を見る。
そのおかげで、私たちは、孤独を知る。
が、その孤独を恐れてはいけない。

 ほとんどの人は、燃え盛る火を見て逃げるように、孤独をそこに見ると、そこから逃げ
てしまう。
ごまかそうと、必死になる。
もがく。
苦しむ。
中には、その苦しさに耐え切れず、命を絶つ人もいる。
が、もがく必要はない。
苦しむ必要はない。
もちろん命を絶ってはいけない。

 あなたがすべきことは、ただ静かに身を横たえ、それを受け入れる。
とたん、その向こうに、道が見えてくる。
恐らくその道は、人によってみな、ちがうだろう。
が、それが第二の世界ということになる。

 このころになると、人は、フロイトが説く「性的エネルギー」がどんなものであったか
がよくわかる。
平たく言えば、それまでの私たちがいかに欲望の奴隷であったかを知る。
その奴隷的呪縛感から解放される。
・・・というか、その解放感は、解放されてみないとわからない。

●朝に知れば・・・

 こうして考えると、老後は、大きなチャンス。
老後があるおかげで、私たちは真理を知る。
真理に到達することができる。
もし老後がなかったら、100年生きても、200年生きても、人は愚かなまま。
愚かなことを繰り返し、それが愚かなことであるかさえ気がつかない。
長寿は美徳だが、中身のない長寿は、ただの数字の遊び。
だからある賢人は、こう言った。

『朝に知れば・・・』と。

 無駄に100年生きるより、有益に1日を生きたほうがよい。
それを決定するのが、言葉(教え)ということになる。

●第二の産道論

 実は、「第二の産道」論は、以前にも書いた。
原稿をさがしてみる。
日付は2011年1月となっている。
たった半年前!
私にはずいぶんと昔に書いた原稿のように思える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●喪失の受容段階論(孤独と真理)「喪失の受容段階論」


●孤独は心のがん細胞(2011年1月28日記)


++++++++++++++++


喪失の内容、程度は、さまざま。
失恋、事業の失敗、健康、離婚、
子どもの巣立ち、肉親の死、配偶者の
死など。


そのつど人は、はげしい喪失感を
覚える。
ときにそれがそのまま絶望感になることもある。
襲い来る孤独感、孤立感、虚無感……。


少し前、「孤独は心のがん細胞」という
記事を書いた。
孤独をけっして軽く見てはいけない。
孤独は、心をむしばみ、やがて自らの死、
つまり自殺へと、心を導く。


が、この孤独。
闘えば闘うほど、キバをむいて
私たちに向かって襲いかかってくる。
もがけばもがくほど、孤独という糸に
からまれ、身動きが取れなくなる。


仏教でも、「無間地獄」と位置づける。
あのイエス・キリストも、孤独に
苦しんだ(マザーテレサ)。


が、受け入れてしまえば、何でもない。
孤独に身を任せ、静かにそれを受け入れる。
それで苦しみが消えるわけではない。
悲しみが消えるわけではない。
孤独であることは、苦しい。
魂が引き裂かれるほど、苦しい。
が、その苦しみを受け入れたとき、
その先に小さな光明が見えてくる。


人は、人生において2度、産道をくぐりぬける。
母胎からの産道。
そして孤独からの産道。
2度目の産道をくぐりぬけたとき、人は、
真理の世界に生まれ出ることができる。


++++++++++++++++++


●喪失


 人は、どう喪失感を受け入れていくか。
その参考となるのが、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」。
言うまでもなく、「自分の命」を失うことを超える喪失感は、ない。
まさに死は究極の喪失感ということになる。


●死の受容段階論


 キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)は、
つぎのような段階論をいう。


(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気
は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康
な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引き
を試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終
わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)


●喪失の受容段階論


 喪失感がはげしければはげしいほど、ロスの『死の受容段階論』に似た段階を経て、や
がて人は喪失を受け入れるようになる。
こまかい点ではちがいはあるのだろうが、おおまかに言えば、それに近い。
順に整理してみる。


(第1期) 否認……失ったことを知り、大きなショックを受けたのち、失ってはいないと、
はげしく否認する。ささいなことに希望をつなぎ、「まだ何とかなる」と思う。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の幸福
そうな人、家族で、相手本人に対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……喪失の回復の見込みがないことを自覚すると、神や医者、家族と取
り引きを試みる。祈ることでの延命や、喪失の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……喪失感が持続的につづくと、虚無主義に陥ったり、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至る。運命に身を任せ、運命に従い、喪失による孤
独感を静かに受け入れる。(以上、ロスの『死の受容段階論』を一部、改変。)


●孤独をどう受け入れていくか


 孤独というのは、闘っても意味がない。
闘う必要もないし、また人間にはそれに打ち勝つ力はない。
そこで大切なことは、居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
同時に、「みな、そうなんだ」と思えばよい。


 一見、派手な世界で愉快そうに振る舞っている人にしても、孤独でない人はいない。
みな孤独を背負っている。
あるいは孤独という氷の上を歩いている。
薄い氷。
その下では孤独が、「おいで、おいで」と手招きしている。


孤独を知らない人というのがいたら、本物のバカか、ものを考えないノーブレイン
(=脳なし人間)。
あるいは孤独をごまかして生きているだけ。
孤独から逃げているだけ。


 もちろん財力や名誉、地位、肩書き、経歴など、孤独の前では、一片の価値もない。
意味もない。
乾いた煙ほどの力もない。
孤独を癒す力など、まったくない。
もがけばもがくほど、孤独の糸がからんでくる。
身動きが取れなくなる。


 が、ひとたび孤独を受け入れれば、周りの世界は一変する。
それまで見えなかったものが、見えるようになる。
何が大切で、何がそうでないか。
何が価値があり、何がそうでないか。
言うまでもなく、私たちが探し求めている真理は、その向こうにある。


●真理探究


 財力や名誉、地位、肩書き、経歴に毒されている間は、真理など求めようもない。
そういう世界で踊っている人は、作りあげられた幻想の世界で、酔いしれているだけ。
それは一時のさみしさを紛らわすために飲む、酒のようなもの。
酒から覚めたら、その何倍もの孤独感が襲ってくる。


 言い替えると、財力や名誉、地位、肩書き、経歴にしがみつけばつくほど、その人は
孤独を前に、もがき、苦しむ。
絶望のどん底へ叩き落とされる。
「自らの死」を選択することにもなりかねない。


 が、孤独は「第二の産道」。
その産道をくぐり抜けることなしに、人は、真理の世界に入ることはできない。
もちろん「真理」は、その人によってちがう。
真理はひとつではないし、真理の向こうにまた別の真理がある。
そこは平和で、満ち足りた世界。
豊かで、おおらかな世界。
が、その世界もまた、無限のかなたへとつづく。


 方法は簡単。
孤独を受け入れる。
静かに受け入れる。
それで苦しみや悲しみが消えるわけではない。
しかしやがて、その先に、一筋の光明が見えてくる。
あとはその光明に向かって歩いていけばよい。


 ……この先のことは、私にもわからない。
ただこれだけは言える。


真理などというのは、そんなに遠くにあるものではないということ。
私やあなたのすぐそばにあって、私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて
じっと待っている。


 さあ、あなたも勇気を出して、孤独の世界に身を横たえてみよう。
声に出して叫んでみよう。
「私はさみしい!」と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 第二の産道論 真理の探究 真理 孤独論 喪失論 喪失の受容段階論
 はやし浩司 ロス 死の受容段階論 はやし浩司 孤独は心のがん細胞 はやし浩司 
第二の産道 第2の産道論 孤独は真理への関門 はやし浩司 関門論 産道論)

(参考)

●ストレス論byはやし浩司

++++++++++++++++

昨夜、知人(65歳、男性)が、こう言った。
「私たちの年齢になると、勇気を出して、外出する。
それが心の健康に、とても重要です、と。

同感!
賛成!

ともすれば、私たちは外出するのがおっくうになる。
「できれば家の中で、のんびりしたい」と思うようになる。
が、それは心の老化のはじまり。

心が老化すると、
(1)刺激を嫌うようになる。
(2)変化を嫌うようになる。
(3)現状維持のまま楽をしたいと願うようになる。

 どれも同じようなもの。
だから「勇気を出して」となる。
その「勇気」が途絶えたとき、私たちの心は、ジジ臭くなる。
ババ臭くなる。

 ……ということで、昨夜は会食。
たがいに勇気を出して、行ってきた。
その席で、「ストレス」が話題になった。
「人間関係がストレスの原因」と、その男性は言った。

同感!
賛成!

それに答えて、私はこう言った。
「孤独は、心のがん細胞」と。

●ストレス学説
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の亢進ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 孤独感、絶望感は、ただ単なる感情ではない。
肉体をもむしばむ「がん細胞」ということになる。
こわいのは、脳内ストレス。
年齢的なことはよくわからないが、50歳を過ぎたら、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ストレス 免疫 免疫機能の低下 免疫機構 サイトカイン 孤独
 強力なストレス はやし浩司 絶望 孤独 心のがん細胞 ガン細胞)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月6日(2011)「絶望感」

●マウスをモニターに?

 友人のDさん(男性)が、今度、インターネットを始めた。
ちょうど50歳。
50の手習い。

 が、今までキーボードにすら、触れたことがないという。
高校1年生の娘さんに、あれこれ教えてもらっているという。
で、生まれて初めての、記念すべきメールを、私宛に出すという。
が、「メールを出しました」と電話があってから、3日たっても、メールは届かなかった。

 で、今度は私の方から電話。
「メールが届いていませんが……」と。

 こういうやり取りが、2回ほどあって、やっとメールが届いた。
が、こわくて、開けなかった。
件名の欄が、空白。
差出人の名前が、「ポンポコ……」とかいう、そんなような名前になっていた。
「たぶん……?」とは思ったが、開けなかった。
どう見ても、ウィルスメール。

 で、電話をかけて確認。
娘さんのアドレスをそのまま使っていた。
Dさんは、「ポンポコ……というのは、うちの娘のです」と。

 ……ということで、メールを開くと、「Dです。届きましたか?」と。
私はすぐメールで返信した。

「件名欄は空白にしてはいけない。
差出人の名前を書くこと」と。
電話で、私のホームページを見たいと言ったので、アドレスを張りつけておいた。

 が、しばらくするとまた電話。
D「メールが届いていません。ホームページも見ることができません」
私「マウスでカーソルをその上にもっていって、左、ダブルクリックです」
D「マウス? ……そんなもの、ありません」
私「ない? パソコンはどんなの? ノート、それとも……」
D「携帯電話です」

私「携帯電話では、見られません。携帯端末なら、見られます」
D「やっぱりそうですか。じゃあ、ちょっと待ってください」と。

 それから待つこと1時間あまり。
しびれを切らして電話をかけると、「今、やっているところです」と。

D「出ました、出ました。先生(=私)のメールが出ました」
私「その中に、私のHPのアドレスがあるでしょ。その上にマウスをもっていき、ダブル
クリックです」
D(カチャカチャという、聞き慣れない音)「出ませんねえ……」
私「マウスは今、どこにありますか?」
D「テレビ(モニター)の上です」
私「テレビの上?」
D「そうです」
私「あのう……。マウスは下に置いて、使うものですが……」と。

 こういうやりとりが、……つまり電話のかけあいが、1時間ほど、つづいた。
私は絶望感を覚え始めた。
Dさんも、「もう、疲れました」と言い始めた。

で、結局、今度、Dさんに、私の家に来てもらうことにした。
私が直接、教えることにした。
で、その夜は、そのまま電話を切った。

●パソコンの世界

 インターネットというのは、(パソコンの操作もそうだが)、それができる人は、日常の
会話のようにできる。
何も考えず、簡単にできる。
が、できない人には、できない。

数年前だが、近所の奥さんを助けたことがある。
「パソコンが動かない」というから、見に行ってやった。
が、見ると、フロッピーディスクが差し込んだままになっていた。

 またつぎの日、今度は、「プリンターが使えない」と言ってきた。
また見に行ってやると、プリンタードライバーが壊れていることがわかった。
ドラーバーを再インストールするしかない。
そこで奥さんに、「ドライバーはありますか?」と聞くと、「あります」と。
画面を見つめながら、あちこちを操作していると、奥さんがドライバーをもってきた。
見ると、ねじ回し用のドライバー!

 ……といっても、けっして笑ってはいけない。
みな、こういう経験を経て、パソコンの世界に入っていく。
私も、若いころ、いろいろな失敗をした。
さんざんした。
真っ青になり、冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜したことも多い。
だからDさんにこう言った。

「パソコンというのはね、あきらめたら、負け。何としても解決してやるという意気込み
がないと、そこでくじけてしまう。くじけたら最後、そこで終わってしまう」と。

●パソコン嫌い

 その一方で、パソコン嫌いという人も、たしかにいる。
50代、60代の人に多い。
「あんなものなくても、一向に困らない」と。

 便利さを知る前に、便利さそのものを否定する。
そればかりか、インターネットを使っている人を、逆に軽蔑する。
(軽蔑だぞ!)
「ああいうものをやっていると、頭ばかりでっかちに(=大きく)なって、どうしようも
ない人間になってしまう」と。

 私が「パソコンで原稿を書いています」と言ったとき、「よく頭が痛くなりませんね?」
と言った人もいた。
何でもその人は、パソコンに向かって文字を打とうと考えただけで、頭が痛くなるという。
そういう人もいる。
が、私はいつもこう言う。

 「モニター画面の向こうには、もうひとつの宇宙がある」と。

 モニターという「窓」の向こうには、広大な宇宙が広がっている。
しかもそれぞれのモニターを介して、無数の人とつながっている。
今も、この画面の向こうには、無数の人たちがいる。
顔は見えないが、たしかにいる。
インターネットを否定する人は、自らその宇宙を否定していることになる。
だからそういう人に出会うたびに、私はこう思う。
「もったいない!」と。

●幼児教育

 ともあれ、パソコンの操作を知らない人は、本当に何も知らない。
またそういう人もいるという前提で、指導書などを充実させる。
たとえば先に書いたDさんにしてみれば、「アドレスの上に、カーソルを置く」ということ
を理解するだけでもたいへん。
Dさんは、アドレスの上、つまりアドレスの上にある空白部分に、カーソルを置いていた。
「上」という意味が、わからない。
正しくは「重ねる」。
が、どの指導書を見ても、「上」となっている。
「重ねる」と書いてある指導書はない。

 つまりそういうレベルから、指導を始める。
そのコツと内容は、幼児教育のそれに似ている。
たとえば年中4歳児あたりに、「『はしる(走る)』の反対は?」と聞くと、「ルシハ」と答
えたりする。
あるいは、昔、こんなことがあった。

 園庭で園児を指導しているとき、手を下げたまま走っている子どもがいた。
そこで私がその子どもに、「手を振って走れ」と号令をかけると、その子どもは「先生、バ
イバーイ」「先生、バイバーイ」と、手を振りながら走り始めた。

 ……などなど。
いろいろある。
Dさんの話をワイフにすると、ワイフは笑った(失礼!)。
が、私は笑えなかった。
フフフと笑ったが、それ以上には笑えなかった。
私は何とも表現しがたい、絶望感を覚えたままだった。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【O-104と、77万テラベクレル】(はやし浩司 2011-06-07)

++++++++++++++++++

今朝は6時ごろ、目が覚めた。
が、そのままふとんの中で、あれこれ考えた。
起きあがったのは、7時過ぎ。

庭に出て、鳥の餌をまく。
30分の運動。
汗をぬぐいながら、そのまま書斎へ。

いつもの日課。
まずニュースサイトを読む。

++++++++++++++++++

●6月7日

 今朝は、つぎの2つの数字が気になった。
ひとつは、「Oー104」。
もうひとつは、「77万テラベクレル」。

 【産経新聞より】欧米で腸管出血性大腸菌「O(オー)104」の感染が拡大している。
これまでに感染者は13カ国で2150人を超え、ドイツで22人が死亡、スウェーデン
でも1人が亡くなった。ロシアが欧州連合(EU)からの生野菜輸入を停止するなど、財
政危機に苦しむ欧州に追い打ちをかけている。


 【TBS NEWS-iより】福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性物質の
量について、原子力安全・保安院は77万テラベクレルだったという新たな推定結果を明
らかにしました。これまで公表されていた値のほぼ倍の値です。

●O-104

 あの「Oー157」のときは、日本中が大騒ぎになった。
それが今度は、「Oー104」。

『今回のO104は、1996年に日本で11人が死亡、約9000人が感染したO15
7との遺伝子交換で変異した種とみられ、毒性も強いとされる』(産経新聞)そうだ。
日本への侵入は、もはや時間の問題。
警戒しよう。

●77万テラベクレル

 もうひとつは、「77万テラベクレル」。
が、77万テラベクレル?

「テラ」は、10の12乗。
つまり「1兆」。
だから「77万テラベクレル」は、77万x1兆=770000x1000000000
000=77、0000、0000、0000、0000(0が、16個!)ベクレル。
つまり77京(けい)ベクレル。
これだけの放射能が、3・11大震災直後、11日から16日までに放出されたという。
が、それでもピンとこない。

 そこでチェルノブイリ事故以後の、スウェーデンにおける「地域汚染区分図」を見る。
そこでは、「kベクレル」という数字が使われている。
セシウム137による汚染度だが、もっとも高いところで、120Kベクレル/平方メー
トルだったとか。
120K=120x1000=120000ベクレル。
それでもその後、スウェーデンでは、がん患者が急増している。
これについて京都大学の研究グループは、こう結論づけている。
「……今後増える分を含めて、その10倍のガンが発生するとするなら、チェルノブイリ
事故によって、ヨーロッパ全体に80万人のガンがもたらされる」(「原発事故」(宝島社))
と。

 飛散した面積にもよるが、「77万テラベクレル」というのは、相当な量である。
同じく京都大学の研究グループの計算によれば、チェルノブイリでこれまで放出された放
射能の量は、1880京ベクレル(同書、P52)ということだそうだ。
福島第一原発では、その約20分の1とはいえ、それが3月16日までに放出されている。
(ただし不幸中の幸いと言うべきか、当時は東風で、大半は海側に流れたとみられている。)

 が、だんだんと、「数字」の意味がわかってきた。
もう一度、整理してみる。

(1)チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射能が放出された。
(2)福島第一原発では、3月16日までの5日間に、77京ベクレルの放射能が漏れた。
(3)1平方メートル当たり、12万ベクレルというのは、スウェーデンでも最高値。そ
のためガン患者が、ヨーロッパ全体だけでも、80万人もふえた!

 が、もちろんその「77万テラベクレル」で終わったわけではない。
いろいろな対策は講じられつつあるが、現在の今も、3・11日当時と同じか、もしくは
さらに悪化している。
つまり放射能は、それ以後も、日常的に漏れつづけている。
その量はいったい、どれだけなのか?
それすらも、現在、よくわかっていない。

 チェルノブイリでは、現在、原発から300キロ圏内まで「高汚染地帯」、600キロ圏
内まで「汚染地帯」となっている。
ちなみに福島第一原発から東京まで、約250キロ。
この浜松市まで、約400キロ。
このことから、つぎの2つがいかに重要なことかがわかる。

(1)できるだけ早く、放射性物質の漏えいを食い止める。
(2)原子炉をけっして、爆発させてはならない。とくに3号機に警戒する。3号機は、
MOX燃料(プルサーマル)を使用している。
3号機がきわめて不安定な状態になっているのは、そのため。
またプルトニウウムの毒性は、ウランのそれの比ではない。

(「軽水炉にMOX燃料を使うのは、灯油ストーブに、ガソリンを使うようなものだそうだ
(同書による)。)

●岐阜市での放射能測定値(錯覚と誤解)

 岐阜県という県は、3本の川によって、それぞれ独特の文化圏を形成している。

東から木曽川文化圏、長良川文化圏、そして揖斐川文化圏。
横のつながりは、ほとんどない。
ただし岐阜県は、昔から、南側の美濃地方と北側の飛騨地方に別れている。
飛騨地方については、山を越え、東西につながっている。
生活習慣や言葉などは、よく似ている。
昔の人々は、山を越え、それぞれに交流していたにちがいない。

 その岐阜。

 私は今回の原発事故が始まった直後は、こう考えていた。
「もし放射能が浜松まで及んできたら、岐阜へ逃げよう。それでもだめなら石川県の金沢
に逃げよう」と。

 しかし福島第一原発のある場所に中心を刺し、コンパスで円を描いてみて驚いた。
浜松も岐阜も金沢も、同一円内にある。
つまり逃げても、無駄。
が、誤解……あるいは錯覚というのは、恐ろしい。
頭の中の「地図」は、そうなっていない。
岐阜や金沢は、福島よりずっと遠いと感ずる。
長い間の地理的誤解が、そういう感覚を形成してしまった。
が、さらに今回、驚いたことがある。

 現在、文科省とは別に、『放射線・原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリ
ング』というのが、公表されている。
(文科省の公表値は、ほとんどアテにならない。)
http://www.geocities.jp/environmental_radiation/

 それでみると、
静岡県は、このところ平均して、0・045前後の値を推移している。
ところが岐阜県は、0・080前後。
「静岡」の約2倍!

 これはどうしたことか?

 福島第二原発からの風が、静岡より、北側を流れているということか?
が、それにしても、腑に落ちない。
そこでつぎに福井県を調べてみた(同、調査)。
それを見て、理由がわかった。

福井県は、0・90~1・00前後。
つまり原因は、どうやら福井原発にあるらしい?
福井原発から岐阜市まで、たったの70キロ弱(岐阜市ー敦賀市、直線距離)。
岐阜県全体が、100キロ圏内にすっぽりと入ってしまう。

 が、誤解というのは、恐ろしい。
私も岐阜県人だったが、福井原発が、そんなに近いところにあるとは知らなかった。
福井原発についても、岐阜県で反対運動が起きたという話は聞いたことがない。
岐阜からみると、福井は、山の向こうの、さらにそのまた向こうの遠いところ。
「岐阜には関係ない」となる。……となっていた。

 が、これはまさに錯覚!

 いいか、岐阜県の人たちよ。
福井原発は、すぐ目と鼻の先だぞ。
たったの70キロだぞ。
知っていたか!

ちなみに浜岡原発から浜松市まで、40キロ前後。
もし浜岡原発や福井原発で、福島第一原発と同じような事故が起きたら、浜松市はもちろ
ん、岐阜市も、「避難勧告地域」になる。
のんきに構えている方が、おかしい。

 ということで、福井第一原発事故は、地図の見方まで変えた。
今までは、「車で何時間」というような考え方が、主流だった。
が、今は「直線距離」。
山も川も、文化圏もない。
「直線距離」。
またそれでみなければ、意味がない。

で、岐阜県の人たちへ

 岐阜での放射能測定値は、静岡の2倍。
福井原発までの距離は、たったの70キロ。
知っていたか?
 
●6月7日

 ということで、6月7日も始まった。
そうそう、昨日、庭のキーウィの木に、ヘビが現われた。
中型のシマヘビ。
ワイフが昼寝をしていて、それを見つけた。

 私は手元にあった殺虫剤をかけた。
顔にもかけた。
が、ヘビのほうは、平然としたもの。
そのまま体を反対側に向けると、スーッと葉の中に消えていった。

教訓1。
ヘビには殺虫剤は、効果なし。

教訓2。
人間はより大型の動物になればなるほど、殺すのをためらう。
つまり小さな動物(虫など)は、平気で殺すことができる。
しかしある一定以上の大きさの動物になると、殺せなくなる。
私のばあい、家ネズミ程度が限度。
それ以上の大きさの動物となると、よほどの殺意を覚えないと、殺せない。
たとえばマムシなど。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●はやし浩司 2011-06-08

++++++++++++++++++++++

今夜は、A氏が夕食に招待してくれるという。
カニ(ズワイガニ)食べ放題のバイキング料理。
ワイフと2人で行く。
楽しみ。

また、このところ、自分のYOUTUBEを見て、
癒されることが多くなった。
昨夜も遅くまで、ワイフとふとんの中でそれを
見ていた。
教室では聞き漏らした子どもたちの声が、
そのまま残っている。
それを聞くのが楽しい。
「ああ、あのとき、あの子は、こんなことを
言っていたんだア」と。

++++++++++++++++++++++

●朝食のとき

 このところハチを多く見かけるようになった。
2~3匹、飛び交うのを見たら、近くにかなり大きな巣があるとみてよい。
これは私の経験。

「どこだろう?」
「どこかしら?」と。

 が、ハチというのは、(とくにスズメバチは)、自由気ままな虫。
すぐには巣に戻らない。
じっと見つめているが、そのうちフイとどこかへ行ってしまう。
見失ってしまう。
まるで忍者のよう。

 私は、しかしハチの巣を見つけたら、容赦しない。
何度か刺されて、私の体の中には抗体ができている。
刺されるたびに、体中が腫れる。
今度刺されたら、命があぶない。

 蜂の巣については、いろいろな退治の仕方がある。
しかしもっとも簡単な方法は、殺虫剤を使うこと。
ハチというのは、どういうわけか、あの殺虫剤に弱い。

夜中に、懐中電灯で照らしながら、巣の入り口に向けて、噴霧する。
たいてい入り口のところに、1~2匹、門番がいるので、まずそいつを殺す。
そのあとすかさず殺虫剤の口を、巣の入り口につけ、5分前後、噴霧しつづける。
やがて殺虫剤の液体が、巣の底を破り、ポタポタと落ちてくる。
そのころには、巣の中のハチは全滅。

 「殺す」というのも、残酷な話?
しかし「殺虫剤」という。
「退虫剤」とは言わない。
だからやはり「殺す」となる。

●「私の人生を、返して!」

 私の知人(男性)の妻が、夫にこう言ったという。
「私の人生を返して!」と。
知人は、そのとき60歳。
妻も、そのとき60歳。

 その話を聞いたときには、「そういうものかなア」と思った。
しかし今になって、その言葉が、ジンと胸にしみる。
言い忘れたが、その話を聞いたのは、4、5年前。
その知人は、現在、65歳。

 人生の(可能性)が小さくなり、(選択)の幅が狭くなる。
それまでは「何かあるかもしれない……」と、未来に希望を託すことができる。
が、60歳をすぎると、それができなくなる。
老後から「死」へ、一本道が、そこに現われてくる。
とたん、先細りの閉塞感。
が、振り返っても、そこには、何もない。
だから、こう言う。
「私の人生は、何だったのか」と。

●自分の人生を生きる

 この世の中で、自分の人生を生きている人は、いったい、どれほどいるだろうか。
みな、そのつど、何かの犠牲になりながら生きている。
仕事にしても、そうだ。
自分のしたい仕事をしている人は、ほとんどいない。
みな、何かにじっと耐えながら、その日の仕事をこなしている。
しかし何のために?

 ひとつには、家族がある。
妻や夫、子どもがいる。
しかしそれもやがて終わる。
「子はかすがい」と言う。
しかし一歩誤れば、「三界の足かせ」とも言う。

 憩いややすらぎを得るはずの家庭が、監獄へと一転する。
別の知人(男性)はこう言った。
「娘が2人いますが、2人とも片づいたら、今の妻とは別れます」と。
そういう夫婦もいる。

 ……となると、ここで最大の命題。
私たちは何のために生きているのか。

●不満

 そんな話をワイフとする。
もっとも私のワイフは、若いころから楽天的。
超がつくほど、楽天的。
うつ病とは、まるで無縁の世界で生きている。

私「お前は、そんなふうには、思わないのか」
ワ「私は、思わないワ……」
私「『私の人生を、返して!』って、思わないのか」
ワ「思わないはねエ」
私「どうして?」
ワ「思わないから、思わないだけよ」と。

 会話にならない。
つまりこれは生き様の問題というより、とらえ方の問題ということになる。
人生をどうとらえるか。
簡単に言えば、日常的に、不満があるかないかのちがい。
その不満が積もり積もって、「私の人生を、返して!」となる。
だったら、そのつど、不満を解消すればよい。

 その第一。
やりたいことをする。
言いたいことを言う。

 まずいのは(やるべきこと)もしないで、「何もできない」と愚痴をこぼすこと。
が、ワイフは、いつもこう言う。
「要するに、期待しないことよ」と。
「へたに期待するから、あとあと傷つくのよ。だったら、最初から期待しないことよ」と。

●期待しない人生

ワ「あなたの悪いところはね、いつも人に期待するところよ。これだけしてやったのだか
ら、お返しがあるはずとね」
私「……」
ワ「人生についても、そうよ。これこれこれだけのことをしたのだから、お返しがあるは
ずとね。でもね、そんなものはないのよ。だって、あなたは自分のしたいことを、自分の
ためにしているだけでしょ」
私「まあ、そうかもしれないなア……」
ワ「そうでしょ。世の中の人たちはみな、自分のことで精一杯なのよ。いちいち他人のこ
とに、構っておれないのよ。どうしてそれが、あなたには、わからないの」と。
 
 しばし、知人の妻が言った言葉を、頭の中で繰り返す。
庭先の畑の間では、相変わらずハチが飛び交っている。
まったく関係のない話だが、あのハチの寿命は、恐ろしく短いそうだ。
スズメバチについて言えば、女王蜂で1年程度。
(ハチの種類によっても、ちがう。)
しかし働き蜂は、30日程度。
たったの30日!

 そんな話をしながら、ワイフに、「たった30日じゃあ、何もできないね」と。

私「もっとも30年あっても、何もできないけどね」
ワ「ハチは子孫を残すことだけを考えているのよ」
私「そんなことも考えていないよ、きっと。プログラムされたとおりに行動し、そして死
んでいく」
ワ「人間も似たようなものね。そう考えれば、気が楽になるでしょ」
私「そうだなア……」と。

●期待と犠牲心

 (期待)は、いつも(犠牲心)を引き連れてやってくる。
期待するから、犠牲心が生まれる。
その犠牲心が、心をゆがめる。

 子育てについても、同じ。
わかりやすく言えば、子どもには期待しないこと。
やるべきことを淡々とし、それで終わる。
へたに期待するから、あとになって、「裏切られた」と騒ぐ。

 もっともそのとき「先」があれば、まだ救われる。
その「先」がないから、「私の人生を、返して!」となる。

ワ「その点、あなたは幸せよ」
私「ぼくがア……?」
ワ「そうよ。あなたは毎日、自分のしたいことができるでしょ。今までだって、自分のし
たいことをしてきたでしょ」
私「お前は、どうなんだ?」
ワ「私は満足しているわ」
私「そうかなあ……?」
ワ「そうよ」と。

●生きがい

 ……先ほど、ワイフはテニスクラブへ出かけていった。
私は書斎にひとり、残された。
朝食のせいか、眠気が襲ってきた。
たった今、椅子をうしろに大きく倒し、腕をあげ、あくびをしたところ。

 今日の予定は、会食以外に、とくになし。
「昼飯は抜きだな」と、今、思ったところ。
おいしいものを食べるのは楽しい。
しかしそのあと、体重計に乗って、いつも後悔する。
だから今は、こう考える。

「……だからそれがどうしたの?」と。

 つまり私たちはいつも、本能の奴隷になっている。
奴隷になりながら、奴隷になっているとも気づかない。
が、「……だからそれがどうしたの?」と自分に問いかけることで、奴隷になっていること
に気づく。

おいしいものを食べた……だからそれがどうしたの?、と。

 言い換えると、私たちの人生は、どんなにがんばっても、99%は、意味のないことば
かり。
それを繰り返している。
残りの1%だけでも、自分の人生を生きられれば、御の字。
それすらできない人も多い。
だから今は、こう思う。
もし私のワイフが、「私の人生は何だったの? 私の人生を、返して!」と言ったら、私は
こう答えるだろう。

「それがあなたにふさわしい、あなたの人生」と。

 ……少し、きびしいかな?
今朝は眠いので、ここまで。
このあたりが思考の限界。
おはようございます。
6月8日朝、記。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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