2011年6月10日金曜日

*Are we frogs in t boilinng water?

●静岡県茶が、出荷自粛?

+++++++++++++++++++++

静岡県内で生産された製茶の一部から、
国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出
されたという(6月9日)。

「とうとう」と書くべきか。
「ついに」と書くべきか。

しかし記事の内容をよく読むと、おかしな点が
いくつかある。

(1)民間の販売店からの検査が先?

まず静岡県は、民間による自主検査からの指摘を
受けたあと、調査したという点。
つまり民間の販売店から、「基準値を超えている」という
指摘を受けたあと、静岡県は検査をした。
もし民間の販売店からの指摘がなかったら、静岡県は
再検査などしなかったであろうし、汚染された静岡茶は
そのまま市中へ流通していたであろう。

(2)静岡県は、安全圏ではなかったのか

文科省の放射線測定データをみるかぎり、
この静岡県は、「安全圏」に入っているはず。
日々の観測データには、ほとんど変化はない。
3月11日以来、一時、0・05マイクロシーベルトを
越えたことはあったが、それ以後は、0・04
マイクロシーベルト前後(最大平常値以下)を推移している
(文科省調査・中日新聞)。

この測定結果は、岐阜県や愛知県、福井県での測定結果
よりも、低い。
なのに、どうしてこの静岡県で?
ならば岐阜県や愛知県はどうなのか?
福井県はどうなのか?

(3)飲む場合には、影響はない?

これに対して製茶業界は、「安全」宣言を
繰り返している。
「飲む場合には、影響はない」と。
その論法が、おかしい。

製茶業界の言い分はこうだ。

  (1)基準値を超えたのは、ある特定の製茶工場にすぎない。
  (2)荒茶にすれば、濃度は5倍になる。製茶の段階でも5倍。
     5倍になった状態で、国の基準値を超えた。
     しかし実際に飲用するときには、お湯で薄めるので、8分の1になる。

が、すべての製茶工場で検査したという事実はない。
にもかかわらず、「特定の」という言葉を使ってよいのか。

また「薄めて飲むからだいじょうぶ」という論法は、
こと放射性物質に関していえば、ナンセンス。
もしこんな論法がまかり通るなら、どんな放射性物質も、
素通りになってしまう。

逆に言えば、こうだ。
いくら飲むときに薄められても、体内では逆に濃縮される。
内部被爆を引き起こす。

(4)放射性物質は、本当に福島第一原発から来たものなのか。

静岡市のすぐ近くには、御前崎原発がある。
今回、基準値を超えた放射性物質が検出された「本山(ほんやま)茶」
の産地である、静岡市葵区から、浜岡原発までは、
直線距離にして、たったの43キロ(グーグルアース上で測定)。

その御前崎原発は、停止措置を取ったとたん、冷却装置の
故障が起きている。

+++++++++++++以下、TBS-iより+++++++++++++++

 静岡県内で生産された製茶の一部から国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出されました。静岡県はこの製茶を生産した工場に対し、出荷の自粛を要請しました。

 静岡県によりますと、静岡市藁科地区の工場で生産された「本山茶」から国の暫定規制値の1キログラム当たり500ベクレルを超える679ベクレルの放射性セシウムが検出されました。

 民間の販売店による自主検査で規制値を超えたとの報告を受け、県が同じ製茶工場で再検査をして確認しました。

 「飲む場合には健康に影響はないと考えている」(静岡県の担当者)

+++++++++++++以上、TBS-iより+++++++++++++++

●茹(ゆ)でガエル

 こうして私たちは少しずつ、情報に対して、敏感に反応しなくなる。
こうした心理状態は、『茹でガエル』理論によって、説明される。

生きたカエルをいきなり熱湯に入れれば、カエルは飛びはねて逃げてしまう。
しかし最初は水の中に入れ、徐々に熱を加えていけば、カエルはそれに気づかず、最終的には茹であがってしまう。……という。

 これが茹でガエル理論だが、実際には、こういうことはないそうだ。
カエルは水温があがれば、そこから逃げ出してしまうそうだ。
ともあれ、私たちは今、その茹でガエルの状態にある。
つい先日、神奈川県の足柄茶で、放射性物質が検出された。
東京を越えて、神奈川県で!

が、今度は伊豆半島を一気に越えて、この静岡県で!
やがてこの浜松市(三方原茶)でも、放射性物質が検出されるようになるだろう。
時間の問題というよりは、福島第一原発からの放射性物質は、今の今も、たれ流されたまま。
事態は、悪化の一途をたどっている。

●風評被害

 「風評被害」という言葉をよく耳にする。
しかしこの言葉は、不愉快。
あたかも私たち一般庶民が、加害者であるかのような印象を受ける。
風評か、風評でないかは、そんなことは一般庶民が決めること。
いくら県側が「基本的に安全」(静岡県知事)と言っても、私たちは「本山茶」は買わない。
飲まない。
そこに別の産地のお茶が並んでいれば、そちらを買う。

 つまりこれは「風評」の問題ではなく、「選択」の問題。
また「風評」というのは、根も葉もない「デマ」をさす。
今回の放射性物質の発見は、その「デマ」ではない。
「事実」である。
その「事実」を、「風評」という言葉で、置き換えてよいものか。
さらに言えば、当該製茶組合は、風評被害による損害賠償を県や国に求めていくという。
が、ここでも大きな疑問。

 どうして東京電力にではなく、国や県に対してなのか。
東京電力では、賠償能力に限界がある。
だから国や県に対してなのか。

 今、多くの人たちは言いようのない不安、やりようのない怒りを感じている。
こうした不安や怒りを、だれにぶつけたらよいのか。
……というか、その不安や怒りは、そのまま自分に対して向かってくる。
「私たちがバカだった」と。
無念といえば、無念。

 私自身も、今回の3・11大震災が起こるまで、大津波のことはもちろん、原発事故の可能性についても、ほとんど考えなかった。
どこかで原発反対運動があっても、他人ごととして、それを心の中で片づけていた。
そういう私たちがバカだった。
その「バカ」を棚に上げて、今、「国が悪い」「電力会社が悪い」と、どうして言えるのか。
こと電力についていえば、私たちは、使い放題電気を使ってきた。

●汚染

 とても残念なことだが、これからもしばらく、放射能汚染はつづく。
放射性物質が風に乗るたびに、それは全国各地にばらまかれていく。
それがどんどんと蓄積されていく。
原子力発電所事故というのは、そういうもの。
あのチェルノブイリ事故でも、500~600キロ単位で、被害は拡大した。
600キロといえば、福島第一原発から、大阪の関西国際空港までの距離に等しい。

 それだけではない。
同じくチェルノブイリ事故のあと、1000キロ以上離れたヨーロッパでも、がん患者は100万人単位でふえているという(宝島社「原発事故」)。

 残念ながら、これが「事実」である。
風評ではない。
事実である。
「被害」ということになれば、すでに日本中のすべての日本人が被害を受けている。
今はまだ「国」も何とかもちこたえているが、やがてその国の力にも限界が出てくる。
「国が……」「国が……」と言っておられるのも、いまのうち。
つまり今回の福島第一原発の事故は、それほどまでに深刻であるということ。
私たちが想像しているより、はるかに深刻であるということ。
言うなれば、戦争状態。

 今回、その爆弾が、静岡市にも投下された。
それが葵地区で爆発した。
願わくは、ともかくも1日も早く、福島第一原発事故が収束すること。
放射性物質の放出が、止まること。
ただただそれを心から願うしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   10日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小1クラスで……】

2011年の4月から、小学1、2年生のレッスン風景も、
動画に収め、それをYOUTUBEにアップしている。
昨日は、小学1年生のレッスン風景を動画に収めた。

にぎやかなクラスで、教えていても、たいへん楽しい。
そんな楽しさを、この動画を通して、みなさんと共有
できれば、うれしい。

(1)

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(2)

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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">


(3)

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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">


(4)

value="http://www.youtube.com/v/K33RK1Mo-9Q?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true"> value="always">src="http://www.youtube.com/v/K33RK1Mo-9Q?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●変遷

 5月いっぱいで、Eマガ社からの電子マガジンを廃刊にすることにした。
6月からはマガジンの配送が有料になるという。
月額3000円とか。
この世界も、『チリも積もれば、何とか』。
ざっと計算しても、現在、3万円前後の出費になっている。
その上、さらに3000円は、きつい。
きついというか、こうして積み重ねていったら、キリがない。
だから5月末で、廃刊することにした。
ちょうど10年つづけてきた電子マガジンである。
残念だが、やむをえない。

 そのかわり、今は、BLOGと、このYOUTUBEに力を入れている。
私のもっているエネルギーがそれで減るわけではない。
(かなり弱くはなってきているが……。)
今も書いているし、これからも書く。
どこまでできるかわからない。
しかしやれるところまで、やってみる。
今の私から(書く)という生きがいを取り去ったら、何も残らない。
だから書く。

●再考

 昨日書いた原稿を読みなおしてみる。
疲れていたせいか、(それともボケたせいか)、思っていることを、文章に
うまくまとめることができなかった。
その悔しさが、今も、心のどこかに残っている。
こんなことはめったに、ないことなのだが……。

 ところで文筆家には、大きく分けて2つのタイプがあるという。
(私は文筆家ではない。ただのもの書き。)
森鴎外のように、苦しみながら文を書くタイプ。
夏目漱石のように、サラサラと思いついたことを、楽しんで書くタイプ。
(本当にそうであったかどうかは、知らないが……。)

 私のばあいは、どちらかというと、夏目漱石型。
苦しむことはあるが、それほどほど苦しまない。
サラサラと書き、頭の中にたまったモヤモヤを吐き出す。
その爽快感がたまらない。
だから、文を書く。

 しかし昨日は、結構、苦しんだ。
そこに書きたいことがモヤモヤとあるのだが、それをうまく表現することが
できなかった。
それで苦しんだ。
そこでもう一度、そのモヤモヤに挑戦してみることにした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●YOUTUBE

フランスのみなさん、ありがとう!

France Cher,
Merci!
YOUTUBE vu beaucoup, vous !)tes toujours les bienvenus.
Merci !) l'avenir.
Hiroshi Hayashi

Le Japon

++++++++++++++++++

この2、3か月、YOUTUBE(動画)
へのアクセス数が、毎日1000件前後で
推移している。
「インサイト」情報というのを見ると、
それがわかる。
が、それだけではない。
同時に、どの国の人たちが
見てくれているかも、そのコーナーでわかる。
国別に、それが表示される。

で、「?」と思うのは、フランスの人たちが
多いということ。
2位がアメリカ。
3位がフランス。
アメリカとフランスの人たちを合計すると、
日本の人たちのそれと、ほぼ同数になる。

そう言えば、ときどきこんなコメントが
寄せられる。
「毎日、日本語の勉強に見ています」と。
機械で翻訳したような、ぎこちない日本語で、
そう書いてある。
フランスの人たちは、たぶん、そういう
目的で見てくれるのだろう。

が、よくわからないのが、「人気度」。
同じインサイト情報には、
「人気度」がわかる(?)コーナーもある。
が、その日本語の意味がよくわからない。
そのままコピーして、紹介する。

『あなたの動画を他の人がアップロードした
動画と比較した場合の人気度』と。

数回読みなおしてみたが、それでも意味が
よくわからない。
私の動画など、「他の人の」動画と比較しても
意味がない。
もとから見る人は、かぎられている。
人気度は、かぎりなくゼロに近い。
毎日1000件とはいうが、人気動画の中には、
数100万件から、中には1000万件を超えて
いるのもある。
「1000件」という数字は、この世界では、
誤差のようなもの。

が、これからは世界。
世界が相手。
タイトルや説明文を、英語で書くことにした。

フランスのみなさん、ありがとう!

France Cher, Merci!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●5月24日(2011年)朝

●『ゆでガエル』と「アパシー」

+++++++++++++++++

昨日、15枚ほど原稿を書いた。
USBメモリーに保存した。
が、今朝さがしたら、それがない!
つまりUSBメモリーがない!
たしかそれを、目がねケースに入れて
おいたはず……。

こういうときというのは、やる気をなくす。
本当になくす。

今朝もこうしてパソコンに向かう。
が、頭の中はからっぽ。
何をどう書いてよいものか?

これは私の性格。
同じことを繰り返すということができない。
いつも変わったことをしていないと、
気がすまない。
だから今、昨日書いたのと同じ原稿を
書けと言われても、それができない。
できないから、からっぽ。

ぼんやりと、……どこかうつろな気分で、
あちこちのニュースサイトをながめる。
読んでは、忘れる。
読んでは、忘れる。
気分は、どこか投げやり。

そう言えば昨日、どこかのサイトに
こんな言葉があった。
『ゆでガエル』。

カエルをゆでるにも、ゆで方というのがあるそうだ。
カエルを食用にしている国は多い。

つまり生きたカエルをゆでるとき、(残酷な
話だが……)、いきなり熱い湯に入れると、
カエルは飛び跳ねて、逃げてしまう。

そこでカエルをゆでるときには、水の中に入れ、
徐々に温度をあげる。
カエルは温度があがっているのに気づかず、
そのままゆであがってしまうという(※)。

(これはあくまでも「警句」として使われている
言葉で、実際にそうであるということではない。)

今度の福島第一原発事故に関しての
話である。

今ごろになって、東京電力は、事故直後すでに
メルトダウン(炉心融解)が始まっていたことを、
認めた(5月23日)。
もしあのときそれを公表していたら、
日本中は大混乱に陥っていただろう。
つまり熱い湯の中に、カエルを落とした
状態になっていた。

が、そのカエルも徐々に温度をあげられると、
それに気づかない。
そのまま湯の中で、ゆであがってしまう。
つまり今が、その状態ということになる。
だから「ゆでガエル」。

今朝のニュースを読むと、1号機も、2号機も、
3号機も、みな、メルトダウンしているという。
メルトダウンだぞ!
最悪の原子力発電所事故だぞ!
が、その深刻さが、どうもイマイチ、伝わって
こない。
状況に慣れてしまったというか、無関心に
なってしまった。

こういう心の状態を、英語では、「アパシー」という。
apathy……つまりものごとに、冷淡的に無感動
であること。
「無関心」と訳すが、それともややニュアンスが
ちがう。
アパシーはアパシー。
英語で「アパシー」という言葉を使うときは、
そこに「罪」というニュアンスをからませる。

 つまり問題があまりにも大きすぎて、対処できない。
言うなれば戦争状態。
法や秩序、良識や常識が、みな、吹き飛んでしまった。
もう少し具体的に説明すると、こうなる。

たとえば現在、どこかで保険金殺人事件が
話題になっている。
保険金をかけて、その人を殺す……。
何ごともない平和な時なら、今ごろは大問題になって
いただろう。
しかし現在、原発周辺で起きていることは、
そんな程度の問題ではない。
この先、何十万人、あるいは何百万人という
人たちが、放射線障害で命を落とすことになる。

それほどまでに深刻な問題である。
そういう深刻な問題をさておいたまま、何が
保険金殺人だ、となる。
が、これがアパシーというわけではない。
本物のアパシーは、もっと恐ろしい。

 たとえば今、原発事故の現場では、500~
1000人の作業員の方たちがその処理に
従事しているいう。
同時に、大量の放射線を浴びている。
そういう作業員の人たちが、今後、無事で
あるはずがない。
「今、ただちに……」ではないとしても、
今後1、2年から10年のうちには、
深刻な放射線障害が現れてくる。
チェルノブイリの例をあげるまでもない。

そこで本来なら、「退避しなさい。危険だ!」と
言いたいが、それができない。
口をつぐんでしまう。
「がんばってもらうしかない」と、目や耳を遠ざけて
しまう。
それがアパシーということになる。

「冷淡的に無関心になり」、わざと心を、
外に向ける。
向けたまま、何ごともないかのように、
自分の生活をつづける。
考えてみれば、これほどの「重罪」は、そうはない。
「だれかにやってもらわなければならない」と自分に
言い聞かせる。
またそう言い聞かせながら、自分の心をごまかしてしまう。
いつの間にか、私たちの心はそうなってしまった。

わかりやすく言えば、私たちが今、
「ゆでガエル」の状態になっている。

……で、「ゆでガエル」の話は知らなかったが、
以前、こんな原稿を書いたことがある。
2002年に書いた原稿だが、この原稿の
中で私が書きたかったことは、やはり「アパシー」
ということになる。

++++++++++++++++++++

【杉原千畝副領事のビザ発給事件を考える】 

●杉原千畝副領事のビザ発給事件 

 「1940年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチ
スの迫害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人6000人に対して、ビザ(査証)
を発給した。
これに対して1985年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与えられ
る勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与された」(郵政省発行20
世紀デザイン切手第九集より)。

●たたえること自体、偽善

 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、1100万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、ア
ウシュビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約400万
人ものユダヤ人が虐殺されたとされる。
杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう過程の中で起きたものだが、日本人はこ
の事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。
郵政省発行の記念切手にもなったことからも、それがわかる。
が、しかし、この事件をたたえること自体、日本にとっては偽善そのものと言ってよい。

●杉原副領事のしたことは、越権行為?

 当時日本とドイツは、日独防共協定(1936年)、日独伊防共協定(37年)を結んだ
あと、日独伊三国同盟(40年)まで結んでいる。
こうした流れからもわかるように、杉原副領事のした行為は、まさに越権行為。
日本政府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定違反の疑いすらある。
杉原副領事のした行為を正当化するということは、当時の日本政府がしたことはまちがっ
ていると言うに等しい。
その「まちがっている」という部分を取りあげないで、今になって杉原副領事を善人とし
てたたえるのは、まさに偽善。
いやこう書くからといって、私は杉原副領事のした行為がまちがっていたというのではな
い。
問題は、その先と言ったらとよいのか、その中味である。
当時の日本といえば、ドイツ以上にドイツ的だった。
しかも今になっても、その体質はほとんど変わっていない。
どこかで日本があの戦争を反省したとか、あるいは戦争責任を誰かに追及したというので
あれば、話はわかる。
そうした事実がまったくないまま、杉原副領事のした行為をたたえるというのは、「今の日
本人と戦争をした日本人は、別の人種です」と言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。

●日本はだいじょうぶか?

 そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。
仮にこの日本に、100万単位の外国人不法入国者がやってくるようになったとしよう。
そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さで、日本の経済を動かすまでになったと
しよう。
さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本の人口の何割かを占めるようになったとしよ
う。
そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな生活をし始めたとしよう。もうそのころに
なると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。
が、彼らは日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もし
っかりと払わないとする。
そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? 
あなた自身のこととして考えてみてほしい。
あなたはそれでも平静でいられるだろうか。
ヒットラーが政権を取ったころのドイツは、まさにそういう状況だった。
つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂ったということ。
ゲーテやシラー、さらにベートーベンを生んだドイツが、だ。
この日本が狂わないという保証はどこにもない。
現に2000年の夏、東京都の石原都知事は、「第三国発言」をして、物議をかもした。
そして具体的に自衛隊を使った、総合(治安)防災訓練までしている(2000年9月)。
石原都知事のような日本を代表する文化人ですら、そうなのだ。

●「日本の発展はこれ以上望めない」

 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道している。

「日本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。
そしてそれを受けてその直後、アメリカのクリントン大統領は、「アメリカはすべての国か
らの移民を認める」と宣言した。
日本へのあてこすりともとれるが、日本が杉原副知事をたたえるのは、あくまでも結果論。
チグハグな日本の姿勢を見ていると、どうもすっきりしない。
石原都知事の発言は、「私たち日本人も、外国で同じように差別されても文句は言いません
よ」と言っているのに等しい。
多くの経済学者は、2015年には日本と中国の経済的立場は逆転するだろうと予測して
いる。
そうなればなったで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならない。
そういうことも考えながら、この杉原千畝副領事によるビザ発給事件、さらには石原都知
事の発言を考える必要があるのではないだろうか。
(02-10-4転載)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アパシーという重罪

 私はこの原稿を読みながら、改めてこう考える。

 いつの日か、福島第一原発の事故も、過去の一大事件として振り返られるときが
やってくるだろう。
そのとき、その事故処理で多量の放射線を浴び、犠牲になった人たちのことも振り返られ
るだろう。
「あの人たちのおかげで、私たちは、今、こうして無事でいられるのです」と。

 それはその通りだと思う。
しかしだからといって、今、私たちがもっているアパシーが、それで許されるというわけ
ではない。
もう少し辛らつな言い方をするなら、犠牲となった人たちに感謝する程度のことで、
私たちが今、犯しつつあるアパシーという重罪が、帳消しになるわけではない。

 杉原千畝副領事のビザ発給事件にしても、そうだ。
一方でドイツと手を組み、間接的であるにせよ、ユダヤ人の大量虐殺に手を貸し、
アジア地域で似たような虐殺事件を起こしてきた日本人。
軍人だけではない。
その周辺の日本人すべて。
そういう虐殺事件を見て見ぬフリをつづけた。
それがアパシー。

その同じ日本人が、杉原千畝副領事のビザ発給事件にしがみつく。
が、だからといって、私たちが犯したアパシーという重罪が、それで帳消しになる
わけではない。
さらに一歩進んで、もし杉原千畝副領事を称えるとしたら、それこそまさに偽善。
その前にやるべきことは、山のようにある。……はず。

 ……やはり今朝は、うまく原稿がまとめられない。
どこかバラバラ。
昨日書いた原稿が、とくによかったというわけではない。
ただこうも言う。
『釣り逃がした魚は大きい』と。
今は、そんな感じ。
「からっぽ感」は、今もある。

 ……しかしそれにしても、この罪悪感は、どこから来るのか。
原発事故の現場で事故処理に当たっている作業員の人たちのことを思うと、どうしても
気分が重くなる。
申し訳ないというより、罪悪感。
何か悪いことをしているという気分を、どうしてもぬぐい去ることができない。

 ……ということで、今日も始まった。
5月24日、肌寒い曇り空。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)『ゆでガエル』(ウィキペディア百科事典より)

『ゆでガエル』

茹でガエル現象、茹でガエルの法則とは、ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、困
難性を指摘するために用いられる寓話の一種。
『ウサギとカメの競争』などと同様、自然科学とは無関係である。

出典は不明だが、スタンレー・ホールによって1887年に紹介されており、英語圏で伝えら
れてきた古典的な警句と見られる。
要旨は「2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入
れる。すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚
できずに死亡する」というものである。

およそ人間は環境適応能力を持つがゆえに、暫時的な変化は万一それが致命的なものであ
っても、受け入れてしまう傾向が見られる。
(例えば業績悪化が危機的レベルに迫りつつあるにもかかわらず、低すぎる営業目標達成
を祝す経営幹部や、敗色濃厚にもかかわらず、なお好戦的な軍上層部など)。
(以上、ウィキペディア百科事典より転載)

(補記)

 ついでに、2000年ごろには、「2015年ごろ、日本と中国の経済的立場は逆転する
だろう」と言われていた(本文より)。
しかし実際には、2011年(今年)、日本と中国の経済的立場は逆転した。
予定より4年も早まったことになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【アパシー(冷淡性をともなった無関心)】

●無関心

 現在、福島第一原発では、500人から1000人近い、作業員の方たちが、
原発事故と闘っているという(週刊誌)。
すでに事故は、チェルノブイリ級にまで深刻な状態になっている。
1~4号機を合わせると、500万キロワット弱。
チェルノブイリ事故で爆発した原子炉の、約5倍である。

 当然、これらの作業員の方たちは、相当量の放射線を浴びている。
一応防護服を着用しているということだが、中性子線になると、コンクリートの壁で
すら貫いてしまう。
とくに3号機は、MOX燃料といって、プルトニウムの混合燃料を使っている。
毒性では、ウランの比ではない。
その3号機もすでにメルトダウンし、溶けた核燃料が、原子炉から格納容器を
貫き、さらにその下まで落ちているという。
またそのあたりでは、2000ミリシーベルト(2シーベルト)の放射線が
観測されているという。
10シーベルトで、ふつう人間は、即死状態になるという。

 が、私たちはそういう作業員の方たちを、見て見ぬフリ。
これが「アパシー」である。
「冷淡性をともなった無関心」。
「だれかにやってもらわなければ……」というよりは、「だれかに犠牲になって
もらわなければ……」というふうに、考える。
そう考えて、自分はその問題から逃げてしまう。
そこに「人間」はいない。
つまり作業員の方たちを、同じ人間とはみていない。
が、これほどまでに残酷な心理状態が、ほかにあるだろうか。

●アパシー状態

 私はそのアパシーについて考えているとき、同時にこう思った。
「戦時中の日本人も、そうだったのかなア」と。

 多くの日本人が戦地で死んだ。
その数、約300万人。
同時に日本人は、多くの外国人を殺した。
その数、同じく約300万人。

 そういう事実を日々に感じながらも、多くの日本人は、自らを無関心にすることに
よって、戦争から逃げてしまった。
つまりアパシー状態になってしまった。
またそうでもしないと、自分の心を守ることができなかった。
仮に「戦争、反対!」などとでも言おうものなら、そのまま投獄。
ばあいによっては、処刑。
当時は、そういう時代だった。

●ゆでガエル

 『ゆでガエル』理論については、昨日、書いた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「茹でガエル現象、茹でガエルの法則とは、ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、
困難性を指摘するために用いられる寓話の一種。
『ウサギとカメの競争』などと同様、自然科学とは無関係である」(以上、ウィキペディア
百科事典)と。

 わかりやすく言えば、深刻な状況でも、少しずつ徐々に与えられると、その深刻さが
わからなくなってしまうということ。
つまり今の日本の現状が、それに当たる。

 あのチェルノブイリ事故が起きたとき、世界中が大騒ぎになった。
もちろんこの日本でも大騒ぎになった。
が、今、それと同程度、あるいはそれ以上の事故が、この日本で起きている。
へたをすれば、日本はこのまま本当に沈没してしまうかもしれない。
が、その深刻さが、イマイチ、私たちに伝わってこない。
というか、その深刻さが日々に薄れていく。
多くの日本人は、原子炉はすでに安定状態になったと信じている。

●残酷極まりないアパシー

 しかし私が書きたかったのは、このことではない。
頭の中にあったモヤモヤは、このことではない。
私はこう考えた。

 いつか、……10年後かもしれない。
20年後かもしれない。
そのとき現在の事故を反省するときがやってくる。
そのとき、日本人は、現在「犠牲になりつつある」作業員の方たちを、どう評価する
だろうかということ。
あれほどまでの放射線を浴びながら、無事ですむはずがない。
多くの方が、晩発性の放射線障害で苦しむことになるかもしれない。
中には、それで亡くなる方も出てくるかもしれない。

 ありきたりな評価の仕方としては、感謝祭とか、あるいはもしそれで亡くなった方が
出れば、追悼式ということになる。
が、そんなことで、私たちが今もっているアパシーが、許されるかというと、私は
そうは思わない。
今、私たちが感じている、「だれかに犠牲になってもらわなければ……」という、
残酷極まりないアパシーが、それで許されるかというと、私は、そうは思わない。
またそんなことで許されては困る!

 そのアパシーと闘うゆいいつの方法があるとすれば、(1)私自身が現場に行き、
作業員の方を助ける、(2)作業員の方たちに、「あぶないから逃げなさい」と
言う、そのどちらか。

 が、その勇気は私にはない。
現場へ行き、即死はしないまでも、2シーベルトもの放射線を浴びる勇気はない。
また「逃げなさい」と言うのは簡単なこと。
が、そのあと原発はつぎつぎと爆発を繰り返すことになる。
結果、その被害は、日本を越えて、朝鮮半島から中国まで及ぶと言われている。
日本列島には、もちろんだれも住めなくなる。

 ……だから結局は、自らを冷淡にし、無関心にする。
「しかたない」と。

●偽善

 このことは、同時に、先の戦争にも、そのまま当てはまる。
私たちは今、あたかも日本人が平和主義者であるかのような顔をして、たとえば
世界に向けて平和宣言をしてみせたりする。
それはそれで尊いことかもしれない。
しかし私は、そこに「偽善の影」を見てしまう。

 もちろん戦争の犠牲になった人たちは、そうだろう。
「二度と戦争はいやだ」と思うのは、当然のこと。
しかし大半の日本人は、被害者ではなく、加害者だった。
侵略戦争に侵略戦争を重ね、多くの外国人を殺してしまった。
もちろん、国内にとどまり、直接は戦争に荷担しなかった人たちとて、無罪という
わけにはいかない。
見て見ぬフリ、知って知らぬフリを、重ねていた。
それがアパシーである。
ある意味で、戦場にいる兵士たちより、罪は重かったかもしれない。
自分は安全地帯にいて、戦場で戦う兵士をたきつける……。

 今の私たち(それとも「私」?)が、そうだ。
浜松市という、今のところ原子炉事故とは無縁の世界にいて、「だれかに犠牲になって
もらわなければ……」と、平気で考える。

●何が反省か!

 だからこうも思う。
いつか、今の事故を反省するときがやってきたとき、事故そのものよりも、反省すべき
点は、このアパシーということになる、と。
私たちは今、「だれかに犠牲になってもらわなければ……」と考えている。
そのアパシーこそ、反省すべき。

 どうして人は、これほどまでに残酷になれるのか。
また残酷であることが、許されるのか。
言い換えると、今、この時点でアパシーと闘わずして、何が反省かということになる。
事故が無事収束し、感謝祭を開くにしても、また犠牲になった方が本当に出て、その
追悼式を開くにしても、(無論、そんなことはあってほしくないが)、本当に反省
すべきは、このアパシーということになる。

●本当に、そうか?

 言い換えると、先の戦争にしてもそうだ。
私たちが今、責めるべきは、「戦争」そのものよりも、それを裏で支えてきた
「アパシー」ということになる。
「冷淡性をともなった無関心」。

 さらに言い換えると、今、アパシー状態にある人が、どうして「戦争、反対!」などと、
偉そうなことが言えるのかということになる。
原発事故にしても、そうだ。
被災地の人たちは、さかんに、「国が……」「国が……」という。
「原発事故は、国の責任」と。

中には、「私らは、何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目にあわなければ
ならないのだ」と、テレビの画面に向かって叫んでいる人もいた。
が、本当に、そうか?

被災者の人たちの気持ちもよくわかる。
このまま事故が拡大すれば、(あるいは作業員の方たちが原発から逃げ出してしまえば)、
私たち自身も、その被災者になる。
そういう立場でものを考えると、どうしても、「本当に、そうか?」ということになる。

●大罪

 私たちは、今、意識の向こうで、(無意識のままとは言わないが)、大きな許される
ことのない大罪を犯しつつある。
その大罪をさておいて、「国が……」「国が……」と、国の責任になすりつけるのは、
むしろ卑怯というもの。

 私もそうだったが、今回こうした事故が起きてはじめて、放射線の恐ろしさを、
身をもって知った。
「ベクレル」「シーベルト」「キュリー」という単位も知った。
同時に原子力発電所のもつ危険性も知った。

 が、そのどれも、知ろうと思えば、知ることができたものばかり。
知らなかったのは、無知というとりは、無学。
無関心。
県によっては巨額の交付金がほしくて、むしろ原子力発電所を誘致していたところもある。
そういう事実をさておいて、「私ら何も悪いことを……」とは、とても言えない。

●ユダヤ人虐殺

 この浜松市も、近くに浜岡原子力発電所をかかえている。
外国人がみなあきれるほど、危険な地帯に、それはある。
予想される大地震。
活断層。
で、私は、こう考える。

 もし地震、あるいは津波によって、浜岡の原子炉が破壊されたとしても、私は言わない。
「私ら何も悪いことを……」とは!

 アパシーであること。
それ自体が、先にも書いたように、大罪なのである。
その一例として、昨日、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺事件を取りあげた。
実のところ、当時のドイツ人たちはみな、うすうすではあるにせよ、同じ仲間のドイツ
人が、ユダヤ人を虐殺していることを知っていた。
知っていたにもかかわらず、冷淡性をともなった無関心を装った。
直接的には手をくださなくても、それ自体が大罪なのである。

●何をか言わんや

 私たちは今、アパシーの状態にある。
原発事故の現場で、作業をつづけている作業員の方たちの危険性を知りながら、
「私だけは……」と、安全な地域に身をおき、無関心を装う。
つまりそれ自体が、「悪いこと」なのである。
そういう大罪を犯しつつ、あとになって、「私ら何も悪いことをしていないのに……」
とは、私なら、とても言えない。

 そう言えば、ある県の県知事はこう言っていた。
「国に裏切られた」と。
原発誘致推進派の知事として知られていた人物である。
私はそれを聞いたとき、「何をか言わんや」と思ってしまった。
「裏切られた」と騒ぐ前に、自分自身の無学を恥じるべき。
それまで受け取った、巨額の交付金を叩き返すべき。
その知事はテレビに向かって、こう言っていた。
「原発には、3700億円の経済効果があります」と。

 交付金のことを言ったのかどうかは知らない。
しかし3700億円!
当然、原発周辺に住む人たちは、今の今も、その恩恵を受けているはず。

●無念!

 現に今、被災者となって苦しんでいる人がいる。
そういう人たちを責める気持ちは、毛頭ない。
原発事故だけは、明日は我が身。
地域だけの問題ではない。
放射線はDNAにまで影響を与え、その後遺症は、この先、何世代にもわたってつづく。
すでに私たち自身が、被災している。

 当然のことながら、責められるべきは、政治家、ゼネコン、官僚。
これらが三つ巴となって、原子力政策を推し進めてきた。
この先、これも明確になってくるだろうと思うが、その底流を支える金儲け主義が、
今回の事故を引き起こした。
当然のことながら、タダでは済まない。
しかし同時に、私たちが今、もっているアパシーも、責められるべき。
タダで済ませてはいけない。

 安易な欲望に溺れるまま、つまり電気を使い放題使いながら、今になって、原子力
発電は必要なかったとは、とても言えない。
少しでも自分に恥じる謙虚さのある人なら、なおさらそうだろう。

 ……まだ何か、頭の中でモヤモヤしたものが残っている。
何だろう?
すべてを吐き出したわけではない。
何だろう?

 あえて言うなら、「虚しさ」ということになる。
「無念」でもよい。

 今回の原発事故を総じてみると、(もちろん3・11大震災もそうだが)、
ただただ無念でならない。
どうしてこういう事故を引き起こすことになってしまったのか。
それを考えると、ただただ無念でならない。

 それがいまだに、頭の中にモヤモヤとして残っている。
このモヤモヤだけは、文にして叩き出すわけにはいかない?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 福島第一原子力発電所 事故 アパシー はやし浩司 apathy論 アパ
シー論 冷淡性 無関心)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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