2011年6月25日土曜日

Continuous thinking creates thoughts (思考と思想)



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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   24日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【6月4日、講演会、要旨】@掛川

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子どもの社会性について
これからの育児、家庭教育

+++++++++++++++

●子どもは使う

(1)忍耐力(社会性)
  
教育の誤解(やさしさ、すなおさ、忍耐力)
今回は、とくに「忍耐力」について話す。

変わる子どもたちの意識
 一億、総ドラ息子、ドラ娘化現象
  あるアメリカ人教師の話
子どもの金銭感覚と欲望論
 欲望のメカニズム
  小2ごろまでに決まる金銭感覚

(2)家族の絆

昔の親子関係vs現代の親子関係
(尾崎豊の世代間闘争)
不況下の育児論
 ある知人の悲劇
弱くなる家族の絆(パサパサ家族)
祖父母(両親)の存在感の喪失
 老後の問題
出世主義、家族主義から新家族主義へ
日本の現状と欧米化の問題点

(参考)
●第8回世界青年意識調査より
(将来、親のめんどうをみるか?)
年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。
★年老いた親を養うことについてどう思うか
『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国    35.2%、
日本    28.3%

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)
●ああ、父親たるものは……!

++++++++++++++++++

平成10年度の『青少年白書』(ちょうど聴衆の世代)によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだ
ろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(3)人格の完成

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emo
tional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指
数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性

とくに需要なのが(3)の共感性(より愛他的、非自己中心性)

(1)他人への同調性、調和性、同情性、共感性があるか。
(2)自己統制力があり、自分をしっかりとコントロールできるか。
(3)楽観的な人生観をもち、他人と良好な人間関係を築くことができるか。
(4)現実検証能力があり、自分の立場を客観的に認知できるか。
(5)柔軟な思考力があり、与えられた環境にすなおに順応することができるか。
(6)苦労に耐える力があり、目標に向かって、努力することができるか。

(結論)

子どもは使う……家庭の緊張感に巻き込む
 使い方のコツと方法
  便利になりすぎた現代社会
  仕事の分担

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 愛国心 patriotism 郷土愛 思考力 思想)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●6月5日(2011)(はやし浩司 2011-06ー05)

●天国論

シャットダウンをする。
コンピューターの電源を切る。
画面にあのロゴが現われ、やがてすぐ光が消える。
ホーキング博士は、「死ぬということは、そういうことだ」と説く。
「天国というのは、闇をこわがる人のためのおとぎ話だ」とも。

そういうものかもしれない。
少なくとも私は、「そういうもの」という前提で、生きている。
あの世はない。
あればもうけもの。
それは死んでからの、お楽しみ。

●復讐

昨日、土手に柵を立てた。
鳥の餌場を柵で囲んだ。
猫が、鳥の餌場に飛びかからないようにした。
その柵を立てながら、私は復讐を考えた。

方法はある。
昔、学生のころ、友人が教えてくれた。
まず針金で輪をつくる。
カウボーイが使う投げ縄のように、一方を小さな輪にして、針金に通す。
猫がその輪の中を通ると、針金が、自動的に締まる。

が、この方法は、残酷!
友人が言うには、猫はギャーギャーと声をあげ、はね回るという。
針金をはずしてやりたくても、それができない。
そのため猫は死ぬ、と。

「あの猫め!」と何度も思った。
ドバトは、みな、あの猫に殺された。
白と黒の、いわゆる三毛猫。
しかしそれも残酷。
つまり猫を殺すのも残酷。
一度、オーストラリアで、野生の猫を撃ち殺したことがある。
あのとき感じた後味の悪さは、今もしっかりと心に張りついている。

そう言えば、二男もそう言っていた。
学生のとき、野生の鹿を撃ちに行ったという。
アメリカでの話である。
で、二男は1頭、銃で撃ったらしい。
が、それについて、こう言った。
「二度としたくない。あの鹿の目が忘れられない」と。

昼食のとき、それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。
「あら、ドバトね、一羽、さっきいたわよ」
「いたのか!」
「いたわよ」
「エッ、猫に殺されたのではなかったのか!」と。

うれしかった。
ドバトは生きていた。
一羽でも生きていれば、うれしい。
とたん、スーッと復讐心が消えた。
よかった。

人でも動物でも、何かを恨むのは疲れる。
大量のエネルギーを消耗する。
復讐を考えれば、なおさら。

……どうであるにせよ、私は猫が鳥を襲う場面を目撃している。
柵を立てることは、必要。
どこか傾いた柵。
これでドバトも安心して餌を食べられるはず。
私も、安心して、餌をまける。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思考と思想

+++++++++++++++++++

思想家とそうでない人のちがいは何か。
それについて考えてみたい。

+++++++++++++++++++

ある著名なドイツの哲学者の脳みそを解剖
した人がいた。
が、その人は、脳みそのどこをさがしても、
一文も言葉を発見できなかったという。
……というのは、ジョーク。
いつか、だれかから聞いたジョーク。

それはその通りで、思想にせよ、哲学にせよ、
それは「形」として脳みその中に残るものではない。
思想というのは、(もちろん哲学にしても)、
考えながら、同時進行の形で、脳の中で
形成されていく。
たとえば今の私が、そうだ。
(もちろん私は、著名でもなんでもないが……。)

最初から書きたいことが決まっているわけではない。
おおざっぱな部分は、あら筋のように決まっている。
しかし細部は、決まっていない。
さらに言えば、最初は、真っ白。
脳の中には、何もない。
それはちょうど白い紙のようなもの。
広い空間ががらんとしているだけ。

が、こうして書き始める。
するとつぎつぎと言葉が浮かんでくる。
言葉だけではない。
四方八方に、思考が飛び散る。
あちこちへ話がつながっていく。
それをコントロールしながら、思想に
まとめていく。

そのとき当然、さまざまなブレーキも働く。
「これはちがうぞ」「別の意見もあるぞ」
「これは書き過ぎ」と。

こうしてそのつど自らを軌道修正していく。
ものを考えるということは、そういうこと。
だから私のばあいも、「ものを書くとき以外、
ものを考えない」となる。
こうして文字にしてはじめて、思想が「形」を
もち始める。

そこで自分の脳の働きを観察する。

(1)ばくぜんと書きたいことが浮かんでくる。
(2)それを書き始める。
(3)とたん、無数のモヤモヤが脳に充満してくる。
(4)それを文として、まとめあげる。
(5)そのつど軌道修正する。
(6)さらに文として、まとめあげる。
(7)これを繰り返す。

 ということは、基本的には、脳みそは2つの
仕事しかしていない。
ひとつは、ものを書くという仕事。
もうひとつは、軌道修正するという仕事。

もし脳みそを解剖して見つかるものがあると
するなら、この2つのことということになる。
ほかのものは、つまりこうして書いた文章は、
片っぱしから忘れていく。
脳みその中には、残らない。

もちろん記憶としては残るが、あくまでも記憶。
だからつぎにそれに矛盾したことを考えると、
その記憶が今度は、ブレーキとして働く。
「先日書いた思想と、矛盾するぞ」と。

言い換えると、思想家とそうでない人の
ちがいはといえば、この2つでしかない。
(いっぱしの思想家のようなことを書いて、
ごめん。)
一本の筋があるか、どうか。
それがある人を思想家といい、そうでない人を、
ただのもの書きという。

わかりやすく言えば、「習慣」。
習慣のちがい。
たいした習慣ではない。
歯を磨くときの、磨き方のようなもの。
虫歯にならない人と、虫歯になる人の
ちがい。
その程度。

で、あとは集中力の問題。
ものを書くときには、かなりの集中力を
必要とする。
が、これも習慣?
あるいは訓練?
毎日文を書いていると、書くこと自体が
楽しくなる。
反対に書いていないと、頭の中がすぐ
モヤモヤとしてくる。
あまりよいたとえではないが、腸にたまった
便のようなもの。
とくに便意はなくても、それを吐き出したくなる。
吐き出さないと、不快感ばかりつのる。
が、こういうこともある。

ものを書いていて何が楽しいかといって、
新しい発見をすることぐらい楽しいことはない。
原野で宝石を見つけるような楽しさである。
そういう宝石が、小さく、キラリと光る。
「何?」と思って、近づいていく。
が、それが想像もつかないほど、大きな
宝石だったりする。
それが楽しい。

たとえばこんなことがあった。

「愛国心」という言葉を調べていたときのこと。
もう13年近くも前のことである。
英語では「ペイトリオティズム(patriotism)」という。
私はその語源を知りたくなり、手元にあった
2冊構成の英和辞典を調べた。
日本でも最大級の英和辞典である。
そこにこうあった。

「語源は、パトリオ。
『父なる大地を愛する』(ギリシャ語)」と。

私はそれを原稿にし、ネットで公表した。
(詳しくは、あとでそのとき書いた原稿を
さがしてみる。)

つまり日本人がいう「愛国心」と、欧米人がいう
「ペイトリアズム(patriotism)」は、基本的な部分で
意味がちがう。
欧米では、「郷土愛」のことをいう。
それをこの日本では、勝手に、「愛国心」と、「国」を
つけて訳す。

たまたまそのころ、愛国心教育が話題に
なり始めていた。
そのこともあった。
私のこの意見は、あちこちで紹介された。
著名な経済評論家も使った。
(著名といっても、商社マン時代の同僚だが……。)
K党という天下の公党も使った。
どの人も、それを言ったのは、2002年以後。

私はそれを聞くたびに、「ぼくが最初に
見つけた!」と、誇らしかった。
荒野で見つける宝石というのは、そういうものをいう。

で、今の今も、私はこうして書いている。
書き始めたときには、「愛国心」のことまで
書くつもりはなかった。
書いているうちに、だんだんとそういう話に
なっていった。
つまりこれが「思想」ということになる。

こうして文にしてしまうと、「思想」となるが、
もとからあったわけではない。
だから文を一通り書き終わると、私は再び、
脳みその中を空っぽにする。
忘れる。
とたん、また真っ白になる。

脳の中に、思想が残るわけではない。
また残ってもらっては困る。
白紙になるからこそ、またつぎに
別のテーマで文を書くことができる。

ただ最後に、こういうことは言える。
どれだけ多くの文を書いても、自分の書いた
文かどうかは、即座に判断できる。
読んだとたん、スーッと脳みその中に
消化されていく。
文そのものの内容は忘れても、波長が一致する。
とたん「これは私の文」と、判断できる。

が、反対にこんなこともある。

ときどき書店で、他人の書いた育児書などを読む。
めったに買わない。
あくまでも立ち読み。
そのときのこと。
他人が書いた育児書(?)なのに、スーッと
自分の脳にしみ込んでいくことがある。
「アレッ!」とは思うが、たしかに私の文。
あれこれ手を加えてはあるが、たしかに私の文。
たくみに内容や構成を変えてはいるが、たしかに私の文。

回りくどい言い方はやめよう。
現在、こうして私の書いた文章が、あちこちで
流用されている。
中には、数十万部から百万部近く売れた本もある。
新聞広告などには、そう書いてある。
他人にはわからないかもしれないが、
私にはわかる。
流用されたということが、わかる。
文というのは、そういうもの。

だからあえて一言。
どこのライターか知らないが、そういう
ズルイことはやめるべき。
流用といっても、盗作。
窃盗!
私があなたを訴えないのは、めんどうだから。
けっして許しているわけではない。

文というのは、書いた日付が残る。
いくらあなたが争っても、日付がそのまま
証拠となる。
それに私のばあい、文が盗まれたら、その
何10倍もの文を書く。
書いて抵抗する。

たとえば『許して忘れる(Forgive and Forget)』
は私の持論。
この世界へ入ってから、もう40年近く、私は
この言葉を使っている。
当初、その持論を、あちこちのライターが
盗用した。
あたかも自分が見つけた言葉であるかのように
書いた人もいる。
(ある評論家は、テレビの中でこの言葉を使った。
そのときは、「ある人の本にあった言葉ですが……」と
断りを入れたが……。)

ちなみに、「許して忘れる」は、つぎで検索できる。
だれが流用しているかは、これでわかるはず。

「許して忘れる」で検索のこと。

だから私はこの持論を、何十倍もふくらませて
ものを書いた。
で、ありがたいことに、今はインターネット時代。
浜松という地方に住んでいても、じゅうぶん、
それに対抗できる。
以前は、都会人優先というか、都会に住む人が
テレビやラジオでそれをしゃべったとすると、
逆に私のほうが盗用したことになってしまった。

が、今はちがう。
そういった垣根が取れた。
都会も、地方も、ない。
……というようなことに興味をもった人が
いたら、一度、検索をかけてみてほしい。
「許して忘れる」「許して忘れろ」、あるいは
「はやし浩司 許して忘れる」でもよい。
どういう人たちが、私の持論を盗用しているか、
それが瞬時にわかるはず。

ついでながら、この言葉は、オーストラリアの
友人が直接教えてくれた(1970年)。
私が学生だったときのことである。

「さあ、どうだ!」と力んだところで、
この話はおしまい。
こんなことを書いても、グチにもならない。

最後の最後に一言。

今のところ、自分でもどうしようもないほど、
モヤモヤがつぎつぎと湧いてくる。
どうしようもないほど、だ。
だから盗みたい人は盗めばよい。
それ以上に、私は書く。
恥をかくのは、むしろそちらのほう。

……ということで、思想と哲学に
ついて書くのは終わり。

2011年6月3日、夜。
静岡県掛川市グランドホテル、515号室にて。
今夜はここで一泊し、明日の朝の講演に備える。
記念講演を務める。
掛川市主催の講演会である。
こんな名誉なことはない。
では、おやすみ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(2002年に書いた原稿より、愛国心について。
「2002年の原稿」という証拠は、Goo Blogの日付。)
http://blog.goo.ne.jp/bwhayashibw/e/53e7be2f6d8fd211bef63d45240feae9

●愛国心について考える
……ジョン・レノンの「イマジン」を聴きながら……。

 毎年8月15日になると、日本中から、「愛国心」という言葉が聞こえてくる。今朝の読
売新聞(02年・8月12日)を見ると、こんな記事があった。

「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・TK・東北大教授)のメンバーが執筆した「中学
歴史教科書」が、愛媛県で公立中学校でも採択されることになったという。採択(全会一
致)を決めた愛媛県教育委員会の井関和彦委員長は、つぎのように語っている。

 「国を愛する心を育て、多面的、多角的に歴史をとらえるという学習が可能だと判断し
た。戦争賛美との指摘は言い過ぎで、きちんと読めば戦争を否定していることがわかる」(読
売新聞)と。

 日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、た
とえば中国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。

日本では、「愛国心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人
も、オーストラリア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「pa
triotism」という。この単語は、ラテン語の「patriota(英語のpat
riot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patri
otism」というのは、日本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは
「父なる大地を愛する主義」という意味である。念のため、いくつかの派生語を並べてお
くので、参考にしてほしい。

● patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
● patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
● Patriots‘ Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦い
を記念した記念日。この戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛
国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近い。
あるいは愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、考え
ていない。

ここに日本人と欧米人の、大きなズレがある。(ごまかしがある。)つまり体制あっての国
と考える日本、民あっての体制と考える欧米との、基本的なズレといってもよい。が、こ
うしたズレを知ってか知らずか、あるいはそのズレを巧みにすりかえて、日本の保守的な
人たちは、「愛国心は世界の常識だ」などと言ったりする。

たとえば私が「織田信長は暴君だった」と書いたことについて、「君は、日本の偉人を否定
するのか。あなたはそれでも日本人か。私は信長を尊敬している」と抗議してきた男性(四
〇歳くらい)がいた。

このタイプの人にしてみれば、国あっての民と考えるから、織田信長どころか、乃木希典
(のぎまれすけ、明治時代の軍人)や、東条英機(とうじょうひでき・戦前の陸軍大将)
さえも、「国を支えてきた英雄」ということになる。

もちろん歴史は歴史だから、冷静にみなければならない。しかしそれと同時に、歴史を不
必要に美化したり、歪曲してはいけない。

先の大戦にしても、300万人もの日本人が死んだが、日本人は、同じく300万人もの
外国人を殺している。日本に、ただ一発もの爆弾が落とされたわけでもない。日本人が日
本国内で、ただ一人殺されたわけでもない。

しかし日本人は、進駐でも侵略でもよいが、ともかくも、外国へでかけていき300万人
の外国人を殺した。日本の政府は、「国のために戦った英霊」という言葉をよく使うが、で
は、その英霊たちによって殺された外国人は、何かということになる。

こういう言葉は好きではないが、加害者とか被害者とかいうことになれば、日本は加害者
であり、民を殺された朝鮮や中国、東南アジアは、被害者なのだ。そういう被害者の心を
考えることもなく、一方的に加害者の立場を美化するのは許されない。それがわからなけ
れば、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、K国の強大な軍隊が、日本へやってきた。日本の政府を解体し、かわって
自分たちの政府を置いた。つづいて日本語を禁止し、彼らのK国語を国語として義務づけ
た。日本人が三人集まって、日本語を話せば、即、投獄、処刑。しかもK国軍は、彼らの
いうところの首領、金元首崇拝を強制し、その宗教施設への参拝を義務づけた。そればか
りではない。

数10万人の日本人をK国へ強制連行し、K国の工場で働かせた。無論、それに抵抗する
ものは、容赦なく投獄、処刑。こうして闇から闇へと葬られた日本人は数知れない……。

 そういうK国の横暴さに耐えかねた一部の日本人が立ちあがった。そして戦いをしかけ
た。しかしいかんせん、力が違いすぎる。戦えば戦うほど、犠牲者がふえた。が、そこへ
強力な助っ人が現れた。アメリカという助っ人である。アメリカは前々からK国を、「悪の
枢軸(すうじく)」と呼んでいた。そこでアメリカは、さらに強大な軍事力を使って、K国
を、こなごなに粉砕した。日本はそのときやっと、K国から解放された。

 が、ここで話が終わるわけではない。それから50年。いまだにK国は日本にわびるこ
ともなく、「自分たちは正しいことをしただけ」「あの戦争はやむをえなかったもの」とう
そぶいている。そればかりか、日本を侵略した張本人たちを、「英霊」、つまり「国の英雄」
として祭っている。そういう事実を見せつけられたら、あなたはいったい、どう感ずるだ
ろうか。

 私は繰り返すが、何も、日本を否定しているのではない。このままでは日本は、世界の
孤児どころか、アジアの孤児になってしまうと言っているのだ。つまりどこの国からも相
手にされなくなってしまう。今は、その経済力にものを言わせて、つまりお金をバラまく
ことで、何とか地位を保っているが、お金では心買えない。お金ではキズついた心をいや
すことはできない。日本の経済力に陰(かげ)りが出てきた今なら、なおさらだ。

また仮に否定したところで、国が滅ぶわけではない。あのドイツは、戦後、徹底的にナチ
スドイツを解体した。痕跡(こんせき)さえも残さなかった。そして世界に向かって反省
し、自分たちの非を謝罪した。

(これに対して、日本は実におかしなことだが、公式にはただの一度も自分たちの非を認
め、謝罪したことはない。)その結果、ドイツはドイツとして、今の今、ヨーロッパの中で
さえ、EU(ヨーロッパ連合)の宰主として、その地位を確保している。

 もうやめよう。こんな愚劣な議論は。私たち日本人は、まちがいを犯した。これは動か
しがたい事実であり、いくら正当化しようとしても、正当化できるものではない。また正
当化すればするほど、日本は世界から孤立する。相手にされなくなる。それだけのことだ。

 最後に一言、つけ加えるなら、これからは「愛国心」というのではなく、「愛郷心」と言
いかえたらどうだろうか。「愛国心」とそこに「国」という文字を入れるから、話がおかし
くなる。が、愛郷心といえば、それに反対する人はいない。

私たちが住む国土を愛する。私たちが生活をする郷土を愛する。日本人が育ててきた、私
たちの伝統と文化を愛する。それが愛郷心ということになる。「愛郷心」と言えば、私たち
も子どもに向かって、堂々と胸を張って言うことができる。「さあ、みなさん、私たちの郷
土を愛しましょう! 私たちの伝統や文化を愛しましょう!」と。
(02-8-16)※

(注)こうしたものの見方を、自虐的史観というらしい。しかし私は何も、日本を否定し
ているのではない。日本を嫌っているのではない。日本の未来を心配しているから、そう
書く。

 私たちおとなが、正義となる見本を見せないでおいて、どうして、子どもたちに向かっ
て、「国を愛せよ」と言うことができるだろうか。

 ここに書いたことが、過激な意見だとは、自分でもわかっている。しかし、少しはショ
ックを感じてほしかったから、あえて、愛国心について書いてみた。

 ただ忘れないでほしいのは、私は、人一倍、日本の将来を心配している。日本に、もっ
とすばらしい国になってほしいと、願っている。

 そういう思いを、何と言ったらよいのか。それを「愛郷心」というなら、その心だけは、
だれにも負けない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【管直人首相、めげるな!】

●火事場の夫婦喧嘩

+++++++++++++++++++++

今日(6月4日)、福島第一原発の1号機で、
4000ミリシーベルト(4シーベルト)の
放射線が観測された。

『4000ミリシーベルトは、一般人の
年間線量限度(1ミリシーベルト)の
4000倍に相当し、一気に浴びると
半数が死ぬとされる』とある(毎日新聞・
6月4日)。
「9~10シーベルトで即死」とも
言われている。
4000ミリシーベルトという量は、
そういう量をいう。
(4000ミリシーベルト=4シーベルト。念のため。)

放射線の種類にもよるが、たいへんな量である。
が、東京電力側は、つぎのようなコメント
を寄せている。

『放射線量は、3日に遠隔操作ロボットが入って測定した。
東電は「これほど高い線量が出ているのは建屋内の
限定的な範囲で、従来の収束計画に大きな影響が出るとは
考えていない」(同、毎日新聞)と。

私もかなり詳しくなった。
勉強した。

で、4シーベルトという放射線量は、きわめて
危険な値であることには、ちがいない。
つまり火事場の現場では、今の今も、
ボーボーと火が燃え盛っている。
ただ、相手は放射線。
煙といっても、その煙は目には見えない。
その向こうには、いつもと変わらない、
のどかな青い空が見える……。

++++++++++++++++++++

●火事場の夫婦喧嘩

 昨日も書いたが、自分の家がボーボーと燃えているとき、その外で夫婦喧嘩をしている
バカがどこにいる?
家の中では、子どもたちが「助けて!」「助けて!」と声を張りあげている。
が、肝心の夫婦(両親)は、言った言わないで、大喧嘩。
今の日本の現状を簡単にたとえると、そうなる。

●「管首相、やめろ」?

 が、その一方で、国民まで「管首相、やめろ」の大合唱。
今日の世論調査を見ても、60%近い人たちが、「退陣せよ」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
が、問題は、そのあと。
だれがその後を、引き継ぐのか。
別の報道によれば、官庁も、同じ民主党の政治家たちさえも、管首相に非協力的な姿勢を
みせ始めているという。
しかしこれでは、ますます問題はこじれるだけ。
解決が遠のくだけ。

●協力

 今は、挙党態勢どころか、挙国体制で、問題解決に臨むべき時。
みなが知恵を出し合って、問題解決に臨むべき時。
政治評論家の中には、「戦時」にたとえる人もいる。
そんな時に、「足の引っ張りあい」をしていて、どうする。
どうなる。

 ある小学校では、避難が40分も遅れ、(40分だぞ!)、7割の子どもたちが津波にの
まれ、命を落としている。
理由は避難場所をどこにするか、教師どうしで、決まらなかったためという(報道)。
何とも痛ましい悲劇だが、今まさに、この日本は、同じ悲劇を繰り返そうとしている。
しかも国家レベル、で!

●国家危急の一大事

 今、私は日本の政治に、心底、失望している。
この原稿を読んでいる、ほとんどの人もそうだろう。
管首相をかばうわけではないが、ものごとはそこにある「現実」を基盤に考えなければな
らない。
こうした国家危急の一大事の時は、とくにそうである。
原因を追究したり、責任を追及すべき時ではない。
まず「火を消す」。
喧嘩は、その後。

●万事休す

 原発事故を、軽く見過ぎている。
……というより、考え方が、甘い。
原発事故は、そんなものではない。
へたをすれば、やがてすぐ東京にだって、人はだれも住めなくなる。

たしかに対策はつぎつぎと、とられてはいる。
浄化装置の設置、タンクの設置などなど。
が、肝心の原子炉自体はというと、事は、日々に悪化している。
そんなことは新聞報道を少しだけ注意深く読んでみたらわかるはず。
今日報道された「4000ミリシーベルト」というのもそのひとつ。
原子炉一機だけでも爆発したら、(とくに3号機が爆発したら)、万事休す。
広島原爆の数百倍もの放射性物質が、周囲に飛び散ることになる。

●知恵を出す

 みなさん、ここは冷静になろう。
冷静になって、今は管首相というリーダーを信じ、任せよう。
心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。
私たちは今、管首相を信ずるしかないし、ことの重大さを管首相はじゅうぶん認識してい
るはず。
少なくとも今、管首相の足を引っ張ったところで、よいことは何もない。

 ここで私たちが非協力的になり、騒げば騒ぐほど、管首相はリーダーシップを発揮でき
なくなる。
むしろ復旧、復興の足を引っ張ることにもなりかねない。
今大切なことは、「あれが悪い」「これが悪い」と揚げ足を取ることではない。
「あれもできる」「これもできる」と、みなが知恵を出しあうことである。

●ペテン師?

 あの鳩山氏が、管首相をさして、「ペテン師まがい」と言った。
いくらなんでも、これは言い過ぎでは?
言った本人(=鳩山氏)のほうが、品をさげる。
本物のバカはどちらかということになれば、鳩山氏のほうということになる。
たとえそうであっても、それは内部で使う言葉。
外に向かって言う言葉ではない。

そんなこともわからない人物が、総理大臣をしていたのか?
自身の退陣時の結末を振り返れば、とてもそんな言葉は出てこないはず。
野党の政治家ならまだしも、同じ与党の政治家ではないか。
鳩山氏は、さらにこうも言った。
「(こんなことなら)不信任案に賛成しておけばよかった」と。

 もしそうなら、まず民主党に離党届を出すべき。
出した上で、こうした発言をすべき。

●管直人首相、めげるな!

 私には、どうしても理解できない。
どうして管首相が、こうまで叩かれるのか。
叩かれなければならないのか。

 しかし私が見るかぎり、管首相は、精一杯、職務を尽くしている。
がんばっている。
誠実な人柄は、テレビ画面を通してでも、わかる。
むしろ醜悪なのは、小沢一郎氏のほう。
あるいは日本人は、そんなこともわからないほど、目が曇ってしまったのか。

 原発にしても、それを先頭に立って推進してきたのは、自民党。
さんざん甘い汁を吸ってきたのは、自民党のほうではないのか。
そういう事実をさておき、内閣不信任案とは?
だから私は、少数派かもしれないが、こう言いたい。

「管直人首相、めげるな!」と。

●国家破綻

 今は、すべての政党が一時休戦をすべき時。
そこにある「危機」と戦うべき時。
わかりやすく言えば、夫婦喧嘩をしているようなばあいではない。

 こんなことをしていれば、喜ぶのは、あのK国だけ。
韓国や中国だけ。
どうしてそんなことが、わからないのか。
今や、日本経済そのものが、崖っぷちに立たされている。
ここで舵取りを誤ったら、日本は、それこそ奈落の底へ。
デフォルト(債務不履行)。
国歌破綻。
アジアの中でも、二流国、三流国になりさがってしまう。

「それでもいい」と考える人もいるかもしれない。
が、もしそうなれば、これからは日本人が外国へ出稼ぎに行かねばならない。
食料不足で、餓死者が出ることにもなりかねない。
私やあなたの世代の話ではない。
今の子どもたちの世代の話である。

●失望

 私は失望した。
心底、失望した。
「これが私の国か」と。

 火事の最中に、離婚騒動?
どこかの首長は、涙をにじませながら、こう言った。
「どうしてこんな時に!」と。
言い換えると、現実と政治が、あまりにも遊離している。
かけ離れている。
永田町に住んでいる政治家たちには、それがわからないのかもしれない。
しかしものごとは、一歩退いて考えてみたらよい。

 この広い宇宙の中の、小さな惑星。
その惑星の中の、これまた小さな国。
私たちは、その小さな国で、一瞬にして生まれ、そして死ぬ。
が、人間の命は、この宇宙より重い。
現に今回の3・11大震災では、3万人近い人たちが、尊い命を落とした。
その(重さ)を少しでも感じたら、バカげた足の引っ張りあいをやめよう。
もううんざり。
たくさん。
書き忘れたが、「権力」などというものは、腸から出るカスのようなもの。
そんなもので身を飾って、どうなる?

 管首相に、いろいろ言いたい人もいるだろう。
しかしそれは問題が解決してからでよい。
管首相が言うように、1年後でもよい。
2年後でもよい。
どうして「6月いっぱい」なのか?
「9月いっぱい」なのか?
だからあえて私は、繰り返す。

「管首相、めげるな!」。


Hiroshi Hayashi+++++++JUNE 2011++++++はやし浩司・林浩司

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