2010年4月2日金曜日

+Where do our Minds come from?

【心のメカニズム】(脳内ホルモン支配説)

●扁桃核(扁桃体) 

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脳の辺縁系の中に、扁桃核(扁桃体)
という組織がある。
調べれば調べるほど、(私のばあい、
「聞けば聞くほど」ということになるが)、
不思議な組織である。

私たちが「人間性」と呼んでいる部分は、
どうやらこの扁桃核が司っているらしい。
「人間性」イコール、「心」と考えてもよい。
そんなことが、近年、少しずつわかってきた。

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●扁桃核

 扁桃核(扁桃体ともいう)については、たびたび書いてきた。
たった今、グーグルの検索エンジンを使って、「はやし浩司 
扁桃核」で検索してみたら、504件、
「はやし浩司 扁桃体」で、602件、ヒットした。

 その扁桃核について、こんな記事が載っていた。
2007年に中日新聞に載っていた記事である。
当時書いた原稿の一部を、そのまま紹介する。

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こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

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 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核
に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」と。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、P
ET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)
が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、お
よそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『い
じめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

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 これだけでも扁桃核が、重大な組織であることがわかる。
この扁桃核が、大脳皮質部からの信号を受けて、エンドロフィン系、エンケファリン系のモルヒネ様のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
何かよいことをすると、気持ちがよくなる。
そういった現象は、この扁桃核の機能によって、引き起こされる。

 が、その扁桃核は、かなりデリケートな組織らしい。
もろく、傷つきやすい。
それを東北大学名誉教授の松沢氏が、科学的に証明した。

 言い換えると、子育てをする上において、扁桃核に悪影響を与えるような環境や
行為は、タブー中のタブーということになる。
万が一、扁桃核に傷をつけるようなことがあると、その子どもの人間性そのものに大きな影響を与えることになる。

●心の傷

 では、「心の傷」とは何かということになる。
それについては、まさに千差万別。
定型がない。
つまり症状には、定型がない。
どこに傷がついたかによっても、ちがう。
ひがみやすい、ひねくれやすい、いじけやすい……などの性格的症状に始まって、
さまざまな身体的症状や精神的となって現れることもある。
最近の研究によれば、うつ病の「種」すらも、乳幼児期に作られるということまで
わかってきた。

 ともかくも、扁桃核に傷がついたばあい、「心」、つまり、「人間性」に影響を与える
ことになる。
「あの人は、心の温かい人だ」「冷たい人だ」というときの、(温もり)を決定する。

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九州大学の吉田敬子氏は、つぎのように説く。
母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、『母親から保護される価値のない、
自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・
母子保健情報54・06年11月)と。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、
強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

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●子どもの世界

 ほかにもいろいろある。
そのことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。
というのも、子どもはおとなとちがい、ありのままの姿を、外に表現する。
隠すということをしない。
だからよくわかる。

 言い換えると、子どもにとって望ましい環境で、心安らかに育てられた子どもは、
共通した性格、性質を示す。
穏やかで、やさしく、表情も豊かで、心が静かに落ち着いている。
もちろんそれ以前の問題として、何らかの障害をもった子どもは別だが、ともかくも、
ほっとした温もりを感ずる。
が、そうでない子どもは、そうでない。

親にようる虐待、無視、冷淡、拒否的態度、暴力など。
こうした衝撃が日常的に繰り返されたりすると、子どもの心には大きな影響を与える。
たった一度でも、それが強烈だと、子どもの心をゆがめることがある。
どこかに不自然さや、違和感を覚えたりする。

 何かあると、つっぱってしまう。
ひがみやすく、いじけやすい。
嫉妬深く、根に持ちやすく、いつまでもこだわる。
ちょっとしたことで、別人格になってしまう、など。それが「心の傷」ということになる。
私が直接経験した例を、いくつか、あげてみる。

●症例

 ある女の子(当時2歳)は、何かのことで母親に強く叱られた。
あとで母親は、こう言った。
「それまではほとんど叱ったことのない子でした。
しかしその日だけは、私のほうがおかしかったかもしれません」と。
ともかくもその日を境に、その女の子は、1人2役の、(ときには、3役、4役の)、
独り言を言うようになってしまった。
「まったく別人のように、たがいに会話をするので、不気味です」と。

 また別の男の子は、4歳くらいのときに、風呂に水を入れて遊んでいた。
(風呂は2階にあった。)
その水があふれて、2階から1階を、水びたしにしてしまった。
それを見た祖父が激怒。
その子どもを激しく叱った。
以後、その子どもは、ニタニタと意味のわからない笑みを浮かべるようになって
しまった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された(当時)。

 先にも書いたように、心の傷というのは、症状は多岐に渡る。

(1) 性格的症状(性格から、(すなおさ)が消える)。
(2) 身体的症状(さまざまな身体的変調が現われる)。
(3) 精神的症状(精神不安、恐怖症、神経症、パニック障害など)。

 傷という(損傷)が、脳のどこにつくかによって、異なる。
扁桃核のばあい、その子ども(人)の人間性にまで、影響を与える。
他者との共鳴性の欠落、自己中心性、無表情、無感動、無反応など。
わかりやすく言えば、心の温もりが消える。
 
●私たちの問題

 が、この問題は、即、私たち自身の問題として、はね返ってくる。
私はどうなのか?
あなたはどうなのか?、と。
というのも、心の傷のない人のほうが、少ない。
程度の差こそあれ、みな、もっている。
それが扁桃核によるものなら、なおさらで、心というのは、そういう意味では、
たいへんもろい。
薄いガラス箱のようなもの。
ちょっとしたことで、すぐ壊れる。

 そこで重要なことは、心の傷があるという前提で、私自身、あなた自身をながめて
みるということ。
まずいのは、そういう傷があることに気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
そしてそれでもって、「これが私」と思い込むこと。
「他人もそうだ」と思いこむこと。

●心の冷たい人

 心理学的には、心の冷たい人は、それだけ人格の完成度が低いということになる。
その人格の完成度は、(1)他者との共鳴性、(2)いかに自己中心的でないか、の2点で
判断される(EQ論)。
心の冷たい人というのは、その反対側に位置するということになる。
目の前でだれかが悲しんでいても、平気。
考えることは、自分のことだけ、と。
(だからといって、心の冷たい人が、すべて扁桃核に傷をもっているということにはならない。誤解のないように!)

 そこで重要なことは、まずそういう自分自身に気がつく。
つぎに、そういう自分を改造していく。
「心理療法」というのもある。
が、これは簡単なことではない。
それこそ10年単位の時間がかかる。
「一生かかる」とだれかが言っても、私は同意する。

この問題だけは、本能に近い部分にまで根ざしているため、それを変えることは、
容易ではない。
それこそ『三つ子の魂、百まで』ということになる。
基本的には、つまりよほどのことがないかぎり、心の温かい人は、一生温かい。
心の冷たい人は、一生、冷たい。

●心の温もりとは

 心の温もりについて、大脳生理学では、つぎのように説明する。

 何かよいことをしたとする。
弱い人を助けたり、だれかを手伝ったとする。
その意識は信号となって、扁桃核に伝えられる。
扁桃核はその信号を受けて、エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンで、脳内を満たす。
モルヒネ様のホルモンである。
それが心地よい感覚をもたらす。
「よいことをすると、気持ちがいい」という感覚は、こうして生まれる。
音楽や絵画、そのほかの芸術に感動したり、他人の不幸や悲しみに共鳴するというのも、
それに含まれる。

 反対に何か悪いことをしたときは、どうか?
これについては私の不勉強かもしれないが、まだ明確な解答はない。
ただ考えられることは、あくまでも私の推察だが、何らかのホルモンが分泌され、脳内を不快感で満たすのではないか。

 わかりやすく言えば、よいことをすれば、気持ちよくなる。
悪いことをすれば、不快感を覚えるようになる。

●性善説

 少し回り道をするが、この点からも、私は「性善説」を支持する。
よいことをすれば、気持ちよくなる。
楽しくなる。
それが免疫機能を高め、病気に対する抵抗力を高める。
つまりより長生きできる。

 反対に悪いことをすれば、それがストレッサーとなり、免疫機能を低める。
つまり命を縮める。

 ……とまあ、脳の機能がこうまで単純とは言えないが、おおまかに言えば、それほど
まちがっていないと思う。
つまり人間が、過去20数万年も生き延びてこられたのは、性善説に基づいているからと
考えてよい。
もし性悪説に基づくものであれば、人間は、とっくの昔に滅びていたことになる。

●「心」

 人間には知恵がある。
それを司るのが、大脳皮質部であるとしても、知恵だけでは人間は人間たりえない。
コンピューターにたとえるまでもない。
「心」があってはじめて、人間は人間たりえる。
それを「人間性」という。

たとえば喜怒哀楽の判断は、大脳皮質部でもできる。
しかしその信号を受けて、「心」として反応するのは、辺縁系という組織ということになる。
その組織が、さまざまな「心的反応」を示す。
つまり「心」も、脳の機能の一部ということになる。
言うまでもなく、その人の人間性は、その「心」で決まる。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
その鍵を握るのが、扁桃核ということになる。

●終わりに……

 いろいろと話が脱線したが、「心」も、脳の機能のひとつということになる。
その鍵を握るのが、脳の中心部にある辺縁系ということになる。
この部分には、ほかに、やる気を司る帯状回とか、記憶を司る海馬などと呼ばれる
組織もある。
私たちが学生のころは、このあたりを「原始脳」と呼び、「すでに機能を失った脳」として学んだ。
が、それがとんでもない誤解であったことは、ここに書いたことからでも、わかる。

 「心」……この不可思議にして、得体がつかめない「内的現象」は、いつの時代にも
人間を悩ませる。
できれば心の傷など、なければないほうがよいに決まっている。
しかし時として、その傷が、人間のさまざまなドラマを生み出す。
1億人、人がいれば、1億種類のドラマを生み出す。
「おもしろい」と言えば語弊があるが、それが人間社会の豊かさということになる。

(ほかの動物たちと比べてみると、それがよくわかる。
北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
それぞれ個性的な動きをしていても、スズメはスズメ。
その範囲を超えることはない。)

つまり「心の傷」を、「悪いもの」と決めてかかるのではなく、「それが人間」と考える。
あとは、それと仲よくつきあう。
自分の傷ならなおさら、他人の傷であっても、仲よくつきあう。
扁桃核に焦点をあて、「心」と「心の傷」について、考えてみた。
(2010-4-2)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 扁桃核 扁桃体 心の正体 心のメカニズム 心はどこに 人間性と心 心と人間性)

●補記

 「心」も脳の機能的活動のひとつということになる。
そういう意味では、けっして霊的(スピリチュアル)な存在ではない。
またそう考えてはいけない。

 すこし話が突飛もない方向に進むが、以前、特養に母を見舞ったときのこと。
私とワイフは、こんな会話をしたことがある。
「この人たちもみな、やがてすぐ、あの世へ行くことになる。
しかしどの段階で、あの世へ行くのだろうか」と。

 「どの段階」というのは、20代のころの段階をいうのか、30代のころの
段階をいうのか、と。
もし死ぬ直前の状態のままあの世へ行くとしたら、死んだ人たちは、ほとんど思考能力を失ったままあの世へ行くことになる。
特養の中には、一日中、「飯(めし)はまだか!」と、怒鳴り散らしている女性もいた。
そんな状態のままあの世へ行くというのも、おかしな話ではないか。

 で、ワイフが言うには、「いちばんよい段階のときに、行くんじゃない?」と。
つまり一番美しく、輝いていた(段階)で、あの世へ行く、と。
またそう考えないと、矛盾が生じてくる。

 たとえば死ぬとき、眠るようにして死ぬ人もいる。
しかしほとんどは、長く病気を患い、苦しんで死ぬ。
交通事故にしても、そうだ。
そんな状態のまま、あの世へ行ったら、あの世は、そういう人たちばかりになる。
となると、あの世というところは、病院のようなところかということになってしまう。
特別養護老人ホームのようなところを想像してもよい。
ここに「あの世」と書いたが、「天国」でもよい。

 そこで人間は、肉体と霊(心)を分けた。
そうすれば、この矛盾を解消できる。
が、「心も脳の機能的活動のひとつ」ということになると、心的現象としての「霊」
の存在も、否定されることになる。
昔は、「心は心臓にある」と考えられていたが、今では「脳にある」と考える。
が、その脳にも「ない」ということになる。
「ある」とか、「ない」とか、考えるほうが、おかしい。
「ない」のである。

 たとえば恋愛感情にしても、今ではホルモン説で説明される。
以前、「恋の寿命」※という原稿を書いたことがある。
性欲、食欲については、脳の視床下部が司っている。
そうしたものが、こん然一体となって、人間の「心」をつくりあげている。

 が、誤解しないでほしい。
だからといって、「人間の心はつまらない」と書いているのではない。
またそういうふうに思ってもらっては困る。
私が書きたいのは、その逆。
「だから、おもしろい」である。
というのも、「心」の奥は深い。
かぎりなく深い。
ひとつの例をあげて、それを説明してみたい。

 たとえば夫婦の間の性行為がある。
女性のばあいはどうなのか、本当のところはよくわからない。
しかし男性のばあい、射S前と、射S後では、「女性の体」に対する感覚は、180度
変化する。
(「S」にしたのは、BLOGによっては、禁止語になっているから。「精」のことである。)

それが瞬間に、おもしろいほど、変化する。
射S後は、そこにあるのは、ただの肉塊。
射S前には、あれほどまでに狂おしく見えた肉体でも、そう見える。

 が、ここからが人間のすばらしいところ。
ワイフの肉体ですら、ただの「肉塊」になるが、そのとたん、そこに(いとおしさ)を
覚える。
しわもふえ、肌には、つやもない。
弾力性もないばかりか、シミが出ている。
が、そこに(いとおしさ)を覚える。
もし人間の心が機能だけで動くとしたら、こうした(いとおしさ)を説明することは
できない。

 いつだったか、「人間の脳のニューロンの数は、DNAの数より多い」ということを
書いた。
つまり人間がもつ創造性は、DNAの限界を超えて、無限性と多様性を秘めている。
心もまた同じ。
つまり人間の脳の機能を、すべて科学で説明することはできない。
それが「奥が深い」という意味になる。 
もっとわかりやすく言えば、脳の機能は、1+1=2であっても、それがときには、
1+1=∞になったりする。
 
 私は、それが「おもしろい」と言う。
蛇足だが、私は心の否定論者ではないことをわかってもらいため、この補記部分を書いた。


Hiroshi Hayashi+++++++April.2010++++++はやし浩司

(参考)【心の原点(心のメカニズム)】(2009年5月24日作)

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脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。

最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。

その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。

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●恋愛の寿命

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心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)

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話を戻す。
ここで「フィードバック」について、もう一度、説明してみたい。

脳というのは、それ自体がいつもカラの状態を保とうとする。
たとえば驚いたようなとき、脳は直接、副腎に作用して、アドレナリンを分泌させる。
ドキドキしたり、ハラハラしたりするのは、そのためである。
発汗を促すこともある。

が、同時に脳の中では別の反応が起こる。
視床下部にある脳下垂体が、それを感知して、副腎に対して、副腎皮質刺激ホルモン
を分泌するようにと、言うなれば、指令ホルモンを分泌する。
このホルモンによって、副腎が刺激を受け、副腎は、副腎皮質ホルモンを分泌する。
わかりやすく言えば、脳内に分泌されたアドレナリンを、副腎皮質ホルモンが
今度は中和しようとする。

こうして脳内はいつもカラの状態、つまり平常な状態を保とうとする。
それをフィードバック(作用)という。

●生殖

(私が男性ということもあって)、私は、男性のことはよく知っている。
女性も、それほどちがわないと思うが、男女の行為の前と後とでは、異性の肉体の見方が、
まったくちがう。

男性のばあいは、180度、変化することも珍しくない。
あれほど狂おしく求めた相手でも、行為が終わったとたん、スーッと興味が
しぼんでいく。
消えていく。
それは満腹感ともちがう。
心そのものが、変化してしまう。
男性のばあい、それがおもしろいほど急激な変化となって現れる。

こうした現象をどう考えたらよいのか。

先に副腎の話を書いたが、脳からの指令を受けてホルモンを分泌する器官は、
ほかにもたとえば、甲状腺や生殖腺などがある。
さらにごく最近の研究によれば、胃や、大腿筋でも、ある種のホルモンが
分泌されることもわかってきた。
肉体、すべてがホルモンの分泌器官と考えてよい。

では、生殖腺でも、副腎と同じような化学変化が起きているとみてよいのか。
というのも、男女の(心)を説くとき、(行為の変化)ほど、顕著に現れる変化は、
ほかにそうはない。

(行為……最近、BLOGでは、使用禁止用語を設定しているところが多いので、
こういう言葉を使う。つまりSxxのことをいう。)

さらに言えば、「私は私」と思っているしている思いや行動といったものも、
実は、脳内ホルモンによってコントロールされているということになる。

その証拠に、先ほども書いたように、(男性のばあい)、行為の前と後とでは、
心の状態が、180度変わってしまう。

●知性と心

たとえばここに難解な数学の問題があるとする。
「1から5ずつふえていく数列がある。この数列の数を、5番目から、20番目まで
を合計すると、いくつになるか」と。

高校で習う公式を使えば、簡単に解ける。
公式を知らない人でも、電卓を片手に、足し算を繰り返せば解ける。
こうした作業を受け持つのは、大脳連合野の中でも、比較的外側にある、皮質部という
ことになる。

一方、(心)というのは、そういう知的な活動とは、異質のものである。
どこかモヤモヤとしていて、つかみどころがない。
ときに理性のコントロールからはずれるときがある。
つまりそれが脳内ホルモンの作用によるものということになる。

たとえば何かよいことをしたとする。
人助けでもよい。
そういうときそういう情報は、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)に信号として
送られる。
それに応じて、扁桃核は、モルヒネに似たホルモンである、エンケファリン系、
エンドロフィン系のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
それが(人助けをした)→(気持ちよい)という感覚へとつながっていく。

こうして考えていくと、(あくまでも私という素人の考えだが)、知的活動は、
ニューロンと呼ばれる神経細胞が司るとしても、心のほとんどは、脳内ホルモンの
作用によるものと考えてよいのではということになる。
またそういうふうに分けることによって、心のメカにズムが理解できる。
しかしこの考え方は、両刃の剣。

●「私は私」

心のメカニズムはそれで説明できる。
それはそれでよい。
が、心が脳内ホルモンによるもの、あるいは脳内ホルモンに大きく影響を受けるものと
すると、(1)「心なんて、ずいぶんといいかげなんなもの」と思う人が出てくる
かもしれない。
さらに(2)「では、私とは何か、それがわからなくなってしまう」と考える人も
出てくるかもしれない。

心をときめかすあの恋にしても、フェニルエチルアミン効果によるものということに
なれば、それにまつわる求愛、デートなどの行動のすべてが、結局は脳内ホルモンに
よって操られているということになってしまう。
(実際に、そうなのだが……。)

となると、つまり(心)を自分から取り除いてしまうと、では、いったい、私は何か
ということになってしまう。
さらにつきつめていくと、私という私がなくなってしまう。
その一例として、先に、男女の行為のあとの、あの変化をあげた。
そこに妻の(あるいは夫の)肉体を見ながら、「行為の前の私は何だったのか?」と。

が、男女の行為だけに終わらない。
実は人間が織りなす行為のほとんどが、またそのほとんどの部分において、こうした
脳内ホルモンの作用に影響を受けているということになる。
どの人も、「私は私」と思って、それぞれの行動をしている。
が、その「私」など、どこにもないということになる。
「私たちの心は、脳内ホルモンに操られているだけ」と。
しかもいいように操られているだけ、と。

……と書くのは、危険かもしれないが、反対に、「どこからどこまでが私で、どこから
先が私でないか」と考えてみると、それがわかる。

「私は私」と思っている部分など、きわめて少ないのがわかる。
さらに言いかえると、人間もそこらに遊ぶ動物と、どこもちがわないということ。
あるいは、そこらの動物と同じということ。
ちがわないというより、ちがいを見つけることのほうが、むずかしい。

●「私」論

たいへん悲観的というか、絶望的なことを書いてしまったが、自分を知るためには、
脳内ホルモンの問題は、避けては通れない。
たとえば今、私は空腹感を覚えている。
この4~5日、ダイエットをつづけている。
胃袋が小さくなったような感じがする。
それでも空腹感を覚える。
ワイフがまな板をたたく音を聞いただけで、ググーッと、食欲がわいてくる。
条件反射反応が起きている。

恐らく脳内の視床下部にあるセンサーが、血糖値を感知し、ドーパミンンを
放出しているのだろう。
それが線条体にある受容体を刺激し始めている(?)。

その私は、「私は私」と思いながら、これからさまざまな行動を起こすはず。
庭へ出て、畑から、サラダ菜を採ってくる。
それにドレッシングをかける。
食卓に並べる……。

こうした一連の行為にしても、ドーパミンという脳間伝達物質に操られているだけ
ということになる。
もしそこに「私」がいるとするなら、空腹感を抑えながら、サラダ菜だけで、今朝の
食事をすますこと。
体重が適正体重に減るまで、それをつづけること。
つまり「私」というのは、ここでの結論を言えば、脳内ホルモンと闘うところに、ある。
けっして、脳内ホルモンに操られるまま、操られてはいけない。
その意思が、「私」ということになる。

(新しい思想、ゲット!)

……かなり乱暴な結論だが、今の私は、そう考える。

今朝(09年5月24日)も、こうして始まった。
今日はこのことをテーマに、自分の行動を静かに観察してみたい。
つづきは、また今夜!

みなさん、おはようございます!
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2010++++++はやし浩司

●(注※)サイトカイン

++++++++++++++以下、「ウィキペディア百科事典」より+++++++++

サイトカインは細胞表面の膜上にある受容体(それ自体がチロシンキナーゼまたはチロシンキナーゼと共役するものが多い)に結合して働き、それぞれに特有の細胞内シグナル伝達経路の引き金を引き、結果的には細胞に生化学的あるいは形態的な変化をもたらす。

サイトカインは多機能的、つまり単一のサイトカインが標的細胞の状態によって異なる効果をもたらす。例えば免疫応答に対して促進と抑制の両作用をもつサイトカインがいくつか知られている。

またサイトカインは他のサイトカインの発現を調節する働きをもち、連鎖的反応(サイトカインカスケード)を起こすことが多い。このカスケードに含まれるサイトカインとそれを産生する細胞は相互作用して複雑なサイトカインネットワークを作る。

たとえば炎症応答では白血球がサイトカインを放出しそれがリンパ球を誘引して血管壁を透過させ炎症部位に誘導する。またサイトカインの遊離により、創傷治癒カスケードの引き金が引かれる。

サイトカインはまた脳卒中における血液の再還流による組織へのダメージにも関与する。さらに臨床的にはサイトカインの精神症状への影響(抑鬱)も指摘されている。

サイトカインの過剰産生(サイトカイン・ストームと呼ばれる)は致死的であり、スペイン風邪やトリインフルエンザによる死亡原因と考えられている。この場合サイトカインは免疫系による感染症への防御反応として産生されるのだが、それが過剰なレベルになると気道閉塞や多臓器不全を引き起こす(アレルギー反応と似ている)。

これらの疾患では免疫系の活発な反応がサイトカインの過剰産生につながるため、若くて健康な人がかえって罹患しやすいと考えられる。


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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