2010年4月9日金曜日

*Useless Old Men (Revised)

●「20年したら灰になってる……」(老人問題)(改)

●老人よ、若者たちの世界で、もっと意見を言おう!

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最近、……ここ10年のことだが、
若者たちの老人観が、急速に変わりつつある。
あるチャット・サイトでの議論の1つを
紹介する。
この中で、若者たちは、こう言っている。

(1)老人の医療費は無駄……どうせ20年もしたら、灰になって死ぬから。
(2)寿命を半年短くすればよい……医療費の半分は、死亡前の6か月に使われる。
(3)老人の延命は、税金の無駄遣い以外のなにものでもない、と。

 誤解があるといけないので、そのまま紹介させてもらう。
これはほんの一部で、こうした議論が、延々とつづく。
ここに紹介するのは、その議論の結論的な部分。

++++++++++以下、転載+++++++++++

……生活保護受給者は死ねとか、低年収の者は生かさず殺さずとかってならわかるけどな。
道徳的には別として。

136 名前:名無しさん@十S年

国家予算の大半が、老人の、介護、年金、医療費に費やされて破綻寸前なわけだが。
老人にいくら金使っても、20年したら灰になってるんだから、完全な無駄だ。

137 名前:名無しさん@十S年

お前も老人になるんだよ
まさか自分は年を取らないとでも思ってるの?

138 名前:名無しさん@十S年

医療費の半分は、患者の死亡前6ヶ月以内に使われている。
平均寿命をたった半年短くするだけで、医療費は半減できる。

139 名前:名無しさん@十S年

元気で長生きするのは良いが、病気なら無駄な抵抗は止めて、さっさと死なせるべき。
老人の延命など、医療資源の無駄遣い以外のなにものでもない……。

++++++++++以上、転載+++++++++++

●「20年したら灰」

 「20年したら灰」?
平均寿命(約80歳)から逆算すると、私たちの年代ということになる。
80-20=60。
つまり私たち60代の人間をさして、「20年したら灰」と。
この言葉には、少なからず、ショックを受けた。
本音と言えば、本音。
若者たちが抱いている本音。
しかしこんな本音が、今、少しずつだが、表の世界に出始めている。

●医療費の半分

 医療費の半分は、患者の死亡前6か月以内に使われているとか。
私もこの事実を、(これが事実であるとするならばの話だが)、知らなかった。
だからその若者は、「平均寿命を半年短くすれば、医療費は半減できる」と。

 人間の命を、「数字」に置き換えているところが、恐ろしい。
私たちにも青春時代があったが、そういう視点で老人や医療費を考えたことはない。
平均寿命が年を追うごとに延びていくことを、率直に喜んだ。
「世界一の長寿国」と言われることを、誇りに思ったこともある。

●無駄な抵抗

 「病気なら無駄な抵抗は止めて、さっさと死なせるべき」と。
このセリフは、私たちが使うなら、問題ない。
私自身も内々では、そう言っている。
が、あくまでもそれは、(私個人)についての話。
「家族に迷惑をかけるくらいなら、さっさと死にたい」と。
しかし一般論として、若者たちに言われると、驚くというより、ぞっとする。

●40年後の心配

 私はこの年齢になっても、40年後の心配をしている。
2050年には、日本はアジアの中でも小国になってしまう(G・S経済調査部)。
が、それにとどまらない。
資源がないから、「所得」はとどまることなく、「流出」する。
日本は世界第一の、所得流出国。
わかりやすく言えば、50万円稼いでも、そのうちの何割かは、
そのまま外国へと流出していく。
ほんのちょっとつまずいただけで、貧乏国へと、そのまま転落してしまう。
日本の経済構造は、基本的に、そうなっている。

この数日間、それについてエッセーを書いてきた。
しかしこのチャットを読んだとき、空虚感を伴った、バカらしさを覚えた。
「どうしてこの私が、40年後の日本を心配しなければならないのか!」と。

●幻の繁栄

 「今に見る経済的な繁栄は、私たちが作った」などとは、言わない。
若者たちに恩を着せる意図は、みじんもない。
が、私たちはがむしゃらに生きてきた。
私たち自身のために、がむしゃらに生きてきた。
「ひもじさ」の恐ろしさを知っている。
その「ひもじさ」から逃れるため、がむしゃらに働いてきた。
その結果として、現在の繁栄がもたらされた。

 しかし今の若者たちは、(ボットン便所)から(水洗便所)になったときの、
あの喜びを知らない。
車を運転し、アメリカのジュースを飲むときの、あの喜びを知らない。
その気になれば、毎日だって寿司を食べられる、あの喜びを知らない。
が、私たちは知っている。
私たちはそのつど、「ぼくたちはすごいことをしている」と、それを喜んだ。

 が、若者たちよ、これだけは忘れないでほしい。

 現在のこの繁栄は、薄い氷の上に、かろうじて乗っている幻のようなもの。
壊れるときには、あっという間にこわれる。

●今の若者たちへ

 もちろんこうした意見は、若者たちの中でも、一部のひとたちのものである。
みながみな、そう考えているわけではない。(……と信じたい。)
ただこのことも、どうか忘れないでほしい。

 私たちにも、今の若者たちと同じような青春時代があった。
そのときも、今と同じような青い空があり、緑の山々があった。
その色は、この年齢になっても、まったくあせていない。
つまり私が言いたいのはこのこと。
肉体という「箱」は、ボロボロになっても、中身は同じ。
若いときも、老いた今も、同じ。

 若者たちから見れば、用なしの役立たずに見えるかもしれないが、私たち自身は
そうは思っていない。
何かしたいと願っているし、だれかの役に立ちたいと思っている。

 が、ひとつだけ大きくちがう点がある。
それは私たちには、未来がないということ。
どこをさがしても、ない。
「20年たったら、灰」というのは、あまりにも明白な事実。
あまりにも明白であるがゆえに、そんな残酷なことを、わざわざ口にしないでほしい。
私たちを、さらなる悲しみへと、追い込まないでほしい。

 私たちだって、懸命に生きてきた。
今も、懸命に生きている。
老人の仲間になったからといって、心に刺さる矢の痛さが、軽くなるということはない。
今の若者たちと同じように、痛い。

●では、どうすればよいか

 ともかくも否定的なことばかりを考えてはいけない。
若者たちを批判しても、意味はない。
私たち老人にも、いろいろと問題はある。
それは認める。
では、どうすればよいのか。
それを前向きに考える。

 これには2つの方向性がある。

(1)私たち老人は、どうあるべきか。
(2)若者たちに、どう「命」を教えていくべきか。

 この2つを考える。

●老人は、どうあるべきか

 老人は人生の先輩である。
よりよく生きるための知恵やノウハウをもっている。
それをもっと生かしながら、老人は老人としての存在感を高める。
肉体で勝負できなければ、精神で勝負する。
決して老人という(隠居の世界)に、安住してはいけない。

 私たちにも、(やるべきこと)がある。
その(やるべきこと)を見つけ、それを現実化していく。
若者たちの目から見たとき、「老人がいなければ、困る」というような状況を、
老人たち自らが作っていく。

 たとえば私は以前、「60歳からの徴兵制度」について書いた。
満60歳になったら、2年間、不定期でもよいから、軍事教練を受ける。
軍事教練が無理なら、せめて銃や大砲の使い方くらいは、覚える。
いざとなったら、予備兵として、日本の防衛に立ちあがる。

 ……というようなことを、老人の立場で、もっともっと主張してもよいのでは
ないか。
さがせば、やるべきことは、いくらでもあるはず。

●命の教育

 しかし、それにしても……。
教育の立場で、一言。

こういうことを平気で書き、論ずる若者たちがいること自体、教育の敗北と
とらえてよい。
もちろん政治も悪い。
正義を示せないばかりか、政治そのものが、利権・欲得の追求の場になっている。
で、「教育だけは……」と思いたいが、その教育までもが、受験を目的とした
予備校化している。

 先のチャットサイトの少し前では、こんな議論もなされている。

++++++++++以下、転載+++++++++++

110 名前:名無しさん@十S年

少なくとも、年収200万以下の税収のたしにもならん低所得者に医療を与える必要はないだろ。
所得比例で健康保険料取ってるんだから、使える医療費も、所得比例で上限を作ればいい。
上限を超えたら、治療中断して諦めてもらう。
年収200万の低所得者を、何千万も掛けて治療するのは無駄だよ。
50万の価値しかない車を、100万使って修理するようなもの。
111 名前:名無しさん@十S年

貧乏人は早く死ぬ方が経済にはプラス。
患者を治療するかどうかは、治療してまた働かせる方が得か、死なせる方が得かで判断するべき。
社会復帰すれば年収1000万の患者と、社会復帰してもせいぜい年収300万の患者じゃ、治療の経済価値が違う。
年金を食いつぶすだけの高齢者なんか、治療の経済価値はマイナスでしかない。
今でも、家畜を対象としてる獣医はそうやってる。
患畜を治して太らせてから出荷する方が得か、さっさと殺す方が得かの判断で、治療するかどうか決める。

え?人の命は地球より重いだって?
平和ボケ乙

112 名前:名無しさん@十S年

余命幾日なんて、厳密に予言できるものではないけどなー
割と適当よ

++++++++++以上、転載+++++++++++

 つまり「命の教育」といっても、学校という場でなされる教育をいうのではない。
私たちがそのつど、若者たちと接する場で、直接的になされる教育をいう。
そういう場で、それを示すことができればそれでよし。
そうでなければ、それこそ私たちは、いったい何のために生きてきたのかということに
なる。
何のためにがんばってきたのかということになる。
私が今、感じている敗北感は、それに近い。

 ちなみに、私もこれからは、こうしたチャットサイトにどんどんと参加して、
自分の意見を書いてやる。
私たちの生き様を示してやる。

●終わりに……

 こうした若者は一部と思いたいが、しかし先にも書いたように、こういう意見が
(表の世界)に出てくるようになった。
そのこと自体が、問題。
またこういう(力)が、現実に世の中を、そういう方向に動かし始めている。
そこに私は近未来的な恐怖を感ずる。

 ……というより、これはもう「覚悟」の問題かもしれない。
現在、がんを患い、闘病生活を送っている義兄(75歳)もこう言った。

「浩司君(=私のこと)、治療にも暗黙の申し合わせ事項のようなものがあってね、
満75歳以上のがん患者については、どうも手術はしないことになっているらしい」と。

 その「75歳」が、やがて「70歳」になり、さらに「65歳」になる。
そういう時代が、すぐそこまで来ている。
私たちはそれを覚悟するしかない。
覚悟して、その上で、これからの老後を考えるしかない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●老人よ、パソコン片手に、もっと若者たちの世界に切り込んで行こう!
●老人よ、携帯端末機を片手に、もっと若者たちの世界で、意見を言おう。


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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