2010年4月23日金曜日

*What is the Happiness

【孤高論】

●悪口

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私は、一度でも、その人の悪口を
言ったり、書いたりしたときには、
その人とは、つきあわない。
その人とわからない形で、書いたときも、
つきあわない。
例外はない。

一方、私の悪口を言っていると知った人とは、
つきあわない。
例外はない。
私は、この原則を、しっかりと守っている。
もう少し融通性があってもいいのでは・・・と
思う人もいるかもしれない。
私も、時々、そう思う。
しかしそういう意味では、私は、器用な人間ではない。
この原則を破ると、頭の中が、バラバラになってしまう。
それがこわい。

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●慎重と確認

 この原則には、付随的な原則が、もうひとつある。
私にとって、「悪口」というのは、そういう意味では重大な意味をもつ。
この原則に従えば、人間関係をそのまま断ち切ることになる。
たとえ兄弟でも、親類でも、例外はない。
そのため、当然のことながら、悪口を言ったり書いたりすることについて、
慎重になる。
また悪口を言われているという情報が耳に入ったときもそうだ。
直接、自分でそれを確認することにしている。
しっかりと確認したあと、人間関係を断ち切る。

 が、ここで誤解していけないのは、悪口と批判は、ちがう。
「悪口」には、その根底に「悪意」がある。
悪意を感ずる。
悪意でもって、私を、貶(おとし)めようする。
中には言葉巧みに、私を悪者にしようとする人もいる。

一方、批判には、その根底に「善意」がある。
私のことを心配し、あれこれ言う。
言われた私のほうも、気にしない。
その判断の基準となるのが、日ごろの、信頼関係ということになる。

●仮面

 が、世の中には、奇妙な人たちがいる。
たがいに悪口を言い合いながら、それでいて、表面的には、うまくつきあっている。
他人ではない。
兄弟、姉妹どうしで、そうしている。
そういうケースもある。

 たとえば3人の兄弟、姉妹がいたとする。
上から長男、長女、二女。
話をわかりやすくするため、上からA男、B女、C女とする。

●奇妙な三角関係

 A男は、どこかノー天気。
口が軽い。
あっちの話を、こっちへもってきて、ペラペラ。
こっちの話を、あっちへもっていき、ペラペラ。

 B女は、そういうA男を、ボロボロに叩く。
その一言でも耳に入ったら、A男は激怒すると同時に、大きく傷つくだろう。
同じように、C女は、B女を、ボロボロに叩く。
その一言でも耳に入ったら、B女は激怒すると同時に、大きく傷つくだろう。
それぞれに多少の温度差はあるが、たがいがたがいをボロボロに叩く。
こうしてその3人の間に、複雑かつ奇妙な三角関係ができる。

 が、ここからが不思議な世界。
そういう関係でありながら、A男はB女とつきあい、C女ともつきあう。
B女とC女がつきあうこともある。
3人がともに行動し、会食することもある。
私がその中の1人なら、頭の中がバラバラになってしまうだろう。
が、本人たちは、生まれながらにそうであるため(?)、それが見た目には平気でできる。
あるいは兄弟姉妹というのは、そういうものか?

●タヌキ

 が、もちろん仲がよいわけではない。
つきあいといっても、表面的なつきあい。
たがいに体裁だけを、とりつくろっているだけ。
が、問題がないわけではない。

こうした仮面を平気でかぶれる人というのは、ほかの世界でも、平気でかぶる。
一方で悪口を言い、その人の前では、善人ぶる。
あるいは相手が自分の悪口を言っているのを知りつつ、ニコニコと笑ってつきあう。
こういう人たちを、私の生まれ育った郷里では、「タヌキ」と呼ぶ。

 そのタヌキと関係あるかどうかは知らないが、日本人には日本人独特の、
奇妙な笑いがある。
たとえば電車に乗り遅れた人が、ニヤニヤ笑う。
デッドボールを食らわせたピッチャーが、ニヤニヤ笑う。
先日も路地から飛び出してきた車が、あやうく私の乗った自転車にぶつかりそうに
なった。
そのときも、その車を運転していた女性は、視線をはずしたまま、ニヤニヤ笑っていた。

 日本人は、心を(表)と(裏)に分け、それをうまく使い分ける。
「本音」と「建前」という言葉も、そこから生まれた。
ここに書いた「照れ笑い」というのは、そういう日本人独特の民族性に起因するものと
考えてよいのでは?
日本以外では、あまり類を見ない。

●こわれた心

 話を戻す。

 こうした人間関係をつづけていると、人間性そのものまで、おかしくなる。
表では同情するフリをしながら、その実、相手の不幸を別の場所で楽しむ、など。
その人が不幸な状態にあると、わざわざその人を、のぞきに行く人すらいる。
理由は、何でもよい。
「ちょっと、こちらのほうへ来ました」とか、「昔、あなたのお母さんには世話になり
ましたから」とか、言う。
そして当人の前では、さも同情したフリをする。
フリをしながら、その人の不幸話を聞き出す。
聞き出して、それをあとで楽しむ。
酒の肴(さかん)にして楽しむ。

 が、演技は演技。
醜い演技。
つまりいつも自分の心を偽っていると、そういうことが、平気でできるようになる。
またそういうことが平気でできる人というのは、相当、心のゆがんだ人とみてよい。
本人は、そうは思っていないだろうが……。

●異質な世界

 かく言う私も、日常的に、それが当たり前の世界で、生まれ育った。
あっちを見ても、タヌキ。
こっちを見ても、タヌキ。
そういう世界だった。

 もっともそれを知ったのは、オーストラリアへ渡ってからのこと。
私はそこで、私が生まれ育った世界が、あまりにも異質、異様な世界だったことを、
知った。
当然のことながら、白人の世界では、ウソは通用しない。
ウソを言ったとたん、その世界から、はじき飛ばされてしまう。
自分の心を偽ったときもそうだ。

 だから日本へ帰ってきてからの私は、努めて、自分に正直に生きるようにした。
心をさらけ出して生きるようにした。
そのひとつが、冒頭に書いた言葉である。

『私は、一度でも、その人の悪口を言ったり、書いたりしたときには、
その人とは、つきあわない。
その人とわからない形で、書いたときも、つきあわない。
例外はない。

一方、私の悪口を言っていると知った人とは、つきあわない。
例外はない』と。

●孤高

 50歳も過ぎると、その人がどういう人なのか、よくわかるようになる。
同時に、今後つきあうべき人なのかどうなのかも、よくわかるようになる。
これは私の言葉ではなく、ワイフの言葉である。

人生にも限りがある。
限りがあるなら、与えられた時間は、無駄にできない。
言うまでもなく、心を偽って生きることは、それ自体が、時間の無駄。
回り道をするだけならまだしも、へたをすれば、おかしな袋小路に入ってしまう。
とくにタヌキと呼ばれている人たちとつきあっていると、何がなんだか、
わけがわからなくなってしまう。
「信頼」という言葉さえ、通用しない。
秘密裏に話したことさえ、しばらくすると、みなに伝わったりする。

 だからタヌキと呼ばれている人たちとは、つきあわない。
同時に、自分自身も、タヌキになってはいけない。
心を偽らない。
ありのままをさらけ出して、生きる。
それで自分の住む世界が小さくなったとしても、それはそれ。
「孤高」というのは、それをいう。
50歳を過ぎたら、孤高、おおいに結構。
あとは前だけを見て、まっすぐ進めばよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 悪口論 孤高論 人間関係論)


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●「幸福合戦」

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昔、「幸福合戦」という言葉を使う人がいた。
どこかの宗教団体に属する人だった。
その言葉を聞いたとき、その団体のことはともかくも、
私は「ナルホド」と思った。
「いい言葉」と思った。

戦闘的な言葉だが、相手が「幸福」なら、悪くない。
どうせ生きるなら、幸福に生きるのがよい。
そのために戦うというのなら、それは悪くない。

ただ、それにはひとつの重要な条件がある。
この言葉の向こうには、どうしても「他人の目」
を感じてしまう。
幸福合戦といっても、他人の目を意識してはいけない。
自分との戦い。
あくまでも自分との戦い。
他人は関係ない。
もちろん他人と比較してもいけない。
他人と比較したとたん、幸福観が、
相対的なものになりやすい。

「他人が不幸なら、自分は幸福」
「他人より幸福なら、自分は幸福」と。

もちろん自分が不幸でも、敗北感を
覚える必要はない。
人生は、常に終わり、その終わったところから、
またつぎが始まる。
幸福にしても、不幸にしても、そのときの状態が、
結論ではない。
結論と考えてはいけない。
仮に今、幸福であっても、
また今、不幸であっても、
今のつぎには、また別の「今」がある。

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●幸福とは何か

 「幸福とは何か?」。
それがわかりにくい。 
あえて言えば、幸福というのは、「不幸」の反対側にあるもの。
病気でなければ、健康。
不安なければ、平和。
心配がなければ、安心。
それらが集合されて、幸福につながっていく。

 が、それでもわかりにくい。
さらにあえて言えば、「幸福」というのは、それを失ったとき、はじめてわかる。
健康にしても、青春時代にしても、それがそこにあるときは、その価値に気づかない。
空気か、さもなければ、そよ風のようなもの。
さわさわと流れて、実感がない。
そういう意味では、幸福というのは、薄いガラス板のようなもの。
ふとしたきっかけで、簡単に割れる。
こわれる。

●幸福になるために

 が、幸福になるには、それだけでは足りない。
言い方を変えると、仮に病気であっても、また不安や心配があっても、幸福に
なることはできる。
反対に、健康で、不安や心配がまったくない人でも、不幸な人はいくらでもいる。

 つまり幸福であるかないかを知るためには、もうひとつの尺度が必要ということに
なる。
尺度といっても、幸福度を知るための尺度ではない。
あくまでも、私やあなた自身が、幸福感を自分のためのものにする尺度ということに
なる。

 その第一の条件が、夢と希望、そしてその先にある、「生きがい」ということになる。

●生きがい

 人生は、生きがいとの闘いといっても過言ではない。
生きがいを創造する。
その生きがいに向かって努力する。
そこから生まれる充実感が、幸福感ということになる。

 よく誤解されるが、欲望を満たすことは、幸福感にはつながらない。
満足感イコール、幸福感ではない。
(満足感に酔いしれ、それでもって、私は幸福と錯覚する人は多いが・・・。)
見分け方は簡単。
そのつど、自分に、「だから、それがどうしたの?」と、自問してみればよい。
欲望には、その答がない。
生きがいには、その答がある。

 もちろん健康であればよい。
心配や不安がなければよい。
しかし健康は、加齢とともに、ますますあやしくなる。
心配や不安については、程度の差もあるが、それがない人はいない。
だから結局は、「生きがい」ということになる。

●賢者の言葉

 幸福とは何か?
世界の賢者の言葉を拾ってみる。

The happiest people don't worry too much about whether life is fair or not, they just get on with it.
Andrew Matthews, "Happiness in a Nutshell"
幸福な人というのは、人生が公平かどうかということには、あまり悩まない。
幸福な人は、自分の人生を、そのまま受け入れて生きる。

For most of life, nothing wonderful happens. If you don't enjoy getting up and working and finishing your work and sitting down to a meal with family or friends, then the chances are that you're not going to be very happy. If someone bases his happiness or unhappiness on major events like a great new job, huge amounts of money, a flawlessly happy marriage or a trip to Paris, that person isn't going to be happy much of the time. If, on the other hand, happiness depends on a good breakfast, flowers in the yard, a drink or a nap, then we are more likely to live with quite a bit of happiness.
Andy Rooney

人生のほとんどの部分では、すばらしいことなど起きない。
もしあなたが、起きて、仕事をして、仕事を終えて、家族や友だちと食事をするために座るなら、そのとき、あなたはとても幸福だということ。
もし幸福や不幸といったものを、たとえば大きな仕事とか、大金とか、あるいは完璧な結婚生活とか、パリへの旅行などのような大きなできごとに基礎を置くなら、その人は人生の大半で、幸福ではないということになる。
一方、幸福というのは、おいしい朝食、庭の花、一杯を飲む、うたた寝によるものとするなら、あなたはたいへんな幸福とともに、生きることになるだろう。

We all live with the objective of being happy; our lives are all different and yet the same.
-Anne Frank

私たちはみな、幸福になりたいという目的のために生きている。
人生はみなちがうが、しかしみな、同じ。

Think of all the beauty that still left in and around you and be happy!
Anne Frank

あなたのまわりに残っている美しいものを考えなさい。
そして幸福に感じなさい。

Happiness is a warm puppy.
Charles Schulz

幸福は、暖かい子犬。

When I meet people from other cultures I know that they too want happiness and do not want suffering, this allows me to see them as brothers and sisters.
Dalai Lama, Tenzin Gyatso

幸福を望み、苦しむのがいやだという、私が知っている他の文化から来ている人に会うと、私はその人たちが、兄弟や姉妹のように思う。

There is a very fine line between "hobby" and "mental illness."
Dave Barry

「趣味」と、「心の病気」の間には、明確な一線がある。

Always do what you want, and say what you feel, because those who mind don't matter, and those who matter don't mind
Dr. Suess

いつもしたいことをせよ。
感じたことを言え。
なぜならそれを気にする人は、何も言わない。
何か言う人は、気にしない。

You get more joy out of the giving to others, and should put a good deal of thought into the happiness you are able to give.
Eleanor Roosevelt

他人に与えることで、あなたはもっと多くの喜びを得る。
そしてあなたが与えることができる幸福の中に、あなたの思いを、多くその人に伝えることができる。

It is not by accident that the happiest people are those who make a conscious effort to live useful lives. Their happiness, of course, is not a shallow exhilaration where life is one continuos intoxicating party. Rather, their happiness is a deep sense of inner peace that comes when they believe their lives have meaning and that they are making a difference for good in the world.
Ernest A. Fitzgerald

幸福な人というのは、有用な人生を送るため、絶え間ない努力をしている人というのは、けっして偶然によるものではない。
彼らの幸福は、もちろん華やいだパーティで、浅薄な浮き浮きしたものではない。
むしろ、彼らの幸福というのは、彼らの人生に意味があり、世界のためによいことをしていると信ずるときに生まれる、内面の平和をともなった、深い感覚である。

We tend to forget that happiness doesn't come as a result of getting something we don't have, but rather of recognizing and appreciating what we do have.
Frederick Koenig

私たちは、幸福というのは、もっていなかったものを、手に入れることの結果としてくるものでないことを、忘れがちである。
幸福というのは、今、私たちがもっているものを、認識し、それを味わうことである。

Man is fond of counting his troubles but he does not count his joys. If he counted them up as he ought to, he would see that every lot has enough happiness provided for it.
Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky

人というのは、トラブルの数は数えやすいものだが、喜びの数は数えない。
もしその人が、喜びの数を数えるなら、彼は、それぞれの運命には、じゅうぶんな幸福があることを知るだろう。

There is work that is work and there is play that is play; there is play that is work and work that is play. And in only one of these lies happiness.
Gelett Burgess

仕事のための仕事もあり、遊びのための遊びもある。
仕事のための遊びもあり、遊びのための仕事もある。
これらひとつの中にだけ、幸福がある。

If you have nothing else to do, look about you and see if there isn't something close at hand that you can improve! It may make you wealthy, though it is more likely that it will make you happy.
George Matthew Adams

何もすることがないなら、あなたのそばにあって、改善できることがないかどうかを知ればよい。
それがあなたを、幸福にするようになるかもしれないが、それがあなたを豊かにするかもしれない。

People take different roads seeking fulfillment and happiness. Just because they're not on your road doesn't mean they've gotten lost.
H. Jackson Brown Jr.

人は満足と幸福を求めて、ちがった道をとる。
彼らがあなたと同じ道にいないからといって、彼らは道に迷っているということではないのだから。

Happiness is good health and a bad memory.
Ingrid Bergman

幸福というのは、健康と、すばらしい思い出。

The fact is always obvious much too late, but the most singular difference between happiness and joy is that happiness is a solid and joy a liquid.
J.D. Salinger

幸福と喜びのちがいは、幸福は固定的なものだが、喜びは、流動的なもの。

Three grand essentials to happiness in this life are something to do, something to love and something to hope for.
Joseph Addison

人生における、幸福の3つ重要な要素。
それは、すべき何かがあること、
愛すべき何かがあること、
希望とすべき何かがあること。

One of the first conditions of happiness is that the link between Man and Nature shall not be broken.
Leo Tolstoy

幸福であるひとつの条件は、人間と自然のつながりを、壊させてはならないということ。

I've learned from experience that the greater part of our happiness or misery depends on our dispositions and not on our circumstances.
Martha Washington

私は学んだ。
幸福の大部分、あるいは不幸の大部分は、その人の性質によるものであって、環境によるものではないということ。

Everything exists in limited quantity ー especially happiness.
Picasso

すべてのものには、限界量がある。
とくに幸福は、そうだ。


It's a funny thing about life; if you refuse to accept anything but the best , you very often get it.
Somerset Maugham

人生について、もしあなたが最高のものだけのみを受け入れるようにしていれば、あなたはしばしばそれを手に入れるというのは、おかしなことだ。

Wisdom is the supreme part of happiness.
Sophocles

智慧は、最高の幸福である。

The supreme happiness in life is the conviction that we are loved ー loved for ourselves, or rather, loved in spite of ourselves.
Victor Hugo

人生における最高の幸福は、あなたが愛され、という確信である。
私たち自身のために愛されるというよりは、私たち自身に関係なく愛されるということ。

●幸福になるために・・・

 世界の賢者の言葉を並べて読んでいると、その向こうに、「幸福とは何か」、それが
見えてくる。
要するに、幸福というのは、私たち自身のすぐそばにあって、私たちに見つけてもらう
のを、静かに待っている。
それを知った人が幸福ということになる。
またそれがこのエッセーの結論ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幸福 幸福論)


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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