2010年4月17日土曜日

*Marital Quarrel

【夫婦喧嘩】

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C件のXさん(妻)より、夫婦喧嘩
についての相談をもらった。

メールの転載については、「不許可」という
ことなので、一般論として、それについて
書いた原稿をさがしてみた。

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●DV(ドメステック・バイロレンス)

【ドメスティック・バイオレンス】

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家庭内暴力、称して、「ドメスティック・バイオレンス」。
略して、「DV」。

「配偶者(たいていは夫)、もしくは、恋人からの暴力」
をいう。

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●夫婦喧嘩のリズム

 周期的に夫婦喧嘩を繰りかえす人がいる。(私たち夫婦も、そうだが……。)その夫婦喧嘩には、一定のリズムがあることがわかる。【安定期】→【緊張期】→【爆発期】→【反省期】というパターンで、繰りかえされる。

【安定期】

 夫婦として、何ごともなく、淡々とすぎていく。朝起きると、夫がそこにいて、妻がそこにいる。それぞれが自分の持ち場で、自分勝手なことをしている。日々は平穏に過ぎ、昨日のまま、今日となり、今日のまま、明日となる。

【緊張期】

 たがいの間に、おかしな、不協和音が流れ始める。夫は妻に不満を覚える。妻も、夫に不満を覚える。忍耐と寛容。それが交互にたがいを襲う。何か物足りない。何かぎこちない。会話をしていても、どこかトゲトゲしい……。ピリピリとした雰囲気になる。

【爆発期】

 ささいなことがきっかけで、どちらか一方が、爆発する。相手の言葉尻をつかまえて、口論になったり、言い争いになったりする。それが一気に加速し、爆発する。それまでの鬱積(うっせき)した不満が、口をついて出てくる。はげしい口答え。もしくは無視、無言。

【反省期】

 爆発が一巡すると、やがて、反省期を迎える。自分の愚かさを、たがいにわびたり、謝ったりする。が、それも終わると、今度は反対に、相手に、いとおしさを覚えたりする。たがいに安定期より、深い愛情を感ずることもある。心はどこか落ち着かないが、「これでいいのだ」と、たがいに納得する。

 これが夫婦喧嘩のリズムだが、そのうちの【爆発期】に、どのような様相を示すかで、それがただ単なる夫婦喧嘩で終わるのか、DV(ドメスティック・バイオレンス)になるかが、決まる。

●ドメスティック・バイオレンス

 東京都生活文化局の調査によれば、

   精神的暴力を(夫から)受けたことがある人……55・9%
   身体的暴力を(夫から)受けたことがある人……33%、ということだそうだ。
 (1997年、女性からの有効回答者数、1553人の調査結果)

 DVの特徴は、大きくわけて、つぎの2つがあるとされる(渋谷昌三・心理学用語)。

(1)非挑発性……ふつうならば攻撃性を誘発することのないことに対して、攻撃性を感ずること(同書)。
(2)非機能性……攻撃しても、何の問題解決にもならないこと(同書)と。

 わかりやすく言うと、DVが、ふつうの夫婦喧嘩と異なる点は、攻撃される側にしてみれば、夫が、どうして急に激怒するか、その理由さえわからないということ。またそうして夫が激怒したからといって、問題は何も解決しないということ。もともと、何か具体的な問題があって、夫が激怒するわけではないからである。

 ではなぜ、夫は、理由もなく(?)、急激に暴力行為におよぶのか。

 私は、その根底に、夫側に自己嫌悪感があるからではないかとみている。つまり妻側に何か問題があるから、夫が暴力をふるうというよりは、夫側が、はげしい自己嫌悪におちいり、その自己嫌悪感を攻撃的に解消しようとして、夫は、妻に対して、暴力行為におよぶ。(もちろんその逆、つまり妻が夫に暴力をふるうケースもあるが……。)

 ただ暴力といっても、身体的暴力にかぎらない。心理的暴力、経済的暴力、性的暴力、子どもを利用した暴力、強要・脅迫・威嚇、否認、責任転嫁、社会的隔離などもある(かながわ女性センター)。

 アメリカの臨床心理学者のウォーカーは、妻に暴力をふるう夫の特徴として、つぎの4つをあげている(同書)。

(1)自己評価が低い
(2)男性至上主義者である
(3)病的なほど嫉妬深い
(4)自分のストレス解消のため、妻を虐待する、と。

 これら4つを総合すると、(夫の自己嫌悪)→(自己管理能力の欠落)→(暴力)という構図が浮かびあがってくる。

 実は私も、ときどき、はげしい自己嫌悪におちいるときがある。自分がいやになる。自分のしていることが、たまらなくつまらなく思えてくる。ウォーカーがいうところの、「自己評価」が、限りなく低くなる。

 そういうとき、その嫌悪感を代償的に解消しようとする力が、働く。俗にいう『八つ当たり』である。その八つ当たりが、一番身近にいる、妻に向く。それがDVということになる。

 が、それだけではない。その瞬間、自分自身の問題をタナにあげて、妻側に完ぺき性を求めることもある。自分に対する、絶対的な忠誠と徹底的な服従性。それを求めきれないと知り、あるいはそれを求めるため、妻に対して暴力をふるう。

 こうした暴力行為は、本来なら、その夫自身がもつ自己管理能力によってコントロールされるものである。自己管理能力が強い人は、自分を管理しながら、そうした暴力が理不尽なものであることを知る。が、それが弱い人や、そうした暴力行為を、日常的な行為として見て育った人は、そのまま妻に暴力をふるう。

 マザコンタイプの夫ほど妻に暴力をふるいやすいというのは、それだけ、妻に、(女としての理想像)を求めやすいということがある。

 で、自己管理能力を弱くするものとしては、その人自身の精神的欠陥、情緒的未熟性、あるいは、慢性化したストレス、精神的疾患などが考えられる。うつ病(もしくはうつ病タイプ)の夫が、突発的にキレた状態になり、妻に暴力をふるうというケースは、よく知られている。

●対処方法

 妻側の対処方法としては、(あくまでも通常の夫婦喧嘩のワクを超えているばあいだが)、その雰囲気を事前に察したら、

(1)逆らわない
(2)口答えしない
(3)「すみません」「ごめんなさい」と言って逃げる、に尽きる。

 決して口答えしたり、反論したり、言い訳をしてはいけない。夫が心の病気におかされていると考え、ただひたすら、「すみません」「ごめんなさい」を繰りかえす。この段階で、反論したりすると、それが瞬時に、夫側を激怒させ、暴力につながる。

 で、DVも、冒頭に書いたように、4つのパターンを繰りかえしながら起きるとされている。(学者によっては、【緊張期】→【爆発期】→【反省期】の3相に分けて考える人もいる。)つまりその緊張期に、どうそれを知り、どう夫をコントロールするかが重要ということ。

 方法としては、気分転換ということになる。要するに、「内」にこもらないということ。サークル活動をするのもよし、旅行をするのもよし。とくにこのタイプの夫婦は、たがいに見つめあってはいけない。たがいに前だけを見て、前に進む。

 ただこの世界には、「共依存」(注※)というのもある。暴力を繰りかえす夫。それに耐える妻。その両者の間に、おかしな共依存関係ができることもある。

 ここでいう【反省期】に、夫が、ふだん以上に妻にやさしくする。一方、やさしくされる妻は、「それが夫の本当の姿」と思いこんでしまう。こうしてますますたがいに、依存しあうようになる。夫の暴力を、許容してしまうようになる。

 DVは、夫婦という、本来は、何人も割って入れない世界の問題であるだけに、対処のしかたがむずかしい。今では、DVに対する理解も進み、また各地に、相談窓口もふえてきた。

 この問題だけは、決してひとりでは悩んではいけない。もし夫の暴力が、耐え難いものであれば、そういう相談窓口に相談してみるのもよい。

なおこの日本では、『配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律』も、2001年度から施行されている。

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共依存について書いた原稿を
添付します。

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注※……共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。
その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。

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DVとは関係ありませんが、
人間関係の複雑さを教えてくれるのが、
つぎの人からのメールです。

参考までに……。

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【親子の確執】

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現在、東京都F市にお住まいの、NEさんという
方から、親子の問題についてのメールをいただき
ました。

転載を許可していただけましたので、みなさんに
紹介します。

このメールの中でのポイントは、2つあります。

子離れできない、未熟な母親。
家族自我群の束縛に苦しむ娘、です。

旧来型の親意識をもつ、親と、人間的な解放を
求める娘。この両者が、真正面からぶつかって
いるのがわかります。

NEさんの事例は、私たちが、子どもに対して、
どういう親であるべきか、それを示唆しているように
思います。

みなさんといっしょに、NEさんの問題を
考えてみましょう。

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【NEより、はやし浩司へ】

はやし浩司さま

突然のメールで、失礼します。
暑いですが、いかがお過ごしですか?

今回のメールは、悩み相談の形をとってはいますが、ただ単に自分の気持ちを整理するため
に書いているものです。返信を求めているものではないので、どうかご安心ください。

結婚後、三重県S市で生活していた私たち夫婦は、主人が東京都の環境保護検査師採用試
験に合格したこともあり、今春から東京で生活することになりました。実は、そのことをめぐって私の両親と大衝突しています。

嫁姑問題ならまだしも、実の親子関係でこじれて悩んでいるなんて、当事者以外にはなかなか理解できない話かもしれません。このような身内の恥は、あまり誰にも相談もできません。人生経験の浅い同年代の友人ではわからない部分も多いと感じ、人生の先輩である方のご意見を聞かせていただけたら…(今すぐにということではなく、やはり問題解決に至らなくて、どうにもならなくなったときに、いつか…)と思い、メールを出させていただきました。

まずはざっと話させていただきます。

事の発端は、私たち夫婦が東京に住むことになったことです。
表面上は…。

私の実家は、和歌山市にあります。夫の実家は、東京都のH市にあります。東京へ移る前は、三重県のS市に住んでいました。

けれども、日頃積もり積もった不満が、たまたま今回爆発してしまったというほうが正確なのかもしれません。

母は、私たちが三重県のS市を離れるとき、こう言いました。

「結婚後しばらくは三重県勤務だが、(私の実家のある)和歌山県の採用試験を受験しなおすと言っていたではないか。都道府県どうしの検査師の交換制度に申し込んで、三重県から和歌山県に移るとかして、いつかは和歌山市にくるチャンスがあれば…と、待っていた。それがだめでも、三重県なら隣の県で、まあまあ近いからとあきらめて結婚を許した。それが突然、東京に行くと聞いて驚いた。同居できなくてもいいが、できれば、親元近くにいてほしかった。あなたに見棄てられたという気分だ」と。

親の不安と孤独を、あらためて痛感させられた一件でした。「いつか和歌山市にくるかもしれない」というのは、あくまで両親の希望的観測であり、私たちが約束したことではありません。母も体が丈夫なほうではないので、確かにその思いは強かったかも知れませんが…。

ですので、いちいち明言化しなくても、娘なら両親の気持ちを察して、親元近くに住むのが当然だろう、という思いが、母には強かったようです。

しかし、最初からどんな条件をクリアしようと、結婚に賛成だったかといえば疑問です。昔風の理想像を、娘の私に押しつけるきらいがありました。

たとえ社会的地位や財産のある(彼らの基準でみて)申し分ない結婚相手であっても、相手を自分たちの理想像に押し込めようとするのをやめない限り、いつかは結局、同様の問題が噴き出していたと思うのです。

配偶者(夫)に対して、貧乏ゆすりが気に入らないだとか、食べ物の好き嫌いがあるのがイヤだなどと…。配偶者(夫)と結婚したのか、親と結婚したのかわからないほど、結婚当初は、親の顔色をうかがってばかりいました。両親の言い分を尊重しすぎて、つまらぬ夫婦喧嘩に発展したこともしばしばありました。

いつまでも頑固に、私の夫を「気に入らない!」と、わだかまりを抱えているようでは、近くに住んでもうまくいくとは思えません。両親にとって、娘という私の結婚は、越えられないハードルだったのかもしれませんね。

結婚後、実家を離れ、三重県で生活していても、「そんな田舎なんかに住んで」とバカにして電話の一本もくれませんでした。私が妊娠しても「誰が喜ぶと思ってるんだ」という調子。結局、流産してしまったときも「私が言った(暴言)せいじゃない(←それはそうかもしれませんが、ひどいことを言ってしまって謝るという気持ちがみられない)」と。

出産後も頼れるのは、夫の母親、つまり義母だけでした。実の母は「バカなあんたの子どもだから、バカにきまってる」「いまは紙おむつなんかあるからバカでも子育てできていいね」などなど。なんでそんなことまでいわれなければならないのかと、夢にまでうなされ夜中に叫んで目がさめたこともしばしば…

そんな調子ですから、結婚後、実家にかえったことも、数えるほどしかありません。行くたびに面とむかってさらに罵詈雑言を浴びせられ、必要以上に緊張してしまうことの繰り返しです。

このまま三重県生活を続けていてもいいと考えたのですが、子どもが生まれると近くに親兄弟の誰もいない土地での生活は大変な苦労の連続。私の実家のある和歌山市と、旦那の実家のある東京のそれぞれに帰省するのも負担で、盆正月からずらして休みをとってやっと帰る…などをくりかえしていました。そのためお彼岸のお墓参りのときには、何もせずに家にいるだけというふうでした。

さらに子どもの将来の進路・進学の選択肢の多さ少なさを比較すると、このまま三重県で暮らしていていいのだろうかと思い、それで夫婦ではなしあった結果、今回思いきって旦那が東京を受験しました。ただでさえ少子化の今の時代ですから、近くに義父母や親戚、兄弟が住んでいる街で、多くの目や手に支えられた環境の中で子育てしていこう!、との結論にいたったのでした。

このことについて実の母に相談をしませんでした。事後報告だったので、(といっても相談なんてできるような関係ではなかったですし)、和歌山市の両親を激怒させたことは悪かったとは思います。しかし、これが発端となり、母や父からも猛攻撃が始まりました。

「親孝行だなんて、東京に遠く離れて、一体何ができるっていうの? 調子いいこと言わないで!」
「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこなくていいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」
「言っとくけど東京人なんて世間の嫌われ者だからね」云々…。

電話は怖くて鳴っただけで体のふるえがとまらなくなり、いつ三重までおしかけてこられるかと恐怖でカーテンをしめきったまま、部屋にとじこもる日々でした。それでも子どもをつれて散歩にいかなければならないと外出すれば、路上で和歌山の両親の車と同じ車種の車とでくわしたりすると、足がすくんでうごけなくなってしまい、職場にいる主人に助けをもとめて電話する…そんな日々がしばらく続きました。

いつしか『親棄て』などと感情的な言葉をあびせかけられ、話が大上段で感情的な応酬になってしまっています。親の気持ちも決して理解できないわけではないのですが…。

ふりかえると、両親も、夫婦仲が悪く、弟も進学・就職で家を離れ、私がまるで一人っ娘状態となり、過剰な期待に圧迫されて共依存関係が強まり、「一卵性母娘」関係になりかけた時期がありました。

もしかするとその頃から、親子関係にほころびが生じてしまったのかもしれません。こちらの言い分があっても、パラサイト生活の状態だったので、最後には「上げ膳据え膳の身で、何を生意気言ってるの!」とピシャリ! 何も反論できませんでした。

親が憎いとか、断絶するとか、そんな気持ちはこちらにはないのです。実の親子なのですから、ケンカしても、必ず関係修復できることはわかっています。でも、うまく距離がとれず、ちょっと苦しくなってしまったというだけ。

「おまえは楽なほうに逃げるためにあんな男つれてきて、仕事もやめて田舎にひっこんで結婚しようとしてるんだ」
「連中はこっちが金持ちだとおもってウハウハしてるんだ」
「人間はいつのまにか染まっていくもの。あんたもあんな汚らしい長家に住んでる人間たちと一緒になりたければ、出て行けばいい」などなどと、吐かれた暴言は、心にくいとなってつきささり、ひどく傷つきました。

結婚に反対され、家をとびだし一人暮らしを始めたのも、「このままの関係ではまずい」と思ったことがきっかけでした。ついに一人ではそんな暴言の嵐を消化しきれず、旦那や義父母に泣いてすがると、私の両親は「お前が何も言わなければ、そんなことあっちには伝わらなかったのに。余計なことしゃべりやがって。あっちの親ばっかりたてて、自分の親は責めてこきおろして…。よくもそんなに人バカにしてくれたね。もう私達の立場はないじゃないか。親が地獄のような日々おくっているのに、自分だけが幸せになれるなんて思うなよ」と。

そんな我が家の場合、もう一度、適切な親子の距離をとり直すために、もめるだけもめて、これまでの膿を全部出し切っていくという、痛みをともなうプロセスを、避けて通れないようです。

本や雑誌で、家族や親子の問題を扱った記事を目にすると、子ども側だけが一方的に悪いわけではないようだと知り安心するものの、それは所詮こじつけではないか?、と堂々巡りに迷いこみ、訳がわからなくなってしまいます。

娘の幸せに嫉妬してしまう母、愛情が抑圧に転じてしまう親、アダルトチルドレン、心理学用語でいう「癒着」、育ててもらった恩に縛られすぎて、自分の意思で生きていけない子ども…などなど。そんな事例もあるのだなーと飽くまで参考にする程度ですが、どこかしらあてはまる話には、共感させられることも多いです。

世間一般には、「スープの冷めない距離」に住むことが親孝行だとされています。私の母は、
「近所のだれそれさんはちゃんと親近くに住んでいる。いい子だね」という調子で、それにあてはまらない子は、「ヘンな子ね、いやだわ」で終わり。スープの冷めない距離に住めなかった私は「親不孝者だ…」と己を責め、自分そのものを肯定できなくなることもあります。

こんな親不孝者には、子育ても人間関係も仕事もうまくいくわけがないのだ。親を棄てて、幸せだなんて自己満足で、いつか必ずしっぺ返しをくらって当然だ。父母の理想から外れた人生を選び、それによってますます彼らを傷つけている私に、存在価値なんてあるのだろうか…などと。

子どもは24時間待ったなしで愛情もとめてすりよってきますが、東大に入れて外交官にして、おまけにプロのピアニスト&バイオリニストなどにでもしなければ、子育てを認めないような、かたよった価値観の両親のものさしを前に、無気力感でいっぱいになってしまいます。よってくる我が子をたきしめることもできずに、ただただ涙…そんな日々もあります。

実はこの親子関係がらみの問題は、私の弟の問題でもあります。

彼は転職する際、両親と大衝突し、罵詈雑言の矛先が選択そのものにではなく、人格にまで向けられたことに対して、相当トラウマを感じているようです。(事実、1年近く、実家との一切の関わりを断ち切った時期もあったほどです)。

結局、転職先は両親の許容範囲におさまり、表層は解決したように見えるのですが、本質的な信頼の回復には至っていません。子の人生を受け入れることができない両親の狭量さを、彼はいまだに許していません。

弟は「親は親の人生、子は子の人生。親の期待に子が応えるという、狭い了見から脱して、成人した子どもとの関係を築こうとしない限り、両親が子どもの生き方にストレスをためる悪循環からは抜け出せないよ」と、両親を諭そうとした経験があります(もちろん人間そう簡単には変わりませんが…)。

今回の私の件も、問題の根本は同じであると受け止め、(今後、彼の人生にもあれこれ影響が出てくるのは必至なので)、「他人事ではない」と味方についてくれました。

まだ人生経験が浅い私には、親が遠距離にいるという事実が、将来的に、今は予想もつかないどんな事態を覚悟しておかねばならないのか、具体的なシミュレーションすらできていません。(せめて今後の参考に…と思い、ある方が書いた、「親と離れて暮らす長男長女のための本」を借りてきて、眺めたりしています。)

親の不安と孤独を軽減するには、一にも二にも顔を見せることですね。夫の実家に子どもを預けて、和歌山市にどんどん帰省しようと思います。そういう面では、親戚など誰も頼る人のいない三重県S市在住の今よりも、ずっと帰省しやすくなるはずです。あとはお互いの気持ちの問題です。そう前向きに思うようにはしたいのですが…

人は誰にも遠慮することなく、幸せをつかむ権利があり、そうした自己完結的な充足の中に、ある面では躊躇を感じる気質も持ち合わせていて、そこに人間の心の美しさがあるのかもしれない…そんなことを言っている人がいました。

私はこれまで両親から受けた恩に限りない感謝を覚えていますし、折に触れてその感謝を形に表していきたいと思っています。が、今はそんな思いは看過ごされ、けんかばかり。「親棄て」の感情論のみ先行してしまっていることが残念です。

我が家の親子関係再構築の闘いは、まだまだ続きそうです。でも性急さは何の解決も生み出しません。まずは悲観的にならず、感情的にならず、静かに思慮深く、自分の子どもにしっかり愛情注いで過ごしていくしかないと思います。

そして、原因を親にばかりなすりつけるのではなく、これまで育ててもらった愛情に限りない感謝の気持ちを忘れずに、折々に言葉や態度で示しつつ、前進していかなければ…と思っています。

理想の親子関係って何でしょうね?
親孝行って何でしょうね?

勝手なおしゃべりで失礼しました。
誰かの助言ですぐに好転する問題ではないので、急ぎの回答など気にしないでください!こうして打ち明けることで、もう既にカウンセリング効果を得たようなものですから。(と、言っている間にも、状況はどんどん変わりつつあり、解決しているといいのですが…)

ただ、私が最近思うことは、私の両親の意識改革も必要なのではないかということです。彼らの親戚も、数少ない友人もほとんどつきあいのない隣り近所も誰も、彼らのかたよった親意識にメスを入れることのできる人はいない状況です。

先日は父の還暦祝いに…と、弟と二人でだしあって送った旅行券もうけとってもらえず、ふだんご無沙汰している弟が、母の日や父の日にひとことだけ電話をいれたときにも話したくなさそうに、さも、めんどくさそうに、短く応答してすぐブツリときられてしまったそうです。

彼らはパソコン世代ではありません。親の心に染入るような書物を紹介する読書案内のダイレクトメールですとか、講演会のお知らせなどを、(私がしむけているなどとは決してわからないように)、ある日突然郵送で何度か、繰り返し送っていただくことはできませんでしょうか?

そのハガキに目がとまるかどうかが、彼らが意識を改革できるかどうかの最後のきっかけであるような気がしてならないのです。

そういうふうに、相手にかわってくれ!、と望んでいる私の姿勢も無駄なんですよね。

はやしさんのHPにあった親離れの事例などは、うちよりもさらに深刻な実の母親のストーカーの話でしたから、最近の世の中には増えてきていることなのだろうと思いました。

友達に相談しても、早くから親元はなれてそういう衝突したことのない人からみれば、まったくわからない話ですし、「あなたを今まで育ててくれたご両親に対する、そういう態度みてあきれた」と、去っていった友人もいました。また、あまり親しくない人たちのまえでは、実の親子なんですからもちろんうまくいっているかのようにとりつくろわなければならず、非常に疲れます。

時間はかかるでしょうが、両親があきらめてくれるかもしれないきっかけとしては、いろいろやるべきことがあるようです。たとえば両親の家は、新築したばかりの家ですので、和歌山市に帰って年老いた両親のかわりに、家の掃除や手入れなどをひきうけること。私が仕事(検査助手)に復帰し、英検・通検などを取得すること。小さい頃から習い続けてきて途中で放棄されたままのピアノも、もういちど始めること(和歌山市の実家に置き去りになっているアップライトのピアノがある)。母の着物一式をゆずりうけるために気付など着物の知識をしっかり勉強すること。同じく母の花器をつかって玄関先に生けてもはずかしくないくらいのいけばなができるようになること。梅干やおせち料理、郷土料理など母から(TVや雑誌などでは学べない)母の味をしっかり受け継ぐこと…などなどが考えられます。

東京で勤務し続ける弟とは、両親に何かあればひきとる考えでいることを話し合っています(実際にはかなり難しいでしょうが…)。弟も私が和歌山市に戻り、ここまでこじれても一言子どもの立場から折れて謝罪すれば、ずいぶん状況が違うだろうといってくれてはいるのですが、ほんとうに謝る気もないのにくちさきだけ謝ったとしても、いつかは親の枕もとに包丁をもって立っていた…なんてことにもなりかねません。謝ってしまうと親のねじまがった価値観を認めることになりそうでそれは絶対にできません。

万一のときには実家に駆けつけるつもりですが、正直、今の気持ちとしては何があろうと親の顔も見たくありません。

すみません。長くなりました。

急ぎではありませんので、多くの事例をご覧になってきたはやしさんの立場から何かご意見がございましたら、いつかお時間に余裕ができましたときにお聞かせいただければと思いました。

HPでは現在ご多忙中につき、相談おことわり…とありましたのに、それを承知でお便りしてしまいまして、勢いでまとまらない文章におつきあいくださいましてありがとうございました。

暑さはこれからが本番です。
どうぞお体ご自愛なさってお過ごしください。

現在は東京都F市に住んでいます。 NEより

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 親子の確執 親子問題 口をきかない親子 家庭問題)


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

【親の失望論】(以下、2010年4月17日記)

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「失望」という言葉がある。
「希望を失う」という意味だが、ときに
それが「絶望感」をともなうことがある。

親とて、ときにはその絶望感を覚える
ときがある。
いきさつはともかくも、ここにあげた、NEさんの
親は、NEさんの気がつかないところで、
絶望感を覚えたのかもしれない。

(ここに書いてあるのは、NEさんの一方的な
意見なので、注意!)

それにNEさんは、気がついていない。
気がつかないまま、親を責め、自分を責めている。
しかし親の立場から、一言。

親子であるがゆえに、(たがいに許せない)
ということもある。
相手が他人なら、「はい、さようなら」と言って
別れることができる。
しかし肉親だとそれができない。
強力な呪縛感の中で、たがいに悶絶する。
それはふつうの苦しみではない。
本能を切り裂くような苦しみと言ってもよい。

が、親子でも、その関係が壊れるときには、
壊れる。
親のほうから、関係を断つこともある。
子どものほうから、関係を断つこともある。
しかしそれで心が晴れるわけではない。
たがいに傷つけあい、悶々とした日々を過ごす。

「だったら、仲直りすればいい」と、だれしも思う。
が、親子であるがゆえに、その溝も深い。
「こんにちは!」というわけにはいかない。

そこで重要なことは、こうした亀裂を感じたら、
即、対応すること。

数日置いたら、その関係は決定的に破壊される。
日本には、「ほとぼりを冷ます」という言い方がある。
しかしこと、親子関係について言えば、1か月も
間を置いたら、それでおしまい。
猛烈な勢いで、関係が崩れる。
修復不能のレベルまで、崩れる。

こんな例がある。

++++++++++++++++++++

●実家に寄りつかない、K氏(40歳)

 K氏の実家は、M村(現在は浜松市に編入)にある。
近くに、いとこたちが、数人、住んでいる。
そのK氏だが、何かにつけて、実家のあるM村にはよく帰る。
が、M村に行っても、いとこたちに会うだけで、実家には立ち寄らない。
立ち寄らないまま、そのまままたこの浜松市に帰ってくる。

 理由は、「親父(=K氏の父親)と、顔を合わせたくない」。

 それを知った、父親の弟(叔父)が、K氏にこう言って諭した。
「父親に会いたくない気持ちはわかるが、お前の母さん(=K氏の実母)は、さみしい思いをしている。親父に会いたくなくても、母さんには、会ってやれ」と。

 しかしK氏は、母親にも会わない。
またそういう状態になって、すでに20年近くになる。

●確執

 こういう話は、合理的に判断するのは、むずかしい。
「確執」というのは、そういうもの。
いろいろな(思い)が、複雑に交錯し、それが糸のようにからんでいる。
その叔父にすれば、「親子ではないか!」ということになる。
「父親と母親は別」と。

 しかし親を捨てる子どもは、同時に、父親と母親を捨てる。
つまりそれほどまでに、確執が深い。
またそこまでしないと、自分の心を割り切ることができない。

 子どもを捨てる親にしてもそうだ。
子どもを捨てるときには、子どもの配偶者(義理の息子、嫁)、さらには、孫まで捨てる。
またそこまでしないと、自分の心を割り切ることができない。
「孫はかわいいが、息子とは顔を合わせたくない」というわけいにはいかない。

 ……という例は多い。

 そこで私はこう考える。

●親子でるという幻想

 幻想は幻想。
「親子という幻想に、しがみつくな」と。
つまり壊れるものは、壊れる。
こんな例もある。

 Y氏(60歳)の息子は、ウソつきだった。
ウソをウソとも思わない。
口がうまく、女性を口説くのもうまかった。
そこで毎年のように、新しい女性を連れて、Y氏のところにやってきた。
ときに1週間前後、いっしょに泊まることもあったという。

 が、それでもY氏は、息子を信じていた。
「私という親だけは、だまさない」と。

 しかし息子は、就職してからも、Y氏をだましつづけた。
「何かの資格試験に必要だ。給料だけでは、払えない」とか言って、そのつど、Y氏から30万円、20万円という金をせびった。
車を買うときもそうだった。

●親をだます子

 が、その息子が、Y氏をだました。
息子は、嫁の両親を連れて、温泉旅行に行った。
そのとき息子は、Y氏に、「仕事で、北海道へ行くから、法事(Y氏の母親の3周忌)には、帰れない」と言った。
他人から見れば、ささいなウソだったかもしれない。
しかしY氏にしてみれば、ちがった。
ショックは強烈だった。
はげしい絶望感を覚えた。
それまでのいきさつが、そこで一気に爆発した。

 が、相手は実の子。
で、Y氏は、はげしい自己嫌悪に陥り、ついで自分を責めた。
Y氏は、息子と絶縁した。
やがて孫(女児)が生まれた。
しかしY氏は、会いに行かなかった。
会いたくもなかった。

 この話を、先に掲載した、NEさんの話と重ね合わせてみる。
もちろんここに書いたY氏というのは、NEさんの親のことではない。
ないが、「一方的な意見を聞いて、判断するのはむずかしい」という意味が、これでわかってもらえたと思う。

●理想論

 「親だから、子どもの幸福を願っているはず」「子どもが幸福になるのだから、親は、文句がないはず」と子どもの側は、考えやすい。
しかし親には、親の立場がある。
それまでの(思い)が累積されている。
そういう(思い)を、ときとして子どもは、理想論だけで、片づけやすい。
しかし親とて、生身の人間。
それこそ学費を作るために、爪に火をともしながら、苦労する。
苦労に苦労を重ねる。
自分の食費すら、削る。
が、子どものほうは、大学を卒業すると同時に、「はい、さようなら!」。
いくら理解のある親でも、これでは浮かばれない。
「子どもが幸せになればそれでいい」と、割り切ることはできない。

●無私の愛?

 「無私の愛」「無条件の愛」は、子育ての基本だが、だからといって、それを逆手に取って、「あなたという親もそうであれ」「そうでなければあなたという親、失格」と言われると、「待て!」と言いたくもなる。
それが親子の確執につながる。
そしてそれから生まれる絶望感が大きければ大きいほど、たがいの間の溝も深くなる。

 10年前に私だったら、NEさんの話を聞いたら、NEさんの親を責めただろう。
しかし今は、ちがう。
私はNEさんの親の気持ちも、よく理解できる。
NEさんの親は、NEさんにこう言っている。

「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこなくていいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」と。

 私には、そう言った、NEさんの親の気持ちも、親という立場で、よく理解できる。
つまりこの問題だけは、一筋縄ではいかない。

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