2010年4月8日木曜日

*Magazine April 8th

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   9日号
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 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児教室(年中・5歳児)byはやし浩司(カレンダー・漢字)

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昨日(2010年3月8日)は、
「カレンダー・漢字」というテーマで
学習を進めました。
最初は、「カレンダー・引き算」という
テーマで教えるつもりでした。

が、途中で、子どもたちが、「漢字を教えろ」
と騒いだので、急きょ、テーマを漢字に
変更。

大切なことは、(教える)ということではなく、
(楽しませる)こと。
「漢字は楽しい」という思いが、やがて
子どもを漢字の学習へと、自ら引っ張って
いきます。

そうした子どもとのやりとり、子ども自らが
伸びようとする力を、このビデオを通して
見ていただければ、うれしいです。

なおこの日は、2人の年少児(4歳児)が
見学に来ていました。
そのため、(遊び)がやや多くなりました。
ご承知おきください。

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【HTML版】
(Blogによっては、HTMLタグのみで、
動画が載せられないところもあります。
そういうばあいは、以下、【HP版】のほうを、
クリックしてみてください。)

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value="http://www.youtube.com/v/pIuqLdkMW44&hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">


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value="http://www.youtube.com/v/vsouJmPVuO4&hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">


value="http://www.youtube.com/v/mnBfZbG7jaE&hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">



【HP版】
(1)
http://www.youtube.com/watch?v=GpmCUBfiMMo

(2)
http://www.youtube.com/watch?v=pIuqLdkMW44

(3)
http://www.youtube.com/watch?v=1FFrKMZFBmo

(4)
http://www.youtube.com/watch?v=vsouJmPVuO4

(5)
http://www.youtube.com/watch?v=mnBfZbG7jaE


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 幼児教室 実践版 年中児の学習 5歳児)

Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司 

●幼児教室(BW幼児教室byはやし浩司)

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教えるのでは、刺激を与える。
それが私の(指導法)です。
つまり刺激を与えて、子どもの脳を
熱くします。

4歳児でも、引き算の指導は可能
です。
そんな例を、このビデオを通して
理解していただければ、うれしい
です。

はやし浩司

+++++++++++++++++

【YOUTUBE版】


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value="http://www.youtube.com/v/keBXyUqJF5g&hl=ja&fs=1">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">


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value="http://www.youtube.com/v/qzw_1ng9amg&hl=ja&fs=1">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">




(HTML版)

http://www.youtube.com/watch?v=l9Qy8TvUMG0

http://www.youtube.com/watch?v=keBXyUqJF5g

http://www.youtube.com/watch?v=xz5lrnmeGks

http://www.youtube.com/watch?v=R23iH2U3o2A

http://www.youtube.com/watch?v=qzw_1ng9amg


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分探し

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若い人は(自分探し)に苦労する。
同じように、老いた人も、(自分探し)に苦労する。
同じ(自分探し)だが、老いた人が(自分探し)を
するのは、たいへん。
どちらがたいへんかといえば、老いた人の
ほうが、はるかにたいへん。
若い人には、どう転んだところで、未来がある。
しかし老いた人には、未来がない。
その(未来がない)という部分と、闘わねば
ならない。
まさに「負け戦」。
「消耗戦」。
そういう中での(自分探し)ということになる。

+++++++++++++++++++++++

●どうやって死ぬか

 どうやって生きるかではない。
どうやって「死」を迎えるか、である。
悲観的な見方だが、そういう問題が、(老い)を考えるときは、
いつもついて回る。
そういう中で、自分なりの生きがいを見出さなければならない。
ただじっと、死を待つわけではない。
またそんなことは、不可能。
そんな日々がつづいたら、それこそ、気が変になってしまう。

●死の待合室

 が、いつか「死の待合室」に入る。
それはしかたのないこと。
そこでひとつの方法として、その待合室に入る時期を、できるだけ遅くする。
そのためには、健康を維持し、仕事をつづける。
「生涯、現役」をめざす。
が、それができる人は、きわめて恵まれた人。
それに稀。
たいていの人は、職場を追われ、職を失う。
運が悪ければ、ボケ症状も出てくる。
体も動かなくなる。

●積み重ね

 そういう状況の中で、いかに(自分探し)をするか。
「第二の人生設計」という言葉もあるが、そんな甘いものではない。
また「定年退職をしました。明日から、ゴビの砂漠で、植林でもしてきます」
というわけにもいかない。
そんな取ってつけたようなことをしても、空しいだけ。
長つづきしない。

 (すべきこと)には、哲学的な裏づけがなければならない。
わかりやすく言えば、主義、主張。
長い時間をかけた、(積み重ね)。
(やるべきこと)イコール、(人生の結論)と考えてよい。

●会社人間

 ところで先日、義兄に会ったら、こう断言した。
「サラリーマン社会では、友情は育たない」と。
義兄は、日本でも最大手の楽器メーカーに勤め、付属の音楽学校の
校長まで努めている。
その義兄が、そう言った。

 「会社には、役職退職というのもあってね……。首切りや、リストラ
という段階で、それまでの友情などあっても、粉々に破壊されるよ」と。

 友情すら、育たないという。
いわんや、生きがいをや、ということか。

●無私、無欲

 仕事にもよるが、要するに、(稼ぎのためにした仕事)というのは、
老後の(生きがい)には、つながらないということ。
そう断言するのは危険なことかもしれないが、幻想をもつことは禁物。
わかりやすく言えば、(生きがい)は、個人として、長い時間をかけて、
作りあげていくもの。
しかも無私、無欲でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、(生きがい)は霧散する。

 もちろん地位や名誉のためであってはいけない。。
仮にそれがあるとしても、地位や名誉は、あとからついてくるもの。

●偽善

 偽善で身を飾る人は、少なくない。
たいていどこかのボランティア団体に属し、肩書きを並べる。
そしてことあるごとに、それを他人に吹聴する。
「今度、○×NPOの、理事になりましてね」と。

 しかし本気でボランティア活動をしている人は、静か。
私財を投げ打ちながらも、それを人に語ることもない。
私は生涯において、そういう人に、何人か出会っている。
一方、こんな女性(当時、60歳くらい)もいた。

●インチキ

 その女性は、こう言った。
「近所に独居老人がいて、私、見るに見かねて、そういう老人たちを
週に1度、家庭訪問しています」と。
ときには、そういった老人のために、終日、車を走らせることも
あるという。

 私は、感心した。
しかしその女性が、自分の実母の介護をすることになった。
そのとたん、化けの皮がはがれた。
どうはがれたかは、今さらここに書くまでもない。
よくあるケースである。

●悪人

 ボランティア活動に生きがいを見出す人は、多い。
しかしそういう人には、歴史というものがある。
そこにいたる、実績というものがある。
ホームレスの世話をしたとか、孤児のめんどうをみたとか。
そういう実績もないまま、いきなり王手をかけてくる。
そういう人は、偽善者とみてよい。

 中に、「何もしない人より、まし」と思う人がいるかもしれない。
しかし偽善者は、何もしない人より、悪人。
タチが悪い。
弱者を食い物にするという点で、タチが悪い。

●とにかく……!

 話が脱線したが、老いた人が、(自分探し)をするのは、
本当にたいへん。
今、それを実感しつつある。
こんなにたいへんなものだとは、予想さえしていなかった。
毎日、どう生きるか、それを考えるだけで精一杯。
「何かをしなければならない」というところまではわかるが、
その先が見えてこない。
だから結局、毎日が、毎日の繰り返しになってしまう。

 今、ふと、若いころ、シドニーのキングスクロスで見た、
ミュージカル『ヘアー』を思い出した。
それについて書いた原稿を、ここに載せる。
それを載せて、この話は、おしまい。
とにかく、私は、がんばるしかない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもに生きざまを教える法(懸命に生きてみせろ!)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

 たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私た
ちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、
ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいる
だろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

 それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果と
いうわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだ
した。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。

 『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォ
レスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの
箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬
時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

 言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生
の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子
どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生
きる、その生きざまでしかない。

 あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そうい
うものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生から
は、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 キングスクロス ヘアー ミュージカル) 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ハート・ロッカー』+夫婦げんか

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先週の金曜日の朝、ワイフとけんかした。
土日と、最悪の週末を迎え、昨日、
月曜日の朝になって、やっと仲直りした。
(今回は、3日も、つづいた!
新記録!)

その間、ひとりで、映画を観てきた。
もちろん、あの映画。
『ハート・ロッカー』。
星は、2つか3つの、★★★(-)。
2つでもじゅうぶん。

なんでもその映画が、アカデミー賞を受賞
したとか。
ああいう駄作が、アカデミー賞を受賞する
ということ自体、アメリカというより、
アメリカ人の心が病んでいることを示す。

数年前の、『アナザー・カントリー』(同じく、
アカデミー賞受賞)のときもそうだった。
二度と見たくない映画。

そう、たしかにアメリカ人の心は病んでいる。
アメリカは、軍国主義化している。
狂っている。
その象徴が、『ハート・ロッカー』ということになる。
そういう点では、『アバター』は、あまりにも
反戦的だった。
言うなれば、『アバター』がもつ、理想主義が、
アメリカによって、拒否された。

さあ、みなさんも、勇気を出して言おう。
「ハート・ロッカーは、駄作!」と。

どうしてあんな映画が、アカデミー賞受賞?
題名すら、今朝には、忘れていた。

そうそう日本のアカデミー賞も、???。
『沈まぬ太陽』が、アカデミー賞受賞?
ああいう映画しかないのだから、しかたない。
それにしても、あんな意味のない映画が、
アカデミー賞受賞?
「日本の映画産業もこの程度?」と、
心底、がっかりした。

++++++++++++++++++

●老年期の夫婦げんか

 私たちのばあい、ちょっとした批判が、そのまま夫婦げんかになってしまう。
大声を張り上げて……というけんかではない。
たがいにヘソを曲げて、たがいに口をきかなくなる。
「離婚してやる!」「離婚しましょう!」となる。

 で、私は、家出。
家を出て、好き勝手なことをする。
映画を見たり、事務所で昼寝をしたり……。
が、やがてさみしくなって、仲直り。
「もういいかげん、こんなバカげた祭りはやめたらいい」と、自分でもそれが
よくわかっている。
わかっているが、どうしても定期的に、繰り返してしまう。

●老年期

 若い人が、「私探し」をするように、老人も、「私探し」をする。
とくに退職後においては、そうである。
が、深刻さという点においては、老人の「私探し」は、比較にならない。
絶壁の縁(ふち)に立たされた状態になる。
あとがない。

 一方、若い人の「私探し」には、未来がある。
どう転んでも、やり直しがきく。
しかし老人の「私探し」には、やり直しがきかない。
しかもすべてが、不可逆的に悪くなる。

 いつも自問する。
「私は何をなすべきか」と。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」と。
それが見つかればよし。
そうでないときは、心が悶々とした霧に包まれる。

 が、迷っていても、しかたない。
とりあえず、今日も始まった。
まず、やるべきことをやる。
やるべきことをやりながら、「自分探し」をする。

おはようございます!
2010年3月9日


Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司 

Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司

●南下軍の歌(北の都)(旧第四高等学校、応援歌、寮歌)金沢大学、応援歌

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●第18回、法文学部法学科卒業生、同窓会
2010年2月


value="http://www.youtube.com/v/jS3Yp0To-l8&hl=ja_JP&fs=1&">name="allowFullScreen" value="true">value="always">allowfullscreen="true" width="425" height="344">

http://www.youtube.com/watch?v=jS3Yp0To-l8

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Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司

●業(カルマ)(The Deepest Sin in Ourselves)

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仏教では、意識を、大きく、
(1)末那識(まなしき)と、
(2)阿頼那識(あらやしき)の2つに
わける。

末那識というのは、意識の総称。
阿頼那識というのは、現代心理学でいう、
「無意識」、あるいはさらにその奥深くに
ある、深層無意識と考えてよい。

その仏教では、末那識(「私である」という
自我)が、阿頼那識におりてきて、そこで
蓄積されると教える。
そして阿頼那識で蓄積された意識は、
今度は反対に、末那識の世界まであがってき、
末那識に影響を与えると、教える。

これについては、何度も書いてきたので、
ここではその先を考えてみたい。
いわゆる「業(ごう)」の問題である。

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●意識と無意識

 意識の世界のできごとは、常に、無意識の世界に蓄積される。
パソコンにたとえるなら、自動バックアップのようなもの。

(WINDOW7には、自動バックアップ機能というのがついている。
それを使うと、ファイルの変更などをすると、自動的に、別のディスクに
バックアップをコピーしてくれる。)

 仏教では、意識される意識を「唯識(ゆいしき)」とし、眼識、耳識、鼻識、
舌識、身識、意識の6つに分ける。
現代でいう、五感とも、ややちがう。
その唯識が、「私」を形成する。
それが「末那識」ということになる。

●末那識は一部

 この末那識は、先にも書いたように、常に阿頼那識の世界に影響を与え、
そこで業(カルマ)として、蓄積される。
が、現代の大脳生理学でも証明されているように、無意識の世界の広大さは、
意識の世界の広さとは、比較にならない。
20万倍とか、それ以上と言われている。

(数字で表現するのは、正しくない。
要するに、意識として使われている脳は、脳の中でもほんの一部に過ぎない
ということ。)

 よく「業が深い人」という言葉を耳にするが、つまりそれだけ阿頼那識に
蓄積された業は、大きく、反対に、末那識に与える影響も大きいということ。
言い替えると、私たち人間は、意識の世界だけで生きているのではないということ。
実際には、無意識の世界の命令に応じて、生きているということ。

●無意識の世界

 たとえばここに、場面かん黙児の子どもがいるとする。
入園など、はじめて集団に接したようなとき、発症することが多い。
家の中では、ごくふつうに会話ができる。
しかし集団の中に入ったとたん、貝殻を閉じたかのように、かん黙してしまう。

 そういう子どもと接していると、無意識の世界を操作するのが、いかに
むずかしいかがわかる。
あるいは子どもの、その向こうにある、無意識の世界の広さに、驚くことがある。
場面かん黙児の子どもは、その無意識の世界の命令によって行動する。
そのため意識の世界から、いくら話しかけたり、説教したりしても、意味がない。
効果もない。

●業(ごう)

 業(ごう)というのは、そういうもの。
人間がもつ本能とも直結している。
そのためそれが何であれ、またどういうものであれ、意識の世界でコントロールしよと
しても、ビクともしない。
仮にあなたが、きわめて知性的な人であっても、その知性で、コントロール
できるようなものではない。

 たとえば手鏡をもって、女性のスカートの下をのぞいていた大学の教授がいた。
超一流大学を出て、当時は、毎週のようにテレビに出演していた。
地位と名声、それに富を、順に自分のものにした。
にもかかわらず、自らの業を、コントロールすることができなかった。
今度は、電車の中で痴漢行為を働いて、逮捕された。

●ではどうするか

 仏教では、……といっても、釈迦仏教というよりは、釈迦滅後、500~600
年を経てからだが、「八正道」を説かれるようになり、さらに実践的な、「六波羅密」
が説かれるようになった。

 八正道についても、たびたび書いてきたが、こと、阿頼那識ということになると、
六波羅密のほうが重要ということになる。

 布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、「六波羅密」という。
これは私も最近知ったのだが、「波羅密(ハラミツ)」というのは、「徹底」を意味する
サンスクリット語の当て字だそうだ。
漢字の「波羅密」を見て意味を考えても、答は何も出てこない。

(ついでに、日蓮宗の『南無妙法蓮華経』という題目にしても、

南無(ナム)……サンスクリット語の「帰依する」を意味する語の当て字。
しかし実際には、「hello」の意で、現在でもインドでは、あいさつ言葉として、
広く使われている、

妙法(ミョウホウ)……サンスクリット語の、「因果な」を意味する、当て字、

蓮華(レンゲ)……サンスクリット語の、「物語」を意味する、当て字、

「経」の漢字は、中国に入ってから、学者たちによって、付加された。)

 「末那識」「阿頼那識」という言葉についても、無著(むじゃく)、世親(せしん)
あたりから、世に出てきたから、サンスクリット語の当て字と考えるのが妥当。
今風に言えば、「意識」「無意識」ということになる。
(不勉強で、申し訳ない。)

●六波羅密

 ここにも書いたように、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、
「六波羅密」という。
これを実践することにより、人は涅槃(ねはん)の境地に達することができると
言われている。

 もっとも私のような凡人には、それは無理としても、しかしこの中でも「精進」の
重要さだけは、よく理解できる。
「日々に、私たちは前に向かって、邁進(まいしん)努力する」。
それは健康論と同じで、立ち止まって休んだ瞬間から、私たちは不健康に向かって、
まっしぐらに落ちていく。

 よく「私は、修行によって、悟りの境地に達した」とか、「法を取得しました」とか
言う人がいる。
しかしそういうことは、ありえない。
ありえないことは、あなた自身の健康法とからめて考えてみれば、それがわかるはず。

 で、私は、日常生活の中で、つぎのように解釈している。

布施……ボランティア活動をいうが、いつも弱者の立場でものを考えることをいう。

持戒……仏教的な「戒め」を堅持することをいうが、簡単に言えば、ウソをつかない、
ルールを守ることをいう。

忍辱……「忍辱」については、そういう場面に自分を追い込まないようにする。
「忍辱」は、ストレサーとなりやすく、心の健康によくない。
あえて言うなら、『許して、忘れる』。

精進……常に前に向かって、努力することをいう。
とくに老後は、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
私はとくに精進を、日常の生活の中で大切にしている。

善定……善を、より確かなものすることをいう。
口先だけではなく、実行する。

知恵……「無知は罪悪」と考えることをいう。

 が、何も「6つの教え」に、縛られることはない。
そういう点で、私はこうした教条的なものの考え方は、好きではない。
まちがってはいないが、どうしてもそれだけに限定されてしまう。
その分だけ、視野が狭くなってしまう。

 要は修行あるのみ……ということになる。

●修行

 ……といっても、私は、仏教的な、どこか自虐的な修行の価値を認めない。
(釈迦だって、そうだったぞ!)
「修行」というのは、ごくふつうの人間として、ふつうの生活を、日常的に
しながら、その中で実践していくもの。
(釈迦が説いた、「中道」というのは、そういう意味だぞ!)
もし、そこに問題があるなら、真正面からぶつかっていく。

 燃えさかる炭の上を歩くとか、雪の中で滝に打たれるとか、そういうことを
したからといって、「修行」になるとは、私は思わない。
少なくとも、私は、ごめん!
またそういうことをしたからといって、「私」の中にある「業」が、消えるわけ
ではない。

●結論

 で、私なりの結論は、こうだ。

 まず業に気がつくこと。
あとはそれとうまく、つきあっていく。
業があっても、なくても、それが「私」。
個性をもった「私」。
それが「私」と認めた上で、(それが弱点であっても、また欠陥であっても)、
前向きに生きていく。

 まずいのは、そういう業があることに気づかず、それに振り回され、同じ
失敗を繰り返すこと。
そのために「知恵」があるということになるが、それについては、また別の機会に
考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 末那識 阿頼那識 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、
正定、はやし浩司 八正道 六波羅密、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵、6つの徳
目 修行論 南無)

●宿業

 「宿業(しゅくごう)」という言葉もある。
業の中でも、とくに大きく、そして自分の心の奥に潜んでいて、自分を操る業をいう。

 この宿業というのは、若いときにはわからない。
人はその宿業に操られるまま、それを「私」と思いこむ。
が、加齢とともに、それが少しずつ、姿を現してくる。
現像液につけられた写真のように、姿を現してくる。

 それが「私」ということになるが、ときにその醜さに、驚くかもしれない。
「これが私の顔か!」と。
そしてそれまでの「私」が、いかに業に振り回されていたかを知る。
つまり私であって、私でない部分に振り回されていたかを知る。

 言うなれば、若いときというのは、「煩悩(ぼんのう)」のかたまり。
大脳生理学的にいうなら、ドーパミンに操られるまま。
それが「生的エネルギー」(ユング)ということになるが、しかしそれは「私」ではない。
ほんとうの「私」は、深層心理の奥深くにあって、なかなか姿を現さない。
しかもその「私」の大部分は、0歳期~からの、乳幼児期に作られる。

 もちろん宿業がすべて悪いわけではない。
(ふつうは、宿業イコール、悪という前提で考えるが……。)
人間のもつ多様性は、煩悩によって作り出される。
またそれから生まれるドラマが人間の世界を、うるおい豊かで、楽しいものにする。
もちろんその反対もある。
憎しみや悲しみが、暗くて重い歴史を作ることもある。
が、もしなぜ私たち人間が、今、こうして生きているかと問われれば、そうした
ドラマの中で、懸命に生きるためということになる。

 そう、懸命に生きるところに、私たちの生きる意味がある。
追い詰められても、追い詰められても、土俵間際でふんばってがんばる。
それが「生きる」ということになる。

 だれにも宿業はある。
宿業のない人は、いない。
またあることを、恨んではいけない。
大切なことは、そうした宿業と仲良くすること。
どんなに醜い顔をしていても、結局は、それが「私」なのだから……


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