2010年4月20日火曜日

*Against AERA!

●早期教育効果は小学生で消える(?)「AERAの記事に、疑問あり!」(改訂版)

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こんな記事が、AERAという雑誌に載っていた。
いわく「早期教育効果は、小学生で消える」と。

つづいて、
「……小学校入学前に読み書きを習得する子どもは多い。その風潮に警鐘を
鳴らす研究が報告されている。本質的な学力を決めるのは親子関係だという」と。

しかしこの原稿には、いくつかの言葉のトリックがある。
その第一、「早期教育」を、「読み書き」にすり替えている。

たしかに「読み書き」については、その効果は「小学校で消える」。
たとえば計算力にしても、幼児期に速くできるようになったからといって、
それがそのまま「数の力」に結びつくとはかぎらない。

よい例が、幼稚園によっては、かけ算の九九を暗唱させているところがある。
が、九九が言えるようになったからといって、「算数の力」が身についた
ということには、ならない。

が、こんなことは常識。
その常識を、逆手に取って、「小学生で消える」とは?

さらに言えば、消えたところで、無駄とは言い切れない。
その上に、さらに新しい知識を組みあげていく子どももいる。
(そうでない子どもも、もちろんいるが……。)

あえて言えば、「早期教育」と言っても、「知識教育」から離れ、最近では「考える子ども」
にするのが、ひとつのテーマになってきている。
ごく最近では、「Active Learning」という言葉も使われるようになった。
「ものごとに積極的に取り組む子どもにするための指導」という意味である。

「文字の読み書き」ではない!

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●読み書き

 「読み書き」をもって、早期教育と位置づける。
「だから、早い時期から学んでも、意味がない」と。
この原稿の最大のミスは、ここにある。
つまりこの原稿を書いた人は、「幼児教育」というのが、何であるか、よくわかっていない。
「早期教育」、さらには「先取り教育」の意味もよくわかっていない。
さらに最近話題になっている、「臨界期」という言葉も、知らない?

 たとえば、こんなことも書いてある。

「また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)」(AERA)と。

(しかしこの資料も、調べてみたところ、1969年「日本保育学会」「就学前の幼児の恐怖」の中に収録されているものとわかった。
1969年といえば、40年以上も前!
大阪万博の前の年の資料!)

 それはさておき、それはその通り。
無理な文字指導が、子どもを文字嫌いにするという例は、多い。
その(文字嫌い)が悪循環となって、子どもを(国語)から、遠ざける。
たとえば年中児でも、「名前を書いてごらん」と声をかけただけで、体をこわばらせる子どもは、いくらでもいる。
中には涙ぐむ子どもさえいる。
文字に対して恐怖心をもっているためである。

 こんなことは、少し幼児に接してみれば、だれにでもわかること。
また幼児に接した経験のある人なら、だれでも知っている。
それを、ことさら学者名まで出して強調するところが、わざとらしい。

 逆に、世界広しといえども、幼児期の幼稚園教育で、文字の読み書きを教えないのは、この日本だけ。
そういう事実をさておいて、あたかも「幼児期に、文字教育は必要なし」というような印象を与えるのは、どうか。
誤解というより、偏見。

 そして「文字教育」を例にあげながら、「幼児期には何もしないほうがいい」というような印象を読者に与える。

こうした論法には、「?」マークを10個くらい、並べたい。
大切なことは、「教える」ではなく、「文字の読み書きは楽しい」ということを教えること。
それが幼児教育。
またそれが重要!

●偏見

 さらに……。

「……早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き都内の難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまった。競争の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、その後の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入れば塾通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく」(AERA)と。

 これを読んだときには、ア然とした。
このライターは、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」という言葉さえ、知らない?
そんな印象すらもった。

 たしかにこのタイプの子どもは、多い。
浜松市内の進学高校でも、高校入学と同時に、約20%の子どもが、燃え尽きる。
そのため無気力になったり、怠学に陥ったりする。
それはそれだが、だからといって、みながみな、そうなるわけではない。
何も受験競争の肩をもつわけではないが、「だから教育は無駄」式の論法には、首をかしげる。

 つまりここでも、「受験競争」と「早期教育」を、言葉のトリックを使ってすりかえ、読者を煙に巻いている。

●親子のかかわり

 幼児教育の第一は、「親子のかかわり」で始まる。
またそれで終わる。
その重要性は、基本的信頼関係に始まって、心の育成などなど、今さらあえて説くまでもない。
が、ここでも、このライターは、言葉のトリックを使っている。
つぎの文章を、よく読んでほしい。

 「……長男は文字をほとんど書けないまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女の子が持っていた「お勉強ノート」を見て圧倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢字がびっしりとノートのマスを埋めていた。入学後も、わが子がカタカナに四苦八苦する傍らで「5年生の漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪語する級友の存在を知り、長男が勉強についていけるか心配になった。

 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早期教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得に及ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した」(AERAより)と。

 ある親は、ほかの子どもが、スラスラと漢字を書いている子どもを見て、ショックを受けたという。

(5~6歳の子どもが、5年生の漢字を書く?
しかし私は幼児教育を40年もしているが、そんな子どもを見たことがない!
本をスラスラと読む子どもはいたが、漢字を書いた子どもは知らない。
もし本当にいるとするなら、心に何らかの障害をもった子どもということになる。
その子どもがそうというわけではないが、たとえば自閉症の子どもは、ある特定のことがらに、ふつうでない(こだわり)を示すことがある。
全国の駅名を暗記する、どんな音楽でも一小節を聞いただけで、曲名を当てる、など。
5歳児が、5年生の漢字を書くというのは、おおげさというか、きわめてマレなケース。)

 つまりそういうトンデモナイ例を引きながら、その一方で自分の原稿に権威付けをするため、大学の教授名を並べる。
いわく、「……すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてしまうということを指摘してきた」と。

 (この資料も、20年前の資料!)

●過熱する幼児教育?

 早期教育というと、文字教育と考える。
早計というか、無知。
無知というか、誤解。
あるいは偏見。
私も「文字」をテーマに、レッスンを進めることは多い。
しかし「文字を教えよう」という気持ちは、さらさらない。
先にも書いたように、「文字は楽しい」ということは、教える。
もっと言えば、子どもたちを、楽しませる。
「文字は楽しい」という思いが、良循環となって、その子どもを前向きに引っ張っていく。
それが幼児教育。
その重要性は、ここに改めて書くまでもない。

 それをさておいて、「子どもには、必要な栄養食品だけを与えておけばいい」
「料理は無駄」と。
さらに言えば、こんなことも言える。
「大学へ入っても、無駄。人生の結論は、死ぬときの死に際の様子で決まる」と。
どこかのカルト教団が、信者たちにさかんに説いている言葉である。
このライターの(おかしさ)は、その一点に集約される。

●不適切な指導

 このライターの意見によるまでもなく、不適切な指導で、伸びる芽すら摘まれていく子どもは、多い。
たとえばここでは「読み書き」がひとつのテーマになっている。
実のところ私の二男もそうだった。

 私の二男は、生まれつき、左利き。
私たち夫婦は、自然の流れに任せた。
が、小学校へ入学して一変した。
学校の先生から、「文字は右手で書かせてください」と。
担任の先生が、書道の先生であったことも、災いした。

 毎晩、二男は泣きながらノートに漢字を書いていた。
鏡文字はもちろんのこと、書き順もめちゃめちゃ。
で、1年もたったころ、私は学校の先生に向かって、こう宣言した。
「息子は、左利きで通します。無理な指導は結構です」と。

 それに対して先生は、こう反論してきた。

「冷蔵庫でも、何でも、右利き用にできています。
不便を感ずるのは、あなたのお子さんですよ」と。

 が、さらに私は反論した。
「そんなことは、慣れれば何でもないことです!」と。

 そういう問題はある。
あるが、一方的に、「消滅するから無駄」という論法には、かなり強い違和感を覚える。

●針小棒大論

 受験塾の受験競争には、私も批判的。
擁護したことは、一度もない。
しかしそれは「学習」という面からではなく、「心の育成」という面から、問題にしてきた。
またそのような趣旨で、原稿を書いてきた。

 それをストレス説と結びつけて、「子どもの教育はストレスにつながる」と一方的に決めつけている。
さらにいつの論文かは知らないが、「脳神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を正当化する科学的根拠はないとしている」(お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』)と。

 だったら、「野生児」の問題など、なかったはず!
ある時期、親子のふれあいのなかった子どもが、どうなるか?
野生児と呼ばれた子どもを知っていれば、こんな意見は出てこないはず。
「科学的根拠」というが、その研究は、今、始まったばかり。
「臨界期」という言葉が、再びクローズアップされてきたのは、ここ数年のこと。

 そこでこの本(『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』)の発行年月日を調べてみたら、2004年とわかった。
6年前!
現在は、廃刊になっている。
当時は「科学的に」は、無理だったかもしれない。
が、ここ数年の、脳科学の進歩には、著しいものがある。
脳の中の動きを、リアルタイムで観察することもできるようになった。

●「塾通いは悪」という偏見

 このライターは、世界の潮流というものを、知らないらしい。
EUでは、むしろ逆に、学校教育より、クラブ制のほうに、教育の重点を移動している。
子どもたちがそれぞれ放課後、好き勝手なクラブに通い、好き勝手なことをしている。
たとえばドイツでは、中学校では単位制を導入し、午後はみな、それぞれのクラブに通っている。

 その費用は、チャイルドマネーとして、満27歳になるまで、一律に支給されている。
額は1万5000円前後。
クラブの月謝が、1000円程度だから、その額だけで、約15のクラブに通えることになる。
学校の内部にクラブがあることもある。
日本がこの先めざすべき教育は、むしろ、そちらのほうではないのか。
10年一律というか、AERA(朝日新聞社)のばあいは、30年一律のごとく、「塾、必要悪論」を展開している。

 そこには、「学校や幼稚園でやることは問題なし」という、ぬぐいがたい偏見すら覚える。
が、事実は逆で、むしろ「民活」、つまり民間の活力を利用したほうが、よい面も多い。
たとえば英会話にしても、民間に任せた方が、ずっとよい教育をする。
実際に、よい教育をしている。

 それに第一、今時、泣きながらいやがっている子どもを、無理に塾へ通わせる親は、い・な・い!
いったいこの話も、何年前の話かと、聞きたくなる。
(20~30年前には、こういう話はよく耳にしたが……。)

その部分を、ここに転載させてもらう。

「…… Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、
「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたかった。中学受験なんて必要なかった」
 と涙を溢れさせながら訴えた」(AERAより)と。

 このライターは、自説の偏見を補強するため、ペタペタとあちこちの悪例を張りつけている。
わかるかな?

●塾で勉強したら……?

 さらにAERAの記事は、つづく。

「日本には飛び級制度はないし、習熟度別クラスも少ない。塾などで勉強したことを学校で「復習」する状態が常に続くと、学校での勉強がつまらなくなる」(AERAより)と。

 ヘエ~~?

 今時、こんなことを書くライターがいること自体、信じられない。
学校第一主義というか、学校神話信仰者というか。
つい先日、韓国で発表された調査結果をもう一度、ここにあげてみる。

●居眠りする高校生たち

(授業中、居眠りをしている高校生)

居眠りについて、「普通の行動」、または「たびたびおこなっている行動」

    日本人    45.1%    
    韓国人    32.3%
    アメリカ   20.8%
    中国      4.7%

 「学校の勉強がつまらない」のは、塾で先取り教育をしているからではない。
構造的な問題。
つまり公教育がかかえる構造的な問題に起因する。
これは高校生についての調査だが、中学校でも似たような現象が起きている。
小学校でも似たような現象が起きている。

また「塾」といっても、今時、このライターが書いているような授業をしていたら、生徒など、1人も集まらないだろう。
たとえて言うなら、「まずい料理を並べるレストラン」のようなもの。
それを「食べろ!」と押しつけても、今時の子どもは、食べない。
親だって、食べさせない。

●結論

 また動き盛りの子どもを、無理に机にしばりつけ、「読み書き」を教えれば、ストレスがたまるに決まっている。
体や心が変調をきたすのも、当然。
あえて「尿検査」をするまでもなく、子どもたちの表情を見れば、それがわかる。
「教育」というのは、そういうもの。
子どもの表情と様子を見て、判断する。

それを「……1997年に幼稚園児の尿を採取してストレス値を比較したところ、早期教育を受けている幼児は、受けていない幼児に比べてストレスが高かった」と。

1997年当時といえば、「早期教育」の定義も、まだあいまいだったはず。
またそのころから、不登校児が急増し、不登校が社会問題化した。
が、その一方で、水泳教室、書道など、おけいこ塾へ通っていない子どもなど、いなかったはず。
都会地域では、ほぼ100%。
地方の農村地帯でも、70%。
(この数字は記憶によるものなので、不正確。)

 ここでも「読み書き」と「早期教育」を混同させるという、言葉のトリックを使っている。
さらに言えば、ライターの思いこみを(柱)にし、あちこちから寄せ集め的に、古い資料をペタペタと張りつけている。

 で、問題があるとするなら、なぜ親たちが、こうまで過熱するのか。
(過熱しているなら、という前提だが……。)
その中まで、メスを入れる必要がある。
またそういう視点で、この問題を切り込んでほしい。
またメスを入れてこそ、「さずがAERA!」ということになる。
こうした記事を書くことによって、どういう問題が、どう解決するとういうのか?
ハシゴをはずすのは、簡単なこと。
「では、どうすればいいのか?」。

 親たちは、この日本にはびこる不平等性を、いやというほど、毎日見聞きしている。
人生の入り口で幸運に恵まれた人は、生涯、恵まれた生活を楽しむことができる。
そうでない人は、そうでない。
「受験」がその関門になっていることは、だれの目にも明らか。
親たちは日常的に、(あせり)と、(不安)を感じている。
そういう事実をさておいて、「読み書き」を「早期教育」にすりかえて、「早期教育は危険」と警鐘(?)を鳴らす。

 AERAが書くべきことがあるとすれば、「では、どうすればよいか」ということ。
「幼児をどう楽しく指導すればよいか」ということ。
ものごとは、後ろ向きに考えるのではなく、前向きに考える。
 
●AERAを、そのまま転載

 誤解があるといけないので、インターネット上に配信された、AERAの記事をそのまま転載させてもらう。

++++++++++++以下、AERAよりそのまま+++++++++++

AERAより 2010年4月19日(月)

 都内に住む30代の母親は最近、4歳の女の子が図書館で読んでいる本を見て驚いた。絵はなく、漢字まじりの文字ばかり並ぶ小学校中学年用の読み物だ。自分の小学1年生の子どもは、入学してようやくひらがなを習ったばかりだというのに。思わず「すごいね」と声をかけると、女の子は「漢字も書けるよ」と言って、スラスラと漢字を書いた。女の子の母親と話すと、通っている有名私立幼稚園では珍しくない光景だという。

■所得よりも養育態度

 最近、地方都市から東京に転居してきた40代の母親の長男が通った保育園は、外遊びを重視し、幼児の読み書きなど早期教育には批判的な方針だった。長男は文字をほとんど書けないまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女の子が持っていた「お勉強ノート」を見て圧倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢字がびっしりとノートのマスを埋めていた。入学後も、わが子がカタカナに四苦八苦する傍らで「5年生の漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪語する級友の存在を知り、長男が勉強についていけるか心配になった。
 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早期教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得に及ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した。

 ちょうどその2カ月ほど前、文部科学省は全国学力テストの結果を分析し、親の所得が高いほど子どもの学力が高いという調査を発表していた。親の年収が1200万円以上では国語、算数の正答率が全体の平均より8~10ポイント高く、200万円未満では逆に10ポイント以上低かった。

 だが、内田教授の調査では、子どもの学力格差は親の所得格差ではなく、親子のかかわり方が大きく影響していた。たしかに「読み・書き」能力だけみれば、3歳では親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、その差は子どもの年齢が上がるにつれて縮まり、小学校入学前に消滅した。文字などの早期教育の効果はわずか、数年しか続かないのだ。

 すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてしまうということを指摘してきた。また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)。

■想像力豊かな子は…

 一方、幼児の語彙力については、親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、詳細な分析をした結果、語彙の成績を左右するのは所得や教育投資額ではなく、親の養育態度であるとわかった。

 内田教授は、こう話す。

「語彙力というのは自律的思考力を支えるものです。所得が低い家庭であっても、子どもとのふれあいを大事にして、楽しい経験を共有するような『共有型』の養育スタイルの家庭の子どもの語彙得点は高いのですが、所得が高くても大人の思いを押しつけ、トップダウンで禁止や命令、体罰などを多用する場合は子どもの語彙の成績は低いのです。他の子どもとの比較や勝ち負けの言葉を多用するとか、子ども中心で親が犠牲となる教育も、学力基盤を育むのに効果はありません」

 つまり親の「人間力」こそ、子どもの語彙力の発達には重要だということだ。しかも、この語彙力こそ学童期以降の子どもの学力と関連があると話す。

 また内田教授が文字を習得している幼児と習得していない幼児に、それぞれ空想でお話をつくってもらったところ、文字を習得していない子どもの方が想像力豊かな内容だったという。こうした研究を通じて、過熱する一方の早期教育に警鐘を鳴らしてきた内田教授は、こう話す。

「幼児期には五感を使って親子で体験を共有することが大切です。親子のコミュニケーションや会話のやりとりを通じて、子ども自身が考えて判断し、親子の絆が深まっていく中で子どもの語彙力は豊かになる。お金をかけなくても子どもは伸びるのです」

■鈍る昼間の活動

 研究者の間では以前から「早期教育」の効果に懐疑的な声は多かった。小児科医でもある、お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』の中で、脳神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を正当化する科学的根拠はないとしている。

 むしろ、早期教育の弊害として一番心配されるのは、子どものストレスだ。東北生活文化大学の土井豊教授らが、1997年に幼稚園児の尿を採取してストレス値を比較したところ、早期教育を受けている幼児は、受けていない幼児に比べてストレスが高かった。さらに早期教育を受けている幼児は、昼間の幼稚園での活動が鈍くなっていた。幼稚園後の「お勉強」に備え、日中は活動を休止して子どもなりに心と体のバランスをとっているのだろう。日中の活動の低下は子どもの発育にとってよくはない。ほかにも早期教育を受けた子どもがストレスで情緒障害を引き起こしたケースや、親子の愛着関係に悪影響を及ぼした事例も報告されている。

 都内に住むAさんは、長女の妊娠中からクラシック音楽や絵本の読み聞かせで胎教した。乳児期からは水泳、リトミックのほか、有名幼児教室にも電車で通った。自宅では幼児教室の教材やパズル、フラッシュカードで毎日1時間以上の早期教育を実践した。友達と自由に遊ぶ時間は少なかったが、長女に嫌がる様子も見えなかった。どんどん子どもが吸収していくのが嬉しかったし、何よりも子どものためと信じていた。

 早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き都内の難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまった。競争の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、その後の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入れば塾通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく。

■のしかかるストレス

 先の榊原教授は、こうした塾や学習教室での先取り学習も逆の効果を生む危険性があると話す。日本には飛び級制度はないし、習熟度別クラスも少ない。塾などで勉強したことを学校で「復習」する状態が常に続くと、学校での勉強がつまらなくなる。

 先の40代の母親の長男が通う小学校では「(学校の勉強は)簡単すぎてばからしい」と言う子どももいる。こうした子どもたちは、結果として学校の勉強に対するモチベーションが低下し、集中力も低下する。それこそが中学校以降の学力低下につながりかねないのだ。

 だが、榊原教授は早期教育や中学受験に熱心な親たちを一概には非難できないと話す。格差が広がるばかりの社会で、親が子どもの幸せのためにできることといえば、よりよい教育を受けさせることと思いつめるのも無理からぬことだからだ。フラッシュカードで天才児が育つかのような、教育産業のマニュアル化した教材は魅力的に見える。
 榊原教授はこう話す。

「早期教育が子どものストレスにならず『親子のふれあい』に寄与する程度なら使っても良いでしょう」
 フラッシュカードは、知能開発のためではなく、親子のコミュニケーションのために使えばよい。

 Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、
「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたかった。中学受験なんて必要なかった」
 と涙を溢れさせながら訴えた。

 Aさんは「頭にガツンとパンチをもらった感じ」だった。今まで注ぎ込んだお金と時間と苦労を思うと「間違いだった」とは認めたくない気持ちも残る。でも、「ごめんね」と、長女に心の底から詫びた。
 早期教育の効果はわずか数年足らず。だが、子どものストレスは成長した後も心に長く重くのしかかる。内田教授は、

「子どもはお母さんが大好きだから嫌とは言わない。だからこそ、親は子どものストレスのサインを見逃してはいけない」
 と話している。
ライター AS
(4月26日号)

++++++++++++以上、AERAよりそのまま+++++++++++

●反響

 ネットを使ってこのAERAの記事の反響を調べてみた。
その結果、「だから早期教育は無駄」と反応している親たちが多いことがわかった。
「さずがAERA!」と思ったのは、そのとき。
つまりそれだけ影響力が大きいから、記事は、もう少し慎重に書いてほしい。

●私の指導法から

 ここに紹介するのは、4月に入って2回目のレッスンの様子である。
このビデオを見て、塾に対する偏見を少しでも解いてもらえば、うれしい。
今時、泣きながら勉強する子どもなど、いない。
親も、そこまでバカではない!

 2回目のテーマは、「声を出す」である。
「あいうえお」という文字を、使って指導してみた。
私の教室で、笑いながら学習する子どもはいるが、泣きながら学習する子どもは、いない。

50分のレッスンを、編集、削除することなく、ありのまますべてを紹介する。



(つづきは……)

http://www.youtube.com/profile?user=hiroshihayashi#p/u/5/GV0C2CzmAvU

http://www.youtube.com/profile?user=hiroshihayashi#p/u/4/w7tp8xZDbKE

http://www.youtube.com/profile?user=hiroshihayashi#p/u/3/8ChegrNptko

http://www.youtube.com/profile?user=hiroshihayashi#p/u/2/zxcDCe-_PMA

http://www.youtube.com/profile?user=hiroshihayashi#p/u/1/GrKTgr8fsNE

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 AERA AERA 読み書き 早期教育 偏見と誤解 言葉のトリック)

4月20日記

Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

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