2010年2月10日水曜日

*Trauma

【福音(神の国)の世界】

●選択

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私たちはそのつど、自分の人生を
選択しながら、生きている。
「あっちへ行くか?」「こっちへ行くか?」と。
映画『DR. ペルナサスの鏡』の中に出てくる
台詞(せりふ)である。
で、地獄に落ちたDR.ペルナサスは、
地獄をさまよい歩きながら、最後にこう叫ぶ。
「もう選択はいやだ!」と。
とたん、彼は地獄から解放され、現実の世界へと
引き戻される・・・。

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●人生論

 「私」のまま、私の人生を生きている人は、いったい、どれだけいるだろうか。
「これが私の道」と、その道だけを信じて、まっすぐ進んでいる人は、いったい、
どれだけいるだろうか。

 たいていの人は、私も含めて、そのつど角にぶつかり、選択をしながら、生きている。
「あっちの道へ行こうか、こっちの道へ行こうか?」と。
毎日が、その連続といってもよい。
そしていつの間にか、自分の意思とは無関係に、まったく別の道に入ってしまう。
そういう意味では、善人も悪人も、紙一重。
成功者も失敗者も、紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
それが人生。
私やあなたの人生。

●運命

 私たちの心と体には、無数の糸が、からみついている。
過去の糸、生い立ちの糸、社会の糸、仕事の糸、血縁の糸、そして家族の糸などなど。
「糸」が悪いというのではない。
ときに、その糸に励まされ、生きる目的を与えられる。
心の安らぎを得ることもある。

 しかしその糸が、これまたときとして、私やあなたの体にからみつき、
私やあなたを、まったく別の世界に、導いてしまうことがある。
ばあいによっては、糸の奴隷となってしまうこともある。
それを「運命」と呼ぶなら、運命というのは、たしかにある。
「右へ行きたい」と思っていても、心と体は、左へと引っ張られてしまう。
運命というのは複雑な方程式のようなもの。
(今の私)が、その答ということになる。

●自由

 キリスト教というと、「愛の宗教」と考える人は多い。
しかしキリストは愛だけを説いたわけではない。
もうひとつ、「自由」を説いた。
「愛」を横軸とするなら、縦軸にあるのが、「自由」ということになる。
英語では、「liberation(解放)」という。
つまり魂の解放をいう。

 その解放とは何かということになれば、「選択と運命からの解放」ということになる。
私は、キリスト教の信仰者ではない。
これ以上のことはわからない。
が、キリストの説いた哲学は、まさに核心をついている。
なぜ私たちは生きているか。
なぜ私たちはここにいるか。
その答を示している。

つまり愛を横軸、自由を縦軸にして生きる。
それこそまさにキリスト教でいう、「福音の世界」ということになる。

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Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●兄の泣き声 

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今でも、ときどき兄の泣き声が聞こえてくる。
今日も聞こえた。
少し前も聞こえた。
兄は、父や母に叱られると、決まって二階の
一番奥の部屋にやってきて、そこで泣いた。

私とは9歳ちがうから、そのとき兄は、
20歳前後ではなかったか。
私が小学生のころである。

兄は手のひらで自分の鼻を下から、すくいあげる
ようにして泣いていた。
オーオー、オーオー、と。

「準ちゃん、何が悲しいのか?」と声をかけても、
兄は、ただ泣くばかり。
鼻水をたらたらと流しながら、ただ泣くばかり。

それは私にとっては、過去ではない。
遠い昔の話でもない。
今でも、兄は、そこにいて、泣いている。
今でも、その声が聞こえてくる。

それはつまり私の心の傷。
傷の声。
傷の泣き声。
オーオー、オーオー、と、

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●心の傷

 私の心の傷は、いやされるのか?
それとも死ぬまで、その傷に苦しむのか?
一生、私は、それを背負って生きていかねばならないのか?
いつかは忘れることができるだろうと思っていた。
いつかは解放されるだろうと思っていた。
しかし心の傷は、そんな生やさしいものではない。
いつもそこにあって、ジワジワと私の心をむしばむ。
いつ晴れるともなく、心の壁に張りついている。

 だれに話すこともない、私の過去。
暗くて、ジメジメした、私の過去。
その過去が、今も、そこにあって、私を苦しめる。
今夜も、またワイフに言ってしまった。
「離婚してあげようか?」と。
ワイフはさみしそうな声で、こう答えた。
「本当に、そうしたいの?」と。

 本当は離婚など、したくない。
別れたくない。
しかし私は、自分の心をどうすることもできない。

だれにも心を許さない。
心を開かない。
そういう私で、さみしい思いをしているのは、ワイフ。
そのワイフを、私がからませている鎖から、解放してやりたい。
私がいなければ、ワイフが幸福になれる。
そんな思いから、私も私を解放することができない。

 心の傷というのは、そういうもの。
いつも私の中にいて、私を、裏から操る。
操りながら、私をあざ笑う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心の傷 トラウマ 兄の泣き声)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

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