2010年2月23日火曜日

*Parents who lie

●親のウソ(強化の原理)

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この話は以前にも書いた。
こんな話。

ある母親がこう言った。
「うちの子(年長児)は、字を書くのがへたでしょ。
みなさんは、じょうずに書けるでしょ。
だから本人もそれを気にして、BW教室(=私の教室)
へ行くのをいやがっています」と。

この話は、ウソ。
親の作り話。
が、どこがウソか、あなたはわかるだろうか?
親の話には、この種のウソが多い。

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●強化の親vs弱化の親

 発達心理学の世界には、「強化の原理」「弱化の原理」という言葉がある。
何ごとも前向きに取り組んでいる子どもは、そこに強化の原理が働き、ますます前向きに伸びていく。
反対に、「いやだ」「つまらない」と思っている子どもは、そこに弱化の原理が働き、子ども自身が、自ら伸びる芽をつんでしまう。

 同じように、親にも、(子どもを伸ばす親)と、(子どもが伸びる芽を摘んでしまう親)がいる。
前者を、(強化の親)というなら、後者は、(弱化の親)ということになる。
(この言葉は、はやし浩司の造語。)

たとえばときどき教室を参観して、「うちの子はすばらしい」「できがいい」と思っている親の子どもは、どんどんと伸びていく。
反対に、「だめだ」「できない」と思っている親の子どもは、表情も暗くなり、やがて伸び悩む。

●「わざとほめてくれるのよ!」

 この話も前に書いたが、こういう話。
ある女の子(年長児)の話。
その女の子は、おかしなことに、私がほめればほめるほど、表情が固く、暗くなっていった。
ふだんから静かな子どもだった。

 私はその理由が、わからなかった。
が、ある日、レッスンが終わって廊下に出てみたときのこと。
いつも、その子どもの祖母にあたる女性が、その子どもを教室へ連れてきていた。
その女性が、その女の子(=孫)に向かって、こう言っていた。

 「どうしてあなたは、もっとハキハキしないの!
あなたができないから、先生がああしてわざとほめてくれるのよ。
どうしてそれがわからないの!」と。

●自己評価力

 自分を客観的に評価する・・・それを自己評価力という。
「現実検証能力」と言ってもよい。
この自己評価力は、小学3年生前後(10歳前後)を境にして、急速に発達する。
が、それ以前の子どもには、その力は、ない。
よくある例が、落ち着きのない子ども。
AD・HD児もそれに含まれる。

 このタイプの子どもに向かって、「もっと静かにしなさい」とか、「君が騒ぐと、みなが迷惑するよ」とか、教えても、意味はない。
自分が騒々しいことにすら、気づいていない。
その自覚がない。
またそれを気づかせる方法は、ない。

 いわんや、幼稚園児をや、ということになるが、文字についてもそうである。
自分の書いた文字を見て、それがじょうずか、へたか、それを判断できる子どもはいない。
それを判断し、子どもに伝えるのは、親ということになる。

 つまり親が、「自分の子どもの書く字がへた」と思っている。
だからそれを子どもに言う。
「あなたは、字がへた」と。

 ここで冒頭に書いた話を思い出してほしい。
私はその母親の言ったことを、ウソと書いた。
理由は、もうわかってもらえたと思う。
繰り返しになるが、年長児くらいで、自分の書いた字がじょうずか、へたか、それを客観的に判断できる子どもはいない。
子どもは、親の反応を見ながら、じょうずかへたかを知る。
しかしそれでも、どこがどうへたなのか、それがわかる子どもはいない。
つまり子どもの書いた字を、へたと決め込んでいるのは、母親自身ということになる。
が、それだけではない。
むしろ子どもの伸びる芽を、親が摘んでしまっている!

●強化の原理

 子どもが何か、文字らしきものを書いたら、ほめる。
それがどんな文字であっても、ほめる。
「ホホー、じょうずに書けるようになったね」と。

 こういう働きかけが、子どもに自信をもたせる。
その自信が、強化の原理となって、子どもを前向きに引っ張っていく。

 この時期、子どもは、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよく伸びる。
「私はすばらしい」という思いが、強化の原理として働く。

 最初の話に戻るが、こういうときは、その反対のことを言う。
「あなたは、字がじょうずになったわね。
先生も、ほめてくれていたわよ」と。

 以前、『欠点はほめろ』という格言を、私は考えた。
これもそのひとつ。
子どもに何か問題を見つけたら、それを指摘して、責めてはいけない。
反対に、ほめて、伸ばす。
たとえば意見を発表するとき、声が小さかったら、「もっと大きな声で!」ではなく、「あなたはこの前より、大きな声が出るようになったね」とか、「あなたの声は、いい声よ」とか、など。

 これは子どもを伸ばすための、第一の鉄則である。

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Hiroshi Hayashi++++++Feb.2010++++++はやし浩司

●有島武郎(ありしま・たけお)

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今では、「有島武郎(ありしまたけお)」という名前を
知っている人も、少ない。
明治11年(1878)生まれ。
明治から大正にかけての文豪で、大正12年(1923)、
45歳の若さで、この世を去っている。

明治41年(1908)に、妻、安子と結婚するが、
その安子は、大正5年(1916)に、他界。
有島武郎自身は、そのあと、7年生き、大正12年(1923)に、
軽井沢の別荘で、『婦人公論』の女性記者と情死している。
「情死」というのは、「心中」のこと。

その有島武郎の代表作である、『カインの末裔』を、久しぶりに
読む。
学生時代、有島武郎の大ファンの友人がいて、彼はそののち、
有島武郎論を、あちこちの同人誌に発表している。
それで私も彼につられる形で、有島武郎に興味をもつようになった。
が、好きか嫌いかと問われれば、好きではない。
回りくどい情景描写が、ときにまだるっこい。
・・・というより、それが有島武郎。
回りの情景描写を積み重ねながら、主人公の「心」を
浮かび上がらせていく。

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●『カインの末裔(まつえい)』

 ストーリーだけを追えば、何でもない作品。
ただ昔読んだときも、それを感じたが、今回も、その謎は解けなかった。
つまり主人公の仁右衛門(小作人)は、場主(地主)を、最後のところで殺害したかどうかということ。
何度かその部分を読み返してみたが、結局、結論は、「?」。
全体としてみると、「殺害した」ということになるが、その部分は、「・・・のぼせ上がったために湯気をださんばかりに赤くなっていた」で終わる。
つづいて、いきなりシーンが変わり、仁右衛門は、そのまま自分の小屋に帰り、そのあと、自分の馬を斧でたたき殺している。

そのつながりの部分が、実のところ、よくわからない。
題名の『カインの末裔』というところから、つまり「カイン」という名前を使っているところから、それなりのことをしたということになる。
「カイン」というのは、アダムとイブの長男。
弟のアベルに嫉妬して、アベルを殺してしまう。
仁右衛門は、そのカインの末裔というわけである。

 で、こうした作品を読んでいつも感ずることがある。
そのひとつは、日本語が、当時と比べただけでも、大きく変化したということ。
私ですら、「昔の作家は、漢字をよく知っていたなあ」と感心する。
(もっとも私は、子どものころから、漢字が苦手。)

「章魚」と書いて、「たこ」と読む。
「溺(いば)る」というのは、「小便をする」こと。
「鬣」と書いて、「たてがみ」と読む。
「漢字で、『たてがみ』と書け」と言われて、この漢字を書ける人は、まずいない。

 最初の数ページを一読しただけでも、こうした漢字がズラズラと並ぶ。

●有島武郎論

 こうした文豪について、それぞれ研究者や論者がいて、無数の論文を書いている。
北海道のニセコ町には、有島記念館まであるという。
私のような素人が、有島武郎について書いたら、それこそ、八つ裂きにされてしまう。
事実、学生時代、冒頭に書いた友人は、私が何を言っても、「君は、浅い」と怒った。
「有島武郎のような文豪の書いた文章を、君のような男に、理解できるはずもない」と。

 しかしその私も63歳。
有島武郎を死んだときの年齢よりも、約20歳も、長生きをしている。
今さら、有島武郎に遠慮しなければならない理由などない。
人生経験という部分では、有島武郎にひけを取らない。
東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)の教授だったというが、肩書きにビビるような年齢は、とっくの昔に終わった。

 そういう自分と比較してみて、つまりこの『カインの末裔』が、その後の「農場解放」へとつながっていくという部分をのぞいて、若いころ、あれほどまでに畏れ多く感じた私は何だったのかと思う。
(だからといって、私のほうが上だとか、有島武郎がつまらないとか言っているのではない。
どうか誤解しないでほしい。)

この『カインの末裔』にしても、どこからともなく仁右衛門という小作人がやってきて、またどこかへと去っていくというストーリー。
最後は貧富の差に疑問を感じ、「同じ人間ではないか」と、場主(地主)を殺害し、自分たちはまたそのあと、どこかへと去っていく。
『カイン』とか、『末裔』とかいうには、少し無理がある?
私なら、『仁右衛門』という題ををつけ、それですます。

 ……こんなことを書くと、この道の研究家たちによって、袋だたきにあいそうなので、やはりこの話は、ここまで。
久しぶりに、骨太の短編小説を読んだ。
おもしろかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●『恋するベーカリー』

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メリル・ストリープの出る映画は、
『マジソン郡の橋』以来、すべて観ている。
で、昨夜は、『恋するベーカリー』を
観てきた。

星は2つか3つの、★★。

もちろん深夜劇場。
が、入ってみて、驚いた。
観客は、私とワイフの2人だけ!
完全、貸し切り!

久々に、2人で、ああでもない、
こうでもないと、ペチャペチャと
しゃべりながら、映画を観た。

帰ってきて時計を見たら、深夜の
0時を過ぎていた。

今までにたくさんの映画を観てきたが、
観客が、私たち2人だけというのは、
はじめて。
それだけに、今回の映画は、特筆すべき
映画となった。

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●パソコン

 生徒(小4)の母親から、「息子にパソコンを買ってやってほしい」と頼まれている。
そこで選んだのが、TOSHIBAのMX33。
雑誌などでも、評価が高いパソコンである。
標準バッテリーだけで、9時間半も作動する。
私も以前から、ほしかった。

 で、近くの店で買うと、安いところで、7万6000円前後。
駅前のBショップでは、7万9800円。
が、ネットで買うと、4万5000円。
この差額は大きい。
約半額!

 今日、もう一度値段を確認に、その母親に了解してもらったあと、注文を出すつもり。
言い忘れたが、私も買う。
カラバリ(色)は、赤、黒、白の3色。
私は白、その生徒は黒。
楽しみ。

 ところでパソコンというのは、バリバリ使って、使い倒す。
使って使って、使いまくる。
磨いて、飾っておくものではない。
保証期間中に故障が起きたら、即、修理。
どうせ1~2年で、使い物にならなくなる。
(2月23日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

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