2010年2月9日火曜日

*So-called "Game Brain"

●老後問題(意識と制度)

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いくら意識はそうであっても、制度が
それに伴わないときは、意識にブレーキを
かける。
あるいは制度を、変えていく。
当然のことではないか。

昨日も渋滞で車が止まったとき、ふと
横を見ると、一組の家族がみなで、塀の柵を
なおしていた。
父親と思われる、70歳前後の男性が、小さな
斧で、柵を壊していた。
その横に、その息子夫婦と思われる男女が、
新しい材木を並べ、寸法を測っていた。

「いい光景だなあ」と私は、思った。
昔は、こうした光景はどこでも見られた。
当たり前の光景だった。
しかし今は、珍しい。

つまり老人は、家族とともに暮らし、その
家族に守られて生活していた。
とくに介護施設などなくても、何も問題は
なかった。
もちろん家族はそれなりにたいへんだった
だろう。
が、しかしこうした生活の延長線上に、
老人たちの老後があった。
老人たちは動けなくなるまで、家族の
ために働いた。
そういう姿を家族も見ているから、
親が動けなくなったからといって、
冷たくあしらうということは、なかった。

私の生まれ育った家族も、そうだった。

が、日本人のばあい、意識だけが変わってしまった。
欧米化したということになるが、逆に
欧米化していない部分を、否定するように
なってしまった。
「老人がさみしい思いをするのは、自業自得」と。

家族はバラバラになり、老人たちだけが取り残されてしまった。
この先、じゅうぶんな介護も受けられないまま、
独居老人になる人は多い。
孤独死ということにも、なりかねない。
私がそうなるかもしれない。
私のワイフがそうなるかもしれない。

そういう現実を目の前にすると、今までの教育は
これでよかったのかと、改めて考えなおしてしまう。

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●制度の改革

 現在の介護制度は、おかしい。
たしかにおかしい。
本当にそれを必要とする人は、その恩恵をほとんど受けられないでいる。
その一方で、それほど必要としないと思われる人が、過分な恩恵を受けている。

 私の知人に、こんな夫婦がいる。
夫は長く、医療機関で事務長をしていた。
妻は、公的機関で、「長」のつく仕事をしていた。
だからこそそれができるのだろうが、現在、2人は、有料の老人ホームへ入居している。
高級マンションのような住居で、もちろん3食つき。
医療介護つき。
月額、2人で、35万円前後の生活費(部屋代が5万円、食事代が15万円x2)
だそうだ。

 もちろん自宅はある。
その自宅へ、週2回ほど、帰ってくる。
その日に合わせて、訪問介護の人がやってきて、掃除や洗濯をしてくれる。
夏の暑いときや、冬の寒いときは、老人ホームで寝泊まりする。
しかし春や秋の、過ごしやすい季節のときは、老人ホームを出て、自宅で寝泊まりする。

 現在、ともに84歳。
すでに30年近く、年金生活をしていることになる。
(30年だぞ!)
夫のほうは、歩くのが少し難儀になってきたようだが、妻のほうは、まだ自動車を
運転している。
あとは毎日、趣味三昧。

 この夫婦のばあい、死ぬまで、「豊かな生活」が保証されている。
その有料施設の横に、特別養護老人ホームが併設されている。
いよいよというときは、そのままその特養へ、移動できることになっている。
言い忘れたが、子どもはいない。

そういう人たちがいるのを知ると、「介護制度とは何か」と、またまた考えてしまう。
もちろんそういう人たちが、悪いというのではない。
「制度がおかしい」と、私は言っている。

●独居老人

 『平成18年度の数字を見てみると、「高齢者世帯数」が約840万世帯で、全世帯の約17・8%を占めるようになった』という(厚生労働省の平成18年度国民生活基礎調査・現実にある出来事HPより)。
その数は、1986年の、約3倍!
そのうちの何割かが、独居老人ということになるが、同時にそれと並行して、いわゆる「孤独死」の問題があることを忘れてはならない。
死後、2週間前後で発見される人が多いという。

 こう書くと、「私はだいじょうぶ」と考える人がいるかもしれない。
しかし現在、40代の人が高齢者になるころには、3人に約1人が、その高齢者になる。
つまり1人の高齢者を、2人の若い人たちが支えることになる。
が、それは無理というより、不可能。
特養に入居している老人たちにしても、現在、1人あたり、月額30数万円の税金が、
投入されている。
今後、独居老人はふえる。
同時に、孤独死を迎える老人もふえる。
が、それはあなた自身の未来像に、ほかならない。

●では、どうするか

 2つの方法が考えられる。
ひとつは、家族を、いつも呼び寄せられる範囲に置くという方法。
そういう環境にある老人を、「呼び寄せ老人」というらしい(同HP)。

 もうひとつは、『・・・福祉先進国と呼ばれているスウェーデン。スウェーデンには「呼び寄せ老人」に該当する言葉はないそうで、この国ではどんな過疎地でもホームヘルパーが活躍しており、年老いても独り暮らしができる環境が整っているそうです』(同HP)という方法。

 つまりホームペルパー制度の充実ということになる。
現在この日本でも、独居老人を定期的に巡回訪問している自治体がある。
マンション単位で、住人が話し合って、巡回訪問しているところもある。
いろいろな方法があるが、大切なことは、「独居老人」を、「独居」にしないこと。
週に2回、「こんにちは!」と声をかけてくれる人がいるだけでも、老人は、救われる。
孤独をいやすことができる。

 どうであるにせよ、私たちの未来は、暗い。
だから私は、「いい光景だなあ」と思った。
昔は、どこにでも見られた光景である。
「昔」といっても、ほんの一世代前。
その一世代だけで、日本は、こうまで変わってしまった。
「日本」といっても、日本人が変わってしまった。

 現在(09年)、「将来、どうしても親のめんどうをみる」と考えている若者は
30%もいない(内閣府調査)。
残りの多くは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
もちろん「親のめんどうなど、みない」と考えている若者も多い。
つまり制度がともなわないまま、日本人の意識だけが先行して変わってしまった。
が、それでは困る。
「ブレーキをかける」と冒頭で書いたのは、そういう意味である。

●終わりに・・・ 

 あなたの息子や娘は、こう言うにちがいない。
「私という息子や娘が幸福になるというのに、親に、何が文句があるの?」と。
「親というのは、息子や娘が幸福になることだけを考えればいい」とも。

 もう10年近くも前のこと。
同じような意見を私がエッセーに書いたら、恩師のTK先生は、その返事として、こう
書いてきた。
「老人向きの意見ではありませんね」と。

 そのときは、私は、その意味がよくわからなかった。
「老人であろうと、親は親」と考えていた。
が、今は、その意味がよくわかる。
同時に、強烈な不公平感を覚える。

 何度も書くが、私は、結婚前から、収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。
私だけが特別というわけではない。
それ以前の、つまりもう一世代前の若い人たちは、みな、そうしていた。
が、今は、逆。
ほとんどの親たちは、子どもの学費で貯金を使い果たしてしまっている。
老後の資金など、さがしても、ない。
どこにも、ない。
だから私たちの世代を、「両取られの世代」という。
親から取られ、子どもたちから取られる。

良好な人間関係があれば、まだ救われる。
しかしそんな関係を築いている親子など、これまたさがさなければならないほど、
少ない。
親というより、子どもたちのほうに、その意識がない。
ささいなトラブルを理由に、「私は親とは縁を切りました」などということを、平気で
口にする。

 家庭教育とは何か?
私たちはもう一度、原点に立ち返って、この問題を考えなおしてみる必要がある。
さて、あなたはだいじょうぶか?


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●ゲーム脳

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「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10-02-08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」との問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

●韓国→中国→日本?

 韓国で、ゲーム中毒の子ども(若者)が問題になりはじめて、すでに10年近く
になる。
中国の現状については、ここに産経新聞が取り上げているとおり。

 では、この日本ではどうか?
この日本での現状は、どうなのか?
が、不思議なことに、この日本では、ほとんど問題になっていない。
話題にすら、ならない。
韓国や中国では問題になっている。
が、この日本では、ほとんど話題にすら、ならない。
????

 実は、この日本では、ゲームを批判すると、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
10年ほど前、私が『ポケモン・カルト』(三一書房)という本を書いたときも、
そうだった。
出版社だけではない。
私のところにも、電話や手紙、ハガキが殺到した。
名古屋のCラジオ局では、1週間にわたって、賛否の討論がなされたという。
(そういう番組があったことは、あとになって知った。)

 ゲーム脳という言葉を使った、M教授のところでも、同じようなことが起きたという。
つまりこうした(現象)は、それが話題になる前に、カルト化した信者たちによって
封殺されてしまう。
マスコミ自体が、どこかでゲーム産業と関係している。
あの『ポケモン』にしても、(テレビ)(雑誌)(玩具)の3つの分野の世界が、まさに
三位一体となって、生まれた。
批判どころか、「これがマルチ・メディアの成功例」と、もてはやされた。

 しかしゲーム脳はさておき、現象としての「ゲーム中毒」の子ども(若者)たちは、
この日本にもいると考えるのが自然。
「精神障害をきたしている」(産経新聞)子ども(若者)たちはも、多いはず。
そういう(現象)をみれば、「ゲーム脳などいうのは、学問的に証明された脳ではあり
ません」と説くほうが、おかしい。
学問的に証明されるのを待っていたら、それこそ、日本中の子ども(若者)たちの脳が
おかしくなってしまう。

 私がここに書いたことがおかしいと思うなら、もう一度、この産経新聞の記事を、
じっくりと読み返してみたらよい。
あの中国ですら、その(現象)が起きている。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

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