2012年12月16日日曜日

マガジン(12-17日号、2012)byはやし浩司


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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     12月 17日号

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
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12月17日(月曜日)
 
午後7:25分・NHK教育・「合格の花道」
コメンテイターとして、少しだけ意見を述べることになっています。
(カットされていなければ、の話ですが……)
 
どうか、ご覧下さい。
 
はやし浩司
 
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 

【今日、あれこれ】(はやし浩司 2012-12-15)

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

時間がほしい。

時間が足りない。

が、運動もしなければならない。

やりたいこと、すべきことは山のようにある。

が、その一角すら、崩せない。

このほどかしさ。

この歯がゆさ。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

○1日1作

 

 今日は土曜日。

このところの睡眠不足がたたった。

朝から、頭が重い。

加えて、眠い。

 

 昨日はじめて、『1日1作』が破れた。

ビデオを1日1作と、決めている。

その1作が、できなかった。

とくに理由はない。

平たく言えば、サボった。

 

○国政選挙

 

 で、今日はゆっくりと起きた。

「ゆっくり」と言っても、午前7時。

慢性的な睡眠不足を解消するまでには、ならなかった。

いつもは午前5~6時。

そのころ目が覚める。 

 

 明日は国政選挙。

まだ、どの政党に投票するか、決めていない。

どこにしようか。

明日、投票所で決める。

それにしても、今回の選挙はむずかしい。

 

……というような話をしながら、ワイフと朝食。

我ら浮動票層。

そのときどきに、その場で決める。

 

○山添村の巨石

 

 朝食後、ビデオを1作、作った。

『山添村の、謎の長寿岩』。

ざっと見たとき、仁徳陵と法隆寺とつながった。

調べてみると、ドンピシャの一直線。

あとは簡単だった。

 

 が、山添村の巨石の謎は、あの直線。

明らかに人工的。

あれほどまでに明確な証拠はない。

つまり異星人がいるという、明確な証拠はない。

が、それを本気で調べようとする学者さえいない。

 

 ……直線は、溝(みぞ)を直角に彫り、その中に、別の岩石を溶かして流し込んである。

融解温度は、粘性の強い岩石で、800度前後。

玄武岩などは、1200度前後。

だいたい1000度前後と覚えておくとよい。

 

鉄でもよいが、岩石との親和性がよくない。

それに鉄は、さびる。                                                                      

ついでながら鉄の融解温度は、1500度前後。

 

 どうしてもっと詳しく調べないのか?

異星人を認めることに、何か、つごうの悪いことでもあるのか?

が、それこそまさに、謎!

 

 が、本当の謎は、長寿岩なるものが、なぜそこにあるか?

位置的に、伊賀盆地の基点(datun point)ということになる。

が、伊賀盆地に遺跡があるという話は、聞いたことがない。

 

○1万9000円!

 

img708

 

 私が書いた『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)が、1万9000円~で、取り引きされている。

AMZONコムで調べたら、そうなっていた。

ボロボロの中古本が、である。

うれしいというより、驚いた。

我が家にも、その本は、もう5~6冊しか残っていない。

そんな本が、1万9000円!

 

 初版で5000冊刷ったから、2万円x5000冊で、1億円。

「フ~~ン」と思ったまま、言葉がつづかない。

あの本は、東洋医学の世界では、3大名著のひとつということになっているという。

どこかの教授が、そう話してくれた。

 

 私としては、ド素人の本とバカにされないよう、原書に忠実に書いただけ。

出典を、各ページ、すべてに明記した。

それが、『目で見る漢方診断』。

 

が、37歳で、あの世界から足を洗った。

筆を折った。

が、無駄ではなかった。

当時の私は、15年、無駄にしたと思っていた。

が、それが無駄ではなかった。

 

○『謎と線』

 

 内容としては、現在取り組んでいる、『古代文明をつなぐ謎の点と線』のほうが、はるかにおもしろい。

中身も濃い。

しかも底なし。

 

 東洋医学はもちろん、宗教論、教育論より、はるかにおもしろい。

ただ残念なことに、そういうビデオは理解されがたい。

多くの人は、私のことを変人か何かのように思っているにちがいない。

その気持ちは、よくわかる。

1年どころか、半年前の私だったら、そう思っただろう。

つまり私が書いているような人を知ったら、そう思っただろう。

 

 が、今はちがう。

世界観が一変した。

 

○伊賀遺跡

 

 先に「伊賀盆地に遺跡が……」という話は、私のまちがいだった。

たった今、ネットで調べてみると、こんな記述のあるサイトが見つかった。

 

 『……今回は、伊賀市富永の北切(きたぎり)遺跡で発見された方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)について述べてみよう。

同遺跡は、伊勢と伊賀を分ける布引山地から流れ出る服部川左岸の段丘上に形成された弥生時代から中世にかけての複合遺跡である。

富永地区は、狭隘な地形が複雑に入り組む伊賀盆地内にあって比較的まとまった平坦地が広がる地域で、水田や畑地がよく発達している。

新大仏寺や伊賀街道の平松宿も置かれており、古くからよく知られたところである。

1983(昭和58)年度のほ場整備事業に先立って、工事の関係で破壊が予想される約5000平方メールを発掘調査した』(「歴史の情報蔵」サイトより)。

 

 さらに調べてみると、才良の石山古墳というのも見つかった。

「石山」という名前からして、実にそれらしい。

 

 が、ここで驚いてはいけない。

 

 仁徳陵と法隆寺、それに山添村の巨石は、真直線でつながっている。

そのほぼ延長線上に、才良の石山古墳がある。

石山古墳。

今日の段階では、おおまかな位置しかわからない。

月曜日なれば、電話で、現地の人に確認できる。

楽しみ。

 

○才良の石山古墳

 

 またまたおもしろくなってきた。

今度は、伊賀盆地。

この世界、何が出てくるか?

一寸先は、まさに謎、謎、また謎。

が、何が出てきても、山添村の巨石と関係がある。

大きな岩に切り込みを入れ、ちがった種類の岩石を溶かして流し込む。

そんな技術など、当時の人にあるわけがない。

いいか、1000度だぞ!

 

 しかもこれは、ハリーポッターのような作り話ではない。

小説でもない。

現実。

事実。

 

○夜中に頭痛

 

 寝る前に、ワイフとDVDを見た。

それがよくなかった。

夜中に偏頭痛。

薬を飲む。

しばらく体を起こす。

で、そのまま居間へ。

 

○ノルマ

 

 30分ほどで、偏頭痛は消えた。

が、そのままパソコンを叩くことに。

今、時刻は、午前1時20分。

 

 まだ今日(実際には昨日)のノルマを果たしていない。

毎日、10枚の原稿を書く。

それがノルマ。

(ビデオ作りをする前は、1日、20枚以上と決めていた。)

 

 現在、たったの5枚。

この分だと、明日のマガジン発行までに、原稿が間に合わない。

マガジンは、毎回20枚前後と決めている。

がんばろう。

2~3時間もあれば、残り15枚ほどは、書けるはず。

 


 

 昨夜(12-15)、この山荘へ来るとき、ワイフとこんな話をした。

「女性は、なぜ化粧をするか」と。

 

 言うまでもなく、男を引きつけるため。

が、それに対して女性であるワイフがこう言った。

「それもあるけど、同性の間で優越感を覚えるためにも、するのよ」と。

 

 ナルホド!

 

 そういった感覚は、男にもある。

有名人になることによって、女を引きつける。

同時に、同性の間で優越感を覚える。

では、ファッションは、どうか?

 

 若い女性は、大胆な衣服を身に着ける。

太ももを、あらわにする。

胸元を大きくあける。

これなどは化粧というより、挑発。

女性は、無意識であるにせよ、男を挑発する方法を、すでに知っている。

男の欲情をかきたてる。

 

 が、このところふえてきたのが、幼児ルック。

20歳前後の女性が、幼児そのままの服装をする。

心理学の世界では、「退行性」という言葉を使って説明する。

要するに(おとなになりきれない、おとな)。

昔は、ピーターパン・シンドロームと言った。

それについて書いた原稿があるはず。

 

○ピーターパン・シンドローム

 

 日付は、2004年の2月になっている。

「そんな昔だったのか」と驚く。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

●ピーターパン・シンドローム

 ピーターパン症候群という言葉がある。

日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。

いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパン・シンドローム」から生まれた。

もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着などがあげられる。

体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わがまま。

就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。

さらに親への依存性がとくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。

「パラサイト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間がふえているということ。

ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はたまたパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。

そしてむしろ、そういう若者が、(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

さらには、そういう若者が結婚し、子どもをもつ。そういうこともある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかもしれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。

親に対して、無意識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。

このわだかまりが、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。

親の家計を圧迫する親の生活をかき乱す。そしてそれが結果として、たとえば(給料をもらっても、1円も、家計には入れない)という症状になって現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみる。

親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うまくできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。

そのため子どもは、親の前では、いつも仮面をかぶるようになる。

ある父親は、こう言った。

「あいつは、子どものときから、何を考えているか、よくわかりませんでした」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。

こうした一方的な育児姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということになる。

もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。

このタイプの子どもは、そうした感情表現が、うまくできない。

そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげている。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。

生活態度がだらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。

一見、親に対して従順なのだが、その多くは仮面自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。

親自身にその自覚がないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。

が、それ以上に、この問題は、家庭という子どもを包む環境に起因している。

親子関係もそれに含まれるが、その家庭のあり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。

全体としてみても、うち何割かがそうではないかと思えるほど、多い。

そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。

ダン・カイリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どうするか?

 親のスネをかじるだけ。

かじっても、かじっているという意識さえない。

それを当然のように考えている。

そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。

あなたが少しくらいがんばったところで、どうにもならない。

そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。

その上で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。

しかしかろうじてだが、一つだけ、方法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。

しかしこのばあいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。

脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。

静かに時間を待てばよい。

(040201)((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ピーターパン・シンドローム)

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

○8年前

 

 2004年と言えば、猛烈に原稿を書いていたころ。

毎日が、時間との勝負だった。

10分でも時間があけば、パソコンを叩いていた。

何をしても、とにかく時間が足りなかった。

今も基本的には、何も変わっていない。

『謎の点と線』にしても、謎はつぎつぎとわいてくる。

今、現在も、3つの謎解きを、同時進行で、進めている。

 

 が、ここで誤解しないでほしい。

謎解きそのものは、簡単。

問題は、そのあと。

つまりビデオ作り。

それに時間がかかる。

5分足らずのビデオを作るのに、数時間かかることも珍しくない。

プラス、YOUTUBEにUPするのにも、時間がかかる。

それで毎晩、床に就くのが、午前様になる。

 

 ア~ア、時間がほしい。

時間が足りない。

 

 昨夜も、この山荘へ来る途中、コンビニに寄った。

入り口のところで、年賀状を売っていた。

それを見て、こう思った。

「めんどうだな」と。

で、昨夜も、買わなかった。

いやなことは、後回し……というより、今の私には、その時間がナ~イ。

 

○ピーターパン・シンドローム

 

 こう決めてかかるのもどうかと思う。

思うが、幼児ルックを好んで求める女性は、それだけ精神の発育が遅れているとみてよい。

心理学の世界では、人格の完成度を問題にする。

年齢相応の完成度があれば、それでよし。

そうでなければ、退行しているとみる。

そう言えば、15年ほど前、こんな70歳前後の女性がいた。

どこかの大会社の社長夫人だった。

しゃべり方に特徴があった。

つまり、幼児風。

服装も、幼児風。

何もかも、幼児風。

 

 きわめて珍しいタイプの女性だったので、テレビにもよく出てきた。

出てきて、こう言った。

 

「オトウチャマ(=父親様、夫のこと)が、ね、私をかわいいと言ってくれるのよ」と。

甘ったるい、ネチネチとした言い方だった。

こういう現象をさし、「日本人、ウーパールーパ説」が生まれた。

それについて書いた原稿もあるはず。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

【ネオテニー進化論・幼児成熟の問題】

若い人たちの日本語

 このところBLOGやYOUTUBEへのコメントが、多くなった。
ほとんどは好意的なものだが、中には辛らつなものもある。
そういうコメントを読んでいると、ふと、こんな疑問が湧いてくる。
最近の若い人たちは、きちんとした日本語が話せるのだろうか、と。
「書けるのだろうか」でもよい。
さらにもうひとつ、気になることがある。
文そのものが、破滅的。

 たとえば昨日も、こんなコメントが寄せられた。
私が、『伸びる子vs伸び悩む子』というタイトルで話した、YOUTUBEについてだが、こうあった。
「こんなことで、決められるのかよオ」と。

 たったそれだけ。
禅問答のようでもある。
謎かけ問答のようでもある。

 私はそのYOUTUBEの中で、スタンフォード大学でなされた、『マシュマロテスト』について話した。
あのテストは、1960年代になされ、その後も詳細な追跡調査がなされている。
信頼性はきわめて高い。
もしこうしたテストを否定するというのであれば、では研究とは何かということになってしまう。

 それはそれとして、こうしたコメントを整理すると、こうなる。

(1)きわめて短文(文章になっていない)
(2)相手の心をズバリと一撃する(イヤミ)
(3)論理性がない(非ロジカル)
(4)全体に、謎かけ的(勝手に判断しろと、内容が攻撃的)

 この中で「イヤミ」という言葉を使った。
そのイヤミを平気で口にしたり、文にしたりできる人というのは、かなり心のゆがんだ人とみてよい。
つまり今、そういう若い人たちが、ふえている。
こうした特徴を反対側から整理すると、こうなる。

(1)長い文章が書けない(文章がつながらない)
(2)説得力のある文章が書けない(短絡的、直情的、直感的)
(3)思考が支離滅裂(ロジカルなものの考え方ができない)
(4)建設的な意見をまとめることができない(破壊的、否定的)

 もっともこういう人たちは、全体の中の一部?
が、気になるのは、ネットユーザーの中に、そういう人たちが多いということ。
つまりこの先、ネット社会が普及すればするほど、そういう人たちがふえてくる(?)。

直情的、短絡的

 幼児に、こんな質問をしてみる。

「あなたがブランコに乗っていたら、分からず屋のA君が、ブランコを横取りしようとしてきました。
そのときあなたなら、どうしますか?」と。

 これに対して、「横取りはだめと話す」とか、「順番に乗る」とか、そういうふうに考えるのが、常識的。
しかし中には、「そういう分からず屋は、ぶん殴ってやればいい」とか答える子どももいる。
ものの考え方が、直情的かつ短絡的。
ものごとを冷静に、かつロジカルに考えることができない。

 実は、昨日も、こんなことがあった。

 この1週間、発砲スチロール製のパイプ様の棒を教室に置いておいた。
チャンバラごっこをするためである。
が、この遊びはチャンバラごっこというよりは、幼児に自信をつけさせるためにする。
わざと私のほうが負けてみせる。
それによって幼児たちは、「先生をやっつけた」という自信をもつ。
どこか自信喪失気味の子どもには、効果的。
そのあと、見違えるように、積極的になる。

 で、その棒を使って、小6の子どもたちに剣道の基本を教えた。
私は学生時代、柔道をずっと習っていた。
その余力で、剣道にもかなり詳しい。

 で、一通り、それを説明し、「さあ、勉強しよう」と棒をテーブルに置いたとたん、後頭部から一撃。
強烈な一撃だった。
しかも水平打ち。
剣道では、禁じ手である。

 ほんの少し耳をはずれたからよかったもの、まともに当たっていたら、私は鼓膜を破られていたはず。
振り返ったら、S君がニヤニヤと悪びれた様子もなく、そこに立っていた。
私は思わず、「何てこと、するんだ!」と怒鳴りつけた。
が、しばらくは怒りが収まらなかった。

 もともと過剰行動性のある子どもだったが、まさか背後から、力一杯襲いかかってくるとは思っていなかった。
実のところ、こういう子どもが、いちばん、恐ろしい。
ものの道理がわからない。
自己管理能力が弱い。
行動が衝動的で、突発的。

 行動と思考とは、そういう点で連動している。
相互に密接にからみあっている。
相手がまだ私だったからよかった。
もしこれが生徒だったら……
それで私の教室は閉鎖……ということにもなりかねない。

作文力

 今さら手遅れかもしれない。
アメリカなどでは、読書力、作文力が教育の柱になっている。
小中学校にも、「Library(読書)」という時間がある。
その教科だけは、学士号ではなく、修士号をもった教師が指導に当たっている。
つまりそれだけ重要視されている。

 が、この日本では、作文力は、ほとんど問題にされていない。
指導するとしても、受験塾が受験対策として、それをしている。
だからというわけではない。
日本語の特性というか、日本語というには、ウーパールーパー的なところがある。
日々にどんどんと変化していく。
文法などあって、ないようなもの。
文法だけではない。
言葉そのものも、変化していく。

 あと20~30年もすれば、今、私がここに書いている文章にしても、辞書なくして読めなくなるかもしれない。
それは日本の文化にとっても、「熟成」という観点からしても、たいへん悲しむべきことと言ってよい。
若い人たちは、先人の知恵や経験を、そのまま生かすことができなくなる。

コメント

 辛らつなコメントだったが、私は、もう慣れた。
どうせその程度の文しか書けない人たちである。
本気で相手にする必要はない。
それに先にも書いたように、心はすでに壊れている。
気づいていないのは、本人だけ。
書きたければ書けばよい。
私のほうは、何も考えず、削除するだけ。

 「こんなことでいいのかなあ」という思いは残るが……

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 作文力 作文力を失った若者たち)

Hiroshi Hayashi
++++++はやし浩司

(注)ウーパールーパー(ネオトニー進化論・幼児成熟)

 以前、別の角度から、ウーパールーパーについて書いた原稿をさがしてみる。

ネオテニー進化論ともいう。

Hiroshi Hayashi
++++++はやし浩司

原始反射(2006年7月の原稿より)

++++++++++++++++

赤ちゃんには、赤ちゃん特有の反射
的運動がみられる。

これを、「原始反射」と呼ぶ。

++++++++++++++++

 二男の娘(私の孫)が生まれて、もう2か月になる。

名前を芽衣(Mae)という。最近、やっと漢字の名前が決まった。

 その芽衣を想像しながら、改めて心理学の本(心理学用語辞典・かんき出版)を、ひもとく。乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。

たとえば、赤ちゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。

 これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、生後3~4か月で、消失してしまうことが知られている。

 その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。

 バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。

 赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。

ドイツのモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。

 口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にくわえようとする現象をいう。

 自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そうとする。

これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。

 マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象をいう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2~4週間で、長くても、8~10か月で消失すると言われている。

で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。

赤ちゃんには、赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。

 もうひとつは、前にも書いたが、いわゆるネオトニー進化論の問題である。

その原稿は、このあとに添付しておくが、要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こうした現象となって、現れるのではないかということ。

 本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。

つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。

初期のころには、魚のような形にもなるという。

その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れる(?)。

 もしあなたに、今、赤ちゃんがいるなら、一度、この原始反射を試してみるとよい。

何かの新しい発見ができるかもしれない。

Hiroshi Hayashi
+++++++++++はやし浩司

日本人は、未熟な民族?

そんなことを考えさせられるのが、
ネオテニー(幼児成熟)進化論である。

+++++++++++++++++++

幼児性の持続(ネオトニー進化論)

 人間は、ほかの動物たちとくらべても、幼児期から少年少女期までの期間が、著しく長い。

鳥の中には、孵化すると同時に歩き始め、エサを自分で食べ始めるのもいる。

 つまり人間は、未熟なまま、生まれる。

そしてその分、親(とくに母親)の手厚い保護を受けなければならない。

 ……という話は、常識だが、同じ人間でも、種族によって、その「期間」が違うのではないか。

 私自身も、幼稚ぽいところがあったが、35年前に、オーストラリアの大学へ留学したとき、向こうの学生たちが、みな、私よりはるかにおとなに見えたのには、驚いた。
本当に、驚いた。
「これが同じ大学生か!」と。

 で、以来、ときどき、私は、この問題を考える。
こうした「違い」は、なぜ生まれるのか、と。

 それについては、いろいろな説がある。
欧米と日本とでは、子育てのし方そのものが違うという説。

日本では、元来、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子と位置づける。
が、欧米には、そういう考え方は、ない。
ないものはないのであって、どうしようもない。

 つまり、欧米では、子どもは、生まれながらにして、1人の人格者として、扱われる。

育てられる。

 ……というふうに、私は考えてきた。しかしそれだけでも、ないのではないか。

 昨夜も、バラエティ番組なるものを、かいま見た。20~25歳前後の若い女性が、10~15人ほど、そこに並んでいた。

私は、その若い女性たちの顔を見て、あ然とした。

 幼稚顔というよりは、まさに幼児そのもの。
Sというよく知られた、司会者(お笑いタレント)に誘われてあれこれ意見を述べていたが、「これが20歳を過ぎた女性の意見なのだろうか」とさえ、思った。

 一説によると、私たち日本人は、欧米人と比べても、幼児性を残したまま、おとなになる遺伝子をもっているという。
生まれてからおとなになるまでの期間が長いとも解釈できるし、反対に、精神的におとなになりきれないまま、体だけはおとなになるとも解釈できる。

 前者の説をとるなら、日本人は、それだけ教育期間を長くしなければならないということになる。
後者の説をとるなら、日本人は、民俗学的(生態学的)に、未熟な人間ということになる。
さらに恐ろしい意見もある。

 日本人の子どもの前頭連合野の発育が、以前よりも、未熟になりつつあるというのだ(沢口俊之著「したたかな脳」日本文芸社)。そのため、

「以前は、小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないというのが、現状です。

 これは状況を判断する力や、自己をコントロールする力が衰退しているということ、すなわち、自分の行動を積極的に制御する脳の機能が未熟になっていることを示しています」(同、P131)と。

 「小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないというのが、現状です」という澤口氏の意見には、「?」を一つ、つけたい。

が、しかし、年々、子どもたちが幼稚化しているのは、私も感ずるところである。

 とくに男児の幼稚化が著しい。たいはんが、どこかナヨナヨしていて、ハキがない。

 で、こうして、子どもたちは、幼児性(幼稚性)を残したまま、おとなになる。
あるいはおとなになりきれないまま、おとなになる。

 一般論として、子どもというのは、その年齢になると、その子どもの年齢にふさわしい、「人格」が育ってくる。

「核」というか、(つかみどころ)ができてくる。
その年齢に比して、「子どもっぽく見える」というのは、日本では、あまり問題視されないが、国際的に見れば、決して、好ましいことではない。

 そこで全体として、たとえば高校生や大学生をみると、日本の高校生や大学生は欧米の子どもたちと比較すると、かなり子どもっぽいのがわかる。
澤口氏の説によれば、つまりその分、大脳前頭連合野の発達が、未熟(?)ということになる。

 こうした違いが生まれるのは、教育によるものなのか。

それとも遺伝子によるものなのか。

 「したたたかな脳」の著者の澤口氏は、「ネオテニー」という言葉を使って、日本人の幼児性を説明する。

 「ネオテニーとは、(幼児成熟)、つまり幼い時期の特徴をもったままで成熟し、繁殖することをいいます。

 その有名な例は、アホロートル(ウーパールーパー)です。
アホロートルは、サンショウウオの一種で、サンショウウオは、両生類です。

 ですから幼生期に水中でエラで呼吸し、成長すると、変態して、肺で呼吸するようになり、陸上で生活します。

 ところがアホロ-トルは、変態しません。

つまりエラをもったまま、つまりは幼生期のまま、水中で生活します。

繁殖も幼生期のままの姿でします。

いってみれば、カエルがオタマジャクシのままで、卵を産んでしまうようなものです。

 これをヒトにあてはめて考えた進化論が、「ネオテニー進化論」です。

(中略)

 ネオテニー化が進むということは、進化の過程で、ヒトがネオテニー的な特徴をより多く、身につけてきたという意味です。

 ネオテニー的な特徴とは、単純な言い方をすれば、外見的に、子どもぽいとか、未熟だとかいうことです。
このような身体的な特徴から見ると、ヒトの大人は、幼児の姿をとどめたまま成熟したチンパンジーのようにも見えます。

 そしてアジア人(モンゴロイド)が、年齢よりも若く見えるのは、より多く、ネオテニー的な特徴を備えているということです。
とくに日本人は、幼くみえるようです」(同書、P133~)と。

(わかりやすく言えば、欧米人は、たとえていうなら、サンショウウオ。

アジア人は、幼児成熟なままで発育が止まっている、ウーパールーパーということになる。)

 ナルホドと思ったり、そうだったのかと思ったり……
日本人は、極東の島国で生活し、他民族のように、「血」の交流をほとんどしてこなかった。
その結果、モンゴロイドとしての特徴が、そのままより色濃く残ってしまったのかもしれない。
骨相学的に見ても、日本人の骨相(顔)が、悲しいかな、世界で一番、貧弱だと言われる理由も、そこにある。

 それはさておき、澤口氏の意見に従うなら、私たち日本人は、日本人のあり方そのものを、基本的な部分から、考えなおさなければならない。
短い足や、貧弱な骨相はともかくも、人格的な完成度という意味では、考えなおさなければならない。

 そしてそれが教育でカバーできるものであれば、「教育」そのものも考えなおさなければならない。

澤口氏の言葉を借りるなら、「状況を判断する力や、自己をコントロールする力」を、どうやって養うかということにもなる。

 昨日、静岡市での講演に出かけるとき、駅構内で購入した本だったが、おもしろかった。
久々に、頭の中で、火花がバチバチと飛ぶのを感じた。興味のある方は、どうぞ!

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○考える力

 

 考える力イコール、作文力と考えてよい。

子どもの教育においては、とくにそうである。

子どもの勉強は、作文に始まり、作文によって終わる。

あのモンテーニュ(フランスの哲学者、1533~92)も、こう書き残している。

 

「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

(思考と情報が混同されるとき)

 

●人間は考えるアシである

 

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』とも。

よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、別のことである。

たとえばこんな会話。

 

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も考えていない。

脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

 

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。

しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはならない。

算数ができるということにはならない。

 

●考えることには苦痛がともなう

 

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。

そのためたいていの人は、無意識のうちにも、考えることを避けようとする。

できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。

 

あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。

私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。

その人はこう言った。

「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

 

●人間は思考するから人間

 

 人間は、考えるから人間である。

懸命に考えること自体に意味がある。

デカルトも、『われ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。

正しいとか、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。

こんなことがあった。

 

 ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。

「何をしているの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。

その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。

 

 おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。

つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

 

●知識と思考は別のもの

 

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。

混同したまま、子どもに知識を身につけさせることが教育だと誤解している。

「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

 

 それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。

かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。

 

 もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。

頭のよし悪しも関係ない。

 

 映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。

「バカなことをする人の ことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。

ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

 

(付記)

 

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。

明治の昔から、「詰め込み教育」が基本になっている。

さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。

 

 つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子どもをつくるのが基本になっている。

 

 もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。

日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常識。

 

 ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。

自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。

自分で考え、横並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・九八年)と警告している。

 

●低俗化する夜の番組

 

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっているのがわかる。

しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。

 

 思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。

人によっては本当に頭が痛くなることもある。

また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。

だから大半の人は、考えること自体を避けようとする。

 

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。

さらに同じことを繰り返して考えるということもある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。

また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。

考えるということは、書くこと。

 

モンテーニュ(フランスの哲学者、1533~92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。

ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

 

○さて就寝

 

 今しがた、フーッと睡魔が襲ってきた。

あくびも、2、3度つづいた。

 

 では、おやすみ。

明日もがんばろう。

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司

 
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
休みます。
 
 
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