2012年2月23日木曜日

YAMATO Museum in Kure Hiroshima Japan

【広島県・呉市まで】(はやし浩司 2012-02-22)

●大和ミュージアムを見学(呉市、大和ミュージアム・旅行記)
   by はやし浩司・晃子・周市

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



●サイト

http://youtu.be/kRfFIEcy9w


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

一度は……と思っていた。
大和ミュージアム。
長さ26メートルの戦艦大和の模型が、飾ってあるという。
一度は、見てみたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●新幹線の中で

 午前7時10分発の、新大阪行きに乗る。
途中、名古屋で乗り換え、広島まで。
目的地は、沖縄……ではなく、広島県、呉市(くれし)。
呉市にある、大和ミュージアム。
「大和」とは、「戦艦大和」のこと。
今日は、そこで10分の1大の、戦艦大和の模型を見る。
全長、26メートル。

 特攻作戦……戦艦大和は、沖縄への特攻作戦の途中で海に沈んだ。
無謀な作戦だった。
が、命令により死んでいった若い人たちに、責任があるわけではない。
当時は、そういう時代だった。
が、その数、3000人あまり(記憶)。
どんな気持ちだったのだろう。
子どものころから、私は、ずっとそんなことを考えていた。

●プラモデル

 動機は2つある。
ひとつは、友人のBT氏が、「一度は行く価値がある」と言ったこと。
「林さん(=私)、一度は、行ってみなさいよ」と。

もうひとつは、息子が、TAMIYAの戦艦大和を完成させたこと。
350分の1サイズ。
巨大なプラモデル。
超精密なプラモデルで、見応(ごた)えがある。
ながめているだけで、ググーッと熱いものがこみあげてくる。

 私は子どものころ、プラモデルをよく作って遊んだ。
飛行機のプラモデルだった。
マルサンという会社から、マッチ箱大のプラモデルが、売りに出されていた。
価格は30円前後だったように記憶している。
今から思うと簡単なものだった。
それを作り、手で持ちながら走り回るのが、たいへん楽しかった。
自分がパイロットになったかのように感じた。

 以来、おとなになるまで、プラモデルとは縁が切れなかった。

●夢

 今朝は、午前6時に起きた。
目覚まし時計が鳴ったとき、私は、ぐっすりと眠っていた。
夢を見ていた。
長い坂があった。
山の頂上から、ふもとまで一直線につづく坂だった。
その坂を、車でおりていく。
そんな夢だった。
ちょうど秋のころで、坂に沿って並んだ街路樹が、美しかった。

 そこで、目覚まし時計が鳴った。
瞬間、「どうして?」と思った。
旅行のことは、忘れていた。

●10分遅れ

 朝、起きるとすぐ、書斎に入った。
昨夜やり残した作業を、簡単にすませた。
が、パソコンが相手だと、簡単な作業でも、いったん始めると20~30分はかかる。
その20~30分が過ぎたところで、ワイフが呼びにきた。

 そそくさとパソコンを閉じ、居間に行く。
ワイフと息子がそこに、待っていた。
予定より10分遅れで、家を出た。
6時40分。

 車で大通りに出た。
深いオレンジ色の朝日が、ちぎれた雲の間から顔を出していた。

●ニュース

 ニュースサイトに目を通す。
このところ真っ先に見るのが、ロイター。
つぎにBloomberg。
この2つは、速報性にすぐれている。

 新聞社が提供しているニュースサイトは、どれも不親切。
新聞記事より新しい記事は、めったに載せない。
気持ちはよくわかるが、ときに、それを意地悪に感ずることがある。

ほかにもいろいろなところから、ニュースを配信している。
TBSや、楽天、それにYahooなど。
が、イマイチ、本気度が足りない。
……ということで、今は、ロイター。

 そのロイターは、ギリシャ問題について、懐疑的な記事を書いている。
数日前の記事では、「時間延ばしにすぎない」と。

 そうでなくてもギリシャ経済は、壊滅的状況。
そこへもってきて、緊縮予算を組めば、どうなるか。
私のような素人にも、容易に想像がつく。

 日本の神奈川県、もしくは埼玉県程度の経済規模しかないギリシャ。
そのギリシャの救済だけで、これほどまでの時間がかかる。
仲間同士で救うことができない。

EUは、たしかに弱体化している。
ギリシャが崩壊すれば、ポルトガル→スペイン→イタリアがおかしくなる。
とりあえずギリシャを防波堤にし、何とか時間稼ぎをしている。

●ポルトガル

 そのポルトガル。
こんなことを言い出した。
「うちにも、同じようにしてくれ」と。

 現在ポルトガルの国債(2年もの)利回りは、13・5%に上昇※。
ギリシャの救済策を横目で見ながら、そう言い出した。
それもそのはず。
借金を、75%近くも棒引きにしてもらえるなら、こんなおいしい話はない。

ポル「いいなあ、ギリシャは……。うちも苦しいよ」
EU「お前のところは、自力でがんばれよ」
ポル「そんなこと言わないで、うちも借金を棒引きにしてよ」
EU「あのなア……」と。

 ギリシャ問題は、ギリシャだけで、終わらない。
今度は、ポルトガルに飛び火しそうな雰囲気になってきた。

 ……悲観的な見方で、申し訳ない。

(注※……ポルトガル、ロイター)

『ラボバンクのストラテジストは「ポルトガルでは、欧州連合(EU)の支援パッケージ条件の再交渉を政府に要請する向きが多い。
これは、ギリシャ債務再編が1度限りのことではないという可能性を示している」と述べた。

 ポルトガルの10年物国債利回りPT10YT=TWEBは18ベーシスポイント(bp)上昇し12.66%。
2年債利回りPT2YT=TWEBは24bp上昇し13.47%となっている』(以上、ロイター)と。

●名古屋

 名古屋で、のぞみ号(700系)に乗り換える。
自由席は、3号車まで。
ほぼ満席。

 その中にあって、計8席も、先取りしている女性がいた。
「ここは?」と聞くと、「来ます」と。
「ここは?」「来ます」、
「ここは?」「来ます」と。
そんな会話を、2、3回繰り返した。

 で、最後に、「いったい、何人、来るのですか?」と私が聞くと、一瞬迷った様子。
明らかにその女性は、ウソを言っていた。
案の定、そのあとやってきたのは、4人だけ(うち2人は子ども)。

 「空きましたから座ってください」と。
その女性はそう言った。
どこかバツの悪そうな言い方だった。

●米原

 米原あたりは、一面の雪景色だった。
ワイフにうながされて窓の外を見た。
美しいというより、寒々とした景色だった。

●悪性リンパ腫

 実は、昨日、行きつけの医院へ行ってきた。
運動のたびに、左わき下が痛む。
数年前からときどきそういう痛みはあったが、おとといは、それがひどかった。
ネットで調べると、「悪性リンパ腫」?

 同じがんの中でも、死亡率はきわめて高い。
で、行きつけの医院へ行った。
長いつきあいになる。
もう40年になる。
会うと、TH医師は、私にこう言った。
「お元気ですか?」と。

 「元気なわけがないだろ」と思ったが、それは言わなかった。
症状を告げると、あれこれと触診をしてくれた。
「リンパ腺は何ともないですなあ」と。

 で、悪性リンパ腫の名前を口にすると、こう言った。
「悪性リンパ腫なら、のどに症状が出ます。すぐわかります。それではありません」と。

 結局、薬ももらえず、そのまま帰宅。

軽くマッサージをすると、痛みはそのまま消える。
動脈瘤のようなものか?
それが腫れて、周囲の血管を刺激する。
……というのが、私の素人診断。

 「今日は、全快祝い」と言って、そのままワイフとレストランへ。

●68歳

 今朝も、近所の人の訃報が、回覧されてきた。
ワイフが「68歳の人よ……」と言って、それを私に渡した。
男性。
喪主が妻になっていた。

 「68歳かア……」と。

 それ以上、言葉がつづかなかった。

●旧約聖書の予言

 旧約聖書には、予言めいたことが、あちこちに書いてある。
それが今、その世界では、話題になっている。
アルマゲドンがどうのこうの、降臨がどうのこうの、と。
数日前も、それを読んでいた。

 が、私は、ふとこんなことに気づいた。
「旧約聖書に書いてあるのは、予言書ではなく、歴史書ではないか」と。
それならば、納得がいく。
つまりこういうこと。

 ……遠い昔、どこかの惑星が、滅びた。
火星なら火星でもよい。
温暖化と、それに伴う水や食料の奪いあい。
戦争につづく、戦争。
大気は汚れ、その結果、火星は、現在の火星になった。

その「記録」が、「予言」と名を変え、地球人に伝えられた。
「お前たちも、教えを守らないと、こうなるぞ」と。
そういうことなら、納得がいく。
つまり「予言」ではなく、「警告」。

 そこで問題なのは、降臨があるのは、前か後かということ。
つまりアルマゲドンの、前か後かということ。
神がやってきて、敬虔(けいけん)な信仰者を救うのは、いつか。
聖職者たちは、聖書の一言一句をこまかく分析し、それを論じあっている。

 が、前でも後でも、どちらでもよい。
降臨したときが、降臨したとき。
アルマゲドンによって、どのみち、ほとんどの人は、それで死ぬ。
私も死ぬ。
あなたも死ぬ。

残念ながら、私はキリスト教徒ではない。
ユダヤ教徒でもない。
神がいても、私など、相手にしないだろう。

●アルマゲドン

 アルマゲドン……もっとも可能性が高いのが、隕石の落下。
惑星との衝突も考えられる。
何でも「(そのとき)、天から、炎が雨のように降ってくる」(旧約聖書)そうだ。
となると、やはり隕石?

 直径10キロの隕石でも、人間も含め、地上のほとんどの生き物は死滅するという。
100キロを超えると、地球は、粉々?
地表という地表がめくりあがり、地上は、蒸発した岩石で覆われるという。
「蒸気岩」というらしい。
(あの岩石が、熱で、蒸気化するのだぞ!)

ハルマゲドン……可能性としては、ありえない話ではない。
が、今すぐという話でもなさそう。

●タイム・ジャンプ

 今、時刻は、午後7時14分。
広島で新幹線を降りたのが、午前10時ごろ。
9時間近くも、時間が、ジャンプしたことになる。
そこで今日の記録。

 呉阪急ホテル。
JR呉駅から、歩いて1分……というより、呉駅の真正面。
ホテルに着いたのが、11時半ごろ。
荷物を預けて、そのまま駅裏のレストランへ。

 広島と言えば、広島焼きそば……ということで、昼食は焼きそば。
「さすが本場」と思いながら、食べた。
おいしかった。
で、それが終わると、そのまま「大和ミュージアム」へ。

 本気度120%!
「すごい」の一言。
BT氏の言葉に、偽りはなかった。

●撮影

 デジタルカメラで、写真を撮りまくった。
それには、理由がある。

 こうした写真は、YOUTUBEにそのままUPすることにしている。
簡単なアルバムがそれでできてしまう。
が、今まで、YOUTUBEには、限度があった。
ビデオ撮影のばあい、15分。
静止画をつづけてUPすると、約350枚前後で、15分になる。

 が、今週から、その限度が、なくなった。
理由はわからない。
「15分以上、UPLOADできるようになりました」と。

 そこで試しに、先日、1時間近い動画を、UPしてみた。
無事、できた。
そこで今度は、静止画でそれを試してみたい。
……ということで、静止画を撮った。
撮ったというより、撮りまくった。
その数、520枚!

 それを明日、YOUTUBEにUPしてみたい。
はたして、無事、UPできるかどうか? 
無事UPできれば、そのままこの原稿に貼りつけることができる。

●海上自衛隊「くじら館」

 大和ミュージアムのあと、隣接する「くじら館」に足を運んだ。
「くじら」というのは、潜水艦のこと。
「くじら館」というのは、海上自衛隊の展示館。
浜松市には、航空自衛隊の展示館がある。
その海上自衛隊版が、「くじら館」。

順路に沿って歩いていくと、最後は、その潜水艦の内部へ入ることができる。
現役を退いたとはいえ、本物の潜水艦。
迫力がちがう。

 私はこの年齢になって、はじめて、本物の潜水艦の内部に入った。
私は閉所恐怖症。
兵隊になったとしても、潜水艦だけはごめん。
いつもそう言っている。
そのくせ、潜水艦モノの映画は、大好き。
ひとつとして、欠かしたものはない。
潜水艦に関係した映画は、すべてみてきた。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 その潜水艦の内部に、今日、入った。
大型の飛行機のようで、息苦しさはまったくなかった。
が、当然のことながら、窓は、まったくなかった。
ドキドキしながら、内部を見て回った。

●4時間

 ホテルへ戻ったのが、午後3時過ぎ。
4時間近く、歩きつづけたことになる。
……ということで、チェックインをすますと、そのままベッドへ。
バタンと倒れ、そのままひと眠り。
目を覚ますと、ワイフも、横で寝ていた。

 そのあと、風呂に入り、夕食。

●夕食

 夕食はバイキング。
1人、2500円。
500円の割引券つき。
1人、2000円。
呉阪急ホテル1階のレストラン。

 ……この呉へ来てみて、気がついた。
「物価が安い!」と。
言い換えると、浜松の物価は、高い!

●くどい

 今、時刻は、午後7時40分。
ワイフはベッドの上で、本を読んでいる。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。

 疲れているせいか、文章がうまく出てこない。
「出てこない」というのは、「適切な言葉が浮かんでこない」という意味。
それに疲れていると、文章が、どうしても回りくどくなる。

 たとえばこう……。

 「呉市も御多分に漏れず、あまり元気がない」と書き始めたとする。
が、そこで文章が途切れてしまう。
調子のよいときだと、なぜそう感じたのか、その理由を並べることができる。
が、今夜は、それができない。
そこで何とか文章をつなげようと、無理をする。
その無理をした分だけ、回りくどくなる。

 私はいつもこんなことに心がけている。
短い文章で、適切な言葉で表現する。
調子が悪いと、それがうまくできない。

 ……ということで、「うまく文章が書けない」と、ここだけでも、4、5回も繰り返した。
「うまく出てこない」「浮かんでこない」「途切れてしまう」「うまくできない」と。

 それを私は「くどい」という。
学生の作文だったら、赤字で、こう書き込むだろう。
「もっと簡潔に、要領よく、文章をまとめること」と。

●文章教室

 文章には、好き嫌いがある。
当然である。
が、誤解してはいけない。
(じょうずな文章)イコール、(好きな文章)ということではない。
いくら(じょうずな文章)でも、嫌いなものは、嫌い。
そこでふと、考える。

 ときどき「文章教室」という看板をかかげている教室を見かける。
「絵画教室」があるから、「文章教室」なるものがあっても、何もおかしくない。
講師の先生は、子どもから大学生や、社会人まで、教えているという。
が、そういう看板を見ると、いつも「?」と感じてしまう。

絵画は、感性の世界。
文章は、論理の世界。
私はその論理性を感じない文章は、好きではない。

……というか、私自身がもつ論理性と、一致しない文章は、好きではない。
たとえば細木何某(なにがし)という女性は、星占いの本を書いている。
江原何某という男性は、スピリチュアル(霊)の本を書いている。
いくら名文でも、私は、そういう人たちの書いた本には、目を通さない。
本を開く前に、拒絶反応を起こしてしまう。

 つまり文章のじょうず・へたは、指導になじまない。
いくらその講師の先生に、天才的な文才があったとしても、だ。
文章のじょうず・へたは、そのワクを超えた、別の世界で決まる。
だからよくこう思う。

「何を、どのように指導しているのだろう?」と。

 さしずめ、私の文章などは、その講師の先生からみたら、超へたくそ。
何度も書きなおしさせられるだろう。

●文章論

 では、文章とは何か?

 私たちは言葉を通して、相手に何かを訴える。
大切なのは、その中身。
真剣度。
その「言葉」が、象形化したものが、「文章」。

 もちろん訴えながら、相手に自分のことをもっと理解してほしいと願う。
正確に理解してほしいと願う。
どうすれば、相手は、自分のことをわかってくれるだろうかと考える。
それを組み立てるのが、論理性ということになる。

わかりやすく言えば、「考える」。
「考えながら、書く」。
それが重要。

●Nさん

 話題を変える。

 広島へは、高校の修学旅行で来た。
岩国なども回った。
当時は、私の記憶にまちがいがなければ、夜行列車で来た。
朝早く、広島の駅に着いたのを、覚えている。
「楽しかった」という思いよりも、「そんなことがあったのかな?」という程度。
記憶そのものが、ぼんやりとしている。
が、懐かしい。

 その懐かしさの中心部にいるのが、Nさん。
畏敬の念をこめ、「女性」と呼ぶ。
私が好意を寄せていた女性である。
その女性が、観光バスの一番奥のほうで、ほかの友だちと、カラカラと笑っていた。
その姿だけが、今でも、脳裏に焼きついている。
 
 すてきな女性だった。
が、心を打ち明けることもなく、そのまま終わってしまった。
どこか切なく、どこかほろ苦い。
プラス、歯がゆい。
それが高校の、あの修学旅行だった。

 私は今、その広島に来ている。
……というか、この広島へは、そのあと数度、来ているはず。
そのつど外人を案内し、ここへ来た。
が、そうした思い出は、ほとんど消えてしまっている。
広島と言えば、やはりNさん。

 ……あのころの私は、自分の心を素直に打ち明けることができなかった。
気が小さく、臆病だった。
(今でも、そうだが……。)
それが今ごろになって、悔やまれる。

 「好きだ。つきあってくれ。いっしょにホテルへ行こう」と。
(当時はまだラブホテルのようなものは、なかったが……。)
どうして言えなかったのだろう?
ア~ア!

●呉阪急ホテル

 呉阪急ホテルは、「阪急」という名前があることからもわかるように、一流ホテル。
昔の帝国ホテル(東京)を思わせる風格を漂わせている。
設備類はやや古いかな……と思わせるが、調度品にはどれも、重厚感がある。
どっしりとした重みを感ずる。

 温泉こそないが、バスルームも広い。
バスタブも広い。
男性用に整髪料なども、一式そろっている。
ビジネスホテルにありがちな、窮屈さはない。
料金はそれなりに高いが、割安感はある。
サービスもよい。

 が、「二度と来ることはないだろうな」と、思う。
それに今回来てみて、こんなことを考えた。
大和ミュージアムと、くじら館だけなら、浜松からでも日帰りコース。
1泊するなら、呉市内ではなく、近くの離島にある旅館のほうがよいのでは、と。
夏場だったら、船に乗って、あたりを周遊することもできる。

 大和ミュージアムとくじら館だけを見て、こうしたホテルに一泊するのもどうか。
ぜいたくというより、もったいない?
団塊の世代は、すぐそういうものの考え方をする。
旅行を楽しむ前に、その(楽しみ)すらも、金銭的な価値に置き換えてしまう。
あるいは、これは私だけのさみしい根性によるものなのか。

●BLOG

 この原稿は、2月23日のBLOG用。
が、今日は、ほとんど原稿を書くことができなかった。
BLOGには、毎回、10枚の原稿を発表するようにしている。
現在、ここで、13枚。
(1枚)=(40字x36行)。

 これだけの旅行をしたのだから、「戦艦大和論」でも、書いてみたかった。
「広島論」でもよい。
が、今の私は、ほどよい疲れと満腹感で、脳みそは半眠状態。
(それとも、ボケがいよいよ始まったのか?)

 人は、負の一次関数的にボケていく。
脳の神経細胞は、日次的に死滅していく。
脳の神経細胞だけは、再生しない。
だから負の一次関数的。

1日、約10~20万個の神経細胞が死滅していくと言われている。
10~20万個だぞ!

が、それほど心配しなくてもよいという説もある。
脳細胞は、全体で、1500億個もあると言われている。
仮に100年生きたとしても、失われるのは、そのうちの2~4%。

 が、こわいのは、微細脳梗塞や脳卒中など。
気がつかないところで、何百万、何千万単位の神経細胞が死滅している可能性もある。

 どうであれ脳みそは、不可逆的に、小さくなっていく。
今がそのときか?

●脳の神経細胞

 脳の神経細胞は、再生しないと書いた。
死滅したら、死滅したまま。
反対に、再生したら、たいへんなことになる。
ばあいによっては、5~10年単位で、人格そのものが変わってしまう。

 私たちは10年前の人でも、20年前の人でも、同じようにつきあうことができる。
50年前の人でもよい。
それができるのも、脳の神経細胞がそのまま残っているから。

(人格の維持)か、それとも(脳の神経細胞の再生)か。
どちらかを選べと言われたら、(人格の維持)のほうがよい。
……ということで、長い進化の過程を経て、そうなったらしい?

●刺激

 どこかのニュースサイト※に、こんな記事があった。

 マウスの実験によるものだが、遊具の多い環境で育てると、判断力がますという。
そうでなければ、そうでない。
たとえば遊具の多い環境で育ったマウスは、迷路などでも、よい成績を示すという。

 人間の子どもについても、同じ。
昔から、こう言う。
『転勤族の子どもは、頭がいい』と。

 これは幼児教育の常識。
40年前に、そう言っている先生がいた。
つまり「転勤」という環境の変化が、子どもの脳の発達に、よい刺激を与える。
まずいのは、変化にとぼしい、刺激のない生活。
子どもは、(その世界)でしか、生きられなくなる。

 よくても悪くても、子どもには刺激が重要。
その刺激が、子どもを伸ばす。

(注※……マウスの実験、毎日新聞より転載)

『……チームは、刺激の多い環境の典型とされるはしごなど数種類の道具のある箱に15匹のマウスを入れて4週間飼育した。
同時に、刺激の乏しい環境として、遊び道具のない箱で3匹のマウスを同期間、飼育した。
その後、学習や記憶力の推移、両機能をつかさどる海馬の神経細胞の状態やたんぱく質の働きを調べた。

 刺激の多かったマウスは、刺激の乏しいマウスに比べ、迷路でゴールにたどりつくまでの時間が回を重ねるごとに短縮されることが確認された。
さらにグルタミン酸などの神経伝達物質を運ぶ「KIF1A」、神経細胞の成長を促す「BDNF」の2種類のたんぱく質の働きがいずれも刺激の乏しいマウスの約1.7倍に活発化していた』(以上、毎日新聞)と。

●過保護

 このマウスの実験と直接つながるのが、「過保護」。

 過保護児の最大の特徴は、社会性の欠落。
たとえばブランコを横取りされても、それに抗議することができない。
「悪」に対する抵抗力にも乏しいから、心はもろく、いじけやすい。
怒りを内へためるから、心もゆがみやすい。

 子どもは傷まるけになりながら、成長し、たくましくなる。
そういう意味で、刺激が重要。

 では、私たち老人組は、どうか?
「今さら……」と思う部分もないわけではないが、刺激はたしかにボケ防止になる。
そのことは、こうしてものを書いていると、よくわかる。
たとえば10日間の休みがあったとする。
とたん、育児論が書けなくなる。

 こと育児論に関していえば、毎日子どもの顔を見ていなければ、書けない。
「刺激」というのは、それをいう。

●積極的不登校児

 最近、ときどき耳にするのが、積極的不登校児。
それなりの理由があるのだろう。
それは別として、親が、積極的に、自分の子どもを不登校児にする。
「学校へは行かせない」と。
 
 多くはいじめが、原因。
が、中には、「いじめられるから」という理由で、前もって不登校児にしてしまう。
親は、子どもを守っているつもりかもしれない。
しかし子どもというのは、先にも書いたように、傷まるけになりながら、成長する。
完璧な環境などといったものは、存在しない。
親がいくらがんばっても、そこには限界がある。

経済的に余裕があれば、「家庭教師をつけて……」ということもできる。
あるいはアメリカのように、ホームスクール制度が整っていればよい。
が、この日本では、そういうわけにはいかない。
親がいくらがんばっても、「学校」に代わることは、むずかしい。
仮に子ども時代はそれでよいとしても、おとなになったらどうする?

つまりそれが、ここでいう「限界」。

 さらに一歩進んで、親、とくに母親側に、心の問題があることもある。
近くの保育園にも、こんな母親がいる。

 毎日、子ども(年長女児)といっしょに、保育園へやってくる。
一日中、見え隠れしながら、塀の外から、子どもの様子をうかがっている。
で、園の先生が、「だいじょうぶですよ」と声をかける。
いったんは、家に帰る様子をしてみせるが、今度は木の陰に隠れて、子どもを見ている。

 園の園長に、「どうしたらいいですか」という相談を受けた。
で、私はこう答えた。
「思い切って、園の補助員をしてもらってはどうですか」と。
が、園長はそれを冗談ととらえた。
ハハハとたがいに笑って、(失礼!)、それですんでしまった。
 
●就寝

 こうして2012年02月22日は、終わりに近づいた。
忙しい1日だった。
プラス、疲れた。

 これはいつも思うこと。
旅先で、見知らぬ人と話すたびに、こう思う。
「こんなところにも、人がいて、みな、懸命に生きている」と。
ときとして、それが不思議でならない。
この呉市でも、そうだった。

発音が、浜松のそれと、かなりちがう。
たとえば、「呉(クレ)」も、ここ呉市では、「ク・レ」と、「レ」にアクセントをつける。
(浜松では、「ク」のほうに、アクセントを置き、「レ」を尻下がりに言う。)

 それぞれの人が、それぞれの生活をもち、それぞれに生きている。
私やあなたのように。
どこもちがわない。

私も彼らと同じと思うと同時に、彼らも、私と同じと思う。
ときとして、それが不思議でならない。

 こうして私は、戦艦大和を見ることができた。
本物ではなかったが、これで子どものころの夢がかなった。
そのつど、私はワイフにこう言う。
「冥土のみやげができた」と。

 たしかに若いころの私は、仕事ばかりしていた。
遊ぶことを知らなかった。
命に限りがあるなどとは、考えたこともなかった。
いつでもその気になれば、遊べると信じていた。

が、今はちがう。
そこに見えるものに、焦点をあて、じっとその奥まで見入る。
脳裏に叩き込む。
「二度と、見ることはないだろうな」と。

どこか暗いが、私自身は、「暗い」などとは思っていない。
若いときには見えなかったものが、今は、しっかりと見ることができる。
家々の窓にしても、それは景色ではない。
その窓の中にある生活まで、見える。……見えてくる。

 ワイフは、すでに就寝モード。
先ほどまで読んでいた本も、閉じられている。
あくびが何度か、つづけて出た。
私も、そろそろ就寝モード。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 2012年02月23日、午後10時30分。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 大和ミュージアム 広島県 呉市 くじら館 呉阪急ホテル 戦艦大和 はやし浩司 大和)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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