2012年2月18日土曜日

●UNICEF in Jpan(2)

【映画「メランコリア」】(人体の不思議展)(日本ユニセフ協会への疑問)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

宗教団体にせよ、慈善事業団体にせよ、
人の心を扱う団体は、慎重に行動したらよい。
「真」「善」を売り物にするなら、慎重に行動したらよい。
ひとつまちがえば、詐欺。
詐欺以上の詐欺。
人の心をもてあそぶ詐欺。

困っている人や貧しい人を出汁(だし)に、
自分の利益に結びつける。
自分の名声につなげる。
悪党以上の悪党。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


 今夜、市内の劇場で、映画『メランコリア』を観てきた。
評論は、あとで書くことにして、今、その近くの米久(よねきゅう)ホテルに泊まっている。
ビジネスホテル。
「寒いから、どこかに泊まって行こうか」とワイフに声をかけると、「うん」と。
それでそのままビジネスホテルへ。

 我が家の暖房器具は、貧弱。
「家に帰り、ガタガタ震えるよりは……」ということで、今、米久ホテルに泊まった。

●今日は風邪気味

 話は前後するが、今日は、朝から、風邪気味だった。
インフルエンザ?
……でもなさそう。
体温は、36・5度。
私はもともと低い。
調子のよいときは、36度以下。
低体温症?
私のばあい、36・5度でも、「熱がある」ということになる。

 朝は、9時過ぎに起きた。
午後からも、昼寝。
1時間の昼寝。
頭痛が消えなかったので、「Z(偏頭痛薬)」を半分割って、のむ。
半時間ほどで、頭痛は消えた。
あわせて感冒薬をのんだ。
そのせいか、腰痛も消えた。

 元気になったので、仕事が終わったあと、深夜劇場へ!

●黒いBEN

 ここ数日、黒いBENが出る。
ネットで調べると……、ゾーッ!
深刻な病気らしい?
「すぐ病院で検査を受けたほうがいい」と。
どこのサイトにも、そう書いてあった。

 「年貢の納め時」と、一時は、覚悟した。
が、原因は、すぐわかった。
チョコレートの食べ過ぎ。
この1週間、毎日、チョコレートばかり食べている。
生徒たちが、くれた。
加えて、養命酒の飲み過ぎ。
が、これはワイフの説。
「養命酒を飲むと、BENが、黒くなるわ」と。

 本当かな~ア?

 バレンタイン・デーも終わり、先ほど、黒いBENは、黄色BENに。
無事、黄色BENに戻った。
よかった!

●問題児

 自分で自分の髪を、手で抜く。
抜いて食べてしまう。

 5歳になるが、おむつがはずせない。
家の中では、あたりかまわず、便をもらす。
声をあげて泣くこともない。
母親の前では、一言も反抗しない。
母親が強く叱ると、かんしゃく発作を起こすことはある。
(母親にかみついたこともあるという。)

 が、もっとも大きな問題は、家の外に出られないこと。
家の外に出そうとすると、「こわい」と言っておびえる。
家の中にこもり、一日中、ソファの上で、横になっている。

●重症

 実は、これは犬の話。
人間の子どもの話ではない。
友人の犬の子どもの話である。
人間の子どもらしく書いたが、犬。
犬の子ども。

 そこで家人が、その犬を動物病院へ連れていくと、ドクターはこう言ったという。
「原因は、ストレスです」と。
 
 私はこの話を、ワイフから聞いた。

私「それは、神経症でも、重症だね」
ワ「そうみたい。一日中、家の中で飼われているから」
私「種類は?」
ワ「マルチーズ……かな? プードルのような犬だったわ」
私「犬でも、そうなるなんて……。知らなかった……」と。

●放し飼い
 
 犬は放し飼い。
しつけは、最小限に。
芸など、させても意味はない。
……というのは、オーストラリアの友人の弁。
家の中で、小さな犬を飼っている。

 ミニチュア・ダックス?
体長は30センチくらい。
足は短い。

 その犬が、私たちに向かって、けたたましく吠えた。
小さな犬だったが、忠誠心は、大型犬並み。
頭もよい。
それが理由で、つまり私たちに向かって吠えたのが理由で、一度、外に追い出された。
以後、私たちに向かっては、吠えなくなった。

 小さな犬だったが、ジャンプ力は抜群。
自分の大きさの3~4倍もあるような高さのソファでも、ヒョイと登る。
あとはそこで、そのまま。
つぎの指示をじっと待っている。

●放し飼い

 子どもの指導も、これに似ている。
「放し飼い」。
それが原則。
その上で、角を削るようにして、少しずつ、おとなの世界に引き込んでいく。
またそのほうが、子どもは伸びやかな子どもになる。
見知らぬ人を見たら、けたたましく吠える。
そういう子どもになる。

 だれを見ても、尻尾を振る。
愛想よくする。
従順でおとなしく、自己主張の弱い子どもがいる。
しかしそういう子どもを、「できのいい子」とは、言わない。
またそういう子どもほど、ストレスをためる。
心をゆがめる。

●人体標本

 あのね、あのようなグロテスク※な標本など、子どもには見せてはいけない。
「標本」とは、名ばかり。
グロ!

 人間の体をスライスしたような標本。
それを見せ物にし、金儲けにつなげている団体がある。
そうした標本は、研究者や医学者には、それなりの意味をもつかもしれない。
しかし子どもたちには、ちがう。
みながみな、研究者や医学者になるわけではない。
仮にその道を歩みつつあるとしても、見せてはいけない。
心の中に、それを処理する能力ができるまで、見せてはいけない。

 が、年齢的な「適齢期」があるわけではない。
私は64歳だが、私は見たくない。
病院の廊下に血がポタポタ落ちているのを見ただけで、気分が悪くなる。
人体標本のポスターを見ただけで、当時も今も、ゾッとする。
私には、それを処理する能力はない。

20歳以上だから、害はない。
20歳以下だから、害がある……ということには、言えない。

この浜松市でも、公共の科学館などで展示されたと聞く。
監修者に、著名な大学教授が名を連ねていれば、公共の施設としても、開催を拒否することはできない。

 そのためのお膳立てとして、監修者には、著名人を使う。
日本イチの著名人を使う。
驚いたことに、日本医学会まで、会長名で後援していたという(MSN)。

 このタイプのインチキ団体がよく使う手である。
わかりやすく言えば、権威づけ。
有名人や有名団体の名で、「会」を飾る。
幼稚な手法。
つまり目的は、金儲け。
あんな展示会が、どういう意味をもつのか。
どう、日本人の心を啓蒙するのか、

●MSN・ニュースの記事

昨日(2012-02-17)、こんな記事が、MSNに載った。
記事にはポスターの写真が添えられていた。
それには「人体の不思議展」とあった。
左の縦書きの部分は、判読できなかった。
が、全体に、薄切りにされた人体が、大きくそのまま表示されていた。
それを見ただけで、ふつうの常識のある人なら、ゾッとするはず。
気の弱い人なら、気絶するかもしれない。

『(人体標本の展示に)、反対したが…頼まれたから引き受けた……養老孟司・東大名誉教授』(MSN)とのこと。

養老孟司氏と言えば、解剖学の権威。
その養老孟司氏が、監修者になっていたとは!
……「人体の不思議展」なるものを見たことがないから、私は知らなかった。
なおその標本は、中国からのもの……つまり中国人のものという(MSN)。

+++++++++++以下、MSN・NEWSより+++++++++++++++

……各地で開かれた「人体の不思議展」について、「日本とは倫理観がまったく異なる中国から標本を借りてくると聞き、自分は反対した」。
監修委員を務めた養老氏は、主催者側への憤りをあらわにした。

 養老氏は平成7年に初めて日本で開催した同展の中心メンバー。
このときは同氏が自費でドイツから標本を輸入したが、このころから、親族の知人で日本アナトミー研究所(当時)のスタッフだった男性が間に入るようになったという。

 同氏によれば、男性とドイツ人研究者との間で契約トラブルが起こり、同展はいったん中止に追い込まれたが、男性はその後中国から標本を輸入、14年以降は同社主催の形で再開した。

 養老氏は中国からの輸入標本の展示に強く反対し、運営からも手を引いたが、18年ごろまで監修委員として名前を連ねている。

 「イベントの会場確保などで助けてもらったことがあり、彼に強く頼まれたから監修委員を引き受けた。もちろん、金なんかもらっていない」と。

 中国の輸入標本を使ったイベントは当初、日本赤十字社や日本医学会なども後援した。
ところが、高額の入場料や関連グッズの販売など興行的手法に対する主催者側への批判が大きくなるにつれ、後援を取り下げる団体も相次いだという。

 一連の経緯について、日本医学会会長の高久氏は「同展を後援したことに対する非難の電話が頻繁にあり、情報収集したところ、標本の多くは中国の受刑者で、国際法に準拠した契約でないことが分かり、監修者及び後援を取り下げた」と文書で回答した。

+++++++++++以上、MSN・NEWSより+++++++++++++++

●感覚のズレ

 養老孟司氏や、日本医学会会長の高久氏が、どこでどのように動いたかは知らない。
その裏で、どのように現金(マネー)が、動いたかも知らない。

 しかしひとつ重要なことを忘れてはいけない。
つまり彼らの感覚は、一般庶民感覚とは、完全にズレている。
自分たちの職場では、日常的な「標本」かもしれない。
しかし一般社会では、そうではない。
そうでないものを、わざわざ引っ張り出し、それを私たちに見せつける。
見せつけながら、平気な顔をしている。
こういうのを意識のズレという。
ズレたまま、監修者になったり、後援者になったりする。
その感覚が、ズレている。

 繰り返す、あんなグロなものを一般に公開して、何が「不思議展」か?
どういう意味をもつというのか。
それについて書いた原稿が、どこかにあるはず。
探してみる。

(注※……グロテスク、グロについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式』と。

 なおウィキペディア百科事典によれば、「気味の悪さを催すもの」を、「グロ」と呼び、「グロテスク」とは、区別しているそうだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2011年1月20日のBLOGに
つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「人体の不思議展」

 私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。

この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。

 おもしろかった?

人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろかった?

学生時代、医学部へ遊びに行くと、そこにホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
一度もない。

 それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。
しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。

 また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。

(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)

 むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。

大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。

 「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。
「人体の不思議展」は、どうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補記

 この中で、私はこう書いた。
「そういう仕事を手伝ったことがあるので」と。

 もちろん今回、問題となっているような、「人体の不思議展」のようなものではない。
市内のデパートで催された、フォークコンサートのようなものをいう。
どうか、誤解のないように!

 なおこのBLOGは、日付は2011年になっているが、実際に書いたのは、2000年ごろではないかと思う。
2011年に、古い原稿を探し、それをそのとき、このBLOGに書いた。

●映画『メランコリア』

 さて、本題。
映画、『メランコリア』について。

 当初、同じく昨日、公開された『タイム』と、どちらを観ようか、迷った。
迷った結果、今夜は、『メランコリア』にした。

 内容はともかく、私はあの映画を見ているとき、船酔いに似た気分の悪さを覚えた。
理由は、すぐわかった。

 カメラが、スーッと流れたあと、小刻みにフワフワと揺れる。
画面がフワフワと揺れる。
それが最初の、スティール写真のような部分をのぞき、全体に繰り返される。
これでもか、これでもか……と、繰り返される。
手持ちカメラで撮影したような雰囲気を出したかったのだろう。
観客を不安にさせるため、ある種の催眠効果をねらったのかもしれない。
しかし私には、ダメ。

 後半2分の1以上は、片目を閉じ、一方の目をときどき開いて見た。
……というか、ときどき吐き気すら覚えた。
映画としてはすばらしい映画かもしれない。
が、私のような観客も少なくないはず。
そういう観客への配慮に欠ける。
で、ワイフに聞くと、「私はだいじょうぶ」と。

 日ごろ、車に酔いやすい人は、あの映画は、見ないほうがよい。
とくに劇場では、見ないほうがよい。
気持ちが悪くなる。
そんなわけで、きびしく採点し、星は2つの、★★。
二度と見たくない!

●最期

 映画『メランコリア』とは別に……。

 もし地球が消滅する日がやってきたら……?
今、米久ホテルの一室で、そんなことを考えている。

 最後のシーンで、姉と姉の子、それに主役のジャステイン(キルステン・ダンスト)が、その時を迎える。
恐怖におののく姉。
眠ったように目を閉じている、姉の子。
そしてどこか投げやり的に穏やかな、ジャスティン。

 「私なら、どうするか?」と。
が、つぎのように考えると、結論が出てくる。

(1) 個人の死は、宇宙全体の死でもある。
(2) 死の直前は、脳の中の臨終メカニズムが機能し始めるため、穏やかになる。
(3)「死の宣告」は、時間の問題ではない。

 あなたという(個体)が死ねば、あなたは、この宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが生まれる前には、この宇宙は、存在しなかった。
あなたはこの宇宙に生まれ、その結果として、この宇宙の存在を知った。
その(生まれる前の状態)になる。
……というのが、今のところ、私の死生観。
その結論。

 2つ目に、脳は、そのときどきにおいて、別の働きをする。
よく臨死体験をした人が、美しい川や花畑を見るという。
この現象は、東洋人でも、西洋人でも一致している。

一説によると、前頭部と後頭部の境目あたりに、そういう働きをする部分があるらしい。
電気的な刺激を加えると、健康な人でも、ここに書いたような美しい川や花畑を見るそうだ。

 つまり脳は、最期の最期の段階で、人間を死の恐怖から自ら解放してくれる。
そういう機能(メカニズム)をもっているらしい。
……というより、「もっている」。

 私もこの数年、臨死体験ならぬ、模擬死体験をしている。
3度している。
(うち一度は、それほど明確なものではなかった。)
そのつど、私は、私の心が、不思議なくらい穏やかだった。
一度は、「ああ、これでやっと死ねる」と。
そんなふうにさえ思った。
(だからといって、自殺願望があるわけではない。誤解のないように!)

 そういう意味で、私は自分の脳を信じている(?)。
その時になったら、なったとき。
臨死プログラムが働き、人は安らかな気持ちで、最期を迎えることができる。

 だから、今はまだ自信はないが、その時が来たら、主人公のジャスティンのような気分になれるのでは(?)。

 さらに3つ目。
「死の宣告」は時間という「数字」の問題ではない。

 「余命はあと1か月」と言われるのも、「あと15年」と言われるのも同じ。
(私は今年、65歳になる。
平均余命で計算すれば、私の人生は、残り15年。)

 同じように、「あと5日」(映画『メランコリア』)と言われるのも、これまた同じ。
死の待合室で、1か月待つのも、15年待つのも、また5日待つのも、同じ。
こういう感覚は、若い人には理解できないものかもしれない。
ほとんどの若い人たちは、死とは無縁の世界で生きている。
自分の老後すら、想像できないだろう。

 が、50歳を過ぎると、とたん、そこに、「死」が見えるようになる。
60歳を過ぎれば、なおさら。
それまで経験したことがないような、体の不調も、頻繁に起こるようになる。
それが年ごとに多くなり、はげしくなる。
「死」というのは、健康であればあるほど、時間をかけてやってくる。
「5日だから短く、15年だから長い」という問題ではない。
そのことは、自分自身の15年という過去を振り返ってみれば、よくわかる。

 あっという間の15年だった。
つまりこの先、15年など、あっという間に過ぎ去っていくだろう。
あたかも5日のように……。

 ということで、ここで、「5日だから短く、15年だから長いということには、ならない」と書いた。
 
●SF評論

 映画の主題は、ここに書いたとおり。
で、ここから先は、SF評論。

 惑星『メランコリア』は、「死のダンス」を繰り返しながら、最終的には地球と衝突する。
メランコリアの大きさは、地球の直径の数倍以上はある。
それが地球を呑み込む形で、地球と衝突する。

 映画で見た感じでは、メランコリアは地球と同じ、地殻固形型の惑星。
大気もあるらしく、青く、白い雲も無数に見える。
となると地球と衝突すれば、メランコリアのほうも、無事ではすまないはず。
粉々に砕け散っても、おかしくない。
そのあたりのSF的な、詰めが甘い。

 それにそれほどまでの惑星と異常接近すれば、地球の重力そのものも、大きく変化を受けるはず。
衝突する前に、地殻は破れ、内部のマグマが飛び出す。
理論的には、地上のすべてのものが、メランコリアの重力圏に入る。
つまり人間がその最期を、地上で迎えるなどということは、ありえない。
人間は大地ごと宙に吹き飛ばされ、それにつづく段階で粉々になって死ぬ……。

 では、人類に助かる方法はあるのか?

 ひとつあるとすれば、スペースシャトルのような宇宙船に乗り、メランコリアから遠ざかること。
あれほどまでに巨大な惑星だから、月ですらも、やがて呑み込んでしまうだろう。
となると、かなり遠くまで逃げていく必要がある。

 あるいは思い切って、メランコリアのほうへ、前もって移住するという方法もある。

 が、その方法にしても、はかない抵抗。
1~2か月は何とか生き延びることはできても、1年は無理。
現在の科学では、生き延びる方法は、ないということになる。

●米久ホテル

 で、この米久ホテル。

 私が42年前に浜松へ来たときには、すでにこのホテルはあった。
よく覚えている。
その古さは、随所に感ずるが、料金も安く、ビジネスホテルとしては悪くない。
シーツも枕カバーも、そのつど洗濯してあるよう。
(確信はもてないが……。)

 朝食付きで、1名、3500円。
じゃらんのクーポンがたまっていたので、今回は、2人で、約6000円。
ビジネスホテルだから、星をつけても意味はない。
ただ比較するなら、一押しがダイワロイネットホテル。
つづいて、→クレタケイン→米久、となる。
ダイワロイネットホテルは、ごく最近オープンしたばかり。
超ハイテクホテル。

 料金が安いところに宿泊して、あれこれ文句を言う方がおかしい。
が、ここの朝食は、いつ食べても、悪くない。
良心的で、おいしい。

●偽善

 先日、日本ユニセフ協会について、批判した。
いくつかコメントが届いた。
どれも、「現在の日本ユニセフ協会はおかしい」というもの。
「ある程度活動が軌道に乗ったら、民間の団体にすべき」という意見もあった。

 その日本ユニセフ協会。
私が最初に疑問をもったのは、ある週刊誌で、何枚かの写真を見たときだった。

当時、K徹子氏というタレントが、その協会の親善大使を務めていた。
そのK徹子氏。
撮影のときだけ、難民の子どもを抱き、撮影が終わると、すかさず、手や体を消毒していたという。
その様子を、別のカメラマンが、カメラに収めた。
それがそのまま週刊誌に載った。

 私たちの世界では、こういうのを「偽善」と呼ぶ。

●日本ユニセフ協会

 このところ毎晩のように、テレビに、「日本ユニセフ協会」のコマーシャルが入る。
例によって、例のごとく、募金集めのコマーシャル。

 テレビだけではない。
週刊誌や雑誌などにも。

(この世界には、記事広告というのもある。
直接的に宣伝するのではなく、間接的に、記者に記事を書かせ、広告する。
それを「記事広告」という。)

疑問の第一。
「国連の一機関が、テレビでコマーシャル?」と。
だれしも、そう思う。
が、これには、ちゃんとウラがある。

 以前書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

すぐ見つかった。
日付は、2010年9月になっている。
それを手直しする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本ユニセフvs国連ユニセフ】(2010年9月記)

●日本ユニセフ協会とは何か?

 私は知らなかった。
国連のユニセフ(以下、国連ユニセフ)と日本のユニセフ(正式名:日本ユニセフ協会、以下、日本ユニセフ)とは、別組織。
しかも日本ユニセフというのは、「財団法人」の名を載せてはいるが、「一般民間団体」?
道理で……というか、あの団体は、そのつど著名人をうまく利用している?
……というか、著名人やタレントばかりを、頭に、ズラリと並べている。
そのウサン臭さは、私も感じていた※。

 だれかの紹介で、私のところにも、ダイレクトメールが届いたことがある。
それをきっかけに何度か寄付金を送った。
が、それ以後、毎年、私の住所、名前をあらかじめ印刷したネームカードとともに、寄付金の募集用紙が送られてきた。
「熱心な団体だな?」とは思ったが、それには先にも書いたように、ウラがあった。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……(日本ユニセフは)、36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金 (国連ユニセフ) の日本事務所ではない。
(ユニセフ本部(国際連合児童基金)との関係参照)』と。

 さらに明確に、『(日本ユニセフは)、日本における「ユニセフ国内委員会」として、世界におけるユニセフの活動を支援するために、日本において寄付募集、広報・啓蒙活動、政策提言協力を行うことを使命としている。

日本ユニセフ協会と国連ユニセフ(UNICEF)は、基本的に別組織である』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

『「日本ユニセフ」という名称をもつが、国際連合児童基金 (国連ユニセフ)の日本事務所ではない。

日本ユニセフ協会は、ユニセフ本部と協力協定を結んでいる団体であり、日本において民間人・民間団体・企業向けにユニセフを代表する唯一の組織である。

日本における民間協力の窓口として運営されている非政府組織であって、国連機関ではない。
ユニセフ本部は東京都内に「ユニセフ東京事務所」を設置しているが、この事務所もユニセフ日本支部ではない』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 だんだんとわかってきたぞ!

「日本ユニセフ」と「国連ユニセフ」。
この両者は、まったくの別組織。

 つまり平たく言えば、「日本ユニセフ」は、国連機関のひとつである「ユニセフ」という名前を巧みにまぶしながら、日本人から金を集めている(?)。
そういう疑念も浮上してきた。

 『日本における国際連合児童基金(=国連ユニセフ)の出先機関は、東京都渋谷区神宮前の国連大学ビルの中にある』とある。
「国際連合児童基金東京事務所」(ユニセフ東京事務所)というのが、それ。

 一方、日本ユニセフのHPには、つぎのようにある。

『「財団法人日本ユニセフ協会と密接に協力しながら」各種の交渉などに当たっていることになっている。と。

ほぼ同一の意味の記述は、ユニセフ公式サイトにもあり、日本ユニセフ協会は、ユニセフ東京事務所(=国連ユニセフ)の業務の一部にも関わりを持っている」と説明している』(以上、日本ユニセフ協会サイトによる)と。

この部分を注意深く読んでほしい。
「業務の一部にも関わりを持っている」(日本ユニセフ)と。
(日本ユニセフ)イコール(国連ユニセフ)ではない。
(国連ユニセフ)イコール、(日本ユニセフ)でもない。
「業務の一部に、関わりをもっている」だけ。
この部分を注意深く読むと、そうなる。

 つまり日本ユニセフ側は、「私たちは(国連)ユニセフとは無関係ではない。
ユニセフと『密接に協力しながら』活動している」と。
そんな煙幕を張っている。
だったらはじめから、無私無欲で、なぜ国連ユニセフ(本部)に協力しないのか。
協力すれば、それですむはず?
 
 どうしてこういう回りくどい言い方をするのだろう。

 私の記憶にまちがいがなければ、こういうこと。

「日本ユニセフ」は、集めた寄付金の75%を、「国連ユニセフ」に納める。
残りの25%(上限)については、「日本ユニセフ」のほうで、自由に使用することができる※。
職員の給料や活動費などに充てることができる。

 が、こんなおいしい話はない。
ふつうの常識のある人なら、そう考える。

たとえばウィキペディア百科事典には、こうある。

『2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した』と。

 つまり残りの19%は、日本ユニセフの取り分。
単純に計算すれば、約33億6000万円!
何もしなくても、つまり事務所に座っているだけで、約33億6000万円!
約33億6000万円だぞ!

 記事の内容は、ウィキペディア百科事典に取ってもらうことにする。

 が、なぜ、今、テレビのコマーシャルなのか?

 単純に考えれば、「募金が集まりにくくなった」?
今、日本は、アフリカの難民救運動どころではない。
3・11大震災による震災被害で、たいへん!
それにこんなことも言える。

 人の善意は、テレビのコマーシャルとは、基本的な部分で、なじまない。
選挙が近くなると、どこかの宗教団体は、さかんにテレビのコマーシャルを流し始める。
なぜか?
……理由など、改めてここに書くまでもない。

 が、日本ユニセフのコマーシャルは、そのコマーシャルとどこか似ている。
どこかウサン臭い。
そんなコマーシャル代が払えるなら、その分だけでも、難民救済とかに、回せばよい。
1円でも、多く。
そして「国連ユニセフ」には、こう言えばよい。

「日本も、今、それどころではありません。寄付金が少なくてすみません」と。
募金が減ったからといって、しかたのないこと。
が、テレビコマーシャル?

難民救済という高邁な精神と、テレビなでコマーシャルを流して募金を集めるという通俗的な行為は、基本的な部分で、矛盾している。
「募金が少なくなっても、それはそれでしかたのないこと」と。
常識のある人は、そう考える。

 あるいは日本ユニセフは、3・11大震災で被災者になった人のために、どうして募金活動を始めないのか。
大きな被害を受けた、日本の子どもたちだって、いる。
「善意」という心は、どの方向に向かおうとも、「善意」。

 ……ともあれ、どうもよくわからない。
つい先月(1月)は、週刊A誌に、国内委員会大使のA・チャンが特集されていた。
5ページという、大特集である。
「ポロポロと涙をこぼして……難民の子どもたちを……」(記憶)という記事もあった。
が、これもおかしい。
どこか、おかしい。

 もう一度、募金の流れを図示してみる。

(日本人一般)→(日本ユニセフ)→(国連ユニセフの東京事務所)→(国連ユニセフ)。
その募金を使い、(国連ユニセフ)が、難民救済活動を展開している。
(日本ユニセフ)がしているわけではない。

 なお(国連ユニセフの東京事務所)は、小さな事務所と聞く。
が、(日本ユニセフ)のほうは、住所からもわかるように、超立派なビル※。
何か、おかしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……以下、ウィキペディア百科事典より)

●批判

『日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金されるのではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論がある』(ウィキペディア百科事典)と。

●日本ユニセフの取り分

『日本ユニセフ協会は国際連合(UN)内の国際連合児童基金(ユニセフ)と協力協定を結び、日本からの民間拠出金を取りまとめている、あくまで民間協力の団体である。
従って、職員の身分は国際公務員・国家公務員ではなく、団体職員である。

なお、日本ユニセフ協会はユニセフ本部との協定により、専ら協会の活動費として用いられる会費の他に、寄付金の一部(上限25%)を協会自身の活動資金やユニセフ活動への広報・啓蒙活動の為に留保しており、留保額を除いた寄付金がユニセフ本部に拠出されている』(ウィキペディア百科事典)と。

●協会ビル

『……2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている』(ウィキペディア百科事典)と。

 ほかにも日本ユニセフに対する批判は多い。
詳しくは、ウィキペディア百科事典を参考。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【権威主義】(日本の肩書き社会)

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 日本人は、肩書きを見て、その人を判断する。
古来、江戸時代からつづく、身分制度の名残と考えてよい。
その1例が、「本」。

 ほんの20年前のこと。
小学生が使うようなワークブックにさえ、ズラズラと、大学の教授らの名前と肩書きが並んでいた。
その1例を紹介する。

なおこの「本」は、私自身が、企画、構成した「本」である。
もちろんこれらの名前と肩書きは、読者をだますための、7つ道具。
読者は、これを見て、「本」を買う。
さらにもちろん、これらの大学の教授らは、そのほとんどが原稿にすら目を通していない。
たいていは、つぎのような電話で、話が決まる。

 出版社「今度、XXという子ども向けの月刊雑誌を出します。監修者に先生のお名前を拝借してよろしいでしょうか」
教授たち「はあ、結構ですよ。お任せします」と。

が、出版社のほしいのは、「肩書き」。
「名前」ではない。
教授たちも、それを知っていて、名前を貸す。

以下、「N・子ども月刊雑誌」(X社発刊)の監修者たち。

*********************

AR……東京大学教授
ID……港区S小学校教諭
IZ……F協会研究員
UN……慶應義塾幼稚舎教諭
OH……筑波大学名誉教授
OM……東京都S区O小学校教諭
KM……Gプラネタリウム
KS……東京都X研究員
SH……X動物園
TM……国立科学博物館xx室長
TM……筑波大学教授
NY……商船大学教授
HY……横浜国立大学教授
(以下、10数名が並ぶ)

*********************

 が、さらに出版社が、こうした名前を並べる理由には、もうひとつウラがある。
著作権の問題である。

 たとえば、XX研究所のYY教授の文献から、原稿を加工、転載したとする。
一部転載でもよい。
そのままでは無断転載になる。
そこで「本」になる前に、先に、こうした教授たちを、監修者に仕立てあげる。
「先生のお書きになった、xxという本から、一部、引用させていただけませんか。
つきましては、先生には、監修者になっていただきたいのですが……」と。

こうすれば、あとあと、無断転載(=盗作)が問題になることはない。

 ただしこうした作業は、出版社と相手方との間で交わされる。
かなり上層部の人たちの間で、やり取りされる。
それぞれの編集長は、それぞれの人たちと人脈をもっている。
その人脈を利用する。

 こうした手法は、「悪い」に決まっている。
かぎりなく詐欺に近い。
が、ほんの15~20年前には、「本」の、こうした出版方法は、当たり前だった。
ウソだと思うなら、近くの図書館で、少し古い、子ども向けの「本」を見てみればよい。
どの本にも、ズラズラと、そういった名前と肩書きが載っている。

 要するに、こうした名前と肩書きは、「本」を売るための「飾り」に過ぎない。
もっとわかりやすく言えば、「権威付け」。
「ハク付」。
言い換えると、権威のない「本」ほど、こうした「飾り」を多くする。
もちろん「マネー」のため。

「はやし浩司の名前では、売れない。だからxx教授の名前で売ろう」と。

 が、今、その権威主義が、ガラガラと音を立てて崩れ始めている。
先にも書いたように、15年前前後を境にし、大手の出版社からは、この種の出版手法が消えた。

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●日本ユニセフ協会

 昨日、日本ユニセフ協会についての原稿を書いた。
「テレビコマーシャルまで流し、募金を集めるのはおかしい」と。
「財団法人」にはなっているが、国連のユニセフとは、まったく独立した別組織。
問題の第一は、募金の使われ方。
「上限25%※まで、日本ユニセフ協会のほうで、自由に使うことができる」(ウィキペディア百科事典)と。

 しかし募金する側は、そんなことは知らない。
知らされていない。
募金する側は、「全額、貧しい人たちのために使われる」と信じている。
信じているからこそ、募金する。
が、実際には、33億6000万円もの大金が、日本ユニセフ協会の懐(ふところ)に入っている。

 ウィキペディア百科事典によれば、『2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した』と。

 つまり残りの19%は、日本ユニセフの取り分。
単純に計算すれば、約33億6000万円!
何もしなくても、つまり事務所に座っているだけで、約33億6000万円!
約33億6000万円だぞ!

 私はこの数字を見て、率直に言って、「おかしい」と思う。
おかしいと思うから、昨日、原稿を書いた。
が、さらにおかしいのは、その役員名。

(注※……募金の使われ方について)

『……日本ユニセフ協会はユニセフ本部との協定により、専ら協会の活動費として用いられる会費の他に、寄付金の一部(上限25%)を協会自身の活動資金やユニセフ活動への広報・啓蒙活動の為に留保しており、留保額を除いた寄付金がユニセフ本部に拠出されている』(ウィキペディア百科事典)と。

●著名人がズラリ

 ウィキペディア百科事典には、日本ユニセフ協会の役員名が載っている。
そこには「社長」「会長」という肩書きが、ズラリと並ぶ。
そのまま紹介させてもらう。

『任期は2008年(平成18年)11月30日から2010年(平成20年)11月29日まで。

• 会長 赤松良子(前副会長、会長代行、文京学院大学顧問、元文部大臣、元駐ウルグアイ大使)
• 副会長 東郷良尚 (前専務理事)
• 専務理事 早水研
他、常務理事3名、理事9名
評議員は50名。
• 日本ユニセフ評議員:朝比奈豊毎日新聞社代表取締役社長

ほか、秋山耿太郎(朝日新聞社社長)等のマスコミ関係者、麻生渡(全国知事会会長)等の政治家、五十嵐敬一(白洋舎相談役)等の財界人、壷内明(全日本中学校長会会長)等の教育関係者、小和田優美子(皇太子妃雅子母)等の著名人等から構成されている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 今どき、こういう肩書きを並べる団体があること自体、私には信じられない。
何もシーシャパード※を支持するわけではないが、シーシェパードの連中が見たら、腹をかかえて笑うだろう。

 「控えおろう!」と葵の紋章を見せつける、日本ユニセフ協会。
そこはまさに権威主義の世界!
やっていることが、子どもじみている。
幼稚。
「難民救済」を口にするなら、それにふさわしい「土着性」があるはず。
が、その土着性がない。
つまりそうした活動を草の根レベルで展開し、そこからはい上がってきたという土着性。
その土着性がない。
言うなれば、金持ちや成功者の道楽(?)。
そう疑われても、しかたない。
が、それだけではない。
私は、さらにその「道楽」の向こうに、「偽善」を感じてしまう。

(注※……シーシェパード)ウィキペディア百科事典より

『シーシェパード環境保護団体(Sea Shepherd Conservation Society、通称シーシェパードまたはSS)は、海洋生物保護のために直接行動を戦術として用いる国際非営利組織の海洋環境保護団体。
本部はアメリカ合衆国ワシントン州フライデーハーバー(Friday Harbor)。
「シーシェパード」は「海の番犬」、「海の保護者」の意』(ウィキペディア百科事典)と。

 なお日本では、シーシェパードを「テロリスト」と位置づけている。

●偽善

 日本ユニセフ協会がそうであるというのではない。
が、その一方で、こんな話もある。

 私がいっしょに食事をしたことのある女性に、TE氏という人物がいた。
右腕を、大きな包帯で巻いていた。
話を聞くと、ベトナムとカンボジアの国境付近で、難民救済のための救護活動をしているという。
腕に大けがをしたので、休暇をもらい、そのとき日本へ帰ってきているという話だった。
そのとき、鎌倉で、TK先生(東大元副総長(特別補佐))といっしょに、食事をした。
話をいろいろ聞いた。

 が、そういう人物ほど、静か。
そういった活動を、人知れず、目立たない世界で、黙々とこなしている。
もちろんマスコミにも、いっさい、取りあげられなかった。
「信念」というのは、そういうもの。
個人の内部に向けた、正義の追求を「信念」という。
看板のように、背中に背負い、人に見せびらかすようなものではない。
いわんや、宣伝?
広告?
テレビコマーシャル?

 で、中には、こう思う人もいるかもしれない。
たとえ75%の金額でも、難民救済に使われれば、それでよいのではないか、と。
「何かをするほうが、何もしないよりはマシ」と。

 が、もしそれが偽善であれば、「何もしないほうがマシ」。
「難民救済」は、口実。
中身は、「金儲け」。
苦しんでいる人を利用しての「金儲け」。
もしそうでないというのなら、募金は、全額、難民救済に回したらよい。
全額だ。
活動・運営費は、「役員名」として名を連ねる人たちに、払ってもらえばよい。
ここに名を連ねている人にとっては、ハシタ金。
どうして、一般庶民からの募金を、25%もピンはねするのか?
あるいは募金に先立って、それを公表すべき。
「25%を、私たちの利益にしています」と。
が、なぜ、それを公表しないのか。
その疑問に答えないかぎり、「偽善」の疑いは、消えない。
 
 繰り返す。

 33億6000万円(2007年)だぞ!
この額を知り、「ああ、それは活動・運営費」と納得する人はいるだろうか?

 ウィキペディア百科事典には、さらにこうある。

『(協会ビル建設に関し)、2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3,702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている』と。

 まさに同感である。

【日本ユニセフに関する、参考文献】
(日本ユニセフ協会に疑問をもっている人は、一度は目を通してみたほうがよい。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●偽善

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

偽善については、たびたび書いてきた。
宗教団体にせよ、慈善事業団体にせよ、
人の心を扱う団体は、慎重に行動したらよい。
「真」「善」を売り物にするなら、慎重に行動したらよい。
ひとつまちがえば、詐欺。
詐欺以上の詐欺。
人の心をもてあそぶ詐欺。

困っている人や貧しい人を出汁(だし)に、
自分の利益に結びつける。
自分の名声につなげる。
悪党以上の悪党。

以前、「偽善」について書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2004年06月14日付けの原稿が
見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●偽善(2004年06月14日)

 偽善者は、悪人より、タチが悪い。
イギリスの格言にも、こんなのがある。
『悪魔は、善人の顔をして、あなたのところへやってくる』と。

 『悪魔は、目的のためには、聖書をも引用する』というのもある。
 『ブタを盗んで、骨を施す』というのもある。

 ……と言いながら、この世の中、すべてが偽善。
偽善でないものをさがすほうが、むずかしい。
あなたにしても、身のまわりの、あらゆるものが、どこかで人間の欲望と利益にからんでいる。
そのからんだところで、善は悪に変身する。

 少し前、JTのコマーシャルにこんなのがあった。

 ある男がタバコを吸おうとすると、そこへ小さな少女が通りかかる。
その男は、一瞬手を休め、その少女が通りすぎるまで、タバコを吸うのをやめる。

 あるいは美しい野原で、一人の男がタバコを吸っている。
その男の近くには、灰皿が置いてある。
男は、真っ青な空の白い飛行機雲を見ながら、タバコを吸う。

 一連のJTのコマーシャルが、まさしく偽善の典型とみてよい。
本当に善を訴えるなら、「どうか、タバコを吸わないでください」「私どものタバコを買わないでください」というような内容のコマーシャルにすればよい。

 JTは、ブタの骨を人に与えながら、ブタを盗んだことを隠している。

 それにしても、この世の中、偽善が多すぎる……と、あなたも、そう思いませんか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作。
日付は、2008年8月23日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●John 8:34(2008年08月23日記)

+++++++++++++++

この世は偽善のかたまり。
以前、アメリカに住む息子が、そう言った。

しかし偽善こそ、人間がもっとも卑しむべき
行為。

日ごろは、美しい着物に身を包み、バラエティ
番組でケラケラと笑っている女性が、別のところで
は、作業服を着て、アフリカの難民運動の
指導者になる。

これを「偽善」と言わずして、何という?

+++++++++++++++

●偽善

聖書(RYRIE版)を、ひもとく。

John(8:34)には、こうある。

Jesus replies:
I tell you the truth, everyone who sins is a slave of sin.
Now a slave has no permanent place in the family, but a son belongs to it forever.
So if the Son sets you free, you will be free indeed.

イエスは、こう答えた。 
あなたに真実を話そう。
罪ある人は、罪の奴隷である。
(罪の)奴隷には、家族の中に安住の場所はなく、息子が、永遠にそこにとりつく。
もし、その息子が、あなたを自由にするなら、あなたは本当に、自由になるだろう。

++++++++++++++++

 キリスト教でいう(sin=罪)という言葉には、独特のものがある。
昔、オーストラリアの友人に、一度、その意味を聞いたことがあるが、彼は、こう言った。
「キリスト教徒でないと、理解できないだろうね」と。

 しかしニュアンスとしては、私にも、理解できるような気がする。

 邪悪な思想をもっている人は、いつもその邪悪な思想に振りまわされてしまう。
そして自分が邪悪なことをしていることにすら、気がつかなくなってしまう。
つまり、邪悪な思想の奴隷になる。

 こんな勝手な解釈をすると、息子は怒るかもしれないが、私なりの解釈によれば、そうなる。

 つまり邪悪な思想に一度、とりつかれると、その時点で、自分の人生をムダにすることになる。
一時の快楽を得ることはできるかもしれないが、一度キズついた人間性を取りもどすことは、容易なことではない。

 人生を、(真理への旅)にたとえるなら、その旅で、遠回りすることになる。
あるいは道からはずれてしまう。
だから、永遠に、その(真理)に、たどりつけなくなる。

 息子は、「真理を知れば、罪の奴隷から解放される」と言う。
つまり罪の奴隷から、自らを解放することが、自由である、と。

 しかし私の心の中には、邪悪なゴミがいっぱいある。ゴミだらけ。

 私は、平気で、人をうらむし、ねたむし、バカにするし、嫌うし、さげすむ。
お金もほしいし、若くて美しい女性を見れば、性的魅力を感じてしまう。
まさに私は、(罪の奴隷、a slave of sin)ということになる。

 私は、決して、善人でもないし、聖人でもない。

 だから私のような人間は、その臨終のとき、無間の孤独地獄の中で、もがき、苦しむ。
失意と悔恨。
恐怖と不安。
絶望と苦痛。
そのどん底で、もがき、苦しむ。

 ……それがわかっているから、正直に告白するが、死ぬのが、こわい。
こわくてならない。

 他人から見れば、私は、懸命にがんばっている人間に見えるかもしれない。
一応、まじめだし、社会のルールは守っている。
ウソはつかないし、健康にも注意している。
いつも家族には、誠実に接している。

 しかしそれとて、(自分がよい人間)だから、そうしているのではなく、臨終のときの自分が、こわいから、そうしているだけ。
それはたとえて言うなら、借金取りに追いたてられるのがいやだから、仕事をしているようなもの。

 ほかに、私は、過去40年以上にわたって、人からお金を借りたことがない。
それは私に何かの哲学があって、それで借金をするのがいやだからではなく、頭をさげて、借りるのがいやだからにほかならない。
根拠となる思想があって、そうしているのではない。

 同じように、本当に、同じように、私がいくら「私は自由だ」と叫んでも、そう叫んでいるだけで、本当に自由かどうかということになると、自分でも、まったく自信がない。

 やはり息子が言うように、本当に自由になるためには、自分の中にある、邪悪さから解放されなければならない。
お金がほしいくせいに、さもお金など興味はありませんというような顔をしてみせる。
それでは、真の自由を手にいれることはできない。

 しかしそれこそ、まさに偽善。
その偽善のかたまりでは、真理には、到達できないということ。

 が、残された時間は、あまりにも、短い。
今は、57歳。
そのうち、兄のように頭もボケるだろう。
そうなったら、おしまい。私は、何としても急がなければならない。

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