2012年2月25日土曜日

●ハナの死





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 3月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ハナの死】 はやし浩司 2012ー01-21 午後11時40分



http://youtu.be/t3j9uWTfbms

●ハナの最期

ハナ、さようなら!.jpg

 名前は、「ハナ」。
本当は、「シルビア」とか、「グレイシア」とか、そんなような名前にしたかった。
が、息子が、「花子」にした。
つぎに「華(はな)子」にした。
しかしその直後に、友人に娘が生まれ、名前を「華子」とした。
「まずい」と思い、それで、「ハナ」にした。

そのハナ。
メスの犬だが、どう見ても、男。
ポンター種は、どれもいかめしい顔つきをしている。

 みなは、「怖そうな顔」という。
しかし私は一度も、そう思ったことはない。
我が家の家族になってから、このかた、一度も、そう思ったことはない。
……というか、私にはかわいい。
かわいいというより、美人。

 我が家へ来てから1週間、毎晩、私はハナを懐に抱いて寝た。

●晩年

 そのハナが歩くとき、よろけるようになった。
その前に、食事が細くなった。
やがて好物にも、口をつけなくなった。
同時に、やせ始めた。

●末期

 ハナが、夜中に、ときどき、甘えるように泣くようになった。
痛いのか……?
寒いのか……?

 ハナは、庭で放し飼いにしている。
犬小屋は、母屋の隅にある。
鳴くようになってから、その犬小屋を、別の隅に移した。
私たちの寝室の真横になる。
そこなら電気が引ける。
様子がよくわかる。

私は、そこに電気ストーブを置いた。
温風機も置いた。

●「ぼくの友」

 ワイフに叱られることを覚悟で、私の使っていた布団を一枚、その上に敷いた。
まわりを座布団で囲んだ。
ハナはしばらく、布団を足でこすっていた。
どこかが痛いのか……?

 好物だった、菓子やソーセージを口までもっていった。
ハナは食べなかった。
チーズも食べなかった。
しばらく頭をさすってやった。
「お前は、ぼくの友だちだよ」と。

 とたん大粒の涙が、頬を流れた。

●思い出

 ハナとの思い出は、山のようにある。
ひょっとしたら、息子たちのそれより、濃厚かもしれない。
ハナは、私を一度も裏切らなかった。
一度も、不平や不満を言わなかった。
この19年間、家に帰ると、一度も欠かさず、私を迎えてくれた。
尻尾を振り、飛びついてきてくれた。

 そのしぐさに、どれほど癒されたことか。

 天気のよい日は、いつも近くの海まで散歩した。
自転車で、10分ほどの距離。
中田島砂丘という、砂丘がある。
そこまで行き、首輪をはずしてやった。

ハナは、いつまでも、いつまでも走りつづけた。
小さな点になり、見えなくなるまで、走りつづけた。

●「海!」

 夕方には、ほとんど動かなくなった。
ワイフと息子が、そばにいた。
もう一度、チーズを一切れ、口に入れてみた。
食べなかった。

 ワイフが、水を湿らせたコットンをもってきた。
それは、飲んだ。
そのつど、大きな声で、「ハナ!」と呼ぶと、ひとみを大きく動かした。
「海!」「海!」と叫ぶと、息が荒くなった。

 元気なころは、「海!」の一声で、ハナは、興奮状態になった。

●老齢

 そんなハナだったが、そのうち体力も落ちてきた。
歩いて5分ほどのところに、佐鳴湖という湖がある。
1周すると、6~7キロになるだろうか。

 若いころは、私がこぐ自転車より速く走った。
が、数年前から、途中で、走れなくなってしまった。
そんなハナを、私はカゴに乗せ、家まで戻った。

●涙

 ハナの頭をさすってやった。
「痛いのか……?」と。

 ハナは何も言わなかった。
穏やかな表情で、私を見上げた。
時間が流れた。
10分……、20分……。

 「お前はぼくの友だちだよ」と。
とたん、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
そのときのこと。
ハナが私の顔をのぞきこむようにして、見た。
ふだんは、恥ずかしがり屋で、めったに視線を合わせようとしない。
そんなハナが私の顔をみつめた。

 それを見て、また大粒の涙がこぼれた。

 ……居間に戻ると、ワイフがそこにいた。
私は黙ったまま、お茶を飲んだ。
飲みながら、こう言った。

「あんな……犬でもねえ……」と。

それだけ口にするのが、精一杯だった。
「あんな犬でもねえ、……感情が……あるんだよ……」と。

またまた大粒の涙が、頬を伝った。

「あの……ハナがねえ……、ハナがねえ……、ぼくの顔を見てねえ……、涙を流したんだよ……」と。

 あとは言葉にならなかった。

●最期

 夜、6時ごろ。
あたりは真っ暗になった。
電気ストーブの横に、枕元ランプを置いた。
電気アンカも、その下に置いた。

 息子が、ずっと頭をさすっていた。
何も言わず、頭をさすっていた。

 はげしかった息づかいも、静かになった。
ハナは、眠ったように静かになった。
目は閉じたままだった。

 息子は、いつまでもそこにいた。
「風邪をひくから、中に入れ」と言っても、そこにいた。
いつまでも、いつまでもそこにいた。

●死去

 ハナは、午後11時40分ごろ、息を止めた。
最期に大きく首をもたげ、その首を下へ落とすと同時に、呼吸が止まった。
胸に手を当てると、心臓が小刻みにブルブルと震えているのがわかった。
が、やがてその振動も止まった。
私は窓を叩き、ワイフを呼んだ。
息子を呼んだ。

静かな夜だった。
私が泣き、息子も泣いた。
ワイフも窓の向こうで、顔を押さえた。

冷たい小雨の降る夜、ハナは、この世を去っていった。

2012年01月21日午後11時40分。

 さようなら、ハナ!
今まで、ぼくを守ってくれて、ありがとう!
本当にありがとう!
お前は、ぼくの命の恩人だよ!
あのときお前が吠えてくれなかったら、畑の中に隠れていたマムシにぼくは噛まれていた。
ありがとう!

【補記】以下、2012年01月09日の日記より

●ハナ

 ハナが、今日、玄関の階段を登るとき、足を踏み外し、よろけた。
うしろ足が、体についてこないといったふうだった。

 もう、目は、ほとんど見えない。
今朝も牛乳を温め、そばに置いてやった。
が、それも飲まなかった。

 昼になって、牛肉を炒め、その上にバターをかけてやった。
いつもなら匂いだけで、小屋から飛び出てきた。
が、今日は体を丸めたままだった。

 ワイフに「毛布はないか?」と言うと、ワイフが、毛布をもってきてくれた。
その毛布と、ハナのタオルケットを二枚重ね、ハナの体にかぶせた。
しっぽが、小屋の壁を叩く音がした。
そのとき、ジンと目頭が熱くなり、涙が数滴こぼれた。

 「ハナ、暖かくなったら、また海へ行こうな」と。

 若いころ、ハナは、中田島の砂丘へ連れていくと、数秒も間をおかず、走り回っていた。
カラスを追いかけた。
そんな思い出が、つぎつぎと浮かんでは消えた。

私「最期が近いみたい……」
ワ「……」と。

 夕日を見ていたら、また涙が数滴、私の頬を流れた。

(ハナは、この13日後の、今夜、1月22日、他界しました。
1993年1月1日生まれ。
我が家へ来たのは、1993年3月末、享年 19歳)

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(補記)

 庭を見ると、いつもハナはそこにいた。
そのハナは、もういない。
「3人だけになってしまったね……」とワイフ。
「そうだね」と私。

 ハナ、またあの世で会おうね。
待っていてよ!


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●葬儀観

++++++++++++++++++

ハナの葬儀をした。
犬が死んで、こんなに悲しいものとは、知らなかった。
思い出すたびに、涙がこぼれる。
何をしていても、涙がこぼれる。

そんな中、いろいろ考えた。
ワイフといろいろ話しあった。

その第一。

私には、葬儀は必要ない。
孤独死、無縁死、何でも構わない。
死去先から火葬場へ。
直葬。
灰にしてもらったあと、近くにいる家族だけで密葬。
簡単な別れ会。
いなければ、いないで結構。
密葬も省略。
別れ会も省略。

そのあと灰は、家族の意思に任せる。

遠くに住む肉親、親類などにも、一切連絡しない。
どこまでも静かに、無言のまま、この世を去る。
私はひとりで生まれ、ひとりで育ち、ひとりで死んでいく。
ワイフと息子に、強く、それを言い伝えた。

ついでにワイフも、そう言っている。
これははやし浩司、晃子の、遺言。
確たる、遺言。

どうせゴミのような人間だから、ゴミはゴミらしく、灰となって、空に舞う。

私とハナ。
どこがどうちがうというのか。
人間と犬。
どこがどうちがうというのか。
どこもちがわない。
同じ。

ハナの葬儀をしながら、それを強く感じた。

++++++++++++++++++

●葬儀

 この先、葬儀など、望むほうが無理。
2050年には、1・2人の日本人が、高齢者1人を支えるようになる。

(疑問……ここでいう「1・2人」というのは、どういう意味か。
「1・2世帯」のことか。
「実労働者が、1・2人」のことか。
早速、調べてみる。)

img239.jpg
(表は、「2050年問題・サイト」より、コピー・転載)

 この表を見てもわかるように、2050年には、人口は9000万人に減る。
その一方で、65歳以上の高齢者がふえ、全体の38・9%を占めるようになる。
15~65歳までが、52・3%。
(「15歳」というのは、中学を卒業する年齢である。)

 52・3を、38・9で割ってみると、1・34という数字が出てくる。
全員が中学を卒業すると同時に働き始めたとしても、1・34人(男女含む)が、1人の高齢者(65歳以上)を支えることになる。
この表から推計すると、「18歳以上の人が1・2人に対し、高齢者が1人」ということになる。

 と考えると、「1・2人」というのは、単純な割合比であることがわかる。
つまり、男女も含め、すべての人が働いたとしても、1・2人の人が、1人の高齢者を支えるということになる。

 しかしこんなことは不可能!
つまり1・2人の人が、1人の高齢者を支えるなどということは、不可能。

●2050年

 2050年というと、38年後。
逆算すると、65-38=27歳。
現在(2012年)、27歳の人たちが65歳になったときに迎える、これはまさに近未来の日本の姿ということになる。
50歳とか60歳の人の話ではない。
現在、30歳前後の人たちの話である。

 現在、30歳前後の人たちが、65歳になるころには、この日本は、超の上にもうひとつ「超」がつく、超・超高齢者社会になる。
が、このグラフを見てもわかるように、2050年に人口の減少が止まるわけではない。
さらに日本の人口は減りつづける。
高齢者の割合は、さらに高くなる。

 2080年には、2050年までの30年間の変化のままであるとすると、つぎのようになる。

 人口は、さらに3200万人、減る。
高齢者の割合は、さらに10・1%、ふえる。
その結果、日本の人口は、7000万人。
高齢者の割合は、49・0%!

 こんな近未来を前に、葬儀だ何だの言っているほうが、バカげている。
葬儀をする人そのものが、いあんくなる。

●無縁仏の増加

 無縁仏が増加しているという。

「無縁仏(むえんぼとけ)とは、供養する親族や縁者のいなくなった死者またはその霊魂、またはそれらを祭った仏像や石仏などを意味する」(ウィキペディア百科事典)とある。

 で、どれくらい増加しているのか。
あちこちのサイトを調べてみた。
が、どうもはっきりしない。

「都市部で10%」と書いているサイトもあった。
「名古屋市で急増加中」と書いているサイトもあった。
が、都市部よりも、実は、農村部のほうが多いという説もある。

 長野県の北部(北信)の寺ではどこでも、無縁仏だけを集める、慰霊碑の建立が当たり前になっているという(友人談)。
若い人たちが都会に出る。
そのまま帰ってこない。
無縁仏がふえる。
そういう流れになっているらしい。

 無縁仏の定義も定かではなく、また納骨が、ごく日常的になされているということもある。
実数の把握がむずかしいようだ。

●居直る

 だったら、居直るしかない。
「どうしよう?」と悩んでいても、道は見えてこない。
先にあげた表を見てもわかるように、これはもう動かしがたい「事実」である。

 「この先、60%の人が、孤独死もしくは無縁死を迎え、発見までの平均日数は、死後6日」という数字まで、出ている(雑誌など)。

 「この先」とは、いつのことを言うのか?
そういう問題もあるが、「60%」でも、まだよいほうかもしれない。
そのうち70%になるかもしれない。
どうであれ、この文章を読んでいるあなたが、その60%に含まれる可能性は、きわめて高い。

 「私には息子がいる」「娘がいる」と、高をくくっている人ほど、あぶない。
息子や娘が、親のめんどうをみる時代は、すでに終わった。
反対に、あなたという親が、いつまでも息子や娘のめんどうをみる時代に入っている。
ウソだと思うなら、あなたの周辺を冷静に観察してみればよい。
年老いた両親が、若い夫婦のめんどうをみているという話はよく聞く。
が、その反対は、ほとんどない。

さらに「親孝行も遺産次第」と考えている若い人たちが、増加している。
「それなりの遺産があれば、めんどうをみる。そうでなければそうでない」と。
(この話とて、すでに20年前の話だぞ。)
私が、ほんの数か月前に聞いた話には、こんなのがある。

 嫁が夫の実家へやってきて、こう言った。
「100万円、よこせ」と。
そこで80歳を過ぎた母親が、「5万円くらいなら……」と言って、5万円を渡すと、その嫁は、その5万円を廊下に叩きつけて帰っていった。
(実の娘ではなく、嫁がだぞ!)

 もっともこんな話は、例外。

●親にめんどうをみてもらう若夫婦

(例1)

 毎週、土日に実家へ帰る若夫婦がいる。
年齢はともに35歳くらい。
子どもは2人(小学生と幼児)。

 若夫婦のほうの生活が苦しい(?)とかで、土日は実家で過ごす。
食費や生活費を、それで浮かす。

(例2)

 韓国へ転勤していった若夫婦がいる。
子どもは2人いる。
が、うち1人(小6女子)が、この冬、受験のため帰国。
母親(=子どもの実母)も、いっしょに帰国。
その代わりにということで、父親の母親(=祖母、85歳)が、韓国へ。
現在、その母親(=祖母)が、韓国で、父親ともう1人の子どものめんどうをみている。

(例3)

 数年前、1人の孫(女子)が、東京の私立大学へ入学。
その女性(父親の実母=祖母)が、学費を負担。
つづいて今度、もう1人の孫(女子)が、同じく東京の私立大学を受験。
息子(=その女性の実子)が、「学費を出してほしい」と。

 下の子ども(=妹)は、こう言っているという。
「お姉ちゃんが出してもらったのだから、私にも出してほしい」と。

 ……今、こういうケースがふえている。
子どもが親のめんどうをみるのではない。
親が、子どものめんどうをみる。
しかもここにあげた親(祖父母)は、みな、80歳を超えている。
話の内容は少し変えてあるが、内容的には、ほぼ実話である。

 だったら、居直る。
居直るしかない。
「孤独死、無縁死、おおいに結構」と。

●代替哲学

 が、死生観というのは、その人自身の哲学になっている。
「はい、わかりました」と言って、簡単に変えられるものではない。
「墓は不要」と口では言いながらも、自分の死後に不安を抱いている人は、多い。

 そこで戒名にしても、七七回忌にしても、自分なりの結論を出しておく必要がある。
それについては、私はたびたびBLOGの中で、書いてきた。

 原稿を探してみる。
みなさんもここに書いたことを参考に、自分で調べてみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「堂々たる迷信」と題して、こんな原稿を
書いたことがある。

 私たちが当たり前のように考えている、
あの七七回忌にしても、調べれば調べるほど、
あやしげなもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。

また道教経典の中にも、『元始天尊説鄷都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。

『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢
訳仏典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。
この点が、「十王経」類の特徴である。
と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じられてきたという経緯がある。

ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づけをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。

また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておらず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

 要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経ということ。

が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。

たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王経」が原点(=もと)になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。
没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生していく事になるため、七回すべてやるわけではない。
一般には、五七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。
これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。
ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。

もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化し
ている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

 つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。
死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

 ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。
これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウィキペディア百科事典より)。

 わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地獄へ送るかを決めるという。

 私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。
しかしこんなのは、まさに迷信。
迷信以上の迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。
極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的ですらある。

 法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

 「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。

 「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっているとしたら、これは問題である。
このおかしさ。
そして悲しさ。

 仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではないだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 
初七日 四十九日 法要 偽経 第3の選択 第三の選択 地球温暖化 地球火星化)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「地蔵十王経」

 繰り返す。

 地蔵十王経は、まっかなニセ経典である。
そのことは、だれしも知るところ。
この説を疑う人は、一度、経典を見てみたらよい。
どこからどう読んで、和製経典。

 こんな経典を根拠に、死生観を押しつけられたら、たまらない。
そこで私のばあい、法句経まで遡(さかのぼ)ることを考えた。
仏教徒を名乗るなら、当然のことではないか。
が、日本では、法句経を、どこか侮蔑の念をこめ、「原始経典」と呼ぶ。
「原始だから、未完成」と。
しかしその「原始」にこそ、釈迦仏教の神髄が凝縮されている。

 で、その法句経をどこをどう読んでも、「あの世」の話など、どこにも出てこない。
釈迦自身が、「あると思えばある。ないと思えばない」などと述べている。
「霊魂」に対する考え方そのものが、基本的な部分で、ちがう。

 その原稿を探してみる。
もう少し詳しく書いた原稿があるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あの世論(2002年7月記)

 あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。

 「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。
わかりやく言えば、「ない」と。
「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。
もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。
そうした例は、無数にある。

 たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。
あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ以外の何ものでもない。
むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。

『バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから』と。
(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

さらに「輪廻」。
和式仏教の根幹にもなっている。
2007年の9月には、
つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●輪廻(りんね)

++++++++++++++

生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。

生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。

が、ここで私は、ふと、思いとどまる。

生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。

しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。

戦前の日本のような国も、いや。

さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。

「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。

人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。

そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。

カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。

そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。
たぶんその奴隷は、こう言うだろう。

「人生なんて、一度で、こりごり」と。

そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。

(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)

私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。

そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。

+++++++++++++++

●輪廻思想

 インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければならない。
私たちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。
そういう部分は、多い。

 これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが今とはちがっていたのではないか。
たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、100年単位、200年単位で、時代が動いていた。

 あるときあなたはひとつの村を訪ねる。
そこで何人かの村人に会う。が、それから30年後。
再び、あなたはその村を訪ねる。
あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。
生活もしきたりも、30年前とまったく同じ。

 生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同じ。
30年前に会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。

 私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。
つまりあなたから見れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。
そのくるくると回っているという部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。

 それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。
一部、重複するが許してほしい。

+++++++++++++++++

【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

+++++++++++++++++++++

過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

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●時の流れ

 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。
学校の社会科の勉強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。
過去から、現在、そして未来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。
それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想像する人もいるかもしれない。
過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なっていく。あるいは上書きされていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。
瞬間の、そのまた瞬間に、未来はそのまま過去となっていく。
そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業を、何千回も繰りかえす。
が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となっていく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えている。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し出された映像にすぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と思うだけの話。
本当は、どこにもない。
つまり私にとって、時の流れというのは、どこまでいっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、インドでは、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。
つまり未来は、やがて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。
ちょうど、車輪の輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。現代に視点をおくと、理解できない。
たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)というものが、ほとんどなかった。
「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、100年一律のごとく、時が過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ人と同じような生活を始める。
同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。
人の動きもない。
話す言葉も、習慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたかもグルグルと回転しているかのように見えるはず。
死んだ人がいたとしても、しばらくしてその家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫たちが、以前と同じような生活をしている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、みなが、生活している。
それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリはいる。
しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえしている。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」という概念が生まれた。
輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。
それが輪廻思想へと、発展した。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。
現代社会では、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。
10年一律どころか、数年単位で、すべてが変わっていく。
数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。
している仕事もちがう。
こうした社会では、時の流れが、グルグルと回っていると感ずることはない。
ものごとは、すべて、そのつど変化していく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。
もっとわかりやすく言えば、冒頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった年表である。
しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現在をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないということ。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえかたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。
それが発展して、前世思想、来世思想となった。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。
しかし釈迦自身は、一言も、そんなことは言っていない。
ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法句)』(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦自身は、それについても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4~500年を経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりたち)によって、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底知れぬ謎が隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発見することができるかもしれない。

 そこでその第一歩。
あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えているか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。

+++++++++++++++++

●再び輪廻について

 たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、どれほどの意味があるというのか。
そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見ればわかる。
(だからといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのではない。誤解のないように!)

 毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。
同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事をして、あとは一日中、テレビの前に座っているだけ。

 これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たようなもの。
今日は、昨日と同じ。
今年は、去年と同じ、と。

 これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうすれば、この輪廻を断ち切ることができるかということ。

 まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。
(ヨーガというと、あのO真理教を連想し、どうもイメージがよくない。)
しかしだれも、このままでよいとは思っていない。

 そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求め、思考し、自ら意思を決定していくことこそ重要」と。
つまりこの輪廻を断ち切るためには、「私は私」と、その「輪」の中から飛び出すことではないか。

……と書いたところで、「ウ~ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイフに話すと、ワイフも、そう言った。

私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2~3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。


+++++++++++++++++

【未来と過去】

++++++++++++++

前向きに生きるということは、
未来に展望性をもって生きること。

今すべきことは、今する。自分から
取り組んでいく。

生き方が後ろ向きになったとたん、
その人の人生は、萎縮し始める。

++++++++++++++

●回顧と展望

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるという。
ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。
しかしこれには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。
反対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。
もちろんどちらがよいとか、悪いとかいうのではない。
ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。
それはほとんど毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。
そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。
私にとって大切なのは、「今」。10年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。
しかし釈迦の経典※をいくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。
日本に入ってきた仏教典のほとんどは、釈迦滅後四、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミックスされてできた経典である。
とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。
あるいは「あればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。
本当のところはよくわからないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。
少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手にしない。
どこかインチキ臭くて、不誠実。
小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。
小市民的で、スケールも貧弱。
仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。
与えられた「今」を、徹底的に生きる。
それしかない。
それに老後は、そこまできている。
いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。
そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむようになったら、おしまいということ。
あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。
そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々に前進することこそ、大切だ」と教えている。
しかも「死ぬまで」と。
わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。
そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。
人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。
過去ではない。
未来でもない。「今」を、だ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あの世

 7、8年も前のこと。
日本を代表する(?)、仏教哲学者と言われる人が、釈迦の生誕地を訪れた。
仏門に入ったという、あの女性宗教家である。
その女性宗教家が、釈迦の生誕地へ行き、こう述べた(NHKテレビ番組)。

 「こういうところに立ってみますと、釈迦の説いたあの世というものが、どういうものか、よくわかりますね」(記憶)と。

 こうしたウソを堂々と言うところが恐ろしい。
釈迦の生誕地で、釈迦の教えをそのものを、平気でねじ曲げている。
何度も書くが、釈迦はそんなことは、一言も言っていない!

 それはさておき、あの世はあるのか、ないのか。
私にもわからない。
が、私は「ない」という前提で、生きている。
宝くじと同じ。
当たることをアテにし、高額のローンを組むバカはいない。
同じように、あるかないか、それすらもわからない(あの世)をアテにし、今を生きるバカは、いない。
 
 あの世があるか、ないか。
それは死んでからのお楽しみ。
あれば、もうけもの。

●葬儀観

 大切なことは、自分で考え、自分なりの葬儀観をもつこと。
ただここで誤解してはいけないことがある。

 ただし、葬儀観には、二面性がある。
(送る人=遺族)でみる葬儀観と、(送られる人=死者)でみる葬儀観である。
送る人(遺族)は、遺族の側で、死生観を確立する。
送られる人(死者)は、死者の側で、死生観を確立する。

 冒頭で、「私は直送でよい」と書いたのは、送られる人(死者)の立場のもの。
だからといって、送る人に、それをぶつけてはいけない。
送る人には、送る人側の死生観がある。

中には、丁重な葬儀を行いながら、他方で、「私は直送で」と考えている人がいるかもしれない。
反対に、人の葬儀にはほとんど関心がなく、「私の葬儀だけはていねいにしてほしい」と考えている人がいるかもしれない。

 どうであれ、大切なことは、それぞれがそれぞれを認めあうこと。
自分とはちがうという理由だけで、相手を排斥してはいけない。
死生観というのは、そういうもの。

 その死生観が、そのまま葬儀観になる。

●2050年にはどうなるか

 ところで欧米には、『パラダイス』と呼ばれる薬がある。
安楽死用の薬である。
それがやがてこの日本でも、使われるようになるだろう。
すでに独居老人用の、「遺産管理人」という職業も生まれた。
つまりこの先、高齢者は、みなに迷惑をかけたくないという意思で、自ら死を選ぶようになる。
実は、この私も、そう考え始めている。

 ある年齢になり、はげしい苦痛を伴うような大病になったとする。
そうなったら、私は、安楽死を望む。
すでにそういう話を、オーストラリアの友人にしている。
頼んでいる。
彼は、オーストラリアで医師をしている。

 遺産は、遺産管理人に任し、自らの命を絶つ。
そのあとは、直葬。
密葬。
さらにつけ足せば、散骨。
生前、思い出の深い土地に、遺灰をまいてもらう。

 この先、そういう選択する人たちが、否応なしに、ふえてくる。
これはけっして、憶測でも何でもない。
統計で示された「事実」である。

●骨の破壊と再生

 が、それを不幸なことと思う必要はない。
私たちはその分だけ、「今」を懸命に生きればよい。
「今」の中に、極楽を見、天国を見る。
そういう生き方に切り替えればよい。

 それができれれば、「死」を私たちは克服することができる。
死の恐怖から、解放される。
(あのサルトルも、「死の概念」という言葉を使い、死を克服したぞ!)

 遺骨にしてもそうだ。
人間の遺骨にしても、日々に古い骨は廃棄され、新しい骨が再生されている。
今の今も、そうだ。
何も死んだときの「骨」だけが、遺骨ではない。
またそう考えてはいけない。

骨の寿命、つまり破壊と再生の期間は、2年半程度と言われている。
だからその骨が、どうなろうと、それほど心配することはない。
……というのは、書き過ぎかもしれない。
しかし合理的に考えれば、そうなる。

 繰り返しになるが、重要なことは、「今」をいかに有意義に、楽しく、朗らかに生きるか、である。
そのための哲学、人生観、死生観、そして葬儀観を、確立する。
時間は、あまりない。
というのも、こうした哲学を確立し、自己改革していくためには、10年単単位の時間が必要である。
熟成期間と言ってもよい。
その時間がかかる。

 仮に30歳の人が、その自己改革をめざしたとしても、哲学を確立するためには、10年、20年とかかるかもしれない。
しかし65歳までには、確立する必要がある。

●ジジババ・ゴミ論

 「ジジババ・ゴミ論」を知り、私は少なからずショックを受けた。
しかし今は、ちがう。
先にも書いたように、ゴミならゴミで構わない。
むしろゴミと居直って生きたほうが、気が楽。
へたにがんばるから、疲れる。
不安になる。
怒りも、そこから生まれる。

 さあ、あなたもゴミであることを、受け入れよう。
(だからといって、他人をゴミと思ってはいけない。誤解のないように!)
ゴミならゴミらしく、ゴミのように生きよう。
それこそ、まさに「無の概念」。

 人を恨まず、憎まず、ねたまず、うらやましがらず……。
ゴミならゴミらしく生きる。
無縁仏であろうが、なかろうが、そんなことは、関係ない。
またそんなことで、あの世で差別されるなら、そのときは真っ先に抗議すればよい。
墓があり、供養されるから、成仏できる。
墓がなく、供養されないから、成仏できない。
そんなバカげた(あの世)が、あるわけがない。
(もし、あるとしたらの話だが……。)
だいたい、「成仏」とは何か。
あえて言えば、幻想に包まれた、単なる思い込み。

 これが私の考えた、「ジジババ・ゴミ論」の結論ということになる。
このつづきは、少し間をおいて、また考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ ババ ゴミ論 ゴミでおおいに結構 成仏論 はやし浩司 輪廻論 来世論 2050年問題)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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