2012年2月13日月曜日

*Authoritarianism




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     2月 15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年中児の数遊び】2012年2月13日、収録

いろいろな数遊びをしてみました。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」2012年2月へとお進みください。
楽しいですよ。

(1)


(2)


(3)


(4)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【鬼嫁】【権威主義(都会人的優越感、田舎人的田舎根性】

●R先生へ

++++++++++++++++++++

昼は、おせち料理の残り物+お汁粉(しるこ)。
それだけ。
このところ肥満気味。
昨夜は、計10キロ近くを歩いた。

で、今日。
1月5日。
食事のあと、軽く(?)、30分ほど運動。
ウォーキングマシンの上で、歩いた。
その前に、読者の女性(母親)から、子育て相談があった。
1時間ほど、電話で話した。
どこの女性かは、わからない。
その女性は、関西弁を話していた。

それもあって、今は眠い。
本来なら昼寝タイム。
しかし今は、こうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
頭の中がモヤモヤする。
それを叩き出したい。

深いあくびと、睡魔。
それが時折、私を襲う。

+++++++++++++++++++

●R先生

 R先生が、嫁のことで苦しんでいる。
年末に、またまた大騒動があったという。
年賀状に、そう書いてあった。
「困っています」と。

 ひどい嫁ということは、よく知っている。
つい先日も、R先生のところへやってきて、「100万円、よこせ!」と。
で、R先生が、「5万円くらいなら……」と言って5万円を渡すと、その嫁は、その5万円を床に叩きつけ、そのまま帰っていったという。
無言のままだったという。

 一事が万事。
万事が一事。
そういう嫁である。
つまりそういう嫁(女性)も、世間にはいる。
そうでない人には信じられないような話だが、この話は、事実。

●息子氏

 書き忘れたがR先生は、女性である。
夫のU先生は、10年ほど前に、他界している。
U先生は、そのあたりでは著名な整形外科医だった。
また私と、夫だったU先生とは奇縁で、たまたま郷里が同じだった。
30年近く、たがいに行き来した。

それで親しくなった。

で、夫のU先生が亡くなってからは、妻のR先生と、そのまま交際している。
今年、R先生は、xx歳になる。

 R先生は、いつも嫁の夫、つまり自分の息子氏に、電話をかけたり、手紙を出したりした。
が、その嫁が、電話を取りつがない。
手紙は、途中で勝手に処分してしまう。
……というようなことが繰り返され、私が、代わりに息子氏との連絡係をすることになった。

息子氏と私は、ほぼ同年齢。
息子氏の結婚式では、私が友人代表を務めさせてもらった。
U先生(夫)がなくなったときは、葬儀場で、弔辞を読ませてもらった。

 その息子氏がある日、私にこう言った。
「ぼくら、形だけの夫婦です」と。

 まだ結婚して間もない、20年近くも昔の話である。
そのころ、すでにそういう状態だった。

 離婚話も何度か出た。
が、そのたびにその嫁は、狂ったように暴れ、それに抵抗した。
家族たちが集まり、その嫁を病院の精神科へ連れていこうとしたときも、そうだった。
狂ったように暴れ、それに抵抗した。

 何度か私が間に入って仲裁したこともあったが、無駄だった。
息子氏は気が弱く、やさしかった。
嫁の前では一言も、口答えできなかった。

夫婦げんかも激しい。
目の前で、息子氏が、靴で殴られるのを、何度も目撃した。
(靴で、だ。)
嫁はいつも、カッとなると、靴で、夫の顔面を殴った。

また興奮してくると錯乱状態になり、手当たり次第に、ものを投げた。
私が見たときには、フライパンを夫にめがけて、投げていた。
(フライパンだぞ! まともに当たれば、死ぬぞ!)

R先生に、手紙を書くことにした。

●R先生へ

お元気ですか?
背中のかゆみは、いかがですか?

年賀状を読み、いつものこととはいえ、ショックを受けています。
つらいお気持ちは、よくわかります。
あきれるというか、何とも残念でなりません。
かといって、何もできないことをお許し下さい。
しかしこんな状態が、綿々と、こうまで長くつづくとは、私も思っていませんでした。
もう30年になります。

とはいえ、Kさん(=嫁)のような女性は、いくらでもいます。
あのとき、先方の親たちが、「良縁です、良縁です」と喜んでいた顔が忘れられません。
何が良縁ですか!
今になってみると、そう叫びたいです。

先方には良縁でも、こちら側には、悪縁ですね。
あの両親は、もともと常識に欠ける人たちです。
が、あのKさんは、会って話していると、ごくふつうの女性だから驚きます。
人なつっこく、甘ったるい言い方で話しかけてきます。
人当たりだけはよい人なので、私が「あの女性は鬼嫁」と言っても、だれも信じないでしょう。
もちろん近所の人たちは、みな、それを知っていますが……。

一度だけですが、U先生(夫)に連れられて、Kさん(=嫁)の両親と会食したことがあります。
H町の、あのレストランで、です。
そのとき気がつきました。
原因は、あの母親ですね。
つまりKさん(=嫁)は、あの母親の気性をそっくりそのまま受け継いでしまっている。
私はそう感じました。
「この母親にして、この娘」と。

そういうケースは、少なくありません。
私の知り合いにも、似たようケースがいくつか、あります。
ただ今回のケースは、……(以下省略)……。

どうであれ、先生は、すばらしい人生を送られました。
研究者としての先生の地位は、揺るがないでしょう。
お名前も、後世の研究者たちに語り継がれるでしょう。
うらやましいと思うことも、しばしばです。

あとはいつものように、忘れ、明日に向かって生きていくしかないですね。
2012年も始まったばかりです。
あんな鬼嫁のことは忘れ、私たちは私たちで楽しく生きていきましょう。
私も、まだ、あきらめたわけではありません。
今年は何かできる!
そんな期待を抱いています。

言い忘れました、今年、私は65歳になります。
かねてから人生の目標にしてきた、65歳です。
やりたいこと、やるべきことが、山のようにあります。
あとはひとつずつ、それを崩していくしかありません。

X日ごろ、遊びにおうかがして、よろしいでしょうか。
その前に一度、また電話します。
そのとき、ご都合をお聞かせくだされば、うれしく思います。

                    林 浩司

●何ともしようがない

 R先生は、薬学の世界ではよく知られた女性である。
著書もあり、論文の数も多い。
4、5年前のことだが、こんな話をしたことがある。
「先生のように、ボケない秘訣は何ですか?」と。

 R先生は、「何もありませんよ」と言って、カラカラと笑っていた。

 R先生という先生は、そういう女性である。

 ただ息子氏の嫁には、恵まれなかった。
息子氏が結婚して以来、苦しみと悲しみの連続。
嫁が起こしたトラブルは、数知れず。
そのたびに、U先生(=夫)が、あちこちを走り回っていた。
U先生にしても、つらい毎日だった。
が、かといって、こうした問題だけは、私には何ともしようがない。
夫婦の問題は夫婦の問題。
私のほうから離婚を勧めるというわけにもいかなかった。
そういう相談があれば、相談に乗ることもできたのだが、先にも書いたように、息子氏はもの静かな男性。

 が、これも人生、あれも人生。
みな、それぞれの糸を引きずりながら、自分の人生を生きていく。
「運命の糸」という「糸」である。

 かく書く、私たち夫婦だって、似たようなもの。
偉そうなことは書けない。
年がら年中、ドタンバタン……。
今朝も、どちらが先に起き、ヒーターの電源を入れるかで、もめた。
「お前、行ってこい」「どうしていつも私なのよ」と。

今、この文章を読んでいるあなたにしても、そうだろう。
「私たちはパーフェクト」と胸を張れる人はいるだろうか。
私は、いないと思う。

 話題を変える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●都会人vs田舎人

 都会人は、都会的な優越感をもっている。
半面、田舎人は田舎的な田舎根性をもっている。
人間の心理というのはそういうもの。
表があれば、かならず裏がある。
その両者が対立しながら、社会の中でバランスを保っている。

 今でこそ、こうした都会的な優越感&田舎根性も、影が薄くなってきた。
しかし私がこの浜松市に移り住んだころは、そうではなかった。
浜松の人は、「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがった。
それが滑稽(こっけい)なほど、大げさだった。
40年近くの前のことである。

 半面、都会の人は、明らかに浜松の人たちを見下していた。
たとえば東京の人が、浜松へ遊びに来たとする。
そのとき、みやげをもってくる人は、まずいなかった。
いつも「来てやる」という態度だった。
少し前にも書いたが、たとえば電話で連絡してくるときも、「xx時xx分に、浜松駅に着きますから」と。
「だからその時刻に駅まで迎えに来い」と。

 もし反対に、私が東京に住む人に、その逆のことを言ったら、どうなるだろうか。
たとえば「東京駅に、xx時xx分に着きますから」と言ったら、どうなるだろうか。
果たして東京の人は、東京駅まで迎えに来てくれるだろうか。
親類でも、仕事上の人でもよい。
迎えに来てくれるだろうか。

 その答はここに書くまでもない。

●「東京までなら……」

 が、こうした都会人のもつ、都会的優越感はなくなったわけではない。
50代、60代の人は、いまだにその亡霊を引きずっている。
義弟がこんな話をしてくれた。

 義弟の息子氏が、埼玉県の女性と結婚することになったときのこと。
義弟は、相手の両親と一度、会うことにした。
で、電話を入れて相談すると、相手の父親が、こう言ったという。
「東京までなら、出て行ってもいいです」と。

 その「東京までなら……」という言い方が、義弟を怒らせた。
義弟は「埼玉のご自宅まで、おうかがいしていいですか」と聞いた。
その返事が、「東京までなら……」と。
義弟はこう言った。
「どうして東京の連中は、ああまで威張っているのかねえ」と。
(埼玉は東京ではないが……。
その父親は東京都内の某銀行に勤めていた。)

●中央集権意識

 その話をしながら、ワイフがこう言った。
「中央集権意識ね」と。

 日本は奈良時代の昔から、中央集権国家。
「中央が上」という意識が、骨のズイまで、染みこんでいる。
加えて日本人ほど、上下意識のはげしい国民は、そうはいない。
日本は世界に名だたる、儒教国家。
たった1歳年上でも、年長風を吹かす。
(たった1歳だぞ!)
私の親類には、そういう男性がいる。

 が、今、その権威が急速に崩れつつある。
つまり都会人の優越感を支える、都会的権威が急速に崩れつつある。
同時に田舎人も、田舎根性を捨てつつある。
また捨てなければならない。
そもそもこうした上下意識には、根拠がない。
何をもって「上」といい、何をもって「下」というのか。

 ……書いていくと、どうしてもあの『水戸黄門』に矛先が向いてしまう。
いまだにああいうバカげた番組が、この日本では、大手を振って歩いている。
「もう、いいかげんにしろ」と言いたいが、意識というのはそういうもの。
それを変えるには、10年単位の時間が必要である。

 ……かなり眠くなってきたので、以前書いた原稿を探して、その結論とする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【権威主義と天下のバカ大臣】

+++++++++++++++++++++

ときどき講演に招かれる。
ていねいに迎えられる。
が、居心地があまりよくない。
窮屈。
そのときいつも、私はこう思う。
「私は、そんな人間ではないのだがなあ」と。 

が、もしそんな私でも、毎日、そんなふうに
扱われたら……。
やがて感覚が麻痺し、意識が逆転するかも
しれない。

+++++++++++++++++++++

●官僚主義国家

 今朝も中国の友人からメールが届いていた。
こうあった。
原発事故被災地についてのメールだったが、最後の一文が、グサリと胸に突き刺さった。

「China is a dictatorship country, even Japan is not a real democratic country. 」
「中国は独裁国家だが、日本も同じように、新の民主主義国家ではない」と。

 これについては、世界中の人たちが、異口同音にそう書いている。

(1)なぜ日本では、大規模なデモ(抗議行動)が起きないのか、と。

 答は簡単。
日本人は、江戸時代より「もの言わぬ従順な民」に作りあげられている。
それがまた教育の第一目標になっている。
「ものを言う民」は、官僚政治にとっては、まことにもって都合が悪い。
が、それが悲劇ではない。
本当の悲劇は、日本人自身がそれに気づいていないということ。
民主主義もどきの民主主義をもって、それが民主主義と思い込んでいる。

 このことは私自身が経験している。
1970年に、オーストラリアのメルボルン大学(法学院)に留学したときのこと。
どのテキストにも、「日本は官僚主義国家」と書いてあった。
「君主(ローヤル)官僚主義国家」と書いてあるのもあった。

 当時の私はそれに猛烈に反発した。
が、日本は世界に名だたる官僚主義国家だった。
それから40年以上。
今に到るまで、何も変わっていない。
日本は、官僚のための、官僚による、官僚の国。

 日本の中に住んでいると、それがわからない。
日本の外に住んでみると、それがわかる。
あるいは外の国の人には、それがわかる。
「日本は新の民主主義国家ではない!」と。

●天下のバカ大臣、M/R

 TBS-iは、つぎのように伝える。

++++++++++++++以下、TBS-iより++++++++++++++++

M/R復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。

 宮城県庁を訪れたM/R復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。

 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(M/R復興相)

 笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受け取ると、M/R大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

 「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」(M/R復興相)

++++++++++++++以下、TBS-iより++++++++++++++++

 問題点は4つある。

(1)村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責したこと。
(2)笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否したこと。
(3)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と言ったこと。
(4)「今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」と言ったこと。
ほかにも、「オレは九州の人間だから、東北の市が何県にあるか知らない」と言ったとも伝えられている。

 いろいろな大臣がいるが、(……いたが)、ここまで権威主義の凝り固まった大臣というもの少ない。
まるで封建時代の殿様、そのもの。
「上下意識」が強く、「自分は偉い人間」と錯覚している。
はっきり言えば、バカげている。
つまりその錯覚意識があるかぎり、日本の民主主義は、完成しない。

 人は何をもって、「偉い」というか。
その前に「偉い」とは何か。
この日本では、地位が高く、肩書きが立派な人ほど、「偉い」という。
が、英語国には、「偉い」に相当する単語すらない。
あえて言えば、「respected」ということになる。
「尊敬される」という意味である。

 が、「尊敬される」というときには、地位や肩書きは関係ない。
いわんや日本流の上下意識は、ない。

M/Rは、大臣。
一方は、県知事。
M/Rは、無意識のうちにも(?)、上下判断をし、それに応じない相手を「無礼」と決めつけた。
まさに時代錯誤。
が、これは何もM/Rだけの問題ではない。

●権威主義

 権威主義と言えば、水戸黄門がある。
今でもテレビの人気番組になっている。
三つ葉葵の紋章をかかげ、「控えおろう」と一喝すれば、みなが、「ハハー」と言って頭をさげる。
日本人には、実に痛快なシーンということになる。
が、欧米人には、それが理解できない。
あるときオーストラリアの友人にこう聞かれた。

「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、どうなるのか?」と。

で、私が「水戸黄門は悪いことはしない」と答えると、まわりにいた学生たちまで、「それはおかしい」と言って騒いだ。
オーストラリアでは、ときの権力者といかに戦ってきたかが、歴史になっている。
ウィリアム・ウォレス(イギリス)、ロビン・フッド(イギリス)、マッド・モーガン(オーストラリア)などなど。
そういう人たちが英雄になっている。

 つまりそれを支える権威主義者たちがいるから、こういうバカ大臣がいつまでものさばる。

 話は少し脱線するが、以前書いた原稿を紹介する。
「意識」を考える、ひとつのヒントになれば、うれしい。
「世にも不思議な留学記」より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。
中には、「空手を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。
あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。
さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。
話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したためとわかった。
カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲んで、こう聞いた。
「忠臣蔵を説明してほしい」と。
いわく、「浅野が吉良に切りつけた。浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。
ここまではわかる。
しかしなぜ、浅野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。

加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。
それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に抗議すればよい。
また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本人は、水戸黄門に頭をさげるのか。
水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるのか」と。
私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになっている。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。
体中を鉄板でおおい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。
イギリスにも、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んでいるときのこと。
ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。
「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)という制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。
そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでいるかぎり、絶対にわからない。
が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのときすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。
「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア~」と。

だからといって、母を責めているわけではない。
母は母で、当時の常識に従って、そう言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。
が、その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。
一方、中の世界では、留学していたことを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてしまった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。
みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらしい仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 吉良上野介 忠臣蔵 意識論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因は歴史教育

 意識は、当然のことながら、教育によって、作られる。
とくに「歴史」については、そうである。
今でも、「私の目標は、織田信長になること」(M県・県知事)と豪語してやまない人がいる。

 それについて書いた原稿ではないが、参考までに、以前書いた原稿を、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●織田信長

++++++++++++++++++++++++++

織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

++++++++++++++++++++++++++

●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもがいたという(某雑誌)。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どどもいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された(=自害に追い込まれた)。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そのつど振り回されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
(実際には、織田信長は本能寺で自害。)
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかないのか?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らない。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かすため。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よろしく、政治家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きたか。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるのが、歴史教育の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」(スペインの小学校)と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよい。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生である。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう答えた。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、ほとんどいないよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返すような知識を、生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転車通勤をしているのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変えることはできない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 暗記教育)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●首相が自転車通勤

 この原稿の中で、とくに注意してほしいのは、以下の部分。

「ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった」。

 まともな人が見れば、狂っている。
その狂っていることが、当時は常識だった。
国名は忘れたが、当時すでに欧米では、首相といえども、みな自宅から自転車通勤をしていた(北欧)。

 それが民主主義……というより、民主主義の「結果」。

●天下のバカ大臣

 こういうバカが、大臣になった。
大臣になって、東北の復興を手がけることになった。
いわく、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と。

 人間も謙虚さを忘れたら、おしまい。
「大臣」「大臣」とチヤホヤされるうちに、自分を見失ってしまった。
被災者たちの気持ちを忘れてしまった。
だいたい「我々は何もしないぞ」とは、何ごとか!

 報道の内容が事実とするなら、この一言で、大臣失格。
即刻管直人首相は、M/Rをクビにすべき。
それができないというのであれば、管直人首相自身が責任を取るべき。

 ……朝、起きてニュース・サイトをながめた。
久々に、私は怒った。
で、あえて持論を確認。
「偉い」を廃語にしよう!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【「偉い」を廃語にしよう】

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

 日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。
よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。
日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり
偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 天下のバカ大臣 偉い 日本の民主主義 官僚主義 はやし浩司 偉いを廃語にしよう 復興担当大臣)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●眠い

 再び睡魔が襲ってきた。
 
 明日から仕事。
今夜は、舘山寺温泉にある、W温泉へ行くつもり。
外来で、1回、1000円で入浴できる。

明日から仕事。
それもあるから、ここらで気分を一新しなければならない。
2012/01/06夜記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 権威主義 水戸黄門 偉いを廃語に 都会人の優越感 はやし浩司 田舎根性)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幸福論】byはやし浩司

 私のBLOGに、コメントがついた。
コメントそのものは、珍しくない。
何かを書けば、かならずといってよいほど、コメントがつく。

しかしそのBLOGが、長い間、闘病生活をしている人の、何かの励ましになったらしい。
そういう内容のコメントだった。
うれしかった。
改めて、そのコメントのついたBLOGを、読みなおしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Joy & Happiness(2010年4月記)

++++++++++++++++++++++++

英語の文章を読んでいたら、英語国では、「Joy(喜び)」と、
「Happiness(幸福)」を、使い分けて考えて
いることがわかった※。

Joy、イコール、Happinessではない。
ある賢人は、こう書いている。

「Joyは、液体的なもの。Happinessは、
固形的なもの」と。

ワイワイと喜ぶのを、Joyというのなら、Happiness
は、静かなもの。
Joyは一時的なものだが、Happinessは、その人の
根底をささえるもの。

Joyは目に見えて、わかりやすいが、Happinessは、
それを失ったときに、それがわかるもの。
それまでは空気のようなもの。
目立たず、あなたの周囲で、ひっそりとたたずんでいる。
……とまあ、いろいろに解釈できる。

+++++++++++++++++++++++++

●大切なのは「今」

 幸福を考えるとき、皮肉なことに、犬の生き方を見ていると、おおいに参考になる。
犬は、その日、その日を懸命に生きている。
そこにあるのは、「今」という現実だけ。

 たとえばうちのハナ(犬、ポインター種)は、今年で、満14歳になる。
7倍すると人間の年齢に相当するそうだ。
だから人間の年齢にすると、98歳ということになる。
が、「死ぬ」ということに、何ら恐れを抱いているようには見えない。
「死ぬ」という概念すら、もっていない(?)。

 長い間、相棒だったもう一匹の犬は、6、7年前に死んだ。
「相棒」というよりは、母親的な存在だった。
さぞかしさみしいだろうなと思って、あれこれと気をつかった。
しかしそれほどショックを受けたようには、見えなかった。

●懸命に生きる

 「死」を考えるから、人生に、閉塞感が生まれる。
だからといって「死」を軽んじろということではない。
しかし生きている間は、「死」のことなど、気にしない。
気にしても、どうしようもない。
仮にあなたが今、健康で、仕事をし、家族がいるなら、「死」のことなど、気にしない。
「今、生きている」。
それだけを考え、あとは前向きに生きていく

 そのときは、そのとき。
死がやってきたときは、そのとき。
そうでなければ、犬のように生きればよい。
その日、その日を、懸命に生きればよい。

●回顧性

 満55歳前後から、人は、それまでの展望性から回顧性へと、人生観が変化していく。
わかりやすく言えば、生き様が、うしろ向きになる。
過去ばかりを、振り返るようになる。
これには、理由がある。

 脳みそについて言えば、後半期(recent)に蓄えた記憶ほど、先に消失していく。
そのため古い記憶ほど、脳みその中に残る。
だから歳を取れば取るほど、若いころ、さらには子どものころの記憶が、より強く
思い出されるようになる。
あるいは子どものころの記憶だけになる。
それが回顧性へと、つながっていく。

 私の知人の中には、50歳になったばかりというのに、墓参りばかりしている人がいる。
またそうすることが、人として、正しい道と思い込んでいる。
「先祖」「親孝行」という言葉も、よく使う。
回顧性というのは、それをいう。

●日々の生活の中に

 話が脱線したが、幸福に限界を感ずるのは、そこに「死」があるから。
病気になったとき、健康の意味がわかる。
そのとき健康の限界を知る。
同じように、いくら私は幸福と思っても、それは長つづきしない。
長つづきしないものという前提で、それを大切にする。

 ここで誤解してはいけないことがある。
多くの賢者が書き残しているように、幸福というのは、私たちのすぐ身近にある。
身近の、すぐそこにあって、私たちに見つけてもらうのを、じっと待っている。

 朝起きる。
目を覚ます。
朝日が、障子窓の向こうから白い光を投げかけている。
また目を閉じて、とりあえず、やるべきことを考える。
サクランボの木を切る。
空き地に、除草剤をまく。
ビワとレモンの木に、(催促肥料)をまく。
「礼肥料」ではない。
私たちは、「催促肥料」と呼んでいる。
「もっと実をつけろ」と催促しながらまくから、「催促肥料」という。
 それが「幸福」ということになる。

●幸福論

 懸命な人は、その価値を、失う前に気づく。
そうでない人は、それを失ってから気づく。

その第一が、健康。
その第二が、青春時代。

子どもがいれば、その第三は、子どものよさということになる。
が、それにもうひとつつけ加えれば、「幸福」ということになる。
 つまるところ、幸福というのは、その人の賢明さが作り出すもの。
賢明な人は、そこに幸福があることを知る。
そうでない人は、そこに幸福があることも知らず、あたふたと、
幸福をふみにじって生きる。
そう考えてよい。
それがこのエッセーの結論ということになる。
(10-04-25)

(補記注※)
The fact is always obvious much too late, but the most singular difference between
happiness and joy is that happiness is a solid and joy a liquid.
J.D. Salinger

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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