2010年10月12日火曜日

*Trouble Makers

【子どものウソ】(ウソともまし)


●子ども・雑感


 今朝は、思いつくまま、いろいろ書いた。
それからちょうど12時間。
夕食を終え、今は自宅の居間の中。
先ほど、ウォーキングマシンで30分、歩いた。
寝る前に、もう1度、20分、歩く。


●おとなを操る子ども 


 子どもはウソをつかないというのは、ウソ。
概して言えば、子どもはよくウソをつく。
ウソをつくことで、おとなの優位性を破ろうとする。
おとなを操る。
年齢的には、2歳前後。
ウソ寝、ウソ泣きから始まる。
年齢と共に、巧妙になる。
たとえばこんなウソ。


子ども(小3男児)、私に向かって、「ママが、林先生(=私)は、教え方が
デタラメと言っていた」
私「・・・。それが本当なら、今すぐ君のお母さんに電話をかけて、確かめてみる」
子ども、血相を変えて、「ヤメテエ! それだけはヤメテエ!」と。


 反対のことを母親に言っているのだろう。
こうしたウソには、双方向性がある。
「君のお母さんは、威張っていると林先生が言っていた」とか、何とか。
つまり子どもは、私と母親の間に立ち、自分のつごうのよいように、
私と親の双方を操る。


●もまし屋


 2人の間に入って、それぞれに相手の告げ口をする。
そういう形で、双方を離反させる。
「もまし」という。


AさんにはBさんの告げ口をする。
「Bさんがね、あなたのことをインチキと言っていた」と。
BさんにはAさんの告げ口をする。
「Aさんがね、あなたのことをズルイ人と言っていた」と。


 実際には、もっと巧妙な告げ口をしかける。
ふつうの会話にワナをしかけながら、相手を怒らせる。
怒らせながら、仲たがいをさせる。


 言うなれば悪魔のような心をもった人ということになる。
そういう人は少なくない。


●原因


 が、ここでの問題は、そういう人が、なぜそうなるかということ。
そのひとつのヒントが、先にあげた子どもにある。
抑圧された状態が長くつづくと、子どもの心は悪魔的になる。
「悪魔的」といっても、定型はない。
さまざまな形で、悪魔的になる。
イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
要するに、「心がゆがんだ子ども」になる。


 先に書いた子どもは、もちろん架空の子どもである。
しかし例としては、少なくない。
10人もいれば、1人や2人はいる。
ひょっとしたら、あなたの子どももそうかもしれない。
このタイプの子どもほど、親の前ではいい子ぶる。


●もまし


 「もまし」と言う言葉を、しかし私は最近まで知らなかった。
若い人たちの間では、常識的な言葉という。
そして私自身が、その「もまし」で、ひどい経験をするまで、それを
(もまし)とは気づかなかった。


 悪魔的な心をもった人は、そうして互いを離反させながら、それを楽しむ。
ふつうなら、告げ口は卑怯な人が使う手口。
そう考える。
私も子どもたちがだれかのことで、告げ口をしそうになると、すかさず、
それを止める。
「聞きたくない」と。


 しかし相手がおとなだと、そうはいかない。
そのまま聞いてしまう。
そしてその人の意図とは別に、話の中に出てくる人を、悪い人と思ってしまう。
「林さん(=私)、あのXさんね、あなたが送った歳暮をね、ケチなものだった
と言って笑っていましたよ」とか、など。


 こういう話を聞いても、直接、相手に確かめることはできない。
しかしウソと決めつけ、それを無視することもできない。
不快感だけが、あとにズシリと残る。
これが(もまし)の手口である。


●相手にしない


 こうした子どものウソについても、(もまし)についても、相手にしない。
無視。
(もまし)をする人物とは、つきあわない。
つきあえばつきあうほど、相手の深みにはまってしまう。
また子どものウソについては、無視。
叱っても脅しても、意味はない。
親に話しても、無駄。


 が、そこまで子どものウソを深く考えることができる親は、まずいない。
以前、この種のウソを平気でつく子どもがいた。
そこである日、そのことを父親に告げると、父親は逆に私に食ってかかってきた。
「貴様は、自分の生徒を疑うのか!」と。
子どものウソのほうが、私より一枚、上手(うわて)だった。


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●親子の逆転現象


 先日、ある父親がこう言った。
「うちの息子がね、結婚するとなったときのこと。
私に結婚式の費用を出してくれと言ったんですね。
それで私が、少しは出せるが、全額は無理だと答えると、息子のやつがね、
こう言いました。
『結婚式の費用くらい、親が出してくれてもいいじゃないか!』とね。
今は、そういう時代ですかね」と。


 たしかに今は、そういう時代。
たとえば親子の連絡がしばらく途絶えたとする。
それについて、怒るのは、息子や娘のほう。
「一度くらい、心配して、電話くらいくれてもいいじゃないか!」と。
親が息子や娘に対して、そう言うのではない。
息子や娘が、親に対して、そう言う。


 こういうのを本末転倒という。
親子について言えば、「親子転倒」、あるいは「子親転倒」。
私が若いころは、まったくの逆だった。
息子や娘のほうが心配して、親に電話をかけたりした。
盆や暮れには、親にあいさつに行った。


 が、今はちがう。
先にも書いたように、親子の関係が逆転した。
親が息子や娘のところに、あいさつに行く。
こうした逆転現象は、あちこちで見聞きする。


 若いAさん夫婦は、毎週土日を、近くの実家で過ごす。
親のめんどうをみるためではない。
食費を浮かすため。
子ども(孫)を親に預けて、遊びに出かけるため。
息子や娘が、親を温泉にでも招待するというのではない。
自分たちの時間を作るため、子どもを親に預ける。


 が、息子や娘たちには、「逆転している」という意識はまったくない。
それが「常識」と考えている。


●高度成長期の波の中で……


 私がこうした逆転現象を感じ始めたのは、すでに35年近くも前のこと。
時、折しも、この日本は稿で成長の波に乗り、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで世界の
富を集め始めていた。


 すべてが金(マネー)、金(マネー)の時代だった。


 そういう中、おかしなふうに考える親がふえ始めた。
「子どもを愛するということは、子どもに楽をさせること」
「子どもを大切にするということは、子どもに楽しい思いをさせること」と。


 だから長男、長女が生まれると、それこそ蝶よ花よと、手をかけた。
時間をかけた。
お金をかけた。
結果、ドラ息子、ドラ娘がどっと世に出てきた。
それまでは一部に過ぎなかった子どもが、この日本で主流を占める
ようになった。


 が、それから35年近く。
そのころの子どもが親になった。
つまりこの問題は、すでに2世代前の話。
根が深い。
ある母親は、こう言った。
「先生は、ドラ息子の話をしますが、私たち夫婦が、そのドラ息子、ドラ娘です。
どうしたらいいでしょうか」と。


 この話とて、もう15年も前のことである。


●考えなおそう!


 2世代かかって、日本はそうなった。
だから「正す」としても、この先、2世代はかかる。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも
親のめんどうをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%


 イギリスの若者……66%
 アメリカの若者……64%、という数字と見比べてみてほしい。


 こうした現実を、いったいどれほどの日本人が気がついているのか。
さらに言えば、子どもが行方不明になれば、親は血眼になってさがし求める。
しかし今は、逆。
親が行方不明になっても、大半の子どもは知らぬ顔。
こういう逆転現象がよいとは、だれも思っていない。


●ある相談より(「ファミリス」掲載済み)


 話がぐんと現実的になるが、先日、こんな原稿を書いた。
ひとつの参考になればうれしい。
この原稿のしめくくりとしたい。


+++++++++++ある父親の相談に答えて++++++++++++++


相談:中学3年生の父から
 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なことも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかっているのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。


A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。


そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、どうしてそんなことが言えるの!」と。


 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。


 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばかり見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配をしなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取らされますよ。


しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には「親のために大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。


あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さないこと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿勢が、かえって親子の絆を太くします。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心の暖かい子供 心の温かい子供 冷たい子供 冷たい子ども)



Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

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