2010年10月20日水曜日

*On Preschool children

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   20日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児期前期から幼児期後期の子どもたち】(自律期から自立期へ)

●幼児期

 幼児期は一般的に、2つの時期に分けて考える(エリクソン)。
前期(自律期)と後期(自立期)である。

 自律期にしっかりとしつけをすると、道理のしっかりした子どもになる。
善悪の判断感覚もしっかりとできるようになる。
(ビデオの中で、Sさんの言動に注意してほしい。
Sさんは、この年齢(年中児・5歳児)にしては、きわめて人格の完成度の高い
子どもである。注目してほしい。)

 自立期に入ると、たとえば口が悪くなったりする。
これを「優位性の打破」という。

●優位性

 一方、後期に入ると、子どもはおとなの優位性を打破しようとする。
つまり優位性を打破しながら、自立をめざす。
この時期、悪口、ウソ、盗みが多くなる。
そういう形で、自分を上から抑えつけているものを、打破する。
このビデオの中で、たとえば私を「ジジイ」と呼んでみたりするのがそれ。

が、そのとき大切なことは、(そういう言葉を助長せよということではなく)、
そういう言葉が言えないほどまで、子どもを抑え込んではいけないということ。
言いたいように言わせながら、本気で相手にしないこと。
(相手は幼児だぞ!)
とくに権威主義的なものの考え方をする親は、注意したらよい。
(「親に向かって、何よ!」というのが、権威主義。
私は「悪玉親意識」と呼んでいる。)

●成長過程

 このビデオをみてもらえば、この時期の子どもの成長過程がよく理解して
もらえる。
大切なのは、子どもが伸び伸びと自分の思ったことを言い、それを自由に表現
できるということ。
子どもというのは、抑えつけるのは簡単。
強圧を加えたり、叱ったりすればよい。
脅すのもよい。
しかしそれは幼児教育にあっては、邪道。
(日本では、その邪道が常識化している。
とても残念なことである。)

 花木と同じで、まず四方八方へ枝を伸ばさせてみる。
しっかりと土に根をおろしたら、そのあとゆっくりと剪定(せんてい)する。
よい枝を伸ばし、悪い枝を抑える。
その時期は、年長児の後期になってからでじゅうぶん。

●1人の人間

 併せて、子どもたちの会話の中から、この時期の子どもたちがものごとを
どうとらえ、どう考えるか、それがわかってもらえればうれしい。

 幼児は幼稚ではない。
1人の人間である。
未熟で未完成かもしれない。
知識や経験は乏しいかもしれない。
しかしその「心」は、おとなの私たちと、どこもちがわない。
そればかりか、子どもの心は純粋で汚れがない。
美しい。
私たちはおとなになるにつれて、その美しさを失っていく。

 子どもたちの明るい笑い声。
それを守り、育てていくのは、私たちおとなの責務である。
子どもたちの明るい笑い声を、どうか、あなたも一度童心に返って、楽しんで
みてほしい。

●実際の指導例より

年少児、年中児(4~5歳児)のみなさん。

Sさん……たいへん知的な能力にも恵まれ、人格の完成度の高い子ども
     いつも興奮状態で、私のレッスンに食いついてくる。迫力がものすごい。
Tさん……静かな落ち着きのある、知的な子ども。道理がよくわかり、ものの考え方が
     明るく、前向き。幼稚園でも、最リーダー格。
Yくん……たいへん愛情豊かで恵まれた環境に育っている。子どもらしく、屈託がない。
     伸びやかな子どもというのは、Y君のような子どもをいう。
Tくん……自由奔放。思考がやわらかく、年長期に入ると、ぐんぐんと伸び出すタイプ
     の子ども。(お楽しみに!)明るく、すなお。たいへん伸びやか。
Hくん……3歳児。当初2か月ほどは、まったく声を出さなかった。まずまわりの様子を
     観察しながら、情報を吸収する。(これを観察学習という。)が、数か月くらい
     から声を出すようになり、みなといっしょにゲラゲラと笑うようになった。
     こうなったらしめたもの。やがてみなと同じように行動し始める。思考が
     やわらかく、興味の芽がどんどんとふくらんでいる。

 とにかく伸びやかな子どもたち。
まさに『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ(Happy Learners learn Best!)」。
それをこのビデオを通して、見ていただければ、うれしい。
みんなすばらしい子どもになる。
私、はやし浩司が保証する。

2010年9月24日のレッスンより。

(今回から15分編集になります。)

【1】


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【2】


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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



【3】


value="http://www.youtube.com/v/vaTSEPvLnDM?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/vaTSEPvLnDM?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



【4】


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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 3歳児の能力 4歳児の能力 自律期 自立期 伸びやかな子ども
 はやし浩司 伸び伸びした子ども 子どもを伸ばす 明るい子ども 伸びやかな子ども
とは)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人たちよ、声をあげよう!

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう。
でないと、私たち老人は、若い世代の人たちに、よいように料理されてしまう。

 現在、「75歳以上は、手術をしない」「80歳以上は検査はしても、
治療はしない」が、医師たちの間で暗黙の了解事項になっているという。
義兄(76歳)がそう言っていた。
義兄は前立腺がんになり、この4、5年、その病気と闘っている。
「75歳」という数字は、前立腺がんに関してだけのものかもしれない。
もともとおとなしいがんだから、75歳以上の人は、手術をせず、ホルモンに
よる温存療法をすることが多いという。
そういう意味で、医師はそう言ったのかもしれない。

しかし私の実兄(当時68歳)も、担当の医師にはっきりと、こう言われたことがある。
「私は治る見込みのある患者は治療しますが・・・」と。
「私の兄のように(当時)、治る見込みのない患者は治療しない」という意味に取れた。

また叔母(85歳)の1人は、最期の最期まで尿道炎で苦しんだ。
菌が耐性をもってしまったらしく、どんな薬も効かなくなってしまっていた。
で、従姉が「何とか治してやってほしい」と懇願したときのこと。
担当の医師は「歳が歳ですから・・・(あきらめてほしい)」と。

 この先、その年齢が引き下げられることはあっても、引き上げられることはない。
が、医師を責めてはいけない。
今でさえ医療制度は破綻状態。
私たちがへたに長生きすればするほど、その負担は、若い人たちにのしかかっていく。

●精進

 が、老人たちは早い時期に、自ら身を引いてしまう。
またそれが老人として、あるべき姿のように考えてしまう。
しかしわかりきったことだが、私たちは生きているかぎり、人間。
死ぬまで人間。
それまで人間として、主張すべきことは主張する。
そうした声が、老人の存在感を明確にする。

 ただ残念なことに、老人にも問題がないわけではない。
ある時期を過ぎると、自ら進歩するということをやめてしまう。
が、誤解してはいけない。
停滞イコール、現状維持ではない。
停滞したとたん、脳みその底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験がどんどんと漏れ出ていく。

 50歳になるとそれが自分でもはっきりとわかるようになる。
60歳になると、さらにそれが加速する。
たった数か月前に覚えたことすら、忘れてしまう。
それと闘うためには、漏れ出ていく以上の分を、補充するしかない。
新しい分野に興味をもち、それにチャレンジしていく。
それが「精進(しょうじん)」ということになる。
和式仏教では別の意味で使っているが、それが「精進」である。

 人は最期の最期まで精進を繰り返す。
知力だけではない。
「心」についても、精進を繰り返す。

それはちょうど健康論に似ている。
究極の健康論がないのと同じように、究極の精神論というものもない。
1週間も運動をサボれば、その瞬間から、健康は下り坂に向かう。
東洋医学の世界では、『流水は腐らず』と教える。
が、それは肉体の健康というよりは、精神の健康をいったもの。
その精神が腐り始める。

 私は幸いなことに、毎日子どもたちと接することができる。
若いときはそれほど深くは考えなかった。
が、最近は、よくこう考える。
「子どもたちと接してきて、よかった」と。
1週間も休みがつづいたりすると、気分がどんどんと滅入っていく。
自分でもそれがよくわかる。
だから私はこう言う。
「職場が、ストレス発散の場です」と。

 これは誇張でも、ウソでもない。
子どもたちの顔を見たとたん、気分がパッと晴れる。
そういうことは、毎回のようにある。

●存在感

 話はそれたが、自分がその年齢になってみて気がついた。
つまり「私たち老人は、(まだ自分では「老人」とは思っていないが)、
おとなしすぎる」と。

 内々で威張っている老人は多い。
内々でそれらしいことを主張している老人は多い。
しかし「内々」。

 重要なことは、個々の老人ではなく、「老人」がもつ存在感を、
もっと訴えていくということ。
「老いては子に従え」というのではいけない。
私たちは人生の先輩として、若い人たちのリーダーになる素質を、
じゅうぶん備えている。
無駄に生きてきたのではない。
その知識と経験を、もっとアピールしていく。

 iPod?
アンドロノイド?
・・・「そんなもの、知らない!」ではなく、私たちはそれを知る。
買う。
買って、使う。
使って、若者たちの前で遊んで見せる。

またけっして自分を、完成された人間と思ってはいけない。
思ったとたん、社会からはじき飛ばされてしまう。
が、これだけは忘れてはいけない。

 今、若い人たちは別の目を使って、冷ややかに私たちを観察している。
そしてその目は、年を追うごとにきびしくなってきている。
以前は「粗大ゴミ」と言われた。
今では、幼稚園児ですら、私たち老人を見て、「クソジジー」とか、
「クソババー」とか、平気で言う。
親たちもそれを制しなくなってきている。

 私たちには、やるべきことがある。
そのやるべきことを追求する。
体が動かなくなり、頭が働かなくなるまで、追求する。
そういう姿を見て、若い人たちは、私たち老人を評価する。
「孫の世話と、庭いじり?」。
そんなものは、老人がすべきことではない。
あるいはあるべき理想の老後の姿ではない。

 で、最初の言葉。 

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう、と。

今朝は起きて、すぐ、そんなことを考えた。
久しぶりの快晴。
土曜日。
山荘からは、遠く太平洋まで見渡すことができる。
さわやかな気候。
秋がやってきた。
気分は、最高。
今日もがんばる!

2010年9月25日、土曜日


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
最近は山猿が出没するようになった。
10~20匹の集団で行動している。
ときに群れどうしが、衝突することもある。

 が、昨夜山荘へ来てみると、敷地内のじゃりが、波を打ったように、
荒立っていた。
どうやらイノシシのしわざらしい。
イノシシは両手で手前に引きながら、地面に穴をあける。
そのため三角形様の穴があく。
(もっとも敷地内の下地は、コンクリートを敷いたように硬くなっている
ので、穴といってもたいした穴ではないが・・・。)

 イノシシは、こうして何かの根をさがして、夜中じゅう、歩き回る。

●どこかのサル

 どこかのサルは、たった一匹で、がんばっているという(?)。
あちこちに出没して、人間に危害を加えているという。
しかしサルというのは、追い回してはいけない。
追い回せば追い回すほど、凶暴になる。
(すでに凶暴化してしまったようだが・・・。)

 このあたりでもサルが多く出没するようになった。
第二東名の道路工事が始まって以来のこと。
山に住めなくなったサルたちが、追われてこのあたりまで
やってくるようになった。
最近では、谷下の部落の中にも出没するようになったという。

 そのためこのあたりの農家の人たちは、農作物を耕作するのを
あきらめてしまった。
どの家にも、果物の木があったが、それを切り倒してしまった。
私の家にも、栗の木、柿木、桃の木などがあった。
しかしこの春、切り倒してしまった。
梨の木もあったが、それも切り倒してしまった。
残っているのは、ビワの木。
それに背丈は低いが、キンカン。
これらもこの秋には切り倒すつもり。

 サルというのは、やっかいな動物で、高いところを伝って移動する。
たとえば私の家の東に、ビワの木がある。
西に栗の木がある。
そういうときサルは、ビワの木から電線を伝ってまず私の家の屋根に
やってくる。
屋根を横切って、そこから栗の木に飛びつくいていく。
そのとき、屋根の樋(とい)を破壊したり、テレビのアンテナを折ったり
する。

 で、来週は、中部電力の人に来てもらうことになっている。
電線に、トゲつきのカバーをかけてもらう。
本来は鳥よけのものだそうだが、それをサルよけに使ってみる。

 人間から見れば、「知恵比べ」ということになる。
しかしサルから見れば、生存をかけた「命がけ」ということになる。
冒頭で、「がんばっている」と書いたが、少し不謹慎。
それはよくわかっている。
しかしこのあたりには何10匹ものサルが出没し、被害は甚大。
が、ニュースにもならない。
「たった一匹程度で、何だ!」という気持ちで、そう書いた。


●日本、危うし(チャイナ・リスク)

 中国が、まともな国でないことは、今回の一連の事件でわかったはず。
昨日の報道によれば、「(中国は)領土問題では、一歩も譲歩しない」という
ようなことまで言い出した。

 最終的には、「沖縄も、中国の領土」と言い出すだろう。
すでに中国国内では、公然とそう主張する学者が出始めている。
考えてみれば、「日本」を、「NIPPON」と音読みにすること自体、
おかしなこと。
(どこの国が、外国語で自分の国を呼んでいるか?
「NIPPON」というのは、中国語だぞ!)
また「日本」というのは、「日(=太陽)が出る国」という意味だが、
「太陽が出るか出ないか」は、中国側から見てわかる話。
日本に住む日本人の発想ではない。
つまり「日本だって、もとは中国の領土」?

 ・・・ということはないにしても、日本の天皇のルーツは、韓国人。
そういう話は、韓国では常識。
「奈良(ナラ)」という名前にしても、「国」を意味する韓国語。
「奈落の果てにある国」という意味で、奈良は「奈良」になった。
その昔は、「奈落」と書いていたという(金素雲氏)。
しかし「奈落」では言葉が悪い。
そこで「奈良」にした。

 さらに天皇を取り囲んでいた、物部(もののべ)氏一族は、
「ものを述べる人イコール、通訳」だったという説もある。
「君(キミ)」「僕(ボク)」という言葉は、「金氏朝鮮」「朴氏朝鮮」に由来するという
説もある。

 だから若いころ私は金素雲氏に、「証拠がありますか」と問い詰めたことがある。
が、氏はこう言って笑った。
「仁徳天皇の陵墓を発掘すればわかることです」と。
金素雲氏というのは、当時の韓国を代表する歴史学者だった。

●チャイナ・リスク

 ・・・つまり私がここで書きたいのは、ことアジアに関して言えば、
国境など、あってないようなもの。
それぞれの民族がたがいに入り交ざりながら、現在に至っている。
あの朝鮮半島にしても、中国は、渤海国を口にしながら、「もとはと言えば
中国の領土」と言い出している。

 チャイナ・リスク・・・中国に偏りすぎると、その分だけ、経済的な
リスクが大きくなる。
現に今、中国は、レアメタルの対日輸出を全面的に停止している。
つまりこういうメチャメチャなことを平気でするのが、またできるのが、中国。
大国としての威厳など、どこにもない。
やっていることは、そこらのチンピラか、街の暴力団と同じ。
「チャイナ・リスク」の本当の恐ろしさは、ここにある。

 日本は、今、10年後、20年後を見据えて、対中国戦略を練り直す
必要がある。
中国なしでもやっていかれる国作り。
それを早急に推し進める必要がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本 金素雲 仁徳天皇陵墓 仁徳天皇陵 奈落 奈良 はやし浩司 
猿被害 サル被害)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●パソコン

「週刊アスキー」の今週号(10-26)の付録に、トランプカード
がついていた。
図柄に、歴代の・・・というか、1977年当時からのパソコンが
印刷されていた。
いちばん古いのが、1977年のAPPLE II。
この機種は、私がPET2001を買った直後に発売になったもので、
よく覚えている。
たしかモニターなしで、40万円前後ではなかったか。
(当時の価格で40万円だぞ!)
アップル社のあのカラフルなロゴが、ググーッと購買欲をそそった。

つづいて紹介されているのが、SharpのMZ-80K(1978)。
この機種も買わなかったが、よく覚えている。
浜松にさえパソコンショップが、まだ1~2店しかない時代だった。
「ムーンベース」という店があって、そこでそれをよくいじらせてもらった。

 そのあと、NECのPC8000の時代へと突入する。
以後、私は毎年、2~3台は新しいパソコンを購入した。
当時はパソコン1台が、40~50万円もした。

懐かしいというより、そこに時代の流れを感ずる。
私はいつも新しいパソコンが発売になると、それを見に行った。
買いたくても買えなかったパソコン。
買っても、すぐあきてしまったパソコン。
中には使い物にならなかったのもある。
NECのUシリーズも、そのひとつ。
当時はやり始めた「パソコン通信」をやりたかったが、カタカナ表示のみ。
どうすれば漢字表示ができるか、あれこれ試してみたが、結局、できな
かった。
数か月使っただけで、お蔵入り!

●1977年 

 APPLEのAPPLEIIが、発売になったのは、1977年となっている。
しかしそんなはずはない?
その数年前には、TOSHIBAのTK-BSが発売になっている。
今でいう電卓を複雑したようなパソコンで、マシン語でカチカチと
命令を打ち込んでいく。
たとえば(A+B)xCという命令を先にプログラムする。
そのあとA、B、Cの値を入力すると、その答えが、表示された。

その直後、PET2001が、発売になっている。
APPLEIIが、発売になったのは、ほぼ同時期だった(?)。
私はその斬新なデザインに驚いた。
1977年より、少し前ではなかったか?
「1977年と言えば、私が満30歳になったとき」と。
今は、そんなことを思い出しながら、そのトランプカードを見つめている。

 ・・・といっても、現代のパソコンとは、大違い。
ベーシック言語でプログラムを組むと、二次曲線のグラフを、ポツポツと
点で描いてみせてくれた。
私はそれをジーッと見つめていた。
それが楽しかった。

●無念

 で、ここからがジジ臭い話になるが、ごめん。

こういう(流れ)を見ていると、その(流れ)を見届けられない(はがゆさ)と
いうか、無念さを覚える。
この先も、パソコンの世界はどんどんと進んでいくだろう。
10年後にはどんなパソコンが発売になるのだろう。
20年後には・・・。
そのころには、私は生きていないかもしれない。
生きていても、脳みそが使いものにならないだろう。
今でさえ、あぶない!

●骨董的価値

 で、最近は、こう考える。
「新しいパソコンを買うのは、未来への投資のようなもの」と。
できるだけ最新型を買う。
歴史を可能なかぎり、先取りする。

 また現在、骨董品が、ほとんど価値を失っている。
骨董品だけではない。
コインも切手も、価値を失っている。
たとえば東京オリンピックのとき、1000円銀貨が発売になった。
その銀貨にしても、現在、実勢の交換価格は、1100円程度。
切手については、いくら古くても、表示価格でしか売ることができない。
モノがあふれ、モノに対する感覚そのものが、変わった。
言い忘れたが、あのPET2001(当時、33万円前後)にしても、今、
オークションに出しても、2000円前後の価値しかないという。

 だったら、捨てるしかない。
とくにパソコンは、磨いて床の間に飾っておくようなものではない。
ボロボロになるまで、使って使って使いまくる。
そのあと捨てて、また新しいのを買う。
たった2~3年前のパソコンでも、価値はゼロ。
処分するにも、引き取り料が取られる。

●ワープロ機として

 が、ゲーム機として使うパソコンは別として、私のようにワープロ
専用機として使う人には、それほど高性能のパソコンは必要ない。
5~6年前の機種でも、何ら問題ない。
となると、ワープロ機としてパソコンは、どうあるべきか?
3つほど、希望を並べてみる。

(1)文章の安全性・・・書いた文章を、そのつど即座にSAVEする。
保存した文章は、そのつど別ドライブにも保存できるようにする。
WINDOW7でも、そのつど別ドライブに保存できるようになっているが、
イマイチ使い勝手が悪い・・・。
あっという間に、1テラバイトのハードディスクが満杯になってしまう!
 
(2)言葉の検索・・・ワードならワード文書全体から、つまりすべての
ファイルの中から、あいまい検索ができるようにする。
「~~年~~月ごろ書いた、~~についての原稿」というような検索が
できるようにする。

(3)性能の問題・・・現在、私の書いた原稿は3~4万ページ近くに
なっている。
このファイルに、別の文章を追加すると、それだけでも10分ほど時間が
かかる。
最新のi-7、3GHz~、64ビットのマシンを使っても、それくらい時間がかかる。
もっとすばやくできないものか?

●未来像

 なお、こんなソフトを作ってほしい。
称して「話し相手ソフト」。

 たとえば先にも書いたように、この10年間で書いた原稿が、3~4万ページ
にもなる。
そういう原稿の中から、適当に検索をしながら、私の会話に、言葉として
応じてくれるソフトである。

「今日は、何日だった?」
「9月21日だよ」
「ピーターサロベイって、知っているか?」
「ああ、データがあるから、画面に表示しようか」
「頼むよ・・・」とか、など。

 想像するだけでも、楽しくなる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●野生児(タマラとアマラ)

 ひとつの情報に出会い、つぎに同じような情報に出会うのは、
こちら側が求めてそうするばあいをのぞき、めったにない。
たとえば最近、私はタマラとアマラに関する文献を目にすることが
できた。
偶然だった。
もしその偶然がなかったら、私は自分がもつ知識を修正することは
なかっただろう。

俗に言う、『オオカミ少女』と呼ばれる2人の少女である。
そののち、心理学の本でもたびたび取りあげられている。
「野生児」という言葉も、そこから生まれた。

要点をまとめると、こうだ(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎
(新曜社))。

(1) オオカミの乳は、人間には飲めない。……だから少女たちがオオカミの
乳で育つはずがない。
(2) オオカミは、人間の子どもを連れ歩くのは不可能……オオカミはどうやって
赤子を運んだのか。
(3) ウィリアム・オグバーンというアメリカの社会学者が、
1951年に現地に入った。
が、オオカミ姉妹が発見されたという「ゴダムリ」という村は存在しなかった。
(4) 現地に新聞が残っていて、「少女たちが見つかったのは、トラの
穴」と記述されていた。
(5) 少女たちを発見したのは、シング牧師ではなく、サンタル族の住民
だった。
(6) 写真を詳しく調べてみたが、推定年齢(カマラは8歳半、アマラは
1歳半)が合わない。

 私はたびたびオオカミ姉妹(少女)について書いてきた。
この本だけで、すべてを否定するものではないが、しかし大きな疑念が
生まれたのは事実。
さらにその本は、シング牧師夫妻が寄付金集めのためにしくんだ作り話の
可能性があると説く。
実際、現在の今でも、欧米ではこの手の詐欺が後を絶たない。
(ついでに書き添えると、欧米では、孤児院経営を看板に、この種の詐欺が
日常化している。
じゅうぶん、注意したらよい。)

 で、結論としては、「自閉症か何かの障害をもった姉妹が、親に捨てられた。
その姉妹が、何年かあとに見つかった。村人たちは世話に困り、シング牧師の
ところへ連れていった」ということらしい。

 ・・・となると、私が今まで引用してきた話は、すべて訂正しなければ
ならない。
野生児の話は、ウソだったのか?

が、ここで注意したいのは、だからといって子育て論の本筋、たとえば
人間性と臨界期の問題、言語発達と臨界期の問題まで否定されるというのでは
ない。
人間はそれぞれの成長期に、それぞれの適切な環境で、適切に育てられなけば
ならない。
人間性にしても、言葉にしても、さらにたとえば音感やもろもろの美的感覚
にしても、その時期を逃すと、その後、修復がたいへんむずかしくなる。
たとえオオカミ少女の話がウソであったとしても、その重要性は変わらない。
またまったくのデタラメだったとしたら、こうまで長く、多くの心理学者や
精神学者、さらには哲学者たちの支持は受けなかっただろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 オオカミ少女の謎 オオカミ姉妹の謎 野生児への疑問 オオカミ少
女は存在しなかった はやし浩司 タマラ アマラ シング牧師 疑惑 野生児疑惑 オ
オカミ少女疑惑 オオカミ姉妹疑惑)


●山荘を手放す

 今日、山荘から帰るとき、ワイフとこんなことを話しあった。
「あと、2、3年したら、山荘を売ろう」と。
さみしい決断だった。
このところ山荘を利用する回数が、ぐんと減った。
「利用する」というよりは、「利用しなければ」と、何かせかされている
ような気分になることが多くなった。

 それに率直に言えば、私もワイフも、同じように歳を取った。
車の運転も、これからはあぶなくなる。
つい先日も、ワイフは、車をバックさせているとき、車の後部を
電柱にぶつけてしまった。
注意力も散漫になってきている。

 が、そのとたん、よき友を失ったようなさみしさを覚えた。
息子たちが巣立っていったときのようなさみしさだった。
土地作りに6年もかかった。
家は、建築会社に建ててもらったが、そのあといろいろな工事は自分たちでした。
家の周囲に砂利を敷いたのも、私たちだった。
そんな無数の思い出が、どっと脳裏を満たした。

私「さみしいね」
ワ「そうね」と。

 しかしいつまでももっているわけにはいかない。
これから先、雑草の管理すら、ままならなくなる。

私「しかしどうせ譲るなら、大切にしてくれる人にしよう」
ワ「そうね」と。

 ・・・ということで、新しいHPを立ち上げることにした。
『山荘を譲ります』というタイトルのHPである。
まだUPLOADしていないが、ここ1~2か月のうちには、
完成させたい。
私のメインのHPから、入れるようにする。
興味のある人は、見てほしい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より。

今すぐ・・・ということは考えていない。
現在私は62歳。
もうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
希望としては、65歳前後にだれかに譲渡できればと願っている。


●離婚

 結局、私たちは離婚するのをやめた。
喧嘩するたびに、「離婚だ」「離婚しましょう」となる。
が、今回も、またやめた。

 どうあがいても、私の人生も残り10年。
ワイフの人生も残り10年。
こういうとき人は1つの選択に迫られる。

「残り10年だから、今までの人生を完成させよう」、
あるいは、
「残り10年だから、やり直せるものなら、やり直そう」、と。

 つまり離婚しないで、残りの人生を共に力を合わせて生きるか、
それとも離婚して、人生をゼロからやり直すか、と。

 が、2人の間には、共通の思い出が山のようにある。
私の思い出イコール、ワイフの思い出。
ワイフの思い出イコール、私の思い出。
一体性が、あまりにも強すぎる。
平たく言えば、2人で1つの人生を生きてきた。
離婚などあえてしなくても、そのうち「死」が私たちを分かつ。

 では、私たちが定期的に繰り返す離婚騒動とは、いったい、何なのか。
祭り?
習慣?
あえて言えば、倦怠感を吹き飛ばすための定例儀式。
2、3日もすると、「やめよう」「やめましょう」と言う。
仲直りする。
そしていつもどおりの日々が、再び流れ始める。

 義兄に話すと、「だからこそ、夫婦でいられるのだよ」と。
つまり夫婦も会話が途切れたら、おしまい。
喧嘩もしなくなったら、おしまい。
言い争うから、夫婦。
・・・ということらしい。

 で、今は、今度2人で、昼神温泉へいっしょに行こうと話しあっている。
浜松から直通バスが出る。
往復6000円弱。

私「お前さあ、ぼくのことを本当は嫌っているんだよ」
ワ「そんなことないわよ。勝手に決めつけないでよ」
私「いいのか、ぼくで?」
ワ「あなたしかいないのよ。よくても悪くても・・・」
私「そうだよなあ。ぼくにも、おまえしかいないし・・・」と。

 かくして今は、平穏+平和な日々がつづいている。

(補記)

 同時に今、ワイフとの間で、こんな会話をよくする。
「2人でオーストラリアへ移住しよう」と。
このときも同じような選択に迫られる。
「残り少ない人生だから、好き勝手なことをしよう」、
「やり残した感じはあるが、無難な余生を送って過ごそう」と。

 こうした(やり残し感)は、どうやらだれにでもあるものらしい。
つまり人生は、そのつど選択の連続。
その選択をしながら、もう一方の選択肢に未練を残す。
こうして私たちはトボトボと、(トボトボと、だ)、自分の道を歩く。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●ソフリエ

++++++++++++++++

「ソフリエ」という言葉が、ある
雑誌に載っていた。
定年退職後の老人男性を指した言葉で、
育児のできる男性を意味する。
そのための育児講座があり、そこで認定
されると、「ソフリエ」の認定資格が
与えられるのだそうだ。

いわく「団塊世代をマンパワーとして
活用し、孫育てに生かすことで、生活の
充実と子ども世代の負担軽減を見込める」
(某雑誌)とか。
つまり「一石二鳥」とか。

+++++++++++++++++

●バカにするな!

 こういう発想ができるのは、そういう世代の若い人たち。
私たち団塊の世代を余剰人間としかみない、そういう連中どもである。
以前……といっても、10年ほど前にも、そうした動きが浜松市でもあった。
「これから先、団塊世代をどう使っていくか」と。
何かの会議で、討論の議題になったらしい。

 が、「団塊世代をマンパワーとして活用する」だと!?
バカも休み休み言え。
このドラ息子、ドラ娘ども!

 私たちがほしいのは、「仕事」。
経験や知識を生かした仕事。
たしかに体力は弱る。
気力も知力も弱る。
そのため、一人前の仕事は、無理。

だったら仕事を週3日制にするとか、労働時間も、午後からだけにするとか。
1人分の仕事を、2人で分けてするという発想で、(あるいは3人で分けるという
発想でもよいが)、私たちの「仕事」を考えてほしい。
ちゃんと給料がもらえる、「生きがい」を考えてほしい。
私たちが求めているのは、「暇つぶし」ではない。

……とまあ、できるだけ穏やかな口調で書いたが、やめた。
本音で書く。

何が、孫育てだ!
そんなことは、自分でやれ!
ジーちゃん、バーちゃんだから、孫の世話でもさせておけば、ハッピーなはず?
そういうありきたりの先入観だけで、私たちが置かれた現状をとらえるな。

誤解するな!
「孫の世話と庭いじり」……だれもそんな生活が理想の老後とは思っていないぞ。
そういうものを繰り返したところで、心の空白感を埋めることはできない。
もっとはっきり言えば、どうしてそれが生きがいにつながるのか?
子育ての失望感は、いやというほど、味わった。
(お前たち若造が、その結果だろ!)
ほとんどは、「もう子育てはこりごり」と考えている。
その上、どうして今、孫育てなのだ!

視点が反対だろ!
子どもや孫が、団塊の世話をする。
「ジーちゃん、バーちゃん、長い間、ありがとうございました。
これからは生きがいを求めて、がんばってください。
その応援をさせていただきます」と言うのなら、まだ話がわかる。
それを何が、「孫育て」だ!

●偏見と誤解

 ところでいつ見ても腹立たしいテレビ番組(NHK)がある。
「パソコン講座」とか何とかいう番組である。

 講師役は若い男女。
生徒役は、どこかノーブレインな(=脳みそがなさそうな)、中高年の男女。
(演技なのだろうが)、わざとバカ丸出しの様子で、講座を受ける。
「(グラフィックソフトで)、線が描けた!」
「(フォト・レタッチで)、写真が加工できた!」と、
たわいもないことで、そのつど歓声をあげて喜んでみせる。

 ああいう番組を見ていると、ディレクターの老人観がよくわかっておもしろい。
つまりわれわれ団塊の世代を、バカにしている。
バカにした上で、ああいう番組を作っている。

 パソコンというのは、若者の道具であるという偏見と誤解。
老人は、パソコンを使えないという偏見と誤解。
老人には、思考力がないという偏見と誤解。
さらに言えば、老人には、美的感覚や色彩感覚がまったくないという偏見と誤解。
そういった偏見と誤解に、あの番組は満ちあふれている。

 どうして反対に、パソコンに詳しい団塊の世代を講師に使わないのか?
携帯電話のキーを叩くことしか能がない若者を、生徒にしないのか。
つまり「ソフリエ」というのは、それと同じ発想でつながっている。
あるいはその延長線上にある。

そこらの若造に、戦後のあの60年を生きてきた人間の重みがわかってたまるか!
バカヤロー!

 その「パソコン講座」。
少し前に見た番組では、写真を切り抜いて、部分的に拡大する作業をしていた。
たしかどこかの橋の写真だった。
その写真の一部を切り抜いて、色彩明度を少し変える。
とたん写真の迫力が、変化する(?)。
それを見て、生徒役の中高年の男女が、お決まりのバカ丸出しの歓声!
「ワーッ、すごい!」「ウォー!」と。
私はそれを見ていて、こう思った。
生徒役の中高年の男女に対して、だ。

「お前らには、長い間生きてきたプライドというものがないのか!」と。
「逆に、若い人たちに自信をもって、教えてやることはないのか!」と。

 教えてもらうことは何も、恥ではない。
わからないことは教えてもらえばよい。
しかし自分がもつ人間性まで、落とすことはない。
堂々とした姿勢で、生徒役をすればよい。
ついでに言えば、こう。
「だからといって、それがどうしたの?」と。
「写真が加工できたからといって、それがどうしたの?」と。

●統合性の確立

 これについては、たびたび書いてきた。
10年も前から書いてきた。
大切なのは、統合性の確立。

 その統合性の確立がしやすい環境を、用意する。
また助ける。
励ます。
評価する。
そういう制度を確立する。

 いつかは、どんな若い人でも、老齢期を迎える。
この問題は、老人の問題としてではなく、自分の問題として考えたらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 ソフリエ 老人パワー 団塊世代の生きがい 生きがいとは 老人の
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