2010年6月27日日曜日

*Rotten Mind

●腐る心(Rotten Mind)

++++++++++++++

平凡は美徳だが、平凡が
よどむと、心が腐る。
腐って、平常心や常識を見失う。
偏(かたよ)った、ものの考え方を
するようになる。
ひどいばあいには、何かの
精神病を病むこともある。 

それを防ぐには、社会や人との
かかわりを切らないこと。
生活に緊張感をもちこみ、
適度なストレスを楽しむこと。

++++++++++++++

●環境と心

 若いころ、オーストラリアの大牧場に住んでいるような知人が、
うつ病になったと聞いた。
私はそれを知って、心底、驚いた。
「ああした大平原に住んでいるような人が、どうして?」と。

 最近でも、オーストラリアの友人がこう話してくれた。
「今、牧場主の自殺がふえている」と。
これについても、「どうして?」と考えたところで、思考が停止して
しまう。

 都会の雑踏の中に住んでいる人が、心を病んだり、自殺に追い込まれる
という話なら、まだ理解できる。
常識的に考えても、そのほうが、筋道が立つ。
しかし実際には、……というより、環境とその人の心の問題とは、
関係ない。

●内発的ストレス

 ストレスにも、2種類ある。
外圧的ストレスと、内発的ストレスである。
(ふつうは、善玉ストレスと、悪玉ストレスに分ける。
私は、外圧的ストレスと、内発的ストレスに分ける。)

 外圧的ストレスというのは、たとえば仕事などに追われる
ことによって、外の世界から自分に加えられるストレスをいう。
これに対して内発的ストレスというのは、心に何か問題があって、
心の内部から発せられるストレスをいう。
たとえば「こだわり」。

 こだわりが強くなると、ささいな問題を気にして、悶々とそれについて
悩んだりする。
それがストレッサーとなって、その人を内側から、苦しめる。
取り越し苦労や、ヌカ喜び。
それを繰り返しながら、徐々に、心が腐っていく。

要は心の持ち方しだいということになる。
が、それをうまく処理できれば、それでよし。
そうでなければ、いくらすばらしい環境に身を置いていても、うつ病に
なる。
なる人は、なる。

●老後

 たいへんよく誤解されるが、年金生活は、けっして理想の生活ではない。
「悠々自適の年金生活」という言葉も、よく聞く。
「老後は、孫のめんどうと、庭いじり」と。
しかし「遊べ」「遊べ」と言われても、そう遊べるものではない。
私の年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが残る。
「だからそれがどうしたの?」と。

 そこで適度な緊張感ということになる。
そういう意味では、善玉ストレスは、生活に緊張感を与える。
が、その緊張感こそが、重要。
人間の心は、ゴムのようなもの。
一度緩(ゆる)んでしまうと、元に戻すのは、たいへん難しい。
若いころなら、気力で、元に戻すことができるが、歳を取ると、
それがむずかしい。
元に戻そうとする気力そのものが、弱る。

 実際、定年退職後、ほんの半年~1年、ブランクができただけで、
仕事に復帰できないまま、一生を終える少なくない。

●非常識

 で、心が腐ると、~~病という病名こそつかなくても、とんでもない
ことをし始める。
そういう人は、少なくない。
ある男性(75歳)くらいは、隣の家に放火するようなことまでしている。
もっとも本気で放火したというよりは、放火したところで、あわてて火を
消した。

 あるいはパチンコを買ってきて、近所の家の窓ガラスに穴をあけた
男性(80歳くらい)もいた。
で、その男性のばあい、自分が疑われるのを避けるため、自分の家の
窓ガラスにも、穴をあけた。

 さらに陰湿なことをする男性(75歳くらい)もいた。
その男性は、自宅の裏で、マムシを飼っていた。
古いバスタブをどこかでもらってきて、その中で飼っていた。
餌は生きたカエル。
そのため、その近所では、ときどきマムシが出る。
開けた団地で、水気のほとんどないところである。
その近所の人たちは、その男性がマムシをばらまいているらしいと
うわさしている。

 そういうことが平気でできる人のことを、「心の腐った人」という。

●粗大ゴミ

 退職というのは、読んで字のごとく、「仕事から退く」ことをいう。
が、仕事というより、中身。
つまり「生きがい」。
その「生きがい」から遠ざかる。

しかしその時点で、退職の仕方をまちがえると、そのまま心を腐らせて
しまう。
本人はそれでよいとしても、それによって、周囲の人たちが、迷惑する。
ある妻は、こう言った。

「夫が退職してからというもの、私は毎日、家を出ています」と。
夫とは、いっしょに暮らせないということらしい。
「夫は、毎日、家の中でゴロゴロしています。
そんな夫を見ていると、息が詰まります」と。

 粗大ごみとなるか。
粗大ごみとなって、家族に疎(うと)んじられるか。
それでもよければ、話は別。
しかしそれによって本当につらい思いをするのは、本人。

●私のばあい

 私のばあいも、正月など、10日間も休みがつづいたりすると、
心が腐っていくのが、自分でもよくわかる。
あるいは休みが終わって、仕事に復帰するとき、心を調整するのに、
かなり苦労する。
もちろん体も鈍(なま)る。
いつもなら自転車でスイスイと登れる坂も、登れなくなったりする。
文章にしても、1週間も書かないでいたりすると、勘が鈍ってしまう。
だからいつもこう思う。
「休みは、2日でじゅうぶん」と。

 それに一日中、ワイフと顔をつきあわせていると、ささいなことで
口論になったりする。
ワイフにしても、そういう私を、疎ましく思うかもしれない。

●流水は腐らず

 心は、言うなれば、流れる水のようなもの。
東洋医学でも、『流水は腐らず』という。
これは肉体の健康法を言ったものだが、心の健康法としても、正しい。
(東洋医学では、肉体の健康と心の健康を区別しない。
両者は一体したものと、とらえる。)

 そこで重要なことは、どう生活の中で、その「流水」を作るかという
こと。
それが冒頭に書いた、社会や人とのかかわりを切らないこと、
生活に緊張感をもちこみ、適度なストレスを楽しむことということになる。

●幼児との接触

 実は、心を腐らせないための、もうひとつの方法がある。
たぶんに手前味噌的で申し訳ないが、幼児と接すること。
幼児のもつ、あの純粋なエネルギーに接すること。
このことは、自分の心が腐り始めたとき、幼児に接してみると、
よくわかる。
幼児に接したとたん、不純物がそのままきれいに洗い流されてしまう。
私はそういう経験を、毎日のようにしている。
(だからといって、私が純粋というわけではないが……。)

 一方、おとなの世界にはおとなの世界独特の腐臭が漂っている。
その世界だけにいる人には、それがわからないかもしれない。
「腐臭」である。

 もう10年ほど前のことだが、山荘の隣に住んでいる女性(当時
50歳くらい)が、こう言った。
そのとき何かの用事で、浜松市内のホテルに泊まったらしい。
それについて、「臭くて、眠れませんでした」と。

 町には町の独特の「臭い」があるらしい。
それが臭くて、眠れなかった、と。
つまり私には、その「腐臭」がわかる。
が、わからない人には、それがわからない。

●今日も始まった(2010年6月27日)

 心も腐る。
野菜や果物のように、腐る。
腐って、腐臭を放つようになる。
心というのは、そういうもの。
またそういう前提で、心を考える。

 それを防ぐためには、キリスト教徒や仏教徒の人たちがしているように、
教会や勤行に通うという方法もある。
しかしそれ以上に大切なことは、やはり「日々の精進」あるのみ。
いつも前向きに、チャレンジしていく。
つまり自分自身を、「流れ」の中に置く。
健康法と同じで、立ち止まったとたん、そこを頂点に、あとは下り坂に向かう。

 ……ということで、今日も始まった。
で、とりあえず、すべきこと。

(1)マガジン7月号の発行(13回分)。
(2)総原稿集の編集。
(3)インターネットストーレッジへのUPLOAD。
(4)7月号のマガジンを、同じく、インターネットストーレッジにUPLOAD。

 午後からは、山荘周辺の草刈り。
が、これは天気しだい。

 みなさん、おはようございます。
昨夜は、午後8時ごろ就寝。
11時間、たっぷりと睡眠時間をとった。
おかげで、今朝は、気分爽快!


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。