2010年6月12日土曜日

*Anti-"Anti-USA"!

●電気ショックを与えると、キノコがふえる?

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岩手大学の研究チームが、
シイタケなどのキノコを、
電気ショックで増やす方法を
編み出したという。

日本経済新聞社のHPに、
こんなおもしろい記事が載っていた。

いわく『岩手大学の高木浩一准教授らは、持ち運びできる小型の高電圧発生装置を開発した。これを農場に持って行って、ほだ木の両端に電極を付け、5万~12万5千ボルトの高電圧の電流をほんの一瞬(1千万分の1秒)だけ、かけた。

 すると、電気ショックを与えたほだ木からは、何もしないほだ木に比べて、平均して約2倍のシイタケが収穫できた』と。(2010年6月12日)

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●人間も同じ

その理由について、

『……次の世代を早く残そうとする生存戦略ではないかとみる研究者はいる。傘状の子実体は、植物で言えば花に相当する。子実体には、胞子をつくって生命を次世代につなぐ働きがある。電気ショックなどで生存が脅かされたと感じる結果、子孫をつくろうという遺伝子のスイッチが入るのかもしれない』と。

 ところで人間(男性)にも、同じような現象が見られることがあるという。
たとえば男性のばあい、(死の恐怖)を強く感ずると、脳下垂体の生殖本能が勝手に機能し、勃KI→射S(BLOGでの禁止用語になるため、伏せ字。KI=起、S=精)することがあるという。
ある人が、こう教えてくれた。
「昔、戦場で死んだ兵士を見たとき、中に、勃KIしたまま死んでいた人がいた」と。
シイタケなどのキノコと、どこか相通ずるようで、興味深い。
つまり私たちは、(死の恐怖)を覚えると、思わぬ力を発揮することもあるということらしい。

●死の恐怖

 少し話は脱線するが、私は現在、「BW公開教室」と称して、教室の様子をビデオに収め、それをYOUTUBEで公開している。

 これについては、こんな思いがある。

 「私が死んだら、今までしてきたことが、すべてそのまま消えてしまう。だからビデオに収め、残しておこう」と。
(残すほどの価値はないと思うが、それでも残しておきたい。)
もし今、ここに(死の恐怖)がなかったら、おそらくビデオに収めて残そうという気持ちも、生まれなかっただろう。
平均寿命まで、あと16年。
健康寿命(つまり病気との闘いが始まる年齢)まで、あと6年。

 シイタケなどのキノコは、『電気ショックなどで、生存が脅かされたと感じる結果、子孫をつくろうという遺伝子のスイッチが入るのかもしれない』という。
人間も、『死の恐怖などで、生存が脅かされると感じる結果、つぎの世代に何かを残そうという遺伝子のスイッチが入るのかも知れない』。

 ダラダラと生きるのも、6年。
がんばって生きるのも、6年。
同じ6年なら、悔いの残らないように、生きたい!

 ……というようなことを考えながら、この記事を読んだ。
おもしろかった!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 キノコに電気ショック 電気ショックで2倍)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●映画

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毎週、1、2本の映画を観ている。
最近見たのでよかったのは、
『プリンス・オブ・ペルシャ』。
『アバター』に並ぶ、大作。
『アバター』よりも先に発表されていたら、
それなりの賞を受賞していたかもしれない。

が、始まって、10分足らずで出てきて
しまった映画もある。
邦画の『BOX』。
『BUTTON』(洋画)とまちがえた。
結構、観客は入っていたが、ああいう映画は、
私の肌に合わない。
だから出てきてしまった。

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●カイル

 「ボケ防止」のためということで、私たちは週1、2回、映画を観ることにしている。
が、今月は、講演旅行やワイフの誕生日会を兼ねて、あちこちの旅館に泊まった。
そのため映画館へ足を運ぶ回数が、少なくなった。
その代わりというわけでもないが、家でビデオを観ることが多くなった。
で、ワイフが今、夢中になっているのは、『カイル』。
連作モノ。

 昨夜第一巻を観た。
今夜、第二巻と、第三巻を観るという。
私も昨夜、横で観ていたが、(というのも、私は新しく買ったカメラをいじって遊んでいたので)、結構、おもしろかった。

 カイルとは、どういう人間なのか?
神か?
それとも宇宙人?
……というところが、おもしろい。
今夜が楽しみ。

●ドラマは芸術

 映画は、芸術である。
欧米では、(オーストラリアでも)、「ドラマ」という科目は、独立したひとつの科目になっている。
それだけではない。
ドラマ(演技)を通して、その人物になりきることができる。
他人の心をのぞいたり、他者との共鳴性を養ったりすることができる。

 もちろんそうでない映画もある。
たとえばB・T氏の主演監督の『アウトレイジ』などは、予告編だけで、たくさん!
この2、3か月、毎回見せつけられた。
セリフまで暗記してしまった。
映画評論雑誌などでは、高く(?)評価されているようだ。
悪口を書けないから、高く(?)評価する(?)。

 確かに人間は、クソもするし、オナラもする。
しかしそういうものを赤裸々に表現したからといって、「人間性の表現」にはならない。
もしそれがわからなければ、一度、『レスラー(The Wrestler)』を観てみたらよい。
表現方法は、たぶん、どこか似ていると思うが、その(ちがい)がわかるはず。
その『レスラー』は、ベネチア映画祭で、金獅子賞を受賞している。
私も納得できる。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●今、反米は、まずい!

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管総理大臣になって、少しほっとした。
つまり民主党(小沢政権)は、あまりにも
反米的だった。
「脱・アメリカ追従外交」を、前面に押し出し、
その一方で、親中国寄りの政策を重ねた。

たしかに日本は、アメリカに依存しすぎている。
それはわかる。
しかし今、ここで、反米は、ま・ず・い。
時期尚早。

8年前……2002年ごろ、私はこんな原稿を
書いていた。
今、読み返すと、「これを書いたころと比べると、
やや穏健派になったかな?」と思う。
しかし基本的には、あまり変わっていない。
日本を取り巻く国際情勢も、あまり変わっていない。

++++++++++以下、2002年10月に書いた原稿より+++++++++++

【国際情報誌・雑誌「S」】

 毎月2回発売の、情報誌「S」(10月26日号)を買う。どこか右翼的、かつ過激なところが、おもしろい。ときどき、買う。値段は、420円。

 今月号は、題して、「アメリカの凋落(ちょうらく)」。表紙に、デカデカと、そう書いてある。副題は、「化けの皮がはがれた」と。

 順にみてみよう。

(1)「世界初! 男性器移植手術に成功」

 中国の人気番組の報道に、雑誌「S」は、「?」をつける。「怪しい」と。中国で、世界初の、男性器移植手術が成功したという。それについて、「日本のヤラセ番組はひどいが、中国のは、もっとひどい」と。

(2)アメリカの凋落

 「治安も防災も経済も! 小泉ニッポンが頼る唯一の超大国のもう一つの真実を暴く」と、そこにはある。ハーバード大学のJ・フランケルの論文が、冒頭を飾る。

 要は、「ブッシュの失政が、ドルの大暴落につながる可能性がある」という内容のもの。これはまあまあ、読める、まともなコラム。

 が、つづく、日本人ジャーナリスト、YB氏のエッセーには、驚いた。そこには、こうある。

(3)アホでマヌケなアメリカ白人

 「巨根、巨乳に憧れる、アホでマヌケな、これが平均的アメリカ白人の実像だ」と。

 わざわざ、「アメリカ白人」と断っているところが、憎い。アメリカ在住の、日本人やアジア人は、そうでないと言いたいらしい。しかしそれにしても、「アホでマヌケな……」とは!

 あとは、これでもか、これでもか……と、アメリカの悪口がつづく。これを書いた、YB氏は、自分のことを、こう書いている。「初めての渡米以来、私は30年以上アメリカとつき合ってきたが……」(冒頭)と。

 YB氏は、アメリカとどうつき合ってきたのだろうか。「アメリカ人とつき合ってきた」というのなら、話はわかる。それにもし、つき合ってきたアメリカ人たちが、このYB氏のエッセーを読んだら、どう思うだろうか。(きっと、怒るぞ!)

 ところで、アメリカでは、肥満について、公の場所で、意見を述べるのは、タブー視されている。(アメリカと30年以上もつきあってきたのなら、こんなことを、知らないはずはないのだが……。)「肥満」を口にしただけで、彼らは、それを「差別」ととらえる。それを、YB氏は、堂々と、太ったアメリカ人を酷評したのち、「ここまでくると、悲劇であると同時に喜劇であり、思考も行動も破綻していると言わざるをえない」と書いている。

 もしこんなことをアメリカで、英文で書けば、その人は、ピストルで射殺されるかもしれない。書いたのが、日本人とわかれば、日本人排斥運動につながるかもしれない。

 ……ということを感じたのが、雑誌「S」は、つぎにアメリカ人自身が書いた本を、紹介している。

(4)『デブの帝国』

 書いたのは、G・C氏。アメリカ人。タイトルは、『デブの帝国』。

 そこで私は、「デブ」の英語は何になっているか、原題を本誌の中でさがしてみたが、欄外に、さがさなければ見えないほど小さな文字で、それはあった。原題は、「Fat Land」である。

「デブ」という言葉は、少なくとも教育の世界では、使用禁止用語になっている。つまり「デブ」というのは、それを日本語に訳した、日本人がつけた言葉である。

 そこで原書を検索して、調べてみた。

 案の定、訳者は、かなり偏見をもって、「デブの帝国」と訳していることがわかった。原題は、『Fat Land』(ISBN: 0618380604)。しかも1冊3ドル16セントの、ペーパーバック本。この本は、「米国糖尿病協会から、絶賛された」と紹介してあるが、ホントかな?

 どうして「Fat Land」が、日本では、「デブの帝国」なのか? しかもちゃんとした本ではなく、1冊、400円弱のペーパーバック。「Fat Land」は、「太った国」程度の意味しか、ない。そんな本をネタに、インタビュー・構成とかで、雑誌「S」は、3ページもさいている。どこかに、編集長の悪意を感ずる……。

(5)学校崩壊

 さらにアメリカたたきの記事はつづく。19ページからは、「生徒にお金を払って学校に来てもらう、ハイスクール・メルトダウンの、とてもヤバイ話」と。

 ●年間31件の校内殺人事件が発生、●高校男子32%女子25%が麻薬入手の経験あり、●貧富の差が生み出す教育格差、●落ちこぼれ救済法でも進まない教育改革……と。

 アメリカの教育を批判する人が、必ずとりあげるテーマが、これらの問題である。しかしアメリカへ行ってみるとわかるが、アメリカには、アメリカ人というアメリカ人は、いない。

 もともと移民国家。白人もいれば、黒人もいる。ヒスパニックもいれば、アジア人もいる。そういう意味では、アメリカは、世界の縮図。どこか単一民族国家の日本とは、基本的な部分で、大きくちがう。その(ちがい)を忘れて、アメリカの教育を論ずることはできない。

 大都会の、公立高校だけを見て、それがアメリカの高校と考えるのは、それは少し危険すぎるのではないのか。アメリカといっても、アジア全土を含めるほどの広さがある。私は幸か不幸か、田舎の州の、田舎の学校しか知らない。が、私が見たところ、みな、よい教育を実践している。

(6)中東民主化ドミノ構想の幻想

 「アラブの現実を知れば、ブッシュ政権の民主化構想の粗末さがわかる」と、そこにはある。

 この記事については、いろいろ書きたいことがあるので、また別の機会に考えることにして、ここまで「アメリカたたき」がつづくと、読んでいるほうも、ウンザリする。まるでK国の雑誌社が発行している雑誌のようでもある。(K国には、こうした雑誌を発行するだけの言論の自由さえないが……。)

 結局は、この雑誌「S」は、何が言いたいのだろう……とまで、私は考えてしまった。もとから反米色の濃い雑誌であることは知っていた。つづく(7)には、「ついにニューヨーク・タイムズまで書き出した、ドル暴落Xデー。これだけの真実味」とある。

 「アメリカは、あれこれも、悪い。内部はメチャメチャだ」と、まるで、そうなることをおもしろおかしく、楽しみにしているような雰囲気さえある。もしドルが大暴落したら、そのまま日本の円も大暴落する。アメリカは風邪程度ですむかもしれないが、日本は、そのまま肺炎になってしまう。

 そこで(8)(9)と、「そうしたアメリカに追従する日本の愚かさ」を指摘している。「海外から、下流をまねする(日本の)若者たち」というのも、その一つ。

 ホントにそうだろうか? たしかにそういう誤解を招きやすい若者がいるかもしれないが、それは見た目だけの話。私も、いくつかのBLOGを使って、そういう若者と意見をかわしているが、みな、それぞれ、真剣に自分のことを考えている。

(9)では、あのK・S氏までが、「9・11と、ハリケーン直撃で、アメリカが直面する自我崩壊の危機」というコラムを書いている。「いよいよアメリカは正義の国であるという自己欺瞞によって維持されてきた自我が崩壊する危険性がある」と。

 アメリカがどういう国であれ、戦後の日本の平和と安定を守ったのは、アメリカ軍である。日本は、カイロ宣言、ヤルタ協定、そしてポツダム宣言を経て、敗戦へと導かれた。が、その間、日本周辺の国々は、静かにその日を待っていたわけではない。

 中国は、「沖縄(琉球)は、カイロ宣言をもとに、中国に返還されるべきである」と説き、そのあと、毛沢東(中国)、金日成(K国)、ホーチミン(ベトナム)の、いわゆる三大共産主義指導者たちは、一室に集まり、日本攻略の策を、着々と練りつつあった。ソ連のスターリンにしても、そうである。

 もし戦後、アメリカ軍が日本に進駐していなかったら、日本は、これらの国々の攻撃を、繰りかえし受けていたであろう。つまり日本は、戦前から敗戦にかけて、そういうことをされてもしかたないようなことを、日本の外でしてしまった。

 これに対して、日本をボロボロにしてしまったのは、アメリカ自身ではないかと主張する人たちがいる。

 「日本がアメリカによって、ボロボロにされなければ、中国、K国、ベトナムなど、ものの数ではない」と。

 しかしアメリカはあれだけの物量作戦を展開しながらも、ベトナムには負けた。K国でも、3万6000人近い、アメリカ兵を失った。日本が中国と戦争をあのまましつづけていたら、それこそ、今ごろ、日本は、どうなっていたことやら。考えるだけで、ぞっとする。

 「負けてよかった」と言っているのではない。あの戦争は、もともと無理な戦争であった。無理というより、メチャな戦争であった。ほんの一部の、軍事独裁者たちのおかげで、300万人もの、日本人が犠牲になってしまった。同時に、300万人もの、外国人も犠牲にしてしまった。

 いまだに、反日感情が、日本の周辺で燃えさかっているのは、そのせいではないのか。

 そういう日本を相手にして、今まさに、K国は、着々と、核兵器を生産している。何度も繰りかえすが、K国は、「核兵器は、日本向けのもの」と、公言してはばからない。

 そういう脅威を目の前にして、今ここで、同盟国アメリカをこきおろして、それにどういう意味があるというのか。もっとも雑誌「S」の論調は、もっとすさまじい。

 「アメリカは、経済的利益を獲得するために、日本人の精神を侵略してくる」(K・Y氏・同誌)と。

 あのね、アメリカは、日本など、相手にしていませんよ。

私はこういう意見を読むたびに、こういうことを言う人たちは、アメリカのどこを見てそう言うのか、それを知りたい。それはちょうど、K国のあの独裁者が、「日本は、K国侵略を、虎視眈々(こしたんたん)とねらっている」と言うのを思い出す。

 日本は、K国など、相手にしていない。相手にしたくもない。

 被害妄想もよいところ。そんなことは、ほんの少しだけ、アメリカに視点を置いてみればわかるはず。少し前、……といっても、20年ほど前だが、台湾や香港のジャーナリストたちは、さかんに、「日本文化の侵略論」を説いていた。しかし当時、そして今でも、そんなことを考えながら行動していた日本人は、どこにいたのか?

 あえて言うなら、現在の、「韓流ブーム」「台流ブーム」こそ、逆侵略ではないのか……ということになる。

 さらに「アメリカは、日本を、第51番目の州にしようとしている」と説く人も多い。私がアメリカ人なら、日本に求められても、断るだろう。いわんや、「アホでマヌケなアメリカ人」(「S誌」)に、そんな高尚な政治的戦略など、あるはずもないのでは(?)。

 以上、雑誌「S」の「アメリカの凋落」を読んで、思いついたまま、書いてみた。

 最後に一言。

 今、日本のそこにある脅威は、K国の核兵器である。まともな国ではないだけに、ああいう国が、核兵器をちらつかせるようになったら、どうなるか? 勇ましい民族主義的国家論も結構だが、拉致問題ひとつ解決できない日本が、どうしてK国の核兵器問題を解決できるというのか。

 真正面から戦争でもするつもりなら、話はわかるが、日本は、あんな国など相手にしてはいけない。その価値もない。

 悲しいかな、経済的には大国でも、日本は、政治的には、小国。発展途上国である。その事実を忘れて、いくら偉そうなことを言っても、はじまらない。が、それでもわからなければ、あなた自身の子どもが、戦争に行く姿を、今、ここで思い浮かべてみることだ。

 そこを原点にものを考えてみれば、今の日本がどうあるべきか、それがわかるはず。

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アメリカをこきおろすばかりではいけない。
学ぶべき点も多いはず。
それについて書いたのが、つぎの原稿です。

ハリウッド映画だけを見て、アメリカを判断
しないでほしいと言ったのは、私の友人の
B君です。

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ついでに、アメリカの大学についても、レポートしてみた。世界の教育がどういう方向に向かっているかがわかれば、少しは考え方も変わるかもしれない。

 なおこの記事そのものは、数年前に書いたものです。ここに書いた「ところ天方式人事」は、外部から教授を招くという方式で、改善されつつある。が、「じゅうぶんではない」(田丸先生)とのこと。

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●アメリカの大学生

 たいていの日本人は、日本の大学生も、アメリカの大学生も、それほど違わないと思っている。また教育のレベルも、それほど違わないと思っている。しかしそれはウソ。恩師の田丸先生(東大元教授)も、つぎのように書いている。

「アメリカで教授の部屋の前に質問、討論する為に並んで待っている学生達を見ると、質問がほとんどないわが国の大学生と比較して、これは単に風土の違いで済む話ではないと、愕然(がくぜん)とする」と。

 こうした違いをふまえて、さらに「ノーベル化学賞を受けられた野依良治教授が言われている。『日米の学位取得者のレベルの違いは相撲で言えば、三役と十両の違いである』と」とも(〇二年八月)。もちろん日本の学生が十両、アメリカの学生が三役ということになる。

 私の二男も〇一年の五月に、アメリカの州立大学で学位を取って卒業したが、その二男がその少し前、日本に帰国してこう言った。

「日本の大学生はアルバイトばかりしているが、アメリカでは考えられない」と。アメリカの州立大学では、どこでも、毎週週末に、その週に学んだことの試験がある。そしてそれが集合されてそのままその学生の成績となる。そういうしくみが確立されている。そのため教える側の教官も必死なら、学ぶ側の学生も必死。学科どころか、学部のスクラップアンドビュルド(廃止と創設)は、日常茶飯事。教官にしても、へたな教え方をしていれば、即、クビということになる。

 ここまで日本の大学教育がだらしなくなった原因については、田丸先生は、「教授の怠慢」を第一にあげる。それについては私は門外漢なので、コメントできないが、結果としてみると、驚きを超えて、あきれてしまう。

私の三男にしても、国立大学の工学部に進学したが、こう言っている。「勉強しているのは、理科系の学部の学生だけ。文科系の学部の連中は、勉強のベの字もしていない。とくにひどいのが、教育学部と経済学部」と。理由を聞くと、こう言った。「理科系の学部は、多くても三〇~四〇人が一クラスになっているが、文科系の学部では、三〇〇~四〇〇人が一クラスがふつう。ていねいな教育など、もとから期待するほうがおかしい」と。

 日本の教育は、文部省(現在の文部科学省)による中央管制のもと、権利の王国の中で、安閑としすぎた。競争原理はともかくも、まったく危機感のない状態で、言葉は悪いが、のんべんだらりと生きのびてきた。とくに大学教育では、教官たちは、「そこに人がいるから人事」(田丸先生)の中で、まさにトコロ天方式で、人事を順送りにしてきた。何年かすれば、助手は講師になり、講師は助教授になり、そして教授へ、と。それはちょうど、水槽の中にかわれた熱帯魚のような世界と言ってもよい。温度は調整され、酸素もエサも自動的に与えられてきた。田丸先生は、さらにこう書いている。

 「私の友人のノーベル賞候補者は、活発な研究の傍(かたわ)ら、講義前には三回はくり返し練習をするそうである」と。

 日本に、そういう教授はいるだろうか。

 グチばかり言っていてはいけないが、いまだに文部科学省が、自分の権限と管轄にしがみつき、その範囲で教育改革をしようといている。もうそろそろ日本人も、そのおかしさに気づくべきときにきているのではないのか。明治の昔から、日本人は、そういうのが教育と思い込んでいる。あるいは思い込まされている。その結果、日本は、日本の教育はどうなった? いまだに大本営発表しか聞かされていないから、欧米の現状をほとんど知らないでいる。中には、いまだに日本の教育は、世界でも最高水準にあると思い込んでいる人も多い。

 日本の教育は、今からでも遅くないから、自由化すべきである。具体的に、アメリカの常識をここに書いておく。

アメリカの大学には、入学金だの、施設費だの、寄付金はいっさいない。
アメリカの大学生は、入学後、学科、学部の変更は自由である。
アメリカの大学生は、より高度な教育を求めて、大学間の移動を自由にしている。つまり大学の転籍は自由である。
奨学金制度、借金制度が確立していて、アメリカの大学生は、自分で稼いで、自分で勉強するという意識が徹底している。
毎週週末に試験があり、それが集合されて、その学生の成績となる。
魅力のない学科、学部はどんどん廃止され、そのためクビになる教官も多い。教える教官も必死である。教官の身分や地位は、保証されていない。
成績が悪ければ、学生はどんどん落第させられる。

 日本もそういう大学を、三〇年前にはめざすべきだった。私もオーストラリアの大学でそれを知ったとき、(まだ当時は日本は高度成長期のまっただ中にいたから、だれも関心を払わなかったが)、たいへんなショックを受けた。ここに「今からでも遅くない」と一応、書いたが、正直に言えば、「遅すぎた」。今から改革しても、その成果が出るのは、二〇年後? あるいは三〇年後? そのころ日本はアジアの中でも、マイナーな国の一つとして、完全に埋もれてしまっていることだろう。

田丸先生は、ロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫氏のつぎのような言葉を引用している。

「人生で一番大切な人間のキャラクターと思想を形成するハイテイーンエイジを入試のための勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けているのは議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自分で考え自分で判断するという訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断のできる人間を育てる教育をしなければ、二〇五〇年の日本は本当にだめになる」と。 

問題は、そのあと日本は再生するかどうかだが、私はそれも無理だと思う。悲観的なことばかり書いたが、日本人は、そういう現状認識すらしていない。とても残念なことだが……。

田丸先生……TK先生のこと。東大元総長特別補佐、日本学士院賞受賞者、国際触媒学会前会長ほか。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

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