2010年6月28日月曜日

*How should the old men live?

【老人心理】(私流・老後の生き方)

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「老人心理学」というのがある。
幼児には、「幼児心理学」がある。
青年には、「青年心理学」がある。
同じように、老人には、「老人心理学がある」。

しかし自分が、その戸口(doorway)に
立ってみて、ひとつ気がついたことがある。
こうした老人心理学は、若い心理学者たちに
よって書かれたものが、多いのではないかと
いうこと。
つまり老人の心理を、本当にわかっていない。
わかっていて、ものを書いているのではない。
老人の世界を、若い世代の視点から、
言うなれば、「勝手に想像して書いている」。

たとえば「喪失感」がある。
「老人心理」というと、「喪失感」が、ベースに
なっている。
たしかに喪失感は否定しがたい。
それはある。
健康にせよ、知力にせよ、人間関係にせよ、
すべてが不可逆的に、負の方向に向かい始める。
が、それがすべて「喪失感」につながるという
わけではない。

つまりどこか的をはずれている。
もっとストレートに言えば、老人の心理が、
よくわからないまま、「老人だから、喪失感が
あるだろう」という想像だけで、ものを
考えている。

そんな思いから、このエッセーを書き始めた。

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●手持ちぶたさ
 
 「手持ちぶたさ」という言葉がある。
漢字では「手持無沙汰」と書く。
「なすべきこともなくて、退屈なこと。また手あきで、間(ま)の悪いこと」
(EX-Word)とある。

 「老人心理」と聞いて、私はまっさきに、この言葉を思い浮かべる。
老人になると、すべてが「手持ちぶたさ」になる。
現実にそうであるかないかということではない。
それから生まれる、「間の悪さ」。
それこそが、老人心理のベースになる。

●統合性の確立

 もちろん(なすべきこと)を確立し、その(なすべきこと)に向かって、
つき進んでいる老人もいる。
心理学的に言えば、「統合性を確立した老人」ということになる。
たとえば画家が、ライフワークとして、大作に取り組むなど。
が、そういう老人は、たいへん恵まれた老人ということになる。
むしろ例外。
現実は、きびしい。

 (なすべきこと)というのは、いわば、道楽のようなもの。
少なくとも、老後も働きつづけなければならない私には、そう見える。
年金など、もとからアテにしていない。
手にするとしても、2年後。
夫婦2人で、13万円程度。
こんな額で、何ができる?
道楽なんて、夢のまた夢。

●健康問題

 老人にとって、最大の問題は、健康問題ということになる。
その健康問題が、つぎからつぎへと起きてくる。
しかも歳を追うごとに、ピッチを速めてくる。
若いころは、年に1、2度だったものが、月に1、2度になったりする。
その上、今までに経験したことのないようなものばかり。

 で、当然のことながら、そのつど不安になる。
たとえば体に何か異変が起きたとき、まず最初に考えるのは、「以前にもあったかどうか」
ということ。
以前にも同じような症状を経験していれば、「だいじょうぶ」と自分に言って聞かせる。
が、それがないと、とたん、大きな不安感に襲われる。

●オロオロと狼狽する
 
 両親や兄弟、友の死については、それほど大きなショックはない。
「そういうもの」という覚悟ができている。
「つぎは、私」と。
その覚悟の中で、心を処理し、心を持ちなおすことができる。

 しかし自分自身の生活の変化については、そうでない。
たとえば夫や妻の死、さらには大病を患うことによる、自分自身の死の予感。
そうした「変化」については、無力でしかない。
どう立ち向かったらよいのか、その糸口すら、見つからない。

 「たぶん、オロオロと狼狽するだけだろうな」と。
そこまで考えたところで、あとは思考がそのまま停止してしまう。

●流れ

 これはあくまでも私のばあいだが、私は「流れ」が止まるのが、なによりも
怖い。
たとえば「仕事」。
仕事がほしいわけではない。
しかし仕事から得られる、「流れ」が止まるのが、怖い。
もちろん(お金の流れ)もある。
がそれ以上に重要なのは、それにまつわる(人間関係)。
さらに言えば、(緊張感)。
それが止まるのが、怖い。

●宣伝

 そんなこともあって、昨年、私ははじめて、教室の宣伝を、新聞に載せてもらった。
私は今の仕事を始めてからというもの、宣伝なるものをしたことがない。
口コミだけで、仕事を維持してきた。
それに教室経営だけが、私の仕事ではなかった。

 が、数年前から、先細り感を覚えるようになった。
少子化、不景気、競争の激化などなど。
加えて、私自身の体力的、気力的な限界も感ずるようになった。
若い母親にしても、ジーチャン先生よりは、若いハツラツとした先生のほうがよい。
生徒数の減少が始まった。

 が、これは簡単な一次関数で示される。
負の一次関数である。
「あと3、4年はよいとしても、5年は無理だろうな」と。
そこで昨年から、宣伝を始めた。

●「先」 

 一方、私は自分の仕事を限定するようになった。
若いころは、何でもした。
その(何でもする)という意欲が、今は、ほとんど、ない。
意味のある仕事と、そうでない仕事を峻別(しゅんべつ)するようになった。
たとえば今、仮にサラリーマン生活をせよと言われても、私にはできない。
その虚(むな)しさを、いやというほど、味わっている。
つまり、「先」がない。

 いまさら、どこかの会社の課長や、部長をめざして、何になる?
そういう思いが、自分の進む道をふさいでしまう。

●絶望感

 こう書くからといって、私の息子たちを責めるのではない。
私の息子たちは、ひょとしたら、平均的な若者よりも、ずっとやさしい心をもっている。
思いやりも深く、思慮も深い。
で、私は、そういう息子に、少なからず、淡い期待を抱いていた。
「いつか、私の友として、そばにいてくれるようになるだろう」と。

 そのために、たとえば学費や生活費は、惜しみなく、与えてきた。
息子たちが請求してくる金額を、減らしたとか、送金を遅らせたことは、一度もない。
が、やがて私は知った。
そんな息子たちでも、将来、私やワイフのめんどうをみる気は、まったくない、と。
それを知ったとき、私ははげしい絶望感を覚えた。
息子たちを責める前に、親バカだった、自分を責めた。
自分のお金は、自分の老後のために、残しておくべきだった!

●孝行論

 私たちの時代には、「孝行論」は、常識だった。
それを疑う者はいなかった。
たとえば私は、結婚する前から、収入の約半分は、実家へ仕送りしていた。
私はそれが当然と考えていた。
みな、同じようなことをしていた。

 が、その経済的負担感というよりは、社会的重圧感には相当なものがあった。
「子は~~すべき」という、『ベキ論』が、そのつど私を押しつぶした。
一方、親からは、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、
それこそ耳にタコができるほど、聞かされつづけた。

 だから……その反動もあったと思うが、私は、自分の息子たちには、そういう
思いをさせたくなかった。
とくに社会的重圧感については、そうだった。
「お前たちの人生は、お前たちのもの」を、常に言ってきかせていた。
しかしこの考え方は、日本という国の現実からは、あまりにもかけ離れていた。

●日本の現状

 この先、日本人のうち3~4人に1人が、後期高齢者になる。
1人の老人を、2~3人の働き手(現役労働者)が支えることになる。
しかしそんなことは、実際には、不可能。
推計によれば、私たちの世代は、60%が独居老人となり、孤独死を
迎えることになる。
死後、発見されるまでの平均日数は、1週間。

 そこで今、声高に言われるようになったのは、若い世代との同居。
それも無理なら、「呼び寄せ老人は好ましい」と。
つまり何かあったら、息子や娘たちをすぐ呼び寄せられる距離に住む、と。

 つまり日本の現状と、私が説く理想論との間には、距離がある。
日本は、まだそこまで成熟していない。

●自己否定

 私はときどき、考える。
「私たちの世代は、いったい、何だったのか?」と。
親に取られ、子どもたちに取られ……。
で、感謝されているかといえば、それはない。
親にしても、子どもたちにしても、それは「当然」と考えている。
それ故に私たちの世代を称して、『両取られの世代』という。

 今では、子どもの学費どころか、社会へ出るときの支度金、結婚費用、
新居費用などなど、親が負担する。
孫の養育費を負担している親(祖父母)もいる。
さらに息子や娘が、孫を連れて盆暮れに帰ってくるとき、その旅費や費用を負担
している親(祖父母)さえいる。
そういう現実を見せつけられると、「では、いったい、私たちは何だったのか」と、
いうことになる。

 が、それを考えることは、恐ろしいことでもある。
そのまま自己否定につながってしまう。

●自己否定

 孝行論は、否定すべきもの。
また孝行論で、子どもを縛ってはいけない。
その考え方は、今でも、変わっていない。
しかし日本の現状を考えると、また若者たちの意識を考えると、それを言い切るのは
危険なことでもある。
皮肉なことに、「将来、親のめんどうをみる」と考えている日本人の若者は、アメリカ人
よりも少ない。

 それについても原稿を書いたことがある。

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【親バカ論】

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50~60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。

「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2~3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあなたのめんどうをみない。

60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。

むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。
保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ~イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ~~」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、~~してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。
「パパは、仕事ばかりして、ぼくたちのことを構ってくれなかった」とも。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)をいう。

目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老後 はやし浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。

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●現状

 現状をみるなら、都会の大学へ子どもを送り出すことは、できるならやめたほうがよい。
非公式な調査だが、地方の両親のもとに帰ってくる、あるいは「呼び寄せられる距離」に
戻ってくる若者は、まず、いない。

 また息子や娘が大学生になるころ、親は、まさに貧乏盛り。
それこそ爪に灯をともすようにして、学費を工面する。
が、やっと送金から解放されたと思ったら、そこに待っているのは、「老後」。
企業年金や共済年金のある人は、まだよい。
しかし私たちのように、国民年金しかない人間は、どうしたらよいのか。

 息子や娘たちには負担をかけたくない。
めんどうや迷惑をかけたくない。
その気持ちは、私にもある。
しかしこの(現実)を乗り越え、「死」を迎えるためには、どうしたらよいのか。
いや、お金だけの問題ではない。
老人には、もうひとつ、重大な問題がある。
それが「孤独」との闘いである。

●孤独

 孤独の恐ろしさは、あのイエス・キリストも経験している(マザー・テレサ)。
それについての原稿も書いたことがある。

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●真理と孤独



 キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?※



 キリストにも釈迦にも、弟子はいた。しかし師と弟子の関係は、あくまでも師と弟子の関係。
師は、あくまでも智慧(ちえ)を与える人。弟子は、あくまでもその智慧を受け取る人。弟子たちはそれでよいとしても、師であるキリストや釈迦は、どうだったのか? それでよかったのか?



 真理の荒野をひとりで歩くことは、それ自体は、スリリングで楽しい。しかし同時に、それは孤独な世界でもある。(私が求めている真理など、真理ではないかもしれないが、それでもそう感ずることがよくある。)とくに、現実の世界に引き戻されたとき、その孤独を強く感ずる。「人生は……」などと考えていたところへ、幼児がやってきて、「先生、ママがいなア~イ」と。



 そこで心の調整をしなければならないが、私のばあい、思索の世界から離れたときは、その反動からか、今度は極端に、バカになる。バカになって、心の緊張感を解く。孤独から離れる。もしあなたが、私の近くへやってきて、私を知ったら、私のことを、ひょうきんで、おもしろい男だと思うだろう。私は子どものみならず、おとなに対しても、笑わせ名人で、いつも周囲の人たちをゲラゲラ笑わせている。私のワイフですら、「あんたといると、退屈しない」と言っている。昨夜も寝るまで、ワイフを笑わせてやった。



 が、反対に、そういう外での私しか知らない人は、私の作品を読んだりすると、「これ、本当にあなたの文ですか?」と聞いたりする。そこまではっきりと言わないまでも、驚く人は多い。「あの『はやし浩司』って、あなたのことでしたか?」と言った人もいる。



 が、キリストや釈迦は、そうではない。あるいはひょっとしたら、ひょうきんで、おもしろい人だったかもしれないが、そういう話は、伝わっていない。……となると、やはり、キリストや釈迦は、どうやって、孤独と戦ったかということになる。ふつうなら……という言い方はしてはいけないのだろうが、しかしふつうなら、何らかの形で自分の心をいやさないと、とても孤独には、耐えられない。



 もっともキリストにせよ、釈迦にせよ、私たちをはるかに超越した世界に住んでいたのだから、孤独ということはなかったかもしれない。……となると、また別の問題が生まれてくる。



 もし、仮に、だ。もし、あなたが、ある惑星に落とされたとする。そしてその惑星は、サルの惑星で、サルたちが、サルのまま、野蛮な生活をしていたとする。一方、あなたには、知性がある。言葉もある。道徳も、倫理もある。もしあなたがそういう世界に落とされたとしたら、あなたはどうなるだろうか。あなたは神や仏のように祭られるだろう。しかしあなたはその世界がもつ、孤独に耐えられるだろうか。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。



 幼児教育をしていて、ゆいいつ、つまらないと思うのは、いくら幼児と接しても、私と幼児の間には、人間関係が生まれないということ。この点、大学生や高校生を教える先生は、うらやましい。教えながら、人間対人間の関係になる。そこから人間関係が生まれる。が、幼児教育には、それがない。で、そういう幼児だけの世界にいると、ときどき、言いようのない孤独感に襲われるときがある。私が考えていることの、数千分の一も、子どもたちには伝わらない。説明してあげようと思うときもあるが、あまりの「へだたり」に、呆然(ぼうぜん)とする。



 つまり、人は、その世界を超越すればするほど、その分だけ、孤独になる? キリストや釈迦のような「人」であれば、なおさらだ。となると、話は、また振りだしに戻ってしまう。「キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?」と。



 もちろんキリストや釈迦を、私たちと同列に置くことはできない。本当にそうであったかどうかは、私にはわからないが、彼らは真理に到達した「人」たちである。もしそうなら、その時点で、孤独からは解放され、その時点で、さらに真の自由を手に入れていたことになる。あるいは、キリストや釈迦は、私たちが考えもつかないような世界で、もっと別の考え方をしていたのかもしれない。



 考えていくと、この問題は、結局は、私自身の問題ということになる。真理などというのは、簡単に見つかるものではない。恐らく私が、何百年も生き、そして考えつづけたとしても、見つからないだろう。もしそうであるとするなら、私はその真理に到達するまで、つまり死ぬまで、その一方で、この孤独と戦わねばならない。



もちろん、キリストや釈迦のように、真理に到達すれば、あらゆる孤独から解放されるのだろう。が、そうでないとしたら、一生、解放されることはない? しかも、だ。皮肉なことに、真理に近づけば近づくほど、ほかの人たちからの孤立感が大きくなり、そしてその分だけ、孤独感はますます強くなる?



 そういう意味で、真理と孤独は、密接に関連している。紙にたとえて言うなら、表と裏の関係といってもよい。世界の賢者たちも、この二つの問題で、頭を悩ました。いくつかをひろってみよう。



●この世の中で、いちばん強い人間とは、孤独で、ただひとり立つ者なのだ。(イプセン「民衆の敵」)

●われは孤独である。われは自由である。わらは、われ自らの王である。(カント「断片」)

●つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく、ただ一人(ひとり)あるのみこそよけれ。(吉田兼好「徒然草」)

●孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である。(ショーペンハウエル「幸福のための警句」)

●人はひとりぼっちで死ぬ。だから、ひとりぼっちであるかのごとく行為すべき。(パスカル「パンセ」)



 簡単に「孤独」と言うが、孤独がもつ問題は、そういう意味でも、かぎりなく大きい。人生における最大のテーマと言ってもよい。そうそうあの佐藤春夫(一八九二~一九六四、詩人・作家)は、こう書いている。『神は人間に孤独を与へた。然も同時に人間に孤独ではゐられない性質も与へた』と。この言葉のもつ意味は、重い。



※マザーテレサの言葉より……



●孤独論



 孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあなたが今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、その孤独と、いかにうまく共存するかということ。さあ、あなたも声を出して叫んでみよう。「私はさみしい」と。マザーテレサは、つぎのように語っている。



 訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。



When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt himthen and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.



キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼は、ただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。

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●運と確率

 老後は、この孤独との闘いといっても過言ではない。
病気になれば、なおさら。

 今では通りを歩いていて、半身不随になった老人を見かけるのは、珍しくない。
「明日は我が身」。
そういう老人を見かけるたびに、胸がつまる。
「自分は歩けるから、よかった」などとは、思わない。
遅かれ早かれ、私もああなる。
あなたもああなる。
時間の問題。
運と確率の問題。

 健康であっても、孤独との闘いはつらい。
いわんや、病気になったら……。
孤独感は、倍加する。
で、自らに問う。
「私には、それと闘う力はあるか?」と。

 答は、「NO!」。

●先細り感

 で、老後の最大の「敵」は、「先細り感」ということになる。
よりどころのない、「孤独感」といってもよい。
たまたま先週、過労が重なって、私は一過性の(?)、難聴になってしまった。
右耳は、もとから聞こえない。
そのときは、左耳が、聞こえなくなった。
ほとんど聞こえなくなってしまった。

 そのとき私が感じた孤独感には、相当なものがある。
すぐ床に入ったが、胸騒ぎがはげしく、なかなか寝つかれなかった。
もちろん助けは、ない。
まただれかに助けてもらえるような話でもない。
ひとり、ただひとり、じっとそれに耐えるしかなかった。
ゆいいつ、ワイフの言葉だけが、私を救った。

「これからは私があなたの耳になってあげるから」と。
それを聞いて、私はワイフの胸の中で、涙を流した。
しかしこうした先細り感は、この先、ふえることはあっても、なくなることはない。
それが「老後」ということになる。
 
●気力

 よく誤解されるが、また「まったくの誤解」と断言してよいが、老人になれば、
「死」を受け入れるようになるというのは、ウソ!
まったくのウソ!
むしろ「死」が近い分だけ、「死」を恐れるようになる。

 また老人は、「生きたい」という気力が弱くなると考えている人もいる。
が、これもウソ。
最後の最後では、死を受容することになる。
そのときは、そうかもしれない。
しかしそれまでは、まさに気力との闘い。
その気力は、負の一次関数的に減少していくのではない。
私の想像では、(つまり今までに、いろいろな人の死を見てきた範囲では)、
気力は、ある日突然、ガクンと音をたてて消える。
つまりそれまでは、気力はある。
気力がある以上、「生きたい」という気持ちは消えない。
10代や20代の人が、「生きたい」と思う程度、あるいはそれ以上に、
「生きたい」と思う。

●喪失感

 冒頭で、喪失感について書いた。
しかし「喪失感」というのは、私はまだ経験していない。
何かにつけ、自信がなくなってきた部分はある。
電話番号にせよ、一度では覚えられないときがある。
また聞いても、不安になるから、ものに書き留める。
ミスも多くなった。
しかしそれは喪失感ではない。

 さらに肉体についてもそうだ。
温泉などに行って、自分の肉体を鏡に映してみる。
そういうとき、自分のジジイ体型に、ときとしてゾッとするときがある。
が、だからといって、若い人の体型に戻りたいとは思わない。
たいへんぜいたくな話に聞こえるかもしれないが、もし神様か何かが、
私にこう言ったとする。

「もう一度、若い時代に戻してやろうか?」と。

 たぶん、今の私なら、それを断わるだろう。
「人生は一度で、たくさん」と。
あるいは、また振り出しから、人生を歩めと言われても、それは私にはできない。
肉体というより、今、私がもっている(思想)を、そのまま若い時代に持ち込める
なら、若い時代に戻りたい。

 しかし未熟で未経験で、かつ無知であるなら、肉体だけ若くしてもらっても、
うれしくない。

 ただ誤解してほしくないのは、私たちは、一方的にものを失っていくのでは
ないということ。
得るものも、ある。
そのひとつが、生きていることのすばらしさ。
それがわかるようになる。

 目が見える。
音が聞こえる。
歩ける。
話ができる。
そういったささいなひとつずつのことが、そのまま喜びとなって返ってくる。

●死の受容段階論

 それよりも今は、「時間がない」という焦燥感のほうが、強い。
いつか書いたように、大病で、「余命は1年」と言われたような状態。
「1年」であろうが、「15年」であろうが、それほど、ちがわない。
(私はもうすぐ63歳だから、平均寿命まで、残り15年ということになる。)

 以前、キューブラー・ロスの『死の受容段階論』について書いた。
その段階論を老人論にからめて書いた。

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その原稿をさがしてみる。
日付は20018年の10月になっている。
この原稿を書いたときは、まだ私は若かった。
今、読みなおしてみると、それがよくわかる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●キューブラー・ロスの『死の受容段階論』

 キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、
よく知られている。

「死」を受容する過程で、人はさまざまな反応を
示すが、それをキューブラー・ロスは段階論として
それを示した。

しかしこの「死の受容段階論」は、そのまま
「老人段階論」にあてはめることができる。

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●キューブラー・ロスの「死の受容段階論」(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

キューブラー・ロスの「死の受容段階論」について。
ロスは、死に至る過程について、つぎの5期に分けて考えた。

(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●私の母のばあい

私の母のばあい、ひざに故障が起きて、歩くのもままならなくなったとき、
ひどく医者をうらんだ時期があった。

「どうして治らない」「どうして治せない」と。

つぎに自分が老いていくことを許せなかった時期もあった。
たとえば温泉に行くことについても、「恥ずかしいからいやだ」と、かたくなに、
それを拒んだりした。

つぎに自分が動けなくなったことに腹をたて、私の兄に、八つ当りをしたこともある。
兄をののしり、兄を理由もなく、叱ったりした。

が、それも一巡すると、(あるいはその前後から)、ちぎり絵に没頭するようになった。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵をしていた。

さらにこれは、私にも信じられないことだったが、私の家に来てからは、まるで別人の
ように、静かで、おとなしくなった。

ざっと、母の様子を振り返ってみた。
が、それ以前の母はというと、ふつうの女性以上に、勝気で虚栄心が強く、わがまま
だった。

こうした母の変化を順に並べてみると、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」に、
恐ろしいほどまでに、当てはまるのがわかる。

(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。
母は、毎日のように治療に専念するようになった。
病院通いのほか、知人、友人の勧めに応じて、いろいろな治療法を試みた。

(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。
が、治療の効果がないとわかると、一転、「どうして治らない!」と、周囲の人たちに当たり散らすようになった。

(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。
もともと信心深い人だったが、ますます信仰にのめりこんでいった。

(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵に没頭するようになった。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。
私の家に来てからは、すべてを観念したかのように、静かに、おとなしくなった。
デイサービスなど、一度とて、それを拒否したことはない。
センター(特別養護老人ホーム)へ入居するときも、すなおに入居した。

母だけの例で、すべての老人もそうであると考えるのは、もちろん正しくない。
しかしほかの老人たちの話を聞いても、それほど、ちがっていない。
つまりキューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、そのまま、これから先の私たち自身の老後の姿と考えてよい。

(第1期) 否認……老人であることを否定する。「私は、まだ若い」と主張する。
(第2期) 怒り……老人扱いする周囲に怒りを覚える。「老人を大切にしない」と怒る。
(第3期) 取り引き……若い人に妥協したり、媚びを売ったりする。
(第4期) 抑うつ……身体的な症状が顕著になってくると、うつ状態になる。
(第5期) 受容……老人であることを受け入れ、死に対する心の準備を始める。

この段階論で、自己分析を試みると、私は、現在(第1期)~(第2期)ということになる。
しかしこれも心の持ち方で、かなり変化する。
というのも、「老人というのは、自ら老人になるのではなく、周囲の人たちによって、老人につくられていくから」である。
定年という制度も、そのひとつ。

同じ満60歳といっても、健康状態は、みなちがう。
肉体年齢や精神年齢にしても、そうだ。
そういう人たちを、ひとまとめにして、「定年」と決めるほうが、おかしい。
まちがっている。

55歳でヨボヨボの人もいれば、70歳でテニスのコーチをしている人もいる。
私も「あなたも定年の年齢になりましたね」と言われることくらい、不愉快なことはなかった。
定年であるかどうか、もっと言えば、老人であるかどうかは、自分で決めること。
しかし世間全体が、大きな(波)の中で動いている。
私ひとりが、それに抵抗しても、その力は、弱い。
私もいつしか、……と書きたいが、実際には、このところ逆のパワーが強くなってきた。
「生きて、生きて、生き抜いてやる」というパワーが、大きく作用するようになった。
と、同時に、「私は老人である」という考えが、どんどんと薄れていった。

コツがある。

(1) 過去を振り返らない。
(2) 未来だけを見ていく。
(3) 他人に遠慮しない。

あえて(第1期)の否認や、(第2期)の怒りを、経験する必要はない。
身体的な不調がないわけではないが、それについては、運動で克服する。
これは私の経験だが、加齢とともに、運動量をふやすことは、とても重要なことである。
歳をとったから、運動量を減らすなどいうことをすれば、かえって老化を早めてしまう。

また「健康」といっても、3つある。

肉体の健康、精神の健康、それに脳みその健康である。

肉体の健康は、運動で。
精神の健康は、人と接することで。とくに子どもたちと接するのがよい。
また脳みその健康は、脳みそを刺激することで、それぞれ維持する。
具体的には、私夫婦は、つぎのように目標をかかげている。

(1) 1日、2単位の運動をする。
(2) 月に2回は、日帰りの旅行をする。
(3) 週に1度は、劇場で映画を見る。

「人(子ども)と接する」ことについては、私の仕事を利用させてもらっている。
最近は、ワイフも、いっしょに仕事をすることも多くなった。
さらに私のばあい、月に4~5回の講演活動をしているが、これはたいへん脳みその刺激によい。
会場で1~2時間、大声でしゃべりつづけるだけでも、ボケ防止になるのでは(?)。

要するに、何もあわてて老人になることはない。
年齢という(数字)に影響を受ける必要もない。
またそんなものを気にしてはいけない。
「私は私」。
キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、あくまでも一般論。
何も、それに従う必要はない。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに

 つまり、今、私はそのキューブラー・ロスの段階論の過程の中にいる。
どの段階かということは言いにくい。
ばくぜんとしている。
あえて言うなら、(第1期)~(第3期)を経て、(第4期)にさしかかっている
ということか。

 で、最後に一言。

 また私はこうして否定的なことばかり書いてきたが、実際には、闘志が消えた
わけではない。
「70歳まで現役」を心に決めた。
またそのために、「今」どうあるべきかを、考えている。

 健康、精神、そして経済。
この3つの柱をどう組み立てていくか。
それぞれが大きな課題だが、私には選択の余地はない。
闘うしかない。
闘って、闘い抜くしかない。
そのあとのことは、私にもわからない。
あるいはその過程で、何があるか、私にもわからない。
「老後を生きる」というのは、私にとっては、そういうことになる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老後論 老後を生きる 老後の生き方)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

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