2010年11月16日火曜日

*Hotel Achikawa Hirukami Hot Spring Spa

【長野県・昼神温泉】(「昼神温泉郷・湯元ホテル阿智川」にて)

●直行バス

 浜松から長野県・昼神温泉行きのバスに乗る。
直行バスである。
「昼神温泉」というのは、飯田市の近くにある昔からの温泉という。
数か月前、その温泉の観光協会の人たちと知り合いになった。
町の中で、特産品を売っていた。
安くしてもらった。
そのとき「行きますからね」と約束した。
その約束を、今日、果たす。

 バスは東名西インターにある遠鉄バスターミナルから、出発する。
私たちはその駐車場に車を止め、歩いてバスまで。
すでにバスは来ていた。
女性がドアのところに立っていて、「林さんですか?」と声をかけてくれた。
瞬間、ほかに客がいないことを知った。
昼神温泉の方には申し訳ないが、客は少なければ少ないほどよい。
が、貸し切りバスというのも困る。
居心地があまりよくない。

 ……と思っていたら、出発直前になって、ほかに5人ほどが乗り込んできた。
日帰りで昼神温泉へ行く人たちという。
ホッ!
が、それでも、車内はガラガラ。
バスの後半部はラウンジ風になっていた。
中央にテーブルが置いてある。
私たちはそのラウンジを、私とワイフの2人で、占有した。

●退職

 今朝、出がけにパソコンを立ち上げると、オーストラリアの友人から
メールが入っていた。
大学の職員を退職することになったが、これからどうしたらいいかという
相談だった。
さらに1年間は、今の身分で仕事がつづけられるという。
が、自分としては、退職し、老後は好きなことをして暮らしたい、と。

 先日のメールでは現在の家(メルボルン市内)を売り、海の見える家へ移る
というようなことが書いてあった。
それについて、「ぼくはやはり町の人間かも」と。
どこか弱気な内容だった。
返事を書こうとしたが、時間がなかったので、簡単な詫(わ)びの言葉だけで
すました。

●カメラ

 その友人が最近、デジカメを買った。
その直前、「C社のxxはどうか?」と聞いてきた。
私はSONYのNEXを勧めた。
が、つぎのメールでは、それで撮ったビデオが添付されていた。
それについて、今朝のメールでは、「SONYのNEXにすればよかった」と。
「そら、見ろ」と思ったが、それは書かなかった。

 私が今、いちばんほしいのは、SONYのα(アルファ)、NEX-3。
NEX-5もあるが、レンズがほんの少し本体から飛び出しているのが気に入らない。
設計ミス?
そんな感じがする。
だからやや小ぶりのNEX-3。
ちがいは、NEXー3は、プラスティック製。
NEX-5は、マグネシウム製。

●パソコン

 バスは東名高速道路を走っている。
今日のお供は、TOSHIBAのdynabook―MX。
バッテリーのもちがよい。
最長10時間以上。
しかし失敗!

 このパソコンには衝撃感知機能がついている。
軽い衝撃を受けるたびに、それが働き、ハードディスクが停止する。
つまりガタガタとバスが揺れるたびに、ワープロの動きが鈍くなる。
TOSHIBAのUXをもってくればよかった……と、今、思い始めている。

●小さな夢
 
 昨日、私が22年前に書いた本が、7000円前後で売買されているのを知った。
AMAZON COM.で、である。
表紙カバーもない、ボロボロの本が、7000円!
『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)。
この本については、こんなエピソードがある。

 私は22歳のころから、漢方、つまり東洋医学の世界に、のめりこんだ。
それにはある経緯(いきさつ)があるが、それはまた別の機会に書くことにする。
ともかくも、「のめりこんだ」。

 で、1冊の本を書いた。
『東洋医学・基礎編』(学研)という本である。
この本は、今でも全国の大学の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。
一応、YD氏、ST氏が書いたことになっているが、両氏が書いたのは、前書きと、
本文1ページのみ。
「君の名前では本は売れないから」ということで、学研の編集長が、2人の著名な学者を
連れてきた。

 そのあと、『東洋医学・経穴編』(学研)という本を書き始めた。
これには7年という歳月を要した。
『目で見る漢方診断』という本を書いたのは、それから。
私はこの本に賭けた。
「この本が売れなかったら、漢方の世界から足を洗おう」と。

 当初、飛鳥新社のD社長は、著者を別の専門家にすると主張した。
私はそれに抵抗した。
私の本だから、私の名前で出したいとがんばった。
内容には自信があった。
私という素人が書く以上、一文一文に、すべて、出典を明記した。
漢方の古典に忠実に従った。

 が、結果的に売れなかった。
それでフンギリがついた。
絶版になるという連絡を受けたあと、身のまわりを整理した。
書庫から数冊の本をのぞいて、資料も含めて、すべて処分した。
が、今、その本が何と、7000円前後で売買されている。
ボロボロの中古本が、である。

 私はそれを知ったとき、熱いものが胸の底からこみあげてくるのを感じた。
うれしかった。
あの時代が、まだ生きている。
無駄にならなかった。

(昨日、6900円で売られていた本が、今朝は消えていた。
だれかが6900円で買ったらしい。)(AMAZON COM)

買ってくれた方へ、

 ありがとうございます。

●秋景色

 バスは東名高速道路を西へと走らせている。
途中で、東海環状自動車道へ入り、さらに中央自動車道へ入る。
昼神温泉へは、11時ごろ着くという。
窓の外は、すっかり秋景色。
ここから見ただけでも、紅葉はすでにじゅうぶんすぎるほど、美しい。

 ワイフは横から、「あなた、ほら!」と、そのつど話しかけてくる。
(うるさい! 私はパソコンと遊んでいるのだ!)

 昼神温泉へ着いたら、写真を撮る。
12月のマガジン用の写真である。

 ……しかし考えてみれば、命は短い。
ほぼ1か月で、そうして撮った写真でも、使命を終える。
終えたあとは、ネットから消える。

(電子マガジンでは、特別のばあいをのぞき、私は自分で撮った写真だけを
載せている。)

●中津川SA

 途中、一度、中津川SAで停車。
トイレから出たあと、写真を1枚撮る。
あいにくの曇り空。
重量感のある低い雲が、動きもなく空を覆っていた。

 写真を撮るなら、日光が必要。
紅葉は、光の中で輝く。
「明日に期待しよう」と、私。
天気予報によれば、今日は午後から雨。
明日は快晴。

 ガイドも、運転手もいないバスの中。
他の女性客たちは、カラカラ、キャッキャッと騒いでいる。
そういえば、このバスはどこかタバコ臭い。
それとも湿った酒のにおい。
雰囲気としては、古いバーのよう。
もっとも私はこの30年以上、バーとかキャバレーとか、そういった場所へ
入ったことがない。
ホステスのいないクラブのようなところへは、仕事の打ち合わせでよく入ったが、
その程度。
私はああいう雰囲気が、どうも肌に合わない。
落ち着かない。
それに酒の臭いが嫌い。

●見ごろ

 窓の外には、のどかな田園風景がつづく。
家の集落が森と森の間に見え隠れする。
このあたりでは、紅葉の見ごろは、11月の中旬とか。
つまり「今」。
今日は11月15日、月曜日。
仕事は休み。
バンザーイ!

 私たちは今日、中部地方という場所で、最高の紅葉を楽しむ。
写真に収める。
マガジンの読者のみなさん、どうかお楽しみに!

●集落

 その集落を見ながら、ふとこんなことを考える。
「こんなところにも、懸命に生きている人がいるんだなア」と。
それぞれの家には、それぞれのドラマがある。
その家の中には、もちろん、人が住んでいる。
それぞれの思いをもって、生きている。

 そう、あそこにも、ここにも、「私」がいる。
「私」がいて、「私」が生きている。
その家々の手前を、時折、黄金色のカーテンが、左から右へ流れる。
実のところ、こうしたラウンジ風のバスに乗ったのは、今回がはじめて。
「コ」の字型にシートが並べられている。
私たちは左側のシートに座り、窓の外の景色をながめている。

 新しい集落が現れ、そしてまた右へと消えていく。
つぎにまた、新しい集落が現れ、そしてまた右へと消えて行く。
それをながめる。
ぼんやりと、ただひたすら、ぼんやりと……。

●午後1時40分

 バスは予定より、ずっと早く着いた。
……着いてしまった。
途中、渋滞もなかった。
予定では11時15分ごろ到着となっていたが、10時半前。
ホテルに入ったが、「チェックインは3時からです」と。
わかってはいてが、しかたないので、また逆戻り。
バス停あたりまで来て、昼食。
私は「十割そば」、ワイフは「かけそば」を食べた。
おいしかった。

 友人たちにみやげを買い、配送してもらう。
ついでに、まんじゅうを2個買う。
それを川沿いのベンチに座ってたべようとしたが、突然、
山の冷気が身にしみた。
コートのチャックをあげ、そのままホテルへ。
こまかい霧のような雨が降り始めた

 今、時刻は午後1時40分。

●ホテルのロビーで

 パソコンのコードを忘れた。
ドキッ!
何度もバッグの中をさがした。
なかった。
私にとっては致命的な忘れ物。
ア~ア!

 バッテリーの残量を見ると、74%、
約5時間と表示されていた。
使い方によっては、もっと長持ちするはず。
が、5時間では足りない。
どうしよう?

 急いで書きたいことを書くことにした。
心の中にたまっているモヤモヤを吐き出すことにした。
無駄なことは書きたくない。

●熊谷元一記念館

 先ほど「熊谷元一写真動画館」というところを見てきた。
たまたまこの11月はじめに亡くなったとかで、「追悼無料公開日」に
なっていた。

 昭和28、9年ごろの写真がたくさん飾られていた。
私たち団塊の世代には、たまらないほど懐かしい写真である。
見ているうちに、写真の中に自分が吸い込まれていくような錯覚を覚えた。

 つぎはぎだらけの古い学生服。
ズボンの形をしたズボン。
丸坊主頭にゴム靴。
板間の廊下と、黒くくすんだ壁。
どれも「私」だった。
子ども時代の「私」だった。
気がつくと、目が涙でうるんでいた。

 「写真動画館」は、もうすぐ「記念館」と書き改めらるかも。
もしあなたが団塊の世代で、この昼神温泉へ来るようなことがあれば、
ぜひこの写真動画館へ立ち寄ってみたらよい。
場所は、バス停のそば、みやげもの屋の裏手にある。

●悪夢

 実は、今朝も悪夢を見た。
内容はいつも決まっている。
が、今日は、逆。
乗り遅れるのではなく、降り遅れる。
そんな夢。

 どこかの講演会場へ向かっている。
駅に着く。
同行していた係の人が先に降りる。
が、私は手荷物をいっぱいもっている。
あたふたとしているうちに、電車のドアがしまり、動き出してしまった。
「つぎの駅でおりて、タクシーに乗ればいい」と。
自分にそう言い聞かせているとき、目が覚めた。

 どうして私はいつもこんな夢ばかり見るのだろう。
いつも何かに追い立てられている。
幼いころの不安感が、いまでもつづいている。
おそらく死ぬまで、こうした夢から解放されることはない。
トラウマ(心の傷)というのは、そういうもの。

 いつだったか、だれかが私に聞いた。
「トラウマというのは、消えますか?」と。
それに答えて私は、こう言った。
「消えませんよ。消えるもんですか。心の傷というのは、そういうものですよ」と。

●湯元ホテル・阿智川

 今夜の宿泊は、「湯元ホテル阿智川」。
昼神温泉郷の中でも、一番奥にある。
バス停から1400メートルとか。
洞窟風呂があるということで、それでこのホテルを選んだ。
今のところ、サービスよし。
フロントにあるパンフレットには、「四季山水に遊ぶ宿」とある。
雰囲気よし。

 どんな商売でもそうだが、よし悪しは、「本気度」で決まる。
本気でやっているかどうかで、評価が決まる。
客の入りも決まる。
 
 幼稚園もそうだ。
幼稚園を選ぶときは、本気かどうかで選ぶとよい。
本気で幼児教育に取り組んでいる幼稚園には、それなりの活気がある。
先生たちも、生き生きとしている。
園児の顔も明るい。

 そうでない幼稚園は、そうでない。
どこか沈んでいる。
暗い。
そういう幼稚園にかぎって、行事だけは派手。
みかけの「よさ」ばかりを、アピールする。
そういう幼稚園へは、子どもをやってはいけない。

 ホテルや旅館も、同じ。

(実名を出したので、悪口は書けない。
以下、そのことを頭のどこかに置いて、この旅行記を読んでほしい。
電話は、0265-43-2800。)

●昼神温泉郷
 
 残念ながら、温泉郷そのものは、活気がない。
元気がない。
川沿いに歩いてみたが、結構大きな旅館が、いくつかすでに閉鎖されていた。
規模そのものは、浜松市郊外の舘山寺温泉街、あるいは岐阜県の下呂温泉にも、
引けを取らない。
それぞれの旅館やホテルは、大きく立派。
が、秋のかき入れどきというのに、川沿いを散策する温泉客は、私たち2人だけ。
もっとも今日は月曜日。
私たちはそういう日を選んで、ここへやってきた。

 が、どうしてだろう。
これだけの温泉郷である。
もっと客がいてもおかしくない。
またそうでないと、経営はむずかしい。

 前にも書いたが、若い人たちを中心に、旅行の趣向が変わってきている。
旅館に泊まり、料理を食べて、温泉に入る……。
が、それだけでは、若い人たちを引きつけることはできない。
もし若い人たちを呼び込もうとするなら、一度滋賀県の長浜の町を歩いてみたらよい。
沖縄の国際通りでもよいし、鎌倉の路地でもよい。

 ……といっても、私たちには、こういう旅館のほうがありがたい。
つまりそれだけ、ジジババになったということ。

●チェックイン

 フロントからたった今、男性がやってきて、「チェックインできます」と告げてくれた。
ワイフがフロントへ行った。
しかし私はパソコンのバッテリーが心配。
こうなったら、書きまくるしかない。

 私の脳みそがカラになるか、バッテリーがカラになるか。
どちらが早いか。
ハハハ。
これはまさに真剣勝負。

●星は5つの、★★★★★

 驚いた!
本当に驚いた!

 世に温泉数々あれど、このホテル阿智川の温泉は、群を抜いている。
清潔で、新しい。
それに広い。
露天風呂もあり、足湯の通路があって、それを歩いていくと、その奥は洞窟風呂。

 ほかに客は1人。
すぐ仲良しになり、情報交換。
あちこちの旅館やホテルの話になった。

客「ここほどの温泉は、長野県にも、そうはありませんよ」と。
私「……はあ、私も仕事で、月に2、3度、あちこちの旅館に泊まりますが、同感です」
客「私はね、松本から来ました」
私「あちらにも、いい温泉があるでしょ」
客「ここほどいいところはありません。だからここで連泊することにしました」と。

 部屋も広い。
和室。
内風呂はないが、大満足。

「昼神温泉の中でも、この旅館がいちばんということです」と。
その客は言った。

ビンゴー!

 前回は、沖縄のロアジール・ホテルに泊まった。
ホテルでも、あれほどのホテルはそうはない。
那覇市でも最高級のホテルという。

同じように、今回のホテル阿智川(旅館)も、そうはない。
あとは料理ということになるが、料理がふつうでも、私は大満足。
今の段階で、すでに星は文句なしの5つ星の、★★★★★。

(ただしこの昼神温泉郷には、さらなる高級旅館がないわけではない。
もちろん料金は高い。)

●客と

 私はこうした温泉では、ほかの客によく話しかける。
たいてい「どこから?」で始まる。
今日もそうだった。

 その客は、こう言った。
「松本から来て、明日は、豊橋に向かいます」と。
それで話がはずんだ。

私「豊橋へは、どうして?」
客「弟が住んでいます」
私「はあ、それで……」
客「娘は上山田の旅館に嫁ぎましてね」
私「それはいいですね。女将(おかみ)さんですね。いつでもタダで泊まれますね」
客「それがそうではないのです。夫の両親とは、結婚式の前、一度しか会っていません」
私「一度だけ?」
客「相手の父親が変人でね……」と。

 ふとさみしそうな顔をしてみせた。
いろいろあったらしい。

客「長男も、東京へ出たきり、帰ってきません」
私「浜松でも、そうですよ」
客「浜松でも、ですか?」
私「みんな、そうですよ」
客「よかれと思って、学資を出してやったのですが、それがよかったのか、悪かったのか」
私「今は、そういう時代です。何かがおかしい。狂った」
客「私は今、主に同年齢の人たちとつきあっていますが、毎年、1人、2人と
亡くなっていきます。私もやがて、無縁老人です」
私「私もそうなりそうです。長生きするのも、考えものですね」と。

 長野県でも、ここ20年、近所づきあいが極端に少なくなったという。
「長野県でもですか!」と驚いていると、「そうです」と。

 その客は、79歳といった。
別れるとき、「こんなに時代が急に変化するとは、思ってもいませんでした」と。

●旅館探し

 今ではどこへ行くにも、まずネットで旅館やホテルを探す。
ゆこゆこ、楽天、じゃらん……。
それぞれが旅館やホテルを紹介している。
そのとき参考になるのは、「口コミ」。

 今回も、その口コミを利用させてもらった。
その口コミをもとに、満足度などを、点数評価しているサービスもある。
それを読めば、たいていよい旅館やホテルに巡りあえる。

 ただアテにならないのは、都会のビジネスホテル。
組織的にインチキをしているところが多い。
たとえば今年のはじめ、K市で泊まったXXホテルは最悪。
もとは雑居ビルだったとか。
タクシーの運転手が、そう話してくれた。
化粧に化粧を重ねて、見た目には立派なホテルに仕立ててあった。
が、中身はボロボロ。
隣の部屋とは、ベニア板で仕切ってあった?
隣の音が、丸聞こえ。
しかし口コミは、すべて「よかった」「すばらしかった」「大満足」と。

 サクラが泊まって、サクラが書いた?
私はそう思った。

●雨

 風呂から出ると、雨が降っていた。
予報どおりだった。
だとすると、明日の朝は快晴。
すばらしい写真が撮れそう。
楽しみ。

●2010年

 今年も、残りあと1か月と半分。
いろいろあった。
が、全体としてみると、さみしい1年だった。
満足感は、ほとんど、ない。
何かをやり残したような感じ。
不完全燃焼症候群というのか。

 雨に光る旅館の屋根をながめていると、さみしさがひときわ胸にしみる。

 フ~ン。

 こういうとき島崎藤村のような詩人なら、自分の心をどう表現するのだろう。
長野といえば、島崎藤村。

 秋の日暮れしころの昼神温泉は、
 小雨に濡れて、静かに光っている。
 時の流れは、今、静かに息を止め、
 森の向こうから、やさしく私たちを
 見つめている。
 
 ハハハ。
 へたくそな詩。
生徒が書いた詩なら、0点をつけてやる。

●母の三回忌

 9月に母の三回忌をすませた。
ワイフと私の2人だけで、すませた。
10月13日が命日だったが、「誕生日のほうがいいだろう」ということで、
9月にすませた。
あとで聞いたら、姉は姉で、三回忌をしたという。
まあ、いろいろあって、私と姉の関係は、そういう間柄。
子どものころから、いっしょに遊んだという経験も、ほとんどない。

 『兄弟は他人の始まり』という。
珍しいことではない。
しかし親子だって、他人以上の他人になることがある。
とくに親が嫌われるケースが多い。
その中でも、父親。
映画『送り人』の中でも、父親が嫌われていた。
言い換えると父親というのは、そういうもの。
そういう前提で考えれば、気も楽になる。
子どもに好かれようとへたに機嫌を取るから、かえって嫌われる。

 私も長男に嫌われ、二男に嫌われ、ついで三男にも嫌われている。
ひょっとしたら、ワイフにも嫌われている。
生徒たちにしても、みな、こう言う。
「先生なんか、大嫌い!」と。
生徒は生徒だが、フロイトも「血統空想」という言葉を使って、父親の立場を
説明している。

 子どもから見ると、母親は「絶対的な存在」だが、父親は、「一しずくの関係」。
父親はどんなにがんばっても、父親。
立場には限界がある。
子どもは、自分の父親を見ながら、「この人は私の父親ではない。私の父親は
もっと高貴ですばらしい人だ」と空想する。
その空想を、「血統空想」という。

で、私も子どものころ、父が嫌いだった。
酒を飲んで、暴れてばかりいた。
が、ずっと嫌いだったわけではない。
自分が父親になって、父の気持ちが理解できるようになった。
そのことをとくに意識したわけではないが、息子たちの名前には、みな、
「市」をつけた。
周市、宗市、英市、と。
私の父の名前は、「良市」だった。

●父、良市

 ついでにどうして「市」をつけたか?

 私の父は、悲運な人だった。
商売は下手で、何をやっても失敗。
家族の愛情にも恵まれなかった。
今で言う、できちゃった婚で、結婚した。
そうして生まれたのが、父、良市。

祖父には別に、婚約者がいた。
父が生まれたあとも、祖父は、その元婚約者と関係をつづけていた。
つまり生まれたときから、家庭はめちゃめちゃだった。

 母と結婚したが、二度目の見合いで、結婚ということになってしまったという。
たがいの愛情を確かめる間もなく、父はそのまま出征。
台湾で貫通銃創を受け、傷痍軍人として帰国。
継ぎたくもない家業を継がされ、自転車屋の主人として押し込められてしまった。
酒に溺れるようになったのは、それからのことだった。

 だから私は長男が生まれるとすぐ、「周市」とした。
迷いはなかった。
父が覚えたであろう無念さを、私は晴らしてやる。
そう思った。
その父は、享年64歳だった。
今の私の年齢である。

●誠司
 
 それと同じかどうかは知らない。
しかし二男が子どもをもったとき、名前を「誠司」としてくれた。
私が名づけたのではない。
二男が、「これでいいか?」と聞いてきた。
それを知ったとき、私はうれしかった。
私の名前は「浩司」。
同じ「司」。

 二男が学生のころは、喧嘩ばかりしていた。
そんな二男が、「誠司」という名前をつけてくれた。
その誠司が今、私のHPのモデルとして、HPを飾ってくれている。
内々では、まったく私に似ていないという意味で、「エイリアン」とか、
「エイリアン・ボーイ」とか、呼んでいる。
しかし何といっても初孫。
かわいさがちがう。
かわいい。

●11名!

 ところでまたまた暗い話で恐縮だが、先日、同窓会名簿が送られてきた。
大学の名簿である。
法科の学生は、100人と少しだったが、すでにうち11人が他界している。
私はまだ数名と思っていた。
だから余計にショックだった。

すぐその名簿を見ながら、あちこちに電話をかけた。
消息を確かめた。
親しかった友人たちは、みな、元気だった。
それにしても、11人とは!
団塊の世代と言われ、戦後の高度経済成長を、懸命に支えてきた。
定年を迎え、やっと激務から解放されたとたん、他界!
こんなむごい話があるか?

 A君は電話でこう言った。
「みんな、がんだよ。若いうちは、進行も早くて」と。

 みんな、どうして死ぬんだ!
死んじゃ、だめだ!
ぼくたちは、まだまだ若いんだ!

●部屋で

 ワイフは今、せんべいを食べている。
旅館が用意しておいてくれたもの。
蒸きんつばというのも、横に添えてある。
夕食まで、まだ1時間半もある。
もつかなあ……?
パソコンのバッテリーがもつかなあ……?

 バッテリーが切れるのがこわいのではない。
パソコンが打てなくなるのが、こわい。
とたんに頭の中がモヤモヤとしてくる。
それが不愉快。
私はキーボードを叩きながら、モヤモヤを吐き出す。
(「叩き出す」と書くべきか?)

 もし今夜、パソコンが打てなくなったら、何らかの禁断症状
が出てくるかもしれない。
イライラするとか……。
それに明日もある。
どこかでパソコンを貸してくれないかな……?
電源アダプターでもよい。
一応、聞いてみるだけ、聞いてみよう。
19ボルトの3・42アンペア。

(たった今、フロントに問い合わせてみた。
結果、貸しパソコンなし。
貸し電源もなし。
ついでに無線LANサービスもなし。
残るは電気屋を探して、電源アダプターを買うこと。)

 フロントにたずねたら、「電気屋はいちばん近いところで、
車で10~15分」と。
「……しかしその容量のものが置いてあるとはかぎりません」とも。

 たった今残量を調べたら、「40%で3時間40分」と表示。
私は今、寿命の模擬体験をしているのかもしれない。
残りの命をどう使うべきか。

選択1:今のうちに書けるだけ書いておく。
選択2:明日までバッテリーを残しておく。

 問題は残りの40%を、どう使うか?
とりあえず、夕食まで約1時間。
夕食後は、読書に切り替え、バッテリーを温存する。
明日は、頭の中のモヤモヤをじゅうぶんためきったところで
電源を入れる。
一気にモヤモヤを吐き出す(=叩き出す)。

 どこか映画『アポロ13号』のような雰囲気になってきた。
あの映画の中でも、クルーは燃料の節約を始める。
その緊張感が、たまらない。

 ……たった今、コントロールパネルから、電源オプションを開き、
画面プランを「最低」に設定した。
とたん画面は暗くなった。
しかたない!

●模擬体験

 あなたならどうするだろうか。
あと3か月の命と宣告されたら……。
病院のベッドで静かにしていれば、3か月。
しかし無理をすれば、1か月。

 「命」をこうして茶化すのはよくない。
「死」を茶化すのは、さらによくない。
しかし多くの賢人は、異口同音にみな、こう言う。
「無益に100年生きるよりも、有益に1年を生きたほうがよい」と。

 その視点に立つなら、たとえ寿命が短くなっても、無理をして
生きたほうがよい。
「無理」というのは、やるべきことをやるという意味。
人には、寿命を縮めても、やるべきことがある。
長生きすれば、それでよいというものでもない。
人生の価値は、時計では計れない。

 ……というのは考えすぎか。
それにしても、この緊張感が楽しい(?)。
今朝見た、あの悪夢にどこか似ている。
心のどこかでハラハラしている。
しかしこんな気分では、よい文章など書けない。
が、これも実験。
心の実験。
はたして私は、どんな文章を書くのだろう。

●ハラハラドキドキ

 考えてみれば、私がもっているトラウマ、つまり強迫観念は、
今の心の状態に似ている。
どんどん減っていくバッテリー。
ハラハラドキドキ。
電車に乗り遅れるとき、降り遅れるとき、そんなときも、
ハラハラドキドキ。

 こうなったら、自分の強迫観念を解剖してみてやる。
私はなぜ、毎朝、悪夢に悩まされるのか。

●強迫観念

 具体的な記憶としては残っていない。
しかし私が強迫観念をもつようになったのには、母の育児方法に
原因があった。
それを10年ほど前に知った。

 晩年、母は手乗り文鳥を飼っていた。
そのときのこと。
母は手乗り文鳥を手なづけるために、わざと文鳥に不安にしていた。
「ホラホラ、行っちゃうよ」と。
そう言いながら母は、戸の向こうに隠れる。

 そのとき文鳥は、悲しそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴く。
それを聞き届けて、母はおもむろに戸の陰から顔を出す。
「ホラホラ……」と。
文鳥はうれしそうに、母のほうに向かって飛んでいく……。

 それを見たとき、私は遠い記憶の中で、いつも、つまり日常的に
母にそうされていたのを思い出した。
「ホラホラ……」という言葉が、鮮明に記憶の中に残っている。
つまり母は、そういう形で、一度私を不安にさせ、手なづけていた。

 幼児教育ではぜったいにしてはならない手法である。
こんなことを繰り返していたら、親子の信頼関係は、粉々に崩れる。
そればかりか、私のような強迫観念をもつようになる。

 そう言えば、どこかのバカ教授が、こんなことを書いていた。
「親子の絆(きずな)を深めるためには、遊園地などで、子どもを
わざと迷子にさせてみるとよい」と。

 この話は本当の話である。
100万部を超えるベストセラーを書いた、TKという教授である。
私はその幼児教育論を読んだとき、体中がカッと熱くなるのを覚えた。

●仲よくつきあう

 こうした強迫観念は、一度もつと、それから解放されるということは、
まずない。
今の私が、そのサンプルということになる。
私はいつも、何かに追い立てられている。
そんな観念から抜けきることができない。
だから休みが1週間もつづいたりすると、かえって気が変になってしまう。

 そういう私をワイフは、「貧乏性」という。
しかし何もお金(マネー)だけの問題ではない。
今は、「時間」。
時間がほしい。
時間が足りない。
そして今は、バッテリーが足りない。

 だから今は、あきらめ、仲よくつきあうことにしている。
強迫観念にせよ、貧乏性にせよ、なおそうと思う必要はない。
仲よくつきあう。
それが「私」と居直って生きる。

 が、今朝もワイフにこう言った。
「一度くらい、安らかに目を覚ましてみたい」と。

●バッテリー

 夕食まで、あと30分。
バッテリーは、省電力設定にしたこともあり、残り3時間15分。
夕食後は、読書。
残りの2時間45分は、明日のために残しておく。
(実際にはバッテリーの残量が10%以下になると、パソコンは勝手に
シャットダウンしてしまう。)

●夕食

 夕食は可もなく不可もなく……といったもの。
ほどよい食材で、ほどよく仕上げたという印象をもった。
(私は料理には詳しくない。
それなりにおいしければ、満足する。)
星は3つの、★★★。
あとは予算。
つまり料金で決まる。
私たちは1泊、1万5000円のコースを選んだ。

 それを食べながら、ワイフがはじめて、こう言った。
「こういう料理を食べられるなんて、感謝しているわ」と。

私「お前がそんなことを言うとは。はじめて聞いた」
ワ「そんなことないわよ。いつも感謝しているわ」
私「酔っぱらったからではないのか」
ワ「酔っぱらってないわよ」と。

 が、私はうれしかった。
最後に、梨のジュースで作ったアイスクリームを食べて、おしまい。
おいしかった。

●UFO

 どこかのバラエティ番組で、UFOの目撃番組を流していた。
中国や日本で、最近、目撃情報が相次いでいる。
その中のいくつかを紹介していた(テレビ信州「不可思議探偵団」)。

 誤解してはいけない。
UFOは現象ではなく、科学である。
霊とか魂とか、そういう類のものではなく、もっと科学的な見地から
まじめに検証すべきテーマである。
今夜紹介されたUFOは、どれも信憑(しんぴょう)性の高いものばかり。
「そういうものは存在しない」という前提ではなく、まず虚心坦懐に心を
開き、こうしたビデオの分析をしてほしい。

 私とワイフも、ある夜、巨大なUFOを目撃している。
あれを飛行機というのなら、私は自分の文筆生命をかけて、その言葉と闘う。
あれはぜったいに、飛行機ではなかった。

 ……できれば死ぬまでに、あれは何だったのか、本当のことを知りたい。

●静かな夜
  
 各部屋が広いせいか、この旅館は静か。
エアコンのかすかな風音をのぞけば、物音ひとつしない。
ワイフは、すでに横になって目を閉じている。
私は電気を消し、床の間の明かりで、パソコンを叩いている。

 満腹になったせいか、脳みその働きが鈍くなった。
そんな感じがする。
いつもならつぎつぎと書きたいテーマが浮かんでくる。
が、今はそれがない。
ぼんやりと床の間に目をやる。
銅の置物と、和紙を使ったランタンが目にとまる。
それなりに価値のあるものらしい。
気温は25度。
エアコンの設定温度である。

 ふと、明日のことを考える。
朝市は朝6時から、とか。
風呂は24時間入れる、とか。
朝食は、朝8時に設定してもらった、などなど。

 たった今、精神安定剤のSを半分に割ってのんだところ。
睡眠薬がわりにのんでいる。
そのうち眠くなるだろう。

●感謝

 こういう旅館に泊まれる。
おいしい料理が食べられる。
考えてみれば、こんな幸運なことはない。
そんな私が、不平不満ばかり、口にしている。
どうしてだろう。

 振り返っても、私は幸運だった。
健康にも恵まれた。
仕事も順調だった。
いつだったか田丸謙二先生が、こう言った。
「日本はいい国じゃ、ありませんか」と。
この年齢になって、はじめて、その意味がわかった。
日本はよい国だった。
今もよい国だ。
私は戦争を経験することもなく、今まで生きてこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、お金に困ったこともなかった。
私のような人間が感謝しなくて、だれが感謝する。

 「感謝」というのは、充足感をかみしめ、それに満足すること。
が、それだけでは足りない。
その満足感を、別のだれかに還元していく。
その気持ちをもって、はじめて「感謝」となる。

●就寝

 さて眠る時刻になった。
午後9時10分。
二男はアメリカで元気にやっているだろうか。
三男は東京で元気にやっているだろうか。
年々、疎遠になっていくばかり。
つまり私たちは、こうしてあの世へ行く準備を重ねる。
いつ死んでも、息子たちを悲しませることがないよう、息子たちの
脳の中から、私の記憶を消していく。
それが「準備」。
「パパは死んだよ」「ああ、そう」と。
それでよい。

 何となくセンチメンタルな話になってしまった。
こういう文章は、私らしくない。
これもこうした旅館に泊まっているせいかもしれない。
静かな夜は、心も静かになる。
同時に見えないものまで、見えてくる。

 穏やかな心。
やすらいだ心。
ザワザワとした雑音も消え、そこはまさに静寂の世界。
昔なら、山奥の、そのまた山奥の温泉卿。
その温泉のひとつで、私は今日という一日を過ごした。

 みなさん、ありがとう。
そしておやすみ。
(はやし浩司 2010-11-15)

●午前2時46分

 昨夜遅く、ワイフが食べたものを吐いてしまった。
「ビールを飲みすぎた」と。
若いころは、私よりずっと酒に強かった。
そのワイフが吐いてしまった。

 しばらくトイレの中で、うずくまっていた。
が、出てくると、「もうだいじょうぶ」と。
そう言いながら、気がつくと、もうふとんをかぶって眠っていた。
ワイフがものを吐いたのは、何年ぶりのことか。
たった今、ワイフが体を動かしたので、声をかけた。
やはり「もう、だいじょうぶ」と言った。

 時計を見ると、午前2時46分だった。

●18%

 1秒も休んでおられない。
バッテリーは、18%、1時間8分を切った。
このTOSHIBAのMXは、バッテリーを満タンにすれば、
10時間以上はもつ。
おかげで何とか今まで、こうして文章を書くことができた。
しかしもう長くは、もたない。
あと1時間。
その1時間で、何を書くか。
無駄なことは書きたくない。

●寿命

 もしあなたの命は、あと1時間しかないと言われたら、あなたは
何を書くだろうか。
あと1時間で、船が沈む。
あるいは宇宙船が爆発する。
そんなとき、何を書くだろうか。

 内容はどうしても遺書めいたものになるだろう。
みんな、ありがとうとか、さようならとか。
しかし何を書き残すかととなると、話は別。
頭の中が混乱していて、どうも考えがまとまらない。

 が、何も今の状況で、うしろ向きになることはない。
前向きに考えればよい。
これからの抱負でもよい。
そう、抱負がよい。

 夢や希望がないわけではない。
たとえば昨日、ヤフーで、「“はやし浩司”」を検索してみた。
「“」「”」ではさむと、「はやし浩司」のみを検索できる。
はさまないと、「はやし」でも、「浩司」でも、さらに「浩」
だけでも検索されてしまう。

 で、「“はやし浩司”」で検索してみたら、20万件を超えていた。
(「はやし浩司」だけで検索すると、50万件近くもあった。)
つまりそれだけ多くの人たちが、何らかの形で、私の文章に
興味をもってくれているということ。
もちろんみながみな、好意的な人とはかぎらない。
中には、興味本位、あるいは悪印象をもっている人も多いはず。
このところ辛辣(しんらつ)な批評も、届くようになった。

 そう、私はあえて肩書きを捨てて生きてきた。
ネットの世界では、肩書きをもっていると、検索数が多くなる。
しかし私は丸裸。
あえて丸裸。
若いころから、肩書きには背を向けて生きてきた。
今は、さらに興味がない。

 肩書きを取り去ったとき、その人はその人になる。

 先日もワイフがこう言った。
「あなたは人生のはじめに、それを知ったから、損をしたのよ」と。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生に学生時代に会うことができたのは、私は生涯の幸運と確信して
いる。
その田丸謙二先生はすでにそのとき、いくつかの肩書き(地位、名誉)をもって
いた。
それを知ったとき、「この先生には、かなわない」「だったら、ぼくは一生、肩書き
なしで生きてやろう」と。
そう自分に誓った。
その結果が今。

「むしろ自ら、たいへんな道を選んでしまったのよ」と、ワイフはよく言う。
そうかもしれない。
しかし今にしてみると、丸裸でよかった。
私を飾るものは、何もない。
私を飾るのは、どこまでいっても、私のみ。

 地位や名誉などといったものは、順送りにバトンタッチされる。
あなたがいなければ、べつのだれかが「あなた」になる。
肩書きについては、さらにそうだ。
私は私の人生を生きることができた。
言い換えると、私に命令できる人は、だれもいない。
たとえば今の仕事(?)にしても、私を解雇できる人は、だれもいない。
不安定で、おぼつかない人生だったが、航海にたとえるなら、大海原を
小さなヨットで横切ったようなもの。

 航跡は細くて小さいが、それはまぎれもなく私の航跡ということになる。
それに今さらそうした人生を変えることはできない。
このまま、私は死ぬまで、生きていく。
結果は気にしない。
おそらく死ぬと同時に、私はこの世界から消える。
今、こうして書いている文章にしても、死後1年はもたないだろう。
この世界は、「金の切れ目は縁の切れ目」。
プロバイダーへの送金が止まれば、HPも廃止される。
無料のHPサービスにしても、「3か月以上~~」という条件を
つけているところが多い。
電子マガジンにしても、「3か月以上発行していないときは、廃刊する」と
ある(規約)。

 が、だからといって、「本」という書籍がよいというのではない。
これからは電子書籍の時代。
何らかの形で、死後も文章として生き残る方法はないものか。

●墓石

 ひとつの希望は、二男にその一部を依頼すること。
二男はコンピューター・プログラマーをしている。
コンピューターのプロ。
現在はアメリカのIU(インディアナ大学)で、コンピューター
技師をしている。
自分で個人のプロバイダーを運営していたこともある。
二男に頼めば、道が開けるかもしれない。
あとでこの原稿を送ってみる。

 つまりそれが私の墓石ということになる。
死んだあと、息子たちに残す、墓石ということになる。

●13%、59分

 バッテリーがいよいよ13%を切った。
人生をこのパソコンにたとえるなら、平均寿命を80歳として、
63歳という年齢は、63÷80で、約0・8=80%ということになる。
つまり私はすでに80%の人生を終えた。
残り20%。

 が、実際には最後の10%は、病魔との闘い。
だから13%というのは、私の残りの健康寿命と同じ。
ハラハラドキドキ。
そのうちこのパソコンはこう表示するはず。
「バッテリーの残量が10%を切りました。
ファイルを保存して、シャットアウトしてください」と。

 年齢にたとえると、72歳くらいか。
「人生の総まとめをして、死への準備をしてください」と。
「13%」という数字は、そういう数字。

 が、意外と同年齢の友人たちは、のんびりと構えている。
そういう切迫性を感じさせない。
「バッテリーが13%を切った」と聞けば、だれだってあせる。
が、「人生が13%を切った」と聞いて、あせる人はいない。
どうしてだろう?

●あの世

 何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、一言もそんなことを言っていない(法句経)。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、
バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

 その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。

 日本でも偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいるものは、そのほとんどが
偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
(とうとう今、表示された。「残り10%」と。)

 話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という
前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確立のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を
建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を
生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

 「あの世があるなら、ぼくは早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

 そんなわけで、人生は一回ぽっきりの、一回勝負。
二度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし一回で、じゅうぶん。
一回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を2度生きろ」と言われても、私にはできない。

 たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「NO!」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

 たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
 
 そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

 さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「S」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

(今、電源メーターをのぞいたら、「8%、45分」と表示された。)

 あと45分!

●シャットダウン

 楽しい(?)旅行記を書くつもりだった。
が、電源コードを忘れてしまった。
今までの旅行の中でも、最高のドジ。
またまたウィンドウが現れ、「もうすぐシャットダウンします」と
表示された。

 死を迎えるときも、こんな気分か。
数分後か。
40分も、ほんとうにもつのか。
何もわからないまま、生きている。

 もっとも、電源が切れたら、朝風呂に入ってくる。
この温泉は、24時間営業。
言うなれば、そこが私の極楽浄土。

 私は善人ではない。
しかし悪人でもない。
死んだら、地獄へ行くことはないだろう。
だったら、極楽?

 親戚の連中の中には、私が三回忌をきちんとしていないから、
「浩司は地獄へ落ちる」と騒いでいるのがいる。
しかし本当のバカはどちらか。
仏教徒のくせに、経典を読んだことすらない。
儀式だけしていれば、それでよいと考えている。
少しは自分の脳みそで、ものを考えろ!

 どちらにせよ、電源が切れたら、私は温泉につかってくる。
そのあと、8時まで再び眠る。
朝市もあるということだが、今の体調では無理。
なお朝食は、いちばん遅い、8時からにしてもらった。
これは正解だった。
またチェックアウトは、10時。
バスの発車時刻は、午後2時30分。
浜松まで直行する。

 ……これで書きたいことはすべて書いた。
あとはバッテリーが切れるのを待つだけ。
寿命が尽きるのを待つだけ。

 ここの旅館は、ほんとうによい旅館だ。
料金にもよるが、この昼神温泉では、イチオシ。
なお「昼神」というのは、もともと「ヒル(虫のヒル)に
かまれた場所」ということで、「ヒル・カミ」となったそうだ。
が、それでは、どうもネーミングが悪い。
それで「昼神」になったとか。
部屋にある由来書には、そう書いてある。

 「ヒルにかまれたから、ヒル・ガミ」。
だったら、思い切って、「死神」にしてはどうか。
そのほうが今の若い人たちには受けるかもしれない。
が、これは冗談。

 まだ天気の様子はわからないが、今日は、すばらしい紅葉を
見られるはず。
カメラの用意はできている。
電子マガジンの読者のみなさんは、どうかお楽しみに。
(すでにこのことは、前にも書いた。)

●まだ……?

 どこまで書けるか。
こうなると、最後の闘い。
どこまで生き延びることができるか。
ベッドの上で、点滴を受けながら、死を待つ心境。
(おおげさかな?)

 もうすぐ電源が切れるはず。
一文書いては、保存をかける。
一文書いては、保存をかける。
この繰り返し。
何だか、悪夢を見ているような感じ。
またあのいやな気分がもどってきた。
ハラハラドキドキ。
悪夢を見ているような気分。

 考えてみれば、私の人生は、そのハラハラドキドキの連続だった。
その象徴が、今朝の今の気分。
ワイフは、「あなたは平均的な人の何倍も生きたわ」と言う。
もちろん私にはその実感はない。
あるわけがない。
私の人生は、私の人生。
そうではなく、反対に、時間が足りない。
時間がほしい。

 しかし今、ここで電源アダプターが手にはいったら、どうなる。
この緊張感が

●後記(家に帰ってから)

 先のところで画面が消えた。
今、そのつづきを、家で書く。

 ……この緊張感が、人生を濃密にする。
あの世があるということになると、その緊張感が消える。
つまり「死という限界」があるから、私たちはがんばる。

 ……ということを書きたかった。

 ほかにもいろいろ書きたいことがあるが、それはまたの機会に!
みなさん、おやすみなさい。
今日は疲れました。

 11月16日、夜、8時ごろ、長野県昼神温泉郷から帰る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 長野県 中信 昼神温泉郷 阿智川ホテル 湯本ホテル阿智川にて
はやし浩司 2010-11ー16 日誌)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
 

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